復活(?)

どうにかこうにか復活か、という感じである。

HDD が巨大(と言ってもこの時代では並かそれ以下なのだけど)になったので、手持ちの Windows Vista 64 bit も問題なく入るかなあ……と思っていたら、甘かった。sp2 のパッチが当てられないのだ。どうして?と思って調べたら、KB972036 を適用してあると、sp2 をインストールできない、というではないか!勝手に update で入れてきやがる癖して、どういうことよ?などと怒ってもどうしようもない。それは Microsoft だからです、で皆納得してしまうんだからなあ。

Linux の方もちょっと難儀だった。最新の NetInst image でインストールができないのだ。しかし「名刺サイズの CD image」だと何故かインストールできるんだから、もう何が何だか……という感じである。

で、細々したものを揃えていたら、skkinput のパッケージが消えてなくなっている。wheezy のを入れようとしたら、これもパッケージがない。仕方がないので squeeze のを入れたのだけど、これぁいずれは自家用のパッケージを作るしかないのだろうか。やれやれ。

で、この時間、疲れ果てて Emacs を build しようとしたら Emacs Lisp のエラーで make が中断する……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!やっとれん!

いつかは来ると思っていたが……

ついにこの日がきた。HDD がお亡くなりになったようなのだ。

久しぶりに WIndows を起動しようとしたら、どうやっても起動できない。Linux から mount して中を見ることはできるのだが……ということで、最小限の必要なファイルのバックアップを外部ストレージにとって、該当パーティションをフォーマットして、WIndows の DVD からインストールを試みる……が……ライトできない?何?……あー、できなくなってますね、確かに。

shannon に載せてあるのは 80 GB の SATA HDD だ。あー、これは交換した方がいいだろう、ということで、amazon で調べると…… Western Digital Scorpio Blue 2.5inch 5400rpm 500GB 8MB SATA WD5000BEVT が \4380。これを買いますか……ということで、明日配達されるとのこと。

今日日、SSD にしないなんて……とか言われそうなのでフォローしておくと、UNIX 系の OS の場合は、SSD へのロギングで寿命を著しく縮めてしまう恐れがあるということと、SSD なんかに金を使うゆとりがあるんだったら shannon 自体を update する方が先だ、というのが、今回 HDD にした理由である。しかし、500 GB ねえ……

小女子を食す

春が近付くと、愛知県では地魚が色々と売られるようになる。なるのだが、どうもこの辺の人達は地魚を美味しく食べる術を知らないらしい。こういうものを工夫して食べられない人達の文化程度なんて知れたものだ、と毒を吐きたくもなるけれど、知っている人はちゃんと知っているようなので、この辺の人達はそういうことの差が激しい、ということのようだ。

今位の時期だと、小女子(こうなご)がトレイに入ったものが売られているのだが、僕が外に用事があった帰り、午後10時過ぎにスーパーを覗くと、決まって小女子の売れ残ったのが処分価格で売られている。昨日も、200 グラム程ありそうなトレイがひとつで78円で売られていたので、二つ購入して冷凍しておいた。

で、昼食にこれをいただくことにする。小女子は、形の大きいものは、鰯のように手開きにして生姜醤油で食べると美味だけど、ちょっと小振りで、世間では佃煮にしてしまうような大きさのものは、実は柳川にすると美味である。まずは手持ちの牛蒡を笹がきにしておく。

小女子は半解凍の状態にして、フライパンに湯を沸かし、塩を入れたところにこの小女子を入れる。無理して解そうとすると身が崩れるので、そうっと混ぜてから、一煮立ちさせたところで湯を切り、笊に上げておく。さっと洗ったフライパンに、濃い目の鰹出汁を1カップ半張り、酒大匙4、砂糖大匙2、味醂大匙1、醤油大匙2、生姜一かけの擦りおろしを加えて煮立てたところに小女子を入れる。出汁が沸騰したところで牛蒡の笹がきをたっぷり入れて、3分程煮てから卵で閉じる。これだけである。

本物の柳川で言うところの「まる」である。鰓蓋や目がやや口に触るのが気になるという方は、大ぶりの小女子を買って手開きにしたもので作れば上品に仕上がるだろうけれど、やはり腸を含めて食べる方が味はよろしい。78円と牛蒡と調味料、それに卵だけでご馳走の出来上がりである。知らない奴ぁ食えないからねえ、と苦笑いしながらいただくのであった。

久々にアイラを

僕は普段は家に酒を置かない主義だ。というのも、仕事に就いて間もなくのことだけど、いつも置かない家に置こうと買ってきたラガヴーリンを3日で空にしてしまって、あーこれは家に置いてはいけないんだな、と思ったことがあるからだ。

とは言え、このところのこのバタバタした状況でも、僕はアイラモルトが飲みたくて飲みたくてたまらない。いよいよ我慢できなくなったので、吉田屋に向かった。

吉田屋というのは、名古屋市の日本酒・ウイスキー愛好者と飲食業者の方々なら皆(?)知ってる有名な店である。前は基幹バスの通り沿いにあって至極便利だったのだけど、そこから歩いて十分少しのところにあるオートバックスの対面に引っ越して、もう結構な時間が経った。今日は基幹バスの停留所から久々に通りを歩いて、この吉田屋に入ったのだった。

そもそも吉田屋は、個人客がメインの店ではない。ただ、非常に良心的な価格で、手に入れるのが面倒なものまで含めて、モルトウイスキーを種類・量共に豊富に置いている。モルト以外にもスピリッツ全般、リキュール、そしてシェリーも品揃えが豊富で、ちなみにトムジン(甘味をつけたジン)でよく知られている、黄色ラベルに黒猫の描かれている Arctica Distillers の Old Tom Gin(最近は Hayman だろう、とか何とかグダグダ言う奴がいそうだけどねえ)は、この吉田屋が輸入代理店である。

モルトの棚に向かうと……あー、これ、まだ安定供給されてるんだなあ。SIGNATORY VINTAGE ISLAY の 40 % のとカスクのとが安価に売られている。これの中身はラガヴーリンの5年もので、一説には、Signatory が蒸溜所の従業員向けに出している、なんて話があるのだけど、これは若い暴れんぼうのアイラを飲みたい人にはお薦めなんだろう。ただ、落ち着いて飲む酒なのか、というと、まあそういう感じではないかもしれない。ということで、ボウモア12年(もうサントリーが蒸溜施設を元に戻してからの時期のもの中心でヴァットされているだろうから、味は一時の化粧品香が抜けてアイラらしくなっているんじゃないだろうか)とラフロイグ10年(43°, 750 ml)でちょっと悩んで、結局ラフロイグを購入した。

ラフロイグは僕にとって思い出の酒である。北新地の某バーに初めて行ったとき、ラフロイグのソーダ割りを頼んだら、

「お客さん、アイラがお好きなんですか?」

と話しかけられたのだった。そのちょっと前に、スコットランド人と一緒に仕事をしていたことがあって、彼にアイラのことを色々聞いてから、ラガヴーリンやラフロイグを飲んでいるんですよ、と話したら、あーそれでしたらちょっと……と、カウンターの下で何やらごそごそやって、スキットルをちょっと大きくしたような瓶を取り出してきたのだった。

「このラフロイグ、ご存知ですか?」

こういうとき、知らないものは素直に知らないと腹を割った方が幸せになれるものだ。素直に知らない、と僕が言うと、いや、これはですね、30年位前にボトリングされた30年もののラフロイグなんです、と言うのだ。

「え?ウイスキーって、たしか樽の熟成年数で、しかもヴァットした中で一番若い酒の年数を名乗るんですよね」

「ええ、ですからこれは、最低でも60年以上前のものです、この当時はフロアモルティングのシステムが今と違うので、現行の30年ものとももう大分違うんですよ。折角ですから、現行のと一緒に味をみて下さい」

え?いや、それはお高いのでは……と言うと、店主は「これは今日お目にかかったご挨拶ですから、サービスですよ」と言い、ショットグラスを二つ、僕の前に置いてくれたのだった。

そのバーテンダーは、実はアイラモルト親善大使のM氏で、僕はそれからこのM氏にはとにかく本当にお世話になった。今も僕が酒や飲食に関して意地汚なくなったりスノッブを気取ったりせずに、スマートに楽しめているのは、このときの出会いがあってこそなのである。そしてこの後も、人生の嬉しいとき、悲しいとき、絶望に打ち拉がれたとき……僕に生きる力を分けてくれたのは、このアイラのピートと、その背後に漂う野の花のような馥郁たる香りなのである。だから今も、僕はラフロイグを飲むと、自分が命の水 uisge beatha を飲むこととその意味に、思いを馳せるのである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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