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昨日だったかな? いやはや、隔世の感である。

平清盛

普段は僕はドラマというものを見ることはほとんどないのだけど、U が見たいというのに付き合う格好で、NHK の大河ドラマ『平清盛』を見ている。このドラマに関しては、井戸敏三・兵庫県知事が1月10日の記者会見で:

私も日曜日観ました。画面が汚いですね。あんな鮮やかさのない薄汚れた画面じゃチャンネル回す気にならないんじゃないかというのが第一印象。家のテレビ、色がおかしくなったのかなと思うような画面だった。プロデューサーも意図があるのかも知れないが、あんな汚い画面を日曜日の憩いどきにやらなくてもいいんじゃないか。もっと華やかで、生き生きとして躍動感の溢れる清盛らしさを強調して頂くといいなと思った
と発言して物議を醸している。

この井戸知事、相当数の批判を受けたにも関わらず、その1週間後には:

先週言った通り。明るい画質を検討してもらったらと思う
そしてそのまた1週間後には:
(画面の明るさなどを変更しないとNHK側が語ったことについて)今変えたら(NHK の)全面敗北になる。世論の動きで見直さざるを得ないこともあるだろうから、期待している
瀬戸内海に船が浮かぶ場面で真っ青な海の色が出ていない。瀬戸内海の自然をきちっと映し出してほしい
と、未だにこのような発言を繰り返している。今日も兵庫県では知事の定例記者会見が行われるはずだから、ひょっとするとまた今日も何か発言するかもしれない。

これらの兵庫県知事の発言は、全く以て的外れのものと言わざるを得ない。『平清盛』の画面が鮮やかでない理由はふたつあって、ひとつは、当時の武家……力を失いつつあった貴族に賤民であるかのような扱いを受けつつ責務を負わされていたわけだけど……社会やその周辺というものを少しでもリアルに描写したら、ああならざるを得ないから、というもの。もうひとつは、少なくとも現時点での『平清盛』の画像は、カラーバランスをわざと崩して、緑の発色を強めにしてあるからだ。

これは、銀塩写真に慣れ親しんだ僕にとってはよく分かる話で、昔のリバーサルフィルムの発色、あるいは色が褪せつつあるフィルムの発色を模倣するために、このようなカラーバランスを選択しているのだろう。こんなことは、あの映像をちょっと見たらすぐに分かる話なのであって、そんなことも分からない輩が何事か物申す資格などないのだ。井戸敏三さん、これ以上何か言う度に、あなたの浅さがどんどん露呈するだけだから、あなたの名誉の為にも、もう口を閉じた方がいいと思いますがね。まあ、それができないところにその浅さがさらに垣間見えるわけだけど。

さて、では僕が『平清盛』に諸手を上げて賞賛を送るのか、というと、これは NO である。ひとつだけ、どうにも違和感を感じて仕方ないことがあるのだ。それがこれ(他に方法がないのでこのように引用をさせていただいた……ご理解を頂きたい)なのだが……

この旋律は、吉松隆氏によるオープニングの主旋律の一部で、曲中 coda や、劇中の歌謡が出てくる場面において繰り返し引用される。いや、テーマソングや劇伴として出てくるのならば、何も文句を言うことはないのだが、この旋律にこの歌詞が付けられたら、これはやはりおかしい。

遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ

これは後白河法皇が編んだと言われる『梁塵秘抄』の一節である。僕は『梁塵秘抄』というと、上記の歌よりもむしろ、

仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる

人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ

の方が思い浮かぶのだけど、まあそれはともかく、『梁塵秘抄』に収録された歌は、仏法に関する内容であってもなくても、当時「今様」と呼ばれた歌謡をまとめたものである。今様の一例を以下に示す:

「遊びをせんとや……」の歌は、遊女が己の身の哀しさを歌った、という解釈もあるらしい……『平清盛』ではそれを匂わせているようだった……けれど、『梁塵秘抄』全体を通じて、人のもっとプリミティブな感情、たとえば崇敬とか憧憬とかいうものが反映された色彩が濃いので、この歌は見た通りのがんぜなさを歌ったものだろうと思う。

さて、このような日本の歌謡というものが、明治以降に、西洋の音楽体系の中で扱われるようになったときに、その特徴をよく「ヨナ抜き」「ファシ抜き」と言い表した。一番基本的な音階が "C・D・E・G・A" だからだが、これ以外にも数種類の旋法(音階)が存在する。これらに共通するのは "B"、つまり、ドレミファソラシドの「シ」が出てこないことである。

さて、では『平清盛』での問題の旋律はどうか。もしこの旋律を階名唱するならば、

レミミレ ソミレド シドレミシ
となるはずで、「シ」が出てくる。しかし、こんな音階は、平清盛の時代……どころではなく、近代まで日本には存在しないものだったのだ。諸説あるけれど、旋律で「シ」を使うようになったのは、滝廉太郎が明治末に『荒城の月』を書いてからだ、といわれている。

ではなぜ、この旋律に「シ」が出てくるのか。それは、この旋律中「シ」の出てくる部分の背後にある和音が VIm9(低い方から ラ・ド・ミ・ソ・シ)であるから……だろうけれど、この和音がポピュラーなものとして聞かれるようになったのは、おそらく戦後のことだろう。僕などは、マイナーナインス、と聞くと、70年代の NY シーンとかを連想してしまうけれど、日本人がこのようなモダンな和音を耳にするようになったのは、おそらくは「三人の会」以降、とか、そういうタイミングではないかと思う。

このような旋律・和音に『梁塵秘抄』が乗せられ、しかもそれが時代劇中で引用される……というのは、非常に強い違和感を感ぜざるを得ない。不見識な人があの映像をコキおろすのとは違う話である。せめて『梁塵秘抄』を使うのならば、たとえば桃山晴衣とか、他にもいくらでもやりようがありそうなものなのだけど…… NHK さん、これは何とかしていただけないでしょうかねえ。かつて芥川也寸志とか團伊玖磨とかが活動していた頃、NHK ではこんなポカをすることはまずなかったはずなのだけどなあ……

pdfx.sty

僕自身は、自分で直接印刷所に入稿する、ということを最近していない(したことあるか、って? そりゃありますよ。学位論文のときはねえ……思い出すだけでもブルーになるわ)のだけど、よく言われるのは、「PDF/X で入稿する方がいいよ」ということである。

PDF/X は、特に印刷原稿を扱う用途で策定された PDF のサブセットである。PDF/X にもいくつかのサブセットがあるわけだけど、総じて、

  • フォントは埋め込む
  • 色は CMYK(PDF/X-3 では ICC 付きの RGB も使えるらしい)
  • 動画等は使用不可
のように、扱われる過程でのずれが生じないように配慮されている。詳細は アンテナハウスのドキュメントにまとめられているようなので、そちらを御参照いただきたい。

さて、この PDF/X を僕等が作るときにどうしているか、というと、

  1. 文中に貼り込む画像等は全て CMYK 形式にしておく
  2. LaTeX での色使用では xcolor 等を用いて、これも CMYK 形式で色指定をしておく
  3. フォントを埋め込んだ PDF、もしくは PostScript ファイルを作成
  4. Adobe Acrobat や Adobe Acrobat Distiller, Ghostscript 等で PDX/X に変換
という手順で PDF/X ファイルを作成することが多い。

ただし、この方法だと、PS = PDF 間の変換時に 、本来なら PDF に書かれている筈の hyperref.sty メタ情報が削られてしまうことがある。

これに関しては、処理を PostScript ベースで行い、W32TeX で有名な角藤氏が公開されている bkmk2uni を併用することでメタデータの書き込まれた PostScript ファイルを作成して変換する方法や、pdftk のフロントエンドである pdfmeta.pl で後から追加する方法がある(詳細は横浜国立大学の前田氏の解説を御参照のこと)。

実は、pdfx.sty というマクロがある。このマクロを使うと、PDF/X-1a と PDF/A-1b のファイルを生成することができるのだが、このマクロ自体が pdfLaTeX との併用を前提としているので、そのままでは日本語が使えない……ということで、存在だけは知っていたのだが、今迄使ったことがなかった。

しかし、今はちょっと前とは事情が違う。LuaTeX-ja があるからだ。まだ、pLaTeX を駆逐するまでには至っていないけれど、LuaTeX / LuaLaTeX 上で日本語を扱う試みは、既に現在進行中である。そして LuaTeX / LuaLaTeX こそは、pdfTeX / pdfLaTeX の後継と目されているシステムなのだ。それならば、pdfx.sty を LuaTeX-ja と併用したら、日本語の PDF/X ファイルをダイレクトに作成することができるのではないか。

ということで試したら、これが呆気なく成功するのである。具体的なファイルの引用はしないけれど、"Generating PDF/A compliant PDFs from pdftex" と、『LuaTeX-ja の使い方』 4.1.1 フォントの指定 を参考にしつつファイルを作成して LuaLaTeX で処理すると……日本語フォントが埋め込まれた PDF/X ファイルを作成することが可能なようだ。興味のある方は "Generating PDF/A compliant PDFs..." で公開されている:

http://support.river-valley.com/wiki/images/3/3f/Pdfa-supp.zip
を雛形として試していただければ、作成できることはすぐに確認できると思う……ただし、Windows では確認していないのと、LuaTeX-ja のページに書かれている xunicode.sty へのパッチ (現時点では、このパッチは luatexja/src/patches/lltjp-xunicode.sty に記述されている)が必要なことに注意していただきたい。しかし、こうなってくると、LuaTeX-ja が俄然楽しみになってくる、というものである。

新しい中傷手法(2)

昨日の面倒な一件だが、朝になってからログを見ると、またアクセスが入っている。ご丁寧にも、プロバイダとの接続をやり直して、新しいアドレスを交付させ直してアクセスしたらしい。いやはや、ここまでご執心の、その理由がこちらにはとんと分からぬ。

ピンポイントのアクセス制限で諦めるかと思ったが、そういうつもりならこちらもちゃんと制限をしないといけないようだ……ということで、.htaccess のアクセス制限を raw IP address での範囲指定に書き換えた。

少々面倒なのは、zaq.ne.jp が class B をふたつ(180.220.0.0/16, 180.221.0.0/16)所有しているらしい、ということだ。相手の取得し得るアドレスの範囲によっては、サブネットマスクをうまく使わないといけないようだ…… zaq.ne.jp 全部をカット、というわけにもいかないし。

しかしなあ……僕は、ネットワーク越しに fugenji.org にアクセスできるから、書き貯めておいた文書をこういう時間に update したりできるけれど、この粘着検索野郎、夜討ち朝駆けというか、平日の午前中とかに平気でアクセスしてきているのだ。学生か、主婦か、あるいは引きこもりとかニートとかなのか。いずれにしても、効力を持たない無駄な検索に精を出す力があるんだったら、お天道様の出ている時間帯に社会の為になることにその労力を費してほしいものだ。これ以上僕に何かするならば、こちらとしてもそれ相応の社会的アクションをしなければならないし、そうなったら、要らぬ恥をかいたり、今までできていたことができなくなったり……という、それなりの責めを負ってもらうことにならざるを得ないのだけど。

新しい中傷手法

インターネットというものを使い始めてもう20年程が経過したわけだけど、電子ニュース、web、2ちゃんねる、掲示板……等々、様々な場所での誹謗中傷を経験してきた。僕は何事か書くことが少なからずあって、それを気に入らない人というのがいるのかもしれない。それならば、本名で正々堂々と物申せばよいだけの話なのだけど、この手の誹謗中傷をする輩に限って、己の存在への道筋を注意深く消そうと、一応努力をしているようだ。

それでも、ここしばらくは、そういう下らない連中に絡まれることもなく過ごしていたのだけど、最近、fugenji.org のアクセス解析をする度に、イヤーな気分にさせられることが少なからずあった。

  • thomas latex 大した知識もない エラそう fugenji
  • thomas latex 知ったか
  • thomas latex ずれてる
  • thomas latex 粘着
  • thomas キチガイ tex fugenji
  • thomas latex 無知
  • thomas latex 素人
  • thomas latex エラそうなのはお前だ
  • thomas 死んでくれ
  • thomas 名前が変
  • thomas セクハラ latex
……こういうキーワードで google で検索した結果からなされたアクセスが散見されたのである。

なるほど。これはある意味、新しい誹謗中傷の手法なのかもしれない。google で突拍子もないキーワードで検索をかければ、google のデータベースにその突拍子もないキーワードが蓄積されるかもしれないし、そういうキーワードでアクセスした結果は、httpd の referer.log を解析できる者にしか分からない。Luminescence のアクセス解析は僕しかしていないわけで、これはこのキーワードを僕にだけ見せつつ、少しづつ google の手を借りてそういう風評を定着させてやろう、ということなのだろう。

それにしても……この行為の背後に感じられる、饐えた臭いの立ち籠めたような悪意に、僕は戦慄した。そんなに恨まれる覚えもないのだが、キーワードのひとつひとつが、あまりに歪んだ被害者意識に満ち溢れている。一体これは誰の仕業なのか……まあ、最初は面倒で放置していたのだけど、さすがに何か対策をした方がいいような気がしてきたわけだ。

google 等で検索を行う場合、その検索結果を示す URL に、検索語が percent-encoding というエンコーディングで変換された文字列が付与される。上の例で言うと、「大した知識もない」→ "%E5%A4%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E7%9F%A5%E8%AD%98%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84"、「キチガイ」→ "%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AC%E3%82%A4"、というように、% 記号が付いた2桁の16進数の羅列に変換されるわけだ。だから、手元のログに残ったこの文字列をデコードすれば、どのようなキーワードが含まれているかはすぐ分かる。現在の nkf だったら --url-input オプションを使うだけでこのデコードは簡単にできるから、問題になるようなキーワードでアクセスしてきたアドレスを抜き出せばいい。

で……そうしてみると、上のキーワードによる検索は、いずれも "zaqb4ddf???.zaq.ne.jp" からなされたものであることが分かった。これはちょっとショックだった……この zaq.ne.jp というのは、株式会社テクノロジーネットワークスという大阪のケーブルテレビ会社が運営している、いわゆるケーブルネットのプロバイダで、知人でここのネットワークを使用しているのが何人かいる。こういうことをしそうな人……というと、かなり限定されることになってしまうわけだ。

まあ、でも、その人がこの文章を読めているかどうかは分からない……速攻でアクセスを禁止したし、今後も zaq.ne.jp にターゲットを定めてアクセスを監視する体制を整えたので。何にしても、哀しいことである。

最後に、こういうことも分からずに妙な検索で溜飲を下げようとしているあなたへ。あなたは本当に可哀想な人ですねえ。自分こそが「大した知識もない」のに「エラそう」にふるまいたい、と思われているのでしょう。そして、あなたが己の縁としている TeX / LaTeX に関する事柄で、僕の何かしら書いたことが、あなた自身が「無知」な「素人」の「知ったか」であることを露呈させてしまったのでしょう。それがあなた自身でも否定し切れなくなったから、あなたが重箱の隅に必死で守っていた脆弱なプライドを傷付けた僕を、それはそれは懸命に攻撃しようとするのでしょう。そのことは、あなたのその「ずれてる」「粘着」な行為によって、あなた自身の手によって、証明されているんですよ。有り体に言ってしまうなら、あなたこそが「キチガイ」なのですよ。あまりに痛々しいので、僕はあなたに「エラそうなのはお前だ」、とか、「死んでくれ」などと言う気も起きませんけれど。

我慢しない

最近、何事に対してもすっかり嫌気がさしてしまって、ここの更新もゆっくりになっているわけだけど、やはり、最近話題のこの動画に関してはコメントしておかなければならないだろう。

最初に断っておかなければならないけれど、僕はこの手の「何が何でも天下り禁止」という意見には賛成しかねる。というのも、僕が独法の研究所から民間の研究所に移籍するときに、それが天下りなんじゃないか、ということで散々疑われたことがあったからだ(期限付きの研究職で移籍して何が天下りなの? って話なのだけど)。僕のような「特殊技能者」の場合は、その職能で職場が決まることが多いわけで、こういう人間が官民の間で自由に行き来できない、ということは、研究者は死ね、と言われているようなものだ。官から民に行く者が皆馬鹿みたいな月収や待遇や退職金を貰っているなどと、現状を見聞きもしない連中にオートマチックに規定されたらたまらない、という話なのだ。

しかし、だ。この野田氏の過去の演説と現在の見解とのあまりにもあまりな齟齬に関しては、これは当然違和感を感じて然るべきであろう。そもそも、マニフェストが現状にマッチしていませんでした、という話になったら、それは当然オープンな場で組み直されるべきだし、それに関しては国民の審判がなされるべきなのである。それを、聞こえないふり、で押し切ろうというのは、これはあまりにひどすぎる。

もう、我々は、黙っていることをやめるべきなのだろうと思う。東日本大震災後、復興も、それ以前の問題である放射能汚染に関しても、一向に明確な道筋が示されない。本来だったらこれは国家浮揚の一大チャンスであって、復興事業を適切に立案・運用するだけでも、その経済効果は極めて大きいはずだ。そして、雇用、特に復興が進められる地域での雇用に、これは直結できるわけで、本来だったら、雇用保険が切れる……などと青息吐息の人々でハローワークが麻痺状態になる、なんてことは、あり得べからざる話なのである。

我々は、もっとデモや座り込みやハンストをすべきなのだろうと思う。勿論、その行為を目的化すること(反原発関連ではそういう人をよく見かけるけれど)は避けなければならない。そういう「手練の活動者」が暗躍することのない、活動に関してのド素人の集団が、個々の生活に密着した生の声を上げるべきなのだろうと思う。統率されていないそれの効力なぞ知れたものだ、と「手練の活動者」達は言うだろうけれど、我々の日常の苦悩を、できる限り生々しく表出すること、そして為政者に、それが己の次の選挙の得票に直結しているのだ、という恐怖心を煽るものであることの方が、はるかに効力を発揮するに違いない。不慣れでもいい。もう我慢するのは、やめにしようではないか。

PX-404A

今迄使っていた A3 インクジェットプリンタの調子が最悪だったので、思い切って買い替えることにした……のだが、A3 ノビまでのサイズが取れるものを買うのが少しためらわれ、まあ今回は A4 のを試しがてら買ってみることにしましょう、という話になった。市場をチェックすると、このご時世で、単機能のプリンタが下手をすると複合機よりも高い。手元のスキャナの調子も今一つなので、ここは EPSON PX-404A を購入することにした。実売価格は今週の時点で6000円を少し切る位。

EPSON は Linux に対しては比較的フォローがちゃんとしている。アヴァシス株式会社が、各ディストリビューション向けのドライバ、それも変な独自仕様ではなくて CUPS のドライバを出してくれているからなのだけど、それじゃあドライバでも入れましょか、とアクセスすると、ドライバサイトをエプソンに移管した、という。ほー。このリンクから辿ると、たしかに EPSON のダウンロードページに行けるのだけど、http://epson.jp/ とかからだと辿れないような気が……まあ、Linux の扱いってこんな調子なんでしょうけれど。

印刷関連は OS X 端末で行っているので、さくっとそちらの設定を済ませる……が、うーむ。プリンタドライバはシステムアップデートで供給しているけれど、スキャナのドライバ、特に TWAIN 絡みの部分は手動でスキャナドライバをダウンロード→インストールしないとダメらしい。

そして、手元の Windows 端末でプリンタ設定にハマる……そうだ、思い出した。こういうときは Bonjour でした。はいはい。おとなしく Bonjour で共有プリンタを設定すると、印刷は何も問題なくさっくりといける。しかし……うーむ。スキャナが共有できないのね。どうしよう。

と、以前使っていた USB 切替器なるものが転がっているのを発見。これで、Windows / Linux 端末と OS X 端末で切り替えられるようにしておいたら……と、試してみるも、やはりハマる。原因は、手持ちの USB ケーブルの中の1本が死んでいたからだった!最近の周辺機器って、購入しても USB ケーブルが付属しないケースがほとんどなので、こういうときはちょいと困るなあ。まあ、とにかくこれで、OS X でも Windows でも、そして Linux でも、プリンタもスキャナも問題なく使用できるようになりました。

旨みが何かを考えないのか

以前ここに書いたけれど、僕はアセスルファムカリウムやスクラロースを使った食品を口にしないことにしている。これは、それらの甘味料の味が受け入れ難い、というのが第一の理由だけど、もうひとつの理由として、近年「カロリーオフ」の名のもとに、付帯価値を生むべく企業努力をしている結果のように思われているこれらの甘味料の使用が、実は食品のコストダウンの最終手段である「砂糖を使わないことによるコストダウン」のためのものであって、そこには実は付帯価値も、ユーザのための企業努力も、実は存在していない、という、あまり意識されていないであろう事実へのささやかな抵抗、ということもあるのだ。

これと同じように、僕はいわゆるノンアルコール飲料の類を一切口にしないことにしている。ノンアルコールビール、ノンアルコールカクテル(なぜ清涼飲料水と言わないのだろうか)、ノンアルコール梅酒(それは梅シロップなんじゃないのか?)……それらを口にしないのは、僕が酒を愛しているから、というのが第一の理由なわけだけど、酒造各社がそのようなノンアルコール飲料を売る理由が、酒への愛の背信行為だけに留まらないからでもある。

考えてみていただきたい。たとえばビールを見てみよう。ビールの税率は、1キロリットル当たり 222000 円、ロング缶1本あたりに換算すると111円である。この税率が、ノンアルコールにするとゼロになる(当然だ)。ゼロになるということは、多少ビールより安くしたとしても、ノンアルコールビールにはがっつりと儲けの幅が発生することになるわけだ。

あまりに単純な話で、僕はこういうことを口にする必要すらないことだと思っていたのだけど、ノンアルコールビールを飲む、という行為は、メートルを上げてささやかながら社会に貢献していた分を、バッカスに対する背信行為に精を出す酒造各社の懐に入れてやっているのだ……ということを言うと「え?」と聞き返されることがある。こういう意識をしていない人というのが、存外多いということに、今更ながら驚かされているのだ。なぜ、こういうちょっとしたことを自分の頭で考えない人がこう増殖しているのだろうか。本当に、厭になってくる。

2ちゃんねる と TeX の話

2ちゃんねると TeX、とか書くと、 TeX Live にやる夫を書くためのマクロが遂に……とかいう話だと思われそう(長ぇよ)だけど、そういう話ではない。

2ちゃんねるにはいくつか TeX 関連のスレッドが存在するのだが、現在まともなやりとりが続いているのは UNIX 板内のスレッドである(\chapter{\TeX} % 第八章)。ここでは時々、TeX Q & A でのやりとりに対する独白めいた書き込みがされることがあるのだ。

書きたいことがあるのなら、なぜ TeX Q & A の方に書かないのか。それはまあ、人によって色々理由があるのかもしれないけれど、おそらく2ちゃんを読み書きしている人々の間で共通しているのは、「本家 TeX Q & A に関わるのが面倒だ」という意識だろう。これに関しては、僕もそういう気持ちが分からないでもない。技術系の Q & A の場でしばしば起こり得ることだけど、人生の貴重な時間を、この手の Q & A で「浪費」したくない、という人もいるだろうし、いやいや自分の知識や習得経路を、こういう場に「集積・資産化」すべきなんだ、という人もいるだろう。前者の人々は、プライベートや仕事の時間をこういうものに削られることを避けるだろうし、後者の人々は、むしろこういう行為も仕事やプライベートと不可分の要素がある、ということで、仕事に準ずる位の熱心さでやりとりに参加するだろう。

そういう人々は別にどういう個々の判断をされても構わないのだろうと思う。 しかし僕がこの手の Q & A を見ていて厭になるのは、まず、回答することを以て自己主張しよう、という輩の存在である。この手合いは、先の TeX Q & A では見かけた記憶はないのだが、求められる情報を周辺のノウハウも含めてフォローする、という行為を逸脱して、ある分野における不明を、人が知的活動を行う上で不可欠のものが欠けているかのようにあげつらうことで、自分を格上に見せようとしている輩、というのを、時々見かけることがある。困ったことに、こういう輩の提供する情報に限って、整理されておらず、一般性を欠くものであることが少なくない。もっと素気なく、クールに情報のやりとりをしたい身としては、この手の輩がいるだけで、げんなりしてしまうわけだ。

こういう輩は、自分の立場を上だと主張するために、狭小な己の知識を以て初学者を断じてこきおろすことがある。まあ、そういうことをされる側にとって、こんな理不尽な話はないだろう、と思うけれど、しかし、人を断じるというのと、何かしら断定的なことを言われる、というのは、言葉面上は似ていても、その内実は全く異なるものである(そうだな……愛があるかないか、位の違いは、まああるんでしょうね)。しかし、断定的なことを言われたときに、即座にそれが自分を否定しようとしていると過大に受け取るようになってしまうと、自分の耳に痛くないように、自分が教えてほしいように物事を教えるかどうか、で、回答者を断ずるようになってしまう。愛故の苦言、という概念は、そこには欠落しているわけだ。

ゆとり教育のせいなのか、団塊の世代の親にそう育てられたせいなのか、あるいは競争が激化している私学でヨシヨシされているせいなのか、こういう「してもらって当然」という妙な確信を振り回す連中が、最近はすっかり多くなってしまったような気がする。しかし、この萌芽は、実は結構前まで遡るような気がしている。

FUGENJI.ORG のオーナーである O は、僕と大学の同期である。彼は一時期、我々の在籍していた大学で実験助手をしていたことがあるのだけど、そのときに彼が僕にこうこぼしたことがある。

その実験というのは、学生に創造的な力を養わせよう、ということで試験的に導入された科目で、まあ簡単に言えば、自分で模型規模の何かを、立案・部品調達・加工・組立等、全て自分でやってもらって、最終的な完成品を作る、という、そんな科目だった。で、立案から図面を引いて……という過程で、O が学生に説明をしているときに、それを聞かずにずーっとノートにバイクの絵ばかり書いている学生がいた。O は、

「お前なあ、ちゃんと話聞いとかんとこの後何もできないぞ」

と注意した。すると、その学生は烈火の如く怒り出した、というのだ。

「……分からん。なんでそいつは怒り出したんだ?」

「分からんか? 分からんよなあ。俺もその瞬間は分からんかった。でな、その学生、顔を充血させながら、目を剥いてこっち向いてな、何て言ったと思う?」

「……分からん」

「『お前、ですか』って」

何が何だか分からない、という顔をする僕に O が言うには、その学生は今迄の人生の中で、親にも「お前」と呼ばれたことはない、それを今、なぜ自分は O に「お前」と呼ばれなければならないのだ……と吠えた、というのだ。

こういう話は、僕が大学でアクティブに教えていた頃からちょくちょく聞いた話である。年とともに、そういう話は増えていき、そして、仲間連中の間では、もうそういう話をするだけ阿呆らしいから、と、話には上らなくなった。しかし、話のネタの方は、年々、確実に増殖してきて今に至るに違いあるまい。

TeX Q & A の 56561 番のコメントなぞは、まさにこういう手合いの典型のように思えてならないのだが、2ちゃんねるの TeX スレッドでは、こういう手合いが湧いて出る度に、生ぬる〜いやりとりが展開される。この手合いに、学び方まで含めて教えることに、報われようのない時間を空費するよりは、そうやって距離を取ってウォッチングするのに徹している方が、実は賢いのかもしれぬ。

???程強いものはない

以前、某女性議員が「私バカだから分からない」という excuse をした、云々……という話を書いたことがあるが、馬鹿程強いものはない、と、今でもつくづく思う。(社会保障の不備への excuse としての意味ではない)「自己責任」というものが希薄なこの国では、特にそうなのかもしれないが。

自らの不明を責められたときに「私バカだから分からない」という excuse を展開するのは、まさに卑怯の極みと言ってもいいだろう。この言葉をちゃんと展開するならば、「私がバカってのが前提になっているんだから、私が分からないと言っても誰にも責めることなんかできないでしょう?」という居直りなのである。そこには、少しでも不明から抜け出そうという気概は欠片程も存在しない。まさに、こういう行為を表現するために「居直り」とか「逆ギレ」とかいう言葉が存在するのではないかと思う。

この「馬鹿」としばしば同じように使われ、しかも輪をかけて高圧的なのが「素人」という言葉である。某所でしばしば目にするのだけど、「素人なのでよろしくご教示下さいますようお願いいたします」というように、体裁だけでも低姿勢を装っているのなぞは極めて少数派で、

  • 「完全に素人なので解決方法について教えていただけると嬉しいです。」(はぁ、アンタは嬉しくても disturb される側は嬉しくないんだけど)
  • 「素人ながらいろいろ試してみて」(まだマシな方だけど、そんな枕詞には何も意味はないよね)
  • 「WindowsはMatlabを走らせるためにだけ利用している者ですからWindowsの設定について全くの素人ですから現実の問題云々は据え置いておいて下さい。」(論旨不明。素人だから windows に絡む問題は自力では何もしないってこと?)
  • 「素人のため、私にはこの意味が分かりません。素人に分かる言葉で、手順を説明していただけないでしょうか…?すみません。」(自分で調べなさいよ)
  • 「素人考えですが」(これも不要な枕詞ですな。下手な考え休むに似たり、という言葉を想起するなあ)
  • 「素人質問で申し訳ありませんが対処方法をお願いします.」(素人質問、という言葉はここで初めてお目にかかったな……しかしこの言葉は何ら excuse にすらなっていない)
  • 「素人です。お教えいただくとありがたいです。」(まだマシな方?しかし「素人です」という切り口上はいただけない)
  • 「素人なりの見解」(「私見」と書けばいいんじゃないの?)
……まあ、こんな調子である。「素人」という、本来己の不明を恥じる謙譲語が、実は「教えろやゴルァ」的な居直りとして機能していることの方が多いのは、こうやって並べてみれば一目瞭然なのである。

こういうことがあるから、僕が何か人に教えるときは当たりが強くなる。それに何がムカツいたのか知らないが、「thomas エラそう」とかいう検索語でここに来る阿呆を、アクセスログの解析で発見することが時々あったりするのだ。なんだかなあ。エラそうなのは僕じゃない。そういう検索をする阿呆の方なんだけど。

latex2html (2)

昨日に続いてこの話を。

latex2html だけど、思ったよりちゃんと変換をしてくれる。ルビを使っているとその部分がうまく変換されない(HTML はルビを扱えるのだけど)、というのと、OTF パッケージを使用している場合に変換がうまく行えない(これは想定の範囲内だった)、ということはあるけれど、たとえば論文とか、何かのソフトのドキュメントとかを変換するのには、たしかにこれは重宝しそうである。

……などと思っていたら、例の TeX フォーラムの質問者が、「文字化けがまだ解消されない」と書いている。よくよく聞いてみると、\documentclass に article を設定していると文字化けが生じ、jarticle を設定していると文字化けが生じない、という。

あー、なるほど。おそらくこの人は、TeX / LaTeX レベルのことしか見えなくなってしまっているに違いない。日本語の HTML の文字化けのかなりの割合が、charset の不適切な設定に起因する、ということは、僕にとっては基本的な経験則なのだけど、ほとんどの人にとってはそうではないのだろう。

質問者が提示してきた2種類の LaTeX document から DVI ファイルを生成してから、latex2html で HTML ファイルを生成して比較をすると……ああ、やっぱり。article を指定した方の LaTeX document から生成した HTML ファイルには、

<META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html; charset=UTF-8">
がない。これが、質問者が「文字化けする」と言う原因に違いない。

HTML において META タグで charset を明示することは must ではないはずなのだ。たとえば、僕の手元の HTML document では全て META タグで charset は管理しているのだけど、万が一これが欠落していても、それで確実に文字化けする、ということはないはずだ(誤った charset を明示していたら、ほぼ確実に化けると思うけれど)。まあでも、質問者の言う「文字化け」の原因は、これ以外にはちょっと思いつかない。

latex2html に charset を指定する META タグの生成を強制するためには、~/latex2html-init 内に、

$charset = "UTF-8";
と明示しておけばよい。一応その旨回答しておいたけれど……うーむ。META タグでの charset 設定がないと確実に文字化けする環境だったら、たしかにここでハマる可能性はあるかもねえ。ただし、複数種類のブラウザで検証していたら、このことには早々に気付きそうな気もするけれど。生成された HTML document の diff をとってみる、とか、思いつかないものなのだろうか……いや、責める気は毛頭ないですよ。確かにハマるかもしれないからね。

latex2html

僕は普段は HTML document は一からテキストエディタ(ほとんどの場合は Emacs)で書く。テンプレート代わりに使えるファイルがいくつか手元にあるのを使うことはあるけれど、この場合も例によって例の如くマクロや統合環境のようなものは使わない。この blog は少々楽をさせてもらっているけれど、これにしたって各エントリ内のタグは全て手で書いている。

TeX / LaTeX で書いた文書を HTML 化するとき、あるいはその逆のときには、変換用のフィルタをいくつか書いてあるので、これをその都度モディファイして変換処理をする。だから、latex2html の存在は(おそらく登場したばかりの頃から)知ってはいるわけだけど、あまり使うことがなかった。

昨日のことだけど、毎度おなじみの TeX フォーラムで、latex2html に関する質問が放置されているのに気付いた。このサイトに集まっている人々は(voluntary なものだから誰かを責める気はないけれど)自分達の興味があれば trivial なネタに溢れんばかりの情熱を注ぐのに、自分の興味のないものに関しては放置する傾向が強い。まあ、最近の patch の状況とかもあるだろうしなあ、と、丁度いい機会だったので、自分でも調査がてら install してみることにしたのだった。

latex2html の開発状況は、2002 年までは比較的活発だったようだが、現時点では 2008 年にリリースされたバージョンが最新である。日本語で書かれた文書を処理するためには、新潟工科大学の竹野茂治氏が作成・公開されている patch を適用する必要がある。

これはおそらく Google のせいだと思うのだけど、「latex2html 日本語」などのキーワードでググると、検索順位の最上位に来るのは:

http://takeno.iee.niit.ac.jp/~shige/TeX/latex2html/ltx2html.html
である。ここを斜め読みしていると読み飛ばしてしまうのかもしれないが、上記 URL の文書内に、『開発版の日本語化パッチのページ』:
http://takeno.iee.niit.ac.jp/~shige/TeX/latex2html/current/l2h-current.html
という文書へのリンクがされていて、こちらの方で latex2html-2008 に適用するための patch が公開されている。

これを書いている時点で、上記リンク先で公開されているアーカイブを展開すると、2種類の patch が出てくる。

  • l2h-2K8-jp1.10b2.13.patch
  • l2h-2K8-jp2.1b1.13.patch
というファイルなのだけど、jp1 の方は nkf をフィルタとして使うように書かれていて、jp2 の方は日本語のコード変換をしないように書かれている。竹野氏の書かれている文書によると、いわゆるシフト JIS を使うシステムの場合、nkf を通さないと変換がうまくいかないケースがあるので、この2種を同梱されているようだ。

手元の端末に l2h-2K8-jp2.1b1.13.patch を適用・インストールを行った際のログにリンクしておく。まあ、他には特に注意すべきことはないと思うのだけど……先の質問を書かれた方は未だうまくいかないと書かれている。うーん。こちらでは呆気なく使えるようになってしまっているのだが……

着メロを作る

先回書いた着メロの件について。

前にも同じようなことを書いたけれど、僕が着メロを「作る」というのは、多くの場合、気に行った曲のイントロ部分を抜き出して、携帯での着メロとしての再生に特化したリマスタリングを行ったファイルを作ることである。

一例として、以下のふたつの mp3 ファイルを示す:

……まあ、何をやっているかは一聴瞭然であろう。要するに、原曲のダイナミックレンジをコンプとリミッターでがっつり潰しているだけの話である。当然だけど、このような処理を施したサウンドファイルは音楽作品としての鑑賞には耐えない(いやこっちの方がいい!という方は、早めに耳鼻咽喉科に受診されることをおすすめする)。こういうことができて(最大前提として、こういうことに使う音楽の原盤をちゃんと購入・所有していて、個人の楽しみを超えた行為……ファイルの授受とか……がない上で)あとはサウンドファイルのフォーマット変換に関して若干の知識があれば、基本的にはどんな音源でも着メロにすることができる。

僕はこういう行為には何らオリジナリティがないと思っているので、これは単なる操作だとしか思っていない。世間では「リマスタリング」という言葉を耳目にしただけで噛み付いてくる妙な輩がいるのだけれど、僕はそもそも自作曲を自分で演奏・録音するので、こんなところでオリジナルティを主張する気もないし、その必要もないのだ。だから噛み付くだけ無駄というものである。

しかし、この「何でも着メロ」、もちろん著作権侵害がないように細心の注意を払うべきであるが、それ以外にも問題がある。どうも、着メロに適した曲とそうでない曲があるようなのだ。たとえば、以前僕は James Brown の "GET UP I Feel Like Being Like A SEX MACHINE [Part 1]" を着メロにしていたことがある。冒頭部の喋りをカットして、JB が One, two, three, four... とカウントするところからにしてあったのだけど、いきなりこれが鳴るのは非常に神経によろしくない。

で、少しは違うものにしようと思って、四人囃子の "Lady Violetta" にしてみたのだが、これが SEX MACHINE に負けず劣らず心臓に悪いのだ。

電話を待っていて、これが鳴り出すというのは、本当に神経によろしくない。僕はこれのせいで(いや、僕は本当にこの曲は好きなのだけど)電話恐怖症になってしまい、正直言って今もその影響から抜け切れていない。

自分で音源を作って使うこともある。手抜きをして誰かのカバーで……ということもあるのだけど、これも曲を選ばないと同じことになる。例えば……

これは、原曲を聴き返しもせずに打ち込んだ、吉田美奈子の "Monster Stomp" の冒頭部である。本当はクラビで弾いているところは松木恒秀氏のカッティングなのだけど……いや、そんなことはあまり関係がない。これも着メロにはあまり向いていないようだ。いい音楽だからといって何でも着メロにできるというわけではない、ということのようである。

本当に Windows は厭になる

前にも書いたけれど、今迄使っていた PHS の電池が死んだので、U が使わずに持っていた Windows Mobile 端末を貰い受けて使い始めた。一応カスタマイズがそこそこできるのだけど、そこは Windows、やはり厭なことがてんこ盛りである。

Windows Mobile 用のユーティリティというのは、ネットで探せばそこそこ入手できるのだけど、まず僕が入手したのがレジストリエディタである……そう、Windows なだけに、細かい設定を行う場合にはレジストリを触る必要があるのだ。しかし、Windows Mobile にはセーフモードがない。だから、うっかりマズい設定をして起動しなくなってしまったら、ハードリセットして、はい、やり直し、である。僕の場合は、画面表示を VGA に切り替えた状態で SIP (Software Input Panel) を使用できるようにしようとしていて、2度、この事態に陥ってしまった。

そういうことが起きても泣きをみないように、挿してある SD カード内にディレクトリを切って、リストアに必要な一切合財を突っ込んである。まあ、アーカイブを拾ってくればいいものは、ここに入れ忘れてもまた拾ってくればいいのだろうけれど、僕の場合は着メロも自作のものを使用しているので、これもちゃんと保管しておかなければならない。

僕は着メロというものを購入したことがない。音楽は非圧縮フォーマットで iPod Classic に入れてあるものしか聴かないし、MP3 や AAC のファイルに金を出すという神経が理解できない。第一、自分で着メロのレコーディングから行うこともあるんだから、そもそも購入のしようがないのである。

今回も、手元に用意してあった着メロ用のサウンドファイルをインストールしてみたのだけど、端末のスピーカーがショボいので、ダイナミックレンジの広いサウンドファイルでは、呼び出し音としての鳴りが不足している。うーむ。というわけで、Cubase を立ち上げる。世間で言うところのデジタルリマスタリングというのをするわけだけど、まあ、このご時世、こういうことは猿でもできることである。

オリジナルの音源を出発点として、お決まりのコンプとリミッターで音圧を上げてみる。が、これでもまだ足りない。FM 放送をカセットテープで録音した位の飽和をさせて、更に中音域をパラ EQ でがっつり持ち上げて、どうにか鳴りのいい音源ができた……と、ふと、手元のプラグインを見直してみると、BBE の L82 Loudness Maximizer で、まさにそういう飽和をかけられることに気付く。改めて、これを使って作成し直したものを端末にインストール。

こういう処理は、普段、自分の音源をマスタリングするときにもやっているわけだけど、そういうときと今回のような処理では、根本的な思想が違う。リミックスとかしてる人々にとってはごく当たり前のことなんだろうけれど、Hi-Fi なものが鳴らないメディアというものは、そのメディアに非があるのであって、メディアに歩み寄って音源を変えるというのは、どうにも筋違いと思えてならない。音楽をトータルアートとしてではなく、生活の中でのアイコンとして使うための「加工」なわけだけど、基になるものよりも情報量を減ずるということに、どうにも罪を感じてしまうのだ。

まあ、こんな感じでセットアップした端末は、普段は小説を読むための電子書籍端末と化していることが多いのだけど、それ以外でも一通りのことができるようにしてある。SSH で任意のサーバと接続できるし、コマンドプロンプトも使える。しかしなあ……やはり、本気で道具として使うには到底用が足りない。せめて android か、いっそ iPhone に切り替えるべきなんだろうけどねえ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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