人体冷凍保存の諸問題 (1)

先日僕が査収し、一日で読み終えてしまった:

『人体冷凍−−不死販売財団の恐怖』:ラリー・ジョンソン、スコット・バルディガ 著、渡会圭子 訳、講談社、2010. ISBN-13: 978-4062162029
(原著)
"Frozen: My Journey into the World of Cryonics, Deception, and Death" by Larry Johnson with Scott Baldyga, Vanguard Press, 2009. ISBN-13: 978-1593155605
に関して、少しづつ書いていくことにしようと思う。まず、上の訳本に関してだが、訳はかなりよろしい。読み易い、こなれた日本語になっているし、技術用語の訳も怪しさを感じるところはあまりない。あえて言うならば、hamburger を「ハンバーガー」と訳している箇所が複数あるのが気になる。これは文脈からみて、明らかに食品としての「ハンバーガー」ではなく、「ミンチになった生肉」としての「挽肉」を指していると思われる。あと、
……極端な低温状態で、ある種の金属は物理学の法則を裏切る動きをする。さらに低い温度では、まったく摩擦を生じず、電気抵抗がゼロになる。超伝導と呼ばれる現象だ。私はそれを知って興奮した。(pp. 19−20)
最初の下線部は「挙動を示す」と訳すべきだろうし、次の下線部は、これはおそらくヘリウムの超流動に関する言及だろう。原著の記述を確認できないのでこれ以上は何とも言えないけれど、こういう部分のアラは残念ながら目立つ。ここ以外にはあまりなさそうなので、そう気にする必要もないかもしれないが。その他、日本語がおかしくなっている(「……手はまだエスプレッソ三杯飲んだように震えている。」(pp.28) とか)部分が散見されるが、まあこれは校正の問題だろうし、読む上でそう深刻な問題にはならない。

人体冷凍の話に戻ろう。そもそも人体冷凍のアイディアを最初にリアルなものとして世に問うたのは、ロバート・エッティンガー Robert Chester Wilson Ettinger(注.日本においては「エッチンガー」という記述がされることが多い)なる人物が1962年に出版した『不死への展望』(原著:"The Prospect of Immortality")が最初であると言われている。この本はもともとエッティンガーが自費出版したものだが、大手出版社であるダブルデイがこの本の存在を知り、アイザック・アシモフに内容をチェックしてもらった上で、1964年にダブルデイから刊行された。

エッティンガーは第二次世界大戦に従軍、負傷したのだが、その病床でフランスの生物学者であるジャン・ロスタン Jean Rostand がカエルの精子に対して凍結・解凍を行い蘇生に成功したことを知ったらしい。これに刺激されたエッティンガーは "The Penultimate Trump" という短編 SF 小説を書き、これが Startling Stories という SF 雑誌に掲載された。いわゆるスペース・オペラの世界で知られるニール・R・ジョーンズの『機械人21MM-392誕生! ジェイムスン衛星顛末記』(原題:The Jameson Satellite 、1931年7月に "Amazing Stories" に掲載、ハヤカワ文庫から出ている短編集『二重太陽系死の呼び声』に邦訳収録)に多大なる影響を受けているこの短編で、エッティンガーは(SF 的概念として)初めて人工冷凍冬眠という概念を世に問うた。

SF における人工冷凍冬眠という概念で、おそらく世間で最も知られているのは、ハインラインの『夏への扉』であろう。ハインラインは、この小説の中で、過去から未来への旅を人工冷凍冬眠で、未来から過去への旅をタイムマシンで実現した。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』に出てくるような、長距離の宇宙旅行における人工冬眠の場合も含めて、このような SF でお目にかかる人工冬眠の多くが、未来への旅、もしくは、長大な時間を要することに人間が臨む際の、人間の加齢という制限を克服する手段としてとりあげられているわけだけど、エッティンガーが提唱した人工冷凍冬眠は、これとはちょっと意味合いが異なっている。エッティンガー以降の人工冷凍冬眠は、その時点での医学的限界としての死を克服するための唯一の方策、というかたちで認知されるようになった。ここが実は問題なのだけど、それに関しては次回に書こうと思う。

反・唯脳主義宣言

昨日、久しぶりに『メトロポリス』を観ていたのだけど、その冒頭にこんな格言が引用されている(ドイツ語は得意ではないので英語で書くが):

The intermediary between the hand and the brain is the heart.
「手と頭脳を媒介するものは心である」もっとも、映画での引用にはこう続けられているのだが…… "That's a fairy tale ― definitely."(それはおとぎ話である……間違いなく)

映画では否定的に述べられるこの引用句だけど、これは最近流行りの脳科学などと無縁な話ではない。哲学や倫理学の世界では、この引用句に相当する問題は以前から論じられていたのである。

これはごくごくシンプルな話である。たとえば、今ここに剥き出しの脳があったとする。その脳は己の支配する身体を持たないけれど、その生命は維持されていて、活動もしているとする。スペース・オペラに登場するようなシチュエーションを考えると、脳漿に相当するような液体の中に脳が浮かんでいて、神経に相当するような電極やワイヤーが接続されていて、外部との情報のやりとりができるような状態、というところだろうか。

この脳に、普通の人間が感じるような情報を流し込めたとして、果たしてこの脳は、自分が身体を持って普通に生活していた状態と、今のこの状態とを同一のものとして認識し、身体を持っていたときのように活動し得るのだろうか、ということを考えてみる。ほとんどの人が、それは脳がちゃんと機能しているんだったら、脳は脳として活動し得るんじゃないの?と思われるだろう。

では、この脳の持ち主が、たとえばかつては算盤の名手だったとしよう。この脳に、何事か計算をするように働きかけたとき、この脳はどう活動するか。おそらく、この脳が本来の身体に収納されているならば、この脳は無意識のうちに手で算盤を弾こうとするに違いない。しかし、今この脳は己の身体を持たない……だから、計算をしようとした時点で、この脳は己が身体を失っていることに気付いてしまうのではないだろうか。

いやあ、算盤の名手ってのは見えない算盤を頭に持っていて……という話になるかもしれないが、ここで僕が指摘しているのはそういうことではない。脳の活動というものの中には、身体活動と深くリンクしたものが少なからずあって、そのような活動を行う際には、脳と身体は不可分なものとして協調動作するものなのではないか、ということが言いたいのである。

別にこれは算盤の名手に限定した話ではない。人は、おおむね二桁以上の四則演算、もしくは更に高度な数学的処理を行う際には、何らかの身体操作を(あたかもコンピュータが拡張メモリ領域を使用するが如く)行うものである。筆算しかり、方程式を解くのに式展開をするときしかり、である。

そんなものは神経経由にバーチャルに提供できて……なんて話になるのかもしれない。しかし、脳がそのような協調動作をする、その「原体験」というものが、バーチャルな場として与えられるのだろうか?与えられるのならば、それは肉体が脳に与えているインターフェースの模倣物、もしくは代替物であって、そのようなものを提供できることが、脳が脳だけでそれに相当する動作(つまり精神活動)を一から習得し得ると保証するものではない。

つまり、人は高度な思考活動を行う際には、自らの活動領域を半ば無意識のうちに拡張しているのである。人が高度な思考活動を行う領域を心とするならば、心ということばの意味する領域は脳の外にまで及んでいるのではないか、いや、そもそも脳という器官を以て、こころというものの存在を器質的に規定する行為自体が無意味なんじゃないのか……というのが、脳科学の哲学的理解の試みの中で言われていることである。

このような見方が単一的に正しいか正しくないか、ということを、僕はここで論ずる気はさらさらない。ただ、『唯脳論』という本を著しているあの養老氏ですら、実は先に示したような『唯脳的精神世界論』には否定的なのである。この後何日か、僕は前回の blog で言及した本の話を書き、アルコーに代表されるような脳の冷凍保存に関する話を書くかもしれないけれど、その最大前提として、僕自身もこのような思考を経て、いわゆる「唯脳主義」に対して否定的な立場にある、ということを明示しておきたいのである。

『人体冷凍−−不死販売財団の恐怖』読了

いやあ、これはひどい話だ。内容的には当然予想の範囲内だけど、アメリカ人が生の桎梏からの解放というものに対して極めてカルティックな方にはしり易い、まさにそのことの犠牲になったような人が書いた本である。周辺情報と書評に関してはここに追記する。

今更漢字コード

U から、メールで受けたテキストファイルが Mac 上で読めない、と聞かされる。どれどれ……あー、はいはい。

僕が Internet を使い始めて20年が経過したわけだが、その当初から、この日本語の問題は存在していた。当時は、いわゆるパソコン上では Shift_JIS と呼ばれる文字コード(正確には Microsoft CP932 と言うべきなのだろうけど)、UNIX 系のコンピュータ上では EUC-JP や JIS が使われていた。Shift_JIS は、文字コードの一部がいわゆるエスケープシーケンスとカブることや、半角カナの問題などがあるために、僕の周囲のほとんどの人が EUC 党か JIS 党(僕はこっちである)に分かれ、各々がその文字コードで自らのシステムを統一的に構築していた。

こうした状態が一気に変わっていったのは、前世紀末からの Unicode の台頭であった。Microsoft も、Windows 2000 以降の OS を Unicode で国際化したし、今はもはやメンテされていない Kondara MNU/Linux などが先駆けとなって、Linux / UNIX の世界も急激に UTF-8 化が進行した。現在は、日本語の文字コードが大きく分けて4つ存在する、という「異常事態」であるわけだけど、基本的には流れは Unicode に収斂しつつあるのかなあ、という感じだ。

さて。今回の U の問題だけど、どうもこの文書は JIS らしい。Mac OS X 上においては、基本的には日本語の文字コードは Unicode を使っている。表向きは Shift_JIS を使っているように見える(し、実際使える)のだけれど、これは backward compatibility のため、という色彩が濃い。いずれにしても、文字コードを Unicode に変換しなければならない。U が今後作業することを考えて、MultiTextConverterを入れることにした。これはドラッグ & ドロップでテキストファイルの文字コードを簡単に変換することができる。

ただし、U の Mac 上での日本語変換の環境は、実はもうとっくに整えてあった。先の MacPorts から homebrew への入れ替え時にもメンテナンスをしたけれど、それとは関係なく最大前提としてiconvは入っているし、このメンテのときにはnkfも更新してある。こういったフィルタとしての日本語コード変換ソフトは、シェルのパイプラインを分かっている人にとっては何の気負いもなく使われているものなのだけど、まあ確かに普通の人には使いにくいものかもしれない。

僕は歴史的な経緯からQKCがお気に入りなのだけど、現在使用する上で致命的なのが、Unicode を扱えないということだ。これに関しては、Sugano `Koshian' Yoshihisa氏が書かれたnkc(ruby スクリプトである)を使わせてもらっている。僕の個人端末には、legacy な qkc もちゃんと入っているのだけど、個人用以外のコンピュータ上では、nkf か、せいぜい nkc 位までを入れておくことにしている。

MacPorts から homebrew に移行

僕は実は Mac OS X も使っている。U の仕事用の Mac の管理のため、ということなのだけど、いくら Mac OS X が UNIX だといっても、そのままではちょっと CUI で管理を行う上で不便なことも多いので、いわゆるデベロッパーズキットみたいなものを入れているわけだ。

Mac OS X を UNIX として使用する場合は、まず Xcode と XQuartz を入れることになる。これまでは、これに加えて MacPorts でいくつかのパッケージを入れて使用していたわけだが、MacPorts の場合は、基本的に Mac OS X 付属のユーティリティとは独立に各ユーティリティを入れるので、たとえば Perl や Ruby は2重化されることになる。これはこれでまあ怪しげなところがなくっていいのだけど、丁度 Windows における Cygwin のような感じで、母体になる OS の上で浮いた存在になっているとも言える。Cygwin の場合はまあそれでいいのだろうけれど、UNIX のユーティリティの中に更に UNIX のユーティリティが浮いている、というのは、どうも落ち着きがよろしくない。

そんなことを感じつつも MacPorts を使っていたのだが、最近になってhomebrewなる存在を知った。これは先に書いた大物ユーティリティの重複が生じないような構成になっているらしい。まあ、U の Mac はディスクが巨大なので、ちょっとやそっとの重複などヘでもないのだが、折角なので、この機会に homebrew に移行しておくことにする。

まずは、MacPorts の解説 "2.5. Uninstall (Chapter 2. Installing MacPorts)"を見ながら MacPorts を削除する。この際に特に注意しなければならないのは、MacPorts で導入した shell を login shell にしていた場合は、事前に /bin/bash などに chsh しておかないとエラいことになる、ということ(具体的には login できなくなる……まあ当然だけど)。Mac OS X が Ubuntu などと同様に su できない仕様になっているとはいえ、こういう事態を招いたときのために、コンサバティブな管理方針の管理用アカウントをひとつ用意しておくと安全なのだろう。

削除が終わったら、homebrew のインストールガイドに従って:

ruby -e "$(curl -fsSLk https://gist.github.com/raw/323731/install_homebrew.rb)"
と入力し、brew と周辺キットのインストールを行う。このように、homebrew では Ruby を用いたキットで管理が行われているらしい。あとは、
brew install package
package の導入が行われる。詳細は man brew を参照されたい。ちなみに、
brew update
でアップデートをかけられるけれど、これには git が必要なので、予め導入しておく必要がある。

解熱

先に書いた通り、この何日かはインフルエンザに感染したために床に臥せっているわけだけど、今朝、目が覚めたところで、いつものように体温を測ると……35.5度、と出る。僕は平熱が36度を少し割る(これは今使っている電子体温計のせいかもしれない)のだけど、まあ要するに平熱に戻った、ということである。

これは、リレンザ© のデータシート通りの経過である。以下に、データシートに記載されている、リレンザ© 服用開始時からの体温の推移の統計を示す:

日中最高体温の推移

一応コメントしておくと、プラセボ(偽薬)のデータはエラーバーの下端、リレンザ© 服用者のデータはエラーバーの上端を線で結んでいる。これで見ると、服用開始から3日で、おおむね平熱もしくはやや高めの体温に戻るということが分かる。僕の場合、服用直前(一昨日夕)の体温が38.4度、昨日の朝・昼・晩の体温が38.0度だったので、上のグラフから予想し得る範囲内(二日目がやや高いけれど)で体温が推移していることが分かる。

もちろん、ここで服用を中止しては意味がない。耐性菌を世の中にばら撒かないためにも、キットの薬を服用し切るまでは服用を継続した方がいいだろう。少なくとも、今日・明日位は続けなければならない。

えーツ!

今日は何となく朝から身体の節々が痛かった。厭な予感がしたのだ。というのも、先週の金曜、遅い時間に電車に乗ったとき、車両の端にひどく咳込む男性がいて、手で防ぎもせずにゲホゲホ咳をしまくっていたからである。

昼頃、電子体温計を腋下に挟んでみると……36.8度。うーん、微熱だな。しかし、寒気と全身の倦怠感がひどい。咳が出て胸が少し苦しい感じもする。

そのまま夕方まで過ごしたのだけど、これはおかしい、もう一度体温を……と計ってみると、今度は38.1度。いかん、これぁアレかもしれない。

僕と同じような症状で、これはインフルエンザなんじゃないか、と思われる方は、とりあえず 38.0度をひとつの境界線と考えるといいらしい。しかし、最近は体温が38度未満でインフルエンザが発症していることが全症例の3割程度ある、という話もあるので、こういうときは抗体検査を受けることをお薦めする。僕の場合は、近所の耳鼻咽喉科と内科の医院、どちらに行こうか少し悩んだ後に、耳鼻咽喉科の方を受診することにする。ここのドクターはアレルギー関係で名が知れているせいか、子供の患者が多かったのだが、初診なので問診票を記入して、マスクをしてしばし待つ。

ドクターは最初からインフルエンザを疑っていたらしく、ネブライザーでの吸入を指示しながら、抗体検査キットの綿棒を僕の鼻に突っ込んで、念入りに粘膜組織を絡め取った。吸入中に、

「出てる?あー、出てるの!」

どうやらビンゴらしい。吸入を終えて診察席に戻ると、検査キットの表示部を示される……そこにははっきりと、AとCのところにラインが見えている……A型に感染、で決まりである。ドクターはそれを見せながら、

「分かってて来たんでしょ?」
「……はあ」

どうもなまじ慣れているのも困りものである。ドクターは僕にリレンザ©(ザナミビル)を処方し、看護師から吸入キットの使用方法の説明を受けた。

というわけで、今日から、体温が37.5度まで下がってから2日間を経過するまで、僕は外出ができないことになってしまった。まさに気分は表題の如し、である。

レイテ島からのハガキ

先日、『探偵!ナイトスクープ』を観ていたときのことであった。60代中盤の男性から、こんな依頼があったのだ:「自分の父は、新婚5か月で出征し、レイテ島で戦死したのだが、その父が、母の胎内に自分が育まれていたことを知っていたのかどうかを知りたい。」御母堂は数年前に亡くなられたのだそうだが、その遺品を整理していたとき、父から母に送られたと思われる葉書が二通出てきた。御母堂が何度も何度も読み返していた鉛筆書きのその葉書は、文字がかすれて判読に苦労するような状態で、特にそのうちの一通はほとんど記述を読み取ることができず、またその最後の四行は文字を判別することもできない。しかし、その葉書を見ていると、「身重」と書かれているように感ずる箇所がある。ここに「身重」と書かれているのかどうかを、調べていただけないだろうか。そういう依頼であった。

男性と探偵の麒麟・田村氏は、まず拡大コピーで読み取ることを試みるが、問題の記述の箇所は不鮮明で、特に二文字目が「重」というよりは「実」であるようにも見える。そこでデジタルメディア系の専門学校にこの葉書を持ち込む。学校の教授は、この葉書をスキャンして、Photoshop で画像処理して読み取ろうとするが、二文字目のところに丁度紙の皺があるために、皺のコントラストで文字が潰れてしまい、判読には至らなかった。

彼らは、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所に赴き、この葉書の読み取りを依頼する。ここで、この葉書が鉛筆で書かれていたことが幸いする。鉛筆は黒鉛なので、墨と同じく赤外線の吸収が大きい。そこで、ガラス板で押えて赤外線撮影を行い、ある程度コントラストが得られた画像のネガとポジを重ね、両者をわずかにずらす。これは「レリーフ・フォト」と呼ばれるもので、数学的に言うと、微分処理でコントラストの変化するところ、つまり輪郭を検出しているのと同じことをしているのだが、これによって鮮明になった文書に対し、古文書の読み取りを専門とする係官の協力を得ながら、研究所のスタッフが読み取りを試みた。

しばらく経ってから再び研究所を訪れた彼らに、研究所のスタッフは、葉書をほぼ全て読み取ることができた、と言い、問題の箇所はまず「身重」で間違いない、と断定する。そして、

「我々が『身重』だと断言できる理由は、お読みになっていなかった最後の四行の部分に隠されています」
「もう、多分、覚悟の上の、辞世に近い歌だと思うんですが、和歌を三首詠まれています」

と言う。解読された葉書のコピーの最後に書かれている歌を男性が読み始めた、その二首目であった。

  頼むぞと 親兄姉に求めしが
      心引かるゝ 妊娠の妻
これが、問題の箇所を「身重」と読んだ証拠である。

そして男性は、その葉書を最初から読み始めた:

インキと煙草を持つて来なかつた故(ゆえ)不自由してゐるよ。やはり持つ物は持つべきだね。お前は大阪にゐる時から出征したらどこかに働きに行くと言つてゐたが、それは許さんぞ。どんな事があつても身重であるお前が働きに行く事は許可せん。兎角(とにかく)お互いが元気で会う日迄(まで)元気よく日々をすごそうではないか。亦(また)帰れば新婚の様な気持ちで日を送ろう。大三輪神社思ひ出すよ。八日の晩の映画思ひ出して仕方ない。でもお互いが別れた今は帰る迄仕方ないやないか。何回もいふ事であるが、勝手な行動丈(だけ)は厳禁するよ。最後に 酔ふ心君に訴ふ事ばかりただに言へない吾(あ)が胸の内 頼むぞと親兄姉に求めしが心引かるゝ妊娠の妻 駅頭で万歳叫ぶ君の声胸に残らむ昨夜も今朝も 元気で。(返信不要)

最後尾以外のカッコは僕の追記。「大三輪神社」とあるのは、奈良県桜井市にある三輪明神大神――これで「おおみわ」と読む――神社の誤記だと思われる。ちなみに「吾が」を「あが」と書いたのは、「わが」と読めないこともないのだけど、これは自分の妻に宛てているので「あが」と読む方が(少なくとも僕の言語感覚においては)しっくりくると思う。

これ以上、僕は多くのことを言いたくない。しかし、こんな手紙を書き、こんな歌を詠み、こんな思いを持つ人が、一兵卒として勝ち目のない戦場に投入され、妻やまだ見ぬ我が子を思いながら死んでいったのか、と思うと、ただただ胸が痛む。戦争というものは、人のこういう機微をいともたやすく蹂躙し、破壊してしまうのだ。それだけは書いておこうと思う。

国語力を考える

実は、知人からお子さんに関して相談を受けている。知人は、そのお子さんがもう少し読解や論述の力をつけるべきだと感じているそうで、国語力を鍛えたいのだけどどうしたらよいか、ということで、僕のところに話を持ってこられた。僕は、これはいい話だな、と思って、相談に乗ることにした。国語力というのは、国語を含めた全ての教科において求められる能力だからだ。

fugenji.org のオーナーである友人Oは、何度か書いているけれど僧侶で、僧籍を得る前、檀家さんの関係で複数の子供の家庭教師をしていたことがある。これはOがそういう家だから声がかかった、というのではなく、Oに家庭教師をしてもらうと「成績が上がる」という評価があったからだった。その頃、僕はOに、その理由を尋ねたことがあるのだが、

「そんなん簡単な話や。国語を教えればええのよ」

事実、彼が国語、特に現代文を教えることで、それまで学校の授業についていけない状態であったような子の成績が、目に見えて向上していたらしい。僕は国語力というものの重要さを改めて思い知らされたのであった。

じゃあ、自分が子供だった頃はどうだったのか……と思い返してみると、とにかく僕は本が好きだった。僕の実家はそれ程裕福な家ではなかったのだけど、本に関しては、欲しいものは制限されることなく、何でも買ってもらえた。漫画は買ってくれなかったけれど、行きつけの床屋と耳鼻咽喉科の医院に山のようにあったから何の不満もなかった(この時期、僕は少年漫画界で不死鳥の如く復活していた手塚治虫にはまり、『ブラック・ジャック』や『三つ目がとおる』を暗記せんばかりの勢いで読んでいた)。親父も本を多く読むので、週末になると、さほど仲が良かったわけでもない父子は黙って二人で本屋に行って、何時間かを立ち読みで過ごした後に、何冊かの本を抱えて帰宅するのであった。

ああ、そうそう。唯一漫画でも買ってもらえる本があった。『学研まんがひみつシリーズ』だけは買ってもらえて、僕は小学生当時、当時発刊されていたほぼ全てを持っていた。あまりに読み込んだので本が分解しかかっていたのだが、僕が中学に入ってから、地元の学校か幼稚園かに寄付したらしい(当時、僕はそれらの記述のほぼ全てを暗記してしまっていて、もはやそれらを所持する必要がなかった)。親父は僕を滅多に褒めてはくれなかったが、本に関してだけは、

「これだけ読んだら本も成仏するだろうな」

と(カトリック信徒の癖に!)よく言っていた。

小学校の頃は、自分以上に本を読んでいるという子供に会うことがなかった。中学に入ったそのときに、たまたま話しかけた同級生が創元やハヤカワの推理小説をコンプリートせんばかりの読書量を持つ男で、これが後にハンブルク大学に留学した友人Yであった。まあそんな調子だったから、本と友人には、僕は恵まれていたのだろう。これは今でも、つくづくそう思う。

後になって知ったのだが、茨城、特に水戸という土地は、本を買うのに金を惜しまない土地柄らしい。調べてみたところ、2008年の雑誌・書籍購入費県別ランキング(全国平均が15,785円)で、第1位が埼玉(21,929円)、第2位が福島(21,545円)、そして茨城県は第3位(21,221円)である(ちなみに愛知県は15,743円で第36位)。まあ、水戸藩は藩の財政の 1/3 を『大日本史』の編纂に費していたそうだから、これはきっと伝統的なものに違いあるまい。

……というわけで、いささか話が逸れたけれど、僕は自分の国語力がどうか、などということを考える必要がなかったのだ。しかし……この現代社会で、名文に触れる機会というのは、たしかに減っているかもしれないし、そういう中で暮していたら、ボキャブラリーだってなかなか多くなり難いかもしれない。

先に書いた、相談を受けた知人のお子さんに、この間会ったのだけど、冬休みの宿題の「ことわざ」が今一つ分からない、ということで、臨時の家庭教師をすることになった。で、そのときに「三つ子の魂百まで」というのが出てきて、あーそうか、これは分からないかもしれないな、と思った。今の「大人」で、この諺の「三つ子」というのが「三歳児」を意味することを知っている人が、果たして何割程いるのだろうか(さすがに僕は知っていた)。そういうことを大人がちゃんと知らず、そういう言葉を日常の語彙として見聞きするチャンスがなければ、何もせずに子供がそんなものを覚える筈がないのである。

誤解なきように願いたいのだが、僕は自分の国語力を誇るつもりなどない。たとえば漱石・鴎外・芥川の時代のように、漢籍の教養があることが当然とされた時代の人々と比較すると、僕なぞとてもじゃないが「教養がある」などと言えるはずがない。中学時代にYの薦めで中島敦に親しむようになって『李陵』などを読んだときに、それを痛感したものである。

ただ、僕はそこそこの量の古今東西の文章を読んできたし、そして今のこの文章のような文体で、自分の思うところ、感ずるところを書くことができる。少なくとも、読み書きに構えてしまうことはない。この文章だって、別にそう面倒な推敲などすることなく、頭っからつらつらーっと書いているわけで、それはやはり、論理展開と表現というものを学んだ結果なのだろう。まあ僕の場合は、理系の文献を日本語と英語で読み書きする関係上、そういうものに関して専門的教育を受けている、と言えないこともないのだが、でもシステマティックに論文購読とか文章作成術とかを習ったこと、なんてのはない。基本的に、僕の読み書きの能力というのは、僕にとってはあくまでも「一般教養」の範疇のものなのである。

しかし、僕の考える「一般教養」というのが、どうも最近は一般的ではなくなっているような気がしているのだ。僕が使う語彙が通じなくなっているのは日々感じている(まあ官房長官が「柳腰」と「粘り腰」「二枚腰」の違いも分からないんだからな……「柳腰の芸者」なんて表現にお目にかかったことがないんだとしたら、政治家として以前に大人として、なんて乏しい教養なんだろう)し、blog のコメントを見ていても、あーこいつぁロジカルな思考ができないんだなー、という輩を散見する。これが世間の実情だというのなら、僕の考えるところの「一般教養」は、おそらくもはや一般的なものではないのだろう。

本来、国語教育というものは、論理的に物事を把握し、思考し、主張する、つまり人が社会生活を営むための必須教育である。教育学の立場の人はどう考えているのだろう、と思って、齋藤孝氏の『理想の国語教科書』を査収したところが、あとがきに、

私は日本再生の鍵は、日本語力と身体の教育にあると考えています。(中略)……日本の近代化の成功は江戸時代に遡る識字率の高さ、寺子屋の充実、明治期の初等教育の質的な高さ、高い読書力などに支えられていました。こうしたストックは、この二十年の間に使い果たしてしまった観があります。ここでもう一度基本に立ち返り、本格的な読書力を鍛錬する教育に方向転換をすべきだと私は考えています。
とちゃんと書いてある。僕もそう思うのだが、正直言って、今の日本はもう間に合わないところに来てしまっているのではなかろうか、という気が最近はするのだ。団塊ジュニアとか「ゆとり」世代において、国語力の低さというものはもう話にならない位の度合いまで進んでいて、しかもその世代が今は親になっているのだから。教育によってそれを立て直そうというのならば、余程施政者と教育者が尽力しなければ能わぬだろうと思うのだが、施政者があれだものなあ……

青空文庫 PDF 化

青空文庫というプロジェクトがある。著作権切れ(一部著作権の切れていないものも含む)の文学作品を電子化・蓄積・公開する、というものだけど、ここでは電子化した文書を plain text と XHTML document というかたちで公開している。僕等がこの手の文章を読んだり使ったりする際には、たとえば PDF であると都合がいいのだけど、いきなり PDF で公開する、というのは、たしかにいささか能率が悪いと思う。

僕の場合は TeX を使うので、たとえばこんな風(gon.pdf)に PDF 化が容易(でもないかな……でもまあ、この程度には)にできる。今度、『ごん狐』はちょっと使う用事があるのでこんなものを作成したけれど、自動的に TeX document に変換するような方法は、ちょっと頭が回ればできないこともない。実際、齋藤修三郎氏が公開されているコンテンツ『青空文庫を読もう!』のアーカイブを使えば、pLaTeX と ruby でこの変換を実現することができる。

ただし、元となる青空文庫の document 仕様には、実は致命的な問題がひとつある。ルビの分かち書き、という概念が入っていないのだ。

どういうことかを具体的に示そう。ルビ(いわゆる「振り仮名」)というのは、特に戦前の文章を読む場合には非常に重要なものなわけだけど、青空文庫では、このルビを表示するのに、《》でルビを囲んで表示している。青空文庫でルビを用いている文書に必ず添付される例で示すと、

(例)私《わたし》
のように表示しているわけだ。この例のような場合はこれでよろしい。しかし、今回の『ごん狐』の場合で一例を挙げるなら、
火縄銃《ひなわじゅう》
のような場合はどうするのか、ということである。

何が問題なのか?と問われそうだけど、「火縄銃」に「ひなわじゅう」とルビをふる場合は、実際には「火」に「ひ」、「縄」に「なわ」、「銃」に「じゅう」とルビをふるのが適切なわけだ。だから、このような場合には、

火《ひ》縄《なわ》銃《じゅう》
と、ルビを各々の漢字との対応関係が明示されるように「分かち書き」しなければならないのだ。誤解なきように強調しておくけれど、本来の書籍における組版では、このように分かち書きされた状態でルビが付いているものである。「いやーその二つって実際に差があるの?とか言われそうなので、以下に二者の相違を示す:

ではなぜ、青空文庫ではそのようにしていないのか。これは容易に想像がつくのだけど、テキストをそのまま人間が読むときに、このような表記が煩雑で読みづらくなるからこうしましょう、と「安易に」決めてしまったのだろう。しかし、文学作品を電子化する旨味というものを考えると、電子書籍としての利用や全文検索だけでなく、いわゆるタイプセッティングシステムの俎上に、このような文書を容易に載せることができる、ということは決して無視できない。

テキストを人が眺めることしか考えずに、本来の組版において込められていたルビの「分かち書き」に関する情報を、青空文庫ではそぎ落としてしまっている。これは、後で人がいちいちチェックするか、分かち書きを失敗することを覚悟した上で、辞書を用いたシステムで改めて分かち書きを行う、という作業を経なければ、本来の組版が持っていた情報を回復できないことを意味している。

これ以外にも、青空文庫に関しては、その運営が独善的である、等の批判がある。文書を資源化するということは、大きな恩恵が得られる行為なのだから、どうかその本道をちゃんと考えていただきたいものだ。そして、自分が見るもの、見ること、見る方法だけで、世界が成り立っているわけではない、という謙譲の意志を、どうかちゃんと持っていただきたいものなのだが。

"The Dismissal"

以前の blog でザウアーブルッフにふれた際、『大外科医の悲劇』の英語版を注文した、という話を書いた。特急便で注文したわけではなかったので、手元に届くのには時間がかかると思っていたのだが、今日、めでたくアメリカから届いた。

この本はもともとドイツ語で書かれていて、その題名は "Die Entlassung" という。英訳版の題名はこの blog のタイトルでもある "The Dismissal" で、まあ直訳である。意味は……この場合は「解雇」「解任」「免職」と、この辺りだろうか。ザウアーブルッフがシャリテ(フンボルト大学ベルリン付属の病院)外科教室主任教授の職を辞職……実際は限りなく解雇に近いのだが……する場面から話が始まるので、このような題名になっているのだろう。

もちろん、古本の洋書を買うのは今回が初めてではないのだが、とにかく今回の本は程度が非常によろしい。ハードカバーということもあるのだけど、本の状態は軽い棚擦れがある位である。原著 "Die Entlassung" が出たのが1960年ということは知っていたのだが、この英訳版が出たのはいつか……と奥付を見ると、1961年と書かれている。

洋書の古書を買うとよくあるパターンなのだけど、この本も、学校の図書館の蔵書だったものが、書庫整理などの際に売りに出たものである。裏表紙の裏面を見ると、今はほとんど見ることのない図書カードのポケットがあり、カードも挿されたままになっている。見ると……貸出履歴は2件、1965年の1月2日と5月20日(!)とある。これから推測するに、この本は出版されて程なくしてこの学校図書館で購入されたものの、なんと2人しか借りる人がないままに在庫整理で売りに出され、僕の手元にやってきたものだ、ということらしい。

この本を売ってくれたのは amazon.com の提携業者で、その業者はアメリカ・ケンタッキー州にある。この本の出元が知りたくて、あちこち引っくり返していたら、

LIBRARY
MODEL LABORATORY SCHOOL
というゴム印が捺されているのを見つけた。駄目元で検索してみると……発見!
EKU Model Laboratory School
ここらしい(wiki)。EKU というのは Eastern Kentucky University (wiki) イースタンケンタッキー大学のことだけど、Laboratory School ということは、いわゆる附属学校、ということらしい。日本でも(たとえば「東京学芸大学附属高等学校」のような)大学の附属学校というのがあって、そういう学校では既存の学校とは異なった「実験的教育」を行っていたりするわけだけど、Laboratory School というのはそういう意味である。

この「イースタンケンタッキー大学附属モデル学校」(一応書き添えておくけれど、この「モデル」というのがこの学校の名前である)というのは、web で見ると Kindergarten(幼稚園)、Pre K(幼稚園にあがる前の子供のための学校)、そして1年から12年までの学校、と、要するに「保育園・託児所レベルから高校3年相当まで」の幅広い年齢層を対象にしているようなので、今回僕が購入した本をかつて読んだのがどの辺りの年齢層なのかは知りようがない。しかし、40数年を経て、これ程いい状態の本を9ドル99セントで買えるとは、正直思っていなかった。嬉しい誤算であった。

詐欺師が何故人を上手く騙せるのか

まず最初に書いておくけれど、僕は世間の尺度で言うならば、かなりリベラルな方だと思う。南京虐殺も、中国などが挙げている数字は荒唐無稽だとは思うけれど、便衣兵を警戒して関東軍が民間人を大量に殺したという意味では「あったこと」だとみているし、慰安婦問題にしても、民間人の女衒の所為だとは片付け難い問題を孕んでいるとみている。靖国神社に対しては、宗教的アイデンティティの観点から十把一絡げの合祀には反対しているし、と、まあこれだけ書いても、どうです、かなりリベラルでしょう?

そんな僕ではあるのだが、民主党政権に関して何か口を開こうとすると、彼らを擁護するようなコメントを、どうやっても絞り出すことができない。これは一体どうしたことなのだろうか。

首相会見のポイント

 1、小沢一郎民主党元代表は自らの問題を国会で説明してもらいたい
 1、起訴された場合は、小沢氏は政治家としての出処進退を明らかにして裁判に専念すべきだ
 1、社会保障に必要な財源について消費税を含め超党派の議論を呼び掛けたい。6月をめどに方向性を示したい
 1、2011年度予算案に国会で多くの政党の賛成をいただきたい
 1、私の念頭には衆院解散の「か」の字もない
 1、環太平洋連携協定(TPP)の最終的な判断は6月ごろがめどだ
(2011/01/04-11:22, 時事通信社 元記事リンク

これらを見ると、菅直人の考えていることが実に明確になる。要するに、
  • 民主党に対して世論が否定的である原因は「政治とカネ」問題に尽きる。
  • しかるに、小沢氏を排除することによって世間への責任をとることができ、そうなれば世論の支持は回復し、政局も安定するはずだ。
  • 尖閣諸島問題などに関しては「政治とカネ」問題ではないので、それらを理由として自らや内閣が責めを負う謂れなど全くない。
  • 来年度予算案を通して、その後は消費税引き上げや関税障壁撤廃を早急に実現することが現政権の急務である。
これが、今年年頭の菅直人の主張である。

以前、ある人からこんな話を聞いたことがある。それは「詐欺師は何故ああもがっつりと人を騙すことができるのか」というものだったけれど、

「いや、簡単なことだよ。人は、嘘をつくと、どう取り繕ってもバレるものだろう?」
「ええ」
「だったら、バレないためにはどうしたらいい?」
「……嘘じゃなければ、そもそもバレることはないけれど……」
「いや、それで正解だよ」
「え?でも、騙すんでしょう?」
「だからさ、騙す側が、主観的に、心の底からそれを真実と信じ込むんだよ。最初に。そうすれば、どれだけ何を言おうが、それは主張する側にとっては真実になるんだから」

つまり「他人を騙す最良の方法とは、まず最初に自分を騙すことから始めることだ」というのである。これを聞いたときは、なるほどなあ、と感心したものだけど、去年の鳩山政権における「腹案」問題にせよ、去年から今年の年頭会見にかけての、菅政権の抱える一連の問題とその対応にせよ、それらを見る度に、どういう訳だか、この詐欺師の話が思い浮かんできてならないのである。

遅ればせながら

新年明けましておめでとうございます。

今年は伊達巻を焼いたのだけど、1回目はレシピを勘違いしてひどい代物が出来たので、初売りで材料を買い直してリベンジに臨んだ。

材料は、生海老150 g に対して、卵(全卵)が6個(小さいものならもう少し多くてもいいだろう)、砂糖が50 g、みりんが大匙3、酒が大匙1.5、醤油が小匙1.5、である。以下、作り方をメモしておく。

まず海老の摺身を作る。海老は全て背腸を抜いて、片栗粉と酒(上記分量とは別)を加えてボウルの中でよく攪拌して汚れを取り、水で何回かすすいでから水気を取る。本当はこれを当たり鉢で擦るのが一番いいのだけど、今手元に当たり鉢がないので、今回はフードプロセッサで挽いた。これに全卵をひとつづつ入れ、入れてはよく攪拌して……を繰り返し、全ての卵が摺身とよく混ざるまで繰り返す。

本当に売っているものと同じ水準のものを作りたい場合は、上の作業を当たり鉢の中で行い、卵液と摺身が混ざったものを裏漉しするとよい(ただし、相当手間がかかるのでご注意を)。フードプロセッサの場合も、目の細かいザルなどで漉すと出来上がりが良くなる。

こうして仕上げた液体に調味料を投入して、いよいよ焼きに入る。アルミフォイルで、巻き簀より一回り小さな縦・横寸のバットのようなものを作成して、内側にサラダオイルを塗ったところに液体を流し込み、予熱した200℃のオーブンで20分焼き、温度を180℃に落として更に数分焼く。これはオーブンの個体差で時間が変わってくると思うが、目視で焼き具合を確認されるとよかろう。

焼けてくると、生地が餅のように膨らんでくるが、これは竹串などで潰しておくと良い。焼けたら粗熱を取り、焼いたときの上面が巻き簀側に来るように巻き簀の上に伏せ、アルミフォイルを剥がす。剥した面に巻き簀の目に平行に何本か切れ目を入れ、断面が「の」の字形になるように巻き込んで、輪ゴムや糸などで固定して冷ませば出来上がりである。

伊達巻には特別の思い出がある。子供の頃からの好物で、正月になると、これを食べるのが楽しみだった。勿論、親もそれ程たくさん食べさせはしなかったから、一度一本丸ごと買ってきて一気食いしてみたい、と思っていたのだった。

高校生になって、楽器を買うためにマクドナルドで早朝のバイトをしていたのだが、懐具合が良くなったので、かねてからの企みを実行に移した。まあ結果は容易に想像できるわけだけど、半分位食べたところでうんざりしてしまった。何事も楽しむには程というものがあって、程を越えて欲望を拡張させても、それを享受することは物理的に不可能だ、ということを、そのときに学んだのだった。

大阪に住み出した頃、年末に「せめて伊達巻位は」と思い買いに行ったらどこにもなくて、大いに困ったのだった。大阪では、鱧などの摺身を使った上等な蒲鉾を伊達巻の代わりに食べることが多いようで、結局その年は伊達巻を食べられずじまいだった。大袈裟な話だけど、正月が来なかったような気がして、ひどく寂しく思えたものだ。

そして今。まあ、今年はとうとう自分で焼いたわけだけど、これも一人で抱え込んで食べるのはあまりに味ないわけで、U とちびちび食べているわけだ。まあ、こういう食べ方が、実際のところは一番いいのかもしれない、と思う。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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