韓国・延坪島砲撃事件の周辺

韓国北西部の軍事境界線の近くにある延坪島に、昨日午後2時過ぎに、北朝鮮が砲弾を数十発打ち込んできた。

延坪島(ヨンピョンド、연평도)は大延坪島(テヨンピョンド、대연평도)と小延坪島(ソヨンピョンド、소연평도)の2島で構成されるが、今回砲撃を受けたのは大延坪島の方である。まずはこの島の衛星写真をご覧いただきたい。

大きな地図で見る
少し拡大していただけるとお分かりかと思うけれど、この島は南東を向いた海岸線の中央部に固まるように居住地区が集中していて、それ以外は山のような地形に木が生い茂っているような状態になっている。北西に向けた海岸線にも開けた部分があるけれど、これはおそらく軍事施設だと思われる。

この島は、北朝鮮の海岸線から十数 km 離れている。この距離は、北朝鮮が保有するカノン砲や榴弾砲(報道で「迫撃砲」と書かれているものを散見するが、これは間違い……参考)の口径から考えると、攻撃するのに問題のない距離である。標的に砲弾を命中させるための弾道計算の技術は、第二次世界対戦時に既に完成しているので、北朝鮮軍の砲撃であっても、今回の延坪島攻撃において、島内のどの区域を攻撃するか、きっちり狙った上で撃ってきているのは明白である。つまり、今回の砲撃において、北朝鮮軍ははっきりと民間人居住区域を砲撃しているのである。

では何故、北朝鮮軍はこのようなことをしたのか。北朝鮮側の発表においては、韓国(北朝鮮は国家としての韓国や韓国政府を「傀儡」と称するのだが)の軍事的挑発に対抗するものだ、ということになっている。実際にそういうことがあったのか、というと……

韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLLより南側で砲撃を行った。

(2010/11/23 21:08 KST 聯合ニュース 引用元記事

つまり、延坪島の近くで射撃訓練を行っていて、撃つ方向は西南方向 = 北朝鮮と反対の方向であった、ということである。この区域での射撃訓練はそう珍しいものではなく、23日に北朝鮮から訓練中止の申し入れがあった際も、韓国側はあまり深刻に考えていなかったらしい。ということは、これ以外に何かしらの理由があったということになる。

ここで一つ気になるのが、このニュースである:

核問題:米軍の戦術核兵器、韓国再配備も 金泰栄国防長官が国会で答弁

金泰栄(キム・テヨン)国防長官は22日、北朝鮮がウラン濃縮施設を公開したことへの対策として、1991年に韓半島(朝鮮半島)から撤去された米軍の戦術核兵器を再配備する問題と関連し、「核抑止のための(韓米)委員会を通じて協議を行いながら、その部分(再配備)も検討してみたい」と答弁した。

金長官はこの日、国会予算決算特別委員会の総合政策質疑に出席し、「一部で言及されている、米軍戦術核兵器の再配備を考慮する考えはあるか」という李鍾赫(イ・ジョンヒョク)議員(ハンナラ党)からの質問に対し、このように答えた。

国防長官が米軍戦術核兵器の韓半島再配備について公の場で語るのは、極めて異例のこと。

金長官の答弁に対し批判の声が上がると、国防部は「原則として、北朝鮮の核の脅威に対し、取り得るすべての対応策を検討するという趣旨で発言したこと。米軍戦術核兵器の配備は、現在まで考慮したことはなく、韓米間で具体的な協議がなされたこともない」と釈明した。

韓国軍消息筋は、米軍の軍事戦略が変化し、海外に配備している戦術核兵器はすべて本土に引き揚げ、相当数が廃棄されたことから、韓半島に戦術核兵器を再び配備するとしても、地上ではなく、原子力潜水艦やイージス艦などに核弾頭型のトマホーク巡航ミサイルを搭載し、韓半島近海に配備する形になる可能性が大きいと説明した。

(2010/11/23 10:01:59 朝鮮日報日本語版 ユ・ヨンウォン記者)

このニュースの背景には、勿論このニュースがある:

核問題:北朝鮮がウラン濃縮施設を公開 米国に対し「2000台以上の遠心分離器がある」と説明 ウラン弾なら年間1個の割合で製造可能

実験用軽水炉建設現場の公開に続き、北朝鮮は高濃縮ウラン(HEU)による核開発に必要な遠心分離器1000台以上を突然公開した。

今月初めに北朝鮮は、同国を訪問した米国の原子力技術専門家でスタンフォード大学国際安保協力センター所長を務めるヘッカー教授に対し、1000台以上の遠心分離器が設置された巨大なウラン濃縮施設を公開した。これは、米紙ニューヨーク・タイムズが21日付で報じた。

問題の遠心分離器は、天然ウランの中にわずか0.7 % しか含まれていないウラン235の割合を、90 % 以上にまで濃縮する際に使われるものだ。ヘッカー教授は、この装置1000台以上が北朝鮮で計画的に設置されているのを目にして、「非常に驚いた」という。2009年4月に米朝関係が悪化したことにより、米国と国際原子力機関(IAEA)の関係者が最後に北朝鮮から撤収する際、この施設の存在は知られていなかった。ヘッカー教授はこの遠心分離器について、「非常に現代的な統制室で制御されていた」とコメントしている。ニューヨーク・タイムズによると、現地を案内した北朝鮮政府の関係者はヘッカー教授に対し、「2000台以上の遠心分離器がすでに設置され、今も稼働している」と説明したという。

核開発の専門家によると、1個のウラン爆弾(濃縮ウラン20キロ基準)を製造するには、2000台以上の遠心分離器が必要だという。

かつて米国のロスアラモス核研究所の所長などを務めたヘッカー教授は、北朝鮮から米国に帰国した直後、これらの事実をホワイトハウスに報告した。ヘッカー教授は、米国に帰国する直前の今月13日に北京に立ち寄っているが、そこで行われた会見の際にも、「北朝鮮は平安北道寧辺に軽水炉1基を建設中」という事実を明らかにしている。

核兵器の製造に必要な遠心分離器の存在を北朝鮮が認めたことに対し、米国は直ちに対応に乗り出した。オバマ政権は20日、スティーブン・ボズワース対北朝鮮政策特別代表の率いる代表団を韓国、日本、中国に急きょ派遣した。

ボズワース代表は21日にソウルで韓国政府の当局者らと協議を行い、22日に東京、23日には北京を訪問する予定だ。北朝鮮は2回の核実験を行ったことにより、国連安全保障理事会決議第1718号、1874号によってすでに制裁を受けているが、これについて米国は、「北朝鮮はこれらの決議に明らかに違反しているだけでなく、高濃縮ウランによる核開発を強行するとの意向も明らかにした」と見なし、国連レベルでの対応策も同時に模索している。

(2010/11/22 09:19:02 朝鮮日報日本語版 李河遠(イ・ハウォン)記者)

つまり、北朝鮮がウラン濃縮を行い、ウラン型原爆を保有しようとしているのではないか、という疑いが生じて、それに対抗するかたちで、韓国政府はアメリカの核を韓国国内に設置することも辞さない、という意思を表明した。それに対して北朝鮮が今回の砲撃を以て応えたのではないか、というのが、今回の要因として考えられるもののひとつということになる。

世間では、アメリカや韓国からの援助欲しさに今回の事件を起こしたのではないか、という識者の意見が出ているけれど、これは全くの的外れである。その理由は以下の記事を読めば明らかである:

[社説]感動の再会、そしてコメと核

金剛山(クムガンサン)離散家族再会所は、60年ぶりに会った家族への込み上げてくる思いで「涙の海」になった。北朝鮮側の最高齢者で元韓国軍のリ・ジョンリョル氏(90)は、韓国に住む息子、ミングァン氏(61)と抱き合って、「ミングァン、ミングァン」と呼んだ。赤ん坊の時に韓国軍に入隊した父親と別れた息子は、「亡くなったと思って、今まで法事をしてきました」と泣いた。

3日間、北朝鮮側の再会申請者97人に会う韓国側の家族436人は、短い喜びを終え、再び長い離別と苦痛を味わうことだろう。今月3日から、金剛山で、北朝鮮側家族207人に会う韓国側の再会申請者96人も然りだ。再会を希望する人は8万人以上で、申請者の77%が70代以上の高齢だ。いつまでこのようにゆっくり会わなければならないのか。

最近、南北赤十字会談で、韓国側は、南北100家族の再会月例化、再会離散家族の再度の再会、毎月5000人の生死住所の確認を提案した。北朝鮮側は、1年に3、4回、100人規模の離散家族の再会を提案し、前提条件としてコメ50万トンと肥料30万トンの支援、金剛山観光の再開を求めた。離散家族の思いを晴すのではなく、大規模な物資や金品支援を求める露骨な下心だ。

金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は、毎年30万〜40万トンのコメと20万〜30万トンの肥料を北朝鮮に支援した。金正日(キム・ジョンイル)政権は、支援されたコメで、特権層のお腹を満たし、軍用米に転用したと、脱北者は証言している。北朝鮮は、軍事力の増強に拍車をかけ、2度の核実験を行い、12年までに核開発を完了するとして「強盛大国」云々する。

大韓赤十字社は今年9月、コメ5000トンやセメント1万トン、カップラーメン300万個、医薬品など、100億ウォン分の水害救援物資を北朝鮮側に送った。対北朝鮮ラジオメディアの「開かれた北朝鮮放送」は、北朝鮮が最近、韓国から支援されたコメなどを「白頭山(ペクトゥサン)先軍青年発電所」に供給し、金正恩(キム・ジョンウン)氏を称える宣伝手段に活用していると報じた。韓国が送ったコメや金が、軍人を食べさせ、金正日総書記の3代世襲を強固にし、核兵器の開発に使われているにもかかわらず、一部野党と左派勢力は、大規模なコメ支援と金剛山観光の無条件再開を要求している。

(11/01/2010 08:39 東亞日報日本語版)

この南北赤十字会談、実は今月25日にも行われる予定だった。もし北朝鮮が援助を求めているのならば、この機会を自らふいにするようなことは考えにくい。中国が秘密裏にこれに匹敵するような援助を行う、というようなことでもあれば話は別だろうけれど、これ程の大規模な援助を秘密裏に行う理由が見当たらないし、目下そのような情報は流れていない。つまり、物質的な面において、今回の砲撃は北朝鮮にとって何ら得にならないということになる。

ということは、先に挙げた米軍の核に関する発言が原因なのか、あるいは北朝鮮国内における国威発揚の目的で行われたのか、いずれかということになるだろう。後者に関しては二つの説があって、ひとつは、金正恩が軍事の天才であるという「伝説」の裏書きとして行われたのではないか、という説、もうひとつは、北朝鮮軍内部での世代交代と、それに伴うフラストレーションの問題を解消するために、軍部の新しい若手の指導者が半ば独走するかたちで今回の砲撃を行ったのではないか、というものである。後者は李英和・関西大学教授が主張しているものだけど、現在の状態で軍が独走できるかどうかは、ちょっと怪しいところである(李教授は、金正日が認知症を患っているという説を主張しているので、もしそれが当たっていたらこういうことがあっても不思議ではないけれど、それだったら北朝鮮はもっと混乱していてもいいような気がするのだが)。

いずれにしても、我々にとっても隣国の問題でもあり、この問題に関してはちゃんと知るべきことを知っておく必要がある。それに、実は今回の事件で一番喜んでいるのはおそらく管内閣で、昨今の体たらくを、ここでイニシアチブを示すことで払拭できると思っているふしがある。そういう妙なリンケージにごまかされないためにも、知るべきことはちゃんと知っておこうではないか。

It's Too Late

柳田稔氏が、とうとう法相を辞任する意向を明らかにした。したのだが、今回の辞意表明は、明らかに遅過ぎた。せめて日曜のうちであったなら、もう少し違ったムードになっていたに違いない。

まず、問題となった発言の要旨を聞き書きしたものを以下に示す:

私はこの20年近い間、実は法務関係っていうのは1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので、多くの皆さんから激励と心配をいただいた。ちなみに法相はほとんどテレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った。

法相と(いう)のはいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておきゃいいんですから。えー、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と。これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりましたけど、実際の話、しゃべれない。で、あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」。この2つなんです。まあ何回使ったことか。使うたびに野党からは攻められる。「政治家としての答えじゃないじゃないか」とさんざん怒られている。

ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です。「法を守って私は答弁しています」と言ったら「そんな答弁はけしからん。政治家だからもっとしゃべれ」と言われる。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない。

これを読む限り、二番目の傍線部「分からなかったら」これを言う……というのは、「その内容を open にしていいのかどうか分からなかったら」というニュアンスを込めたかったのだろう、ということがうかがえる。法務関連に関わる内容は法務大臣として喋れないことがある、というニュアンスを強調するために、三番目と四番目の傍線部でダメをおしている。それは確かなのだけど、それならまず、「法務関連の内容は、それが喋れるかどうかということに関して、高度な司法的判断が求められる場合があるので、軽々に喋ることができないのだ」とちゃんと前置きしなければ伝わらない。つまり、上聞き書き文の四番目の長い傍線部は、最初に言わなければならない内容なのである。人前で喋ることは政治家の商売のひとつなのだから、これ位できないようでは資質がないと言われても仕方がないであろう。

これよりもむしろ問題なのは、おそらく上の最初の傍線部「テレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った」の方であろう。国務大臣を拝命する立場として、いくら何でもこれはない。あまりにお粗末としか言い様がない。

そして、この後に柳田氏は更にダメをおしてしまった。

柳田法相、刑事局長に「踏み込んだ答弁」検討指示 批判かわす狙いか

柳田稔法相は21日、法務省で西川克行刑事局長に、法相が「踏み込んだ国会答弁」をできないか検討を指示したと記者団に語った。国会答弁を軽視するような発言で野党から辞任を求められている問題で、批判をかわす狙いとみられる。

法相は西川局長に「踏み込んだ答弁ができないかどうか、(訴訟書類の公判前の公開を禁じる)刑事訴訟法47条の制約もあるが検討してほしい」と指示したという。公明党の山口那津男代表はソウル市内で記者団に「開き直りともとれる言動を繰り返すことこそ信頼を損なう」と批判した。

(2010/11/21 20:29 日本経済新聞)

こんなことを発言したら、まるで、テンプレート然とした答弁は用意する官僚のせいだ、と言わんばかりではないか。百害あって一利もないこのような悪足掻き発言を、する方もする方だし、容認する周囲も周囲である。

この状態をさらに焦げつかせたのが、輿石東参院議員(民主党参議院議員会長)の振舞いである。

問責決議案の可決前か可決直後に柳田氏を更迭する方針を伝えることで、野党側にはひとまず矛を収めてもらい、補正予算案の採決に応じてもらいたい…。

首相官邸サイドや党幹部らはそんなシナリオを描いている。

柳田氏のあまりの評判の悪さに、民主党内でも「柳田さんはなぜ辞めないんだ」(若手)と不満は高まるばかりだ。

それでも輿石東参院議員会長は19日、「誰が辞めるんだ」と参院枠で入閣した柳田氏を擁護した。

(2010.11.20 01:40 MSN 産経ニュース 元記事リンク

輿石東参院議員は、小沢一郎氏に近いことで知られ、青木元参院議員の後継者とも言われる参院のボスである。この輿石氏だけでなく、民主党で内閣に参画している人全般に言えることだけど、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようではないか。

今回のこの「遅過ぎる」辞任の結果はどうなるのか。これは単純な話で、野党は問責による追及を、馬渕国交大臣、仙石官房長官(兼法務大臣)、そして管総理大臣にスライドさせて展開するだけの話である。要するに、追及への踏石がひとつ減って、そしてひとつ前に進んだだけの話なのだ。しかし、どうも管総理大臣や仙石官房長官はそういうことに思い至っていないようだ。しかしなあ……連中は、頭にオガクズでも詰めてるんじゃないのか?こんなことも分からないわけ?

で、批判する方にもこんな論がある:

【法相辞任】コラムニスト・勝谷誠彦氏「こんな人物に拉致を担当させたなんて…」 仙谷氏兼務には「国民を愚弄」 「首相は辞めろ」

コラムニストの勝谷誠彦氏は「民主党がこんな人物に拉致問題を担当させたことに、国民はもっと怒るべき。後任に仙石氏を据えるのは国民を愚弄(ぐろう)している」と痛烈に批判し、失言後早急に罷免すべきだったと主張した。

「国会答弁が2つで足りるなど、どれだけ真剣味がないのか、腹が立ってしようがない。改造内閣では小沢一郎氏の側近を好き嫌いではずすなど、内ゲバみたいなことをしており、真面目に組閣をしていたとは考えられない。最も問題だったのは、柳田法相のような人物に拉致問題を担当させていたことだ。2つしか話さない奴がどれだけ真剣にやっていたのか。この点について国民はもっと怒るべきだ。菅直人首相の任命責任は大いにある。柳田法相の後任に仙谷由人官房長官を兼務させるとはどういうことか。国民を愚弄している。極左の人間を検察のトップに立てるなど狂気の沙汰(さた)だ。民主党の限界の表れで、人材がいないのだから菅首相にはもうやめなさいと言いたい」

(2010.11.22 12:33 MSN 産経ニュース)

このご時世に、右・左で論調をカテゴライズしようという時点で既に思考停止してんじゃないの?と思うわけだけど、追及すべきは仙石氏の左右の別ではない。先にも書いた通り、
現政権に関わっている人々が、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようであること。そして実際に、そのように行動していること。権力維持を国家運営に優先していること。
これこそが問題なわけでしょう。彼らが独善的かつ権威主義的な権力を誠実な国家運営に優先して希求しているところこそ、我々が矛を向けるべき先なんじゃないのかね。頭冷やして、柳田氏の発言の問題点を読み返そうとか考えてないとしか、僕には思えないんだけどなあ。保守の立場で民主党政権の問題を批判するのならば、加地伸行氏が『正論』に書いた論文:

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101122/stt1011220345002-n1.htm

のような視点で語られるべきだろう。感情に任せた戯言の前に、ね。

ちなみに、僕自身は保守を志向しているわけではないので、上リンク先の加地氏の文章に対して少々私見を書き添えておこうと思う。まず、加地氏が現在の状況をどのように捉えているかというと、

当時、新左翼は本気で、かつ無邪気に暴力革命によって政権を手に入れようとした。だから、敵対者となる警察や自衛隊を、彼らにとって「国家の暴力装置」と位置付けたのは当然であった。

しかし、もし自分たちが社会主義革命に成功して政権を得たとしたならば、今度は立場を替えて、警察・自衛隊を自分たちを守る暴力装置として使い、政権を批判する自由な発言を許さず、弾圧するわけである。その前例こそ、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東政権であった。

(中略)

そもそも民主党は民主主義を誤解している。欧米の思想である民主主義は、自立した個人を前提にした〈民が主〉人ということだ。民は、それを選挙という方法によって表現する。

しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。そのため、投票という手段だけがクローズアップされる。個人主義という前提は問わず、形式・手段だけが目的化され、投票数の多さを競うのみとなる。故田中角栄氏やその流れの小沢一郎氏らがその典型だ。

だから、選挙が終わると、民はお払い箱となり、単なる愚昧(ぐまい)な存在としか見なさない。民主党がそれであり、民が民主党を批判することなどもっての外で許さない。新左翼も、もし政権を握っていれば、そうなっていたであろう。つまり、〈民が主〉人ではなく、己れが〈民の主〉人と化す。これが、左翼的民主党の民主主義理解であり、大誤解なのである。

……社会主義と(individualism の欠如した国である)日本における形式的な民主主義の相似性、そして社会主義国家でしばしば起こった恐怖政治と現在の民主党政権の政治との相似性を示したこのロジックは、保守でない僕から見ても現状をクリアに表わしていると思う。しかし、だ。現在の民主党政権は、そんな高級なことなど考えていないと思う。そもそも民主党政権それ自体が「単なる愚昧(ぐまい)な存在」に成り下がっているわけで、しかもその理由は実に単純で、彼らに philosophy がない、という、ただただそれだけなのだろうと思う。

丁度、ガリ勉をして世間で一流と評価される大学に入った受験生の中に、そのプロセスで「その大学に入ること」が、人生における手段から目的にすりかわってしまう人がいることに、これはよく似ている。政権与党となるために散々四苦八苦する中で初志を忘れ、世の実情に目を向けることを忘れ、さあ何をしようか、というところで、実は政権獲得で内的な目的を達成してしまって、後は、それを堅持することだけに執着する醜い連中だけがそこに残った。実に単純な、そう、実に単純な話なのである。

Miracle Patch ?

ここしばらくは、Linux の環境で2種類の kernel を準備する習慣になっている。安定版と最新版、ということで、前者は現時点では kernel-2.6.36。後者は現時点では kernel-2.6.37-rc2 なのだけど、この kernel-2.6.37-rc2、どうも DRM 関連に起因するらしき問題があって、僕の環境では X が起動しない。いわゆる snapshot(Git で管理されている開発版)ではこの問題が解消されているので、通常はあまり使わない snapshot 版を使用することにして、現時点では kernel-2.6.37-rc2-git7 を使用している。

最近の、たとえば Ubuntu しか触ったことがない、とかいう人々にとってはあまり一般的ではないのかもしれないけれど、なにせ slackware 以前から Linux を使用しているので、kernel は自分で make するもの、というのが染み付いてしまっていて、だから、こうやって何か書きものをしながら傍らで make している、というような状態になっていることが多い。昔は一晩がかりだった kernel の make も、今や1時間もかからずにできてしまうので、これで何の問題もないわけだ。

snapshot 版を使う都合上、kernel の開発に関する情報にも目を通すようになってきたのだが、最近面白い情報を発見した。まずはこれをご覧いただきたい:

http://lkml.org/lkml/2010/10/19/123

tty ごとにタスクグループを自動的に生成することで、どうやら体感速度を向上できるというか、一種の最適化がなされるようにしよう、ということらしい。これには Linus も:

http://lkml.org/lkml/2010/11/14/222

にあるように、こんな短い(最初のリンク先の patch はわずか 233行しかない)patch で有効な結果が得られたことを驚き喜んでいるようだ。kernel-2.6.38 には merge されるという話なので、今後が楽しみである。

【追記】kernel-2.6.37-rc3 がめでたく release されたので、今現在はそちらに移行している。

音名と階名の違い

U は、毎月一回行われる日曜の夕方の日本語ミサで使う聖歌の譜面にローマ字をふるボランティアをしている。これがひどい話で、その日本語ミサのときに、来ている日本人が誰も歌を歌わず、それを見るに見かねたフィリピン人の信徒達が、

「私達が歌うよ」
「でも日本語読めないから、ローマ字を譜面の下に書いてくれるとうれしいんだけど」

という話になったのだという。そもそも、カトリックのミサにおいては、歌というものは欠かせないもので、あれだけガン首揃えていて日本人が皆歌わない、というのは実にふざけた話だとしか言いようがないと思うのだけど、そう言って腹を立てている僕を前に U は、

「そんなこと言ったって、歌わないものはしようがないでしょう。私は、歌ってくれるって言う人のためにできることをするから」

と言い、月に一度(他の週の日曜の夕方は、タガログ語や英語でミサが行われている)の日本語ミサが近付いてくると、典礼聖歌集をスキャンしてローマ字でルビをふる作業を黙々とやっている。U に付き合ってその日本語ミサに出るときは、僕はわざと大声で歌うようにしているのだけど(本当に、あれだけガン首揃えて何をやってるんだ、あいつらは)、グレゴリオ聖歌の例を挙げるまでもなく、カトリックの典礼において歌というものは重要な意味があるので、こういうことをちゃんとやろう、というのには、僕も少しは助力しなければならぬ。

で、U がその譜面を準備しているときに、ふと僕にこう聞いたのだった。

「あのさあ、これの主旋律って歌うとどうなるんだろう?」

その譜面の一部を以下に示す:
典礼聖歌集266番

「あー……えーと、フラットが二つだから、ドレドシラシラソー、だな」

と、これを聞いて U が混乱を示したのである。

「え?ド?なんで?」
「え。『なんで?』って、なんで?」

あーそーか。U は子供の頃エレクトーンを習ってたんだったな。ひょっとして……

「……ひょっとして、最初の音がシじゃないの、とか言いたいわけ?」
「そうそう」
「いや、そうじゃないんだよ。これはフラットが二つだから、えーと、長調で言うと変ロ長調だろう?」
「うん」
「だったら B♭がドだよ」
「え?ドはドなんじゃないの?」

あ゛〜、やっぱりそうか。

「あのさあ、音名と階名は違うんだよ。分からんか?」
「え?だって、そんなの習ってないもの」

いや、別に U が怠慢なわけではない。おそらく U は本当に習っていないのだ。

音楽に関する情報交換をする上で、ある音を示すときには、実は二つある情報のどちらを、あるいは両方を示さなければならないのかを知らなくてはならない。たとえば、先の譜面の一番最初の音は、鍵盤で言うと:
keyboard-null
なわけだけど、「この音は何?」と聞かれたら、僕の場合は「B♭(ビーフラット)」と答えるだろう。これは英語圏の言い方で、クラシックの教育を受けた人だったら、ドイツ式で「B(ベー)」と言うだろうし、日本式で言うなら「変ロ」ということになるだろう。逆に、「その『B♭』っていうのは何?」と聞かれたら、「それは音名だ」と答えるだろう。そう、これが音名である。

しかし、
典礼聖歌集266番
を示されて、この旋律はどんなの?と聞かれたときが問題になるのである。おそらくクラシックの教育、もしくはそれに類する鍵盤楽器の教育を受けた人だと、

「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」

と答える人が、少なからず存在するだろう。これから説明を書くけれど、おそらくこれは、聴音などで音名を取らせるのに、難しいことを教えるのを避けて、音名と階名を混同して教育した結果なのである。

そもそも、さっきから僕は「音名」「階名」と書いているけれど、それって何なの?という話になると思うので、僕が理解している範疇で説明しておく。まず、「音名」というのは、これは音の名前である。調が何か、ということには依存しない。いついかなるときにも、
keyboard-Bb
は「B♭(ビーフラット)」もしくは「B(ベー)」、「変ロ」である。平均律であれば、これは「A♯(エーシャープ)」もしくは「Ais(アイス)」、「嬰イ」に等しい。

これに対して、階名というのは、その旋律を支配する音階の中のどの位置にその音が存在しているのか、ということを示す。たとえば先の:
典礼聖歌集266番
の場合、譜面の頭、B と E の場所にフラットがついていて、これはこの旋律の調が長音階で言うと変ロ長調(英語なら B flat major、ドイツ語なら B-dur)であることを示している。だからこの旋律の乗る音階の主音(ドの音)は変ロ = B♭である。つまり、

変ロ長調の階名と音名
階名 ファ
音名 B♭ C D E♭ F G A

ということになる。「いやこれぁ短調だ」とか(頑なに)言う人があるいはおられるかもしれないけれど、変ロ長調がト短調(英語なら G minor、ドイツ語なら G-moll)になっても、階名には何の変わりもない。いずれにしても、上表の対応関係に、先の譜面の音符をあてはめると、その階名は「ドレドシラシラソ」となるわけだ。

ではなぜ U は「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」と答えたのか。実は僕は U 以外にもこういう階名の読み方をする人に何人か会ったことがあるのだけど、おそらくは、幼少の折に聴音などの教育を受けたときに、指導者が、上に書いたような音名と階名の違いを子供に教える煩雑さを嫌って、「音名 = ハ長調・イ短調の階名」として教えてしまった結果だと思う。

もう少し正確に書くと、「音名 = ハ長調・イ短調の階名」という前提で、たとえば「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」と歌うのを「音名唱(固定ド唱)」、その調の階名で、たとえば「ドレドシラシラソ」と歌うのを「階名唱(移動ド唱)」という。ある程度の歳になるまで音楽教育を受けた人は、当然こういった(楽典に書かれているような)ことは知識として知っていて、本当はその調性に合わせて階名唱を行うべきだ、というのを分かっているはずなのだけど、こういうのを「三つ子の魂百まで」と言うのだろうか。

先日、ピアニスト・女優の松下奈緒氏がテレビに出ているのをたまたま観る機会があって、そのときに、対談相手がグラスを叩いたり、救急車のサイレンを聞かせたりして音名を答えさせていたのだが、松下氏は、「これはソのシャープですね」「これはミですね」と答えていた。まあ普通の人にも分かるように、ということなのかもしれないけれど、あるいは松下氏も、音名をさっと言うときに、U のような言い方をするのかもしれない。勿論、僕がここに書いたようなことは知っている、その上での話なのだけど。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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