豆腐のイタリアン

こういう暑い日は、このサラダがお薦め。

豆腐のイタリアンサラダ

……まあ簡単な話、イタリアでモツァレラを使うところを豆腐で作るだけの話である。用意するのは、

  • 豆腐(男山豆腐店などの豆乳を濃い目に感ずるものが向いているが、普通の綿漉しでもいける)
  • トマト(長崎の西海トマトとか、茨城などで栽培されているイタリア種のものが向いている。個人的には、日本で最も多い「桃太郎」は好きではないので)
  • スイートバジル(贅沢に使える方がいい。僕は植木鉢とプランターで栽培している)
  • 塩(岩塩があるといいけれど、海塩でも何も問題なし)
  • 胡椒(黒をミルで挽いて贅沢に使いたい)
  • エキストラヴァージンのオリーブオイル(個人的にはスペイン産のものがお薦めだがイタリアのでも何も問題ない)

作り方は簡単で、

  • トマトをスライスして皿に盛る
  • その上にスプーンで掬った豆腐を盛る
  • 塩・胡椒をかける
  • 指で千切ったバジルを上からかける
  • 最後に上からエキストラヴァージンのオリーブオイルをかける
これだけ。要するに、モツァレラチーズとトマト・バジルのサラダを豆腐で作るだけのことである。

オリーブオイルを胡麻油にしたり、バジルの代わりにルッコラを使ってもいいだろう。夏には欠かせないメニューである。

tofu-tomato-mozallera.jpg

人口比1パーセント

統合失調症、というと、皆さんあまりいい顔をされることはないだろう。そういうものを、自らの耳目から遠ざけておきたい、というのが、ほとんどの方の態度だろうと思う。

しかし、統合失調症は決して珍しい病気ではない。統合失調症の罹患率は、人口比で1パーセントを少し切る位である。たとえば肺がんの場合、2006年の死亡者数が 63255人、罹患者数がこの 1.2〜1.3 倍だというから、多めに見積っても、罹患率の人口比は 0.06 % 程度だ。これを考えても、統合失調症というものが「ありふれた」病気であるということがお分かりいただけるのではないかと思う。

さて。実は U が、先月から早朝のミサに行くようになった。僕等の所属教会は朝の7時から早朝のミサを行っていて、聖職者(仏教における「朝の勤行」と同じだと思っていただければいいと思う)や会社に出かける前の人が与っている。この早朝ミサは、毎日のものなので淡々と(粛々と、と言うべきかもしれないが)行われるし、日曜の午前中のミサのときのような、教会の共同体内で自分の権益を示すような輩は来ないので、朝起きることさえ苦にならなければ、これはなかなか良いものである。

しかし、ひとつだけ困ったことがあって、この朝のミサに行くと、いわゆる「コわれた人々」との遭遇率が非常に高くなる。教会というところには、元々そういう人が集まりやすいところがあって、この地区の司教座教会で規模も大きなこの教会では、尚更そういう人々が来易いわけだ。勿論、そういう人々がただ来てミサに与る、それだけならば何も問題はない。こういう病気を患う人にしばしばみられる、不意に大声を出してしまったりするようなことがあっても、それ位で誰も迷惑がったりはしない。

しかし、そういう「コわれた人々」が問題なのは、信仰を持っていて教会に通っているとは限らない、ということである。教会が、彼らの独特な信念による奇妙な儀式の場としておあつらえむきだから、この教会に毎日姿を見せている……そういう人々が、残念ながら複数実在するのである。

これは僕も話に聞いたことがあるのだけど、信者の間で問題視されている、ある女性がいる。この女性は、毎朝、早朝のミサに与った後、しばらく聖堂に籠って独自の「儀式」を行っているらしいのだが、ローソクを持ち込んで、祭壇に勝手に置いて火を点けていたりするので、度々注意を受けているらしい。挙句の果てには、神父様が外出すると、それをクルマで追跡して、出先の教会や修道会でミサに与れないか、と出没するのだという。この女性は明らかに統合失調症で、教会の神父様がこの女性の親族に連絡を取ったらしいのだが、親族は「よろしくお願いします」と言うだけ、なのだそうだ。

で、U も御他聞に漏れず、この女性にからまれることがあるらしい。なんでも今日、U は祭壇の掃除当番で、早朝ミサの後に祭壇を電気掃除機で掃除しようとしたら、その女性が大声で、

「待て!」

「まだだ!」

と怒鳴るのだ、という。あーなんか怖いなー、と思いつつも、U は掃除を続けていたらしい。まああまり確率が高いわけではないにせよ、何せ相手はローソクと火種を持ち込んでいる。この上刃物でも持っていたら、とか、火で何かされたりしたら……と考えると、簡単に大丈夫だよとは言えない。

U はまた、告解室の前で頭を抱えて呻吟している人に出喰わしたりもしたらしい。告解室はおそらく普段は鍵を締めてあるとは思うのだが、もし開いていて、中に引きずり込まれたりしたら、と考えると、これも簡単に大丈夫だなどとは言えない話である。

僕はこの話を聞いて、もう一つ心配していることがある。このような「コわれた人々」、果たしてちゃんと、精神科で治療を受けているのであろうか? 統合失調症の本当に怖いのは、寛解の状態を維持するように努めずに放置された場合、患者の精神世界の荒廃が昂進し、その後治療しても回復し難いところである。もし、上述の「コわれた人々」の親族が、

「朝に教会で儀式をやってくれば家ではおとなしくしていてくれる」

などと納得し、そのまま彼らを放置しているのだとしたら、こんな無責任なことはない。彼・彼女の精神世界を壊しているのは、間違いなくこの親族達だということになるのだから。まあそんなわけで、色々心配な今日この頃なのである。

日和った民主党執行部

会期末前夜の迷走劇  四面楚歌の首相“軟化”

(東京新聞 2011年6月22日 朝刊)

菅直人首相の退陣時期と今国会の会期延長幅をめぐる二十一日の調整は迷走に迷走を重ねた。退陣時期の明示を嫌がる首相に対し、民主党執行部の説得工作は難航。同日夜になって、首相もやや柔軟姿勢を示し、八月中の退陣につながる可能性がある七十日間延長を容認したが、野党側が受け入れるかどうか。前代未聞の迷走劇の結末は結局、国会閉幕日の二十二日に持ち越した。 (政局取材班)

「世の中はままならぬものだ」。民主党の岡田克也幹事長は二十一日午後、首相が説得に耳を貸さないことに周辺にこう漏らした。

同日、岡田氏がまとめた案では延長は五十日間程度とし、成立させるのは公債発行特例法案と二〇一一年度第二次補正予算案に限定。わざわざ、第三次補正予算は新首相が編成することも加え、首相が八月には退陣することを事実上約束した形になっていた。

どちらかといえば、首相よりも早期退陣を求める野党側に配慮したといえる。岡田氏としては首相の意向よりも、国民生活に影響を及ぼしかねない公債発行特例法案の成立を確実にしたかった。

野党側は岡田氏の狙い通り、賛成する考えを示したが、首相は納得しなかった。首相の退陣時期を事実上明示するのは首相にしてみれば、岡田氏らによる「クーデター」に映る。

首相がこだわっている再生エネルギー特措法案の扱いを成立ではなく、「審議を促進する」にとどめたことも許せなかった。

首相は岡田氏に対し、公債発行特例法案の成立について「本当に成立の担保がとれるのか」とかみついたという。

首相の態度に党幹部は「もう、やるべきことはやった」と一時、あきらめ顔になった。

同党の平田健二参院幹事長は記者会見で「何が再生エネルギーだ。公債発行特例法案を早く通さないと予算執行もできないではないか」と首相を強く批判した。

党内が首相批判に傾く中、首相も同日夜になって変化した。岡田氏との同日夜の会談で首相は延長規模を七十日とした上で、再生エネルギー特措法案の扱いを「審議促進」ではなく、「早期の審議・採決に協力」と修正し、「新首相」の表現を「新体制」に弱めることで岡田氏の提案を受け入れた。

今後を考えれば、首相としても与野党合意による円満な形で延長したい。「四面楚歌(しめんそか)」の中、首相としては再生エネルギー特措法案成立の可能性をかろうじて残すことで折り合わざるを得なかった。

三次補正の表現を「新体制」に弱めさせたのは、可能性は薄いが、なおも自分が続投して関与できる細い糸をつなぐための首相の計算ともみられる。

問題は自民党など野党だ。自民党の石原伸晃幹事長は検討する考えを岡田氏に伝えたが、党内で協議した結果、少しでも首相の延命につながる道が残るのであれば、延長を拒否する可能性もある。

上引用記事で「新たな首相」という文言を「新たな体制」に改めた、とある。これはどうも菅直人が「新たな首相」という文言に対して抵抗したためだ、と言われているらしいのだが、これでは菅直人の粘り勝ちである。

こういうものは、決めるプロセスでゴチャゴチャした話になっても、後まで効力を発揮するのは、結局は決められた文言それ自身のみである。「新たな体制」とあるのをそのまま解釈するならば、それは「新たな首相」を意味するものではない。新たな内閣、つまり内閣改造を行いさえすれば、この文言に合致することになるのだ。これでは菅直人を辞めさせる上での効力を持ち得ない。

岡田幹事長は、最悪の場合は自らの辞任と引きかえに菅直人に辞任を迫るだろう、と言われているのだが、鳩山由紀夫のときに彼が小沢氏を道連れにしたのとは話が違う。おそらく岡田が辞めれば、菅直人はもっけの幸いとばかりに骨抜きになった新たな幹事長を据えて、自らの思うままに振る舞うだけのことである。

民主党執行部が本当に菅直人の辞任を実現したいのならば、上引用記事にあるような文言変更は「日和った」以外の何ものでもない。菅直人を本当に辞めさせたいならば、期日を切って承諾させ、それを国民に対して会見で、菅直人自らの声を以て表明させなければならない。密室でどれだけ口約束を交わしても、菅直人は平気で反故にするだろう。いい加減、皆、この菅直人という男を信用しないように努めなければならないのだ。

ゴルゴ待望論

昨日の『たかじんのそこまで言って委員会』を観ていて、原口前総務相にツッコミを入れたのは僕だけではあるまい。彼は、あの民主党代議士会で涙を浮かべて「若い人に道を譲る」発言をした菅直人が、あのとき辞任を口にしたものだと信じていた、と(どうやら原口氏は本気でそう思っているらしいから始末が悪いのだが)彼が口にしたとき「あれで信じたんかい!」と、思わず呟いてしまった。

拙 blog『混迷』で、僕はこう書いたのだった:

まあ、可能性として一番ありそうなのが、恥知らずの必殺技「馬鹿になる」だろうか。自分は馬鹿だから分からない……と言ってしまえば、全ての追及に知らんぷりすることができるというわけだ。いやはや、これから日本はそういう首相に翻弄されることになるのだ。もうこの国の未来は暗い。日本は既に沈みつつあるのだろう。
どうです?僕の書いた通りになったでしょう?

まあ、恥知らずというのは最強だ。民主党執行部は、菅直人が辞意を明示しない場合は自分達が辞任して菅直人に引導を渡す、と言っているらしいけれど、おあいにくさま。アンタら辞めたら、ウルサいのいなくなったじゃーん、と喜んで、執行部に寺田学みたいな若手の子飼いを並べて、自分はがっつり居座って、ますます政治は混迷の一途になるだけのことだ。菅直人に矜持とか美学とかを暗に求めても、そんなこたぁ無駄なんだよ。

ではどうしたらいいのか。はなはだ不謹慎な話ではあるが、僕の周りでは、ゴルゴ13がいたらなあ……という話をする人が非常に多い。僕の周囲だけかと思っていたら、何週か前の『そこまで……』で勝谷氏が同じことを言い出したので、思わず笑ってしまったけれど。いや、国会議員で議員在任中に殺されたのって、たしか戦後になってからは、山村新治郎と浅沼稲次郎……あと石井紘基か。だから、もしそういうことになったら4人目ということになるんだろうけれど、いやはや、それ位しか手がない、というのが現状なのだ。

なんでも、菅直人周辺では、郵政選挙に倣って、「自然エネルギー選挙」を仕掛けるために解散したらいいんじゃないか、という話が出ているらしい。この東日本大震災後の、選挙など無理に決まっているような自治体が複数あるような状況で、そんな話をしていられる連中に、我々は政権を託してしまっているのだ。この現状は、一刻も早く、どうにかして打開されなければならぬ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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