着メロにはご注意を

皆さんは、ケータイの着メロというのをどのようにされているのだろうか。僕の場合は、自分の曲や他人の曲で気に入っているものを、自分でフォーマット変換して使うことが多いのだけど、今回は、それも善し悪しですよ、という話。

もともと、僕はずっと山下達郎の "SPARKLE" という曲を着メロに使っていた。どういう感じかというと……:

山下達郎 "SPARKLE" 着メロ(イメージ)

……こんな感じである。実際にはモノラルで、しかももう少しキツい圧縮がかかるので、それを前提としたデジタル信号処理をしてから着メロ化するのだけど、まあ同じ感じだと思っていただいてかまわないと思う。

この "SPARKLE" のイントロは、山下達郎が自ら演奏するカッティングソロで始まるのだが、これはとにかく着メロとしての聞き落としはゼロに近い。そういう意味では非常に有用なのだけど、いかんせん派手というか、人前でいきなりこれが鳴ると非常に目立つわけで、他に何かいいものはないか、ずっと探していたことがある。

静かな曲で印象的なイントロのもの……というと、やはり僕の好きな四人囃子の『レディ・ヴァイオレッタ』という曲がある。僕はこのインストゥルメンタル・ナンバーが昔から好きだったのだけど、色々考えた挙句、とうとうこれを着メロにしてしまった:

四人囃子『レディ・ヴァイオレッタ』着メロ(イメージ)

うんうん、なかなかいい感じだなあ……と、思っていたのだ、最初は。そう、最初は。

誤解しないでいただきたいのだけど、僕は今でもこの『レディ・ヴァイオレッタ』が好きだし、実際にいい曲だと思っている。しかし、だ。静かな曲で印象的なイントロ、というのは、実は「どきっ」とさせられるイントロなのだ、ということを、あまり深く考えていなかったのだ。

ちょっとした都合で、電話がかかってくるのを辛抱強く待たなければならないことが何度かあったのだけど、静かな部屋で、気を紛らわせるように書きものなどしているときに、このイントロが流れると……どきっ、とする。そう、どきっ、とするのだ。最初のうちはそれでよかった。しかし、それが何度も繰り返されると、このイントロで受ける「精神的衝撃」の度合いが、どんどん上がってくるのである。しまいには、このイントロが鳴ると、心臓をわし掴みにされたような心持ちになってくる。気がつくと、もうすっかり、このイントロを避けている自分がそこに居たのである。

こんな風に、好きな曲のイントロを「聞きたくない」ものにしてしまう、という危険性が、着メロの選択においては存在することを、僕は声を大に主張しておきたいのである。いや、本当、このイントロを聞く度に、今も僕の胸はギュン、と締め付けられるのである。おかげで現在、僕のケータイの着メロは「電話のベルの音」(こちらの方が「精神的衝撃」は小さいのだった)に設定されているのだ……

武道、スポーツ、そしてそれ以下

曲がりなりにも、子供の頃から武道と呼ばれるものをやってきた身として、今の「スポーツ」としての柔道には、どうにも疑問を感じてしまう。たとえば、剣道では「残心」というものを非常に重んじる。相手に対して一本取ったときも、そこで気を抜いたり他にやったりすることなく、何が起きても即応できる状態を維持し、備えておくこと、これが残心なのだけど、たとえば一本取ったとして、そこで諸手を上げてガッツポーズなどしたら、即刻主審はその一本を取り消してしまうだろう。そこに残心がなかったからだ。

この残心という概念は剣道だけのものではない。弓道や相撲、柔道でも、この残心というのは必ず聞くはずの言葉である。もし聞いたことがないという方がおられるならば、不幸なことだけど、それは指導者に著しく問題があったと言わざるを得まい。残心というのは、日本の武道に共通した、技術というよりはむしろ思想・スピリットに関わる重要な概念なのだ。

さて。今、中国でアジア大会というのをやっている。ここでも柔道の試合が数々行われていたわけだけど、このような国際競技としての柔道を見ていて痛感するのが、残心のなさである。一本の声がかかるやいなやガッツポーズをする選手の方が、今や多いのではなかろうか。このことから言わざるをえないのは、今の柔道が武道ではなくて、スポーツの一つに成り下がったということだ。まあ、国際化というものと引き換えにそれを失ったのが、講道館柔道というもののひとつの選択であるのならば、僕がどうのこうの言う問題ではないのかもしれない。しかし、技術や身体を鍛えておいて、それを御する精神性を養わない、というのは、これはどう見ても歪な代物だと言わざるをえない。柔道をやっている知人も何人かいるので、こういうことを書くのは本当に心苦しいのだけど、残念ながらそう書かざるをえないのだ。

ところが、最近の国際競技としての柔道は、そのスポーツよりも更に劣る代物になってしまったらしい。それは日本のせいではなく、勝つことを、そして強者として振る舞うことを他の全てに対して優先するような連中のせいである。

まずは、以下の URL を御参照いただきたい:

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/other/101115/oth1011151202024-p1.htm

女子柔道の上野順恵選手である。今回のアジア大会で金メダルを勝ち取ったのだが、左目の下に内出血を起こし、目が開かない程に腫れ上がっている。通常、柔道でこのように目が腫れるということはないはずなのだけど、実際このように腫れているというのは、あるべからざる何事かがあったということである。

上野選手は、準決勝で北朝鮮のキム・スギョン(김수경)と対戦したのだが:

表彰台の中央で、ひと際目立ったのは青黒く腫れた左目。準決勝のキム・スギョン(北朝鮮)戦で、開始早々に相手のこぶしをまともに受けた。組み手争いのアクシデントか思いきや、「5、6発殴られた」という。

主審は相手の反則を取るどころか、うずくまる上野に試合続行を促す始末。だが、アウエーの洗礼にしおれるどころか「イラっときた。絶対に勝ってやろうと火がついた」。延長戦で優勢勝ちし、目がふさがった決勝もさらりと一本勝ちだ。

(MSN 産経ニュース、元記事リンク

……ということがあったのである。僕はこの対戦のビデオでのプレイバックを実際に見たのだけど、衿へ指を伸ばすようにして指先で目を突く行為が何度となく行われており、目を押さえて蹲まる上野選手を見ても、主審は「待て」をかけるどころか、立ち上がって組むように促しているのだ。しかも、その後に場外で「待て」がかかって身体を離すときに、このキム・スギョン(選手とは呼びたくない)は上野の目に肘で突き入れすらしている。全てビデオで確認可能であったために、全日本柔道連盟の上村春樹会長から、国際柔道連盟に映像添付の上で検証を求める文書を提出したそうだが、それにしてもひどい話である。柔道で勝てなければ何をしても勝てばいいのか?北朝鮮人というのは、特に「恥」を恐れる国民性だという話があるのだが、こういうことに恥を感じないのだろうか?

そして柔道に関する疑惑はこれだけではない。女子48キロ級の福見友子選手は、決勝戦で明らかに優勢であったにも関わらず、モンゴル人の主審、韓国人の副審が対戦相手(中国の呉樹根……これも選手と言いたくない)側である白旗を上げ、決勝で敗北という結果になってしまったのである。

地元判定に負けた福見=アジアの不条理受け流す−アジア大会・柔道女子

最後まで逃げた相手をつかまえきれなかったこと以外、福見に落ち度はなかった。だが、3本のうち2本の旗が中国の呉樹根を支持。熱狂する観客席とは対照的に、関係者の間にはしらけた空気が流れた。

延長の3分を加えた8分間、小内刈りや寝技で攻めた。相手は、まともに組まなかった。敗者は「投げないと意味がない。勝っていたとしても満足はしていなかった」と淡々。地元びいきの判定を下した審判に、不満を表すことはなかった。一方、判定について問われた勝者は、「延長の序盤は相手が攻めたが全体的に自分がやや上回った」と周囲の誘導を受けながら答えた。

全日本柔道連盟の吉村強化委員長は、怒りを通り越し嘆いた。「今までの国際大会で、これほどひどい審判は見たことがない。勝負の世界でここまでやるとは」

9月の世界選手権で浅見(山梨学院大)に敗れた福見にとって、今回は勝っておくべき大会だった。思わぬ銀メダルに「先を見ているから、通過点としてしっかり受け止めたい」。アジアの不条理は考えず、国内の高レベルの争いを制してロンドン五輪に向かおうとだけ思っている。(広州時事)

(2010/11/16-21:48, 時事ドットコム

明らかに場内の異常なまでの声援に煽られてのこと(もっとも、そんなものに煽られるような奴が審判をしてはいけないのだが)としか思えない。レバノン人の副審は毅然として青旗を上げていたけれど、この試合をビデオで見た山口香氏はこう言っていた:
この試合は、100人中98人は福見選手に旗を上げるでしょう……ああ、残り2人というのはこの主審と(白旗を上げた韓国人の)副審ですけど。
皆さん、機会があったら是非ご覧いただきたい。こんな試合が国際レベルで行われてるようでは、柔道という競技自体の質が問われかねない。スポーツ以下だと言われるようでは、これはもう大問題なのではないだろうか?

珍しく、壁紙をいじる

そう言えば、世間の人達は、僕が Linux を使っている、と聞いて、どうやって?と思わないのだろうか。普通の PC に Microsoft Windows が入っているときは、スイッチを入れるとまず BIOS が立ち上がって、ハードウェアのチェックがかかって、そして Windows の起動画面が……あれれ、Thomas 氏は Windows と Linux と両方使ってるみたいだけど、どうやっているんだろう?……なんて問い合わせが来たことは、今のところないはずだ。

昔、Windows 98 位までの時期には、僕は loadlin というプログラムを用いて Linux を起動していた。当時は、Windows の起動シークェンスをいわゆる batch file で規定していたから、この batch file を書き換えて、Windows 起動と loadlin 起動を選択できるようにしておく。loadlin 側を選択した場合、Windows のコマンドモード上で:

c:\loadlin c:\linux\boot.img root=/dev/hda2 ro
なんていう風に引数を指定して loadlin(.exe) を実行する。loadlin は、第1引数で指定したファイルをメモリ上に展開し、root= 以下に指定したパーティションを root partition としてマウントしてやる。後はマウントされたパーティション上にある boot sequence に従って Linux が起動される、というわけだ。

この loadlin は本当に重宝した。Windows だけでなく、DOS 系の OS だったらまず問題なく使えたし、脆弱な Windows もコマンドモードではゾンビのように強いので、いついかなるときも確実に Linux を起動させることができた。僕のような使い方をしている場合、ネットワーク(や、当時だったらモデム)越しにサーバの再設定をして、回線越しに reboot をかける必要が生じることがままあったけれど、loadlin で boot するようにしてある端末には、安心して reboot をかけられたものだった。

しかし loadlin には致命的な問題がひとつあって、ある大きさを超えた boot image を読み込むことができない。そして、Windows が NT 系の OS に移行してからは、コマンドラインで loadlin を使うことも難しくなってきた。実は loadlin 以前から、Linux の世界には LILO と呼ばれる boot loader が存在しているのだが、僕はこの LILO の脆弱さを嫌っていて、どうしても使いたくなかった。そこで、Windows NT が持っている boot loader を使う方法に移行していくことになる。

これは、Linux の root partition の先頭 512 バイトをダンプしたファイルを用意しておいて、Windows の boot loader の挙動を設定する boot.ini を書き換えて、Windows を load するか、このダンプしたファイルを load するかを選択する、というものだけど、kernel を入れ替える度にこの 512 バイトのダンプをやり直す必要があった。最初のうちは、まだ Linux が NTFS を読めなかったから、これのためだけに小さな FAT のパーティションを切っておく必要があったりして、面倒なことこの上なかった。

そんなことをしている時に、ついに登場したのが GRUB であった。GRUB はシェルを持っているので高機能だし、おまけに distro のインストール時にインストーラに任せてしまっても確実にインストールできる。Debian GNU/Linux の場合は、kernel のコンパイル→インストール時に、自動的に GRUB のアップデートまでやってくれるのだ!こんな便利な話はない。

というわけで、あまり何も考えずに GRUB を使っている。しかし、たまには少しはカスタマイズをしてもいいだろう。GRUB の起動時に出る壁紙を、気分転換に変えてみることにする。GRUB の壁紙は、/usr/share/images/desktop-base/desktop-grub.png なのだけど、これは symbolic link になっていて、本体は /etc/alternatives/desktop-grub になっている。しかし /etc/alternatives/desktop-grub を見てみると、本体は /usr/share/images/desktop-base/spacefun-grub.png であった。うーむ……で、このファイルを見てみると、1024×768 の 24 bit PNG ファイルである。ふーん。これならそこらで公開されている壁紙をちょいと変換すれば、そのまま使えそうである。手元にあった Maxfield Parrish の絵を変換して指定してみたものが、こんな感じである:grub-screenshot.jpg

油絵は画素が粗くなっても結構見てくれが悪くならないので、こういうときはいい感じである。

Xが終わるかもしれない

僕が Linux を使っているのは、ここをお読みの方の多くがご存知だと思うけれど、僕が Linux を使い始めてから現在に至るまで、基本的には同じ GUI システムを使い続けている、と書くと、驚かれる方が多いかもしれない。

Linux に限定した話ではないけれど、いわゆる UNIX 系の OS 上では、GUI 環境を提供するためにはX Window Systemが使われ続けてきた。もちろんこれには例外もあって、たとえば僕が1990年代に使っていた NeXT、そして現在の Mac OS X に至る系譜などはその代表的なものだろう。しかし、ほとんど全ての UNIX 系 OS で X が提供されてきたことは事実だし、先の Mac OS X においてですら、X11 for Mac OS X というツールキットが提供されている(リリース時のプレスリリース)。

このような X Window System だが、その最初のリリースは1984年である。僕にも馴染みの深い X11 と呼ばれるバージョンが世に出たのが1987年で、それ以来、現在に至るまで、この X11 をベースとした X のディストリビューションが使われ続けている。たとえば僕が現在使用している(勿論、これを書いているのも X 上で動作する Google Chrome 上である)のは X11R7.5 である。

昔は、X というと UNIX においては巨大なシステムという位置付けで、新しい X が出ると、夕方からごそごそ設定をして、"make world" と入力して居室を後にし、翌朝に「どうなったかなー」とドキドキしながらディスプレイを覗き込む……なんてのが恒例行事だった。この「恒例行事」は、他にも gcc とか Emacs とかで行われていたわけだけど、僕の場合でも最近は自力で構築するのは Emacs 位で、X や gcc などは、Debian GNU/Linux のパッケージを使うようになってしまった。便利になったと思う反面、何となく寂しいような気もする。

まあそんなわけで、そうやって make した X をインストールして、フォント周辺の問題をクリアしたところで、自分の好みの Window Manager を立ち上げて GUI システムを使っているわけだ。昔だったら FVWM(現在の version 2 になってから使わなくなったのであった)、現在は GTK+ ベースの Xfce4 を使用している。これはこれで至極落ち着いた、いい意味で枯れている GUI 環境である。

ところが、だ。この X Window System が使われなくなるかもしれない、という話が、最近あちこちで聞こえつつあるのだ。この話の端緒は、今月の4日に、Linux のディストリビューションとして最近最も成功している Ubuntu の創始者である Mark Shuttleworthが書いた blog である。彼は Ubuntu の軽量デスクトップ環境である Unity に、X Window System ではなく Waylandを採用する、とこの blog に書き、発表したのである。他にも、Intel の携帯電話向けディストリビューションである MeeGo や、Fedora なども Wayland を導入する意向を示している。

Wayland は、軽くシンプルなディスプレイサーバ環境を提供することを目指して、2008年から開発されているシステムである。Linux のカーネルに搭載された Direct Rendering Manager (DRM)……コンソールでの日本語表示のために、僕のような CUI ユーザにもお馴染みのものである……を使用している。実際、非常に軽い(そもそも画像のちらつきがないことを目指しているらしい)ようで、Ubuntu は新リリース 10.10 の PR として、以下のような動画を公開している:

この Wayland は、X との互換モードを有しているので、現在存在する X ベースのアプリケーションを Wayland 上で動作させることができる。日本語環境を含む国際化の問題がクリアされたら、僕もこの環境を取り入れる日がくるのかもしれない。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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