北川氏の patch を試す

先回の blog で書いた TeX Live 2011 であるが、一部を除いては問題なく使えている。以前に書いた『誰も教えてくれない聖書の読み方』新共同訳ガイド をタイプセットしようとすると、jsbook.cls を使った場合に、整形内容が紙の外に大きくはみ出してしまうのが、目下の悩みのたねである。まあこれは何となく理由は分かる……12 pt で整形しているので、TeX と dvipdfmx の内部処理的には、一度大きな整形結果を作成し、その後に紙の大きさに合わせて縮小をかけて配置しているはずである。おそらくそのプロセスで何かしら問題が発生しているのだろう。

日本語化 TeX の進化は未だ進んでいる。奥村氏の「TeX フォーラム」でも、日々あれやこれや情報が飛び交っているのだが、e-pTeX でおなじみの北川氏が、TeX Live 2011 に向けた日本語化 patch を公開している。現在 make 中なのだが、特に問題も発生せず、うまくいっている模様だ。

で、早速使ってみたのだが……うーん。何か足りない模様。時間のあるときに原因究明を行うことにして、今は TeX Live 2011 を普通に使うことにしておく。

TeX Live 2011 に移行する

まあ昔から、文書をタイプセットするのに LaTeX を使っているわけだけど、この何か月か、僕はふたつの TeX 処理系を併用していた。ひとつは Mac OS X 上で動作する TeX Live 2010、そしてもうひとつは Linux 上で動作する TeX Live 2009 + pTeXLive である。

2010 以降の TeX Live は pTeX / pLaTeX を内包しているので、実は pTeXLive はその使命を半ば終えたと言っていい。この1年程の間にも、ptetex3 から pTeXLive に移行していたものを、更に新しい処理系に移行するのは少々面倒で、あまりちゃんとしていなかったのであった。しかし、Mac 上でヒラギノを使って PDF を作成すると、これの品位の高さには少々驚かされた。いつも使っていた小塚フォントも決して悪くはないのだが、特に教育目的で使用する文書などは、少々癖のある小塚よりもヒラギノの方がスムースでいいのかもしれない。というわけで、処理系を含めて、フォントの問題をちゃんとしよう、と重い腰を上げたのだった。

実は、最新版の TeX Live の tree は、subversion で常に更新された状態で手元に置いてあった。先頃、ついに正式に TeX Live 2011 が出てきたので、これを機会にそちらに完全移行することにした。

TeX Live で日本語を扱う上で問題になるのは、フォントの問題と、旧字の処理の問題だ。特に後者は、pTeXLive では標準装備であったOpen Type Font用VF(いわゆる OTF パッケージ)を自力で入れなければならないのだが、(当然)TeX Live 2011 付属の ovp2ovf は ver. 2.1 であり、makeotf による VF 作成作業がうまくいかないのである。これを解決するのが面倒なので、今迄手をつけずにいたわけだ。

で、今回は少し考えを変えて、ad hoc にやってみることにしたわけだ。以下手順を示す。

まず、TeX Live 2011 の tree 入手法に関しては、他をあたっていただきたい(単純に書くのが面倒なので……以前に一度 tree を消したときのことが、拙 blog のどこかに書いてあるかもしれない)。TeX Live 2009 + pTeXLive と TeX Live 2011 がインストールされていることを前提に、話を進める。

何をしようとしているのか、既に皆さんお分かりだろうと思うけれど、要するに pTeXLive の OTF をそのまま TeX Live 2011 に移植してしまおう、というわけである。まず、pTeXLive の OTF パッケージの在処だが:

/usr/local/texlive/p2009/texmf/packages/otfcurrent
このディレクトリである。これを tar して、
/usr/local/texlive/2011/texmf-dist/tex/platex/
に展開する。あとは、
$ cd /usr/local/texlive/2011/texmf-dist/fonts/tfm
$ ln -fs ../../tex/platex/otfcurrent/tfm ./otfcurrent
$ cd ../vf
$ ln -fs ../../tex/platex/otfcurrent/vf ./otfcurrent
$ cd ../ofm
$ ln -fs ../../tex/platex/otfcurrent/ofm ./otfcurrent
……と、これで ad hoc なフォント設定は完了したわけだ。かなりアヤしいけれど。

次にフォントマップを設定しておく。僕は印刷用に dvipdfmx で小塚明朝を埋め込んだ PDF を作成・使用することが多いので、こんなマップファイルを作って、

/usr/local/texlive/2011/texmf/fonts/map/dvipdfmx
内に aozora.map などという名前で置いておく。この名前は、このマップを作成したのがもともと青空文庫の PDF 化のためだったからなのだけど、まあ他の名前でもいいだろうし、場合によっては、同じディレクトリ内にある cip-x.map を書き換えてもいいだろう。ただし、このファイルを直接書き直すと、tlmgr で TeX Live のアップデートをかける度にこのファイルが元に戻ってしまうことになるので、別名で作成されることをお薦めしておく。

次に、

$ cd /usr/local/texlive/2011/texmf-dist/fonts/opentype/public
$ mkdir kozuka
$ chmod 2755 ./kozuka
$ cd kozuka
$ ln -fs /opt/Adobe/Reader9/Resource/CIDFont/*.otf ./
のようにして、小塚フォントを TeX Live のシステムが参照できるようにしておく。最後に、
$ /usr/local/texlive/2011/bin/x86_64-linux/texhash
を実行しておく。

platex 使用時には、普通のままで特に何も問題はない。dvipdfmx 使用時には、

$ dvipdfmx -f aozora.map foo.dvi
のように、明示的にフォントマップを指定してやる必要がある(勿論、cid-x.map をじかに書き換えた場合はこれは不要だろうと思うが)。
thomas@shannon:~/documents/test$ dvipdfmx -f aozora.map foo.dvi
foo.dvi -> foo.pdf
[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18][19]
738735 bytes written

** WARNING ** 1 memory objects still allocated

thomas@shannon:~/documents/test$
……ちょーっと引っかかる(これ何なんだろう? EPS 貼り込みのときに dvipdfmx の version によってこういうメッセージが出るバグが……云々、という話は聞いたことがあるのだけど)が、PDF は何も問題なく正常に作成される。OTF パッケージを使用してコードで指定した旧字等も、問題なく表示される。

……と、ここまで Linux 上で確認したところで、Mac OS X 上でも同様のことをする。ただし、小塚フォントの代わりにヒラギノフォントを用いるわけで、フォントマップもそれに合わせて作り直しているのだが、基本的には、上の手続きと何も代わるところはない。そして、問題なくヒラギノを埋め込んだ PDF が作成できたのだった。勿論、OTF パッケージの使用も、縦書きも、問題なくできる。

かくして、Linux、Mac OS X 共、基本的な TeX / LaTeX での環境は TeX Live 2011 ベースになった(一応バックアップに TeX Live 2009 + pTeXLive は残してあるけれど)。これで今後は書きものをしていくことになるだろう。

いわしの梅煮

昨日、手頃な大きさの鰯が安かったのでまとめ買いして、いわしの梅煮を炊いているところである。

梅煮のレシピを読んで最初に作ったのは、確か「辻留」の辻嘉一氏の随筆だったと記憶している。鍋の底に竹の皮を敷いて炊くそのレシピは、今でも辻氏の本を御一読いただければ再現できると思うけれど、ここ最近僕が採用しているのは、『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』で濱本良司氏が紹介したこのレシピである。関西の料理らしい、丁寧なレシピである。単純に、ここに書いてある通りに作ればいいわけだが、いくつかコツがあるので、それを書いておくことにする。

まず、いわしの下処理だが、いわしは身が傷付きやすく、味も抜け易いので、真水に触れさせてはならない。このレシピでは塩水で洗うように書かれているが、海水と同じ位(重量濃度で 3 % 程度)の塩水をボウルに作って、その中で洗う。市販のいわしで、よく頭が落とされて内臓が抜かれた状態のものがあるのだけど、これを使う場合でも掃除は必要である。腹に鱗があるので、これをそうっと包丁などで除去して、腹を肛門のところまで切り開く。腹腔には黒い腹膜が被っているのだが、これがいわしの臭みの源になるので、内臓(頭ごと除去されていても、肛門に腸の一部が残っていたり、卵巣や精巣が残っていたりすることが多い)共々、ボウルの塩水の中で、親指の腹の指紋を使ってやさしく擦り取る。このレシピでは酢水で下茹でするので、水気を拭き取らずにそのまま鍋に並べてもらって構わない。

そして酢水で下茹でをするわけだが、僕はここでは純米の米酢を使っている。いわゆる合成酢の類でも、その後味を付け直すので問題がない、と言われそうだけど、調味料には少し贅沢をした方が、こういう料理は美味しくなる。醤油共々、あまりケチらないようにした方がよろしい。

酢水を切った後、酒と水を等量入れた中に調味料を加えていくわけだが、僕はここでは料理用清酒を使っている。いわゆる料理酒は、酒税法対象になるのを回避するために塩が添加されている上に、基になっている酒の質が著しく悪いので、手元にちゃんとした日本酒のない方は、たとえば宝酒造の「料理のための清酒」などを購入されることをお薦めする。できれば(淡麗辛口ではない)純米酒を使われると申し分ない……たとえば「美少年」とか。醤油も、脱脂大豆やアルコールを使用していないものがお薦めである。何か僕が贅沢でこういうことを書いていると思われそうだが、こういう料理だからこそ、調味料に少し贅沢をすると差が大きい。貧乏人(僕もこの範疇だ)はむしろ調味料でケチるべきではないのだ。

そして、おそらく一番問題になるもの……それが、梅干しである。これに関して書きたくて、今日こうやって blog にわざわざこんなことを書いているのである。実は、スーパーで普通に売っている梅干しでいわしの梅煮を作ると、おそらくかなり高い確率で、美味しくない梅煮が出来上がってしまうのだ。残念ながら、それが今の日本の現実なのである。

どういうことか、というのは、スーパーで売っている普通の梅干しのパッケージを引っくり返して、原材料をチェックしてもらえばすぐに分かる。たとえば、今ちょっとググって出てきた、ある梅干しの原材料のところを見てみると、こんな風に書かれている:

原材料: 梅、漬け原材料〔食塩、還元水飴、砂糖、発酵調味料〕、調味料(アミノ酸等)、酸味料、ユッカ抽出物、 ビタミンB1 (原材料の一部に大豆を含む)
……残念ながら、これが今の日本の梅干しの現実なのだ。先日、某量販店に行ったときに、試しにそこで売られている梅干しの原材料を全てチェックしたが、この手の添加物を使用していない梅干しは、残念ながらひとつも存在しなかった。

梅干しを作るときは、まず熟した梅の実を食塩で漬け込む。浸透圧で、梅の水分とクエン酸等が外に出てくる。これを白梅酢と言うのだが、これが十分上がってきたところで梅を取り出して天日干しする。白梅酢に塩で揉んで色を引き出した赤紫蘇を漬け込んで赤梅酢を作り、この赤梅酢に再び梅を戻す。これを1か月程寝かせてから、梅を天日で3日間干す……いわゆる「土用干し」というやつだ。土用干しが終わったところで、赤梅酢の中に再び漬けて熟成をかけ、ようやく梅干しが出来上がる。

このような作り方をした梅干しは、20 % 以上の塩分を含んでおり、梅酢に起因する酸味や香りも強い。昨今の減塩ブームや、この強い酸味や香りを敬遠する向きがあるので、梅干しの生産者は、せっかく作った梅干しを流水に何日か晒して、塩と酸味を抜く。その梅に、先の調味料を沁み込ませたものが、スーパーなどで売られている梅干しの正体である。

いわゆる JAS(日本農林規格)法では、このように塩抜きをした後調味料を沁み込ませたものを「調味梅干」、昔ながらの梅干しを「梅干」と表示することが義務付けられている。和歌山名産の南高梅などの、大粒のものを店頭でよく見かけるけれど、そういう(世間では「高級」だと思われているであろう)ものも、ほとんどがこのような「調味梅干」である。おそらく皆さん、甘酸っぱくて美味しい、などとよく買われているのかもしれないが、いわしの梅煮のように、梅の酸味と香りを調味料として使う場合、この「調味梅干」では十分な味や香りが出ない。それらは塩分と共に、梅干しの外に流れ出てしまっているのだ。いわしのような、味も匂いもキツい魚に、こういう梅干しでは太刀打ちできない。

僕は茨城・水戸で生まれ育ったわけだが、水戸は偕楽園の梅で作った梅干しが比較的容易に入手できたこともあって、調味梅干というものには十二、三歳位までお目にかかることがなかった。しかし、他所で何かのときに梅干しを食べることがあって、口に入れた途端に「こりゃ駄目だ」と吐き出したのを覚えている。明らかにグルタミン酸や甘味が足されたそれは、どう考えても僕にとっては「梅干し」とは違う食べ物だったのだ。

しかし、現時点において、JAS 法で言うところの「梅干」はもはや絶滅の危機にあると言ってもいい状態だ。大阪に住んでいた頃、某百貨店で「梅干」を探していて見つからず、店員に、

「なるだけ塩分濃度の高いものはありませんか」

と聞いたときの、あのまるで異形のものにでも遭ったかのような表情は、未だに忘れることができない。

名古屋の金持ち連中の間で有名な割烹に、ちょっと用事があって飯を食べに行ったことがあるのだけど、そのとき、店主に講釈を垂れている客に出喰わしたことがある。その人物は、店主の出した鱧の湯引きに添えられた梅肉が気に入らなかったらしく、

「いいか、お前はまだ若いから知らないかもしれないけど、梅肉ってのはもっとこう味があって、まろやかじゃなきゃいけないんだよ」

などと説教めいたことを言っていて、僕は、あーなるほどな、と思ったのだった。その客が帰ってから、店主に、

「この店で梅肉に使ってる梅干しはどんなものですか?」

「え?……はいはい、これはですね、うちの母ちゃんが漬けた梅を使ってるんですよ」

あー、やっぱり。グルメぶってこの店で飯を食っている客も、もはや本当の梅干しの味を知らないということか、と、暗澹たる気持ちになったのだった。まあでも、それが日本の食文化というものの現実である。

……さて。いわしの梅煮の話に戻ろう。ネットで探してもらうと、梅干しの直販をやっている農園などで、昔ながらの漬け方をしている「梅干」を見つけることは、まだ不可能ではない。目立たなくなってはいるけれど、原材料に「梅、食塩、赤紫蘇」位しか使っていない梅干しがきっとある筈だ。このような「梅干」を使っていただければ、梅煮はきっと美味しく作れると思う。

勿論僕も、そういう梅を探してストックしてある。普段こういう「梅干」を食べるのはちょっと……という方も、こういう「梅干」は本来の梅干しとしての長期保存が可能で、乾燥や高温多湿さえ避けてもらえれば、使う頻度が少なくても問題なく保存できるので、もし梅煮を作られるのであれば、事前に確保していただければ、きっと満足していただけると思う。逆に言うと、いわしの梅煮を美味しく作るのに気をつけるのは、これ位のことで十分なのだ……ああ、勿論いわしは鮮度の良いものがいいと思うけれど、それはスーパーとかで買われても、あまり問題ないと思うので。

人工甘味料に見る日本の食の貧困

以前にも書いたことがあるかもしれないが、僕は人工甘味料が嫌いである。特に、最近使われていることの多い、アセスルファムカリウムスクラロースの組み合わせが、何よりも嫌いである。甘味は一見控えめであるように見えて、食品が口から姿を消しても延々と続く。それは後味というものを、そして食後の口内の感覚を根底から破壊してしまう。僕にとっては許されざる大敵なのである。

最初のうちは、清涼飲料水等に入っている程度だった、と思う。しかし、この二つの甘味料は、どんどんその適用範囲を拡大していった。そして現在、その適用範囲には、そんなものまで?と思うようなものまで含まれている……まず、飴である。のど飴等の多くには、この甘味料が使われている。そしてアイス。果実系のジュースも例外ではない。バヤリースのジュース等にまで入っているのだ。

そして現在、この甘味料は、それが使われると我々が想像し得ないものにまで使われている。たとえば、先日発売されたウイルキンソンのジンジャーエールにも入っている。カルピス系のほとんどの商品にも入っている。現在市販されているほとんど全てのマッコリにも、この甘味料が使われている。先日 U が買ってきたノンオイルタイプのドレッシングにも入っていたし、某大手量販店で売られている梅干しの多くにも入っている。そして今日、ついにもずく酢にまで使われているのを発見してしまったのだ(後記:昨日買い物のときに改めて見てみたけれど、実は現在売られているもずく酢の中の結構な割合の商品が、この甘味料に手を出してしまっているようだ……)。もう、なんでもあり、の世界である。

では、何故、ここまで広範囲にこの甘味料が用いられるのか。おそらくその理由は、砂糖をケチるためである……え?と思われるかもしれないが、アセスルファムカリウムとスクラロースの組み合わせは、砂糖の数百倍の甘さを得ることができる。つまり、少量で強い甘味をつけることができるので、甘味料としてみた場合、砂糖を使うのよりもコストを低く抑えられるのである。しかも、「カロリーオフ」という宣伝文句をつけることもできる。

しかし、僕が一番恐怖を感じているのは、こういう状況が無批判に社会で受け入れられていることである。僕にとって、あれ程不自然に感じられるものを、どうして皆何とも思わずに飲み食いしていられるのか。舌が腐ってるんじゃないの?とか、頭にスでも入っているんじゃないの?と言いたい気分だけど、こういうことでどうのこうの言う僕は、おそらく現代社会で極めて少数派に属しているに違いない。

健康に配慮しているようでいて、実はコストカットの為に乱用されている甘味料に対して、これ程までに、羊のように唯唯諾諾と受け入れている日本の社会を思うに、これ程までにこの国の食が貧しくなってしまったのか、と、ただただ悲しい。こんな現状なのに、テレビをつけるとグルメ企画ばかり垂れ流されているのだから、もうお寒い限りである。こんな状況が続いてしまったら、日本人は正常な甘味の感覚を失ってしまう……いや、もう既に失ってしまっているのかもしれない。懐だけでなく、舌も頭も貧しいなんて、どうしてこの国はこうなってしまったんだろうか。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address

Counter

11657830