世田谷ラジウム騒動に思う

世田谷で高い線量が確認され、フォールアウトだったら大変だ、と詳細に調べてみたところが、なんと民家の床下にラジウムがあるのが発見された……という騒動に関しては、皆さん既にご存知のことと思う:

世田谷の放射線、床下のラジウムから 原発は無関係

東京都世田谷区弦巻の区道で最大で毎時3.35マイクロシーベルトと周辺より高い放射線量が検出された問題で、区は13日、隣接する民家の床下にあるビンから極めて高い放射線量を検出したと発表した。毎時30マイクロシーベルトまで計測できるメーターが振り切れたという。文部科学省の検査で放射性ラジウムと判明、放射性セシウムは検出されなかったことから、福島第1原発事故とは関係ないと断定した。

同省原子力安全課は「放射線量は民家の前を毎日通っても年間1ミリシーベルト以下になり、健康に影響はない」と説明。ラジウムの出所は不明で、今後調査する。ビンは同省検査官が鉛の容器に入れ、民家内に保管。付近の線量は毎時約0.1〜0.3マイクロシーベルトまで下がった。容器は14日にも撤去し、専門業者に貯蔵してもらう。

同省によると、床下の箱にビンが数十本あり、中に粉末状の物質が入っていた。中身を検査したところ、ラジウムが壊れる際にできる放射性同位元素「ビスマス」と「鉛」を検出した。

同省によると、民家には今年2月まで高齢の女性が一人暮らししていたが、現在は無人。この女性は年間30ミリシーベルトを浴びていた可能性があるが、女性に健康被害が出たことは確認されていない。約10年前に死亡した夫とともに放射性物質を扱う職業に就いておらず、家族もラジウムは「知らない」と話しているという。

区によると、区が依頼した専門業者が13日に民家の壁面を調べたところ、最大で毎時18.6マイクロシーベルトの放射線量を検出した。このため、所有者の許可を得て敷地内を調べたところ、床下にある木箱の中に菓子箱のような箱が収められ、その中にビン類があり、計測限度を超える線量を検出した。

木箱には高さ7センチ、直径6センチのビンが1本と、高さ7センチ、直径1センチ程度の棒状の細いビンが数本あった。いずれも泥で黒く汚れていた。

(日本経済新聞 2011/10/14 1:04)

このような事件は、これが初めてではない。たとえば、1987年の9月、ブラジルのゴイアニアというところで、廃院となったクリニックに盗みに入った青年が、院内に放置されていた医療用放射線照射装置を分解し、線源を持ち去り、解体業者に売り払う、という事件があった。この事件の詳細に関しては ATOMICA の記述をお読みいただきたいが、この事件で汚染された者の数は249人(1987年12月まで)、その被ばく線量は 0.5 Gy 以上約70人、1 Gy 以上21人、4 Gy 以上8人で、そのうち4人(そのうちの一人は6歳の少女)が亡くなり、1人が腕を切除されている。この事件で、分解された線源から漏洩したのは、137Cs の塩化物と樹脂の混合物で、暗闇で青い光を発し、水に溶け、皮膚にも付着して光るような状態だったことが、このような悲劇の一因になっている。

また、2000年2月には、タイのサムートプラカーンという地方で、60Co を線源とした放射線照射装置である Siemens Gammatron-3 が機器更新のどさくさに紛れて解体業者の手に渡り、分解中に線源が露出し、周辺が汚染され、10人が被ばく、そのうち3人が被ばく後2か月以内に亡くなっている(ATOMICA データベース中の該当記述)。

このような事故は日本でも起きている。1971年9月、千葉の造船所構内で、作業員が細い金属製の棒を拾い、好奇心からそれを下宿に持ち帰ったのだが、それは非破壊検査に用いられる 192Ir の入った線源だった。このときは死者こそ出なかったものの、作業員とその友人の計6人が被ばくした。そのうちの1人は、右手指の潰瘍・糜爛を繰り返し、事故から22年後の1993年に、ついに右手指2本を切断することとなった(ATOMICA データベース中の該当記述)。

このように、線源管理の不徹底に起因する被ばく事故というのは、枚挙に暇がない程に多い。上述のような放射線照射装置やその線源が、一般のスクラップとともに鉄鋼生産の現場で溶解された結果、建設用の鉄骨にそれが混入し、マンションの住人が被ばくする、という事故も台湾で起きている。日本の鉄鋼メーカーは、スクラップの購入に際しては細心の注意をはらっており、製鉄所への搬入時には検出器を多数配置したゲートを必ず通すようにして、このような事態を来さないように監視している(実際、このゲートのおかげで放射性物質を持ち込まずに済んだ事態が何度もある)。しかし、海外の製鉄メーカーの場合、残念ながら、このような事故が起きてしまっているのが現実である。

さて、今回の世田谷のラジウムだが、これのあった家の住人は、90歳を越した女性で、1950年代初頭から今年2月までこの家に住んでいたという。ご主人は10年程前に亡くなられたらしい。今回発見された量のラジウムから考えると、年間150ミリシーベルト程度の体外被ばく、そして核崩壊生成物である 222Rn によるきわめて微量の体内被ばくに60年近く晒されていたことになるのだが、この女性やそのご主人がそれによって健康を損なわれた形跡はないらしい……別にだから安全だ、と言いたいのではない。人が生きる上で晒されるリスクには様々な種類があって、今回はそのひとつが高かったけれど、それによる健康被害を受けずに済んでいた、ということで、こういうこともあるのである。

The R passed away.

この間 Steve Jobs が亡くなったばかりのところに、今度は Dennis Ritchie が亡くなったそうだ。これも時代の移り変わりだ、と言ってしまえばそれまでなのだけど、結構ショックである。

僕は正直言って C 言語はあまり得意ではないのだけど、それでも必要に応じて C の世話になることは多かった。大学生の頃、こんな言語分かんねぇよ! と言う僕に、やっぱり K&R 位持っておくべきだよ……と、情報系の知人に言われたことを思い出す。まあ、K&R は初学者に必ずしもお薦めの本ではない(一通り C に触れた初学者には K&R よりむしろ Oualline の『C実践プログラミング』 の方が must item なのだそうな)と言われるけれど、でもやはり、C 言語の originator の手になる本となると、やはり存在の重みが違う。

Ritchie 氏は、長い闘病生活をおくっていたらしい。そういう面でも Steve Jobs のこととダブってしまう。日本でも、3人に2人ががんになり、2人に1人ががんで亡くなる、と言われるようになってもう何年も経つわけで、こういう話は決して他人事ではない。若い頃に何かしら世話になった(というと僕がさも彼らに近いかのように思われそうだがそういう意味ではない)人々が世を去ると、自分の番が近付いていることをひしひしと感じるのである。

季節の変わりめ

季節の変わりめ、と言うには既にどっぷり秋になってしまったけれど、この時期には困ることが結構ある。

まず、米。秋になると、僕の実家の親戚が新米を送ってくれるので、今年もそのお裾分けにあずかった。しかし……これの水加減が実に難しいのだ。新米だから、ちゃんと炊いて美味しく食べたいと思うわけだけど、含水率が微妙に高いようで、どうしても柔らかめになってしまう。えーこんなに減らすのー? という位まで水を減らして、ようやく丁度良い感じになるのだ。

某筋から、大きめの連子鯛(正式な和名はキダイと言う)を貰った。丁度ぎりぎり炊飯用の土鍋(鍋ものに使う土鍋ではなく、炊飯専用のものがあるのだ)に入る位の大きさだったので、これだったら鯛飯でしょう……ということで、炊き込んだのだけど、痛恨の水加減ミス! で、米が少し柔らかくなってしまった。水分量は相当詰めたし、勿論調味料の分は水量から引いてあるわけだけど、それでも柔らかくなってしまう。これ程までに、この時期の米は水加減が難しい。

そして、パン。ホームベーカリーを持っていて、食パンはそれで焼いているのだけど、この時期は水の加減が難しい。夏は生地がダれるので水量を控えめにしていたのだけど、もう大丈夫だろう、と思って水量を戻すと……あー、今日は昼間暖かかったせいか、生地が柔らかめになる。これが発酵時の膨らみ加減に直結するのだ。うーん。まあ別に、こんなことに悩む必要はないのかもしれないけれど、せっかく焼くなら、程良く膨らんだパンを美味しく食べたいので、ついつい考えてしまうわけだ。

これで、もう少し寒くなってくると、今度は衣服で悩むことになる。季節の変わりめは、何かと面倒な時期なのだ。

化学賞?

今年のノーベル化学賞のニュースは、正直言って驚きだった。ダニエル・シェヒトマン氏の準結晶の発見に関する業績、という話を聞いて、えー物理学賞じゃないの? と思ったのだった。

準結晶 quasicrystal という言葉は、おそらく科学関係に関心のある方でもご存知でないかもしれない。僕は材料屋なので、当然だけど結晶学は教養として修めることが要求されていて、しかも僕が某国のプロジェクトで研究対象にしていた物質が、この準結晶によく似た特殊な結晶構造だったために、これとは(僕個人の好むと好まざるとに関わらず)因縁があるのである。

準結晶とは何か? というのは、簡単に説明するのは非常に難しいのだけど、誤解を恐れずに言うならば、複数個の構造単位が連なってできる構造は、やや引いた視点で観ると5回対称性(これも誤解を恐れずに書くならば、1回転させるうちに5回重なるような構造……日本の家紋にある「梅鉢」などを連想していただきたい)を持ち、なおかつ空間を充填することができる。1980年代初頭、そういう構造を、急冷凝固させた Al-Mn 系合金 に見出したのがシェヒトマン氏で、後にもっと安定な系でもこのような構造が存在することが分かってきて、材料科学の分野では今でも重要なトピックのひとつである。

このような準結晶は、20面体 icosahedron で表されるような構造単位を持っているのだけど、僕が扱っていた Mg-Pd 系でも、この icosahedral な構造に近い、いわゆる近似結晶 approximant の構造を持つことが、ドイツのグループの研究である程度分かっていた。僕の材料作製手法は、急冷凝固でもないし、このような結晶を成長させるための手法でもない。だから、このことに気付くまでに1月程あれこれ悩むことになった。気付いたら気付いたで、結晶構造の解析をどうやって行うか、考えるだけでも絶望しそうになったものだ。先の20面体がちょっと歪んだようなクラスターが格子を成して、それが規則配列して結晶を成している。文献から結晶内の原子位置を定めていくと、単位格子内の原子数が数百を超えるのである……手元で出来る限りの精度で粉末 X 線回折をやって、そのデータと構造データを基に Rietveld 解析をしてみると……計算が収束しない。角度を区切って、複数領域で何日もかけて計算を行い、どうやらこの予測が合っているらしい、と言えるまでに、更に何日かを要したのだった。

今考えてみると、どうにもおかしな話である。こういう事態が起きそうな気がしていたから、電顕のスペシャリストと結晶構造解析の専門家をチームに加えていたのだけど、専門家というのが、時に「負け戦」を嫌うものだ、ということを、僕は考えていなかったのだ。結局、僕が(僕は溶融塩や溶融酸化物の熱力学で学位を受けていて、本来は結晶構造解析屋ではないのに!)某所の XRD にアレイ型の検出器を付け、これでも足りないものは SPring-8 に持ち込み、自分で計算をして(RIETAN のバグフィックスのために作者ともやりとりをしつつ)、最終的な結論を出さなければならなかった。この研究の本来の目的は結晶構造解析ではないのに、である。今思い返しても、なんだかなあ、という話だけれど、まあ、いい勉強になった、と思うべきなのだろう。

結晶学という領域を確立した人のことを思い返してみると、Laue がノーベル物理学賞を受賞したのが1914年、そして Bragg 親子(息子の William Lawrence Bragg の方は当時25歳だったという)が同賞を受賞したのが翌1915年である。ここで強調しておきたいのは、どちらも物理学賞を受賞している、ということである。結晶の化学的性質とかに関してならば化学賞でも分かるけれど、伝統的には、今回の準結晶の業績に関しては物理学賞にしてあげてほしかったなあ、と思うのだ。物理の世界では古いから化学で……なんて、そんな扱いでは、材料屋は浮かばれない。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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