「今日で世界が終わる」って?

山形浩生氏の web ページを見ていたら、興味深い記述をみつけた。今日、つまり2011年5月21日(って、もうすぐ日付も代わるのだが)に、世界が滅亡するというのだ。

これに関して興味がおありの方は、google で "May 21 Judgement day" で検索していただけるとよろしい。おそらく検索すると一番最初に出てくるのはこの URL だろう:
http://judgementday2011.com/may-21-judgement-day/
この URL を見ると、"Judgement Day is May 21, 2011 The Rapture is Coming !" と書かれている、あーはいはい、rapture ね、と思われる方は……おそらく日本人ではそう多くないかもしれないが、rapture というのは日本語で「携挙」と言われるものである。

携挙というのは何か、と言われると、僕としては少々困ってしまう。これはキリスト教の言葉ではあるのだが、カトリックで用いられることのない言葉だからだ。「携挙」とはプロテスタント、特に終末思想を強く主張する福音派の人々や、いわゆる fundamentalism(聖書根本主義)を信奉する人々が主張する概念である。ざっくりした話は、上にリンクしておいた Wikipedia のエントリーにコンパクトに書かれているけれど、この世の終わりが来たときに、人が天に上げられることをこう呼んでいて、この言葉を使う人々は、以下の聖書の記述が実現されることだ、としている。

主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

―― 1 テサロニケ 4:15 - 18

この 1 テサロニケ、つまり『テサロニケの信徒への手紙 一』というのは、パウロが最初期のキリスト教宣教において遺したと言われている文書で、おそらくこの記述は、共観福音書で「終末の徴」と書かれる箇所(マタ 24:3 - 14, マコ 13:3 - 13, ルカ 21:7 - 19)を反映したものだと思われる。

ではなぜ僕達カトリックが携挙を重要視しないのか、というと、『テサロニケの信徒への手紙 一』で述べられている主の再臨というのが、この書簡を読んでいる人達の存命中に起きることを意図して書かれているからである。当時、キリスト教というのは迫害の対象で、特にパウロの生きていた頃はローマ皇帝があの悪名高きネロだった頃だから、キリスト教徒は一種のスケープゴートとして、たとえばローマの大火の後に虐殺されたりしていた。当時の人々にとって、苦難の時期とは、彼らが生きているその時代そのものだったし、彼らの生きているうちにそこからの救済が齎されることが、彼らの心の支えだったのである。

しかし、プロテスタントはそんなことは考えない。彼らの信仰の根本にあるのは "sola scriptura"、つまり「聖書のみ(に依る)」、という姿勢だから、聖書にそう書いてあったら、今の自分達に神から齎された真理だ、と考える(いや、皆が皆そうだと言うわけでもないんですが)。だから「携挙」なんて話になるわけだ。

これが、現代の人々、特にアメリカのプロテスタントにどれ位リアリティのある話なのか、おそらく日本の普通の方々には分からないと思う。アメリカで、この「携挙」に与れずに「取り残された」人々の姿を描いた『レフトビハインド』(Left Behind)という本が、全米でなんと650万部以上を売り上げるベストセラーとなり、映画化もされ、シリーズは現在第12弾が発売中、という状態であることは、この国で暮していると耳目に触れることはまずない。映画の方は、一応『人間消失』という題名で日本でも DVD 等が販売されているのだが、まあ日本人には受けないだろうし、実際受けていない。

しかし、この blog でも何度か触れている通り、アメリカ人の大体3割程度が福音派のプロテスタントであり、程度の差こそあれ、このような世界観を現実のものとして信じている。こう書いても信じてもらえないかもしれないが、これは厳然たる事実である。

今回の 5/21 世界滅亡説に関しては、さすがにアメリカ国内でも「何だかなぁ」という感じで受け止められているようだが、とにかくこういう話は今回が初めてではない。かつて、1970年にハル・リンゼイが発表した "The Late, Great Planet Earth" という本が、同じように熱狂的に受容されたという経緯もあるし、今後も同じような話は散発するだろう。そのときには是非注意して、頭に留めておいていただきたいのだ。信じ難いかもしれないが、彼らは、そして多くのアメリカ人は、実は結構本気なのだということを。

スクープの奇妙な中身

昨夜は午後10時過ぎに帰宅して、その後食事をしながら『NEWS23 X』を点けたら、TBS のスクープがトップに流れた。

1号機海水注入、官邸指示で中断

困難な作業が続く1号機。その1号機をめぐり震災の翌日、隠された事実があったことがJNNの取材で明らかになりました。

「先ほど午後8時20分から、現地では1号機に海水を注入するという、ある意味、異例ではありますけれども、そういった措置がスタートしています」(菅首相、3月12日)

3月12日。水素爆発を起こしたばかりの1号機の原子炉を冷やすべく、午後8時20分から海水の注入が始まった・・・、とこれまで言われてきました。しかし、実はそれより1時間以上早い午後7時4分に海水注入が開始されていたことが、東電が今週公開した資料に明記されています。これは、真水が底をついたため、東電が海水注入に踏み切ったものです。

政府関係者らの話によりますと、東電が海水注入の開始を総理官邸に報告したところ、官邸側は「事前の相談がなかった」と東電の対応を批判。その上で、海水注入を直ちに中止するよう東電に指示し、その結果、午後7時25分、海水注入が中止されました。

そして、その40分後の午後8時5分に官邸側から海水注入を再開するよう再度連絡があり、午後8時20分に注入が再開されたといいます。結果、およそ1時間にわたり水の注入が中断されたことになります。

「(注水)停止の理由、経緯については現在、確認している段階」(東京電力の会見)

1号機についてはメルトダウンを起こし、燃料がほぼすべて溶け落ちた状態であることが明らかになっています。海水を注入すると、含まれる塩分などの影響で原子炉が損傷するなどのリスクもありますが、専門家は「事故の初期段階においては、核燃料を冷やし続けるべきだった」と指摘。

「(Q.真水が尽きれば速やかに海水注入すべき?)原理的にまさにそういうこと。とにかく水を切らさないというのが主な方策。淡水(真水)がなくなれば、海水を入れるというのが自然の流れ。(Q.中断より注入を続けた方が良かった?)そうだと思いますね」(東京大学総合研究機構長・寺井隆幸教授)

なぜ、官邸は東電からの報告を受けた後、注入を中止するよう指示したのでしょうか。JNNでは政府の原子力災害対策本部に対し文書で質問しましたが、対策本部の広報担当者は「中止の指示について確認ができず、わからない」と口頭で回答しています。

原発を所管する海江田経済産業大臣は20日夜・・・。

「まだ私はそれを承知していません。(Q.事実ではないということ?)今、突然聞いたお話ですから、どういうことをおっしゃっているかよく分かりませんから、確認したいと思う」(海江田万里 経産相)

(20日23:37)

これは前にも書いたことだけれど、原子炉の冷却喪失が発生した場合、とにかく唯一にして最大の対策は炉を冷やすことだ。冷やす手段は水しかない。だからとにかく、水を突っ込むしかないのである。それを止めるなぞ、これは気違い沙汰だとしか言い様がない。

しかし、昨夜は二つの理由から、この件に blog で言及することをやめていた。ひとつは、僕が疲れていたから。もうひとつは、「何故注水を止めさせたのか」という、その彼らなりの論拠がつまびらかになっていないからだった。で、一晩が経って、時事通信社から出てきたニュースがこれである。

海水注入が一時中断=再臨界懸念し菅首相指示−福島1号機

東京電力福島第1原発事故をめぐり、発生直後の3月12日に東電が1号機で開始した海水注入に対し、政府が「再臨界の可能性がある」として一時停止を指示し、1時間程度海水の注入が中断していたことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。海水注入の中断で、被害が拡大した可能性もある。

1号機では、3月12日午後3時半すぎ、水素爆発が発生。東電の公開資料によると、東電は同日午後7時4分から海水注入を開始した。一方、首相官邸での対応協議の席上、原子力安全委員会の班目春樹委員長が再臨界が起きる可能性を菅直人首相に進言。これを受けて首相が中断を指示し、午後7時25分に海水注入を停止した。

その後、問題がないと分かったため、午後8時20分に海水とホウ酸の注入を開始したが、55分の間、冷却がストップした。

東電は1号機に関し、3月12日の午前6時50分ごろ、メルトダウン(全炉心溶融)が起きていたとしている。(2011/05/21-01:33)

上引用記事の下線は Thomas による。これを読むと、「班目春樹委員長が再臨界が起きる可能性を菅直人首相に進言」とあるが、一般論を言うと、水を喪失した原子炉に注水すると、再臨界が起きる可能性があるのは事実で、それは水が中性子を減速するために、核分裂に寄与する低速中性子の密度が高まるからである。

しかし、

  1. 原子炉の運転は緊急停止し、炉内には制御棒が押し込まれた状態になっている。
  2. この時点では、対外的には未だ炉内の燃料棒が健全だとみなされていた時間帯である。
という前提があるわけで、それを考えると、再臨界の危険を主張することも、それを受けて注水を停止させることも、論理的にその行動の説明がつかない。つまり、上に提示した前提のいずれかが崩れている、と官邸か原子力安全委員会、あるいはその双方が認識していた、と考えるのが妥当であろう。

上記 1. は、これはすぐに確認できたはず(制御室に電話なり専用回線なりで聞けば済む話だ……東電は電力供給網の管理のために自前の通信システムを持っているんだし)だし、原子炉の仕様上、制御棒は挿入されていると考えるのが妥当だろう。となると、官邸や原子力安全委員会が「崩れている」と考えていた前提は 2. だ、ということになる。2. が崩れている状態というのは、これは炉心が完全に崩れ落ちているような状態ということである。部分的に燃料棒の破損があったとしても、その形状の健全性がある程度維持されているならば、制御棒挿入で再臨界は防げるはずなのだ。つまり、これらから何が言えるのかというと、この時点で官邸や原子力安全委員会は、炉心の完全な崩壊が起きている可能性を考慮していた、ということである。

先にも書いたように、冷却喪失の事態が発生した場合、とにかくできることは冷やすことしかないのである。必要なら、後々非常に面倒なことになるとしても海水を注入することが必要である。注入する水が淡水か海水か、ということは、再臨界が起きやすいか起きにくいか、ということとは全く何も関係しない(前に書いたように海水の溶存元素の放射化という問題はあるけれど、溶存元素の放射化は、低速中性子の空間密度上昇には何ら寄与しない)。注水を中止したということは、その水が海水か淡水か、ということではなく、注水によって更に酷い状況になる、と考えていなければそうなり得ないはずなのだ。そのような判断に至る理由としては、上に書いた「炉心の完全な崩壊が起きている可能性を考慮していた」ということしか、あり得ないのである。

だから、もしこれが本当だとしたら、事故発生から極めて早い段階で、官邸と原子力安全委員会は、炉心が崩壊していたことを把握していたことになる。それを、連中は、つい何日か前まで、全く知らないような顔をしていた、そういうことになるのである。

SKKIME――使ってみる――

そんなわけで、SKKIME の使い方を書いておくことにする。

まず、どんな人が SKKIME を使うとより恩恵を受けるか、というのを書いておくけれど、まず、結構な量の日本語をコンピュータ上で書く人だろう(僕はこれだ)。特に、漢字の送り仮名に関して自分の感覚を持っていて、IME 任せにすることに強い抵抗感のある人(僕はこれでもある)にはお薦めしたい。

次に、フリーの IME を使いたい人。特に 64 bit native の IME を使いたい人には、SKKIME はお薦めである。ちなみに現在、Microsoft Windows 上で使用できるフリーの IME は、概ね以下の通りであろう。

最初の Social IME は、慶應の理工で修士の院生が開発したものなのだそうだが、IPA のバックアップを受けて、2009年から公開されているらしい。いわゆるクラウド型で、変換辞書はユーザが皆で共有するかたちになっている。実は、これの開発においては SKKIME も参考資料の一部となっているらしいが、使い方は従来通りの、形態素解析を任せるかたちの変換である。また、今のところは 32bit binary しか公開されていないようだ。

「Google 日本語入力」は、ここを読まれている方で実際に使われている方が多いのではなかろうか。これも Google のリソースを利用したもので、クラウド型と言えないこともない。これは 32 bit、64 bit 双方の binary が公開されている。また、開発成果は open に公開されていて、Mozc: http://code.google.com/p/mozc/ で入手できるし、Debian GNU/Linux などでは既にパッケージが公開されているようだ。

Baidu IME は、2009年末に Windows Vista / 7 向けの公開が始まり、今年3月には 64bit binary の公開も始まっている。個人的には、これの使用を薦める気もないし、自分が使う気もない。これ以上言及する必要も感じない。

そして SKKIME だが、まず上記リンク先を見てみよう:
SKKIME-top.jpg
このページには、更新情報と各 binary に関する必要情報しか掲載されていないので、最初は面喰らうかもしれないが、まずはこのページの下方を見てみると、こういう箇所がある:
SKKIME-v1.5dl.jpg
ここで、現時点での最新の binary を公開している。最新の日付の、個々のシステムに合致した binary をダウンロードする。僕の場合は Vista 64bit の binary をダウンロードすればいいわけだ。

binary は targzip で圧縮されている。Windows 上で展開するためには、たとえば Lhaz:
http://www.chitora.jp/lhaz.html
のようなソフトを使えばよろしい。展開したフォルダ内にある .msi ファイルでインストールを行えば、システムのインストールは完了である。先に書いた Microsoft C++ の再頒布可能パッケージに関しては、現行最新の binary では static link されているはずなので、もう特に何も考える必要はないと思うが、万が一何かトラブルがある場合は、ここが疑うべき箇所のひとつである。

設定を行う前に、辞書ファイルを用意しておく。SKK の辞書ファイルはテキスト形式で、最新のものは SKK Openlab から辿れる:
http://openlab.ring.gr.jp/skk/dic/
にある。色々ファイルが並んでいるけれど、必要なのは SKK-JISYO.L.unannotated.gz である。もともと SKK の辞書内には、annotation と呼ばれる項目語の注釈が入っているのだが、SKKIME は基本的にはこの annotation に対応していない。よって、annotation を除去した辞書ファイルを取る必要がある。この gzip 圧縮ファイルを解凍すると、SKK-JISYO.L.unannotated というファイルが生成されるので、これをどこかに置く。置き場所はユーザーフォルダ内に、たとえば dic というフォルダを作って入れるなどすればいいのだが、僕の場合は C:\usr\share\dic に置いている。あまり変な path でなければ問題は生じないと思う。

さて、インストールが終了した後、画面右下の IME のアイコン(もしくは IME パッドのアイコン)をクリックすると、
SKKIME-select.jpg
(順位は逆になっていると思うけれど)のように SKKIME を選択できるようになっているはずである。

IME のアイコンを右クリックして:
SKKIME-select2.jpg
「設定」を選択すると、このようなパネルが出る。
SKKIME-config01.jpg
このパネルの上のフィールドで default の IME を設定できる。また、下のフィールドで IME の優先順位を設定できる。ここでは双方共、SKKIME を優先するような設定になっている。

設定は、下のフィールドで SKKIME を選択した状態で、「プロパティ」を押す。
SKKIME-config02.jpg
ここで必ずチェックしなければならないのは、この「辞書設定」のタブの中身である。注意することとしては、

  • ユーザ辞書の path が実在しない path になっていないかどうか確認すること
  • 「ソート済みファイル辞書」として、先にダウンロード・格納した SKK-JISYO.L.unannotated を指定する。
  • 下のフィールドでの各辞書の優先順位を確認する(ユーザ辞書を上位にしておくこと)。

……と、こんな感じで設定していただいて、あとは SKK 方式に慣れていただければ、快適な日本語入力環境を使っていただけることと思う。

SKKIME――割り切った日本語変換システム――

僕は、日本語入力システム (IME) として、SKKIMEを使っている。これは UNIX 系の環境下で、この十数年間ずっと SKK を使ってきたから、というのもあるのだけど、世間で「いや、実はずっと SKK を使っていまして」と言うと、まるでガラパゴス島で進化に乗り遅れた生物でも観るかのような視線を向けられるのが、もうどうにも厭になってきている。だからといって、SKK を使わない生活など僕には考えられないわけで、そういう「自分達は進化の王道を行く存在だ」という故なき(暴力的な)確信に対して、ここで改めて物申そうと思うわけだ。

世間で最もユーザの多いパソコン用 OS というのは、おそらく Microsoft Windows だろうと思う。これは別に Windows が優れているからではなく、まるで辞書に載っているような de facto standard の一例であるに過ぎない。僕の場合も、普段は Linux 上でほとんどの作業をしているけれど、Steinberg Cubase を使うときには、Microsoft Windows 上で作業をしている。このソフトは音楽制作に使われる、いわゆる DAW だけど、僕の場合は何から何まで自分一人でしているので、このソフトを立ち上げながら詞を書いたりする場合もある。それに、世間のほとんどの方が体験されたことがあると思うけれど、Windows 上でないとできない作業を(当然のことのように)要求されるときというのがあって、10年位前は、仮想環境上で Windows NT 4 を動かしていたのだけど、今は音楽制作用に使っているデュアルブートの Windows 環境上で、そういうことをしているわけだ。こういう風にパソコンを使われる方が、おそらく世間でもかなりの割合を占めているのではないかと思う。

そういう方々は、日本語入力をどのように行っているのだろうか。おそらくは Microsoft IME を使っていたり、Google 日本語入力を使っていたり、あるいは ATOK を使っていたりするのだろうと思う。まあ皆さん、日本人として日本語を書く上ではどなたも一家言あって、それに準拠したかたちで日本語入力システムを選択されているのだろうと思う。

僕が初めてコンピュータ上で日本語を書くようになったのは大学に入ってからだけど、あの頃、日本語変換システムというのは無料で入手することがほぼ不可能だった。当時は、何やら怪しげな手段で入手した ATOK 6 を日本語入力に使用していたように記憶している。あの頃の貧乏大学生は、ベントラベントラ……と唱えると、どこからともなく5インチフロッピーディスクが現れて、その中には VZ Editor と ATOK 6 、それに Ngraph が入っていて、これで学生実験のレポートを書いたりしていたのだった。当然、ハードは NEC PC98 である。

この頃、懸賞論文に応募したり、毎週行われる学生実験のレポートを書いたり、と、とにかく日本語を大量に書く日常だった。しかし、しばらくの間、僕はパーカーの万年筆と原稿用紙でその作業を行っていた。ひもじい思いをして買ったパソコンがあるにも関わらず、である。それは、パソコンで日本語を書くことに対する拭い難い違和感があったからだ。

たとえば、僕は「あらわれる」を「現れる」、「あらわす」を「表す」と書く。しかし、パソコンの日本語変換では「現われる」「表わす」という変換候補が必ず出てくる。世間では、それらは一応誤記ではないということになっているけれど、僕の使う日本語において、それらの送り仮名はありえないものである。

また、「むかい」というのは「向かい」と書くことも「向い」と書くこともある。電話で「そちらへむかいます」などと言うときは「向かい」を使うし、「むかいの家の○○さんが」と言うときには「向い」を使う。これも、世間では混同されることがままあるのだけれど、僕の日本語のローカル・ルールでは、これらは使い分けられなければならない。しかし、パソコンの日本語変換では、このような表現の機微を反映した変換はなされなかった(最近の ATOK を使う機会がないので今どうなのかは知らないけれど)。

この問題に関して、国ではちゃんと内閣告示を出している:『送り仮名の付け方 内閣告示第二号』というのがそれなのだけど、これを見ると、

許容 次の語は,( )の中に示すように,活用語尾の前の音節から送ることができる。
表す(表わす) 著す(著わす) 現れる(現われる) 行う(行なう) 断る(断わる) 賜る(賜わる)
ここにも書かれているけれど、「表わす」のような書き方は、動詞の活用語尾の前から仮名で表記している。ここに僕は強い違和感を感ずるので、「表す」と書くわけだけど、「表わす」でも間違いではない。だから、ジャストシステムがおかしなシステムを作っていた、というわけでは、決してない。

しかし、だ。言葉というのは、自我にある意味直結したものなわけで、それを表出するときに、こういう違和感を感じるのは、これは些細なようでいて、実は非常に大きなストレスを生む。だからこそ、僕は大学の2、3年まで、レポートは紙に万年筆で書いていた。自分の字が綺麗ではない、というコンプレックスを抱えていたにもかかわらず、だ。

大学の学部生活も後半になってくると、さすがに電子化を避けて通ることができず、僕はぶつぶつ言いながら VZ Editor と ATOK 6 で日本語を書くようになった。しかし、UNIX 系 OS の上で仕事に関わる作業をするようになったとき、このストレスが頂点に達した。当時、UNIX 系 OS においては、サーバー・クライアント型の日本語変換エンジンである Canna(現在はフリーウェア化されて canna.sorceforge.jp で公開されている)が使われていたのだけど、この Canna の日本語変換が僕にはしっくりこなかった。大学3年から使い出した NeXT には……たしか VJE-γ だったと思うけれど、商用の日本語入力システムが入っていたけれど、これもどうもしっくりこないし、その上に重かった。

その頃、僕は GNU Emacs を使うようになっていたのだけど、Emacs 上で動く日本語変換システムに SKK というのがある、という話は聞いていた。しかし、周囲に使っている人がおらず、また当時の日本語入力環境を劇的に変える勇気もなかったので、手を出せずにいた。しかし、周囲に SKK 関連の開発に従事している人物がたまたまいて、彼の影響でようやく SKK に手を出したわけだ。これから説明する問題に関して、SKK の示したソリューションは実に秀逸なものだったので、今に至るまで僕は SKK を使い続けている。

日本語変換というのは、実はかなり複雑な作業をしている。既存の日本語入力システム(以下 IME と称す)の場合、多くの人はローマ字で、日本語の文字列を入力するわけだが、まずローマ字を平仮名の文字列に変換し、その文字列に対して「どこが漢字でどこが仮名か」というのを解析する。このような処理を形態素解析と言うのだが、たとえば、

私はカモメ、とテレシコワは言った。
という文章を例にして考えてみよう。最初に "watashiha" と入力すると、IME は "watashi" まで仮名で変換したところで、これが「私」という辞書項目に一致することを見出す。すると、"watashi" の後にくるのは送り仮名である可能性が高いので、"watashiha" →「私は」と変換しかけて、これでいいですか、と確認を取る。オーケーなら次に進むわけだが、ひょっとすると入力者は、
私歯が痛いんです、とテレシコワは言った。
と入力したいのかもしれない。そういうときは、変換範囲をユーザに調節してもらって、「わたし」までで漢字に変換し、「は」も改めてユーザの選択で「歯」に変換してもらう。このように、どこからどこまでが漢字で、どの部分が送り仮名なのか、ということを、文章を「分ち書き(わかちがき)」してはっきりさせて、漢字に変換したり、しなかったりする、というのが、IME のやっていることなのである。

実は、この形態素解析というのはかなり難しい。具体的には、言葉を辞書で置き換え、その間をつなぐ送り仮名を日本語の文法に沿って推測する、ということをするわけだけど、日本語の文法というのは決して一意的なものではない。先の文科省の文書などを見ても、ある単語の「漢字 + 送り仮名」の組み合わせにいくつかのバリエーションを認めているのである。たとえば google 日本語入力は、検索データベースを巨大な辞書とみなして、このバリエーションの数をカウントし、使われている数(実際にはこれに加えて、google が発展したキーでもある、情報の確かさという概念が加わるのだろうが)の多い順に候補を表示する、ということを行っている。しかし、そのような膨大な日本語の言い回しのバリエーションのデータベースというものはもともと存在していなかったので、このような形態素解析をどう行うか、が、日本語入力のキーテクノロジーだったわけだ。

このような形態素解析の問題が、僕が先に書いた「違和感」の正体に他ならない。最初のうちはユーザ辞書を一所懸命鍛えるわけだけど、使い方によって分ち書きのパターンが変わるような言葉では、ユーザ辞書を鍛えるだけではどうにもならない。だから僕は、エディタで日本語を書くたびにイライライライラさせられていたわけだ。

では SKK はどうしているのか。これは極めて明解な方針に則っている。SKK は、形態素解析を行わないのだ。SKK は、文字列の入力時に、入力者が分ち書きをする。だから、その部分で IME の判断ミスによってイライラさせられることがないのだ。

たとえば、先の例で SKK を使用する場合、どのように入力するかを示す。まず、「私」を表す文字列の先頭を、そこが変換対象であることを示すために shift キーを用いて "Watashi" と入力する。W を入力したとき、文字列の「わ」の前には変換始点を示す"▽"がつき「▽わたし」のように表示される。ここまで入力したところでスペースキーを押すと、「わたし」に対応する変換対象が出てくる。「私」が最初に出てこないときは、スペースキーを連打して選択する。

ここで、既存の IME では「変換確定」の操作を行う必要があるわけだが、SKK は、特殊な場合を除いて、わざわざこの「変換確定」操作を行う必要がない。変換対象を選択して「私」が出てきたら、そのまま後の「は」を "ha" と入力することで「私」は確定される。万が一、明示的に確定したいような場合が出てきたら、CTRL-j を入力すると確定される。

そして「カモメ」だが、q キーを押すと平仮名/片仮名の切り替えができるので、"qkamomeq" と入力すれば「カモメ」と入力される。既存の IME っぽく変換したいなら、変換対象にしておいてから後で q キーで片仮名に変換することもできる。その場合には ""Kamomeq" と入力すれば良い。つまり、先の例を入力するためには、

Watashi (space) haqkamomeq、toqtereshikowaqhaITta (space)。
もしくは、
Watashi (space) haKamomeq、toTereshikowaqhaITta (space)。
と入力すればいい。後の例ならば、たとえば、
Watashi (space) Ha (space) gaItaI (space) ndesu、toTereshikowaqhaITta (space)。
と入力すればいい。

このように、変換対象を入力者が明示的にシステムに対して示すため、SKK の行う仕事は、入力モード(平仮名、片仮名、英字、全角英字)の切り替えとローマ字変換、そして指定された単語に対する辞書検索、という、非常にシンプルなものになる。だから SKK のシステムは、現在のかなり肥大化したアーカイブにおいてもせいぜい 3M バイト程度のファイルで構成できてしまうし、辞書は、変換対象文字列と変換後の文字列の羅列に限りなく近いテキストファイルで用が足り、ユーザ辞書にユーザがよく使う変換パターンが蓄積されると、変換でスペースキーを押す頻度はかなり少なくなる。こんな調子で、何から何までいいことづくめなのである。あえて欠点を挙げるならば、シフトキーを多用するので、左手の小指が疲れること位である。

もともとの SKK は Emacs 上で動かすことだけを考えて作られていて、Emacs が持っている Lisp インタープリタで動作するように Lisp で書かれている。しかし、UNIX 系の IME (XIM) として使えるように、skkinput というソフトが阪本祟氏によって開発され、一時期はかなりこれが流行っていた。現在は SCIMuimiBus などに、SKK の入力メソッドが実装されているので、これを使えば比較的簡単に SKK 方式での入力を行うことができる。

で……実は、先の阪本祟氏は、Windows 用の SKK を制作・公開されている。これが問題の SKKIME である。実は僕は、これを使いたいのに使えない、という状態が何年も続いていた。Microsoft Visual C++ のランタイムコンポーネントの不整合によるもののようだったのだが、阪本氏が指定されている再頒布可能パッケージを入れても、変換に妙に時間がかかったり、ローマ字変換がうまくいかない、等の問題に悩まされていた。

ところが、先日、OS の入れ替えをしたら、この問題があっさり解消されてしまったのである。僕以外にもこの問題に悩まされていた人がいたのかどうかは知らないが、阪本氏がランタイムコンポーネントを static link してくれたおかげらしい。これで、自分も何の問題もなく使えるし、他人にも大手を振って薦めることができる、というものだ。ということで、次回以降、SKKIME を Windows 上で利用する方法を示していこうと思う。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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