……というフレーズを目にすると、僕が思い浮かべるのは void こと くさかべよういち(後記:さっき見て驚愕した……「けんいち」じゃなくて「よういち」だってば……すみません風邪ひいて寝込んでるときに書いたのでボケてますわこれ)氏である。void 氏とは一度位はメールでやりとりしたことがあったかもしれないが、彼の発言の特徴を言い表すのに、よくこのフレーズは使われたものである。
僕は、もうこの「レス」問題はすっかり世間に知られていると思っていたのだが、今日、mixi(なんでも void 氏は mixi を強制退会させられたという話だが、だとしたら mixi も随分と戸口の狭いサロンだと言わざるを得まい)で res なる意味不明の単語を乱発する輩に遭遇した。さすがにこれを見て、僕も不安になった。世間の変質の極みとして、ついにこんな変な言葉が一般化したのか?と。
なぜ、返信の意味として「レス」と言うのがおかしいのか、というと、まず僕の英語感覚がそう訴えるのだ。英語で res というと、日本語の「物件」とか「事案」とか、そういう意味で使われる、というのがまず思い浮かぶ。英辞郎でも、Merriam-Webster Online でも、res と入れて最初に出てくるのはこれだ。
では、他に出てくるのは何か、というと、ラテン語の「起こったこと、なされたこと、行為」(先の res の意味の場合でもそうだけど、法律関連で使われることが多い)というのがくる。res gestae とか res publica の res がこれだ。
いやレスってのは略語なんでしょ、とか言われそうなので、Merriam-Webster Online で abbreviation を見てみると、research, reservation, reserve, reservoir, residence or resident, resolution... と続くけれど、「返事」に相当する単語は一向に現れない。おそらく「レス」というのは response の略だ、と言いたいのかもしれないけれど、response を res と略すという例は、僕の知る限りは存在しない。僕の英語感覚で言うと、コンピュータ関係で res と聞いて思い浮かべるのは resolution だろう。どこをどう引っくり返しても、response なんて出てこないのだ。
今回調べてみて、やはりこう結論付けざるを得ない:「返事」の意でレスとか res とか書くのはおかしいのだ。いやそうは思わない、確固たる論拠があるんだ、という方は、是非ご教示(これも最近は「ご教授」と書く馬鹿が多いみたいだけど)いただけると幸いである。
ptetex3導入後はかなりいい感じだった僕の TeX / LaTeX 環境であったが、やはり Unicode native にしておきたいなあ、と思っていたところにupTeX / upLaTeXの存在を知った。せっかくなのでこちらに移行しておくことにする。
upTeX / upLaTeX は ptetex3 への patch という形態で供給されている。僕の手元の環境では、まず、
を同一ディレクトリに入れ、ptetex と uptex の archive を展開しておく。ptetex のディレクトリ内で、
$ cat ./my_option.sample | nkf -w > ./my_option
$ vi ./my_option
my_option の内容は特に編集の必要なし(僕の環境の場合)。で、
$ cp ../uptex-[ver.]/patch/* ./
と patch を準備しておいてから、
$ ./0uptex.sh
$ make babel
$ make font
$ make fonty
$ make otf
で、後は make test でテストし、make install で /usr/local/teTeX 以下にインストール。
例の「『誰も教えてくれない聖書の読み方』新共同訳ガイド」の LaTeX document のクラス定義文を、
\documentclass[a4paper,12pt,uplatex]{jsbook}
とかして uplatex を通すと……おお、「しおり」が文字化けしないぞ。なるほど……
以下参考。
『カッコウはコンピュータに卵を産む』を僕が初めて読んだのは、おそらく大学の3年か4年のときだったと思う。当時はヘコタれていた話にも、今の自分は結構食いついていけるので、この本に出てくる話でも、たとえば GNU Emacs のセキュリティホールと出てくると、あー movemail の話だよね、だからここでメール云々と出てくるのは rmail のことを言ってるのか、位は何とかなるわけだけど、下巻の pp.170 で、クリフォード・ストールが、Bell Labsとあの悪名高いNSAで活躍した暗号学者であるRobert "Bob" H. Morris(1988年にインターネットを壊滅状態にしたことで有名なMorris wormの作者Robert Tappan Morrisの父親である)にクイズとして出題された級数、というのが、哀しいかな、完全自力では解けなかった。
そんなふうにして、ひとしきりなぞなぞや回文で遊んだ。これはどうだ、とボブは一連の数字を書き並べた。
1, 11, 21, 1211, 111221。
「この級数をつづけてごらん、クリフ」
私は五分間黒板をにらんで降参した。きっと簡単なことだろうとは思うけれど、今にいたるまで私はこれが解けぬままである。
これは想像なのだけど、おそらくクリフはこの問題の答を知っていると思う。彼の身近にいる物理学者だったら、一人位はこの級数を知っているだろう、と思うからだ……この級数は、標記の通り、"Look-and-say sequence" と呼ばれる。日本語で言うならば、さしづめ、「『見て言って』級数」とでもすればいいのだろうか。この級数を自力で解きたい方は、この次の行からはお読みになられないように。
さて、この級数だけど、その名の通り、項を「見て言って」次の項が決まる、というものである。この場合、a1 = 1とまず定義する。そして、次の項a2を決めるためにa1を見返す。a1は「1個1がある」→a2 = 11と定まる。次の項a3を決めるためにa2を見返すと、a2は「2個1がある」→a3 = 21と定まる。次の項a4を決めるためにa3を見返すと、a3は「1個2があり、1個1がある」→a4 = 1211……という風に、以下、111221、312211、13112221、1113213211……と決まっていくのである。以下、Fortran で(すみませんね古い奴で)a10まで計算した結果を参考までに載せておこう。
- 1
- 11
- 21
- 1211
- 111221
- 312211
- 13112221
- 1113213211
- 31131211131221
- 13211311123113112211
この級数には、いくつか面白い性質があることが知られている。たとえば、これらの項を見て何となく予想できると思うけれど、この級数の各項は 1, 2, 3 だけで構成されている(つまり、同じ数字が4つ以上連なることがない)ようだ。また、上で最初に定義したa1を色々変えることを考えると、a1 = 22→an = 22 for all n ∈ Nとなるのはお分かりだろうと思う。他にはどんな性質があるのだろうか。
実は、この級数には、あのライフゲームを考案したイギリスの数学者ジョン・ホートン・コンウェイ John Horton Conway によって、更に不思議な性質があることが明らかになっている。上に示したように、この「『見て言って』級数」は、項数nが増えるとすぐに巨大な桁数になるのだけど、よーく見ると、項が長くなるに連れ、その項がいくつかの要素……各々の要素を別々に「見て言って」操作をしてからくっつけても、くっついた状態で「見て言って」操作をしても、結果が変わらないような要素……に分割できることが分かる。コンウェイは、その要素が合計92個であることを示した。この92という数は、水素からウランまでの原子番号に等しいので、分割できない要素を原子になぞらえて(ギリシャ語の ἄτομος は「分割できない」という意味である)、上述の「見て言って」操作を分類している。たとえば22 は最も安定な水素、3 はウラン……という具合である。
ちなみに、この話に関しては、日本語で書かれた明解な document がまだない状態、のようだ。暇なときにでも、英語の文献をちょこちょこ読んでおこうと思う。
先日、social engineering の話を書いたときに自分で触れて、それでもう一度読み返したくなったので、amazon に『カッコウはコンピュータに卵を産む』を注文しておいた。下巻が数日前に来て、上巻が来るまで我慢していたのが今日ようやく到着して、最初の方をペラペラ読み返していたところなのだけど、これで、ひとつ思い出したことがある。
それはRTFMについて。僕が、これを Read The Fucking Manual の略だ、と書いたら、誰かが「それは fucking じゃなくて fine ですよ」としたり顔で言ったのに、「いやこれどこかで fucking って読んだんだよなあ」と曖昧な記憶を抱えてうだうだしていたのだけど、やっとはっきり書くことができる。『カッコウはコンピュータに卵を産む』上巻 pp.14 にはっきりこう書いてあるのだ。
昼近く、デイヴが分厚いマニュアルをかかえてふらりと私の部屋にやって来た。ハンターの名前を登録した覚えはない、とこともなげに言う。だとすれば、登録したのはもう一人のシステム・マネージャーであるはずだが、ウェインの返答はそっけなかった。「私ではない。RTFM」略号でメッセージをしめくくるのはウェイン一流の気どりである。この場合は Read the fucking manual で「よく目を開けてマニュアルを読め」の意味だ。
もちろん、僕は、クリフォード・ストールがそう書いているからというだけで fucking を推すのではない。native だったらそもそも fine なんてヌルい表現は使わない、というのがひとつ。そして、1980年代、情報科学/工学が最も勢いを持っていたアメリカ西海岸、それも LBL (Lawrence Berkeley National Laboratory……そう、舞台はバークレイなのだ) の admin だったクリフとウェインの会話でこれが出てきているということ。そして、クリフの会話の相手であるウェイン = Wayne Graves が、term の使用に関して特別に厳密な人だったということ、等からみても、これは traditional に fucking だ、と主張するわけだ。加えて言うと、もし僕が英語でこの言葉を使うなら、fine なんてヌルいニュアンスなんかこめやしないだろう……そういうヌルいことが言いたいときには、そういう表現をすればいいわけで、四文字略語の塊を投げつけるようにして言う必要なんかないのだから。
それにしても、1980年代後半が舞台のこのノンフィクション、考えてみれば、僕が UNIX とネットワークの恩恵を受け始めた頃によく似ている。当時の僕は、阪大の大型計算機センターのアクセスポイントに 9600 bps で接続して、そこから telnet でセンターの SPARC やスパコン、学科のサーバ、そして院生になってからは研究室に置いた自分の Linux マシンに接続していたのだった。当時はまだ Emacs 上で mh-e を使ってメールを管理していて、時々学科のサーバで /bin/mail を使ったりしていた。もちろん遊びで使っていたわけではないので、計算用のデータファイルやら結果を吐いたファイルやらを、自宅の PC98 とそれらのコンピュータの間でやりとりしていた。え、キャラクタ端末で使用しているのに、どうしてファイルのやりとりができるのか、って?当時使用していた VT220 エミュレータhtermや KEK-Kermit をローカルで使って、Linux や SPARC の上でC-Kermitを起動してやりとりしていたんです。結構安定して転送できるものでした……って、今や誰も知らないんだろうけど。しかし、コロンビア大学は凄いなあ。この C-Kermit のページ、ちゃんと今月に入って更新されてるし。