薄ら寒い (2)

不適切テロップ『「訂正」局内で2度放置』東海テレビが特別番組 経緯報告、社長陳謝

東海テレビ放送(名古屋市東区)が情報番組「ぴーかんテレビ」で「怪しいお米 セシウムさん」などの不適切なテロップを流した問題で同社は五日夕、特別番組を放送し、冒頭、浅野せき社長が「極めて不適切な放送をし岩手県、福島県をはじめ多くの方にご迷惑をおかけした」と陳謝した。管理体制が整うまで番組を休止し、後日、検証番組を放送する。

夕方のニュースを短縮し、アナウンサーが問題の経緯を約十五分間、報告した。テロップはCG制作会社の五十代男性が「ふざけ心」で作成。テロップを流すタイミングを管理する番組スタッフが「不謹慎な言葉」に気付き、放送前日の三日と当日の四日、二度にわたって訂正を要請したが放置された。さらに、通常は上司が点検できるようにCGを印刷することになっているが、スタッフはこれを怠り、誤った操作も重なって番組で流れた。

特番でアナウンサーは「風評被害を食い止めるべく細心の注意を払って放送に臨むべき私たちが、岩手産の米が安全ではないと誤解を招きかねない放送をした。重く受け止め深く反省している」とあらためて謝罪した。

同社は五日午前の同番組を休止し、放送時間帯の冒頭に番組のキャスターが経過などを報告。同放送の祖父江伸二常務らは、岩手県庁やJA岩手県中央会を訪れ謝罪した。同社には苦情や問い合わせなどの電話が、同日午後九時までに四百二十五件寄せられた。

JA CM取りやめ

JA全中(全国農協中央会)は五日、スポンサーとして番組提供しているフジ系全国ネット「にじいろジーン」(土曜午前八時三十分)の六日放送分で、画面上から提供者名の表示を外すことを決めた。系列の東海テレビの放送では、JA全中のCMをACジャパンのCMに差し替える。スポンサーの立場は続ける。十三日以降は未定。

JAバンクあいちはフジ系全国ネット「めざましテレビ」(月―金曜午前五時二十五分)の東海テレビ放送分で毎週水曜日に流していたスポットCMを八月いっぱいは取りやめると決めた。

(『中日新聞』2011年8月6日、元記事画像

……という記事が出た。なんと、事前にスタッフがこのことに気付いていて、「二度にわたって訂正を要請したが放置された」、というのだ。

この文章から想像すると、こんな感じであろうか……

水曜日。翌日の番組で流すテロップ用の画像ファイルをチェックしていた東海テレビ社員N氏は、フォルダ内に妙な画像ファイルがあるのを見つけた。この夏の東海テレビのキャンペーン「東海テレビ 主義る宣言」の一環で行っているプレゼント企画で、木曜の放送で抽選結果を発表する「岩手県産ひとめぼれ 10 kg 当選者」のフリップ用に作成した画像なのだが、画像の上から何か文字が書き込まれている。

番組で流れる画像管理は面倒だ。時間情報に従って、半自動でテレビの画像にインポーズされるから、その順序を整えておかなければならないし、もし使わない筈の画像があるならば、本番までに除去しておかなければならない。細々した業務で溢れそうになっているN氏の頭に、書かれた文字はスムースには入っていかない。N氏は目で文字を追いながら呟いた。

「怪しいお米……セシウムさん……汚染されたお米……セシウム……さん」

悪趣味な代物だ。当選者三名の住所と氏名を書くところ全てが埋められていて、しかも「怪しいお米」と「汚染されたお米」、微妙に言い方まで変えている。

誰が作ったのかは、疑問の余地がなかった。フリップやテロップの図案を作っているのは、外部から入っているCG制作会社のY氏だからだ。N氏は、Y氏がいつも端末を操作している部屋に内線電話をかけた。

「Yさん、番組用のフォルダに変な画像が入ってたけど」

と言うと、Y氏はヘラヘラと笑いながら、

「見た?いいでしょ、あれ。もうさ、どこもかしこも汚染されてて、当選者までセシウムさん、ってね」

いよいよ悪趣味だな、とN氏は眉をひそめた。Y氏のこの手の「仕込み」はいつものことで、時によっては、絶妙な毒の匙加減に思わず吹き出してしまうこともあったけれど、報道に携わるという意識において、N氏とY氏の間には決定的な溝があった。N氏の感覚では、こんなものを作る気にはなれないし、それ以前に、Y氏の「仕込み」には、何か己のストレスをこうやって発散させているような、心の厭な暗みを感じさせられた。

「駄目ですよ。ああいうのは自分の端末の上だけにして下さいよ」

と言うと、Y氏は、

「えー?今回はポイント高いと思ったんだけどなあ」

もしY氏が、同じ東海テレビの後輩格の社員であったなら、N氏は「さっさと消せ」と即座に命令できたかもしれない。しかし、出入りの別会社の社員で、自分よりも年長で、現場経験も長いY氏に対して、N氏はそこまで睨みを利かせることができずにいた。

「もしも、ということもあるんで、消しといて下さいね」

「はいはい」

N氏は、はい、は一回だろう、と口中で呟いた。そして、頭を振って、気分を変えようと、他の仕事に没入していった。

そして、放送当日。早朝にコーヒーを啜りながら、送出用のフォルダの中身をチェックしているN氏は、顔をしかめた。あのファイルがまだ入ったままだ。

コーヒーの紙コップを持ったまま、Y氏の居室に行こうと部屋を出たところに、Y氏が通りがかった。

「Yさん、昨日言ってたファイルの件だけど……」

「ああ、あれ?ごめんごめん、まだ消してなかったっけ。戻ったら消しとくよ」

そう言うと、Y氏は歩みを緩めることなく、そのままトイレの方に歩き去っていった。ったく、ちゃんとしない人だなあ……N氏は小声で呟いて、部屋に戻った。細かい仕事が、まだ山のように残っているのだ。もし何かあっても、まあ、俺のせいじゃないしな……そう呟いて、N氏はそれきり、他のことで頭を一杯にしてしまったのだ。

勿論、これはあくまで僕の想像に過ぎない。まあでも、実際にこういうことの起こってしまう背景というのは、こういう感じなんじゃなかろうか。

【後記】夕刻に放映されたという特別番組の内容にリンクしておく:

……うーむ、技術的な問題ではなくて、これはやはり倫理的な問題だよなあ。その点を、当事者は今一度深く認識する必要がある、と僕は思う。

薄ら寒い

既に皆さん、各メディアの報道等でご存知かとは思うけれど、東海テレビが放映している情報番組「ぴーかんテレビ」において、にわかには信じ難いような放送事故が発生した。同番組中、テレホンショッピングの「しあわせ通販」というコーナーにおいて、稲庭うどんの製品説明中に、「怪しいお米 セシウムさん」「汚染されたお米 セシウムさん」と書かれた、抽選の当選者発表の画面と思われるテロップが流れてしまったのである。その前後をまとめた動画を以下に示す:

もともと、問題になっているテロップは、フリップ(最近これを「フィリップ」とか書いているのを散見するけれど、これは英語の flip board に由来する言葉なんでしょ?何やねんフィリップって。人名か?)として使われているものと同一の画像に、コンピュータ上で住所・名前を打ち込んだものらしい。作成したのは50代の男性外部スタッフということである。

……まあ、僕は毎度毎度、愛知県の県民性に対して否定的なことを書いている。だから今回、罵倒し倒そうと思えば出来ないこともないのかもしれないけれど、そんなことは何の意味もないことだ。ここでは、僕の経験も交えて、今回の事件の底に流れる問題について指摘しておきたい。

僕が前の職場に居たときのこと。ある日、安全講習というのがあって、職場の管理職格が誰か一人参加しなけれならないことになっていたのだが、皆多忙(多忙?事務方のIとか、他にもTとか、何かプラップラしてたような記憶があるけどねえ……)とのことで、僕が出席するように、と言われたわけだ。ったく何だって……などとブツブツ言いながら会場に行くと、職場のオフィスが入っているビルの管理会社(僕の職場の親会社の子会社……まあイトコ会社だったわけだが)を中心として、結構な数の参加者が来ていた。へー、じゃあ何するのかね、と思いつつ待っていたら、職場の親会社からの出向者であるお偉いさんが、講師として演壇に立った。

で、やる気もないままに話を聞いていたのだが……この言葉に、思わず息が止まりそうになったのだった。

「まあ、東海地震だ、何だ、と言ってますけれど……まあ、どうせ、来ませんからねえ」

何を呆けたことを……と思った一瞬の後、会場中からゲラゲラと笑い声が上がったのだった。僕は「やってられるか!」と、そのまま席を立った。

これを読まれている方は皆ご存知だろうと思うけれど、阪神淡路大震災が発生したとき、僕は阪大の院生で、大阪の箕面に住んでいた。僕の住んでいたところは活断層のすぐ際にあって、家屋の破損こそほとんどなかったけれど、あの地震のことはもう一生忘れられそうにない。月に1、2回は震度3の地震が来る水戸で生まれ育ち、小学生のときにはビルの7階で宮城県沖地震に遭遇したこともある、地震にはある程度慣れていたこの僕ですらそうなのだ。

大阪で暮らすようになったとき「よかったね、あっちって地震とかないんでしょ」と言われたことが何度もあった。けれど、あの阪神淡路大震災の経験は、天災というものから、そう簡単に人が解放されることがない、という事実を、僕に思い知らせた。その事実の重みは、決して茶化したりできるようなものではない。あのときだって、実際に数千人の人が亡くなっている。僕もかつて講義を受けていた、隣の学科の教授も、倒壊した家の中で亡くなっているのを発見された。理不尽な運命、理不尽な死は、僕のすぐ隣に厳然として存在していたのだ。そういう重い事実を、僕はあの地震で学んだのだった。

しかし、愛知に居を移してから、僕は何かがおかしい、と思っていた。それに気付くのにそう時間はかからなかったけれど、要するに、「他人事ではない」という、過酷で理不尽な運命というものに対する畏怖の念が、どうもこの辺りの人々には極めて希薄なのだ。いや、皆が皆そうだ、と言うわけではない。しかし、特にトヨタ系の企業で見かける人々……地元大学を出て、愛知以外の土地のことをほとんど知らずに結婚して、家を買って、毎日をぬくぬくと暮らしている人々の中で、そういう畏怖の念というものを持っている人は、おそらくほとんど存在しないのではないだろうか。

過酷で理不尽な運命に対する畏怖の念を感じる、ということは、つまりはそういう運命に見舞われることが他人事ではない、と感じることで、だからそういうときには何も言わずに助け合えるように、それができないならせめて少しでも良い方向に向かうように、努め、祈念することに僕等を向けさせる。しかし、そういうものを持たない人々は、他者の不幸に対して悉く「他人事」だ。自分が良ければそれでいい……だから、たとえば平気で道に横一列で広がって闊歩したり、一時停止をせずにクルマの鼻先を横断歩道に捻じ込んでみたり、そしてそれを指摘されたときには、まるで頭の上に人工衛星でも落ちてきたかのような顔をしてみたりするのである。

今回の「セシウムさん」などというのは、まさに「他人事」と書いているようなものである。地震も、津波も、そして原発事故も、今の中部地域の生活には関係ない、他人事である、そう思っているからこそ、フリップにあんなことを書いてネタにしたりできるに違いないのだ。

今回のあのフリップは「リハーサル用」だった、と報道されている。では、あのフリップを、あの番組の出演者達はカメリハ等のときに目にしていたのだろうか。一緒にそれを見て笑っていたのだろうか。もしそうでないなら、そうでないとはっきりしていただきたいし、それをしないならば、そう思われても仕方がないと思う。Wikipedia の「ぴーかんロード」項中「現在の出演者」 によると、福島智之アナ、内田忠男氏(元日本テレビアメリカ支局長、現名古屋外大教授)、金子貴俊氏(隔週)、奥山佳恵氏(隔週)、高井一氏(東海テレビアナウンサー)、そして勅使河原由佳子アナ……この中に、今回出ておられない方もおられるかもしれないが、あのフリップを目にしていない方は一刻も早くその旨表明されるべきだろう。今回の、この薄ら寒い事件の責めは、おそらく皆さんが考えているのよりもかなり重いものだろうと思いますよ。

かまびすしい

時々、何の気なしに使った言葉で混乱を招くことがある。どうも僕の日本語は古臭い代物らしく、21世紀を生きる人々には通じないことがしばしばあるのだ。

たとえば「しどけない」という言葉がある。「乙な年増のしどけない寝姿」なんて言い方をしたら、おそらくニュアンスが分かっていただきやすいと思うのだけど、要するに「だらしない、乱れている」という位の意味の言葉である。これを使うと、おそらくかなり高い確率で「?」という反応が返ってくるのだが、やはり、こういうときは「だらしない」じゃなくて「しどけない」がぴったりくるんだ、というときに、その言葉を使わない、というのは、僕としては口を塞いでいるような心地がするのだ。

「喧(かまびす)しい」、あるいは「囂(かまびす)しい」というのもそうだ。まあ分かりやすく言えば「やかましい」ということになるんだろうけれど、でもやはり「囂しい」と言いたいシチュエーションというものがあって、僕の言語感覚では、それを「やかましい」と表現するのは、薄っぺらいというか、貧しいというか、そんな気がするのだ。

そう言えば「姦(かしま)しい」というのも最近はあまり使わないのだろうか。昔、この言葉を初めて目にしたときに、父に意味を聞いたら「お前、よく演芸番組観てるのに『かしまし娘』とか知らないか?」と言われて「あーなるほど」と納得した記憶があるけれど、最近の人はそもそも「かしまし娘」を知らない可能性が高い。辛うじて「女三人寄れば姦しい」というのが諺をまとめた本などに載っている位しか、もうこの言葉との接点はないのかもしれない。

漢語で言うと、「唯唯諾諾」なんてのが典型だ。たしかにメディア等でこの言葉を聞くことは少ないかもしれないけれど、でもこれってそんなに分かりにくい言葉なのだろうか?使うとほぼ全ての人に「?」と返されるのだけど。

よく、人から「Thomas さんはなんでそんな古い言葉を使うのか」と聞かれることがあるのだけど、僕は豊かな日本語表現を享受してきたので、自らの日本語表現にそれが反映されているだけのことである。別に僕にとってそれらの言葉は古くも何ともない。暴言との謗りを覚悟してあえて言うなら、世間の日本語が薄っぺらく、貧しくなってきているだけのことである。

先日、NHK の報道番組を観ていたのだけど、福島県在住の男性が、自分達の被曝状況を記録するために手帳を作り、たまたま講演に訪れた広島原爆の被爆者にその手帳についての意見を求めているところが映っていた。その画面の隅に「被ばく者の対話」というようなタイトルがついていたのだけど、僕はこれを一目みて、

「これはずるいなあ」

と呟いた。要するに「被ばく」と書けば、「被曝」と「被爆」の区別をしなくてもいい、という理屈なんだろうけれど、天下の NHK がそんなことをしていたら、ますます世間の人々の間で「被曝」と「被爆」の区別がされなくなってしまう。要するに、面倒事を避けるための措置なのに「どんな人が観ても分かってもらえるように」なんて妙な建前を主張する結果、余計そういう面倒事が増えてしまうわけだ。

「障碍者」と「障害者」の場合もちょっと似ている。これは、実は終戦後、国語審議会が旧字を排除するまでは「障碍者」(もしくは「障礙者」)と書かれていたのが、戦後に「害」の字をあてるようになってしまった結果である。で、最近、障碍者が害を為しているわけではないんだから、旧来の表記に改めよ、という。うーん……じゃあ、「疎通」「疏通」はどうなのよ?そもそも「疎」って「疎外」の「疎」でしょ?「疎通」の意味を辞書でひくと……

[名](スル)ふさがっているものがとどこおりなく通じること。また、筋道がよく通ること。「意思の―を欠く」「意思が―する」

(『デジタル大辞泉』より引用……goo辞書のエントリへのリンク

とあるんだけど、これに「疎外」の「疎」を持ってくるって、一体どういう神経なんだろう。こちらの方が「障害」か「障碍」かという問題よりも、言葉としては深刻な問題だと思うんだけどなあ。

そう言えば、いつだったか、政治評論家の三宅久之氏が怒りを込めて言っていたけれど、「独壇場(どくだんじょう)」というのもこの手合いである。そもそも「独壇場」などという言葉は存在しない。これを言うなら「独擅場(どくぜんじょう)」なのだけど、どういう訳か「独壇場」という言葉は世間でひろく使われてしまっている。

まあそんなわけで、どうにも薄っぺらい日本語に辟易(これも誰だったか「ヘキヘキ」とか書いている人がいたなあそう言えば)することが多いわけだ。どうもなあ。

差し歯・雀

今日は、肝を冷やされるようなことがいくつかあった。今、冷や汗を拭いながらこれを書いている。

まずひとつめ。今日、昼食を食べようとしたときに、前歯の辺りが何かむずむずとした。指で摘むと……

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……と、前歯が抜けたのである。

差し歯にされている方はご存知だと思うけれど、差し歯というのは、歯根を残してその中にキャビティ(縦孔)を掘り、そこにコア(芯)を立てる。このコアの上に、クラウンと呼ばれる、歯の外観をした「冠」を被せるわけだ。通常、差し歯が取れた、というときには、ほとんどの場合はクラウンの脱落だろうと思うのだが、今日の僕のケースでは、クラウンがその土台のコアごと抜けてしまったのである。

僕もこういう経験がそう多いわけではないのだけど、この精神的衝撃というのは、相当のものだった。あ゛〜、これで結構な額が飛んでいくのかー……というのもあるけれど、前歯が抜けるというのは、これだけでも結構な精神的ダメージである。

とりあえず食事をして、歯を磨き、かかりつけの歯科医院に電話をすると、午後5時少し前だったらいけまっせ、との返事だったので、そこに予約を入れて、ちょこちょこと仕事をしながら午後を過ごした。しかし、今日は少しリラックスして過ごそうと思っていたのになあ……もう、台無しである。

歯医者の時間の少し前、もう一度歯を磨いていて、抜けた差し歯をブラシで洗おうとしていたら、手が滑って、洗面台の排水溝の中に「カラ〜ン」と、それはそれは綺麗な音を立てて落ちた。思わず声を上げてしまう。絶望感に苛まれながら、排水管の経路だけでも見ておこう、と思って洗面台の下を開けてみると、この洗面台は樹脂管で、U字の部分はドレンが付いていて手で外せそうである。そこらの器で受けながらドレンを外すと……「カラ〜ン」と、これまた綺麗な音を立てて歯が落ちてきた。はぁ、と溜息をつき、しばし脱力する。

時間が来たので歯医者に向かった。道すがら、はぁ……と溜息をつく。まあ、溜息をついても仕方ないんだけど、ここまででも結構な精神的ダメージだ。なんだかなあ……と思いつつ、診察券を歯科助手に渡す。

歯科医師は、ドレンから取り出して持ってきた差し歯と、僕の歯根のキャビティを見ながら……「これは……」「これは?」「これは……付けられそうだよ」「え?」で、キャビティの掃除をしてから、セメントを練って、装着。この差し歯を作った歯科医院ではないので、しめて500円取られたけれど、差し歯の作り直しとか、いやもうこれは部分入れ歯なんじゃないか、とか、悪いことばかり考えていたのが、嘘のように呆気なく、現状回復されたわけだ。

で、戻ってきたわけだけど……今根城にしているビルは、1階が大きなガラスの観音開きのドアなのだけど、その中に雀が2羽いた。僕が入ってきたのにびっくりしたのか、1羽は外に開いている方に向かって飛んでいったのだが、もう1羽が……よせばいいのに、僕がくぐったばかりの、そのガラス戸に全力でぶつかったのである。雀は地面に転がり、嘴だけをひくひくと動かしている。

雀は、どうやら脳震盪を起こしたらしい。両手で包み込んでも、逃げるどころか、身体をよじることもできずにいる。とりあえず、持っていた荷物を部屋に置いて、U に事情を話し、二人でまたガラス戸の前に行った。雀は、まだ動けずにいた。

「どうしよう」「どうしようって言われても、ねえ……」

などと言っているうちに、雀は意識を回復したらしく、地面の上を跳ねながら、影の方へと逃げていく。もし飛べなくなっているならば、保護しないと、この辺りには野良猫もいるので危険である。ブロック塀の方に追い込むように向かっていくと、雀はようやく意識を完全に回復したのか、はばたき、飛んで逃げていった。

僕が入ってきたのにびっくりしてこうなったわけで、そのせいで雀が死ぬようなことがあったら寝覚めの悪い話である。だから戻ってきたのだけど、とりあえずこうやって無事に逃げられたのだから、大丈夫だったのだろう。そう思うことにした。たかが雀一匹の話であるかもしれないが、歯の件も合わせて、今日の僕にとっては精神的ダメージの大きな事件であった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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