勘違い?

前に何度か、イターい売り文句のケーキ屋の話を書いたことがある。御記憶の方もおられると思うのだが、もう一度書こう。

大阪に住んでいた頃のことなのだが、近所に新しいケーキ屋がオープンすることになった。僕は酒飲みなのに甘いものも好きなので、機会があったら買いに行こうかなあ、などと思っていたのだが、ある日そこに通りがかったら、看板にデカデカと "Taste Of Mommy" と書かれていたのだった。

よく、こういう話をすると、いやその店やってる人が込めている心ってのがあるだろう、それを踏み躙るように嘲笑するんじゃないよ……みたいなことを言われるのだけど、いやーこれはちょっとマズいんですよ。おそらく、このお店の方は「おふくろの味」みたいなフレーズを探していて、"Taste Of Honey" からの連想で "Taste Of Mommy" と書いたんだろうと思うけど、僕の知る限り、"Mom's Taste" とか "Mother's Taste" ならそういう意味になるけれど、"Taste Of Mommy" だったら、幼児プレイ好きの mother-fucker とか、マザコンの果ての人肉嗜食者みたいな奴しか連想し得ないのだ。日本人はしばしばこの手の間違いをするけれど、これはちょっといただけないパターンだ。せめて誰かネイティブに聞いてみればよかったのに……と、今でも思う。

さて。あまり人をあげつらいたくはないのだけれど、今日の新聞に入っていたミニコミ紙をペラペラとめくっていて、妙なタイトルのコラムを発見したのだ。『エシカルでいきましょ』というタイトルなのだけど、その横に『※エシカル = 「思いやり」』と書いてある。

僕が知る限り、英語の場合は ethical = 「倫理的」であって、思いやり、などという意味で用いられたのを聞いたことがない。このコラムの筆者は JICA の関連施設で外国語での絵本を読むイベントなどを主宰されているらしいのだが……うーん。どうなんですか、それって。

僕が英語以外にかじったのはドイツ語位で、他にはラテン語の宗教関係の語彙が少し……位である。僕があまり知らないフランス語ではどうだろう……と調べたけれど、たとえば "sentiment chaleureux" とか、そんな感じになる、らしい。ラテン系の言語でも、「エシカル」という発音で「思いやり」という意味になる、という話は、残念ながら聞いたことがない。

外れていたら非常に失礼なのを、あえて書かせていただくけれど、この方は英語圏で ethical consumer とか ethical jewellery とか言うのを、何か誤解されているのではないだろうか? あの ethical というのは、社会規範を尊重するとか、(倫理的行動によって)環境に配慮する……という意味であって、「思いやり」なんてニュアンスはどこにもないのだけど。何をどうしたら、ethical という単語から「思いやり」なんて日本語に至るのだろうか。僕の勘違いだったらそれでいいけれど、どうも僕にはそうとは思えないのである。

palliative procedure

"palliative" というのは、医学領域でよく使われる言葉である。日本語では「姑息的」というのだけど、たとえば、末期の食道がん患者に対して、がんの治療目的でなく、食事の通り道を確保する目的で手術を行うような処置のことを「姑息的処置 palliative procedure」と言う。「姑息」というと、とかく悪いイメージがつきまとうけれど、「姑息」という言葉自体にはもともと悪い意味はない。「姑」は「暫く」という意味で、「息」は「休息」と同じ、つまり「息をついて休む」という意味だから、「姑息的」は「(本質的ではないけれど)一時的な対処として」という位の意味である。

とは言うものの、「一時しのぎ」という言葉には、やはりあまりいいイメージを喚起されることはないものだろう。本質的な問題解決ができることをサボった挙句の「一時しのぎ」なんじゃないか、と考えるからだ。進行したがんと戦う医師達にしてみれば、「姑息」という言葉にそういうイメージを付加されるのはいい迷惑に違いないのだが、残念ながら、世間にはこの誤謬を定着させるに十分足るだけの数のサボリ野郎が存在するのである。

毎度おなじみ TeX フォーラムTeX Q&A では、年が明けた頃から質問の数が急増する。その質問の多くは、概ね以下のような特徴を有する:

  • 「〜に書いてあることができません」と書かれることが多い。
  • 使っているシステム構成や、「うまくいかない」ことが再現される記述例が添付されない。
  • 文末が、
    • 以上です。失礼します。
    • どうすればよいでしょう。
    • よろしくお願いします。
    • 一体どうすればいいのでしょうか?
    • 何が原因でしょうか。お手数をお掛けいたします。
    ……まあ、良くて「御教授下さい」。「御教示下さい」という言葉も知らないらしい。
  • 質問に対する答が出ても、阿呆な質問への苦言が出ても、半分位はそのまま質問者が消えてしまう。

なぜ、こういう質問が多発するのか。まあ、その時期を考えると何となく想像はつく。おそらく、卒論や修論(さすがに学位論文でこんな泥縄野郎はいないと思いたいのだが)で TeX / LaTeX での論文作成が義務付けられていて、年明け位に「そろそろやらないとマズい」とか思うのだろう。そして、奥村氏の『美文書作成入門』を買って、何も考えずに巻末の DVD でシステムのインストールをする。そして、迫る締切に泡を食いながら書き始めるのだろう。

こういう手合いは、統合環境があるとまず間違いなくそれに飛び付く。統合環境は確かにユーザーフレンドリーに見えるけれど、システムがユーザーに対して返すメッセージに、ユーザーの注意が行きにくくなる、という弊害がある(誤解しないでいただきたいが、これはシステムのメッセージを注意しないユーザーのせいであって、統合環境それ自身やその開発者のせいではない)。書いてある通り(と本人は信じ込んでいるだけ、ということがほとんどなのだが)にやったのにできない。自分では原因特定ができない……と、こうなるわけだ。

最近は google という便利なものがあるから、極端な話、エラーメッセージを検索欄にコピー & ペーストして検索をかけるだけでも、対処法に辿り着ける可能性が高い(同じように卒論や修論で苦しんだ先達のブログとかね)。しかし、そもそもエラーメッセージを見よう、という、その意識すら彼等にはない。「書いてある通りにした」ということが「うまくいく」という結果を保証してくれる(と彼等は信じ込んでいるわけだが)はずなのに、その結果が得られない。どこに質問(というか、彼等にしてみればクレームという意識なのかもしれないが)を投げかけたらいいのか。そうして彼等は、奥村氏の TeX Wiki 傘下のページに到達するのであろう。

しかし……大学での研究というのは、少なくとも、まだ誰もやっていないことをやる、とか、既に誰かがやったことでも、異なる着眼点からやり直す、とか、そういうことなわけで、目前の事象を解析的な眼で見つめて挙動を探り、そこに法則性を見出して理解する……そういう行為である。ほとんどの事が文書化され、google でも使えば簡単にその文書にアクセスできるようになっている TeX / LaTeX において、そういう姿勢が欠片程も窺えない、ということは、大学で研究して論文を書く、という本分において、果たしてどういうことになっているのだろうか、と、心配になってしまう。無論、僕がその心配を晴らす義理など、何もないのだけれど。

Emacs-24.0.93.1

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昨日だったかな? いやはや、隔世の感である。

平清盛

普段は僕はドラマというものを見ることはほとんどないのだけど、U が見たいというのに付き合う格好で、NHK の大河ドラマ『平清盛』を見ている。このドラマに関しては、井戸敏三・兵庫県知事が1月10日の記者会見で:

私も日曜日観ました。画面が汚いですね。あんな鮮やかさのない薄汚れた画面じゃチャンネル回す気にならないんじゃないかというのが第一印象。家のテレビ、色がおかしくなったのかなと思うような画面だった。プロデューサーも意図があるのかも知れないが、あんな汚い画面を日曜日の憩いどきにやらなくてもいいんじゃないか。もっと華やかで、生き生きとして躍動感の溢れる清盛らしさを強調して頂くといいなと思った
と発言して物議を醸している。

この井戸知事、相当数の批判を受けたにも関わらず、その1週間後には:

先週言った通り。明るい画質を検討してもらったらと思う
そしてそのまた1週間後には:
(画面の明るさなどを変更しないとNHK側が語ったことについて)今変えたら(NHK の)全面敗北になる。世論の動きで見直さざるを得ないこともあるだろうから、期待している
瀬戸内海に船が浮かぶ場面で真っ青な海の色が出ていない。瀬戸内海の自然をきちっと映し出してほしい
と、未だにこのような発言を繰り返している。今日も兵庫県では知事の定例記者会見が行われるはずだから、ひょっとするとまた今日も何か発言するかもしれない。

これらの兵庫県知事の発言は、全く以て的外れのものと言わざるを得ない。『平清盛』の画面が鮮やかでない理由はふたつあって、ひとつは、当時の武家……力を失いつつあった貴族に賤民であるかのような扱いを受けつつ責務を負わされていたわけだけど……社会やその周辺というものを少しでもリアルに描写したら、ああならざるを得ないから、というもの。もうひとつは、少なくとも現時点での『平清盛』の画像は、カラーバランスをわざと崩して、緑の発色を強めにしてあるからだ。

これは、銀塩写真に慣れ親しんだ僕にとってはよく分かる話で、昔のリバーサルフィルムの発色、あるいは色が褪せつつあるフィルムの発色を模倣するために、このようなカラーバランスを選択しているのだろう。こんなことは、あの映像をちょっと見たらすぐに分かる話なのであって、そんなことも分からない輩が何事か物申す資格などないのだ。井戸敏三さん、これ以上何か言う度に、あなたの浅さがどんどん露呈するだけだから、あなたの名誉の為にも、もう口を閉じた方がいいと思いますがね。まあ、それができないところにその浅さがさらに垣間見えるわけだけど。

さて、では僕が『平清盛』に諸手を上げて賞賛を送るのか、というと、これは NO である。ひとつだけ、どうにも違和感を感じて仕方ないことがあるのだ。それがこれ(他に方法がないのでこのように引用をさせていただいた……ご理解を頂きたい)なのだが……

この旋律は、吉松隆氏によるオープニングの主旋律の一部で、曲中 coda や、劇中の歌謡が出てくる場面において繰り返し引用される。いや、テーマソングや劇伴として出てくるのならば、何も文句を言うことはないのだが、この旋律にこの歌詞が付けられたら、これはやはりおかしい。

遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ

これは後白河法皇が編んだと言われる『梁塵秘抄』の一節である。僕は『梁塵秘抄』というと、上記の歌よりもむしろ、

仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる

人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ

の方が思い浮かぶのだけど、まあそれはともかく、『梁塵秘抄』に収録された歌は、仏法に関する内容であってもなくても、当時「今様」と呼ばれた歌謡をまとめたものである。今様の一例を以下に示す:

「遊びをせんとや……」の歌は、遊女が己の身の哀しさを歌った、という解釈もあるらしい……『平清盛』ではそれを匂わせているようだった……けれど、『梁塵秘抄』全体を通じて、人のもっとプリミティブな感情、たとえば崇敬とか憧憬とかいうものが反映された色彩が濃いので、この歌は見た通りのがんぜなさを歌ったものだろうと思う。

さて、このような日本の歌謡というものが、明治以降に、西洋の音楽体系の中で扱われるようになったときに、その特徴をよく「ヨナ抜き」「ファシ抜き」と言い表した。一番基本的な音階が "C・D・E・G・A" だからだが、これ以外にも数種類の旋法(音階)が存在する。これらに共通するのは "B"、つまり、ドレミファソラシドの「シ」が出てこないことである。

さて、では『平清盛』での問題の旋律はどうか。もしこの旋律を階名唱するならば、

レミミレ ソミレド シドレミシ
となるはずで、「シ」が出てくる。しかし、こんな音階は、平清盛の時代……どころではなく、近代まで日本には存在しないものだったのだ。諸説あるけれど、旋律で「シ」を使うようになったのは、滝廉太郎が明治末に『荒城の月』を書いてからだ、といわれている。

ではなぜ、この旋律に「シ」が出てくるのか。それは、この旋律中「シ」の出てくる部分の背後にある和音が VIm9(低い方から ラ・ド・ミ・ソ・シ)であるから……だろうけれど、この和音がポピュラーなものとして聞かれるようになったのは、おそらく戦後のことだろう。僕などは、マイナーナインス、と聞くと、70年代の NY シーンとかを連想してしまうけれど、日本人がこのようなモダンな和音を耳にするようになったのは、おそらくは「三人の会」以降、とか、そういうタイミングではないかと思う。

このような旋律・和音に『梁塵秘抄』が乗せられ、しかもそれが時代劇中で引用される……というのは、非常に強い違和感を感ぜざるを得ない。不見識な人があの映像をコキおろすのとは違う話である。せめて『梁塵秘抄』を使うのならば、たとえば桃山晴衣とか、他にもいくらでもやりようがありそうなものなのだけど…… NHK さん、これは何とかしていただけないでしょうかねえ。かつて芥川也寸志とか團伊玖磨とかが活動していた頃、NHK ではこんなポカをすることはまずなかったはずなのだけどなあ……

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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