MS明朝・MSゴシックをちょっと見直す

今日、TeX Live のメンテをしている最中にふと思いついて、OTF パッケージで Adobe-Japan 1-6 の全ての文字を表示させる .tex ファイルを簡単なシェルスクリプトを書いて生成して、dvipdfmx で小塚フォント、ヒラギノフォント、IPA フォント、そして比較材料として MS 明朝・MS ゴシックフォントを用いてフォント埋め込みを試験的に行ってみた。

まず断っておかなければならないが、これは厳密にはフォントの使用許諾事項に違反する。Microsoft は自社の OS の範疇以外で、自社のシステムに付属するフォントの使用を認めていないからだ。今回は、あくまでも実験であって、生成したファイル等は実験終了後速やかに消去しているので、念の為。

さて、では結果がどうだったか、というと、実は Micosoft フォントは、ヒラギノに次ぐ位のグリフ数があることが分かった。某所でちらっと読んだ話だけど、Windows Vista の MS 明朝のグリフ数は約 16,000 個だそうで、これは確かに Adobe Japan 1-4 より多く、1-5 よりやや少ない程度である。ううむ、MS 明朝、思っていたよりもやるじゃないか。

まあ、でも、これはある意味当然かもしれない。そもそも MS 明朝や MS ゴシックは、最初から Microsoft が開発したものではない。これらのフォントの母体になったのは、リョービの写植用字体で、それをフォントに仕立てたのはリコーである。やや細身だし、モリサワフォントなどと比較すると業務用に使えるような代物ではないかもしれないが、素性の悪い代物ではないのである。うーむ…… Windows 上で dviout で出力すれば、合法的に Microsoft フォントを使えるから、もしもの場合の選択肢として、記憶しておくことにしよう。

kernel.org の危機は続く

今回は、あまりコンピュータ関連に詳しくない人でも分かるように書こうと思う。この問題は、もはや僕のようにコンピュータを使っている人間だけの話ではないからだ。

ここを読まれている方は、僕が Microsoft Windows でも Mac OS X でもないシステムを普段から使っている、というのをご存知だろうと思う。この OS(オペレーティング・システム……コンピュータ内部動作、周辺機器やユーザとのやりとりを司る根幹のシステムである)は Linux というもので、もともとは 1990 年代にフィンランド人の Linus Torvalds が Minix という学習用 OS に刺激されて開発したものである。

僕は大学院に入る位の頃から Linux を使っているから、使い始めてからもう十数年ということになるのだろうか。僕が触った UNIX 系 OS としては、3番目か4番目位だったと思う。僕が触り始める少し前まで、Linux はネットワークに関する機能が未発達だと言われていたのだが、ユーザが増えるに従い、そのような問題は恐ろしい程のスピードで改良されていった。そして今や、フリー(自由)な OS という意味での発展度合いは、他者の追随を許さないと言ってもいい状態だ。

Linux をビジネスに使う、というのは、1990年代から試みられていたのだけど、今一つ盛んにならなかった。しかし、IBM がパーソナルコンピュータ市場から撤退し、自らの基幹業務用システムに Linux を多用するようになってから、Linux はビジネスの場で用いられる OS という座を確立した。そして、一般大衆にとって Linux の存在が無視できないものになったのが、google による The Chromium Project と、2005年に google が買収し、今や日米でのスマートフォン OS のトップシェアフォルダーとなった android の台頭である。

ここで、僕は別に難しいことを言いたいのではない。要するに、皆さんが使っている携帯電話や、皆さんの生活に関わる業務用コンピュータシステムにおいて、Linux というものがもはやなくてはならない存在になっている、ということを言いたいのだ。それを言った上で、今、その Linux に対して厄介な状況になっている、ということを書かなければならない。

Linux の心臓部である kernel は、その名も kernel.org というドメインで公開されている。僕は定期的に、ここのサーバの更新状況をチェックし、新しいバージョンのリリースがあるとソースのアーカイブ(kernel の作成に必要なプログラムリスト等をひとつのファイルにまとめたもの)やパッチ(古いソースパッケージの新しくなった部分だけを書き直すためのファイル……「継ぎを当てる」という意味でパッチ patch と呼ばれる)をダウンロードしていた……そう、して「いた」のだ。8月下旬まで。

後は先日の blog で書いた通りである。この kernel.org に何者かが侵入し、システムに改竄を加えたのが発覚したのだ。一時回復するかに見えた kernel.org だが、現時点になってもまだ「メンテナンス中」とだけ出た状態である:

Maintenance - Down for maintenance

一般論で言うと、この手のサイトに侵入されたのは非常に危険である。ソースに対して改竄がなされ、Linux ユーザが気付かずに kernel を構築した場合、そのシステム内部にバックドア(侵入し易くするための「裏口」)や、システムを破壊するような裏機能、あるいは個人情報を抜くための裏機能を容易く導入させてしまう可能性があるからだ。噂によると、kernel.org の心臓部だった master.kernel.org の /etc/passwd (もともとは UNIX 系システムのユーザパスワードが暗号化されて保存される場所)まで改竄されていた、という話なので、結構この問題は根が深いようだ。

ただし、Linux kernel の開発自体は github というシステム上で行われている。このシステムで共有されているソースを改竄することは非常に困難(特に Linux のように多くの人々が参加している場合は困難である)なので、皆さんの携帯電話がどうこう、という可能性は、今のところはないと言っていいだろう。

しかし、kernel の開発に参加しているわけでない僕にとっては、kernel.org は非常に便利なサイトだったので、ここがコケっぱなしなのは非常に困る。いや、実際今困っているのである。

脊髄反射は許し難い

千代田テクノルという会社がある。僕が研究を生業とする少し前のことだけど、ここは画期的な線量管理アイテムを実用化した。それがガラスバッジである。

それ以前に使われていたフィルムバッジが、現像と黒化度測定で手間を食うものだったのに対して、放射線によるガラスの損傷が蛍光を発することを利用したこのガラスバッジは、感度も高いし、レーザーによる迅速数値化が可能で、しかも使った後はアニール(焼鈍)すればまた元に戻る。記録材であるガラスの破損の危険と、従来のフィルムバッジよりやや重いことを除けば、これ程いいものはない。まさに革命的な線量管理アイテムの登場だった。もはやこの日本で、フィルムバッジを使っている人は誰もいないと思う。それ位、ガラスバッジは普及している。

このガラスバッジを使った線量管理において、僕が今迄耳にしてきた問いがふたつある。ひとつは「浴びてから分かっても意味ないじゃん」というもの、そしてもう一つが「どうしてまず最初にバッジ装着者に連絡が来ないのか」というものだった。まあ前者の問いは、皆さん理解できると思うけれど、後者に関しては、若干の説明をする必要があるだろう。

僕が某国の研究所に居たときのことである。当時、僕と同期で入ってきた女性研究員のYさんという人がいた。彼女は東大のドクターコースを中退して入ってきたのだが、とにかく実験のセンスがなくて、僕はフォローするのに酷く時間を使わされた。で、この職場で健康診断があって、毎度おなじみの胸部レントゲン撮影というのもあったわけだが、その後何日かして、職場の線量管理責任者をしている某氏が、もの凄い勢いで研究室にやって来た。

「おお、Thomas 君。Yさんおるか」

「さっき SEM 使ってたんじゃないかな……あっちの部屋、見ました?」

と言うと、返事もせずに某氏は SEM のある部屋に飛び込んだ。そしてYの腕を掴んで、彼女の居室に入って、しばらく出てこなかった。

この職場は、欧米の研究所などと同じくティータイムの習慣があったのだけど、この日のティータイムに、Yは得意気に皆の前でこう言ったのだ:

「なんかアタシ、X線被曝してるっていうのよ」

聞いてみると、ガラスバッジの交換があった翌日、先方の担当者が血相を変えて某氏のところに電話してきたのだ、という。Yさんの線量値が、尋常じゃないことになっている……というのだ。某氏は泡を食って、Yを確保して散々確認し、ついに、Yが胸部検診のときに、名札と一緒に腰に付けているガラスバッジを外さずに胸部撮影を行ったのだ、という事実を引っ張り出したのだ。バッジの代理店にその旨確認すると、線量から言うと丁度それ位に相当する、ということで、Yはきついお目玉を食らった後に釈放されたわけだ。

「でも、おかしいじゃない?アタシが被曝したんだから、まずはアタシに電話してくるのが筋じゃない。そうしたら、こんな面倒なことにならないで済んだのにねえ」

と、すました顔で紅茶を飲むYに、周囲の全員が「いや、面倒事はアンタ一人のせいだからな」と思っていたのは、言うまでもあるまい。

さて。このYの一件でもそうだったけれど、被曝線量に異常があった場合、当人に連絡する前に、まずは線量管理責任者に連絡が行くのである。これをおかしい、と言う人がいるかもしれないけれど、それは違う。この場合は、まず、線量管理責任者がこの事実を知らなければならないのである。

そもそも。浴びてから分かっても遅いんじゃない?という疑問を持たれながらも、なぜガラスバッジを付けるのか。これは、万が一、放射線源等の扱いが不適切で、被曝するような事態が生じたときに、その原因となっている不適切な放射線管理の状況を可及的速やかに是正し、それ以上、その区域に入る人に被害が及ばないようにするためである。もちろん、個々の線量管理の目的があるのは言うまでもないが、ガラスバッジを付けさせる側が、何故大枚はたいて付けさせるか、というと、そういう放射線管理の徹底が義務付けられているからである。つまり、ガラスバッジ(そしてそれ以前のフィルムバッジも、だが)を用いた線量管理というのは、個々人をリアルタイムで守ることが一義的目的なのではない。そこに関わる人に危険が及ぶ状況を察知し、可及的速やかに是正することが一義的な目的なのである。累積線量の管理というのは、その後の問題である。そういう思想だからこそ、Yの前に、バッジの代理店は線量管理責任者に電話を入れたのである。

福島で、子供にガラスバッジを付けさせるという話があって、子供個々人に対して線量の通知がされないから、子供はモルモット扱いだ、という話を mixi でしている人がいるのだが、そういう人達は、線量管理におけるこういう思想を理解していないのだろうと思う。リアルタイムで被曝線量が分からないガラスバッジは、一人一人の子供を目前の被曝から避けさせるということのためのものではそもそもないのだ。この場合、公費でガラスバッジを付けさせるということは、被曝する状況が万が一存在したときに、可能な限りそれを認識して是正するため、なのである。それも分からずモルモット、モルモットって、それはあまりに短絡的に過ぎるというものだ。

「ギリシャ館」「蓮」

深夜、日付が変わったところで、アクセスログの解析をすることが多いのだけど、最近ちょっと気になる解析結果が出ていた。google からのアクセスを解析すると、「ギリシャ館」「蓮」という検索語での検索結果から僕のコンテンツに飛んできている数が多いようなのである。

google での「ギリシャ館」「蓮」の検索結果を見ると……うーん、千葉のソープランド「ギリシャ館」なるところに、源氏名「蓮」という人がいるらしい。はあ。でもそれが僕と何の関係があるというのだろう。

google での「ギリシャ館」「蓮」「Luminescence」の検索結果を見ると、なるほど、2番目に僕の書いた文章が出てくる……あー。なるほど。僕の洗礼名のギリシャ語読みの話と、實重彦の名前とが検索に引っかかるらしい。しかし……十二使徒の名前に、元東大総長の名前の組み合わせが、千葉のソープランドの女性の源氏名に引っかかるとはねえ。世の中は広いのだ、と、今更ながらに思い知らされたのだった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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