年末年始は仕事も長引いた上に、年末にはなんとノロウイルスを拾ってしまっていたので、正直あまり休めなかったのだけど、それでも家でテレビなど観ていたわけだ。しかし……なんだかもう飽きてしまった。
良質なドキュメンタリーでもやってくれればよかったのだけど、そういうものもあまり多くなかった(オリバー・ストーンのあの番組は前に観てしまっていたし)。いや、それ以前に、実は CM を観る度に「もういいよ、飽きたって」とうんざりしていたものがある。それは内容や音声ではなく、その色調なのだ。
最近の CM をちょっと注意して観ていただけるとお分かりになると思うのだが、色調が褪せて、妙に緑っぽい、ざらっとした質感の映像が多い。僕は写真をやるのでよく分かるのだけど、これは明らかにカラーフィルムで撮影した画像の色調を真似しているのだ。
こういう色調の映像がひとつやふたつなら、ハイビジョン全盛の昨今、妙に新鮮な感じを得られるかもしれない。しかし、これ程までに、あちらこちらでこの色調を使っているのを見ると、いい加減勘弁してくれないかな……という心境になってくるわけだ。いや、きっと、僕をうんざりさせているのは、その画像そのものというよりは、「今はこの色調にしておけばオッケー」というこの風潮の方なんだろう。
この風潮のココロは何かというと、「この色調にしておけば、とりあえずクライアントは丸め込める」「この色調にしておけば、とりあえず視聴者のクレームに言い訳できる」……もっとはっきり言うならば、「この色調にしておけば、その色調を選択したことの責任を『これが最近のトレンドなので』という一言で回避できる」ということなのだろう。しかし、実際のところ、本当の最近のトレンドは「こうすれば責任を回避できる」っていう方なんだよな。まあ業界の方々は便利な言葉を知っていて、これをもっともらしく「コンプライアンス」と称するんでしょうけれど。でもねえ、こんなものに付き合わされる一視聴者としては、いい加減苦痛なんですけれど。いや本当、もう飽きましたよ、あれは。
誤解されたくないのだけど、僕はいわゆるナイアガラーではない。それを自認する気もないし、リイシューされる度に音源を買い集めるわけでもない(音質が改善されていれば勿論買うのだけど)。しかし、大瀧詠一という人とその音楽が僕に与えた影響というのは、これはもう語り尽せない程のものがある。
悶々としていた高校生の頃、(あの高校でおそらくたった一人)マクドナルドの早朝バイトをして稼いだ金で、今まで使い続けているジャズベを買った。クラスメートと3人でバンドを組んで、ドラムが見つからずにリズムボックスを買い込み、文化祭のステージで初めて人前で演奏したのが『12月の雨の日』だった。まあ、アンセムとアルフィーが好きなギターに、ニューロマンティック大好きなヴォーカル、それにこの僕、というてんでバランバランな僕達に加えて、本番前に調子が悪くなり、打ち込んでいないところで不意にカウベルやハンドクラップが鳴ってしまうリズムボックスのおかげで演奏は散々な出来で、とどめにザクリと僕等を傷つけたのが、司会(あの野郎、あの時の恨みは一生忘れん)がしたり顔でこう言った言葉だ:
「うーん、フォークですね」
フォークじゃねぇよ。ロックなんだよ。幸か不幸か、その後やってきた渋谷系ブームなどのおかげで、はっぴいえんどの名前は僕等以降の世代にも知られるようになったけれど、皮相的な情報で断じられたことを、僕は一生忘れない。
まあ、その辺で感じたことは、それ以降の僕の生き方にも深く関わっているんだろうけれど、そういう意味では、この時期からはっぴいえんどやシュガーベイブ、あるいはナイアガラトライアングル(老婆心ながら書き添えておくが、僕が言っているのは山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一の Vol.1 の方である)を聴いていることは、僕という人間の人生に大きな大きな影響を与えている。そして、それらは皆、大滝詠一という人の下にある現象だったのだ。
まさか、この年の瀬に、あんな風にあなたが逝くとは思いもしませんでした。僕はアンチ巨人で、東京文化より関西文化に安らぎを感じる男だけれど、あなたの存在やあなたの音楽は、僕にとって、心の中に食い込んで、もはや切り離せないものになっています。あなたがこの世を去ったということで、僕は心に穴が開く心地を今味わっているわけですが、しかしそれは空虚な穴ではありません。そこに満たされたものは、今も確実に、僕の中に存在し続けています。いつか、僕がこの世を去るときに、僕がこの世に残したものが、そんな風に誰かの心を埋めていられれば良いなあ、と、今は思っています。
またか、と思われるかもしれないが、この blog への SPAM コメントがまだ続いている。前にも書いたように、この blog は中国からのアクセスを全て禁止しているのだが、どうやら国外の proxy を経由してアクセスしたり、やはり国外でセキュリティがザルなサイトを探してアクセスしたりしているらしい。まあ阿呆らしい話で、この blog を読みに来ている人が、怪しげなバーバリーの品なんかをネットで衝動買いするなど、人工衛星が頭上に落ちてくる位の確率だと思うし、そのために苦労してここにアクセスする労力を費す位なら、他にもっとカネになる話があるんだろうに、とも思うわけだが、まあ日本の十数倍の人口だと馬鹿の数も(以下略)。
それにしても、その SPAM コメントに書かれている誘導の URL を参照すると、つくづく馬鹿ってのは哀れだなあ、と思う。書かなきゃいいのに、あちこちに「本物」「本物」って書いてあるのだけど……それは、自分達の商品が怪しい代物だ、と書いているのに等しい、ってことが、どうして分からないんだろう。いっそ「あなたの周囲の人は皆ダマせます。精巧なフェイク」とか書いた方が売れるんじゃないかと思うんだけど。そう書いてあったら追及されたときの逃げ道がない、ということなのか……いやいや、そんなに堂々と商売してるわけじゃなさそうだしなあ。まあ、馬鹿の考えることは分かりません。
黒子のバスケ「成功やっかんだ」…脅迫文持つ男
週刊少年ジャンプ(集英社)の人気漫画「黒子のバスケ」を巡る脅迫事件で、警視庁は15日、上智大(東京都千代田区)に硫化水素入り容器を置いたとして、大阪市東成区大今里西、職業不詳渡辺博史容疑者(36)を威力業務妨害容疑で逮捕した。
容疑を認め、これまでに数百通の脅迫文を送ったことや、毒物のニコチンをキャラクター関連菓子に入れ、コンビニ店に置いたことも認めている。
発表では、渡辺容疑者は昨年10月12日、「黒子のバスケ」の作者、藤巻忠俊さんの出身校である上智大の四谷キャンパスの体育館に、「喪服の死神」を名乗る犯行声明文と硫化水素入り容器を置き、大学職員らに校内の警戒をさせるなどして大学の業務を妨害した疑い。
渡辺容疑者は藤巻さんと面識がなく、調べに「バスケット漫画で成功していることをやっかんだ。1人でやった」と供述している。
「黒子のバスケ」を巡っては、上智大での事件以降、作品関連のイベント会場や関連商品を扱うコンビニ店、マスコミ各社などに計約400通の脅迫文が届いた。複数のイベントが中止になったほか、一部の商品が撤去された。
同庁の捜査で、ニコチン入りの菓子が置かれた千葉県浦安市のコンビニ店近くの防犯カメラに、不審な動きをする男が映っていたことが判明。この男によく似た渡辺容疑者が15日午後3時頃、東京都渋谷区内のポストに新たな脅迫文を投函しようとしているのを捜査員が見つけ、職務質問したところ、「ごめんなさい。負けました」と話し、一連の脅迫文送付などを認めたという。
(2013年12月16日07時16分 読売新聞)
この『黒子のバスケ』という漫画を僕は読んだことがないのだが、この漫画の作者が執拗な脅迫を受けていたことは知っていた。僕も粘着的な中傷をされたことがあるので、正直言って他人事とは思えない。
僕の場合は、『新しい中傷手法』『新しい中傷手法 (2)』に書いたようなことがあったわけだけど、今に至るまで、これが誰の所業なのかが全く分からない。この中傷がなされたのが、大阪のとあるプロバイダの回線からであることは分かっているし、僕の知人でここのユーザというのがかなり限定されるのだけど、それでも誰がこんな悪意を僕に向けるのか、その人物も悪意の源も、結局何も思い当たるところがなかったのだ。
ひとつだけ確かなことは、人は時として、思いもしないところで悪意を向けられることがある、ということだ。もう十数年も前の話になるけれど、過去の日記に無言電話の話を書いたことがある。このときの電話の主だったのは、高校時代の同期の男だった。
彼とは予備校も同じだったのだけど、彼の方は某私大を出て、スーパーに就職したらしい。この話の頃には、鮮魚売り場で仕事をしていて……という話を人伝てに聞いていた。別に、スーパーの鮮魚売り場で働いていたって、僕の人生と比べて何ら劣等感など感ずるところではないと思うのだけど、彼自身にとってはそれが納得のいかないものだったのかもしれない。だからといって、僕に無言電話をかけたところで、彼は何一つ満たされることはなかったはずだ。そして、最後の最後に声を出してしまい……それ以降の彼の消息を僕は知らない。彼がこのことを忘れていてくれれば、きっとまたにこやかに会えるかもしれないのだが。僕もオッサンになって、こういうことを忘れる術を、少しは身につけてきたと思うのだが。
まあしかし、誰がどんなきっかけで、どのような矛先を向けてくるかは分からない。本当に、こういう矛先を向けられたときにはどうしたら良いものか。最初の方の検索騒動のときなどは、本当に参ったものなあ……