知らないと恥をかくけど、知っていると恥ずかしい

世の中には、知らないでいると恥をかくけど、知っていても恥ずかしい思いをする……そういうことがしばしばあるものだ。

たとえば、こんなことがあった。日本で web 日記が流行りだした1990年代半ば頃、日記書きのコミューンの中に一人の女性がいた。その女性は人文科学系の大学院生で、colon という handle(何度もしつこく書くけれど、「通り名」の意味で使われるのは "handle" で、"handle name" という語は存在しないし、ましてや "HN" などという略語も存在しない……日本の jargon としてはどうかわかりませんけれどね)を使っていた。「コロン」だから女性っぽいし、お洒落な感じでいいじゃないか、とか考えたそこのあなた。何かおかしいと思いませんか?

そもそも「コロン」が何故女性っぽい、お洒落なイメージを喚起するのか、考えていただきたい。おそらく、この「コロン」から香水とかをイメージするので、そういう風に考えるということなのだろうか?だとしたら colon というのはおかしい。そもそも「香水」を意味する「コロン」という言葉は存在しない。え?フランス語?それを言うなら「パルファム」Parfum だろう。

僕も別に偏屈親父を気取っているわけではない。おそらく「香水」から「コロン」を連想する方が、正確には「オーデコロン」という単語を経由しているのだろう、ということは分かっている。「オーデコロン」は、フランス式にちゃんと書くと Eau de Cologne だけど、まず、これ式で「コロン」を連想するなら Cologne と書くべきだろう。そして、そもそも Cologne という語には(辞書ででもひいてもらえばすぐに分かることだけど)「香水」というような意味はない。フランス語でも英語でも、Cologne と書けば、これはドイツの都市であるケルン(ドイツ語では Köln と書くけれど)を指すのである。

なぜこんなことになっているのかは、Eau de Cologne の歴史を調べてもらえればすぐ分かる。Eau はフランス語で「水」、あるいは水のような液体を指す言葉だから、Eau de Cologne を直訳すると「ケルンの水」とでもいう感じになるわけだけど、世界最初の Eau de Cologne は、ケルン在住のイタリア人香水職人 Giovanni Maria Farina(イタリア式に読むと「ジョバンニ・マリア・ファリナ」だけど、ドイツ式に「ヨハン・マリア・ファリナ」と呼ばれることが多いらしい)が 1709年に製造したものとされている。ファリナは自分の第二の故郷であるケルンの街の名を冠して、この新しい香水を Echt Kölnisch Wasser(= original Eau de Cologne)と名づけたのだが、1794年にケルンに進駐したフランス軍の軍人が、これを自国に持ち帰り、それ以後はフランス語の Eau de Cologne が世界的に用いられるようになったと思われる。ちなみにケルンでは、この当時の区画整理番地に由来する "4711 Echt Kölnisch Wasser" が現在も製造されている。

……いや、単なるケアレス・ミスでしょ?何をそんなに全力で否定しなきゃならないの?とお思いの方が多いと思う。だから先の colon なる単語に戻るけれど、これを英和辞典ででもひいてみてもらえたら、ここまで駄目を押す理由がお分かりになるかもしれない…… colon は英語では ":"、つまり句読点のコロンを指すか、小腸と直腸の間の部分(日本語で言う「結腸」や「大腸」)を表す言葉なのだ。そして、何の前触れもなしに colon と出てきたら、おそらく連想されるのは「腸」の方である。知らなかったであろうとは言え、handle が「結腸」というのは、これはあまりにケッタイな話なのである。

前に blog で書いたことがある話だけど、僕が大阪に住んでいたときに、近所に開店したケーキ屋の看板に "Taste of Mammy" と書かれていて、これをどうしたものか、と悩んだことがあった。これも「お母さんの味」という日本語が、正確には「お母さんの手になる味」「お母さんによる味」を表すことを深く考えずに、安易にそのまま英単語に置き換えた(もちろんこういう置換を「訳」とはいわない)結果、恥ずかしい看板が出来上がってしまったわけである。 "Taste of Mammy's Cooking" と書けば、何もおかしくないんだけれど……まあこれも、知らないと恥をかくけど、知っていると恥ずかしい一例である。

……で、今日、どうしてこんな話を書いているか、なんだけど……以下、若干シモネタがかった話になることを、どうかご容赦いただきたい。実は前々からおかしい、おかしい、と思いつつも、おおっぴらに話したり書いたりできずにいたことがあるのだ。今日こそは、それをここに書いておこうと思う。

ニコニコ動画のコメントとか2ちゃんねるの書き込みとか、あるいはアダルト関連の情報一切の中で、よく「肛門」の意味で「アナル」「アナル」と書かれているのを見かけるのだけど、これっておかしくありませんか?僕の言語感覚では「アナル」というのは anal だとしか考えられないんだけど、これはいわゆる形容詞格ってやつで、anal という言葉単体では意味を成さないはずなのだ。これは anus「アヌス」じゃないんだろうか?

Anus というのはおそらくラテン語由来の単語だろうと思ったらその通りで、もともとラテン語で「環」を意味する言葉なのだそうな。まあ「肛門」という単語が単体で使われることは非常に少ないわけだけど、あたかも単体で「肛門 = アナル」というのが正しいかのように世間に定着しているのが、僕にはどうにも気持ち悪いのだ……『さよなら絶望先生』の木津千里じゃないけれど、どうにも「イライラする!」。皆さん、もしこの単語を使われる際は、形容詞格との使い分けに注意しましょう、ええ。どうにも気になるんです(自分で使うことはないんですけど)。

執行設備公開

まず最初に書いておくけれど、今日は僕の誕生日である。もう誕生日をにこやかに祝うような歳でもないけれど、さすがに今日のニュースを観たときには「何も今日でなくたって」と思ったものだ。2010年8月27日……今日、おそらく日本で初めて、死刑執行に関わる設備がマスコミに公開されたのだ。

日本では死刑というと絞首刑を指す。なぜかというと、これは刑法11条1項にその旨定められているからなのだが、この絞首刑の執行は、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島そして福岡の拘置所で行われることになっている。しかしながら、今まで法曹関係者以外に執行施設が公開されたことは、記録されている限りは1回しかない。「死刑廃止を推進する議員連盟」の申し入れに対して、当時たまたま改装されたばかりであった執行設備が公開されたのだ。

社民党の元衆院議員である保坂展人氏は、このときに執行設備を見学し、後にそのときのことをドキュメンタリー作家の森達也氏のインタビューで述べている(詳細は『死刑』森 を参照のこと)。そのときの話を『死刑』で読んだとき、僕は「同じだ」と思ったものだ。何が「同じ」なのか?まずはこのパイロットフィルムを見ていただきたい:

この、大島渚氏の『絞死刑』を、僕はビデオで観る機会があった。この映画では、死刑執行に関わった人などから徹底的な取材を行い、死刑執行の一切を忠実に再現しているのだが、この『絞死刑』冒頭部における描写と、保坂氏の証言は、ほとんど死刑執行の実情が1960年代から変わっていないことを示していた。

これを今日お読みの皆さんは、おそらく今夜のニュース番組等で取材された東京拘置所の死刑執行設備を観ることができるだろうから、まずは『絞死刑』冒頭部をぜひ観ておいていただきたい。保証してもいいけれど、この2010年になっても尚、死刑執行の設備というものはほとんど変わってはいない。あえて変わっているところを指摘するならば、昔はハンドルを回すことで外されていた床板が、現在はボタンを押すことで外れるようになっていること位であろう。

東京拘置所の現在の死刑執行設備においては、床板の設置されている部屋からカーテンを隔てたところに、3つのボタンが設置されている。これは、どのボタンが実際に機能するかを変更できるようになっていて、3人の刑務官が一斉にこのボタンを押すことによって、誰が実際の死刑執行を行ったのか分からないようにするためである。しかし、仮にこのボタンが巧く作られていて、本当に誰が押したために床板が抜けるのか分からなかったとしても、3人の刑務官は、自分が押したために1人の死刑囚が縊死したのではないか、という念を抱くことになる。これはもう、間違いのない事実である。

刑務官という職の本来のミッションは、死刑という刑罰のそれとは著しく異なるものである。日本における刑罰は、一般的には教導的な意味合いの強いもので、刑務官のミッションは「受刑者に罪を悔い、償うよう教導すること」なのである。死刑制度を簡単に肯定する人々は、おそらくはこの辺から分かっていないのだと思う。「受刑者に罪を悔い、償うよう教導すること」をミッションとしている刑務官が、受刑者の命を奪うことを職務として実行しなければならない。こんな矛盾に満ちた話はないのである。

僕が聞いた話では、死刑執行による臨時手当で、刑務官は皆したたかに酔ってこの念を逃れようとする、という話だった。しかし、実際には、その手当を持って寺院を訪れ、死刑囚の供養を依頼する刑務官もいたのだという。これらもまた、死刑執行設備と同じく、おそらくは何十年を経ても尚、変わらない現実なのだろうと思う。

今までも何度か書いているけれど、僕は大阪教育大附属池田小学校の隣で働いていた。あの宅間守元死刑囚が牛刀を持って侵入し、8人の子供達が殺されたとき、僕は前日遅くまで職場で働いていたために、遅めに職場に出た、丁度その頃だった。その日のことは、今までにも書いたことがあるから省略するけれど、ここで書かなければならないことは、宅間元死刑囚の刑が執行された後に遺族から出されたコメントが「虚しい」というものであったことである。特に、宅間元死刑囚は、獄中結婚を経て、自らの罪に対してわずかながら後悔の念を抱き始めた、まさにその頃に刑が執行された……哀しみにケリをつけるために望んだ早期刑執行は、結局は永遠に悔罪の念をもたらさないという結果に至る。結局、周囲の人の人生の一部も、永遠に死んだままに終わってしまう。

簡単に「応報意識を持つことは正当だ」とか「死刑囚の生活費を何故公費で負担し続けるのか」とか「命は命で償われるべきである」とか言うのは、誰だってできることである。しかし、そういう人々は「罪と罰」というものを、本当にちゃんと考えたことがあるのだろうか?僕は、そんな放言乱発の輩は、きっとそういうことをまともに考えたこともないのだろうと思う。そして、何よりも当たり前のこと「命は命で償えない」ということを理解していないのだろうと思う。加害者を殺して、被害者が生き返りでもするというのか?そんなことも分からないような連中は、きっと他の償いも満足に果たしたことのないような輩に決まっている。

空間喪失

今年、2010年という年は、プロで音楽に携わっている人にとっては記憶に残る年なのかもしれない。というのも、ソニーがテープを用いたデジタルレコーディングシステムの保守を打ち切るのが今年なのである。

ロックに代表される、マルチチャンネルレコーディングの現場にデジタル化の波が押し寄せたのは、1980年代初頭のことだった。1978年に 3M 社が開発したデジタルレコーディングシステム(The Digital Audio Mastering System = DMS)が、今はなき田町駅前交差点のアルファスタジオに設置されたのだ。このシステムで、YMO や CASIOPEA(なんか時々指摘されることがあるから書き添えておくけれど、バンドのカシオペアは何故かこう書くことになってるんです……僕もさすがにギリシャ神話のカシオペアを Cassiopeia と書くこと位は知ってるのでね)がレコーディングを行っている。

このシステムは 16 bit 50 kHz のサンプリングレートで 32 ch. の録音が可能で、それをマスタリングするための 4 ch. のシステムも付随していた。音質に関しては、日本では主に YMO のファンが中心となってこれを酷評しているのだが、それは YMO 以外の音楽を知らないからなのだろう、としか僕には思えない。僕のような人間にとっては、何と言っても Donald Fagen の "The Nightfly" のレコーディングにこのシステムが使われた、ということが記憶に鮮明だし、実際、"The Nightfly" は多くのレコーディングエンジニアがリファレンスと位置づけているのだから。

ただし、この 3M のシステムは、やはり機械的には無理のあるものだったと言わざるを得ない。当時入手が比較的容易だった1インチ幅のビデオテープを媒体に使えるとはいえ、そのテープ走行速度は毎秒 45 インチ、つまり毎秒 114.3 センチというとんでもないものだった。ヘッドやキャプスタン等の消耗は当然激しい。そしてこのシステム、デジタルで重要になるエラー訂正に弱いところがあって、現場ではかなり神経を使わされるシロモノだったらしく、登場から数年で姿を消すこととなった。余談であるが、現在動作する 3M のシステムは世界中探してもほとんどない状態らしく、当時このシステムでレコーディングした音源を抱えている人々は大変困っているのだそうだ。

3M 以後のデジタルレコーディングシステムとしては、三菱が中心となって提唱したProDigiと、ソニーが提唱したDASHが登場した。ProDigi システムによる録音例としては、松任谷由実の "ALARM à la mode"(三菱の X-800 シリーズが用いられている)が挙げられるけれど、業界標準はソニーが一手に担うことになる。

今回、これを書くためにソニーのデジタルマルチに関して調べていたら、1979年には既に PCM-3224 なる 24 ch. デジタルマルチが存在していたらしいのだが、いわゆる業界標準の流れを形成したのは、1982年に発表された PCM-3324 である。この PCM-3324 で録音して、PCM-1610 でトラックダウンする、というのがソニーのシステムで、ソニー傘下での音源制作がこのシステムで完全デジタル化されたのが1984年のことらしい。しかし、当時のデジタルメディアは非常に評判が悪くて、その悪評が払拭されたのは1986年の PCM-1630、そして1989年の PCM-3348 の登場以降のことである。

当時は、デジタルの音はとにかく薄っぺらいとよく言われた。これは AD・DA 変換とフィルタの特性に問題があったことと、トラックダウン〜マスタリングの過程での音圧管理(音の強弱を、人間の聴感に対して美味しいところにもってくる処理)という概念が未発達だったことに起因している。実際、この問題が克服されてからは、アナログ 24 tr. でのレコーディングは激減したのだ。

そして、1990年代末辺りから DigiDesign の ProTools が普及すると、一台数千万もの価格で、毎秒 30 インチ(毎秒 76.2 センチ)のテープ走行速度で消耗品扱いのヘッドを定期的に交換する必要のある PCM-3348 は徐々に駆逐されていく。音質の問題から PCM-3348 を使い続けてきたミュージシャンも、冒頭に述べたソニーのサポート打ち切り予告の前に、ProTools に移行していった。そして今年……おそらく今年以降は、過去の音源のトランスファー以外に PCM-3348 が用いられることはなくなるわけだ。

今までの話が、一体表題と何の関係があるのか、と思われる方が多いかもしれないが、実はこの ProTools の普及に伴って感じられるようになったのが、音場における空間を感じさせるものが失われた、という感覚なのである。いやそんなの単なる懐古趣味でしょう?と言われるかもしれないが、勿論そんなつもりで言っているわけではない。

たとえば……今、僕の iTunes に入っている、中島愛(めぐみ)という人の楽曲を例に挙げよう。この人は『マクロス F』や『こばと。』等のアニメで有名な声優さんなのだそうだが、僕は別にアニメマニアではないのでそんなことはどうでもいい。この中島愛氏のシングル『ジェリーフィッシュの告白』に入っている二つの曲(特に2曲目の『陽のあたるへや』という曲)とアレンジ、そしてそれを手がけた宮川弾という人物に興味があるから入手したのだが、この『陽のあたるへや』という曲は宮川氏のピアノと弦(元 G-クレフの落合徹也氏が主宰する「弦一徹ストリングス」が弾いているらしい)、フルート、金管(おそらくチューバ)のベース、ティンパニとスネア(元シンバルズの矢野博康氏が叩いているらしい……ちなみに宮川弾氏はシンバルズの Vo. だった土岐麻子氏の元夫なのだそうで)、あとはマリンバ、かな……大体そんな辺りでオケが形成されている。

こういう編成だったら、弦の響きの面からも、少しライブな(反射音とか残響音を感じさせる)音場を形成する……というのが、僕の認識なのだけど、このオケが、実に見事なまでにべたーっとしている。弦も木管も、もう空間じゃない。面上に共存しているようにしか聞こえない。これはどういうわけなのだろうか。

実は、このような「空間喪失」とも言うべき現象は、ProTools でレコーディングが行われるようになってから特に指摘されるようになってきたものである。じゃあ ProTools が悪いのか……というと、実はそういうわけでもない。たとえば僕は Cubase(レコーディングの現場で用いられている ProTools HD よりは大分音質は悪いけれど)でデジタルレコーディングしているわけだけど、この間公開した『地球はメリー・ゴーランド』:

の coda (大体 2:30 以降の部分)を(できればヘッドフォンで)聴いてみていただけるとお分かりかと思うけれど、かなり空間的には深い感じを出している。勿論、単純にリバーブを深くかけるだけではこうはならなくて、色々小技をきかせる必要はあるのだけど、HD レコーディングで空間の感じが出なくなる、とよく言われるのは、どうも違うような気がする。

おそらく、諸悪の根源は、現在の音楽が圧縮フォーマットで聞かれる頻度が高いことにあるのではないか、というのが僕の印象である。実は上の『地球は……』も、手元の WAV ファイルと上のフラッシュ(これの音声部分は 320 kbps の CBR MP3 フォーマットである)では空間描写が大分変わってしまっている。本当はもっともっと音場は深いんだけど、MP3 で圧縮がかかると、この音場を描写するのに重要な、高音域の情報が間引きされてしまうのだ。

この音源はカバーとは言え自分の音源なので、遠慮することなく、該当 coda の部分を20秒位、WAV と MP3 で比較試聴できるようにしてみた。

上の WAV(44.1 kHz / 16 bit)と MP3(320 kbps CBR MP3, winlame で作成)をヘッドフォン等で聞き比べていただくと、この違いは分かりやすいかもしれない。

このような空間処理は、もともとレコーディングエンジニアにとっては腕の見せどころだったのだけど、最近はトラックダウンまで自力で行うミュージシャンが増えて、その辺の処理の技術が稚拙な上に、そこで頑張って空間描写をしても、MP3 とか AAC にされたらどうせこうなっちゃうんだから……という事情があって、先に指摘したような「空間喪失」現象が頻発しているのだろうと思う。これは、一音楽愛好者としても、音楽を作るアマチュアの一人としても、とにかく哀しいことなのだけど……

藁の中の七面鳥?

以前にここで書いたかもしれないが、Wikipedia における山下達郎のアルバムの大体半分位の解説は僕が書いている。これは本当に、たまたまそうなったとしか言いようがないのだけど、その関係で Wikipedia の記述を未だにちょこちょこ修正していることがある。

で、達郎氏の CIRCUS TOWN(氏のソロデビューアルバム)に関する記述をちょこちょこ直していたときに、ふと考えたのだった。このアルバムの1曲目に入っている CIRCUS TOWN という曲の冒頭に、ピッコロで演奏された短いパッセージが挿入されているのだけど、これって昔の何かの曲の引用だったよな……あれ、この曲って何だっけ?

この短いパッセージというのは以下の通りである:
http://www.fugenji.org/~thomas/music/CIRCUS_TOWN-snippet.mp3

まあ、こういうときはMusipediaで探してみるのが早いだろう……と、そのパッセージをフラッシュの鍵盤で打ち込んで検索すると……ん? Vjezd gladiátorů ? なんだろうこれ……と、聴いてみると、確かにそう、この旋律である。

で、google で Vjezd gladiátorů を検索してみると、ユリウス・フチークの『剣闘士の入場』という曲だということが判明した。フチークはチェコの音楽家で、主に軍楽隊のために曲を書いたことから、アメリカにおけるスーザ(John Philip Sousa……「マーチ王」と呼ばれ、『星条旗よ永遠なれ』の作曲者として、またスーザフォンの考案者としても知られる)と並び称されるブラスバンド音楽の作曲家である。以下に:
http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/pat/entry.htm
で公開されている『剣闘士の入場』の MIDI ファイルを示す:
http://www.worldfolksong.com/anthem/midi/pat/entry_gradiators.mid

……って、この MIDI ファイルで聴くのはあまりに酷いので、YouTube で探してきたのもリンクしておく:

皆さんは、この旋律を聴いた記憶がおありなのではないだろうか。この曲は、サーカスでピエロが登場するときのテーマソングとして、世界共通で用いられている曲なのだ。CIRCUS TOWN のアレンジを行ったチャーリー・カレロはブラスバンドのアレンジなどにも造詣が深い人物なので、この引用は実にうまいとしか言いようがない。

しかし、どうも僕には、こう小骨が喉に引っかかったような感じが残ってしまうのだった。そう言えば、このアルバムがリイッシューされたときに達郎氏が自ら書いたライナーノーツに、この引用に関する記述があったはずだ……と調べてみると、この旋律が『藁の中の七面鳥』という曲からの引用である、と書かれている。ん?

もう10年以上前から、僕はこの記述を目にしていたはずなのだけど、そもそも『藁の中の七面鳥』ってどんな曲なのか、調べようともしていなかった。で、調べてみると……ん?『藁の中の七面鳥』って、オクラホマ・ミキサーのことなのか?

オクラホマ・ミキサーと聞いて、皆さんがさくっと旋律を思い浮かべられるかは分からないけれど、フォークダンスなんかで一度くらいは旋律を聴かれたことはおありだと思う。以下に:
http://www.worldfolksong.com/songbook/usa/turkey.htm
で公開されている『藁の中の七面鳥』の MIDI ファイルを示す:
http://www.worldfolksong.com/midi/folksongs/turkeyst.mid

……この MIDI ファイルもあまりにひどいシロモノなので、この曲に関しても YouTube から引っ張ってきた。

とにかく、これはどう考えても、『藁の中の七面鳥』というのは書き間違いだとしか思えない。ひょっとしたら現行の CD のライナーノーツでは修正されているかもしれないが、忘れないようにここに明記しておく。

CIRCUS TOWN 冒頭にピッコロで演奏されるパッセージは、本作 CD のライナーノーツには『藁の中の七面鳥』からの引用であると記されているが、これはユリウス・フチークの《剣闘士の入場 Vjezd gladiátorů 》(サーカス公演における道化師の登場時によく聞かれる曲である)の誤りであると思われる。

馬鹿の一つ覚え・後日譚

先程、昨日の日記に登場した K さんからお礼の電話をいただいた。事の経緯を聞き、昨日にもまして僕は腹を立てている。

K さんのトラブルに対して実際に対処して下さった方は、やはり EdMax ユーザだったらしい。そのために、僕の書いた手順書だけでなく、ユーザとしてのノウハウもあったので、対策はスムースにすすんだのだそうだが、いざ問題のメールを受信してみると、Microsoft Word の2ページ程の長さの document で、文書中に数枚の写真が貼られていたのだという。ここまで読まれて、皆さんはこの経緯をどのように把握なさるであろうか。

僕の認識はこうだ。数枚の写真で 10 MB の制限に引っかかるということは、1枚の写真あたりの容量が 2 MB とか 3 MB とかだった、ということであろう。この大きさから想像するに、おそらくはデジカメで撮影した画像ファイルの分解能などをいじることなしに貼りつけて、画面上の体裁だけを整えたような文書だった、と考えるのが妥当であろう。K さんに聞いてみると、果たしてそのとおり、デジカメで撮影した写真を貼り付けていたのだ、という。

「K さん、それが原因ですよ。画像が大きすぎるんです」
「そうみたい。しかも、メールの送り主が、『ちゃんと受信できるように再送したから、受信できないのはおかしい』って言ってたんだけど、受信してみたら、問題のメールの後に、その document を 1 ページ毎にしたメールが2通来ててねえ」
「……それは何も対策にはなっていないと思いますよ」
「うーん。でね、『うちの環境ではそういう文書をメールで送信されると受信できない』って言ったらね、『それはパソコンのメモリとかが小さすぎるからだ』とか言われたのね」

……神よ、K さんは何故こんな理不尽なことを言われなければならないのでしょうか?僕は天を仰いだ。

「いや……はっきりさせておきますけれど、K さんの手元のシステムのせいでは 100 % ないですから。そもそも電子メールというメディアは、そんな大容量のものを送るために作られているものではないんです。乗用車に何 t もある荷物を積んで運んでるのと一緒ですよ」

……しかし、10 MB とか 20 MB とかの容量制限に引っかかるメールって、一体何なんだろう。最近の人々はBase64とか知らないのかもしれないけれど、そんな非常識な大きさのメールを送りつけておいて、受信できないのを受け手のせいにするなんて、こんな非常識な輩は早々に purge されてしまえばいいのに。

10 MB を超える電子メールって、実際にはどんな分量に相当するんだろうか。たとえば、文庫本で300ページを超える『夏への扉』だって、plain text にしたら 400 KB である。仮に「文庫本300ページが 400 KB」だとすると、10 MB の plain text ってのは、文庫本7500ページ、『夏への扉』25冊分に相当するのだ。そんなものを何も考えずに送りつける人のことを stupid とか crazy とか言ったって、僕は罰は当たらないと思うのだけど、皆さんはどう思われるであろうか?

【追記】
OCN のメール関連の仕様はこの通り。100 MB のメールまで送信可能、だぁ?全く、頭、膿んでるんじゃなかろうか。


馬鹿の一つ覚え

夕食後、PHS が鳴り出した。着メロはキリエ……この着メロを割り当てている人は一人しかいない。この方が僕に電話をかけてくるのは、(多くの場合他者のエゴに起因する)何かしらかのコンピュータのトラブルがあったときなのだ。出てみると、果たせるかな、まさにそういう要件だった。

「あのね、メールが受信できなくなっちゃった」

聞いてみると、どうやら一通のメールが容量オーバーで受信できず、そのメールがメールサーバのスプールに「詰まって」しまったために、それ以後のメールもサーバ上から消えないままになっているらしい。

この方(以下 K と記する)は、EdMax というメーラを使っている。この EdMax というのは、結構評判のいい MUA で、いわゆる半角カナも全角に変換してくれたり、と、その振る舞いはたしかに非常にお行儀がよろしい。

この EdMax、実はメールの受信容量制限が結構キツいことでも知られている。シェアウェア版で 20 MB、フリー版では 10 MB 以上の大きさのメールを受信しようとすると、EdMax は受信を拒絶するのだ。僕自身の認識としては、このようなソフトの振る舞いは好ましいものなのだけど、いつの世にも、残念なことに非常識な人というのが存在して、そういう輩は際限もなく馬鹿の一つ覚えで非常識なことをしでかしてくれるので、K さんのようにその犠牲になる人がでてくるわけだ。

K さんの近所に PC 関係に結構詳しい方がおられるということで、.ini ファイル中の受信容量制限設定の部分のイジリ方を文書化して、今回のメールアドレスとは別のアドレス宛送信して、先程無事に該当メールを消すことに成功したそうだ。

で、さっき S に電話したときに、この件に関してひとしきり愚痴っていたのだが、

「そう言えば、うちのプロバイダはあまり大きなメールはサーバが弾くよ」

と言われて、あーそうだよな、どうして今回みたいな事態になるんだろう、という話をしていたのだった。Sendmail でも postfix でも、僕みたいに qmail を使っている場合でも、MTA というのは受信メールの容量上限値を設定できるようになっていて、サーバで弾くことは難しくも何ともない。もちろんどこを上限にするかは admin の常識とユーザの常識によって決まるわけだけど……

「そうだね。あれ…… K さんの使ってるプロバイダって……えーと」

あー、思い出した。なるほど、あるいはここ日本一非常識なプロバイダかもしれませんね、ええ。

『夏への扉』それから

今日は昼前に銀行に行って、食事をしてからは、昨日作成した『夏への扉』の PDF 版を読み返していた……うーん。意外と訂正を要する箇所があるようだ。

この私家版『夏への扉』 PDF 版は、早川書房の文庫本を底本にしている。ハヤカワ文庫の『夏への扉』の訳者は……さすがに僕でも知っている。『SFマガジン』初代編集長だった福島正実氏のはずだ……と、amazon で確認したが、やはり僕の記憶は確かだった。

福島氏というと、日本の SF における草分け、という言葉がこれ以上似合う人はいないだろう。都築道夫氏と共に「ハヤカワ・ファンタジー」を立ち上げたのが1950年代中盤とのことだから、言ってみれば日本の SF の土俵を作った人だと言ってもいい。また、いわゆるジュブナイルに代表される、SF の啓蒙活動に最初期から取り組んだ人でもある(あのカルト的に有名な科学恐怖映画『マタンゴ』の原案を星新一氏と共同で担当したのはこの福島氏である)。

日本語訳の『夏への扉』の初出は、前述の「ハヤカワ・ファンタジー」改め「ハヤカワSFシリーズ」で1963年に出版されている。これが福島氏の訳なので、今回の文庫版もおそらくは同一の訳文だと思われる。まあ時代的に、当時の up to date な英語に対応するのは困難だったのかもしれないが、

「書いていたのです。で、そのとき、国防省のほかの課にいたある若い哲学の学位を持つ男から、一切の真相を聞いたのです。その男の話では、もしあなたが、例の研究を公けに発表しておられたら、おそらく、先生の名前は、現代物理学における最も著名なものとなっていただろう――こういってました」

(福島訳『夏への扉』9章)

……これは、冷凍睡眠から目覚めた2001年の主人公が、時間旅行を実現したトウィッチェル博士にとりいろうとしている場面だけど、「哲学の学位」というのは何だろう?まあ持ってるから言うわけじゃないんだけど、「哲学の学位」というのは、おそらくPhilosophiae Doctor(英語で Doctor of Philosophy と書かれているのかもしれないけれど)の誤訳だと思われる。僕らにしてみたら、あまりに典型的な誤訳である。

この『夏への扉』は、去年新訳本が出ているのだけど、訳者は小尾芙佐となっている……小野女史はやはり SF の翻訳者として有名な人で、たとえば『夏への扉』と同じ年に出版された、アイザック・アシモフの『われはロボット』を翻訳したのはこの小野女史である……うーん。もっと若い人の訳が出てもよさそうなものなのだけど。いっそ自分で訳してみるべきか?などと思い、そのせいもあって小野訳には手を出さずにいるのだった。

あと、今回の元になっているテキストファイルは、青空文庫のフォーマットに準拠している(誤解なきよう強調しておくけれど、『夏への扉』は青空文庫に収録されてはいない……あくまで私家版というところをご理解いただきたい)のだけど、感嘆符と疑問符の直後に空白が挿入されている……うーん、これはどうかと思うなあ。

というのも、日本語の電子テキストにおける感嘆符・疑問符の取り扱いに関しては JIS X 4051 に規定があるのだ。どういう規定かというと、

  1. 日本語中の感嘆符・疑問符は全角幅とする
  2. 直後に始め括弧類(“(”、“「”など)がある場合は後ろに半角幅の間隔、直後に中点類(“・”、“:”など)がある場合は後ろに四分幅の空白をあけ、それ以外の文字が直後にある場合は間隔をあけない
  3. 行頭禁則文字であり改行時に行頭にきてはならない
というものである。実際、pTeX 系列の TeX/LaTeX で日本語を書くときに感嘆符・疑問符を全角で書くと、これに準拠するように間隔や改行などが調整されているようだ。まあ、感嘆符・疑問符の後に空白があるのを除去するのは、GNU Emacs 等を使えばあっという間なので、何も問題はないのだけど。

The Door into Summer

The Door into Summer……『夏への扉』を初めて読んだのは、おそらく中学生位の頃ではなかったろうか。同じ頃に聴き出した山下達郎が、この SF をモチーフにした曲を書いていたと知る前のことだったはずだ。

実は、某所で文書化されたファイルをいただいたのだが、せっかくなので私家版の PDF を作成した。こういうときは upLaTeX はとにかく便利だ……この小説はルビが非常に多いのだけど、2時間程で PDF の基になる LaTeX document を作成できた。まあ GNU Emacs とか sed のような、強力なテキスト処理環境があってこそのことなのだけど、おそらく Windows しか使わないような人は、PDF 化など思いもしないことだろう(いやまあマゾヒスティックな人はぜいぜい言いながらやるのかもしれないけど)。

で、今、校正がてらまた読み返しているところなのだけど、この主人公って登場時に30歳位なんだよなあ……もう自分の歳の方が上だということが、寝覚めの頃のように、どうも判然としなくなってくるような気がする。

熱中症

夕方に、なんだか汗ばんで気持ち悪かったので入浴していたのだが、それが失敗のものだった。熱中症で、ちょっとヤバい状態になってしまったのだ。

僕の住んでいる部屋は角部屋で、玄関の辺りが真西を向いているために、夕方になると玄関の辺りだけ猛烈に暑くなる。玄関の横が浴室なので、この浴室の中まで西日のために温度が上がってしまう。だから、僕は夏になると、特に用事がない限りは、玄関の辺りには夕方には近づかないことにしている。しかし、この習慣のために、玄関や浴室がどれだけ暑くなっているかを甘くみていたようだ。

今日は昼から、ハインラインの『夏への扉』を(もう何度目か分からないほど読み返しているけれど)読み返していて、そのせいか、水分摂取が十分ではなかったらしい。複数の悪条件が重なった状態で、僕は入浴してしまったのだ。それも……長湯をしてしまった。

脱皮したんじゃなかろうか、と思うほどに、全身くまなくがっつり洗ってから浴室を出ると、どうも息が切れる。なんだかおかしいな、と思っていると、指先が軽くしびれてきた……あーいかん、これぁ熱中症だ。慌てて、緑茶のペットボトルを抱えて扇風機の前に陣取り、クーラーをきつめに設定し、まだ濡れている全身を冷やしにかかる。しかし……頭が重い。手のひらを額に当てると、明らかに熱い。とにかく緑茶をたっぷり飲んで、頭皮や脇の下などを重点的に冷やしていると……どうにか楽になってきた。

今回は部屋にクーラーを(除湿モードだったけど)かけっぱなしで入浴していたので助かったけれど、やはりこういうことはないように注意しなければならない。皆さんも、何卒ご注意の程を……

『地球はメリー・ゴーランド』

ようやく完全に open に書けるようになった。この何日かばたばたしていたのは、これを録音していたためである:

ガロというと、おそらく皆さん反射的に『学生街の喫茶店』を連想されるのではなかろうか。『学生街の……』は確かにガロのヒット曲ではあるけれど、この曲を書いたのは、古くはザ・タイガースの座付き作家として、僕より若い世代にはドラクエの音楽を作ったことで有名なすぎやまこういちが書いている。まあ確かに当時のヒット曲のロジックを踏襲して書かれているけれど、だからこそ時代の中に埋もれてしまっているのだろうと思う。

もともとガロは CS & N の影響を強く受けている(1971年の中津川フォーク・ジャンボリーで彼らは CS & N の "Judy Blue Eyes" や "You Don't Have to Cry" を演奏している)。だから3人がギターを弾き、3人で綺麗なコーラスを乗せて歌うのが身上で、それは後にアルフィー(後の THE ALFEE)に継承されている。曲も 1st にはいいものが多いのだが、やはり売れんがためであったのか、2nd はA面が全曲職業作家の作品、そしてB面はビートルズなどのカバーになっている。この 2nd アルバムに入っていたのが『学生街の喫茶店』で、もともとは『美しすぎて』という曲(今聴くと明らかにこちらの方が時代の経過に耐えている)のB面としてシングルに入っていたのが、この曲の人気が高くなったためにA面とB面がひっくり返された。

この『学生街の……』のせいで、ガロの運命はある意味で狂わされたのかもしれない。当時のライブ音源などを聴くと、女の子のキャー!という黄色い声が入っていて、明らかに彼らがアイドル視されていたことが窺える。その後、彼らは自作曲で構成されたアルバムを7枚目までリリースしたものの、『学生街の……』のイメージを払拭することができないまま、1976年3月に解散してしまう。メンバーの日高富明氏は、その後ハードロック路線に転向し、職業作家として稲垣潤一らに曲を書いたりしていたが、1986年9月20日に自宅近くのマンションから飛び降り、自らの命を絶った。

今回僕がカヴァーした『地球はメリー・ゴーランド』だが(「メリー・ゴー・ラウンド」じゃないの?と思われている方、原題がこうなので僕の一存では変更できないんですよ……ということで悪しからず)、これに関しては色々思い出がある。僕も、ガロと聞くと『学生街の……』を思い出す少年だったのだけど、10代の頃にラジオでこの曲を聴いて、衝撃を受けたのだった。調べてみると、『地球は……』のベースは山内テツ、レコーディングエンジニアは吉野金次だし、歌謡曲路線の 2nd でも細野晴臣と井上堯之-大野克夫人脈のミュージシャンが参加している。3rd 辺りからの時期は小原礼や高橋幸宏がツアーバンドに参加していたり、……まあ、プロデューサーがミッキー・カーチスなのはともかく、そんなわけで、彼らとその曲を「歌謡曲」の文脈で見るべきではない、ということを、調べるほどに思い知らされたのであった。

『地球は……』は先に言及した日高氏の作曲・歌唱、作詞は赤い鳥の『翼をください』の作詞者でもある山上健一氏、アレンジは東海林修氏(この人の作品で有名なものというと、やはり『笑点のテーマ』だろうか)である。原曲は東海林氏のストリングスとオーボエのアレンジが実に秀逸なのだけど、僕はあえてこのストリングスをハモンドオルガンに置き換えた。しかしなあ……これはちょっと無謀な取り組みだったかもしれない。カヴァーってのはオリジナルにどこかしらかで勝てなきゃやる意味がないような気がするんだが、これは随分と分の悪い勝負だものなぁ……まあ、お聴きいただいて、幾許かでも気に入っていただければ幸いである。

あと、メモ代わりに書いておくけれど、上の曲では編曲と、

  • Vocal
  • Background Vocal
  • Acoustic Guitar
  • 12 string Acoustic Guitar
  • Acoustic Piano
  • Hammond Organ
  • Fender Jazz Bass
  • Computer Programming (Drums)
……まあ全て自分でやっているのでこうなるわけだけど……を僕がやっている。

こんな夢をみた

土のむき出しになった、山の中のようなところを僕は歩いている。何の集まりかは判然としないのだが、僕は10人程の男女と共にそこを歩いている。何か、サークルのような、あるいはご近所さんの寄り合いのような集まりのような気もするのだが、その正体はわからない。

歩いていると、ふと左脚の親指の先に、何とも言えぬむず痒さを感じた。歩いているのは、土が粘土のように露出した山道である。指の先には小さな傷がある。どうもその中に、何かが入り込んだらしい。僕はピンセットを取り出して、その脚の傷に入り込んだ何かを除去しようと、歩みを止めた。

傷を見ると、何やら赤身がかった細いものの先端が顔を覗かせている。僕はその細いものが動いていること、動くたびに、傷口を中心として、結構深いところまでむず痒さが広がることに気がついて、慎重にその細いものをつまんで、傷口から引っ張り出した。一行の中には、小さな子供がいたようで、その子供が、地べたに座り込んで僕がピンセットを使うのを、興味深げに覗き込んでいる。

細いもの……とは言っても、直径が数ミリ程もある……の先端をつまんで引っ張ると、脚のかなり深いところから、何かがずるずると引きずりだされるような感触を感じた。見ると、傷口からもう十センチ以上も引っ張り出したのに、直径数ミリの赤身がかったそれは、まだ傷口の中から全容を顕にせずにいる。僕は恐怖に戦きながら、ゆっくりとそれを引っ張り出していった。

引きずりだされたものは、長さが数十センチ程もあるミミズだった。しかも、1匹引きずりだしてもまだむず痒さは収まらない。僕は戦慄しながらピンセットで傷口を探った。ようやくむず痒さが収まったとき、僕はピンセットに、長さ数十センチのミミズ二匹をつまんで持っていた。引きずりだされたミミズは、もう蠢くこともなく、まるで紐のようにぶらんとぶら提がっている。

僕はそのとき、これを見物していた子供の一人が、この辺の土着の子であることに気づいた。僕はその子に尋ねた:こういうことはあるものなの?その子は答えた:脚に傷があると、そういうことがあります、と。しかしその子も、他の同行者達も、僕がピンセットでぶら下げているその2匹のミミズを、なぜか見ようとしないのだった。これは何か致命的なことなのではあるまいか。そう思った僕の心には、深い絶望感が広がるのだった。

ここまで的外れも珍しい

先週の金曜日は8月6日……言うまでもなく、広島に原爆が投下された日である。そして明日は8月9日……これも言うまでもなく、長崎に原爆が投下された日である。来週の日曜日の終戦記念日まで、色々なことを考える10日間が、今年も始まったというわけである。

しかし、今年の8月6日は、菅直人(敬称を使う気にもなれない)のあまりに的外れなコメントで、ただただ脱力してしまったのだった。皆さんはこのコメント、ニュースなどで聞かれただろうか:

菅首相「非核三原則堅持」 核抑止力は「必要」

 菅直人首相は6日午前、広島市での「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」であいさつし「我が国は核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」と強調した。「非核三原則を堅持することを誓う」とも表明した。広島市内での記者会見では「大量破壊兵器の拡散など不確実な要素が存在する中で、核抑止力は引き続き必要だ」と指摘した。仙谷由人官房長官は記者会見で、非核三原則について「改めて法制化する必要はない」との考えを示した。

2010/8/6 12:50 www.nikkei.com

……まあ、言いたい(けど言うための労力を費やすのが阿呆らしく思える)ことはいくつかある。ため息をつきながら書くことにしようか。

まず、今年の広島・長崎の平和式典に、どうしてアメリカ・イギリス・フランスの代表が出席することになったのか、菅直人は分かっているのだろうか?おそらく「オバマの『核なき世界』という主張のためだ」とか言うんだろうけれど、じゃあなんで、世界でも一、二を争う核保有国のアメリカがそんなことを言い出したのだろうか?オバマが平和主義者だから?違うっての。

911 以来、アメリカは「現在のアメリカへの脅威はテロである」と位置づけたわけだ。テロリスト、あるいはテロ国家はミサイルを山のように持っているわけでは勿論ないから、ピンポイントで自爆テロを中心とした攻撃を行っているわけだ。このような攻撃に対しては、核は役に立たない。むしろ、核をアクティブに運用することは、核物質の管理に穴のある国の核運用を活性化しかねない。それはテロリスト、あるいはテロ国家が核物質を手にしてしまうかもしれない危険が増すことを意味する。だから、アメリカは「核なき世界」などという概念を持ち出しているわけだ。

このようなアメリカの考えを端的に言うと、当然こうなる:「テロリスト、あるいはテロ国家相手には、核は抑止力にならない」これが時流の先陣をきるアメリカの考えならば、先の菅直人のコメントはあまりに的外れとしか言いようがないではないか。少なくとも、この国の総理大臣がプレスリリースしたコメントは、世界中に配信されるのだから、今回のこのコメントは、国際的に「日本は何を寝ぼけたことを言ってるんだ?」ととられるに決まっているのだ。

そして、何より、どうしてこんなコメントを、よりによって8月6日、しかも「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」の直後に口にできるのだろうか?これはどう考えても、無神経極まりないとしか言いようがない。僕がもし長崎市民なら、明日に備えて今日は卵を買いに出かけることだろう。

そして、もし僕が強烈な核肯定派だったとしても、「ああ菅直人にはタクティクスというものがないのか」と嘆くことだろう。戦術として、8月6日にあえて核抑止力に言及するなんてのは、どう考えても得策ではない。つまり、そんな愚策を弄する総理大臣の資質ってどうなのよ?と思わざるをえないではないか。

まあ……これ以上、書く必要もないだろう。しかし、本当にヤキが回ったんじゃないの?菅直人さんよ。消えてくれ。

これ誰が弾いてるんだ?

昨日言及したカヴァー曲だけど、昨夜ドラムのトラックを作り、今日はアコースティック・ギターを録音した。今夜か明日にはベースを入れるところである。

しかし、だ。この曲のベースが妙に難しい。そもそもアコースティック・セッションでのベースというのは、大規模なオケではカバーしなくていい部分もベースがカバーする必要があるために、ベースは普段使わない高い音域を使い、かなり頭を使うことになる……一例を挙げると:

まあこの曲自体に関してはあまりに有名な曲なのでどうこう書く必要もないとは思うのだけど、この曲のベースは、当時キャロル・キングの夫だったチャールズ・ラーキーが弾いている。ジェームス・テイラーのアコースティック・ギターとキャロル・キングのピアノ、そしてチャールズ・ラーキーのベースが、まさに三位一体とも言えるバランスで演奏を形成している。

で、僕がカヴァーしようとしている曲なのだけど、これが録音されたのは1971年、この "So Far Away" が録音されたのと同じ年だ。この時代の日本に、こんなベースを弾ける人はそう何人もいないと思うのだが……うーん。明らかに細野晴臣ではない。「これ誰が弾いてるんだ?」……ということで調べてみると……あー。これぁ……そうか、この人がいたんだよな。ベースを弾いているのは山内テツだった。

「山内テツ」という名前をご存知の方は、おそらく世間にはほとんどおられないかもしれない。どう説明すればいいのか……えーと、皆さんはフリーとかフェイセズとかいうバンドをご存知だろうか?フェイセズは、ロッド・スチュワートと現在はストーンズに在籍しているロン・ウッドが在籍していたのでご存知かもしれないが、1970年代、この二つのバンドに在籍していた日本人のベーシストがいた。それがこの山内テツである。

おそらく、問題の曲のプレイは、スタジオに呼ばれてさらさらーっと弾いて帰ったんだろうと思う。この時代のミュージシャンは大体皆そうだ。演奏における集中力が今のミュージシャンとは別次元と思えるほどに高い。でなければこんなプレイは出てこない。

オリジナルのこのベースのプレイに自分のプレイで対抗しなければならないわけで、ギターはさらっと録れたのに、おかげでベースで煮詰まってしまっているのだった。どうしたもんかな……いっそお盆の間寝かせておいた方がいいのかもしれない……

これどうやって弾いてるんだ?

楽器を弾く、特に、譜面中心でないロックやフォークソングをやっている人々は、しばしばこの言葉をつぶやいたことがあるのではないだろうか。今日はこのお話を少し。

昨日からごそごそやっている曲なのだけど、耳で取ったコードの経過音を弾くのに、一か所だけ非常に厄介なところがあった。無理すれば弾けないことはないのだけど、でも先日張り替えたライトゲージの弦で弾くのは少々厳しい(一応誤解なきように明記しておくけれど、いくら僕でも F とか B♭ とかを押さえられないということはない……最近は書かぬが花、と思って書かずにいると、アホな読み手が読む対象を平気で自分のレベルにまで引き下げて簡単に誤解してくれるものだから、こんな下らんことを書かなきゃならないんだけど)。うーん。

僕が悩むのには理由があった。というのも、この曲を演奏していた人々は CS & N とか CSN & Y とかのフォロワーだからだ。こう書いても最近の人にはピンとこないかもしれないけれど、「クロスビー、スティルス、アンド ナッシュ」とか「クロスビー、スティルス、ナッシュ、アンド ヤング」とか、ええい大まけだ、ヤングはニール・ヤングのことだ、とか書けば……やはりピンとこないか。詳しくはWikipedia の説明を読んでください。

このグループは、僕より下の世代にはおそらく馴染みがないだろうと思う。むしろ『名前のない馬』で有名な America の方が知られているのかもしれない。そういう人々のために書くけれど、このグループは言ってみれば「元祖ウエスト・コースト」とでも言えばいいのだろうか。CS & N の初期に聞かれるアコースティックサウンドと、男声のみの美しいコーラスが非常に特徴的で、たとえばイーグルスなんかは彼らの影響をもろに受けているに違いないのだ。

で、この CS & N とか CSN & Y とかを演奏しようとして、ギターをよくよく聴いてみると、ギター弾きはしばしば愕然とさせられることがある。彼らの押さえているはずのコードが、自分のギターで押さえられない!……なぜかというと、彼らはいわゆる変則チューニングというのを用いるからだ。ギターのチューニングというのは、神聖にして侵すべからざるものでは全然なくて、特にカントリーの影響を受けている人達は、この変則チューニングというのを使うことが多い。その多くはオープン・チューニング(ギターの指板を押さえていない状態で各弦の音が和音を構成するようなチューニング)なのだけど、他にもダウン・チューニング(全ての弦を、多くの場合半音下げにしてチューニングする)とかドロップ・チューニング(何本かの弦だけを下げたチューニング)とか呼ばれるものがある。彼らはこれを用いることがあるので、そういう曲をカヴァーするのには、コードだけではなくチューニングも読み取らなければならない。

まあ、それらのチューニングでの演奏可能性に関しては、ちょっと考えれば分からないわけではない(これでも20数年ギター弾いてますからね)。しかし……うーん、チューニングの問題でもなさそうだ。「これどうやって弾いてるんだ?」

もう少し悩むと得るものも多いのだけど、今回は卑怯な手を使うことにした。YouTube で問題の曲が演奏されている動画をさがしたのだ……結果、坂崎幸之助氏がセッションで弾いている動画を発見、左手を見てみると……あー!なるほど、ここ開放で弾いちゃうのね。なるほど。

……まあ、楽器を弾いていると、こういうことはよくあるんですよ。昔だったらそれこそ先輩に聴いてみるとか、昔のロック・フォーク関連の雑誌をひっくり返すとか、レコード擦り切れるまで聴くとか、ラジオの深夜番組にハガキ書いてみるとかね。総力戦で調べるものだったのだけど、最近は安易な時代になったものだ、と、僕位の世代でも思ったりするのだった。

デジタルリマスタリング

最近、ちょっとある曲をカヴァーしようかと考えていて、音源をいくつか入手してごそごそやっている。この音源は1970年代初頭にレコーディングされたものなのだけど、ライブ音源のブートなどもいくつか存在するようで、そういうものも参考に聴いているところである。

こういう音源を聴くときには、できるだけ妙な加工をしないようにしたいところなのだけど、採譜しようとかヘヴィーローテーションで聴きこもうとかいう話になると、さすがにちょっと手を入れたくなる。そういうときにどうしているのか、を、ちょっとだけ書いておこうと思う。

まず、音源を入手したら、16 bit PCM、いわゆる WAV 形式に変換する。この変換にはSUPER ©というソフトを用いることが多い。この SUPER © というソフトは、画像・音声ファイル変換の最終兵器とでもいうような変換ユーティリティなのだけど、意外なほどに利用者を見かけない。非常に便利なのだけどなあ……

変換した WAV ファイルを Audacity で開いて、まずは FFT でスペクトル解析を行う。この段階で妙なピークやディップがないことを確認して、あった場合は補正の前段階としての EQ を行う。

次に、Cubase を立ち上げて、内容確認の終わった WAV 形式のファイルを読み込んで、補正に用いるプラグインを立ち上げる。ここで僕が使うのはBBE SONIC MAXIMIZER PLUG-INSonnox Oxford Dynamics、そして(本来なら Sonnox Oxford Dynamics だけで作業可能なのだけど操作上の問題で)Sonnox Oxford Limiterである。

BBE SONIC MAXIMIZER PLUG-IN は、ブートのようなテープ音源で埋もれてしまっていた音を、うまい具合に彫り出してくれる。かけ過ぎると当然ドンシャリっぽくなっていくのだけど、これとパラ EQ(Oxford のを使用することもあるけれど、Cubase 付属の4バンドパラ EQ を使用することが多い)を組み合わせることで、ノイズ以外の問題に関してはかなりの範囲で補正が可能である。そうやって補正した音源の音圧を、コンプとリミッターで上げていく。分解能を落とさないように音圧を上げ、音が硬くなった場合は EQ で補正する。これを 32 bit 浮動小数点の WAV ファイルに落としてから、再び Audacity で読み込む。

Audacity を使わなければ一連の作業ができない、というわけではないのだけど、Audacity には強力なリミッタープラグインである ”Fast Lookahead Limiter" があるのと、いつでも FFT で帯域を監視できるので、最後のマスタリングは Audacity 上で行う。最大音量の部分が -0.1 dB となるようにノーマライズして、音源の導入部と終わりの部分を整えて、16 bit,44100 kHz サンプリングの WAV ファイルに落として、作業完了である。

いわゆるデジタルリマスタリングとでも言うべき作業をしているわけだ。僕の場合はあくまで音楽をやる上での要請からこんなことをしているのだけど、自分で録音した音源のマスタリングもこれに類したようなプロセスを経ている(自分の音源の場合は BBE は使わないけれど)。まあ、道具があって、必然性があれば、こんなことは誰でもできることなのだけど。

というわけで、目下、こんな風にしてデジタルリマスタリングした音源を iPod に突っ込んで、何か時間が空くと聴いている、という状態である。何が出来るかは、乞うご期待……

こんな音です

昨日書いた12弦ギターだが、どんな音がするのかをちょっと公開しておこう:こんな感じである。朝一に寝ぼけて録音したので間違ってるのは何卒ご容赦の程を。

弦を張り替える

今日はアコースティックギターの弦を張り替えた。あまりアコースティックギターのことを書いたこともないから、今日はちょっとその話を書こうかと思う。

まず、12弦ギターの話を。おそらく12弦と聞いても普通の方はあまりイメージできないかと思うので、僕が持っている Takamine PT-010-12 の写真を Takamine の1982年カタログから引用する:

Takamine PT-010-12

ペグが12個あるのがお分かりかと思う。通常のギターの弦は6本で、それぞれ E-A-D-G-B-E という高さにチューニングして使う(稀にオープンチューニングとかあるけどまあそれはそれ)のだが、このギターは、弦が12本ある。クラシックギターの場合は、音域を広げるために弦の数を増やす(ナルシソ・イエペスとホセ・ラミレスによる10弦ギターなんかはこれ……と書いたけれど、実際のところイエペスはリュートの共鳴弦みたいな効果を期待して弦を増やしたんだという話なので、ちょっと訂正しておきます)という試みが行われている(ロックの場合でも、低音弦を1本増やした7弦ギターというのがある)のだけど、この12弦ギターの場合は、従来の6弦ギターの6〜3弦にオクターブ上、1〜2弦に同じ音高の弦を追加している。要するに2本の弦が6対張られていて、各々の対が6弦ギターの各々の弦に対応すると考えていただくと分かりやすいだろう。

欧米のギタリストの中でも、この12弦ギターの名手と言われる人が何人か存在する。たとえば僕みたいに Beach Boys が好きな人間だとグレン・キャンベルロジャー・マッギンを、もう少し後のウエスト・コーストの音楽を知る人ならばグレン・フライなんかを連想するだろう。ハードな音楽を好む人だったら、Gibson SG のダブルネックを持つジミー・ペイジの姿を連想するかもしれない。まあでも、いわゆるコーラスみたいなエフェクターが作られる前のロックの世界においては、実は12弦ギターというのは目立たないかたちで結構多用されている。皆さんも、 The Beatles のジョージ・ハリスンが多用したリッケンバッカー・360/12なんかはご存知ではないだろうか……先のロジャー・マッギンもこれだし、The Beach Boys のカール・ウイルソンもこれを多用している。

で、僕の持っているこの PT-010-12 というのは、Traffic(スティーブ・ウインウッドが在籍していたバンド)のギタリストだったデイヴ・メイソンが使っていたモデルらしい。エレアコというのは大体デッドに作られていることが多いものなのだけど、僕の手元のこのエレアコは塗膜も薄く、響きも悪くない。特筆すべきなのはネックのコンディションの良さで、弦の数が多い12弦ギターでいつも問題になる部分なのだけど、反りの兆候は全くみられない。電池ボックスが腐食していたとはいえ、これを3万で売っていたコメ兵もいかがなものか、と思うわけだ(まあそのおかげで今僕はこのギターを持っているわけなんだけど)。

で、だ……そう、弦、弦の話でしたね。このギター、ひとつだけ問題があって、弦の張替えが面倒なのである。なにせ一度に12本張り替えるわけだから……ああ、そうそう、弦の話をする度に、

「Thomas さんは1本弦切れただけで全部張り替えるんですか?」

とか聞かれることがあるんだけど、そりゃそうですよ弦がどれか切れる頃には他の弦も音濁ってるし。だから今回も12本、張り替えるんです。

出先で楽器屋に入って弦を探すが……ん、いつも使う Martin の弦(僕はエレキもアコギも普通はダダリオを使うのだけど、12弦は Martin を使うことが多い)がないなあ……と、店員に聞いてみると、古株らしい人が出てきて、ダダリオとエリクサー(この会社の弦は樹脂でコートしてあって寿命が長いのだけど、音に特有の癖があるので僕は使わない)しかない、という。はいはい……しっかし、ちと高いんじゃないのこれ?はあ……選択の余地なし、ですか……ということで、ダダリオの6弦と12弦のセットを買って帰ってきた。

ニッパとラジオペンチ(弦交換の必需品)を出してきて、まずは12弦の張替え。僕はいつも .010-.047 のセットを使うのだけど、G 弦の複弦が .008 と非常に細い(僕が普段使っているエレキの弦でも、一番細いのが .010 だから、とにかく細いのだ)ので、変な癖をつけないように、注意しながら弦の緩みを取っていく……終わったときには、なんだか嫌な汗をかいている。そんなに緊張する必要はないんだが……まあいい。チューニングを合わせて、とりあえずはお約束のミスター・タンブリン・マンのイントロとか、5カポで『やさしさに包まれたなら』のイントロとかを弾いてみる(これはもう儀式のようなものだ)。では1日寝かして、明日あたりからまた使ってみましょうかね。

で、ついでに FG-152 の弦を張り替える。僕はアコギもこのところずっと .010-.047 の弦を張っていたのだけど、今日は .012-.052(アコギでは一番ポピュラーなセットで、ほとんどのメーカーではこれを「ライトゲージ」と称して販売している)を張ってみる……ううむ、やっぱしこれ位太い弦じゃないとガッツが出ないなあ。こちらも明日辺りから色々使ってみることにしましょう、と。ということで、お盆休みを前にして、色々と仕込みが続くのであった……

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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