ぐだぐだ

この10年程だろうか。国際柔道を観る度に文句ばかり言っているので、U は「もう日本は柔道出るの止めちゃったらいいんだ」とまで言っているのだけど、これは日本柔道が国際化の道を選択した結果なのだから、仕方のないところもあるのかもしれない。

剣道をやっていた者として強調しておきたいけれど、もはや国際柔道は武道ではない。少なくとも、剣道の試合で一本取った後にガッツポーズなどしたら、その一本は取り消されるのが普通である。「残心」を失った国際柔道は、その時点でもはや武道ではないのだ。

しかし、今回のオリンピックの柔道は、いつもに増してひどい。今さっきの、男子66キロ級の海老沼匡選手と韓国のチョ・ジュンホ選手の一戦は……こんな試合、僕は少なくとも観たことがない。

双方が注意ひとつづつで時間切れで、いわゆる golden score に入って、海老沼選手は有効となった……のだが、これが取り消された。そしてそのまま時間切れ。海老沼選手の優勢勝ちか、と思ったら、なんと審判が3人とも青旗(チョ選手側)を上げた。場内は激しいブーイングに包まれた。

驚いたのはその後である。審判が3人とも会場の隅に向かい、そこで誰かと話し、そして……今度は白旗が3本上がったのである。日本にとっても韓国にとっても、こんな後味の悪い判定はないだろうと思う。解説者も、スタジオに居た古賀氏も、

「3本旗が上がったのが覆ったのは、今迄見たことがない」

と異口同音に驚きの声を上げていた。

阿呆な右がかった連中が無意味に食い付いてきそうなので書いておくけれど、僕はあの試合は海老沼選手の優勢で間違いないだろうと思う。問題なのは、このぐだぐだな審判システムの方なのだ。

皆さんは、柔道の審判システムに、数年前から画面に映らない「第4の審判」が加わっているということをご存知だろうか。さっき見てみたら、ちゃんと Wikipedia に説明が載っていたのでリンクしておこう:

Wikipedia 日本語版「ビデオ判定」柔道の項

事の発端は 2000年、シドニーオリンピックにまで遡る。男子100キロ超級の準優勝、篠原信一対ダビド・ドゥイエ(フランス)の一戦、篠原はドゥイエの内股を実に見事にすかしたのだが、審判は2対1でドゥイエの一本と判定、篠原は銀メダルとなった。この判定に関しては、後に国際柔道連盟が誤審と認めたのだが、国際柔道連盟試合審判規定第19条(審判が会場を離れた後に判定が覆らないと規定している)によってドゥイエの金メダルはそのままになった。僕は数か月前にたまたま観たフランス制作のドキュメンタリーで、ドゥイエが当時を振り返ってコメントしているのを目にする機会があったのだが、「あれは我々の完全な勝利である」と誇らしげに言い切るのを見て、本当に厭な気分になった。

話を戻すが、この一件で、柔道の審判システムにビデオのバックアップを付加すべきである、という話になって、2007年から、国際試合では2つのビデオカメラで試合を記録し、本部席の審判員(ジュリー Jury と呼ばれる)が微妙な判定に対してこのビデオで確認を行うようになったのだ、という。今回も、場内割れんばかりのブーイングで、このジュリーが主審・副審を呼び出して、このような事態になったのである。

何が問題なのかは明白である。篠原の一件に代表されるような事態に対する対策として、ビデオ審判を導入することが悪いとは言わない。しかし、それ以前の問題として、国際試合の審判の技術レベルのボトムアップ、というのがまず先に求められるべきだったのだ。それが十分でないままビデオ審判が導入された結果、微妙な判定が求められるときに、とりあえず判定しておいて、問題になりそうだったらジュリーの指示を求めればいい、というコモンセンスが生まれ、それが定着しているのである。ロンドン五輪の柔道をご覧になる方は、主審の耳を見ていただきたい。皆インカムを着けている。困ったときはジュリーに聞く、と言わんばかりの状況である(後記:山口香氏が指摘していたので気付いたのだけど、これはインカムではなくイヤホンである……つまり、審判はジュリーの言うことを聞いていればいい、ということで、ジュリーの方が権限が上だということなのだ)。

しかし、武道の審判というのはそんないい加減なものではなかった筈だ。相撲の行司を見ていただければ分かるが、行司は皆軍配を持つだけではなく、帯に必ず脇差を差している。差し違えがあれば腹を切る覚悟だ、ということを表すためのものだというのは、ご存知の方も多いと思う。

今、僕の背後のテレビでは、海老沼選手が準決勝で敗れる瞬間を映し出したところだ。つくづく思う。もう柔道は武道ではないのだ。勝利したグルジアの選手は、両手を上げて指を立てて……ああ、いやだいやだ。本当にいやだ。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (11)

MAGTF(Marine Air-Ground Task Force、マグタフ、海兵空陸任務部隊)というのは、簡単に言ってしまえば、海兵隊が海外展開するときの部隊編成の考え方、ということになるだろうか。

米海兵隊は、先にも書いたように、有事の際に最初に軍事行動に入る「斬り込み隊」的な存在なのだが、このような第一段階としての軍事行動には、機動性と、必要十分な規模での展開、そして十分な持続力が求められる。過剰でなく、しかし有効な大きさ・強さの展開を行う上では、行動単位の枠組みをちゃんと決めておかなければならない。

通常、軍では「隊」「師団」などの規模でこのような枠組みをカテゴライズしているけれど、海兵隊の場合は陸海空全ての戦力を有し、これらを組み合わせて展開が行われる。だから、そういう組み合わせも合わせて、作戦対応規模の組立てというものを考えなければならなくなる。

MAGTF は、このような視点に立った部隊編成の考え方である。まず、海兵隊の部隊が:

  • 司令部要素
  • 陸上戦闘要素
  • 航空戦闘要素
  • 後方支援要素
という4要素から成る、と考える。そして、この4要素を持った部隊をどの規模で組むか、というのを:
  • MEF(Marine Expeditionary Force、海兵遠征軍)
  • MEB(Marine Expeditionary Brigade、海兵遠征旅団)
  • MEU(Marine Expeditionary Unit、海兵隊遠征隊、海兵隊遠征大隊とも)
  • SPMAGTF(Special Purpose Marine Air-Ground Task Force、特殊目的海兵遠征軍)
という4種の規模に分類する。

平成22年2月9日に開かれた、第7回防衛省政策会議の資料『在日米軍及び海兵隊の意義・役割について』から、これを分類した表を引用する。

MAGTF のカテゴリ
全般 陸上部隊 航空部隊 支援部隊
MEF
(海兵
遠征軍)
司令官:中将
規模:20000-90000
60日間の継戦能力
師団(18000)
 3個歩兵連隊
 1個砲兵連隊
 1個戦車大隊
 等
海兵航空団
 数個航空群
 航空機約300機
部隊戦務支援群
 軍警察
 補給
 整備
 等
MEB
(海兵
遠征
旅団)
司令官:准将
規模:3000-20000
30日間の継戦能力
歩兵連隊
 3個歩兵大隊
 等
海兵航空群
 数個飛行隊
 等
旅団戦務支援群
MEU
(海兵隊
遠征隊)
司令官:大佐
規模:1500-3000
15日間の継戦能力
歩兵大隊
 3個歩兵中隊
 1個砲兵小隊
 等
ヘリコプター飛行隊
 等
戦務支援群

上に行く程戦闘能力・規模が大きく、下に行く程危機対応の機動性が高くなる。なお、上表にない SPMAGTF は MEU より更に小規模・高機動の特殊作戦小部隊である、

海兵隊が MEF として据えているのは、

  • 第1海兵遠征軍(カリフォルニア州サンディエゴ、キャンプ・ペンドルトン)
  • 第2海兵遠征軍(ノースカロライナ州ジャクソンビル、キャンプ・レジューン)
  • 第3海兵遠征軍(沖縄県うるま市、キャンプ・コートニー)
の3つである。つまり、米海兵隊は:
  • 米西岸部(第1海兵遠征軍)
  • 米東岸部(第2海兵遠征軍)
  • 沖縄(第3海兵遠征軍)
で世界をカバーしているわけで、沖縄の担当範囲は太平洋の西側(つまり東・東南アジア、そしてオセアニア)から西アジアまで、ということになる。これだけ広範、かつ政治的に微妙なエリアを、実は沖縄の部隊が一手に担っているのである。

実は、沖縄駐留の海兵隊はちゃんと日本語の web ページを持っていて、それがこれ:

http://www.okinawa.usmc.mil/
なのだけど、ここから辿れる部隊の説明を見ると、

米海兵隊の海兵空陸機動部隊は様々な任務に対応して訓練、装備、そして海兵隊員や海軍兵を百名から数千人の規模で柔軟に編成することが可能です。

米海兵隊は迅速に、どこへでも、どのような任務にでも対応する能力を備えた遠征介入部隊で、独自の空陸部隊が緊密に統合された広範な戦闘能力を所有しています。 この独自の能力が米海兵隊と他の部隊との大きな違いでもあるのです。

と、ちゃんと書いてある。

先の表で注目すべきなのは、表中最も小規模・高機動である MEU の場合、航空部隊として第一に求められるのがヘリコプター飛行隊である、という点である。これは要するに、米海兵隊は、最も機動性が高い航空部隊としてヘリコプター飛行隊を据えている、ということである。

ここで出てくるヘリコプターというのは、直接戦闘を行うヘリコプター、というよりは、陸上部隊や支援部隊と緊密な連携をとって行動するヘリコプターを意識しているものと思われる。このことは、米海兵隊が保有している航空戦力を見ると一目瞭然である。

米海兵隊の主要装備航空機をみると、

  • F/A-18: 225機
  • AV-8B: 129機
  • AH-1W: 146機
  • CH-46: 170機
  • CH-53D: 34機
  • CH-53E: 146機
  • MV-22A/B: 67機
現在は CH-53D は退役しているが、CH-46、CH-53、そして MV-22 を合わせた数は、戦闘攻撃機(F/A-18 と AV-8B)、戦闘ヘリ(AH-1W)と比較して遥かに多い。沖縄米軍の場合でも、たとえば普天間飛行場に配備されている航空機でみると、
  • CH-46: 26機
  • CH-53E: 14機
  • AH-1W: 13機
  • UH-1N: 8機
  • C-12: 2機(人員輸送、連絡用。ビジネス用プロペラ機を軍事転用)
  • UC-35: 1機(人員輸送、連絡用。ビジネスジェットを軍事転用)
  • KC-130: 12機(空中給油機)
のように、やはり CH-46 と CH-53E の配備機数が他と比較して圧倒的に多い。

では、これらのヘリコプター……何度も繰り返すけれどこれらは兵員や物資の迅速な輸送手段として活用される……を含めた、沖縄における米海兵隊の戦力は、一体どれ位の範囲で展開される可能性があるのか。以下に、先にも引用した、平成22年2月9日の第7回防衛省政策会議の資料にある図を引用しておく(クリックすると拡大)。

okinawa-sphere

これは丁度、アフガンまでの距離範囲が入るように円を描いたものだけど、このように、半径 4000 km 程の同心円になる。しかも、これではオセアニアやハワイは入っていないのだ。この円の範囲内の任意の地点に対し、沖縄を拠点・起点として、「迅速に、どこへでも、どのような任務にでも対応する」「遠征介入」を行うこと。これこそが、米海兵隊における沖縄駐留部隊に求められているわけである。

数千 km もの行動範囲で動くためには、ヘリではノンストップだとしても数十時間を要する。実際には給油等で地上、もしくはヘリ空母上などに降りなければならないから、それこそ数日がかりということになる。しかし、もし MV-22 を用いれば、空中給油を最大で2、3回行えば、一日未満の時間で行動することが可能になるのである。これこそが、まさに、米海兵隊が、あれ程問題を指摘されながらも MV-22 の配備を進めている最大の理由なのである。

米海兵隊は、このような迅速展開を可能とする航空機を切望していたに違いない。現時点では、これを実現する(それは迅速であることと同時に、展開先の滑走路の有無を問わない、ということが暗黙の前提としてあることは言うまでもない)選択肢として、他の航空機は考えられないのである。そして、このような航空機を切望するあまり、米海兵隊は JVX プロジェクトに総計数兆円とも言われる額を投じてきた。そこまで投資しても必要である、ということは、今や、そこまで投資して取り返さないわけにはいかない、ということにすり替わっているのだ。このことが、V-22 導入への「焦り」とも言えるような米海兵隊の行動の背景にあることは、否定し難い事実である。

何度も書くけれど、米海兵隊は、ヘリに匹敵する、あるいはヘリを凌駕するような(ホバリングモードでの)性能を V-22 には求めていない。速度と航続距離、それに積載量が満たされ、それに加えて垂直離着陸、あるいはヘリ空母の甲板でできる程度の短距離離着陸ができれば、それ以上の性能など必要としていない。議会などで問題とされる class A 事故の発生率も、彼等にとって幸いなことに、従来型の輸送ヘリと比べて際立って高いというわけでもない(実は class B や class C の事故発生率はかなり高いのだけど)。その範囲内で事故が発生したとしても、それは軍事行動におけるリスクとして受容し得る範囲内である……と、こういう見方をしていると解釈すべきであろう。彼等は民間業務をやっているのではない。戦争をしているのだ。そこでは多少のリスクは許容され得るし、そういうコモンセンスがある範囲内では、ひとつひとつの事故の無惨さも、統計における数字を過度に乱しさえしなければ無視され得ることなのである。

もちろん、だからといって、岩国や普天間で何も考慮されることもなく運用されていい、と言うつもりは毛頭ない。アメリカ側の認識はこうなんですよ、ということを書いているだけのことである。そもそも、皆さんは普天間飛行場の写真をご覧になったことがあるだろうか。先の防衛省政策会議の資料に丁度あるので引用しておく(クリックすると拡大)。

futenma-view

このように、今や普天間は住宅街に囲まれている。普天間から発進する航空機が、民家の上を避けることは不可能なのである。この状況で、V-22 をここで運用するというのがどういうことなのか……そのリスクに関しては、今迄長々と書いてきたことだけど、皆さんはどのように思われるだろうか。

……長々と、本当に長々と書いてきたけれど、「なぜオスプレイは危険だといわれるのか」、お分かりいただけただろうか。標記の件、そして、オスプレイの運用リスクに対して、アメリカ、特に米海兵隊がどのように考えているのかに関しても、少しは窺い知ることができたのではないか、と思う。

最後に僕自身の私見を書いておくと、オスプレイは確かに米海兵隊には必要で、もはや CH-46 に戻ることも、 CH-53E に転換することも不可能なのだろう、と思う。しかし、せめて、この国でそれを運用するのならば、民家の上では勘弁してもらえないだろうか、特にホバリングモードでの飛行は勘弁してもらえないだろうか、と思うわけだ。普天間で運用する上で、オスプレイは民家の上を飛ぶことを回避できない。全国に設定された訓練ルート上でも、民家の上は避け難い。もし「いやオスプレイは安全だ」と仰るなら、アメリカ大統領や日本国の首相が率先して V-22 を移動に使われればいい。少なくとも、今の総理大臣がそれで死んだとしても、それは普天間周辺の住民に犠牲者が出ることよりも遥かに低い損失だと思うしね ;-p

というわけで、「なぜオスプレイは危険だといわれるのか」はここまで。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (10)

今回は、本論に入る前に、僕がこれを書く上での立場を明確にしておきたい。妙な批判や、逆に妙な引用などをされているのがネット上で散見されるためなのだが……

まず初めに断わっておくけれど、僕は V-22 導入に関しては、賛成/反対という単純な二元論的立場に立つものではない。ティルトローター機に関しては、シコルスキーが主導で提案されたX ウイングと共に、1980年代前半に新しい回転翼機として雑誌などで採り上げられるようになった頃から知っていて(勿論当時は XV-15 までしか存在していなかったわけだが)、いわゆる技術の seed として魅力あるものだ、という当時の印象は未だに変わっていない。しかし、これからふれることになるけれど、米海兵隊はややこの V-22 の導入に焦っている感が否めず、その点が非常に気にかかっている。そして、ティルトローターという概念が持つ本質的な不安定さを、フライバイワイヤ等の「力業」で押さえ込むようにして実用機をかたちにしているところには、工学屋のひとりとしては危うさを感じずにはおれない。

このような、工学屋(ただし、僕自身は物質科学とか材料工学とか言われる分野の専門家であって、航空工学の専門家ではないので念のため……航空工学関連の材料も扱ったことはあるので、まんざら無縁というわけではないのだが)としての思いからこれを書いている。ただそれだけである。イデオロギー的なバックグラウンド等も一切ない。そう言えば、岩国基地周辺での V-22 反対運動には、JR 総連などのいわゆる組合系の動員がかなりかかっているようだが、そういうことにもあまり良い感情は抱いていない。岩国はまだいいのだ。半分以上を海に面しているのだから。普天間に比べれば、そして、おそらくはホバリングモードでの飛行が行われる訓練空域の下に比べれば、岩国はまだ恵まれている。普天間の移転先が辺野古の海に面した V 字滑走路であったことは、V-22 運用のことを考えれば納得がいくものなのだ。宜野湾市のあの住宅街と化した基地周辺の上に比べれば、そりゃあ海の上の方がまだましというものである。

本論に戻る。前回は、V-22 が工学的に抱える問題に関して一通り見ていったわけだが、実際のところ、その安全性はどのように評価されているのか。そして、何故米軍は V-22 の導入にこれ程こだわっているのか。これらに関して見ていくことにする。

まず、統計で見る V-22 の安全性だが、まずアメリカの軍用機における事故の評価基準に関して説明しなければならない。アメリカでは、軍用機の事故を class A から class D までの4段階にカテゴライズしている。その基準は以下の通りである。

まず、class A は、

  1. 死亡事故である
  2. 事故発生以後永続的な飛行禁止措置となった
  3. 200万ドル以上の損害をもたらした
  4. 事故により航空機が完全に破壊された
のいずれかの場合である。class B は、class A に満たない事故で、
  1. 事故発生以後永続的な飛行制限措置となった
  2. 50万ドル以上の損害をもたらした
  3. 3名以上が入院(診察や経過観察のための入院を除く)する事態となった
のいずれかの場合、class C は、class B に満たない事故で、
  1. 致命的でない負傷、もしくは疾病で、事故発生日を除いて1日以上の欠勤が必要となった
  2. 5万ドル以上の損害をもたらした
のいずれかの場合、そして class D は class C に満たない事故で、
  1. class A から C に満たない傷病が記録記載された
  2. 2万ドル以上の損害をもたらした
のいずれかに該当する場合である(参考:http://www.dtic.mil/whs/directives/corres/pdf/605507p.pdf)。

さて、では米海兵隊におけるこのように classify された航空機事故が、果たしてどの程度起きているのか。米海兵隊が発表している、飛行時間10万時間あたりの class A に該当する事故の発生回数(これを事故発生率と称する)を機種別に並べてみると、

  • MV-22: 1.93
  • CH-46: 1.11
  • CH-53E: 2.35
  • CH-53D: 4.51
  • AV-8B: 6.76
  • 米海兵隊全体: 2.45
米軍や日本政府関係者が言う「V-22 は安全な航空機である」という主張は、この数値によっているわけだ。ちなみに、CH-46 はタンデムローター機、CH-53 はシングルローターの大型ヘリ(海兵隊の運用するヘリコプターの中で最大のものである)、AV-8B はハリアー II と呼ばれる、現行最新型の垂直離着陸攻撃機である。

まず、AV-8B の事故発生率は、V-22 に対する比較材料として適さないと思われる。AV-8B は MV-22 より遥かに対空砲火に晒される対地攻撃が主な任務で、湾岸戦争における損耗率で比較すると、F-16 の7倍もの高値である。もともと AV-8B は widow maker(未亡人製造機)と呼ばれている航空機の中でも最も有名なもののひとつなのだ。また、AV-8B は単座機で射出座席も装備されているために、機体全損(上述のとおりこれは class A にカテゴライズされる)でもパイロットが生還できる可能性がある。乗員が脱出できない MV-22 と直接比較するべきものではないのだ。

では CH-53 の場合はどうか。CH-53D は1969年から配備が始まった機体なので、ベトナム戦争からアフガンまで参加している。そして今年の2月に既に海兵隊の CH-53D は退役している。ちなみに、今から8年前、宜野湾市の沖縄国際大学に墜落したのは、この CH-53D である。CH-53E は CH-53 に対してエンジン、ローター等を増強したモデルで、米軍最大の輸送ヘリである。1981年に配備開始され、湾岸戦争やアフガンに投入されているが、これも老朽化に伴い改修型の CH-53K に移行することが決定されている。

むしろ、今から50年前に配備が開始された CH-46 の事故発生率の低さに注目すべきである。ベトナム戦争を始めとした数々の戦場で使用されているにも関わらず、この事故発生率である。V-22 は配備開始からようやく20年、しかもベトナムを経験していない。それを考えると、この数字だけで V-22 が安全だ、と言い切るのは、やはりいささか問題があると言わざるを得まい。

そして、前回まとめた V-22 の事故を見返すと、ここ1、2年に発生した事故の原因が完全に究明されていないというところに、危うさを感じずにはいられない。要因がはっきりした事故率の高さと、unknown な事故が起きていて今迄の事故率が低いのと……どちらが安全か、と問われれば、どちらも危険です、と言わざるを得まい。

では、なぜ米軍、特に米海兵隊は、この V-22 の運用にこれ程までに積極的なのだろうか。

世間でよく言われているのは、V-22 は、速度、積載量、航続距離の全てにおいて CH-46 を大きく凌駕している、ということである。これを以下に比較してみると:

V-22 と CH-46,CH-53E の比較
CH-46 CH-53E V-22
最大 / 巡航速度 / km/h 267 / 241 315 / 278 509 / 446
航続距離 / km 1020 1000 1627
積載重量 / kg 3975 13600 9072
収容人数 / 人(乗員 + 積載人数) 5 + 14 5 + 37 2 + 25
のようになる。

上の表からざっくりと読み取ると、CH-46 と比べて V-22 は:

  • 速度:2倍
  • 航続距離:1.6倍
  • 積載量:2.3倍
ということになる。メディアで言われている程ではないにせよ、CH-46 に対する優位性は確かに高い。しかし、同じく海兵隊で運用されている CH-53E と比較すると、積載量は大きく劣っているということになる。ではなぜ、V-22 を、という話になるのか。

世間ではどうも誤解されているようなのだが、ヘリコプターに空中給油を受ける能力がないというわけではない。CH-46 は空中給油のための改修が行われていないが、発展型の MH-47 や、先の比較に入れておいた CH-53E は、空中給油のためのプローブを持っている。米海兵隊の場合、これらのヘリコプターの速度に対応できる KC-130(C-130 の空中給油型)を運用しているので、CH-53E への空中給油にはこれを用いているものと思われる。

米海軍や米海兵隊、特に空母で運用される航空機に対しては、空母から離着艦できる機体で空中給油を行うことが多い。現在、このような任務には給油ポッドを装着した F/A-18E/F があてられることが多いのだが、F/A-18E/F のようなジェット戦闘機/攻撃機がヘリと同じ速度で飛ぶことは非常に困難である。このようなポッドを装着していない状態でも、極端な高迎え角を取ることなしには、おそらく 270〜280 km/以下での飛行は困難と思われる(参考)。つまり、KC-130、もしくはヘリによる空中給油以外では、ヘリは空中給油を受け難いということである。

何が言いたいのか、というと、空中給油というものの適用範囲が、それを受ける航空機のスピードや航続距離によって決定付けられる、ということである。やたら遅い航空機に、その速度に合わせられる空中給油機を使って頻繁に空中給油を行っても、機動性が増すわけではない。その意味では、水平飛行時の性能に本質的な限界のあるヘリコプターに空中給油を行っても、固定翼機と同等のメリットが生まれるわけではない。

つまり、V-22 の旨味は、ひとえにその「スピード」にある、と考えるのが妥当である。米海兵隊における V-22 の位置付けは、

  • 従来の中・大型ヘリと同等の空輸力で、
  • ヘリを大きく上回る速度で展開可能で、
  • 空中給油への適応性が高く、容易に行動範囲を拡張でき、
  • なおかつ離着陸の制約がない
ということだと考えるべきだろう。今まで長々と、「ティルトローター機はヘリと固定翼機のいいとこ取りをしている」と書いてきたけれど、実際のところ、海兵隊はティルトローター機にヘリのような長時間のホバリンクや、ホバリンク時の高い機動性を求められる戦闘行為、あるいは偵察行為を担わせているわけではない。戦闘ヘリのような「ヘリならでは」という任務には、最初からティルトローター機を適用しようとしていないのである。

つまり、V-22 に米軍が求めているものは、あくまで V/STOL としての運用が「できること」であって、それ以上ではない。垂直離着陸、あるいは短距離離着陸ができれば、それで十分だ、ということなのである。既存のヘリと同等の、ホバリング時の高機動性などというものは、初めから求められてなどいない。固定翼での水平飛行モードでの速度・航続距離が十分に満たされていて、その上で既存のヘリと同じ場所での離着陸が可能でありさえすれば、それ以上求めるところはない(そして多少不安定であっても関知しない)、ということなのだろう。

以上のことから、米軍、特に米海兵隊における V-22 の位置付けは、

「タンデムローターのヘリが従来担ってきた、中規模の兵員・物資輸送を、より迅速にかつ広範囲に行え、なおかつ従来ヘリが離着陸を行ってきた場所で離着陸可能な航空機」

ということなのだろう。CH-46 からの機種転換ということで、我々は少々誤解していたようだが、V-22 がローターを天に向けたときの機動性が従来のヘリより多少劣っていたとしても、それは、米海兵隊としては「必要要件を満たしている」と割り切られることなのである。

このように、V-22 の配備は、CH-46 の代替としてのものではなく、(同じ規模の任務をカバーしているものの)全く新しい位置付けのものだと見るべきものであるようだ。このような機体が求められる背景を知るためには、米海兵隊の MAGTF(海兵空陸任務部隊)と呼ばれる編成理念を理解しておくことが必要だろう。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (9)

以下に、V-22 の今まで起こした事故の一覧を示す。

V-22 事故一覧
死者 けが人 原因
1991 0 0 操縦システムの配線ミス
1992 7 0 エンジン油圧系もれ→発火
2000 19 0 VRS
2000 4 0 油圧系トラブル、警報システムの不備
2006 0 0 操縦システムの配線ミス
2006 0 0 エンジン、もしくは制御システムのトラブル→エンスト
2007 0 0 制御コンピュータ誤作動→操縦不能の可能性
2007 0 0 吸気部塵芥除去装置の設計欠陥→エンジン油圧系もれ→発火
2010 4 16 低視界? 着陸の際の不手際? 状況認識の欠如? 降下速度大?(不明)
2012 2 2 機械的欠陥は発見されず→人為ミス?
2012 0 5 不明、調査中

合計すると、死者36名、けが23名ということになる。これは結構な数である。

しかも、これらの中にカウントされていない事故も散発している。メディア等でも流されている例を以下に示す:これらはいずれも「事故ではない」とされている。これらのようなものまで含めたら、到底ここに書き切れる量ではないだろう。

さて。では、V-22 の何が問題なのかを、ひとつづつ挙げていくことにしよう。


まず、ティルトローター機が本質的に抱えている問題として、ローターに関する問題が挙げられる。ローターは、ホバリングに最適化すると、水平飛行時の際に抵抗を生み、これが機体を不安定にする振動の原因となる。しかし、水平飛行に最適化してしまうと、ホバリングに必要な推力を得られない。V-22 は、この二者のバランス点を、水平飛行にかなり寄ったところに置いている。ローターはヘリコプターのそれよりも、むしろプロペラ機のそれに近い形状で、大きさの方より回転速度の方で揚力を稼いでいるような印象を受ける。

ローターやプロペラの推力は、単位時間あたりにどれだけの体積の空気を動かすことができるか、で決まるから、大きいローターと同じ揚力を小さなローターで得るためには、必然的に回転数を大きくしなければならない。そして、同じ揚力が得られたとしても、ローターの投影面積が小さければ、下方への風速はより大きくなり、流体力学的により不安定な要素が増えるのである。

これに対しては、XV-15 の時代から、風洞内や屋外で固定した実機の周りの空気の流れの測定が行われている。また、近年はスーパーコンピュータを用いた数値流体解析も行われている。NASA の公開している例を以下に示す:

しかし、このような乱流の挙動は、必ずしもシミュレーションだけで完全に再現・予想し得るものではない。XV-15 という原型機から一足飛びに実用機として開発された V-22 は、その辺のデータが他の固定翼機や回転翼機と比較して、決定的に不足しているのは否定できないことである。

このことは、おそらく VRS とも関わっている可能性が高い。ローターの投影面積が小さいために、降下速度が本質的に増加し易く、またローターのブレードからの気流の剥離が生じやすい傾向があると思われる。

また、ティルトローター機の本質的な問題として、遷移状態の問題がある。ホバリングモードと水平飛行モードの間の移行に関する問題である。オスプレイの場合、この移行に要する時間は12秒程度といわれているが、この12秒の間に何らかのトラブルがあった場合、安全に降りるための方法は皆無だと言っていい。だからこそ、XV-15 には射出座席が装備されていたのである。V-22 には射出座席はない。あっても貨物室に乗った人達は逃げようがないのだ。

更に、遷移状態にあるティルトローター機は横風、特に強い追い風を受けたときに姿勢が不安定になる可能性を指摘されている。これに関しても、大きな有効面積のローターで保持されたヘリコプターと比べて、ローターの投影面積が小さく、また大面積の翼や尾翼を持つティルトローター機は風に対する機体の挙動が敏感だろうから、事故の一因になっている可能性は高い。

そもそも、ヘリコプターは(意外に思われる方がおられるかもしれないが)緊急時にはむしろ固定翼機より安全だと言われている。オートローテーションという操作を行うことで、エンジンを停止していても減速・降下が可能なのである。一例として、ユーロコプター EC-120 がオートローテーションで着陸するデモ動画をリンクしておく:エンジン音がしないことがお分かりだろうか。このように、完全にエンジンを停止した状態でも、安全に着陸することが可能なのである。ちなみに、ヘリコプターの操縦免許を取得する際には、必ずこのオートローテーションが行えることが要求されるし、実際に訓練としてこの着陸操作を行わされる。

このオートローテーションは、まずローターとエンジンの接続を切る(クラッチを切ったような状態……ただし、メインローターとテイルローターの接続はされている)。機体の降下がはじまると、それに伴ってローターが回転する。ローターが回転すると下向きの気流が生まれ、揚力が生ずる。生ずる揚力は機体を浮かべ続ける程ではないが、機体を減速するのには十分な力が生ずる。地表に近付いたところで機首を上げ、グラウンド・エフェクトを最大限に利用して推進と落下の双方にがっちりブレーキをかけて、着地する。こういう原理で行われている。

このようにオートローテーションを行うためにはふたつの要素が重要となる。まず、ローターが十分な投影面積を持っていること……これによって、降下速度が減速された状態でも十分な揚力が発生することが保証される。そして、ローターの回転に対して十分な慣性力がはたらくこと……これによって、地表に近付いたときの減速時にも十分な揚力が維持される。ところが、ティルトローター機は先にも述べたとおり、ローターの投影面積が純粋なヘリコプターより少ない。そして、ローターの回転速度をエンジンでコントロールし易くするために、ローターが軽く作られていることと、ローターの回転半径が小さいために、その慣性力も純粋なヘリコプターより小さい。

そもそも、XV-15 に関する NASA の文書などを読んでも、XV-15 のオートローテーションに関する記述は出てこない。仕様に関する記述に、わずかに「オートローテーション時にはローターを 5°後方に傾ける」という記述があるのみである。V-22 においては、2002年に米海兵隊はその性能の必要要件の中からオートローテーションに関する項目を削除しているのである。つまり、V-22 は実際にはオートローテーションが使いものにならない、ということなのだろう。

もちろん、オートローテーションの試験をしているかもしれないけれど、V-22 の水平飛行時にはオートローテーションに入れる可能性はまずないと言っていい……だって、ローターを垂直にするのに12秒以上かかるんだから、それまでにどれだけ落下するか考えれば、これは実際には無理と考えるべきだろう。ではホバリング中はどうか……ホバリング中の高度は低いと考えられるのだけど、オートローテーションを行った場合に、降下速度を抑えるのは、上述の2つの要素が乏しい V-22 には困難だろうから、これも難しい、と言わざるを得ない。実際、数少ない V-22 のオートローテーションに関する記述では、いずれもかなり高度を確保した上でしか試験を行っていないのだ。各種資料をあたってみると、V-22 のオートローテーションには最低でも 1600 ft(500 m 以上)の高度が必要、とある。これでは緊急避難手段としては使いものにならないのである。

じゃあ、飛行機の通常の操作……滑空して不時着、でいいだろう、という話になるわけだ。たしかに、V-22 のローターは、接地時に容易に脱落するように作られている。だから、ローターがあの大きさでも安全に滑空・着陸できるのだ……というふれこみなのだけど、実際には、滑空となると、ヘリとしては小さ過ぎたはずのローターが仇となる可能性が高い。

プロペラ機でエンジントラブルが発生した時にどうするか、というと、フェザリングという操作を行う。これはプロペラのピッチ(迎え角)を最大(ブレードが進行方向に対してほぼ平行になる位)にして、プロペラをロックする措置だが、何故こんなことをするかというと、滑空時にプロペラが回転すると、推進力に対する抵抗を生んでしまうからだ。これは、先のオートローテーションで揚力が発生するのと全く同じ理由による。しかし、ヘリとしては小さいオスプレイのローターは、固定翼機のプロペラとして見ると、通常より遥かに大きい。つまり、滑空する上ではより邪魔なものになってしまうのだ。

しかも、V-22 の翼は同じ大きさの固定翼機と比較すると小さい。つまり、滑空時に得られる揚力は決して十分ではない。そこにきてローターの抵抗が大きい、となると、これは問題である。しかも、ローターの向きを適正にできなかった場合、その抵抗はローターが水平になっているときよりも遥かに大きくなる。結果として、滑空して不時着するという選択が、必ずしも安全なものとはなり得ないということになるのである。

さて、ここまでは、ティルトローター機の本質的に抱えている問題を見てきたけれど、ここからは V-22 独自の問題を見ていくことにしよう。

まず問題として目がいくのは、やはりエンジンであろう。事故原因を見返していただくとお分かりかと思うのだが、エンジンナセルからの出火が何度か起きている。これは、ローターと共にエンジンも角度を変える、という V-22 の仕様が関わっている可能性を否定できないだろう。

上の動画で、離陸時にエンジンから白煙が上がっている様子を撮ったものがあったが、この手のエンジンから白煙が出るとき、その原因の多くは、漏れた油が燃焼したか、気化したものが再凝結して細かい霧状になっているかのいずれかである。この場合も、エンジン停止時に漏れた油が、始動したエンジンの温度上昇に伴い白煙となった可能性が極めて高い。

ティルトローター機において、エンジンそのものを傾けることが不可欠というわけではない。以前に挙げたように、XV-15 構想時のボーイング・バートルのプランでは、エンジンナセルは翼と共に固定されていたし、現在構想の段階にあると言われている、C-130 クラスの大型ティルトローター機(2枚の主翼に4つのローターが付き、エンジンナセルは固定とする形のスケッチが出ているらしい)の場合も、エンジンは翼に固定されている。

では何故 V-22 でこのレイアウトが採用されたのか。それは原型機が XV-15 だからだ。では XV-15 で何故このレイアウトだったか、というと、これはベル・エアクラフト社がこのスケッチを出してきたからである。ベル社がこのレイアウトを採用したのは、エンジンを固定すると、エンジン=ローター間の伝達機能が複雑化することを、前世代の XV-3 で経験していたからなのだが、本当にこれはシンプルなアイディアだったのだろうか。そもそも、ガスタービンの回転速度はローターのそれに比べるとかなり高速で、エンジンの回転をローターに伝える過程でかなり減速比の大きな変速機構を挟まなければならない。しかも、変速機構も傾きを変えるので、特にギアに関しては大きな負担がかかることが予想される。事実、XV-15 の開発過程において、この変速機構の耐久試験には2年以上の時間を要し、その結果、ギアの溶接強度等の改善が行われているのだ。

あのようなエンジンの配置をしているもうひとつの理由として、エンジンの排気を推力 / 揚力として有効に活用したい、という要請があると考えられる、これは、ターボプロップの航空機一般で求められることなのだけど、あのようなエンジン配置の場合、ホバリング時に、ローターと排気とで巻き上げられた塵芥が、落ちてくる過程でそのままエンジンに吸われてしまう可能性が高い。勿論、この問題への対処として、エンジン吸気口には塵芥除去装置が付いているのだけど、エンジンに砂などの異物が入り込んだ場合、一時的な出力低下の原因となることがあり得る(エンジン内部のタービンや燃焼室に溶融した塵芥が付着するためだが、熱履歴などで剥離するので、また推力が回復する場合も少なくないだろう)。事故で報告されている出力低下が、このような塵芥の影響と本当に関係ないのか、十分な検討とその結果の情報公開が必要になるだろう。

エンジンの配置以前の問題として、姿勢制御におけるエンジンへの負担の問題にも言及しなければならない。何度も指摘しているように、V-22 のローターはヘリコプターとしては小さ過ぎるわけだが、この結果、上下動の微調整のために、エンジンの回転数を細かく調整する必要が生ずる。何らかの理由で下降が生じた場合、エンジンは急激に回転を増すことを要求されるわけだが、そもそもガスタービンエンジンは、このような急激な回転数の変化を得意としていない。自動車などにガスタービンエンジンが(ごくごく一部の例外を除いて)使用されない最大の理由がこれなのだけど、ローターが小さく、また軽い V-22 の場合、通常ならばローターの慣性によって吸収される負荷変動が、そのままエンジンにかかることが予想される。クルマにも劣らない程の細やかな出力調整が求められることは想像に難くない。このことが、エンジンへの過大な負荷の原因になってはいないだろうか。

エンジン以外の問題としては、制御システム、特に各種センサーとフライバイワイヤシステムに関わる問題が重要である。V-22 の初期における事故の多くはこれが原因であるからだ。固定翼機において、フライバイワイヤシステムの不備で事故に至った事例を前に動画で示したが、ティルトローター機の場合は、全く新しいシステムであるだけに、このシステムの問題は固定翼機に増して重要である。工学屋が言う「枯れた」システムにするために、初期の段階では十分な試験(ありとあらゆる操作を行い、想定外の結果が出るかどうかチェックし、改善を行うような試験)が行われる必要があるのだが、XV-15 を原型としたために、V-22 のシステムに対して、そのような厳重な「ダメ出し」チェックが軽視されてはいなかったろうか。この1、2年の間ですら、原因がはっきりしない事故が複数件数ある、ということは、この点をはっきりと否定し切れないからではないだろうか。

……と、技術的な検討を行うと、ツッコミどころが次から次へと湧いてくる。このような状況で何故、米軍は V-22 にこれほどまでに固執するのか。次回はそれに関して書くことにする。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (8)

XV-15 の開発では、ティルト・ローター機を従来の航空機と差別化し得る部分に最も力が注がれた。特に力が注がれたのは、

  • 遷移状態における流体力学的安定性の確保
  • 水平飛行における抵抗・振動の軽減
  • 操縦系統のフライバイワイヤ化
  • フライトシミュレータによるシミュレーションと実機による実験の並行化
である。

水平飛行から垂直機動に切り替わる遷移状態では、ローターやエンジンナセル(エンジンが収納されている場所)が斜め、あるいは上方を向くことによる気流の乱れが生じる。これに関してはエンジン部の模型や実機での風洞試験が多数行われた。

水平飛行における抵抗・振動というのは、ちょっと悩ましい問題である。ヘリコプターとして垂直機動を行うのにローターを最適化すると、水平飛行時にプロペラとして用いるのには大き過ぎ、プロペラの羽根の迎え角(ピッチ)も大き過ぎ、抵抗を生む。この抗力でローターや機体が力を受けると、水平飛行を不安定にする振動の原因となるのである。そのため、ローターの形状は、従来型のプロペラ機同様、先の方に行くに従い細く、またピッチが浅くなるように(捻り下げ)デザインされた。このような形状は、ヘリコプターのローターとしては適切さを欠くのだけど、水平飛行における機動力の方が優先されたのである。

このような問題から不安定になる機体を適切に制御するためには、フライバイワイヤの導入は不可欠なものであった。しかし、これも、静安定性緩和の要請から、というよりは、不安定さを力業で安定化させるための要請、と言う方が適切であろう。フライトシミュレータを用いた並行開発、というのは、1970年代以降(アポロ計画以降、と言うべきだろうか)の航空機開発における(現在に至るまでの)トレンドであり、これ自体はいい方向にはたらいたと思われる。

……という具合に、ティルト・ローター機の開発は、決して技術的にクリアなものではなく、最適なかたちを模索しつつ、ある部分は妥協で、またある部分は力業で克服することですすめられてきたわけだ。そして、XV-15 という試験機があるひとつのはっきりしたかたちとして完成したことは、実はいいことばかりではなかったのかもしれない。

1980年、カーター政権下で決行されたイーグルクロー作戦(テヘラン駐アメリカ大使館人質救出作戦)において、ヘリコプターの運用トラブルから人質救出に失敗、更には撤収時にヘリと輸送機が衝突、8名の死者と4名の負傷者を出すという散々な結果に終わったことをきっかけとして、翌1981年、アメリカ国防総省は、陸・海・空軍ならびに海兵隊が共用する新しい垂直離着陸機の開発計画である JVX(Joint-service Vertical take-off/landing eXperimental, 統合垂直離着陸研究)プロジェクトを立ち上げた。これは当初は陸軍が主導的立場にあったが、やがて海軍と海兵隊に主導者が代わり、1982年12月に提案依頼書が発行された。

JVX に要求されたのは、垂直離着陸能力と十分なスピード、そして兵員の輸送力だった。数社がこれに関心を示したが、実際に提出された開発案は、XV-15 プロジェクトに関わったベル社とボーイング・バートル社が共同で提出した、XV-15 を原型とする案のみであった。1983年4月26日、ベル = ボーイング案が採用され、1985年1月15日、JVX には "V-22 Osprey" の名称が与えられ、まず試作機を6機製作することが決められた。

V-22 の開発は決して順調というわけではなかった。計画の遅れと予算の拡大のために、陸軍がプロジェクトから離脱し、アメリカ上院は予算案を否決した。ブッシュ政権の国防長官であったディック・チェイニーは予算削減のため開発を中止する発表までしたのだが、共和党政権下で、このプロジェクトは生き残った。そして、民主党のクリントン政権下においても前向きの評価を得、潤沢な予算が付けられて継続していった。

最初の6機の試作機は、計画の主導的立場にある海兵隊に納入されることになり、海兵隊の機体であることを示す M を付与した MV-22 という名称になった。本来の命名規則通りならば、CH-46 のように、まず輸送用途を示す C、次いで垂直離着陸機を示す V を表示して CV-22 という名称になるところなのだが、もともと海軍や海兵隊では CV というと航空母艦を示す。そのため、混乱を避けるためにこのような名称になっている。空軍ではその問題が生じないため、命名規則通りに CV-22 という名称となった。MV-22 は 1989年3月19日にヘリコプターモードで初飛行し、同年9月14日には水平飛行モードでの初飛行に成功した。1990年末には、航空母艦上での運用試験にも成功した。しかし、翌1991年から、オスプレイの「未亡人製造機」としての歴史がはじまるのである。以下、時間の経過に沿って、V-22 が起こした事故に関して書いていくことにする。


最初の事故が発生したのは 1991年6月11日だった。これは映像が残されている:

この映像をご覧になって、何かデジャヴのようなものを感じられないだろうか。YF-16 や F-22 のフライバイワイヤシステムに起因する事故に、よく似た映像である。実際、この事故の原因は、機体の左右の傾き(ロール)を検出するジャイロの配線を逆にしていたのが原因とされている。

ただし、ひとつだけ気にかかることがある。先にも書いたけれど、V-22 のローターは、ヘリコプターのローターとしては最適ではない。左右のローターが、このような姿勢の崩れを容易に補正し得る高い揚力を生み出していないとしたら、このような機動に対する安定性が本質的に低い、ということが考えられる。それをフライバイワイヤで吸収しているのが、システムの不備によって露わになったのではないか……と、とれないこともない。

この事故では、乗員2名は無事であった。しかし、翌1992年7月20日の事故では、乗員7名(海兵隊員3名、民間人4名)全員が死亡という悲劇になってしまった。この事故は、着陸直前に片方のエンジンから発火、コントロールを失った機体が川に落ちた、というものである。

発火の原因は、水平飛行時にエンジンナセル内で潤滑油が漏れ、内部下方に溜っていたためである。着陸時にエンジンが立った結果、この油が高温のエンジン本体に触れて発火したのである。あれー、片方エンジンがダメになってもシャフトで連結されてるんだから大丈夫なんじゃないの……と思われた方もおられるだろうが、シャフトは軽量化のために複合素材で作られており、火災の熱のために軟化→破壊してしまった……というのが、事故調査の結論だった。この事故のために、全ての V-22 が、対策が施されるまでの11か月間飛行を停止された。

翌1993年、V-22 の安全性が確保された、という宣言がなされ、生産型の開発のゴーサインが出た。ベル社とボーイング社は、生産性の改善を主な目的とする改修を行い、これを V-22B として、まず4機の試作を行った。V-22B の1機目(第7号機)は1997年2月5日に初飛行した。同年4月、初期生産としてまず5機、2000年までに25機の生産が決定され、生産型の初号機は1999年4月に初飛行し、艦上運用試験が行われた。空軍仕様の機体も、V-22B 量産試作機を改修して製作され、試験が始まった。

そんな時である。2000年4月8日、3度目の事故が起きた。アリゾナ州マラナ飛行場で、夜間救出の訓練を行っていた際、垂直機動で下降中の MV-22 が墜落し、乗員4名、兵員15名(いずれも海兵隊員)全員が死亡したのである。V-22 の widow maker(未亡人製造機)という悪名を定着させてしまった、V-22 における現時点までの最悪の事故である。

これは V-22 だけでなく、ヘリコプター一般に言えることなのだが、限度を超えた速度で降下を行うと、ローターの回転軸を中心としたトーラス(ドーナツ形)の渦が発生する。以下にシングルローターヘリコプターの場合の図を示す:

Vortex_ring_helicopter

この渦が発生した状態を VRS(vortex ring state) というのだが、この状態に陥ると、ローターが十分な揚力を発生せず、機体は降下から抜け出せなくなる。固定翼の飛行機やグライダーにおける失速に相当する、非常に危険な状態である。

V-22 の対気速度 30 kt 以下の状態での規定降下速度は毎分 800 ft (244 m)である。事故機はこれに対して毎分約 2000 ft (610 m) で降下していた。目前で急減速した僚機を回避するためだったと言われているが、ヘリコプターのパイロットが絶対にしてはいけない機動をしてしまったわけだ。

それでは、これに対してどのような安全措置がなされたか、というと……規定降下速度を超えた際に、警告灯と、"Sink rate." と注意を喚起する音声警報装置が加えられた。それだけである。V-22 のローターは先に書いたようにヘリコプターとしての最適な形状ではない。ヘリとして十分な揚力を得るには大きさが不十分なのである。回避行動として上昇でなく下降、それも急激な下降を操縦者が選択したこと、そして VRS が発生したことと、この V-22 の本質的な問題との間には関連がある可能性が高いのだが、マニュアルに従った運用をしていれば、危険領域に踏み込まない、ということで、このような措置とされたのだろう。

4度目の事故は同2000年12月11日に起きた。ノースカロライナ州ジャクソンヴィル近郊で演習中の、海兵隊所属の MV-22 が墜落、乗員4名が死亡した。この事故の原因は概ね以下のようなものだった。

油圧系統のパイプが、振動のために隣接する電気系統の配線と擦れ合って破損、右ローターのローター角を司るメインの油圧系統の圧力が低下した。システムは警報を発したのだが、この事態の発生前に、何も原因がないのに警報が鳴った(警報システムのバグだと言われている)ために、乗務員は今回も同様のエラーと判断し、警報システムに対して8回もリセットをかけていた。その間に機体はコントロールを失い、1600 ft. 降下して森に激突したのである。

これに対して配線と油圧系統の一部変更、そして警報システムの改修が行われたが、再びオスプレイの飛行許可が出たのは2002年5月のことであった。

ここからしばらくは、死亡事故は発生していない。しかし、死亡事故に至らない程度の事故は何度も起きている。

2006年初頭、着陸操作中の V-22 のエンジン回転数が急激に上昇する事故が起きた。エンジンのパワーとローターのピッチ(迎え角)を抑えている状況で、乗員がスロットルレバーを下げる操作をしていたにも関わらず、この回転数上昇のために機体は 30 ft も浮き上がり、地面にたたきつけられた。この事故によって破損した片翼の修理費等は総計約 700万ドルであった。

事故の原因は2系統ある FADEC(Full Authority Digital Engine Control, エンジンのデジタル制御機構)のひとつの接続コネクタの配線ミスであった。対策として、FADEC のソフトウェアに今回のような事態を引き起こさないよう制限が加えられた。

同2006年7月11日、RIAT-インターナショナルエアタトゥー(世界でも最大規模の軍用航空機のショーで、イギリス・グロスターシャーのフェアフォード空軍基地で毎年7月開催される)とファーンボロ航空ショー(ロンドン郊外のファーンボロ航空基地で、西暦の末尾が偶数年の7月に開催される)に出席するために大西洋横断飛行中だった V-22 が、右エンジンのコンプレッサーストール(いわゆるエンスト)を起こし、整備のためにアイスランドに着陸した。一週間後、米海軍は、他の V-22 でもコンプレッサーの急激な回転数増加やストールが発生していることが判明したために調査を開始するとアナウンスした。

V-22 の制御用コンピュータチップが誤作動することによって操縦不能になる可能性があることが判明したため、2007年2月10日、米空軍と米海兵隊は一時的に全ての V-22 の飛行を差し止めた。

2007年3月29日、離陸前の V-22 のエンジンナセルが油圧系からのオイル漏れのために発火、火災が発生した。このとき、2006年に海兵隊の MV-22 がニューリバーでより深刻なエンジンナセルの火災を起こしていたことが報告された。

2007年11月6日、海兵隊のティルトローター機訓練部隊 VMMT-204 所属の MV-22 が訓練飛行中に火災発生、ノースカロライナ州のレユーヌ基地へ緊急着陸した。エンジンナセルから発火したこの火災で機体は深刻なダメージを負ったが、怪我人はいなかった。調査の結果、エンジン吸気口の塵芥除去装置の設計に欠陥があり、飛行中に吸気を阻害した結果、油圧系統に強いショックが加わり、このショックで油漏れが生じ、火災の原因になったと推測された。漏れた油が排気系の赤外線抑制装置(排気温度を下げ、赤外線追尾のミサイル等を防ぐ装置)に入ったことが発火の原因である。この事故により、初期型 (V-22A) の V-22 全機が改善のためのキットを装着するまで飛行を制限された(V-22B は既に該当部分の設計変更がなされていた)。

2009年度、空軍型の CV-22 が100万ドル以上の損失をもたらしたと発表された。

2010年4月8日、空軍所属の CV-22B がアフガニスタン南部で墜落、乗員3名と民間人1名が死亡、16名が負傷した。敵の攻撃によって撃墜された可能性も考えられたが、当初ははっきりしなかった。この CV-22B は多数の人員を載せていたためにホバリンクが可能な限界積載量に達しており、夜間、灯火管制下でカラート近郊(標高約 5000 ft. の峡谷)に着陸するときに、地形に起因すると思われる乱気流に遭遇したのである。米空軍の調査において、灯火管制、敵の攻撃、そして VRS は原因から除外され、事故に関わった重大な要素がいくつか挙げられた……低視界、着陸の際の不手際、状況認識の欠如、そして降下速度が大きかったことである。

ドナルド・ハーヴェル准将は、墜落するまでの最後の17秒間に、エンジントラブルの発生を示す「未確認の飛行機雲」を指摘したが、実際の墜落の原因に関しては、米軍機が墜落機の残骸とブラックボックスレコーダーを破壊した(V-22 に関する機密保持のためと思われる)ために、未だ明らかになっていない。

2012年4月11日、米海兵隊の強襲揚陸艦イオー・ジマ (LHD-7) の VMM-261(第261ティルトローター部隊)に所属する MV-22 が、合同演習「アフリカン・ライオン」に参加中、モロッコのタンタン・アガディール近郊で墜落した。海兵隊員2名が死亡、2名が重症を負い、機体は失われた。軍の調査では機体の機械的欠陥は発見できず、人為的ミスが事故原因とされた。

同2012年6月13日、米空軍の CV-22 が、フロリダのエグリン空軍基地で訓練中に墜落し、乗員5名が負傷した(うち二名は事故後すぐに退院)。この機体は逆さまに落下しており、主な損傷はこのために受けたものである。事故原因に関しては現在調査中である。


……はぁ。長かった。事故とはっきり認知されているものを全て挙げておいた。次回はこれらをまとめて、改めて V-22 の抱える問題に関して指摘することとする。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (7)

フライバイワイヤ (fly-by-wire, FBW) とは何か。このワイヤというのは電線のことだ、と言うとお分かりいただきやすいだろう。

ライト兄弟が初めて飛行機の製作に成功した頃、飛行機の操縦はワイヤー(こちらの方は細い鉄線を編んだワイヤーの方)で行われた。翼の端や尾翼にワイヤーを張って引っ張り、たわませることで操縦を行っていたわけだ。その後、第二次世界大戦が終わる頃まで、航空機の操縦は基本的にはこのような「人力で制御部を駆動する」ことで行われた。

戦後、航空機が大型になるに連れ、人力だけでは航空機の操縦を行うことが困難になってきた。そのために導入されたのが、油圧による補助機構である。まあ、クルマでいうパワステと同じものだと思っていただければよろしい。このような油圧を用いたシステムでは、圧力のかかる部位のどこかに損傷が生じ、そこから油が抜けてしまうと、操作ができなくなってしまう。そこで、操縦システムの多重化というものが行われるようになってきた。同じような油圧系統を複数設置して、ある系統がダメになったらバックアップの系統に切り替えられるようにするわけだ。このような多重化による信頼性確保をフェイルセーフ fail-safe という。

このような操縦システムは、たとえば人と方向舵の間を:

人力 → 油圧 → 方向舵
のように結んでいるわけだ。このように、人と操作するものの間に一枚噛んでもいい、という話になると、
人力 → 電気・電子デバイス → 方向舵
という操作でもいいのではないか、という話が出てくる。いや電気は電源落ちたらダメになっちゃうから……ということで、信頼を重んずるエンジニアは抵抗を感じていたと思うけれど、油圧でも途中が駄目になったらダメなのは一緒である。フェイルセーフを磐石にする、という前提で、このような電気的・電子的操作システムが出てきたのは、むしろ自然なことだといえるだろう。

では、これを称してフライバイワイヤと称しているのか……というと、実は伝送経路の電子化だけをこう称しているのではない。ここでは例として、クルマのことを思い返していただきたいのである。

クルマというのは、基本的には機械的な伝達機能で操作するものだった。ステアリングはステアリングシャフトからギヤリンクを介して操舵機構に接続され、スロットルはエンジンとワイヤーやリンケージロッドで結合され、クラッチはクラッチプレートと機械的リンクで結合され、ブレーキはブレーキフルードという名の油の圧力を介して、踏力を補助するかたちで動作する。これが古典的なクルマのシステムだった。

しかし、現在皆さんの身近にあるクルマの多くは、スロットルやブレーキ、クラッチの電子化が行われているものが大半だろう。そして、それらは単に人と機械を結ぶだけでなく、操作する人と操作される対象との間に電子システムが介入しているのだ。たとえば ABS はブレーキ操作に介入しているし、 TCS はスロットル操作に介入している。パワステも速度に応じて切れや重さを変えるように、間に電子的操作機構が介入しているのである。

このような電子的介入によって、クルマの各部は、人間自身では不可能な程の短い時間範囲でのコントロールがなされている。たとえば ABS は、極めて短い時間間隔でポンピングを行うことで、ロックさせずにブレーキングすることを実現している。TCS は、スロットル開度やエンジンの点火機構に、これも極めて短い時間間隔で介入することで、横滑りを防いでいるのである。

このような制御は、1970年代に航空機の分野で実験が始まったものである。そして、短い時間間隔での操縦系への介入・補正が可能になってくると、ここに更にもう一歩進んだ考え方が出てきた。

たとえば、戦闘機の場合を考えてみよう。戦闘機に求められるのは俊敏な運動性能である。操舵に対して敏感に反応するためには、安定板(尾翼)の大きさを小さくする必要がある。しかし、安定板を小さくすると、飛行機の挙動は不安定となり、常に舵の細かい修正をし続けなくてはならない。この問題は、二律背反の問題として、設計者の頭を悩ませていた。

しかし、電子化された操舵システムは、常人では不可能な短い時間感覚で、自動的に舵の細かい修正を行うことが可能なはずだ。空力的には不安定な機体でも、それを電子制御で安定化することができれば、通常は安定に、そして戦闘時は俊敏に動く航空機を作れるのではないか。むしろ、俊敏な戦闘機は空力的な安定性を下げることによって作られるのではないか。そういう考え方が出てきたのである。

先のクルマの例にあてはめるなら、これはスポーツカーを所有することに似ている。スポーツカーの多くは、コーナリング性能を高めるためにホイールベースを短くしているわけだが、これはクルマの安定性を低下させている。だから、濡れたり凍ったりしている路面に出喰わすと、どうにも制御できなくなることがあり得るわけだけど、最近のスポーツカーの多くは ABS と TCS を装備しているから、遊びでドリフトさせることも難しい位安定していて、それでいてコーナリング性能は非常に高いのである。

このような考え方を「静安定性緩和 (relaxed static stability, RSS)」という。この考え方を初めて導入したのが、ジェネラルダイナミックス(現 ロッキード・マーティン)の YF-16 である。YF-16 は、高い性能を実現するために、この静安定性緩和の考えにのっとって、水平尾翼の面積を、空力的に安定とされる面積よりも小さくし、操縦系統を完全に電子化し、安定性を電子制御によって得るように製作された。その結果、空戦性能においては、当時世界最高とされた F-15 のそれを上回り、同時に、十分な兵器搭載量も確保できた。

しかし、YF-16 は、同時にこの電子制御が行き届かなかった場合の恐ろしさをも知らしめることになった。これは YF-16 の初飛行を記録した映像である。実はこのとき、YF-16 はタクシーテストと呼ばれる滑走試験を行っている段階で、飛ぶ予定はなかった。しかし、水平尾翼の制御がばたついて不安定となり、テストパイロットが飛び上がった方が安全と判断し、この初飛行に至った、といわれている。

最新の F-22 ラプターで、フライバイワイヤを統括するコンピュータのトラブルで生じた事故の映像を下に示す。このように、本質的な安定性が低いものを「力業」で安定させるという手法に、緊急時の問題がつきまとうものであることは、否定できない事実である。

XV-15 も、操縦系統をほぼ完全に電子化したシステムが導入されていた。先にも書いたけれど、タンデムローター型のヘリコプターでは常時結合されているふたつのエンジンは、通常は機械的には結合されていない。これは、通常時はフライバイワイヤによって安定化制御が行われている、ということである。

XV-15 には、フライバイワイヤシステムの不備などの場合に備えて、"zero-zero" 型の射出座席(高度ゼロ、速度ゼロでも安全に脱出可能な射出式の脱出装置)が装備された。試験機だから、いざとなればこれで脱出すればよろしい、というわけだ。幸いなことに、XV-15 の飛行限界を見定めるテスト (flight envelope expansion) は極めて順調に進んで、これを使用しなければならない事態に至ることはなかった。

しかし、実用に供される航空機は、しばしば試験機でも遭遇しないような極端な事態に至ることがある。整えられた環境で、人が想像し得る範囲内で行われる過酷なテストだけでは、そのような事態を未然に防ぐことは、なかなかに難しい場合が多いのである。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (6)

XV-3 プロジェクトが試験機の破損で中止されて程ない、1971年のことである。アメリカ陸軍と NASA のエイムズ研究センターは、共同で垂直離着陸機の研究プログラムをスタートさせた。契約公募のコンペティションには、ヘリコプターで名を知られるシコルスキー、戦闘機などで知られる航空機メーカーのグラマン、CH-46/47 を作ったボーイング・バートル、そして XV-3 を開発したベル社の計4社が参加し、ボーイング・バートルとベル社が、50万ドルの研究資金と最終選考への参加権を獲得した。

そして1973年1月、両者の提案が提出された。ボーイング・バートル社の案 (Model 222) は、両翼端に固定式のエンジンポッドを付け、ほんの少し胴体寄りに、ローターが付く小さなポッドが独立して置かれている。エンジンは常に水平に置かれていて、エンジン=ローター間のシャフト長を短くすることができた。

boeing-plan

これに対して、ベル社の案 (Model 301) では、両翼端に、エンジンとローターが一体化したポッドが設置され、これが水平位置から垂直位置まで動くようになっていた。この案はエンジンーローター間の伝達機構の単純化というメリットがあったが、やや複雑な構成で、ボーイング・バートル案よりやや重量面で不利であった。

検討が行われた結果、NASA はベルの Model 301 を採用し、1973年7月に正式契約を結んだ。それから4年間の研究開発の末、ベル社は完成機である XV-15 1号機の初飛行を行い、以後は NASA エイムズ研究センターで実験が続けられた。

XV-15

上に示したのが、XV-15 の透視図である(クリックで拡大)。一見していただくとすぐにお分かりかと思うけれど、V-22 はこの XV-15 にそっくりである。XV-15 の大きな特徴としては、

  • 比較的小型のターボシャフトエンジンを両翼端に設置。
  • エンジンごとローターの角度が変化する。
  • ローターは通常のプロペラより長く、ヘリのローターより短い
  • ふたつのエンジンは、翼中を貫くシャフトで機械的に結合することができる
これらは、V-22 オスプレイに至るまで変わらないものである。

前回に少し説明を書いたけれど、ターボシャフトエンジンというのは、ジェットエンジンと同じようなガスタービンを回して、その回転力を駆動力として取り出すエンジンである。これを読まれている多くの方は意外に思われるかもしれないが、このようなガスタービンを用いたエンジンは、我々に身近なピストンを用いたレシプロエンジンよりも単純な構造で、同じ力を得るのに必要な重量も低くて済む。つまり、両翼端のローターをエンジンごと動かす、というアイディアは、ターボシャフトエンジンならば不可能な話ではないのである。

ただし、いくら単純な構造とはいえ、高速(XV-15 に採用されたライカミング LTC1K-4K の実用回転数は 22000 rpm 、つまり毎秒370回転近くの回転数で回っている)で回転するエンジンを潤滑・冷却するのは単純にはいかない。これは後々の V-22 の弱点にもつながる問題である。

また、今まで見てきた通り、ふたつのローターは結合されていなければならない。XV-15 の場合も、両翼端のエンジンは翼中を貫くドライブシャフトで結合することができるのだが、このシャフトは緊急時にのみ使われ、通常は機械的な結合はなされていない。

XV-15 の試験中、減速ギアボックス内のベアリング損傷が原因で、右エンジンを緊急停止したことがある。このようなトラブルが生じた際、故障したエンジン側のローターはエンジンとの結合を解除され、反対側のエンジンと翼中のシャフトで結合される。この場合も、このバックアップシステムが作動して、墜落などに至ることなく緊急着陸が行われたのである。

では、普通の飛行状態では結合していなくても大丈夫なのか……という話になりそうなのだけど、XV-15 が作られた時期は、航空機にフライバイワイヤと呼ばれる電子制御が行われるようになった時期と重なっていて、XV-15 の飛行システムにも、これが大きく関わっている。次回は、このフライバイワイヤに関して説明していこう。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (5)

先の話で登場した X-18 や XC-142 は、翼を傾ける……ティルト・ウイングと呼ばれる……形式である。しかし、これは構造的には合理性を欠く方法だともいえる。

翼というのは、これは飛行機が宙に浮く揚力を担う部分である。そして、ティルト・ウイング機のエンジンは全て翼についている。つまり、翼と胴体の接合部は、飛行機にかかる力のほぼ全てを受け止める場所なのである。そこを可動構造にする、というのは、機体に致命的な弱点を抱え込むことになってしまうのだ。

X-22a

これは、X-18 と同時期に開発された X-22 という実験機である。ちょっと変わったかたちをしているが、この機体には主翼はなく、代わりに浮力と推力の双方を得るために4発のダクテッドファン(円筒形のダクト内に配置されたファン)が装備されている。後部の水平尾翼に小型のジェットエンジンのようなものが見えるが、これはターボシャフトエンジンと呼ばれるもので、燃料と空気でガスタービンを回し、その回転力をダクテッドファンに伝えている。排気ガスを後方に出すことで推進力の助けにはなっているのだが、あくまでダクテッドファンを回すことが主な目的である。

ファンやプロペラは、その先端の速度が音速に近付くと急激に抵抗が大きくなる。これは先端部の空気の流れが乱されるからだが、ファンより少し大きな内径の円筒でファンを覆ってやると、その内壁に沿って空気が乱されずに流れるため、裸の状態よりも高い推力を得ることができる。

これは現在の最新の旅客機、たとえばボーイング787などに搭載されている大バイパス比ターボファンエンジンと呼ばれるエンジンにも応用されている。大バイパス比ターボファンエンジンは、大径ファンの回転軸にジェットエンジンを搭載して、ファンとジェットエンジンの上から円筒のハウジングで覆うような構造になっている。このような構造で、小さなジェットエンジンの推力に大きなダクテッドファンの気流を加えて推力を得、高い効率を実現しているのである。

Turbofan

だから、このような発想自体は有用なものである。しかし X-22 の場合、ファンの推力を揚力としても使う、という発想で(水平飛行中の写真を下に示す)、効率面からいっても実用に供するレベルにはないものだった。

x22

じゃあ、飛行機としての翼は翼としてちゃんと持っていて、その上でプロペラの向きを変えることができるようにすれば良いのではないか……という話が、当然出てきてしかるべきである。(ここまで引っ張ってきて申し訳ないのだけど)実はこのような話は1930年代から出ていて、ヘリコプターの製造会社としても知られるベル社が社内で開発を進めていた。

1950年代初頭、アメリカ陸軍と空軍は共同で「転換航空機プログラム」 Convertible Aircraft Program を立案した。「転換航空機」って何やねん、と思われるかもしれないが、これは「飛行時に揚力を得る方式を転換し、垂直離着陸を可能とする航空機」という意味である。後にこの転換航空機を指す convertiplane という言葉が作られたが、現在はこれも含めて VTOL と呼ぶのが一般的である。

この「転換航空機プログラム」で採用されたのが、ベル社の Model 200 という案で、この案の試作機に対する軍の正式名称として XH-33 という名前が与えられた。H の文字が入っていることからお分かりかと思うのだが、この名前は、この機体がヘリコプターであることを示している。程なく、この機体は convertiplane として新たに XV-3 という呼称を与えられた。ベル社が当時公開したフィルムを以下にリンクしておく:

XV-3 は、胴体内にピストンエンジンを1基搭載し、そのエンジンで両翼端のローターを駆動する。ヘリコプターで知られるベル社だけあって、ローターの機械的結合等の問題は最初からクリアされていたようだ。上の動画でも分かるように、現在の僕達がテレビで見るオスプレイと、ほとんど同じような機動をこなしているように見える。

XV-3 は1955年8月に初飛行を行い、1966年5月に実験風洞中で破損するまでの11年間、試験が行われ、非常に多くの成果をもたらした。しかし、XV-3 は決して成功を収めたとは言い難いものだった。操縦が非常に難しく、また水平飛行時にはフラッピングと呼ばれる激しい振動に襲われた。

flapping

上に示したのは、水平飛行時のローターを上から見た図である。本来なら青の位置にあるはずのローターが、ブレードの付け根やブレード自身のしなりによって、赤で示すような位置の間で振動することをフラッピングというのだが、これを抑制するためには、取付部やブレード自身の機械強度を上げるのが最も効果的な対策である。しかし、当時のアルミ合金中心の航空材料では、このフラッピングを抑制することは困難だった。

更に、XV-3 にはエンジンとローターの接続に関する本質的な問題があった。当時はプロペラ機やヘリコプターにはピストンエンジン(いわゆるレシプロエンジン)を使うことが一般的だったが、重く、作動に重力の影響を受け易いピストンエンジンを翼端に取り付け、動かすことは現実的ではなかった。そこで、XV-3 では、シャフトやギヤボックスを経由して、胴体内に固定したエンジンの回転を両翼端のローターに伝達して回したわけだが、これは構造の複雑化、そしてその結果としての重量増加につながった。このような問題があったために、XV-3 の発展形が実用に供されることはなかった。

では、ローターを使わなければどうだったろうか。1960年代後半の西ドイツ(当時)で、VTOL の超音速戦闘機開発をめざして、EWR VJ 101 という実験機が開発された。以下に写真を示す:

EWR_VJ_101

VJ 101 は両翼端に1基づつ、胴体内にホバリング用として2基、合計4基のジェットエンジンを搭載していた。ホバリング、垂直離着陸、水平飛行への遷移、そして超音速飛行にも成功したのだが、実用性に問題がある(素人考えでも分かると思うけれど、4基もジェットエンジンを積んだら燃費は最悪である……他にも、構造に起因する問題や操縦性、武器の積載量の問題もあったろう)ということで開発は中止された。

せっかく出てきたティルト・ローター機であるが、機械強度と動力伝達という問題から、実用にまでは至らなかった。しかし、技術が向上することで、これらの問題は解決の方向に向かおうとしていた。次回は、現在のティルト・ローター機へ至る直系の系譜を追っておくことにしよう。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (4)

前回は、戦闘機とか攻撃機と呼ばれる機種の視点から、垂直離着陸の試みを見た。このような試みがなされた理由ははっきりしていて、空母に積まれることで圧倒的な機動性を示した戦闘機・攻撃機を、空母のような特殊な船舶以外でも、そしてもっと一般的に滑走路のない場所でも展開できるようにしたい、という要望があるからだ。

輸送機の場合は、航空機の高速輸送を、滑走路が確保し難い地点に対しても行いたい……こういう要望が当初からあった。だから、特に軍用輸送機の場合、できるだけ短距離で離着陸できる機体が求められる。このような機体を STOL (Short Take Off and Landing aircraft) という。これに対して、先から出ている垂直離着陸機の方は VTOL (Vertical Take Off and Landing aircraft) と呼ばれている。

固定翼機の STOL 性を向上させるためには、フラップ(離着陸時に翼の前後に張り出し、見かけの翼の大きさを大きくする)を大型化し、エンジンの排気が翼の上面を沿って斜め下に流れるようにエンジンを翼の上部に設置する。このような機体は数多く開発され、実際に運用されてもいるわけだが、STOL 性を向上させるのにも限度がある。前回のように推力の方向を変えて、浮かび上がる助けにすることができれば、その限界を超えた STOL 性、更には VTOL 性を付与することができるかもしれない。

このような発想で作られたのが、X-18 という試験機である:

Hiller_X-18

この X-18 は、推力を下に向けるために、エンジンごと翼を傾けられるようになっている。

Hiller_X-18_tilting_its_wing

しかし、この X-18 の試験はうまくいかなかった。翼を斜めにした状態で短距離離陸を行うことには成功しているのだが、この機体の場合も遷移状態が不安定で、垂直離着陸やホバリングを行うことができなかった。

X-18 が、当初期待されていた垂直機動ができなかったのには、いくつかの理由がある。まず、最大の理由は、左右のエンジンの同調が行われていなかったためである。

プロペラエンジンのように、大きな物体を回転させる機関が動くと、プロペラの回転方向とは逆に、エンジンの駆動軸をねじる力(カウンタートルク)がはたらく。シングルローター型のヘリコプターで、尾部にテイルローターという小さなローターが付いているのを皆さんご存知と思うのだが、あれはメインローターを回すエンジンが発生するカウンタートルクを打ち消すためのものである。

iso-torque

もし、双発機のプロペラが同じ回転方向だとすると、上図に示すようなカウンタートルクが機体全体を回転させようとする。普通に飛行しているときには、このカウンタートルクが発生していても、主翼や水平尾翼を空気に逆らって「回す」ことができないのであまり問題はないのだが、安定性を要求される場合は、以下の図のように、左右のエンジンの回転方向を逆にする。

rev-torque

こうすることで、左右のエンジンが発生するカウンタートルクを打ち消しあうことができる。

単発のプロペラの場合でも、このようなカウンタートルクが問題になることがある。そういうときは、以下の図に示すように、ふたつのプロペラを同じ回転軸上で逆方向に回転させることがある。これによって、プロペラを駆動することによるカウンタートルクは打ち消される。このようなプロペラのことを2重反転プロペラという。

counter-rotating propeller

先の X-18 の写真をもう一度見返してみていただきたいのだが、X-18 はこの2重反転プロペラを装備している。だから、左右のエンジンのカウンタートルクは考えなくてもいいはずだ……と、設計者は考えていたのだろう。しかし、それは甘かった。

ちょっと難しい話になってしまうのだが、2重反転プロペラは、プロペラの回転に起因するカウンタートルクを相殺することができる。しかし、エンジンのドライブシャフト等の発生するカウンタートルクまでを相殺することはできない。更に、左右のエンジンの回転数にわずかでもずれがあった場合、それはカウンタートルクの大きさの違いを生む。X-18 でエンジンを上に向けているときには、機体が水平飛行しているときと違って、機体を安定して支える力は機体のどこにも作用していない。だから、X-18 は機体の挙動が不安定となり、垂直離着陸もホバリングも行うことができなかったのである。

最初に出てきた CH-46 や CH-47 のようなタンデムローター型のヘリコプターも、二つのローターを回転させて動作するわけだが、ではこのタンデムローター型ヘリコプターの場合はどのような仕組みになっているのだろうか。

ch47art

これは、ボーイング社が公開している CH-47 の外観図である。この図にも示されているとおり、タンデムローター型ヘリコプターの前後のローターは逆の方向に回るようになっている。これによってカウンタートルクを打ち消すようになっているのだが、ここでは、前後のローターが上から見ると重なり合っているところに注目していただきたい。この状態で前後のローターが独立して回ると、ローターのブレード同士が接触するような事故を起こしかねないわけだが、タンデムローター型ヘリコプターの場合、前後のローターはシャフトと呼ばれる回転軸を経由して機械的に連結されている。つまり、前のローターが反時計回りに1回転すると、後ろのローターは時計回りに正確に1回転する。機械的に連結されているので、この関係は絶対に崩れない。そして、ローターのブレードは接触せず、前後のローターのカウンタートルクは常に完全に相殺されるのである。

では、先の X-18 もこのシャフトによる連結を行えば成功したのではないか、という話になるわけだが、実はちゃんとそういう試みにつながっていた。

XC-142A

これは XC-142 という試験機である。この機体は、4発のエンジンを全てシャフトで結合している。それに加えて尾翼後方に小さなテールローターまで付けられており、そのおかげで垂直離着陸、ホバリング、水平飛行への移行等を全て問題なく行うことができた。しかし、主翼と胴体の接合部分の設計が難しく、機械的にも複雑であったために、実用に供されることはなかった。

X-18 や XC-142 は、翼を傾けるのでティルト・ウイングと呼ばれる形式であったが、推力の向きを変えるために、何も翼ごとエンジンを傾ける必要はないはずである……要するに、ローターだけ、もしくはローターとエンジンだけ、傾けることができれば良いはずである。さあ、これで、ようやくティルト・ローター機の話の入口まで来ることができたようだ。次回に、いよいよティルト・ローター機に関する話に入ろうと思う。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (3)

飛行機とヘリのいいとこ取りをしたい……というのは、昔からある願望だった。しかし、これは言う程簡単なことではない。

ヘリのように垂直離着陸を行うためには、まず機体の総重量より大きな推力を持ったエンジンが必要になる。そして、何らかの手段で、離着陸やホバリングの時には垂直方向に、それ以外のときは水平方向に、その推力を作用させる必要がある。

そんなこと誰だって分かるでしょ……と、これを読んでおられる方の多くは思われるだろう。しかし、本当にそうだろうか?

まずエンジン推力に関してだが、航空機の性能をはかる基準のひとつに、機体重量と水力の比率である「推力比」が評価基準として用いられることがある。クルマにおけるパワー・ウェイト・レシオと考え方は同じだが、この推力比が1を上回る航空機、というのは、実はほんの一握りと言っていい。非常に高度な機動を求められる戦闘機においてですら、この推力比が1を上回るようになったのは、ほんのここ30年程のことである。そもそも、そのような高い推力を使わずに効率良く飛行できることこそが、固定翼機の一番のメリットなのだから、通常の固定翼機のエンジンは、それ自体で機体を持ち上げる程の力は持たないのが、むしろ当たり前のことなのだ。

そして、推力の向きを変えるということを考えた場合、一番最初に考えるのがエンジンの向きを変えるということだろうと思うのだが、航空機の機体において、エンジン取り付け部には常に推力がかかり続けるもので、その部分には高い機械強度が要求される。簡単に動かせるようなものではないのだ。

そして、これは案外普通の方々が気付かれないことなのだけど、ものを垂直に上げ下げするためには、ものの重心と力の作用点が鉛直線上に並んでいなければならない。つまり、垂直に力をかけるときに、その力を合成したときの作用点が、機体を上や下から見たときに重心にぴったり重ならなければならないのだ。このことは、エンジンの配置に対して大きな制約になる。よくアニメ等で、噴射の向きだけくるりと変えて……とやっているけれど、あの噴射を合成したものは重心と鉛直線上に重なっているのだろうか? もし重なっていなければ、機体はくるりと回って一瞬で引っくり返ってしまうはずなのだ。

……さぁ、かくして、垂直離着陸のための奇想天外な航空機が数々造られることになったのだ。

まず、アメリカで試みられたのがこれ。

Convair_XYF-1_PogoLockheed_XFV-1

左がコンベア XYF-1 ポゴ、右がロッキード XFV-1 である。えー……分かりますかね。構造上の問題をクリアしつつ推力を下に向けるために、機首を真上に向けてしまえばいい、という発想で作られた試験機である。ちなみにポゴの方は垂直離陸から水平飛行に移行することに成功しているが、XFV-1 の方はそれさえできなかった。そして着陸は、どちらも無理……理由は簡単で、後方視界(というか下方視界というか)が十分に得られず危険だから、というものだった。そして何より、この時点で世は既にジェット機の時代になっていた。このようなプロペラお化けみたいな飛行機では使いものにならない……という結論で、計画は中止された。

しかし、アメリカは少々諦めが悪かったようで、この発展形をジェット機で作製した。

Ryan_X-13

これはライアン X-13 という試験機で、左の板の上に左右に張られたワイヤーに、機首下部のフックを引っかけておいて、自力で浮いてそれを外して離陸、自力で垂直浮遊しながらフックをワイヤーに引っかけて着陸する……というものである。これは何と、ちゃんとその一連の離発着をし仰せた。嘘だと思われそうなので動画をリンクしておく:このように、目論見通りの実験に成功したのだけど、単体の航空機としての有用性に欠ける、ということで、結局計画は中止されている。

これらの試験機が共通して抱えていた問題は、遷移状態(垂直離着陸から水平飛行に、もしくは水平飛行から垂直離着陸に移行する状態)が著しく不安定だった、ということだ。この形式では推力の向きを微妙にコントロールすることはできない。推力の向きイコール機体の向き、だから、遷移状態を通過するためにはある意味「勢い」に頼らざるを得ないのだ。そしてその余波を吸収し損ねると、失速・墜落はすぐそこにある。これでは実用化のしようはなかったろうと思わざるを得ない。

もう少しマトモな発想で……ということで、実際に何とかものになったものを見ると:

Bell_X-14

これはベル X-14 という試験機である。機首の豚の鼻みたいなのがジェットエンジンで、このエンジンのノズルだけを下に向けることで、垂直離着陸を行おうというものである。この X-14 は成功を収め、なんと1957年の初飛行から24年間も研究機として使われ続けた。

しかし、少し考えると、この X-14 の発想は今一つだったことに気付くと思う。ジェットエンジンは最後尾から推力を生む排気を放出するので、先に言った「重心と力の作用点が鉛直線上に並ぶ」状況を作るために、エンジンをこんなに前の方に積まなければならない、ということになる。その結果として、重心が前の方に来てしまう。そうなると、今度は揚力を生む翼の位置と重心との兼ね合いから、翼も前の方に持ってこなければならない。とどめに、コックピットも前の方にないと困る……ということで、飛行機としてのバランスが崩れた代物になってしまうのだ。

イギリスのロールスロイスは、この問題を解決するための画期的なエンジンを開発した。ジェットエンジンというのは、吸入した空気を圧縮し、燃焼室に送って燃料と混ぜて燃焼させ、燃焼ガスを排気として噴射するわけだけど、吸入した空気の一部を噴射するノズルを増設すれば、エンジンの前の方にも噴射口を作ることができる。まあ、言うだけなら簡単なのだけど、この発想を活かしたペガサスエンジン(下左)によって、有名なハリアー(下右)が実用初の垂直離着陸機として作られることになった。

RR_PegasusHawker Siddeley Harrier

ハリアーは1968年から実戦配備された。既に本家のイギリスでは退役してしまっているが、アメリカでは海兵隊(そう、やはり海兵隊なのである)の攻撃機として、今でもバリバリの現役である。現在開発中の F-35B が実戦配備されるまで、ハリアーは現役であり続けるだろう。

さて、ここまでは、主に戦闘機系の機体で垂直離着陸機の変遷を見てきたが、次は輸送機、そしてヘリコプターに近い方からのアプローチの例を見ていくことにしよう。オスプレイの系譜は、実はこちらの方なので。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (2)

次に、「なぜオスプレイが必要とされているのか」について。

ヘリコプターは便利な航空機である。滑走路なしで離発着できるし、空中に静止したり、ゆっくり任意の方向に動くこともできる。だから、滑走路のない艦船から離船して、滑走路のない陸上地点で着陸し、再度そこから離陸し、船に戻る……というようなことが行えるわけだ。

しかし、ヘリコプターには、その構造に起因する本質的な問題がふたつある。それが速度と航続距離の問題である。

ヘリコプターは、ローターが揚力と推進力の双方を担っている。もし速度を上げたいならば、ローターの回転速度を上げるしかないわけだが、ローターの回転速度には限度がある。ローターの端部(外周部)の対気速度が音速に近付くと、抵抗や振動が生じるためである。また、進行速度と回転速度がともに大きくなってくると、ヘリの右側と左側とで、ローターの羽根が空気を切る対気速度の差が大きくなってくる。これは簡単なはなしで、ヘリの進行速度を V 、ローターの回転速度を v とし、ローターが時計回りだとすると、ローターの実際の大気速度 v' は、

v'R = V - v ……右側
v'L = V + v ……左側

∴ v'R < v'L

……まあ、簡単な算数である。これによって、左右で得られる揚力に差が生じてくることになるわけだ。

これらのような問題があるために、ヘリコプターの速度の物理的限界は時速 400 km 程度だろう、と言われている。実際には、CH-46 の巡航速度で時速240 km、改良型の CH-47 でも時速 270 km 程度である。世界最速のヘリといわれているアグスタウェストランド・リンクスでも、無改造での速度記録は時速 321.74 km である。これらは、たとえばプロペラ輸送機の代表格である C-130 ハーキュリーズの巡航速度 550 km には遠く及ばないものである。

また、ヘリコプターは常に大きなローターを回転させ続けなければならないために、燃料消費も問題になってくる。実際には、CH-46 の航続距離が 1100 km(外部タンク使用時)、改良型の CH-47 でも 2060 km である。これは空荷で直線飛行のときの値だから、人員や貨物を載せ、ホバリング等も行った場合の実際の行動範囲はせいぜい 7、800 km 程度、ということになる。

CH-47 を特殊任務用に改修した MH-47 は空中給油ができるように改修されている。ローターと給油機が接触すると大事故につながりかねないので、まるで槍のように長いプローブを装備することになるのだが、このようなプローブを用いて空中給油を行うとしても、先の速度の問題は如何ともし難い。行動可能な範囲は、速度と航続距離のかけ算で決まってくるわけだから、海という制約から解放された、とは言え、ヘリによる強襲揚陸作戦の行動可能な範囲は、決して広いものではない、ということになるわけだ。

こういう状況になると、ヘリと固定翼機のいいとこ取りができないか……という話が出てくるわけだ。実はその最初の実用的解こそがオスプレイなのである。これに関しては次のエントリで少し詳しく書こうと思う。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか (1)

この問題に関して独立した文書を書こうと思っていたのだけど、あまりに書かなければならない内容が多いのでやめることにした。blog で書ける範囲で書いておくことにする。

まず、なぜオスプレイが求められているのか、という話から。今回問題になっているのはアメリカの海兵隊に関する話なのだけど……あーだから、海兵隊とは何ぞや、という話から書く必要があるのか。

というわけで、いくつかに分けて書くことにする。まずは「なぜアメリカ海兵隊がヘリを必要としているのか」から。

そもそも、アメリカ軍というのは5つの大きな組織に分けることができる:

  • 陸軍
  • 海軍
  • 空軍
  • 海兵隊
  • 沿岸警備隊
え? と思われる方が少なからずおられると思うのだが、日本で言うと海上保安庁に相当しそうな沿岸警備隊は、実は立派な軍隊なのである。加えて言うと、これは最近分かれたものではない……沿岸警備隊も、そしてこれから話を始める海兵隊も、18世紀から存在する歴史のある組織である。余談だが、5軍の中で一番新しい組織は実は空軍で、これは太平洋戦争の後に陸軍航空隊が独立したものである。

では、海兵隊というのは何をするところか、というと、ざっくり言えば「海外への武力行使を行う軍」である。もちろん、陸・海・空軍も海外への武力行使を行うことがあるけれど、海兵隊はこの海外への武力行使を専門に行う軍なのである。だから「海」と付くにもかかわらず、陸上兵力、航空機、そして艦船を全て持っている。

沖縄にこの海兵隊が置かれているのは、東アジア圏内で何らかの軍事紛争が勃発した際に、それに対して即応するためである。具体的に何を行うか、というと、軍事紛争が勃発した地域に陸上戦力を送り込むのである。まさに「斬り込み隊」と言うべき任務を負う軍なわけだ。

第二次世界大戦のときの海兵隊の上陸の光景を見たければ、スピルバーグの『プライベート・ライアン』の最初の何十分かを見ればよろしい。その描写はいずれもただひたすらに残酷なのだけど、D Day に参加した生き残りの退役軍人達が皆「概ねあの通りだった」と言っているし、この作戦に従軍したロバート・キャパの遺した写真や彼の自叙伝『ちょっとピンぼけ』にある光景もこのままである(スピルバーグはあの映画を撮る際にキャパの写真を参考にしたらしい)。

そんなわけで、海兵隊は、軍隊の中でも特に危険な任務を負うことが多い。第二次世界大戦期とベトナム戦争期以外は徴兵を行わず……つまり志願兵のみで構成されるわけだ……、訓練は5軍中最も厳しいと言われている(キューブリックが映画化した『フルメタル・ジャケット』のあの風景だ……ちなみに『フルメタル・ジャケット』の原作者・共同脚本執筆者であるグスタフ・ハスフォードは海兵隊経験者で、当時の自らの体験を基にこれを書いたらしい)し、"Once a Marine, Always a Marine." (一度海兵隊員になれば、終生海兵隊員である)という言葉がある程に、海兵隊の経験者は一味違うという評価を受け、またそれを誇りとするらしい。

太平洋戦争の頃の海兵隊は、陸上戦力を揚陸艦と呼ばれる船で行動地域の近くまで運んで、底の平な上陸艇と呼ばれる小型船舶に兵や車両を載せて海岸に突っ込み、そこから陸上に進撃する……というやり方で作戦行動を行っていた。しかし、これにはいくつか問題があって、

  • 船を使うので展開に時間がかかる。
  • 上陸地点が海岸に限定されるため、待ち伏せや地雷原などを避け難い。
  • そのために上陸開始の時点で激烈な戦闘となり、兵が死ぬ可能性が高い。
いかに勇猛果敢を謳う海兵隊であっても、より安全に、高速に、場所を選ばず兵力を展開できる方法があれは、そちらの方が望ましいことは言うまでもない。ここで登場するのがヘリコプターである。

これも、詳しいことを書いているときりがないのだけど、海兵隊は1947年からヘリコプターの配備を行っていて、朝鮮戦争からベトナム戦争にかけて、さまざまな任務に用いていた。その中で、特にベトナム戦争期に注目されたのが、兵員輸送手段としてのヘリコプターの有用性だった。アメリカのフランク・パイアセッキが開発・実用化したタンデムローター型(相違なる方向に回る二つのメインローターで飛行するヘリコプター)ヘリが高い人員輸送力を持っていることに注目した海兵隊は、1961年に強襲揚陸作戦用ヘリコプターとして、ボーイング・バートル(パイアセッキの会社をボーイングが吸収合併した会社である)社の V-107 バートルのエンジン強化型を、HRB-1 シーナイト (Sea Knight) として導入を開始した。翌年、米軍の航空機等の呼称制度の改正があり、HRB-1 は CH-46 と名を改めることになった。

実は、ここで重要な役目を果たしていたのが普天間飛行場である。海兵隊は、この CH-46 を大規模に運用するために、複数の部隊をひとつの基地に集めた。それらの部隊の中には、そのままその基地に留まった部隊もあれば、ヘリ空母などに再配備された部隊もあるのだが、実はその集結基地こそが普天間飛行場だったのだ。1960年代中盤のベトナム戦争期だから、沖縄という場所になることは自然であろうが、海兵隊における強襲揚陸作戦用ヘリコプターの歴史は、実はそれらのヘリの拠点としての普天間飛行場の歴史と重なるといっても過言ではないのである。

CH-46 は、20名以上の兵員、もしくは約 5 t の荷物を運ぶことができた。改良型の CH-47 だと兵員30名、もしくは 10 t 以上の荷物を運ぶことができる。このヘリの登場によって、従来の船舶のみによる展開では考えられないような短期での兵員展開が可能になった。そして、海兵隊の「斬り込み」のフォーマットが、従来の船による海岸線からの上陸、という形態から、ヘリによる任意の地点への上陸、というものに一変したのである。

つまり、「世界の警察」であるアメリカ軍には、行動を決断してから即座に展開する上で、ヘリを用いた海兵隊の高速輸送による強襲揚陸作戦が不可欠なのだ、ということ。これが、「なぜアメリカ海兵隊がヘリを必要としているのか」の答である。

重みを軽んずる人々 II

先日、拙 blog 『重みを軽んずる人々』で、僕の所属教会のグダグダぶりを書いたわけだが、今日はその後日談を。これをどうしても書かずにはおれないのだ。

まず、所属教会の広報誌のようなものが毎月配布されているのだが、その今月号に、何の前触れもなく以下のような記述が出た。

tayori.png
毎度お馴染みの事後承諾である。さて……これを見て分かったのだが、例の押し売りの書状を送りつけられた人の数は、なんと720名にものぼるという。ということは、『重みを軽んずる人々』での僕の試算はほぼ妥当な規模だったということになる……つまり、この押し売りのために、20万円程の金が浪費された、ということである。

そして、僕のところにも記念誌らしきメール便が送り付けられた。その写真を以下に示す:

sasshi-01.png
sasshi-02.png
……何故2部も送り付けられるんだ?

要するに、こういうことなのだろう。先日僕が耳に挟んだ、発送の重複が実際にあったかなかったかというそれ以前に、僕は信徒会の名簿に重複記載されている、ということなのだろう。しかし、発送時にそういうことにどうして気付かないのだろうか? 名簿をチェックするときって、住所や名前でソートをかけてチェックしたりしますよね? まあそれ以前に、重複などがないようにチェックするのは基本でしょう。そういうこともできていない。ますますもってグダグダである。

さて。僕は今、この2冊の冊子の入ったパッケージ(もちろん信徒会の奴に叩き付けるのだから開封なぞしてはいない)を前に、これは一体どういう意図なのか、と考えているところだ。これは俺に、2000円以上寄付しろ、ということなのか? いやいや、そもそも寄付なんて自由意思なんだから、本来だったらこの2冊をそのままいただいて金なぞ振り込まなくても何も問題などない筈だ。倫理的に問題がある、と言われる方がおありかもしれないが、僕はその分を東日本大震災に寄付している。寄付というものは、その先を寄付する者が選択する自由が尊重されて然るべきだし、こんな冊子を作って、よりにもよってあの大震災から1年が経つ今年の三月十一日のその日に記念式典だなどと騒いでいた連中に、どうして寄付などする必要があるのだろうか? 僕にはその理由が何ら思い当たらないのだ。

まあしかし、こんな冊子に金を出したくない、というこの意志を鮮明に表明するためにも、この冊子は叩き返す方がいいに決まっている。今度の日曜、教会で、衆人環視の前で、僕はこの要りもしない2冊の記念誌を突き返してくることにしたのだ。ああ、日曜が楽しみで仕方がないぜ。

TeX Live 2012 out !

先の週末、ついに TeX Live 2012 が正式にリリースされた。僕が公開している『TeX Live を使おう──Linux ユーザと Mac OS X ユーザのために──』の記述も、既に TeX Live 2012 ベースに書き直してある。

鬼が笑うという来年の話だが、2013年までには、TeX Live 収録のフリーの日本語フォントセットで基本5書体をカバーできるようになっていてくれるといいなあ……と思う。TeX wiki の質問などでも分かるように、もう日本人以外で日本語を使うために TeX Live を使っている人達が存在するのだ。ここで、TeX Live を使えばフリーで日本語の活字媒体の様式を享受できる、という状況を整備しておくことは、世界レベルでの日本文化の認知・受容・評価にとって、極めて重要なことだろうと思う……いや、大袈裟な話じゃなくてね。

青空文庫変換スクリプト

青空文庫に関しては、今更ここに説明を書く必要もないと思うけれど、著者没後50年以上が経過した小説・随筆等を電子化、公開している。

僕がどのようにこの青空文庫を利用しているか、というと、基本的には Windows Mobile で動作する PHS 上で『青空子猫』を使って読んでいるのだが、じっくり読みたい場合には、やはりちゃんとしたフォントで PDF 化して読みたい、ということになる。

青空文庫のフォーマットは、ルビ等をマークアップするかたちになっているので、XHTML や LaTeX 形式への自動変換が原理的には可能である。LaTeX 形式への変換は、OTF パッケージの作者である齋藤修三郎氏が『青空文庫を読もう!』で公開しているパッケージに収録されている ruby スクリプト aozora.rb で行うことができる。

しかし、齋藤氏はこのパッケージを最近はメンテナンスしておられないようである。無論、それは何も問題ないし、批判されるようなことでもないのだけど、今現在、僕の手元の環境でこのパッケージを使おうとすると、ruby1.8 用に書かれたスクリプトを 1.9 用に書き直す必要がある。まあ、書き直すと言っても、m17n 化されたのに合わせて、日本語のコード変換等に関わる箇所を削るだけで問題なくいけるはず……と思っていたのだが、少々甘かったようだ。

齋藤氏のスクリプトで変換を行う際、

、漢字《かんじ》
のように、句読点の直後から始まる漢字文字列に対してルビがふられている(お分かりと思うけれど、ルビをふる漢字の直後に《》で囲んでルビを書く書式である)場合、
、\ruby{漢字}{かんじ}
と変換されるべきところが、
、漢\ruby{字}{かんじ}
と変換されてしまうのだ。

この変換は、ruby の売りのひとつである強力なパターンマッチングを駆使して行われているのだが、僕は普段は ruby を使わない。う゛〜……と唸りながら、変換ルールの書き換えを試みていたのだが、あ゛ー、もうやっとれんぞ! と、Twitter で齋藤氏に直接お聞きした。僕も自分でプログラムを書く関係上よく分かるのだけど、メンテをやめて大分経過してから、そのソースの解析を行わなければならない、というのは、これは書いた本人であっても多大なる苦痛を伴う行為である。それを知る者としては、氏に任せっぱなしというわけには断じていかない。うーん……とソースを睨み、メモをして……しかし作業は進まない。

改めて google the Big Brother にお伺いをたてると、『達人出版会日記』で該当部分を書き換えたスクリプトに言及されているのを発見した。変換ルールに関わる部分を github で公開されているスクリプトからいただいて移植すると……おお、これで問題なくできるじゃないか! Twitter の方をチェックすると、齋藤氏もまさにそのスクリプトのことに言及されていた。齋藤氏には、いきなり不躾な質問でお手を煩わせることになってしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。ここに改めて謝意を表する。

……というわけで、昨夜から、頭の中でタスクの何割かを占めていたジョブを片付けることに成功して、今は気分がよろしい。いや、そもそも何のために青空文庫を PDF 化しようとしていたか、というと、宮沢賢治の『猫の事務所……ある小さな官衙に関する幻想……』をたまたま読んで、これに出てくるかま猫がまるで自分自身のように思われて、思わず落涙したからなのだけど。作成した PDF に一応リンクしておく。

http://www.fugenji.org/~thomas/pdf/nekono_jimusho.pdf

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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