TeX Live 2011 に IPA フォントがマージされた

一昨日の深夜から動きがあったのだけど、とうとう TeX Live 2011 に IPA フォントと IPA フォントを使うためのフォントマップがマージされた。とりあえず、いつも使っている Linux、Mac OS X、そして確認のために Microsoft Windows 上でもチェックしたのだが:

  • ipam.ttf
  • ipeg.ttf
  • ipaexm.ttf
  • ipaexg.ttf
と、それらを使用するためのフォントマップがインストールされる。今迄の TeX Live にバンドルされていた日本語用フォントはたしか和田研フォントだったはずだから、まさにこの進展は画期的である。

ごくたまにだが、Windows 上で TeX / LaTeX を使う必要があるので、今までは W32TeX を入れていたのだが、今日、ついに、これも TeX Live 2011 に replace した。こんな日が来るとは思っていなかったのだが。

何が問題だったのだろう

北川弘典氏が「TeX Live 2011 への追加日本語パッチについて」というページで公開されている TeX Live 2011 日本語拡張パッチに関して、どうも不可解な現象が起きている。

実は、これまで、このパッチを使いたいと思いつつも使えない、という状態が続いていた。正確には、

と今まで公開されているうちの、tl11supp-110726.tar.xz から tl11supp-110825.tar.xz に関して、日本語拡張版のバイナリ生成がうまくいかない状態だった。

幸いなことに、TeX Live 2011 の pTeX / pLaTeX はちゃんと動作するので、『TeX Live を使おう ―― Linux ユーザと Mac OS X ユーザのために ――』で公開しているようなことをして、今まで使っていたわけだ。

で、先日、tl11supp-111023.tar.xz が公開されていることに気付いた。まあ今回もダメなのかなあ……と、駄目元でビルドを試みたら、何と、さっくり成功するではないか?

こうなってくると、「じゃあ何故駄目だったんだ?」ということが気になってくる。poppler 周辺とか dbus 周辺とか、何か所か(このビルドの直近に改変したシステムの箇所)に当たりをつけてみたけれど、未だに原因は判然としない。今、tl11supp-110825.tar.xz のビルド(中断することは既に確認済)の各プロセスの標準エラー出力をリダイレクトして、詳細に問題箇所を特定する作業を始めているけれど……それにしても分からない。何が問題だったのだろうか?

北杜夫死去

作家・北杜夫さん死去 「どくとるマンボウ」など

大河小説「楡家(にれけ)の人びと」やユーモアに満ちたエッセー「どくとるマンボウ」シリーズで知られる作家の北杜夫(きた・もりお、本名=斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が死去したことが26日分かった。84歳だった。

東京生まれ。父は歌人の斎藤茂吉。旧制松本高校(現信州大)時代にトーマス・マンに熱中、東北大学医学部在学中に同人誌「文芸首都」の同人となる。1958年から翌年にかけて船医として水産庁調査船に乗船。その経験に基づいたエッセー「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり、一躍人気作家となった。

60年、第2次世界大戦のドイツを舞台に、精神病患者をガス室に送り込もうとするナチスの作戦に抵抗する医師たちの姿を描いた「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。64年には精神科医だった祖父・紀一に始まる斎藤家3代をモデルとした代表作「楡家の人びと」を発表して、純文学作品として高く評価された。

作風は幅広く、「船乗りクプクプの冒険」「さびしい王様」などの児童文学も話題になった。ほかの作品に、日系ブラジル移民の苦闘を描いた「輝ける碧(あお)き空の下で」や松本高時代を振り返った「どくとるマンボウ青春記」がある。91年の「青年茂吉」に始まる父・茂吉の評伝4部作では大仏次郎賞を受賞している。96年日本芸術院会員。

40歳の頃から躁鬱(そううつ)病にかかり、その症状をエッセーなどでユーモラスに描いた。

兄の故斎藤茂太さんは精神科医でエッセイスト、長女の斎藤由香さんもエッセイスト。

2006年1月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。

(日本経済新聞、2011/10/26 9:30)

いつかこういう日が来ることは分かっていた。この何年かの氏の衰弱ぶりは知っていたので……しかし、僕のアイドルの一人が、また世を去ったことは、哀しい。

もうかなり前のことになるけれど、文芸作品の愛好者であったある女性に好きな作家を聞かれ、北杜夫の名を挙げたところが、

「私は嫌いです。あんな甘ったるいもの」

と言われて寂しい思いをしたことがある。それがいいんじゃないか……と言っても、彼女には通じなかった。まあ、トマス・マンもヴィスコンティも嫌いだったらしいから、まあある意味徹底しているのかもしれないけれど。

中高生時代に、気心の知れた友達の間では「北 term」がちゃんと通じていた。「鬱勃たるパトス」と言って、ちゃんとその集団内では通じるのである。まさに、北杜夫自身が松本高校で過ごした日々の記憶のように、僕の中高時代の記憶の中に、今も北杜夫の存在は欠かせない。感傷にふける余裕もない日常の中だけど、これを書いている間位は、この感傷を存分に噛みしめたいと思うのである。

tlmgr に起因するトラブル

TeX Live は、tlmgr というオンライン・アップデータを使って簡単にアップデートができるようになっている……のだが、このアップデートが、しばらく使っているとうまくいかなくなることがある。

その原因になっているのは、多くの場合は tlmgr それ自身である。tlmgr がパッケージの更新をし切れない場合が生じることがあって、その場合にはそのパッケージは強制的に除去され、次回以降のアップデート時に、

skipping forcibly removed package ********
というメッセージが表示されるようになる。これを無視してそのまま使い続けていると、どうも何かおかしいなあ……という話になってくるわけだ。

これに対処するためには、当然だけど、除去されたパッケージを再度インストールしてやればよろしい。しかし、そもそもパッケージの更新が失敗した原因は tlmgr にあるのだから、まず

$ sudo tlmgr update --self
として tlmgr を更新する。それから、
$ sudo tlmgr update --reinstall-forcibly-removed --all
とすることで、除去されたパッケージが再インストールされる。

tlmgr による更新を前提とした TeX Live の使用を敬遠されている方は、おそらくこういうことを体験されていると思う。インストールツリーになるだけ手を加えずに、いつでもクリーンインストールできるようにしておくのも手なのだけど、とりあえず、更新がうまくいかないんだ、という方は、これをチェックされるといいかもしれない。

今日の heavy rotation

どなたでもあることだろうと思うのだが、ふと聴いた音楽がずっと頭の中で鳴っている、というようなことがある。まるで FM のヘビーローテーションのようなのだけど、今日の僕の場合はこれである:

Neil Sedaka は、いわゆるポップアイドルの時代から不遇の時期を経て、1970年代に数々の名曲を残しているのだけど、特に有名なのは、エルトン・ジョンのレーベルである "Rocket" で出したアルバムである。僕は "The Hungry Years" というアルバムが好きなのだけど、この "Bad And Beautiful" という曲は、その次の "Steppin' Out" に収録されている。

アニメ関係に明るい方は、この曲を聴いて「あれっ?」と思われるだろう。この曲に日本語詞を付けたものが、某アニメのエンディングに使われていたことがあるからだ:

……いや、アニメ好きな方には悪いんだけど、やっぱり僕はオリジナルの方がいいですよ。やはり、その曲を書いた人しか出せないものがあると思うし、今聴くと幻想的な原曲のアレンジの方が古さを感じさせない(弦なんか生じゃないのにね)。

インプットメソッドの変更

僕は普段から GNU Emacs 上で SKK というインプットメソッドを使用している。これに慣れると、どれ程辞書が賢いものであろうとも、他のインプットメソッドを使う気にはなれないので、普段使用している Linux の X 上でも、SKK ベースのインプットメソッドを使っている。

UNIX 系のシステム上で使用されるインプットメソッドのフレームワークにはいくつか種類があるけれど、おそらく世間では SCIM とか uim とか IIIMF とかがメジャーなのだろうと思う。その上で使用されるインプットメソッドとしては、Anthy とか Canna とか、最近だと Google 日本語入力 / Mozc とかを使うのだろう。「……だろう」と書くのは、僕自身がこういうインプットメソッドを使わないからである。

先に挙げたようなインプットメソッドフレームワークでは、その多くで SKK 準拠のインプットメソッドが提供されている。しかし、インプットメソッドフレームワーク特有のキーバインドが、SKK 固有のキーバインドとぶつかることが少なからずある。まあ細かい設定をすれば回避できないこともないのだろうけれど、そこまで僕には SCIM や uim にこだわる気がない。そもそも、X 上では昔から skkinput (2, 3) という軽量なインプットエンジンが提供されていたので、僕はずっとこれを使ってきた。先に挙げたようなシステムも勿論一度は試しているのだけど、skkinput 以上にシンプル、かつ十分なものに出会わなかったのだ。

しかし、時間の経過というのは残酷なものである。Debian GNU/Linux において、sid ではもう skkinput はパッケージリストから外されている。手元にあるソースからビルドして使い続けてきたのだけど、今後のことを考えると、未来のありそうな環境に移行しておいた方が、明らかに安全だと思われる状況である。

さて、ではどうするか……という話である。色々検討した結果僕が選んだのは IBus である。以前は、このフレームワーク上で動作する SKK ベースのインプットメソッドがない時期もあったのだけど、幸いなことに、Daiki Ueno 氏の ibus-skk がかなりいい感じで、しかも他のフレームワークで問題になるキーバインドの抵触が、IBus + ibus-skk の場合は(少なくとも今のところは)全く気にならない。ここまで確認したところで、思い切って、長年慣れ親しんだ skkinput を廃止することに決めた。

かくして、今のこの blog のエントリも IBus + ibus-skk で書いているのだが、至極快適である。コンピュータを使っていると、こういうことは不定期に必ずあることなのだけど、自分のものを書く上でかなり重要な部分だし、久方ぶりの更新でもあるので、ちょっと blog にメモしておきたかったのだ。

今年もジャムを煮る

2010年11月7日の日記でも書いたけれど、僕は時々ジャムを作ることがある。季節によっていくつか種類を作るのだけど、この時期には何と言っても林檎である。

林檎のジャムの作り方を知りたい方は2010年11月7日の日記を御参照いただきたい。3つのポイント:

  • 林檎は必ず「紅玉」を使うこと
  • 砂糖は林檎の重さの 30 % を基準として調節すること
  • 皮や種子は一緒に煮ること
さえ守ってもらえば、そうそう失敗することはないと思う。

そう言えば、以前に誰かと林檎のジャムの話になったときに、紅玉じゃなくても作れます! と強硬に主張されたのだが、そりゃあ紅玉でなくたってジャムは作れる。もともと紅玉というのはアメリカ発祥の Jonathan という品種なのだけど、おそらくヨーロッパではこの品種を入手するのは困難だろうと思う。しかし、ヨーロッパでも美味しい林檎のジャムや焼き菓子はちゃんと存在するから、そういうものに使える品種が代わりにあるのだろうと思う。

僕が、林檎のジャムは「紅玉」を絶対に使うべきだ、と書いたのには理由があって、ジャムに用いる林檎の要件:

  • 酸味が強い
  • 香り高い
  • 肉質が細かく、加熱するとさらりと煮溶けてくれる
を満たしてくれる品種が、現在の日本には紅玉以外にほぼ存在しないからだ。生食用の林檎は、糖度を上げることに重点が置かれた結果、甘味以外の味わいや香りが犠牲になっているので、ジャムにした場合は酸味も香りも足りないし、口触りがザクザクした感じになってしまう。

世間の料理や菓子の入門書では、これ見よがしに、レモン果汁やペクチンなどを足したレシピが書かれていることがあるけれど、そもそも酸味は林檎それ自体に十分にあるはずのものだし、ペクチンは林檎の皮や種子に十分過ぎる位入っている。そういう林檎があれば、そもそも小細工など何もいらない筈なのだ。

しかし、昨今の状況を鑑みるに、この林檎のジャムだって、いつまでもできるのかどうか判然としない。紅玉を店頭で見かける機会はどんどん少なくなっていくし、その価格も決して安いとはいえない。今煮ているジャムに使った林檎は、1個140円もした……これも決して相場の中で高いとは言えないのが、今の状況である。

風邪?

知人のM女史が風邪をひいた。僕がM女史に会うときには彼女はマスクをしているので大丈夫だろうと思っていたのだが、どうもウイルスを貰ってしまったらしく、今日になってから、鼻がムズムズしてどうもいけない。

風邪といえば、今年の夏の始めに緑膿菌に喉をやられたときのことを思い出す。このときは、一番近くにある耳鼻咽喉科を受診したら、ろくに内診もせずに抗生物質だけ渡されて、後で違う耳鼻咽喉科に受診し直したのだった。もうあの一軒目の耳鼻咽喉科には絶対に行かないようにしようと思っている。

ひとつ気になっているのが、最近 RS ウイルスの感染が流行っていることだ。大人が感染した場合、たいていの場合は鼻風邪程度で済むものの、場合によっては気管支炎やインフルエンザ様の症状が発現して、まれに重篤な状態に至ることもあるらしい。この RS ウイルスには抗ウイルス薬のシナジス© が有効であることが分かっているのだが、このシナジス© というのが、まあ、実に馬鹿みたいに高いクスリなのだ(詳細はこちらを御参照下さい)。大人に投与することは、おそらく事実上無理と言っていいだろう。乳幼児の場合、たとえば早産で生まれた子などに対して、主に予防的に用いられるようだけど、2割負担としてもとんでもない額がかかることになる。

戦後の混乱期、結核に対するストレプトマイシンなどは、おそらくこういう感覚の代物だったのかなあ、などと思ったりする。遠藤周作の『快男児・怪男児』という小説で、淡い恋心を抱く男のために春を鬻いでストレプトマイシンを送り続ける女性が出てくるけれど、病というものの残酷さは、常人に手の届かない処に特効薬があることで、かえって更に際立ってしまう。おそらく、RS ウイルスとシナジス© においても、この薬価故の辛い話があるような気がしてしまうのだ。

世田谷ラジウム騒動に思う

世田谷で高い線量が確認され、フォールアウトだったら大変だ、と詳細に調べてみたところが、なんと民家の床下にラジウムがあるのが発見された……という騒動に関しては、皆さん既にご存知のことと思う:

世田谷の放射線、床下のラジウムから 原発は無関係

東京都世田谷区弦巻の区道で最大で毎時3.35マイクロシーベルトと周辺より高い放射線量が検出された問題で、区は13日、隣接する民家の床下にあるビンから極めて高い放射線量を検出したと発表した。毎時30マイクロシーベルトまで計測できるメーターが振り切れたという。文部科学省の検査で放射性ラジウムと判明、放射性セシウムは検出されなかったことから、福島第1原発事故とは関係ないと断定した。

同省原子力安全課は「放射線量は民家の前を毎日通っても年間1ミリシーベルト以下になり、健康に影響はない」と説明。ラジウムの出所は不明で、今後調査する。ビンは同省検査官が鉛の容器に入れ、民家内に保管。付近の線量は毎時約0.1〜0.3マイクロシーベルトまで下がった。容器は14日にも撤去し、専門業者に貯蔵してもらう。

同省によると、床下の箱にビンが数十本あり、中に粉末状の物質が入っていた。中身を検査したところ、ラジウムが壊れる際にできる放射性同位元素「ビスマス」と「鉛」を検出した。

同省によると、民家には今年2月まで高齢の女性が一人暮らししていたが、現在は無人。この女性は年間30ミリシーベルトを浴びていた可能性があるが、女性に健康被害が出たことは確認されていない。約10年前に死亡した夫とともに放射性物質を扱う職業に就いておらず、家族もラジウムは「知らない」と話しているという。

区によると、区が依頼した専門業者が13日に民家の壁面を調べたところ、最大で毎時18.6マイクロシーベルトの放射線量を検出した。このため、所有者の許可を得て敷地内を調べたところ、床下にある木箱の中に菓子箱のような箱が収められ、その中にビン類があり、計測限度を超える線量を検出した。

木箱には高さ7センチ、直径6センチのビンが1本と、高さ7センチ、直径1センチ程度の棒状の細いビンが数本あった。いずれも泥で黒く汚れていた。

(日本経済新聞 2011/10/14 1:04)

このような事件は、これが初めてではない。たとえば、1987年の9月、ブラジルのゴイアニアというところで、廃院となったクリニックに盗みに入った青年が、院内に放置されていた医療用放射線照射装置を分解し、線源を持ち去り、解体業者に売り払う、という事件があった。この事件の詳細に関しては ATOMICA の記述をお読みいただきたいが、この事件で汚染された者の数は249人(1987年12月まで)、その被ばく線量は 0.5 Gy 以上約70人、1 Gy 以上21人、4 Gy 以上8人で、そのうち4人(そのうちの一人は6歳の少女)が亡くなり、1人が腕を切除されている。この事件で、分解された線源から漏洩したのは、137Cs の塩化物と樹脂の混合物で、暗闇で青い光を発し、水に溶け、皮膚にも付着して光るような状態だったことが、このような悲劇の一因になっている。

また、2000年2月には、タイのサムートプラカーンという地方で、60Co を線源とした放射線照射装置である Siemens Gammatron-3 が機器更新のどさくさに紛れて解体業者の手に渡り、分解中に線源が露出し、周辺が汚染され、10人が被ばく、そのうち3人が被ばく後2か月以内に亡くなっている(ATOMICA データベース中の該当記述)。

このような事故は日本でも起きている。1971年9月、千葉の造船所構内で、作業員が細い金属製の棒を拾い、好奇心からそれを下宿に持ち帰ったのだが、それは非破壊検査に用いられる 192Ir の入った線源だった。このときは死者こそ出なかったものの、作業員とその友人の計6人が被ばくした。そのうちの1人は、右手指の潰瘍・糜爛を繰り返し、事故から22年後の1993年に、ついに右手指2本を切断することとなった(ATOMICA データベース中の該当記述)。

このように、線源管理の不徹底に起因する被ばく事故というのは、枚挙に暇がない程に多い。上述のような放射線照射装置やその線源が、一般のスクラップとともに鉄鋼生産の現場で溶解された結果、建設用の鉄骨にそれが混入し、マンションの住人が被ばくする、という事故も台湾で起きている。日本の鉄鋼メーカーは、スクラップの購入に際しては細心の注意をはらっており、製鉄所への搬入時には検出器を多数配置したゲートを必ず通すようにして、このような事態を来さないように監視している(実際、このゲートのおかげで放射性物質を持ち込まずに済んだ事態が何度もある)。しかし、海外の製鉄メーカーの場合、残念ながら、このような事故が起きてしまっているのが現実である。

さて、今回の世田谷のラジウムだが、これのあった家の住人は、90歳を越した女性で、1950年代初頭から今年2月までこの家に住んでいたという。ご主人は10年程前に亡くなられたらしい。今回発見された量のラジウムから考えると、年間150ミリシーベルト程度の体外被ばく、そして核崩壊生成物である 222Rn によるきわめて微量の体内被ばくに60年近く晒されていたことになるのだが、この女性やそのご主人がそれによって健康を損なわれた形跡はないらしい……別にだから安全だ、と言いたいのではない。人が生きる上で晒されるリスクには様々な種類があって、今回はそのひとつが高かったけれど、それによる健康被害を受けずに済んでいた、ということで、こういうこともあるのである。

The R passed away.

この間 Steve Jobs が亡くなったばかりのところに、今度は Dennis Ritchie が亡くなったそうだ。これも時代の移り変わりだ、と言ってしまえばそれまでなのだけど、結構ショックである。

僕は正直言って C 言語はあまり得意ではないのだけど、それでも必要に応じて C の世話になることは多かった。大学生の頃、こんな言語分かんねぇよ! と言う僕に、やっぱり K&R 位持っておくべきだよ……と、情報系の知人に言われたことを思い出す。まあ、K&R は初学者に必ずしもお薦めの本ではない(一通り C に触れた初学者には K&R よりむしろ Oualline の『C実践プログラミング』 の方が must item なのだそうな)と言われるけれど、でもやはり、C 言語の originator の手になる本となると、やはり存在の重みが違う。

Ritchie 氏は、長い闘病生活をおくっていたらしい。そういう面でも Steve Jobs のこととダブってしまう。日本でも、3人に2人ががんになり、2人に1人ががんで亡くなる、と言われるようになってもう何年も経つわけで、こういう話は決して他人事ではない。若い頃に何かしら世話になった(というと僕がさも彼らに近いかのように思われそうだがそういう意味ではない)人々が世を去ると、自分の番が近付いていることをひしひしと感じるのである。

季節の変わりめ

季節の変わりめ、と言うには既にどっぷり秋になってしまったけれど、この時期には困ることが結構ある。

まず、米。秋になると、僕の実家の親戚が新米を送ってくれるので、今年もそのお裾分けにあずかった。しかし……これの水加減が実に難しいのだ。新米だから、ちゃんと炊いて美味しく食べたいと思うわけだけど、含水率が微妙に高いようで、どうしても柔らかめになってしまう。えーこんなに減らすのー? という位まで水を減らして、ようやく丁度良い感じになるのだ。

某筋から、大きめの連子鯛(正式な和名はキダイと言う)を貰った。丁度ぎりぎり炊飯用の土鍋(鍋ものに使う土鍋ではなく、炊飯専用のものがあるのだ)に入る位の大きさだったので、これだったら鯛飯でしょう……ということで、炊き込んだのだけど、痛恨の水加減ミス! で、米が少し柔らかくなってしまった。水分量は相当詰めたし、勿論調味料の分は水量から引いてあるわけだけど、それでも柔らかくなってしまう。これ程までに、この時期の米は水加減が難しい。

そして、パン。ホームベーカリーを持っていて、食パンはそれで焼いているのだけど、この時期は水の加減が難しい。夏は生地がダれるので水量を控えめにしていたのだけど、もう大丈夫だろう、と思って水量を戻すと……あー、今日は昼間暖かかったせいか、生地が柔らかめになる。これが発酵時の膨らみ加減に直結するのだ。うーん。まあ別に、こんなことに悩む必要はないのかもしれないけれど、せっかく焼くなら、程良く膨らんだパンを美味しく食べたいので、ついつい考えてしまうわけだ。

これで、もう少し寒くなってくると、今度は衣服で悩むことになる。季節の変わりめは、何かと面倒な時期なのだ。

化学賞?

今年のノーベル化学賞のニュースは、正直言って驚きだった。ダニエル・シェヒトマン氏の準結晶の発見に関する業績、という話を聞いて、えー物理学賞じゃないの? と思ったのだった。

準結晶 quasicrystal という言葉は、おそらく科学関係に関心のある方でもご存知でないかもしれない。僕は材料屋なので、当然だけど結晶学は教養として修めることが要求されていて、しかも僕が某国のプロジェクトで研究対象にしていた物質が、この準結晶によく似た特殊な結晶構造だったために、これとは(僕個人の好むと好まざるとに関わらず)因縁があるのである。

準結晶とは何か? というのは、簡単に説明するのは非常に難しいのだけど、誤解を恐れずに言うならば、複数個の構造単位が連なってできる構造は、やや引いた視点で観ると5回対称性(これも誤解を恐れずに書くならば、1回転させるうちに5回重なるような構造……日本の家紋にある「梅鉢」などを連想していただきたい)を持ち、なおかつ空間を充填することができる。1980年代初頭、そういう構造を、急冷凝固させた Al-Mn 系合金 に見出したのがシェヒトマン氏で、後にもっと安定な系でもこのような構造が存在することが分かってきて、材料科学の分野では今でも重要なトピックのひとつである。

このような準結晶は、20面体 icosahedron で表されるような構造単位を持っているのだけど、僕が扱っていた Mg-Pd 系でも、この icosahedral な構造に近い、いわゆる近似結晶 approximant の構造を持つことが、ドイツのグループの研究である程度分かっていた。僕の材料作製手法は、急冷凝固でもないし、このような結晶を成長させるための手法でもない。だから、このことに気付くまでに1月程あれこれ悩むことになった。気付いたら気付いたで、結晶構造の解析をどうやって行うか、考えるだけでも絶望しそうになったものだ。先の20面体がちょっと歪んだようなクラスターが格子を成して、それが規則配列して結晶を成している。文献から結晶内の原子位置を定めていくと、単位格子内の原子数が数百を超えるのである……手元で出来る限りの精度で粉末 X 線回折をやって、そのデータと構造データを基に Rietveld 解析をしてみると……計算が収束しない。角度を区切って、複数領域で何日もかけて計算を行い、どうやらこの予測が合っているらしい、と言えるまでに、更に何日かを要したのだった。

今考えてみると、どうにもおかしな話である。こういう事態が起きそうな気がしていたから、電顕のスペシャリストと結晶構造解析の専門家をチームに加えていたのだけど、専門家というのが、時に「負け戦」を嫌うものだ、ということを、僕は考えていなかったのだ。結局、僕が(僕は溶融塩や溶融酸化物の熱力学で学位を受けていて、本来は結晶構造解析屋ではないのに!)某所の XRD にアレイ型の検出器を付け、これでも足りないものは SPring-8 に持ち込み、自分で計算をして(RIETAN のバグフィックスのために作者ともやりとりをしつつ)、最終的な結論を出さなければならなかった。この研究の本来の目的は結晶構造解析ではないのに、である。今思い返しても、なんだかなあ、という話だけれど、まあ、いい勉強になった、と思うべきなのだろう。

結晶学という領域を確立した人のことを思い返してみると、Laue がノーベル物理学賞を受賞したのが1914年、そして Bragg 親子(息子の William Lawrence Bragg の方は当時25歳だったという)が同賞を受賞したのが翌1915年である。ここで強調しておきたいのは、どちらも物理学賞を受賞している、ということである。結晶の化学的性質とかに関してならば化学賞でも分かるけれど、伝統的には、今回の準結晶の業績に関しては物理学賞にしてあげてほしかったなあ、と思うのだ。物理の世界では古いから化学で……なんて、そんな扱いでは、材料屋は浮かばれない。

Nobel Prize Live Test

……というわけで、今年は UCSB の中村修二氏は受賞を逃したわけだが、iPS の山中氏にしても、この中村氏にしても、今後10年以内にはほぼ確実に受賞するだろう。だから、今回受賞しなくとも、何も問題はない。

問題があるのは、むしろ医学生理学賞の方だ。ラルフ・スタインマン氏が受賞していないとしたら、おそらく受賞していたのは審良静男大阪大学教授であった可能性が極めて高いのだ。これに関して日本のマスコミがあまり騒いでいないのがどうにも分からないのだけど……

Obsolete

時々、自分の書いているものに関して検索をかけることがある。apache の referer log などに表れてこない問題を未然に防ぐためなのだけど、今年の夏頃に、以前書いた e-ptex 等に関する記述を参考に TeX / LaTeX のモディファイを行われている blog を散見したのだった。こういう方々が悪い、というわけでは勿論ないのだけど、これはこれで少し困った事態である。

技術に関して書いたものは、いずれ obsolete(日本語では「陳腐化」とでも言えばいいのだろうか)になってしまう。これは、陳腐化するまでに数年を要することもあれば、数週間でそうなってしまうこともある。

最近ここに書くことの多い TeX / LaTeX に関しては、困ったことに、2010年始め頃に書いたものでも既にそうなっているものがある。ここを読まれている方で、もし日本語で TeX / LaTeX を使用されたい方は、どうか、

http://www.fugenji.org/~thomas/texlive-guide/
を御参照いただきたい。

あと、最近はどうも LuaTeX-ja に興味を持たれている方らしきアクセスがあるのだけど、LuaTeX-ja を使うベースとしての LuaTeX 環境を整備する上でも、TeX Live 2011 のインストール(と IPA フォントのインストール)は役に立つので、まずは TeX Live の環境を整えていただくか、W32TeX 等の使用を検討されるかすることをお薦めする。

Opera に驚く

僕はこの何年かはずっと Google Chrome をメインのブラウザとして使ってきた。それ以前に何を使っていたかというと、Mozilla Firefox だったり、Netscape だったり……だったわけだが、その合間に定期的にテストしていたブラウザがある。それが Opera なのだけど、長期間使用することはついになかった。

もともと Opera は商用のブラウザだった。金を払わないユーザも使用できるようにしていたけれど、そういうユーザのブラウザには問答無用でバナーを表示させるようになっていた。まあ、それは企業毎の考え方で決まるわけだし、それに文句を言うつもりもない。だけど、当時は他にもブラウザの選択肢があったし、Opera に金を払う気もなかったので、テスト以上の使用をすることはなかった。

で、先日、ふと「そう言えば Opera ってどうなったのかなあ」とチェックしてみたところが、なんと無料で使用可能、しかもあのバナーも出ないようになっているではないか。Debian GNU/Linux 用のバイナリも提供されていて、apt-get でアップグレードもできるようになっているので、Debian のパッケージとしてインストールしてみたら……か、軽い! ……いや待てよ、flash あたりでボロが出るんじゃないのぉ? と見てみると、何の問題もなく表示できる。Adobe が出している 64bit preview のflash plugin に交換してみても、何も問題なく動作する。フォントは細かく設定可能だし……いやぁ、これ、使えるじゃん。ということで、現在メインとして使用中である。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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