ここまで的外れも珍しい

先週の金曜日は8月6日……言うまでもなく、広島に原爆が投下された日である。そして明日は8月9日……これも言うまでもなく、長崎に原爆が投下された日である。来週の日曜日の終戦記念日まで、色々なことを考える10日間が、今年も始まったというわけである。

しかし、今年の8月6日は、菅直人(敬称を使う気にもなれない)のあまりに的外れなコメントで、ただただ脱力してしまったのだった。皆さんはこのコメント、ニュースなどで聞かれただろうか:

菅首相「非核三原則堅持」 核抑止力は「必要」

 菅直人首相は6日午前、広島市での「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」であいさつし「我が国は核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」と強調した。「非核三原則を堅持することを誓う」とも表明した。広島市内での記者会見では「大量破壊兵器の拡散など不確実な要素が存在する中で、核抑止力は引き続き必要だ」と指摘した。仙谷由人官房長官は記者会見で、非核三原則について「改めて法制化する必要はない」との考えを示した。

2010/8/6 12:50 www.nikkei.com

……まあ、言いたい(けど言うための労力を費やすのが阿呆らしく思える)ことはいくつかある。ため息をつきながら書くことにしようか。

まず、今年の広島・長崎の平和式典に、どうしてアメリカ・イギリス・フランスの代表が出席することになったのか、菅直人は分かっているのだろうか?おそらく「オバマの『核なき世界』という主張のためだ」とか言うんだろうけれど、じゃあなんで、世界でも一、二を争う核保有国のアメリカがそんなことを言い出したのだろうか?オバマが平和主義者だから?違うっての。

911 以来、アメリカは「現在のアメリカへの脅威はテロである」と位置づけたわけだ。テロリスト、あるいはテロ国家はミサイルを山のように持っているわけでは勿論ないから、ピンポイントで自爆テロを中心とした攻撃を行っているわけだ。このような攻撃に対しては、核は役に立たない。むしろ、核をアクティブに運用することは、核物質の管理に穴のある国の核運用を活性化しかねない。それはテロリスト、あるいはテロ国家が核物質を手にしてしまうかもしれない危険が増すことを意味する。だから、アメリカは「核なき世界」などという概念を持ち出しているわけだ。

このようなアメリカの考えを端的に言うと、当然こうなる:「テロリスト、あるいはテロ国家相手には、核は抑止力にならない」これが時流の先陣をきるアメリカの考えならば、先の菅直人のコメントはあまりに的外れとしか言いようがないではないか。少なくとも、この国の総理大臣がプレスリリースしたコメントは、世界中に配信されるのだから、今回のこのコメントは、国際的に「日本は何を寝ぼけたことを言ってるんだ?」ととられるに決まっているのだ。

そして、何より、どうしてこんなコメントを、よりによって8月6日、しかも「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」の直後に口にできるのだろうか?これはどう考えても、無神経極まりないとしか言いようがない。僕がもし長崎市民なら、明日に備えて今日は卵を買いに出かけることだろう。

そして、もし僕が強烈な核肯定派だったとしても、「ああ菅直人にはタクティクスというものがないのか」と嘆くことだろう。戦術として、8月6日にあえて核抑止力に言及するなんてのは、どう考えても得策ではない。つまり、そんな愚策を弄する総理大臣の資質ってどうなのよ?と思わざるをえないではないか。

まあ……これ以上、書く必要もないだろう。しかし、本当にヤキが回ったんじゃないの?菅直人さんよ。消えてくれ。

これ誰が弾いてるんだ?

昨日言及したカヴァー曲だけど、昨夜ドラムのトラックを作り、今日はアコースティック・ギターを録音した。今夜か明日にはベースを入れるところである。

しかし、だ。この曲のベースが妙に難しい。そもそもアコースティック・セッションでのベースというのは、大規模なオケではカバーしなくていい部分もベースがカバーする必要があるために、ベースは普段使わない高い音域を使い、かなり頭を使うことになる……一例を挙げると:

まあこの曲自体に関してはあまりに有名な曲なのでどうこう書く必要もないとは思うのだけど、この曲のベースは、当時キャロル・キングの夫だったチャールズ・ラーキーが弾いている。ジェームス・テイラーのアコースティック・ギターとキャロル・キングのピアノ、そしてチャールズ・ラーキーのベースが、まさに三位一体とも言えるバランスで演奏を形成している。

で、僕がカヴァーしようとしている曲なのだけど、これが録音されたのは1971年、この "So Far Away" が録音されたのと同じ年だ。この時代の日本に、こんなベースを弾ける人はそう何人もいないと思うのだが……うーん。明らかに細野晴臣ではない。「これ誰が弾いてるんだ?」……ということで調べてみると……あー。これぁ……そうか、この人がいたんだよな。ベースを弾いているのは山内テツだった。

「山内テツ」という名前をご存知の方は、おそらく世間にはほとんどおられないかもしれない。どう説明すればいいのか……えーと、皆さんはフリーとかフェイセズとかいうバンドをご存知だろうか?フェイセズは、ロッド・スチュワートと現在はストーンズに在籍しているロン・ウッドが在籍していたのでご存知かもしれないが、1970年代、この二つのバンドに在籍していた日本人のベーシストがいた。それがこの山内テツである。

おそらく、問題の曲のプレイは、スタジオに呼ばれてさらさらーっと弾いて帰ったんだろうと思う。この時代のミュージシャンは大体皆そうだ。演奏における集中力が今のミュージシャンとは別次元と思えるほどに高い。でなければこんなプレイは出てこない。

オリジナルのこのベースのプレイに自分のプレイで対抗しなければならないわけで、ギターはさらっと録れたのに、おかげでベースで煮詰まってしまっているのだった。どうしたもんかな……いっそお盆の間寝かせておいた方がいいのかもしれない……

これどうやって弾いてるんだ?

楽器を弾く、特に、譜面中心でないロックやフォークソングをやっている人々は、しばしばこの言葉をつぶやいたことがあるのではないだろうか。今日はこのお話を少し。

昨日からごそごそやっている曲なのだけど、耳で取ったコードの経過音を弾くのに、一か所だけ非常に厄介なところがあった。無理すれば弾けないことはないのだけど、でも先日張り替えたライトゲージの弦で弾くのは少々厳しい(一応誤解なきように明記しておくけれど、いくら僕でも F とか B♭ とかを押さえられないということはない……最近は書かぬが花、と思って書かずにいると、アホな読み手が読む対象を平気で自分のレベルにまで引き下げて簡単に誤解してくれるものだから、こんな下らんことを書かなきゃならないんだけど)。うーん。

僕が悩むのには理由があった。というのも、この曲を演奏していた人々は CS & N とか CSN & Y とかのフォロワーだからだ。こう書いても最近の人にはピンとこないかもしれないけれど、「クロスビー、スティルス、アンド ナッシュ」とか「クロスビー、スティルス、ナッシュ、アンド ヤング」とか、ええい大まけだ、ヤングはニール・ヤングのことだ、とか書けば……やはりピンとこないか。詳しくはWikipedia の説明を読んでください。

このグループは、僕より下の世代にはおそらく馴染みがないだろうと思う。むしろ『名前のない馬』で有名な America の方が知られているのかもしれない。そういう人々のために書くけれど、このグループは言ってみれば「元祖ウエスト・コースト」とでも言えばいいのだろうか。CS & N の初期に聞かれるアコースティックサウンドと、男声のみの美しいコーラスが非常に特徴的で、たとえばイーグルスなんかは彼らの影響をもろに受けているに違いないのだ。

で、この CS & N とか CSN & Y とかを演奏しようとして、ギターをよくよく聴いてみると、ギター弾きはしばしば愕然とさせられることがある。彼らの押さえているはずのコードが、自分のギターで押さえられない!……なぜかというと、彼らはいわゆる変則チューニングというのを用いるからだ。ギターのチューニングというのは、神聖にして侵すべからざるものでは全然なくて、特にカントリーの影響を受けている人達は、この変則チューニングというのを使うことが多い。その多くはオープン・チューニング(ギターの指板を押さえていない状態で各弦の音が和音を構成するようなチューニング)なのだけど、他にもダウン・チューニング(全ての弦を、多くの場合半音下げにしてチューニングする)とかドロップ・チューニング(何本かの弦だけを下げたチューニング)とか呼ばれるものがある。彼らはこれを用いることがあるので、そういう曲をカヴァーするのには、コードだけではなくチューニングも読み取らなければならない。

まあ、それらのチューニングでの演奏可能性に関しては、ちょっと考えれば分からないわけではない(これでも20数年ギター弾いてますからね)。しかし……うーん、チューニングの問題でもなさそうだ。「これどうやって弾いてるんだ?」

もう少し悩むと得るものも多いのだけど、今回は卑怯な手を使うことにした。YouTube で問題の曲が演奏されている動画をさがしたのだ……結果、坂崎幸之助氏がセッションで弾いている動画を発見、左手を見てみると……あー!なるほど、ここ開放で弾いちゃうのね。なるほど。

……まあ、楽器を弾いていると、こういうことはよくあるんですよ。昔だったらそれこそ先輩に聴いてみるとか、昔のロック・フォーク関連の雑誌をひっくり返すとか、レコード擦り切れるまで聴くとか、ラジオの深夜番組にハガキ書いてみるとかね。総力戦で調べるものだったのだけど、最近は安易な時代になったものだ、と、僕位の世代でも思ったりするのだった。

デジタルリマスタリング

最近、ちょっとある曲をカヴァーしようかと考えていて、音源をいくつか入手してごそごそやっている。この音源は1970年代初頭にレコーディングされたものなのだけど、ライブ音源のブートなどもいくつか存在するようで、そういうものも参考に聴いているところである。

こういう音源を聴くときには、できるだけ妙な加工をしないようにしたいところなのだけど、採譜しようとかヘヴィーローテーションで聴きこもうとかいう話になると、さすがにちょっと手を入れたくなる。そういうときにどうしているのか、を、ちょっとだけ書いておこうと思う。

まず、音源を入手したら、16 bit PCM、いわゆる WAV 形式に変換する。この変換にはSUPER ©というソフトを用いることが多い。この SUPER © というソフトは、画像・音声ファイル変換の最終兵器とでもいうような変換ユーティリティなのだけど、意外なほどに利用者を見かけない。非常に便利なのだけどなあ……

変換した WAV ファイルを Audacity で開いて、まずは FFT でスペクトル解析を行う。この段階で妙なピークやディップがないことを確認して、あった場合は補正の前段階としての EQ を行う。

次に、Cubase を立ち上げて、内容確認の終わった WAV 形式のファイルを読み込んで、補正に用いるプラグインを立ち上げる。ここで僕が使うのはBBE SONIC MAXIMIZER PLUG-INSonnox Oxford Dynamics、そして(本来なら Sonnox Oxford Dynamics だけで作業可能なのだけど操作上の問題で)Sonnox Oxford Limiterである。

BBE SONIC MAXIMIZER PLUG-IN は、ブートのようなテープ音源で埋もれてしまっていた音を、うまい具合に彫り出してくれる。かけ過ぎると当然ドンシャリっぽくなっていくのだけど、これとパラ EQ(Oxford のを使用することもあるけれど、Cubase 付属の4バンドパラ EQ を使用することが多い)を組み合わせることで、ノイズ以外の問題に関してはかなりの範囲で補正が可能である。そうやって補正した音源の音圧を、コンプとリミッターで上げていく。分解能を落とさないように音圧を上げ、音が硬くなった場合は EQ で補正する。これを 32 bit 浮動小数点の WAV ファイルに落としてから、再び Audacity で読み込む。

Audacity を使わなければ一連の作業ができない、というわけではないのだけど、Audacity には強力なリミッタープラグインである ”Fast Lookahead Limiter" があるのと、いつでも FFT で帯域を監視できるので、最後のマスタリングは Audacity 上で行う。最大音量の部分が -0.1 dB となるようにノーマライズして、音源の導入部と終わりの部分を整えて、16 bit,44100 kHz サンプリングの WAV ファイルに落として、作業完了である。

いわゆるデジタルリマスタリングとでも言うべき作業をしているわけだ。僕の場合はあくまで音楽をやる上での要請からこんなことをしているのだけど、自分で録音した音源のマスタリングもこれに類したようなプロセスを経ている(自分の音源の場合は BBE は使わないけれど)。まあ、道具があって、必然性があれば、こんなことは誰でもできることなのだけど。

というわけで、目下、こんな風にしてデジタルリマスタリングした音源を iPod に突っ込んで、何か時間が空くと聴いている、という状態である。何が出来るかは、乞うご期待……

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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