資質

鉢呂経産大臣が、「死の街」発言に続いて「ほら、放射能」と言いながら防護服の表面を記者に擦り付けようとした問題で、今夜辞意を表明した。まあ、厚労大臣のタバコ増税発言と言い、閣僚としてあまりに程度が低過ぎて、ただただ脱力、という感じである。

しかし、どういう訳か、世間では「ここで辞める方が無責任だ」とか、はなはだしきに至っては「マスゴミの誘導で辞めさせられるとは許し難い」などという発言まで目につく。これに関しては、断固ここで objection を表明しておかねばなるまい。

まず、政治家という仕事は非常に過酷な仕事である。何が過酷なのか、というと、未知のファクターの集成である未来に対して一定の結果を出さねばならない、そしてその業績が結果のみで評価されるところこそが過酷なのである。いかに頑張ろうが、汗をかこうが、そんなものは何の役にも立たない。軽口をたたき、鼻をほじりながらでも、するべき仕事をして結果を残す方が、政治家としての評価は高いのである。

そして、そういう未来への仕事を託される政治家に要求されるのは、「どういう姿勢で」「どういう理念で」「どういう方策で」未来への課題に立ち向かっていくのか、ということである。これは、つまりはその人の政治家としての哲学が問われているのである。

その人の発言は、その人の哲学を反映したものとしてとられるのが当然である。だからこそ、シビリアンコントロールにおける文民と素人の区別もつかないようなことを言ってみたり、葉タバコ農家の存在を一顧だにせずに、職務権限もなしにタバコの増税に関して発言して、後で私見でござい、とヘラヘラしていたり、これから自らが救済しなければならない対象を軽々に「死」という言葉で形容したり、そこにある放射性物質の存在をネタにしたり……そういう政治家は、そういう哲学を持っているとみなされて当然だし、そういう政治家の資質というものには期待を持ち得ないのである。

そして、僕等は民草として、市民として、そういうことにはきっちりと「それはおかしい」と声を上げるべきなのだ。反原発と言っていたから、ああいう放言・問題行動をしていても経産大臣として期待していた?はぁ?てんでお話にもならない。それは共同幻想を大事にするあまり「毒食らわば皿まで」と言っているようなものだし、そういうことに世間の他の人達を巻き込んでいただきたくはないのだ。迷惑千万ではないか。

threshold

今朝方のこと。僕は机の上に紙を置き、唸っていた。

この紙に印刷されている内容を電子化しなければならないのだが、OCR を試みた結果は散々なものだった。文中に特殊な記号が使われているからなのだけど、紙の枚数は A4 7枚にびっしり……という感じである。

たとえば、これが A4 1、2枚だったなら、OCR すら考えずに目で見て、手で打ち込んでしまうかもしれない。しかし、この分量は、普段だったら OCR を使おうかどうしようか、と悩む、丁度その境界線位の量である。これを打ち込むのかー……ということで、唸っていたわけだ。

あまり精神論めいたことを書きたくはないのだけど、技術的な意味で障害がある場合に、解決しなければならないことをどうやって解決するか……それを推し進めるには、何が必要か。おそらく、こういうときに必要なものは「覚悟」なのだろう、と思う。

「覚悟」というと、なんだか悲愴な響きに感じられるかもしれないが、そうではない。諦めなければならないところには見切りを付け、有限のリソースをどこに注ぎ込むのかを見極め、それに邁進する。場合によっては、退くことも選択肢から除かなければならないかもしれない。しかし、到達すべき点まで到達すれば、それは終わる。苦痛は永遠に続くわけではないのだ。そして、終わった後は、その苦痛の成果を前向きに活用できるはずなのだ。それらをはっきりさせて事に臨むのが「覚悟」なのだと思う。

というわけで、覚悟して打ち込みを始めて……先程終わった。校正はしなければならないけれど、英語の部分はスペルチェックをかけておいたので、その手間はそう大したものではない。この電子化したデータを、せめて今日の夜からは有効に活用することにしよう。

finger?

以前この blog でも書いたことがあると思うけれど、僕は Linux の kernel の update 状況を知るために finger.kernel.org を利用している。以下にその使用例を示す:

finger.kernel.org.result.jpg

ところが、である。昨日からこの finger server が使えない。というより、DNS が "finger.kernel.org" を resolve しない状態になっているのだ。昨日は http://kernel.org/ にさえ接続できない状態だったのだが、現時点では http://kernel.org/ の方はちゃんとアクセスできる。

何があったんだろう……と、 http://kernel.org/ のアナウンスを読んだら、なんと kernel.org がクラックに遭ったらしい。おいおい……この kernel.org は、ある意味 Linux の生命線みたいなものなのだけどなあ……誰がやったんだ?遊びだと言うには迷惑過ぎだよ。

『TeX Live を使おう』に関して

そもそも僕が TeX / LaTeX というものを使い始めたのは、もう20年程も前のことになる。TeX / LaTeX の存在自体は、大学に入る位の頃から耳にしていて、大学の学生実験が始まった年に、なんとかレポート作成に使えないものか、と思い始めたのである。しかし、当時の僕が持っているのは、16 ビットの PC98、しかも HDD や増設メモリなど買えそうにない経済状態で、ネットへの接続もままならない状態だった。

当時の僕の周囲には、既に 32 ビットの PC98 に大型の EMS ボードを挿し、モデム経由で NIFTYSERVE 等を使っている同期が何人かいて、彼等に相談してみたところ、何日かして、何枚かの(当時はまだ 5 インチだった)フロッピーディスクを渡してくれた。早速帰宅して中身を見ると、go32 を利用して動作する、いわゆる Eastwind 版の TeX 一揃えが入っていた。分からないながらに簡単な文書を書いて、初めて手元の環境で処理して dviout で表示したときの衝撃は、未だに忘れられない。自宅での出力環境は24ピンのドットインパクトプリンターだったけれど、初めて、

Fourier
などと書いてみて、ギリシャ文字や積分記号の美しさを目の当たりにしたときには、全身総毛立つような思いがしたものだ(後記:僕は現在は txfonts を使って数式を書くことが多いのですが、これはあの頃使っていた Computer Modern を使って書いています)。

大学3年になった年、僕の居た大阪大学は、OS X の源流になったあの NeXT を400台導入した。記念式典にはあの Steve Jobs が直々に大阪にやってきて、僕等の目の前であの天才的なデモンストレーションをしたのだった……そして、この NeXT は、僕の勉学におけるコンピュータ環境を劇的なまでに変革した。なにせ、400 dpi のレーザープリンタが接続された pure な Postscript 環境(NeXT は画面表示すら Postscript で行っていたのだ!)、しかも firewall 経由ではあるにせよ、ネットワーク環境もちゃんと使える状態のものを、学生が好きに使えるのだ。そしてこの NeXT には、ASCII 日本語 TeX がインストールされていた。

この時期から、僕は TeX / LaTeX 以外の手段で論文を書いたことがほとんどない。学部・修士の論文も、そして勿論学位論文も TeX / LaTeX で書いた。特に学部の卒論は、グラフは NGRAPH で出力した PS ファイルと、一部の人に利用開放されていたスキャナで取り込んだ画像を LaTeX + epsf で配置してレーザープリンタで出力した、完全な LaTeX document だった。まあ、あの環境で、これをやらなきゃあ、あまりに勿体ないというものではないか。

そんなことをやっているうちに、寮の文系の友達つながりで、文系の学生達から「TeX ってどうやって使うの?」と聞かれることが多くなった。当時彼等は、PC98 や NeXT 上のワードプロセッサで論文を執筆していたのだが、バックアップを取る前に落ちることが頻繁にあって、相当痛いメに遭っていたらしい。質問者が二桁を超えたので、これは何処か借りて講義でもした方が早いなあ……と思い、大学の情報処理教育を行っている部門に相談してみたら、テキストの製本等の面倒はみるから、是非やって下さい、と言われた。さあ、そこからが大変である。春休みを潰してテキストを書いた。記号に関する説明で、当時 TeX 使いの間で must item と言われていた『LaTeX 美文書作成入門』の表を引用する必要が生じて、NeXT 上から電子メールで著者の奥村晴彦氏に許可依頼を出したら、

「教育目的の引用は著作権法上許諾は不要です。どんどん使っちゃって下さい」

という、非常にシンプルな返信が返ってきた。これに勇気付けられて、結局全学規模になってしまった TeX のセミナーをし仰せたのだった。

まあそんなわけで、TeX / LaTeX 及びその周辺の人々には、僕は様々な意味で恩恵を受けているわけだ。しかし、正直言って、その恩を返せているとは、とてもじゃないが思えない。僕等の業界では、先達に受けた恩は後輩に返すことになっているので、この恩は後輩に何らかのかたちで返さなければならないわけだ。

しかし、ネット上での Q&A の類には、僕は限りなく絶望に近い印象を持っている。最近はどうも、自らの課題・問題点をまとめた上で、必要な情報を探索する能力というのが、日本人全体の中で、急速に衰えているような気がしてならないのだ。昔の電子ニュース華やかなりし頃だったら、void 氏や lala 改め lala-z 氏にボロカス言われるわけだけど、今はそういう「親切な」人はほとんどいない。たまに僕がキツいことを書くと「荒らしですか?」とか開き直られたりする。阿呆か。まあそんな感じなので、僕自身も最近はそういうコンテンツを作ることはほとんどないわけだけど、TeX Live に関しては、これから大学で論文を書く人とか、科研費出そうと思って書類書かなきゃならない人とか、まあ結構需要があるのだろうから……ということで、件のコンテンツを作成した次第だ。徐々に拡充していくつもりである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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