「バターン死の行進」が虐待ではない?

mixi でマイミクの某氏が、「バターン死の行進」に対して岡田外相が謝罪した件に関して、「原爆等でこっちもひどい目に遭ってるのに何故謝罪しなきゃならないんだ」という旨のコメントをされていた。まあ、ここまでは感情論(感情論だからつまらない、というのではなく、感情としてこういう念を抱く人がいても無理からぬことかな、という意味)だから構わないのだけど、そこにフォローするかたちでこんなコメントがついていたのが妙に気になった:

日本兵も荷物背負って一緒に歩いてるんだから、これは虐待じゃない。
……実は、昨日から、ネットでこのような感想をあちこちで目にするのだけど、どうにも頭の痛い思いをしている。

前にも blog に書いたことがあるけれど、靖国問題に関するテレビの討論番組で、聴衆として参加していた大学生の女性が、こんなコメントをするのを観たことがある:

靖国神社は他の神社と同じ神社なのに、どうして靖国だけ攻撃されなければならないのか。
面白かったのは、このとき討論に参加していた人々が皆、靖国への賛否の別なしに、

「いや、それは……」

と声を上げたことだった。少しの間を置いて、教師をしているという女性が、ため息をつきながら、靖国神社が戊辰戦争の戦没者を慰霊するために建立された、「戦没者慰霊のための神社」であることを説明したのだけど、件の大学生の女性は、まるでカエルの面に小便、という態だった。最近、どうもこの手の「世界は自分に見えている部分しか存在しない」とでも言うような……「唯我論者」とでも言うような手合いが増殖しているのだ。

バターンの話に戻ろう。「日本兵も一緒に歩いているから虐待じゃない」というけれど、捕虜と日本兵の状況が等しくて、どちらも歩くのに問題がないならばそう言えるかもしれない。しかし、太平洋戦争時の日本軍の捕虜に対する処遇が極めて劣悪なものであったことは有名な話である。勿論、たとえばソ連の日本人捕虜への処遇のような、日本人側が極めて劣悪な環境におかれた例も存在するけれど、だから日本も捕虜をそう取り扱っていいという理由にはならない。

「バターン死の行進」が悪質な捕虜虐待であった、というのは、残念ながら事実である。これにはいくつかの理由があるのだけど、まず当時の捕虜の状態を考えなければならない。当時のフィリピンにおける捕虜の状況は非常に劣悪なものであり、特に傷病兵への治療が満足になされていない、という問題があった。捕虜の中には、マラリア、赤痢、デング熱に感染していた者が少なからず存在した。

戦前の日本は、主に台湾を中心としたキナノキの栽培、そしてキニーネの生産が行われていて、一時はキニーネの生産高において世界第二位を記録していた。勿論これは、いわゆる大東亜共栄圏の形成においてキニーネが重要な薬剤になることを意識していたのが大きいと思われるのだが、そんな日本のバターンにおける捕虜の中に、マラリアに罹患し、その後も十分なマラリアの治療が行われていない者が相当数いたことは事実である。

このような事実を、日本軍が無視していたわけではない。いわゆる「死の行進」が行われたのは、バターン半島のマリベレスからサンフェルナンドまで、合計 88 km の行程だったのだが、当初の捕虜移送計画では、間にバランガを挟んで、マリベレス―バランガの約 30 km を徒歩で移動し、バランガ―サンフェルナンド間の約 50数 km はトラック200台を用いて移送を行うことになっていた。ところが、実際にはトラックの大部分が修理中であり、残りのトラックも物資輸送に割り当てたために、当初予定していたトラックによる移送が徒歩に切り替えられたのである。「死の行進」における死者の多くはマラリアなどに罹患した傷病兵であり、しかもこのバランガ―サンフェルナンド間で亡くなっている。つまり、治療がなされなかった傷病兵が多数存在する状況で、彼らに対して極めて過酷な徒歩行程による移送を強行したことこそが、まずは「虐待」と言わざるを得ないのである。

そして、バターンの問題において知っておかなければならないのが、辻政信という人物の存在である。辻は当時、独断で「米軍投降者を一律に射殺すべし」との命令を、大本営からの指示として口頭で伝達している。ところが、実際には大本営はこのような命令を出していないのである。また、辻は「この戦争は人種間戦争」であり、「アメリカ人兵士は白人であるから処刑、フィリピン人兵士は裏切り者だから同じく処刑しろ」と明言している。この辻の扇動によって、捕虜に対する虐待・私刑が実際に行われているのだ(賢明な何人かの軍人は、この命令に信憑性がないと判断し、逆に捕虜を釈放したりもしているのだが)。

「バターン死の行進」で病死、あるいは虐待などで死亡した捕虜は7000人〜10000人と言われており、そのうち米軍捕虜は約2300人であったと記録されている。僕はこの件に関してはまずフィリピンに謝罪すべきだと考えているが、日本が今まで謝罪しなかったのは、やはり適切ではないと言わざるを得ない。このタイミングで……と思う方は多いかもしれないけれど、いつかはちゃんとしなければならないことのひとつだったのは、間違いのないところである。

しかし……だ。こういうことはちょっと調べればすぐにわかりそうなものなのだけど、どうして軽々に「日本軍の軍人も一緒に歩いたんだから虐待じゃない」なんて言えるんだろう。頭が膿んでるんじゃないの?

Fahrenheit 451

"Fahrenheit 451"『華氏451度』というのがレイ・ブラッドベリの小説の題名だというのはよく知られていると思うけれど、この題名の意味するところは皆さんご存知だろうか。読んだことのある方はご存知のことと思うけれど、「華氏451度」は大気中で紙が発火する温度で、その温度を題名に冠したこの小説は、反芻できるメディアである「本」の所持が禁じられ、発見し次第焼却されてしまう、人々が省みることを失った管理社会を舞台にした作品である。

僕達日本人は、義務教育において、焚書の歴史には必ずふれているはずだ……秦の始皇帝が紀元前213年に行った焚書のことを、歴史の授業で教わっているはずなのだ。近代においては、ナチスドイツが1933年に「非ドイツ的」(共産主義的であるとか、あるいはユダヤ人の書いたものであるとか)とみなした書物に対して焚書を行っている。ハイネやケストナー(『エーミールと探偵たち』などで知られるユダヤ系ドイツ人の作家・詩人)の作品までその対象になった、というけれど、社会の批判をかわすためか、ケストナーの児童書(おそらく『エーミールと……』も含まれていたのだろう)は対象外とされたのだという。まあ、何を対象から除外しようが、焚書というのは、時の流れに抗って人が残してきた(そしてそれが「歴史」を形成する)本というものを問答無用に消し去ろうという行為で、これ以上ない蛮行であることは言うまでもない。

その焚書が、この21世紀に行われるという、にわかには信じがたいニュースが入ってきた。それも場所はアメリカ、そしてその対象はクルアーン(世間では「コーラン」と記することが多いようだけど、欧米でもアラブ系言語での発音に倣って Qur'an と記するので、ここでも「クルアーン」と記する)だというのだ。これは聞き捨てならない話である。

クルアーンの受難は今回が初めてではない。9.11 の後、キューバの米軍施設において、テロ容疑で収監されている人々を苦しめるために、彼らの目前でクルアーンを破り捨ててトイレに流した……という話がメディアを賑わわせたことがあったのを、ご記憶の方もおられるかもしれない。これはその後の調査で誤報であることが判明したのだが、実際にクルアーンが蹂躙されたことはちゃんとあって、それはこの日本でも例外ではない。数年前のことだが、富山県の中古車販売店で、戸外に破られたクルアーンが散乱しているのが発見されたのだ。この中古車販売店の近所にはムスリムが礼拝に使用していた小屋があり、そこから盗み出されたクルアーンが破られたらしいのだが、このときは東京でムスリムがデモを行い、代表者たちが外務省を訪れて事件の再発防止と捜査の徹底を申し入れる、という騒ぎになった。

この事件に関して net で検索をかけてみると、「たかが本を破られた位で」というような論調が多数散見された。しかしこれは、ムスリムに対してあまりにも無知に過ぎる発言としか言いようがない。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三者に共通しているのは何か。まあこれは複数あるのだけど、そのひとつに「偶像崇拝を禁じている」というのがある。キリスト教なんかだと、十字架や「御絵」(イコン)と呼ばれる聖人の絵、あるいは像などが飾られる(プロテスタントは十字架以外のものを嫌うけれど、それでも十字架や聖書のある場面を絵にしたものは用いられる)わけだけれど、イスラム教においてはこの「偶像を禁ずる」ということは、キリスト教の場合とは比較にならない程に徹底されている。

だから、信仰や崇敬というものの向かう先は、教典であるクルアーンに、ひたむきに向いているわけである。ムスリムにとって、クルアーンというものは、ムハンマドが神から与えられた啓示であって、それを記した書籍としてのクルアーンも、神からの啓示が記されている以上、単なるモノではなくて、神の一部とでも言うべき存在なのである。僕達から見て、書籍としてのクルアーンが本にしか見えないとしても、それはそれで何の問題でもない。しかし、ムスリムにとってのクルアーンというものがそれ程に大事なものであるということは、少なくとも尊重しなければならない。彼らにとって、クルアーンを破られることが我が身を裂かれるのに勝る苦痛を与えられることならば、僕達は徒らにそのような蛮行を為してはならないのである。

しかし、そんなクルアーンへの侮辱という蛮行を、よりにもよってキリスト教の牧師が行なおうとしている、というニュースが、この何日か世間を賑わわせている。このことについて、僕は blog でふれようかどうか正直迷っていた。しかし、一時見合わせると発言していたこの牧師が、やはり決行するなどと発言しているらしいので、さすがに書かずにはいられなくなった。

この焚書騒動が起きているのは、アメリカはフロリダのゲインズビルというところにある、Dove World Outreach Center という教会である。この Dove World Outreach Center(以下 DWOC と記す) は、所属信者が50人程の小さな教会で、特に宗派を限定してはいないらしいのだが、カリスマ運動を支持する立場をとっているという。そして今回、クルアーンを燃やすと発言して物議を醸しているのが、この教会のテリー・ジョーンズ牧師である。

もともと DWOC は Donald O. Northrup 牧師と その助祭 Richard H. Wright 氏によって、1985年に創設された。Northrup 牧師は Maranatha Campus Ministries(MCM、カリスマ運動とペンテコステ派の影響を受けた組織で、大学のキャンパスで運動を展開していたが、強引な勧誘と権威主義的構造からカルトとして問題視され、1990年に解散している)の資金援助を得て DWOC を設立、運営していた。そしてこの MCM のドイツにおける拠点であったChristliche Gemeinde Köln (GCK) を1981年に創立、2008年まで運営していたのがジョーンズ牧師である。ドイツでの報道などを読むと、ジョーンズ牧師はこの GCK の運営においても、MCM で問題視されたカルト的なやり口(教会の所属信者に心理的プレッシャーをかけて従属させるような)を用いていたと伝えられている。また、California Graduate School of Theology(認可を得ていない大学で、実質的にはいわゆるディプロマ・ミルだと思われる)から学位を得ており、2002年にはケルンの裁判所から経歴詐称(Doctor の肩書を不当に用いたかど)で3800ドルの罰金刑を言い渡されている。どうにも後ろ暗い経歴の持ち主のようであるが、ジョーンズ牧師は2008年にアメリカに戻ってからは、夫人と共に DWOC の運営に従事している。

また、ジョーンズ牧師は、キリスト教以外の全ての宗教……イスラム教、ヒンズー教、仏教等……が悪魔の産物である、という信念を持ち、そのように発言しているらしい。先月には "Islam Is of the Devil" という本を出版している。なんでもジョーンズ牧師は自ら一度もクルアーンを読んだことがないのにも関わらず、クルアーンに書かれていることは嘘っぱちだ、と発言しているのだという。

そんなジョーンズ牧師が、今年7月に DWOC 名義で "International Burn a Koran Day" なるものを提唱した。これは簡単に言うと、9.11 の犠牲者を追悼し、イスラムの悪に対抗するために、9月11日の午後6時から午後9時に、皆でクルアーンを燃やそう、というのである。全く以て、ムスリムに対してこんな理不尽な話もないと思うのだけど、当然、あらゆる方面からこの発言を非難されている。ジョーンズ牧師側はそれらに屈しない態度を固めていたのが、教会のあるゲインズビルの消防当局から「火災の危険があるので焚書は認められない」と勧告されたために、教会で焚書のイベントを行うつもりだったのを中止した、というのだ。もはや笑う気にもなれない。

しかし、この "International Burn a Koran Day" は、残念なことに、アメリカ国内のある程度の人々(おそらくは保守的キリスト教徒だと思われるけれど)の支持を得ている。ここにはfacebook の "International Burn a Koran Day" のアカウントにリンクしておいたのだが、このアカウントは消去された。その後、同調者が実際にクルアーンを焼いている映像を発見したので、それにリンクしておく:

残念ながらその気になっている連中が存在しているのは事実らしい。

この焚書騒動は、WTC 跡地にモスクを建てることへの反対だ、と言われているけれど、そもそもジョーンズ牧師の今回の騒動は、そんな次元ですらないもののようだ。ただし、クルアーンを燃やすということは、あまりに理不尽な行為であって、ましてや聖職者がそんなことをするのは断じて許されるべきことではない。イスラム教とキリスト教は、旧約・新約双方の聖書を共有しているのだ。だから、キリスト者がこのような蛮行を為すということは、何が何でも回避されなければならない。

ジョーンズ牧師が予告している9月11日の午後6時は、日本では明日日曜日の朝である。目覚めのニュースで焚書決行などという見出しを観ずに済むよう、まずは神に祈るしか術はない。本当に、どうしてこんな輩が出てくるのか。本当に、勘弁してほしいものなのだが。

computer literacy

先の「出歯亀」で書いていた TeX/LaTeX の話だけど、図が貼り込めない、という話で、結局その原因は TeX document と図の画像ファイルを同じ場所に置いていなかったことが原因だったらしい。いや、同じ場所に置いていなくてもちゃんと path を明示的に書けばいいだけの話なのだ……ただ graphicx とかで図を貼るときの画像ファイルの path は、Windows 上で動作する TeX でも \ でなく / を使わなければならないので、そこでちょっとまごつくかもしれないけれど。

まあ、何にしても、最近この手の愚にもつかない話が多すぎる。どうしてこうも多すぎるのか、と考えてしまう。中学・高校の教育でコンピュータを教え始めた――いわゆる科目としての「情報」――のが2003年のことだそうで、いい加減 path の概念位コモンセンスになってほしいものだけど、どうしてそうならないのか。

大体、僕だってそんなものを学校で教わった記憶がない。コンピュータは10歳から触っていたけれど、現在の OS みたいなものを触るようになったのは、高校に入ったばかりの頃に CP/M なんかに触ったのが最初だろう。その後 PC-9801 なんかを経て……ああそうか、僕は UNIX に触りだしたのが 1990年代初頭だから、それが他の人よりは少し早いのかもしれない。自分で DOS/V 機でどうのこうの、なんてする前に UNIX に触ってるからなあ。でも、僕は情報科学/情報工学を専攻していたわけではないからね。今でも「高級言語で一番慣れ親しんでいるのは?」って聞かれたら Fortran と答えるだろうし。

まあ、TeX でも DAW でもプログラミングでも、あるいは web でも何でもいいんだけど、何か道具としてコンピュータを使う上での共通知識みたいなもの……集合論と記号論理学、正規表現、階層型ファイル構造、アルゴリズム、英語、等々……があって、それを知っているか知らないかで、道具を道具として使えるかどうかが決まってしまう。google で検索をするときに和集合とか差集合とか考えられるかどうかで、求めるソースに辿りつけるか、あるいは複数のソースを多面的に比較検討して情報の価値の高いものを入手できるかどうかが決まってしまうのは、その一例である。

何度も強調するけれど、僕はそういうものを人に教えてもらったわけではない。必要に応じて自分で習得したのだ。だから、必要に迫られているのに、人が教えてくれないから、と平気で口にできる人々を目にすると、どうにも複雑な気分に襲われてしまう。

最近メディアで評判をとっている中部大の武田邦彦教授が公開している随想に『暴力としての知』というのがある。まあここで武田氏が書いていることは、何度も書いているけれど、もう二千年の昔に孔子によって実にシンプルに言い下されている:「学而不思則罔、思而不学則殆」だからどうでもいいのだけれど、現在はむしろ「暴力としての無知」の方が余程深刻なのだ。その増殖は、知の滞留を生み、そして知の滞留は文明の滞留へと至る。いや、実際、そうなっているではないか。Google を効率的に使っていると「検索の達人」などと褒めちぎって、結局は自分はいつまでたっても「検索の素人」のままだったり、やや検索に慣れてくると、今度は検索で得た tip の裏も取らずに羅列してみたり。こういう風な世情に至らないために computer literacy なんてものが提唱されたんじゃなかったのか?

今や世間は馬鹿のオンパレードである。そしてこの馬鹿の正体は、もう百年近くも前の夏目漱石の小説の一節で端的に表現できる:「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」そしてこの言葉を向けられても、彼らはKのように「僕は馬鹿だ」などとは決して思ってもくれないのである。

出歯亀

今日は長めに昼休みをとっている。と言っても、長めの食事を楽しんでいるわけではない。TEX/LATEXで図面を貼り込めないという質問に回答を書こうとして、よせばいいのに Windows で角藤版pTEX/pLATEX + Ghostscript + GSView の環境を整えて検証までしてしまったからだ。検証終了後の昼食は、今日はカップラーメンである。

さて、食事のときは某所のテレビの横で食べているのだけど、今日たまたまつけていたワイドショーで、大衆浴場における「こども」は上限何歳までか、というクイズをやっていて、答の解説で、東京では明治23年に、7歳以上の混浴を禁ずるおふれが出た、ということを言っていた。

さすがに僕でも、江戸時代の大衆浴場が混浴だったことは知っている。あれ……そう言えば、出歯亀って何年だったんだろう?とふと考えたのだった。女性の裸を覗くことを「出歯亀」ということを知らない人ももう結構存在するかもしれないのだが、たとえば森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を読んでいると、こんな記述がある:

 そのうちに出歯亀(でばかめ)事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に膨脹(ぼうちょう)する。所謂(いわゆる)自然主義と聯絡(れんらく)を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人間の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。
鴎外が書く位だから、当時、この事件や「出歯亀」という単語は常識的なものだったのだろう。事実、僕の世代位まで、出歯亀と言えば覗きのことだと意味が通ずる(最近はどうか分からないけれど)。

今の新宿区大久保でのことである。明治41年3月22日、電話交換局長の某が最寄りの駐在所に「妻が銭湯から帰ってこない」と届け出た。警察官や近所の人々が捜したところ、銭湯の近所にある空き地で、濡れ手ぬぐいを口に突っ込まれた妻の遺体が発見された。遺体には強姦された形跡があり、警察は強姦致死事件として犯人を捜した。不審人物を20名以上調べた結果、植木職人の池田亀太郎が、女湯を覗いたかどで何度か検挙されていたことが判明し、警察は池田を3月31日に別件逮捕し、容疑を追及、4月4日に強姦致死容疑で逮捕した。これが世に言う「出歯亀事件」である。

しかし、この事件が有名になったのは、実はこれ以外に理由がある。実はこの池田、取調べにおいて一度は自供したものの、開廷後は一貫して無実を主張していたのである。現在残っている資料を参照しても、池田が覗きの常習犯であったことは事実だと言えそうなのだが、本当に彼がこの犯行をなしたのかどうかは、正直言って断言しきれない部分もある。裁判所は池田の犯行を認定し、池田はその後服役したそうだが、実は「出歯亀事件」は、日本の司法における極めて初期の「冤罪(かもしれない)事案」であったということである。

さて、先に書いたように、銭湯で混浴が禁止されたのは明治23年である。出歯亀事件が明治41年、つまり混浴禁止から18年でこのような事件が発生したということになる。風俗の移り変わりというものが、いい意味でも悪い意味でも確実に世を変えていく、ということを、僕は強く感じる。いや、僕は別に混浴を推奨しているわけではないのだ。当局が混浴を禁止したのは、浴場の物陰でけしからぬ振る舞いに及ぶような事態があったからだ、と言われている。ひょっとしたら、湯浴みにきた女性が風呂の中でひどい目に遭っている例だってあったのかもしれない。「いい意味でも悪い意味でも」というのはそういうことだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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