茄子の鴫焼き

まあ僕は普通に料理をするわけだけど、母や祖母から教わった料理、というのが、実はあまり多くない。料理における基本的な技術というのは、実家に居る頃に習得したのだと思うのだけど、実際にレシピを覚えて自分でいじって……とかいうことをするようになったのは、一人で暮らすようになってからのことだ。

その数少ない、母や祖母が作っていて僕も作る料理のひとつが、この茄子の鴫焼きである。子供の頃から「しぎやき」「しぎやき」という言葉だけ聞いてきて、「しぎ」が鳥の鴫のことだと気付いたのは、おそらく中学生位の頃だったのではないか。大阪で、後に中京地区で暮らすようになって、ふとその語感を思い出し、懐かしくなって作るようになったのだった。

茄子という食材の特徴は、今更ここに書くまでもないことだけど、

  • 水分が多い
  • 油を吸収しやすい
ということである。茄子自体は非常に淡白な食材なのだけど、この特性を活かして油や味を含ませると、強い満足感を得る料理に仕立てることができる。

鴫焼きのルーツは、16世紀頃まで遡ることができるらしい。当時は「鴫壺焼」という、茄子のヘタを落として中をくりぬき、そこに鴫の肉を詰めて酒と共に煎り煮のようにしたものに、塩をつけて食べる……というようなものだったらしい。それが江戸時代に入ると、鴫の肉を使わずに、茄子を山椒味噌で田楽のようにしたものを鴫焼きと称することになった。では、現在の鴫焼きはどういうものなのか。

僕の母の作り方を思い出しながら、今日も鴫焼きを作ったところである。それをここに書いておくことにしよう。

用意するのは茄子、豚肉(バラスライスを細かく刻むか、豚挽肉を使うといいだろう……勿論合挽きでも出来るけれど)、青みが欲しい方は獅子唐かピーマン。炒めるので油(胡麻油をお薦めする)、あと調味料は、砂糖、味噌(一般的な合わせ味噌で構わない……僕は麦味噌で作ることもあるが、このときは砂糖を控えめにするとよい)、醤油である。一応目安の量(二人分)を書くと、

  • 茄子(一般に売られている長茄子がいいだろう):2〜3本
  • 肉:100グラム前後
  • 青み:ピーマンなら2個位?まあ茄子と比較して極端に多過ぎない程度で
  • 砂糖:大2
  • 味噌:大2〜3
  • 醤油:味噌の味に合わせて加減する(小1 1/2〜大1位か)

作り方は簡単である。油をフライパンに熱したところに肉を入れ、赤身がなくなって油が滲み始めるまでよく炒める。ここに茄子(僕は長さ3センチ位の拍子木状に切る)を入れて炒め、茄子の表面に油が回るまで軽く炒める。青みを入れるならここで少し時間差をつけて入れるといい。

油が回ったら、まず砂糖だけを入れ、フライパンを煽って全体になじませる。テカーっとした光沢が出てきたところで味噌を入れ、火を中火にして全体に馴染ませながら炒め続ける。味噌が全体に馴染んだら醤油を加え、茄子に完全に火が通り、透き通った感じになれば出来上がりである。

祖母は甘味を強くしていた(ひょっとしたら僕に合わせてくれていたのかもしれないが)。母は砂糖は少し控えて、大人味にしていた。注意しなければならないのは、肉に完全に火を通してから茄子を入れること。もし酒や味醂を使いたいなら、茄子がそれを直接吸わないように工夫すること(強火にしてから入れる必要があると思う)。先にも書いたように茄子は味を含み易いので、肉の臭いや生のアルコールを含ませないようにしなければならない。

まあこんな感じで、5月の夕食が、今夜も始まろうとしているのであった。

金盾、矛盾

いよいよ TeX Live 2012 に向けた tlpretest がリリースされた。早速、手元にダウンロードしたいところだったのだが、 mirror にアーカイブが定着するまでは我慢、我慢……と、世界に5箇所ある mirror site にアーカイブが定着したようなので、rsync でダウンロードを開始した。

それにしても、この tlpretest の mirror site は奇妙である。5箇所というのが、中国の ctex.org、チェコの CSTUG、スロヴェニアの Jožef Stefan Institute、そしてアメリカの Harvey Mudd Collegeユタ大学理学部数学科なのだけど、TUG のページによると、日本には mirror しているところはないようだ。

こうなってくると、何処が一番近いのか、という話になってくる。もちろん、これは物理的な距離ではなく、ネットワーク的な近さの問題である。traceroute でホップ数を数えたり、小さなファイルの取得に要する時間を比較したりした結果、一番近いのは……なんと、中国の ctex.org であった。

正直言って、僕はアメリカの方が絶対に速い、と思っていた。というのも、中国はネットの検閲が大規模に行われているからだ。この検閲システムは「金盾」の名でよく知られている。しかし、実際の転送速度を計測してみると、tux.org と比較しても、中国からの転送は「劇的」と言っていい程に速い。本当に意外だった。

本当は、中国のように国民の多い国こそ、ネットワークの帯域確保には懸命になるべきなのだと思う。なにせ、十数億もの人々がケータイを中心としてネットワークを使っているのだから……その意味からは、金盾のようなシステムはナンセンスとしか言い様がないのだけど、今の状況は、まさに一党独裁国家の現実だと言わざるを得まい。中国人は、自分達が割を食っている現実に、もっと怒るべきなのだ。そういうことを彼らが考えるようにならなければ、きっとあの国の政治状況は変わらないままだろう。

まあ、そんなわけで、ctex.org からのダウンロードは、おそらく夜までには終わる。今後の更新は、ひょっとしたら tux.org を使うこともあるかもしれないけれど、今回の件は、僕に中国のネットワークを少しだけ見直させたのだった。

【後記】その後、ftp や http での転送速度も色々計測してみたのだけど、ユタ大学の方が速いことも結構あったりして、どちらを人に薦めるべきか、はちょっと微妙。難しいですね。

2ちゃんねらーではないんだが

最近何かと問題視されている2ちゃんねるだけど、この先果たしてどうなるのだろうか。

僕の場合も、まんざら全く関係がないというわけでもない。というのも、2ちゃんねるの UNIX 板には \chapter{\TeX} % 第八章(現時点)というスレッドがあって、ここは TeX / LaTeX の情報がそこそこ流れているからだ。

ただし、僕はここにはもう大分長い間書き込んでいない。というのも、僕の使っているプロバイダにどうやら不心得者がいるらしく、何か月もの間、ずーっとアクセス規制の対象にされていたためだ。このスレッドには時々、おーそれぁ気がつかんかった、みたいな質問や答が流れることがあるのだけど、それに対して何も書き込めない、というのは、これはこれで困った話である。

で、さっき、ダメモトで書き込みテスト(UNIX 板には書き込みテスト用のスレッドがある)をしてみたら、今日はアクセス規制が解除されているようだ……まあ、特に書く事は何もないので、おー解除されてるよ、で終わってしまったのだが。

しかしなあ。2ちゃんねる、これからどうなるんだろう。違法薬物関連であれだけ叩かれているし。違法薬物関連の情報で削除されていないものって、本当に、そんなに実害があるものなのだろうか? そりゃ、書かれた直後は実害ありまくりだろうけれど、少し時間が経ったら、書いた方も、その書いたことを端緒に検挙されたくないだろうから、接触方法とか書かれていても、すぐ obsolete になってしまうんじゃないか? ……まあでも、ああ野放図というのは、確かに問題だとは思うんだけど。

つくばの竜巻に関して

各方面に連絡がついたので、ようやくこの話をここに書くことができる。

僕は茨城県水戸市で生まれ育ったわけだけど、親戚は茨城周辺の各地に散らばっている。茨城県と栃木県の境にある栃木県茂木町、茨城県常陸大宮市(旧御前山村)、つくば市、筑西市(旧下館市)、そして埼玉県桶川市……あと、あの震災で本当にひどいめに遭わされた福島県相馬市。母が10人兄弟という実家の出なので、まああちらこちらに親戚がいるわけだが、茨城も、福島や栃木も、もともと自然が豊かで食いものも旨く、気候もいい場所で、自然災害でどうのこうの、ということはあまりなかったのだ……去年までは。

先の東日本大震災では、本当に精神的に参った。そもそも僕自身、幼少の頃に、ビルの7階に居たときに宮城県沖地震に遭い、大学院時代には大阪北部を東西に走る巨大な活断層のすぐ横で阪神淡路大震災に遭った経験があるわけで、地震だけでも、まあ酷いものを何度も目前に見てきたわけだ。隣の学科の教授は圧死し、後輩は家が全壊でしばらく研究室に住み込んでいたり……僕の家は、ガスと水道が止まった位で済んだけれど、家の前は京都・大阪・兵庫をつなぐ国道171号線である。まあ、あの光景は一生忘れられそうにない。

そんなわけで、先の東日本大震災では、本当に参ったのだった。なにせ今度は、親戚が住んでいる相馬市が手ひどい打撃を受けている。僕の父も、当時水戸の駅前のビルに居て、停電した室内に閉じ込められたりしていたし、親戚まで範囲を広げれば、僕も決して今回の震災には無縁ではないということになる。

その震災から1年と少しが経過して、まさか今度は竜巻が来るとは思っていなかった。しかも今回発生した竜巻は3つあって、それらは栃木県茂木町、茨城県常陸大宮市、つくば市、筑西市を直撃しているのだ。仕事柄、つくば在住の知人はたくさんいるわけだけど、今回被害を被った地域は、そことは少しずれているので、彼らの心配は(停電の問題はあったけれど)あまりしていなかった。むしろ問題なのは、僕の親戚が住んでいる辺りに、今回の地域が近かったこと。それに加えて、ご丁寧(?)にも、桶川では落雷、水戸には直径3センチの雹、である。

水戸でも激しい雷があって、母の携帯電話がこれのためか不調だったとのことで、母にもなかなか連絡がつかなかった。母は定期的につくば市に行く生活をしているので、やられている可能性は決して皆無ではない。幸い母は無事で、僕の方から連絡がつかなかった間に、あちこちの親戚に連絡をとって、皆幸いにも被害がなかったことを確認してくれていたが、母との連絡がつかない何時間かの間、僕は正直、気が気ではなかった。

まあ、そんなわけで、つくばの竜巻に関して、僕は決して傍観者でも何でもないし、親戚のすぐ近くでは、畑が蹂躙された人、窓や屋根を持っていかれた人、そして当然怪我をした人もいて、それは他人事ではないのである。危機はすぐ近くにあって、うちの親戚が無傷だったのは、たまたまそうだった、というだけの話なのだから。彼の地は、そしてそこに暮らす人々は、確実に傷付いたのである。そして、家をモルタルの土台ごと引っくり返された中学生が一人、命を落とした。これだって、すぐそこにあった話なのである。

最近、自分達はあの地震を「体験」したんだ、という深い実感に浸ってのことなのか、僕の言い、書くことに対して妙な噛み付き方をされることがあるのだけど、はっきり言わせていただこう。阪神のとき、活断層のすぐ横で感じた揺れは、とてもじゃないがそんなもんじゃなかった(当時は今と震度基準も、判定法も、地震計の設置間隔も違うから、数字として今見たら大したことがないと思われるのかもしれないが)。農家のボロい納屋の二階の一室で寝起きしていた僕は、あのとき住処が倒壊する危険が十分にあったわけで(実際、泥と漆喰で塗られた壁には大きな亀裂が入っていたなあ……)、今こうしていられるのも、すぐそこにあった危機が、たまたま僕をかすめる程度の位置を通っていった、というだけのことである。

しかもあのとき、信じられない程の振動の中、辛うじてベッドにしがみついていた僕の目に入っていたのは、東京から衛星回線で配信される朝のニュース番組で、そこに映されていたのは、揺れも何もない、いつも通りの映像だったのだ。「ああ、他人事ってこういうことなんだなあ」と、ベッドに両手両足でしがみついていた僕は、そのとき自分が遭っている現実から乖離したかのような、妙なおかしさを感じたものだった。あの頃から20年近くが経過し、当時からは想像も付かない程に耐震・免震が考慮された建物の多いエリアで「安全に」感じたことを以て、他人の言動に何事か物申そうなぞ、僕にしたらちゃんちゃらおかしいのである。

俯瞰し、理解したつもりでいるあなたの知らないことは、あの下に山のように存在している。そして、あの震災のときも、今回の竜巻でも、僕の血縁者多数を含む近しい人達が、そこに晒されているのだ(震災に関しては現在もなお続いている……本当に、ひどい話だとしか言い様がないけれど)。そして彼らの感じた恐怖も、苦しみも、被った痛みも、僕が共に負うているものなのだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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