勘違い

TeX Wikiでは、僕もいくつかの記述を起こしたり、手を加えたりしているわけだけど、前々から妙な……やたら大規模な割にはここでの情報共有化に何ら貢献し得ないような……文書が大量に書き込まれたこともあって、最近はあまり手をつけずにいたのだけど、同じようなことを思っていたのは僕だけではなかったようだ。『TeX Wiki の「古い情報」』というスレッドを詳しくは御一読いただきたいのだけど、前々から無用な記述を濫造していた輩がピシャリとやられた模様。しかしねえ……まあ、僕としてはやや複雑な思いもあるわけだ。ああ、いや、僕は前田氏の言われることに全面的に首肯するものだけど(嫌気が差して沈黙していた僕より、苦言を呈した氏の方が余程建設的だと思う)、どうしてこの匿名氏のような輩が出てくるのかが分からないわけだ。

手前勝手な論理で記述を連ねるならば、僕がやっているように自分で文書をまとめて自分のサイトで公開すればいいだけの話なのだ。僕の書いたものの場合、それがどうなっているかというと、TeX Wiki からリンクされている。有用ならばそうしていただければ良いだけだし、そうでないならシカトしていただければ良いだけの話だ。自分の書くものが一種の叩き台としての存在意義しか持ち得ず、それを基に他の方々が更に有用な記述を連ねてもらえるならば、TeX Wiki の方に書くだろう。Wiki に書く必然性というのは、つまりはそういうものなのだろうと思うのだけど、しかし件の匿名氏にはそういう意識が欠如していたとしか思えない。いやはや、とんだオナニー野郎だ、としか僕には思えぬ。

そもそも、この世は広いし、人の生き様は様々あるわけで、自分がこうだと思ったことと違う方法論で何事かを為す人なんてのは星の数程いるわけだ。そういう人々をも含めて、何事か益となる情報の集積を為す上で Wiki は有用なのだろう。自分の歪んだ世界観を一般化するために、それも他人の立ち上げた Wiki であれだけの記述を粗製濫造する、その情熱が僕にはとんと理解できない。何度でも書くけれど、そういうことをしたいなら自分で立ち上げた Wiki ででもやってもらいたい。まあ僕にとってはそれは有益だとは思えないけれど。

part-time adherent?

昨日の昼のこと。TBS 系列のニュース番組を観ていたら、例のパリの週刊新聞社の襲撃事件の話をやっていたのだけど、そこでコメンテーターの宮家邦彦氏がこんなことを言ったのだった。

キリスト教徒の人は、日曜に教会に行くだけですけれど、イスラム教徒は、24時間、365日、イスラム教徒なんですよ。
はぁ?何言ってるんだアンタは?キリスト教徒ってのはそんなお手軽なものじゃないんだよ。俺だって24時間、365日、カトリックなんだけど。何を訳知り顔で言ってるんだ?信じられない。

まあしかし、これが日本人の宗教に対する現状を如実に示しているんだろうと思う。この宮家なる人物、たしか外務省出身だったよね……えーと、

1978年3月 東京大学法学部卒業
1978年4月 外務省入省
1986年5月 外務大臣秘書官
1991年10月 在米国大使館一等書記官
1996年7月 中近東第二課長
1998年1月 中近東第一課長
1998年8月 日米安全保障条約課長
2000年9月 在中国大使館公使
2004年1月 在イラク大使館公使
2004年7月 中東アフリカ局参事官
2005年8月 外務省退職、AOI外交政策研究所代表に就任
その経歴で、あの発言はないよねえ、あれは。失礼極まりないと思うし、そもそも宗教というものに対する見識を疑う。

ふと読みたくなると

ふと、正岡子規の『歌よみに与ふる書』を読みたくなった。そういうときは岩波文庫で……というのが普通の人だと思うのだけど、せっかく青空文庫と TeX があるので、短い文章の場合は自分で版組みして PDF を作ってしまうことが多い。いわゆる青空文庫形式のテキストをダウンロードして、ルビや段落などの自動処理が容易なところだけ自動的に TeX の表現に置き換えて、それから後は手動で書き換えていく。

いつも悩んでしまうのが、ルビの割付けである。あまり原理主義的になるのも無意味だとは思うのだけど、機械的にルビを振るのも味気ないなあ、と思うと、ついつい細かいところを手でいじることになってしまう。こんなことに休みの時間を使うのも不毛なのかもしれないんだが……

で、出来上がったのがこれ。まあこんな感じでしょうかね。B5 で組んであって、ページを並べ換え、B4 の紙に両面印刷して中折りで綴じれば完成である。とりあえず印刷してから赤を入れるようにしよう。この作業には platex を使ったけれど、もう少ししたら LuaTeX-ja ベースに変えていくようになるかもしれない。このご時世に縦書きなんて、と思われるかもしれないが、こういうときには、やはり日本語には縦書きが必要なのだ、と思わされるのだ。

年越しの準備

ようやく年越しの準備をしている。毎年、黒豆は煮ることにしているので、昨夜から作業を開始した。それと並行して数の子の塩を抜き、筑前煮を作る。あとは昆布を煮る位か。酒とチーズは昨日確保してきた。

蕎麦は乾麺の十割蕎麦を使うことに決めている。茹で方さえ間違わなければ、そこらの蕎麦屋で生蕎麦を買うのより余程旨い。以前は一種の偏見があったのだけど、池波正太郎も乾麺の蕎麦を活用していたと随筆に書いてあるのを読んで、それ以来、夏も冬もよく使っている。十割蕎麦の乾麺だと蕎麦湯もちゃんと取れるし、何も問題はないのだ。当然だけど蕎麦汁も自分で作る。

Uの親御さんが鯨を送ってくれた。最近珍しいナガスクジラである。長崎式に薄く切って、橙醤油で食べることになるだろう。とにかく感謝である。まあこんな感じで、新年を迎える準備をするわけだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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