いや、一緒にせんといて下さい

世間では、僕のように信仰を大っぴらにしているカトリックというのは、実は少数派である。というのは、それを大っぴらにしていると不愉快なめに遭うことが少なからずあるから、なのだけど、そういう不愉快なことをしかけてくるのは大抵が「半可通」だったり、某信濃町系(仏教と自称する)個人崇拝団体の関係者だったりする。

僕が遭った事例を思い返してみると、自称キリスト教通にいわゆる千年王国とか携挙とかの話をされて、はぁしかしカトリックの僕には関係のない話ですねぇ、とか言うと、「そんなことも分からないでクリスチャンぶっている愚か者め」というようなことを言われたり……とか、たまたま友達の家で同席した奴が信濃町系で、僕が先に退席するや、いかにキリスト教が「不完全」(何がどう不完全なのか要領を得ないし、そもそも人間崇拝者にそんなこたぁ言われたくないんだが)か、そしてそんなキリスト教の信仰を持つ僕がいかに「不完全」な人間なのか、滔々と語り出した……とか、まぁそんな感じだった。この手合いは、放っておけば自ら馬脚を露わにしてくれるから、別に深く関わるつもりもない。

では、どういうのが問題だと思うのか、というと、「キリスト教代表」みたいな顔しておかしなことを言う連中が出現したり、その手の輩の風説が流布されたりする状況が問題なわけだ。この手のもので一番皆さんが覚えておいでであろうものは、ちょうど3年前にメディアミックスがかけられた、いわゆる『パワー・フォー・リビング』であろう。アメリカで保険のテレホンショッピングで財を成した Arthur S. DeMoss が設立した財団によるこのメディア・ミックスの後、僕も複数の人から「Thomas さんもああいうのなんですか?」と聞かれて困ったものだ。

ここに明記しておくけれど、あの『パワー・フォー・リビング』の運動を行った Arthur S. DeMoss 財団というのは、アメリカのキリスト教右派の立場を取る宗派を超宗派的に援助する財団で、妊娠中絶反対とか、家庭婦人運動とか、そういうものに影から多額の援助をしている。そして、財団内部では Arthur S. Demos の遺族達が不明朗な会計処理を行っていたことが判明して、アメリカ当局から厳重な査察・注意がなされたという過去がある。内においても外においても後ろ暗いところのあるこうした財団と、正直言って同一視されるのは御免なのだ。

さて。今回の話をする前に、日本の多くの人が知らないことに関してフォローしておく必要があるだろう。東アジアで最もキリスト教が活発な国はどこか?という話である。答は「韓国」。かの国は、国民の3割がクリスチャンという一大キリスト教拠点である。おおむねプロテスタントとカトリックの比率は 2:1 というところだろうか。だから、国民の2割がプロテスタント、1割がカトリックということになる。

2月1日号の AERA に韓国のキリスト教に関する記事が掲載されていた (pp. 30 - 32) が、そこでは、韓国でキリスト教が広まった理由として、韓国・延世大の柳東植元教授の著書『韓国のキリスト教』の中からこのような箇所を引用していた。

  • 日本の植民地からの解放や朝鮮戦争など、社会が激しく変動した時期に積極的に宣教した
  • 朝鮮民族の有神論的な霊性が、部分的にキリスト教の信念体系に合致した
  • 熱情的な祈祷会や伝道活動が民衆の宗教心をとらえた
いやそれは客観的でないコメントでしょうね。第一の理由はむしろ、朝鮮戦争後に、アメリカのミッションが多数入り込んで、国家復興と並行するかたちで伝道活動が行われたから、と書くべきで、日本植民地からの解放というのがダイレクトに結びつくという指摘は、これは明らかに不自然だろう。二番目や三番目も、「有神論的な霊性」とか「熱情的」と書くよりも、むしろ fanatic(狂信的)と書く方が適切だろうと思う。たとえば韓国由来のペンテコステ派の教会にでも行ってみれば、日本のキツネツキと見ため全く区別がつかない「異言」の様子をみることができる。現実はそうキレイなものではないのだ。

上述の AERA の記事では、韓国のキリスト教勢力の日本におけるムーブメントとして、「ラブ・ソナタ」に関して、そして、国際福音キリスト教会のセックススキャンダルに関して書かれていた。ここに明言しておくけれど、どちらもカトリックとは何も関係ありませんので、お間違いなきよう。

ラブ・ソナタであるが、これはソウルのオンヌリ教会が中心となって主催している、韓流からキリスト教伝道を行う団体である。2007年から活動している、というが……彼らが何者なのかは、彼らの自己紹介: 「ラブ・ソナタとは」を見れば分かる。ここにはこうある:

一番目、ラブ・ソナタは リバイバルです。

リバイバルとは何か。ここでの意味は、簡単に言うならば「聖霊のはたらきによる著しい信仰の目覚め」である。この「リバイバル」ということばがキーワードとして重要視されたルーツは、20世紀初頭のロサンゼルスであるとされる。程なくして「リバイバル」から「ペンテコステ」(聖霊降臨)を旗印としたペンテコステ派が誕生し、日本にも宣教師が来るようになった。現在のプロテスタントで言うならば、たとえば「日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団」は、日本におけるペンテコステ派の古株、ということになる。注意しなければならないのは、そういう既存の宗派の中にあって、「いや自分はこう考えてるんだけど」と思う人は「私は私の派でやります」と、新しい教団を設立してしまうことが非常に多い。極端に言うならば、一人一派とでも言うような活動が行われていて、日本だけに限定しても、ペンテコステの範疇にある教団というのは枚挙に暇のない程に存在する。

このように分散していく運命にあるプロテスタントは、カトリックや東方正教などとは異なり、ひとつひとつが持つ力が小さいものとなってしまう宿命を負っている。だから、同じ派の中で大きな力を持つ派に与するかたちで、福音宣教活動を行おうとするわけで、今回のこの「ラブ・ソナタ」も、韓国の大教会に日本の教会が乗っかったかたちだ、と見るべきだろう。

近年、日本のキリスト教はこのような韓国勢力を頼みとするような向きがあるのだが、どういうわけか、彼らの中からセックススキャンダルをおこす牧師が散発的に登場する。異端とされているかの統一教会や「摂理」などもそうだけど、この10年程の間、大きな問題になりながら、ついこの2、3日前までメディアで問題提起されなかったのが、国際福音キリスト教会である。

この教会を日本に設立したのは、韓国長老派の牧師である卞在昌(ビュン・ジェーチャン)であるが、卞は1997年に日本で宗教法人小牧者訓練会なる団体を立ち上げている(先の国際福音キリスト教会は、この小牧者訓練会の傘下の教会である)。この団体は、国際福音キリスト教会以外にも、雑誌『幸いな人』、動画配信サイト『アガペー TV』などを傘下に有している。この団体は、一見すると「ディボーション」というキーワードを推進する団体であるかのように見える。しかし、その内実は、聖書精読から、教会のリーダー格を育成するための活動、と言う方がむしろ正しいだろう。分裂・小規模化するプロテスタント教会にとって、このような指導者育成活動が一種の福音(この比喩を使うのはあまりに皮肉っぽいけれど)であったことは想像に難くなく、実際、彼らが主催したセミナー「全国小牧者コンベンション」は、上述 AERA の記事によると、昨年中止されるまでに、約2000もの教会(これは全プロテスタント教会の 1/4 に相当する)の牧師・宣教師・信者が参加しており、主催者である卞牧師も、各方面の聖職者に高い評価を受けていたのだ、という。

ところが、卞牧師に関するセックス・スキャンダルが表面化する。Faith of Esther (FOE)なる団体が、「宗教法人「小牧者訓練会」による被害を受けた女性達の救出と癒しを目的と」して設立された。そして昨日、ついに卞牧師が逮捕されるという事態に発展した。当の国際福音キリスト教会のコメントは、というと、今日の段階では以下の通りである:

このように、プロテスタントの宗派の中には、しばしば分裂と混沌の中に没入するが如く、このようなスキャンダルや、個人や団体に向けた誹謗中傷などにつきすすんでいってしまうものがある。二千年の長きに渡って、人の犯す過ちをあらかた経験してきたであろうカトリックの人間として言うならば、このような問題はまず間違いなく「人が人を牧する(ここでは「司牧」と言うよりも「牧会」と言うべきであろう)」という構造に起因している。カトリックの司祭のように、世俗の欲望の対象物を遠ざけることを課していないプロテスタントの牧師が神との関係を忘れてしまうと、とたんにその牧師は神の名を騙った暴君になってしまう。しかも神の名を纏っているが故に、信者はなかなかそれに抗うことができない。それ故に、このような話は他の何ものよりも罪深いのである。そしてこのような話は、探せばいくらでもある……たとえばあのキング牧師でさえ、信者女性との不適切な関係があったことが知られているのだから。

もちろんカトリックが清廉潔白だと言うつもりはない。しかしカトリックには、過ちの歴史という「財産」があるのだ。人が人として犯すことは、この二千年の歴史をひもとけば、まず初出ということはありえない。そして僕達は、その歴史から学ぶことができるのだ。もしプロテスタントが「カトリックだから」という理由だけでこのような「学習行為」を否定したり、無意味なものだとこきおろすのならば……お願いだから、一緒にせんといて下さい。

国会議員が Twitter を使用することに関して

『議員さん、何か勘違いしていませんか?』で書いたように、僕は国会議員の Twitter 使用に関しては懐疑的な立場である。それは「新しいものに馴染めない」からでも、「大きな可能性のあるメディアにケチをつけたい」からでもなく、純粋に理詰めで考えた(って、そう熟考するまでもないと思うのだけど)上での見解である。

そもそも、Twitter というメディアが independent なのか、という議論が世間では全く為されていない。ここに今更書くまでもないことだけど、Twitter はあくまで、Evan Williams という個人が立ち上げた、一私企業であるところのTwitter, Inc.が一元的、かつ独占的に運営しているサービスに過ぎない。所詮は商業原理や社会から independent なメディアではないわけだ。こう書くと、そんなことを言ったらネット自体プロバイダの持ち物だろう、とかいう脊髄反射的な反論が来そうだから書き添えておくと、今や net は拮抗する複数の法人や国家によって集合的に運営されるメディアであって、domestic なレベル(たとえば中国国内とか)では independent ではなくとも、世界レベルの透明性が担保される限りにおいては、少なくとも Twitter よりは余程 independent だといえるだろう。

そして、Twitter の商業展開における「売り」が何なのか、を考えると、ますます国会と Twitter との接点というのが怪しくなってくる。Twitter がこれほど流行っている理由は、Twitter が、本来人を同時性から解放するものである文字を使用して、ゆるやかな同時性の中で発言・コミュニケートするメディアである、という点にあると僕は考えているのだが、この「ゆるやかな同時性」というのがクセモノである。要するに、人は、たとえゆるやかであるにせよ、Twitter に「縛られる」ということを、この言葉は如実に表している。国会議員を、会議や委員会の最中に、国会議員としての義務である討議への参加(それがたとえオブザーバとしてのものであったとしても、いやしくも国民の血税を対価として得て関わっている以上、例外とはみなし難いであろう)「以外」のものに、Twitter は確実に「縛り付けて」いるのだ。昨日だったか、自民党の河野太郎議員がこうつぶやいているのが、何よりの証左ではないか:

オリンピックの身代金という本の中で主人公がヒロポン中毒になるんですが、ツィッターも似てます。

そして、Twitter の「ゆるやかさ」というか「ユルさ」が、公人としての発言にそぐわないという点もあるだろう。Twitter は、単一アカウントで複数の端末からつぶやくことを禁止していない。それどころか、現時点においては、いわゆる「なりすまし」に対して何も対策がされていない。もちろん、Twitter, Inc. も現在 Verified Account(日本語では「認証済みアカウント」)と呼ばれるサービスを提供しているが、これは実は現時点ではまだベータ版であるし、所詮はHTTPS (Hypertext Transfer Protocol over Secure Socket Layer)を併用したパスワード認証サービスに過ぎないのである。このことや、それに関する問題は Twitter, Inc. もちゃんと認めている。彼らのページにはこう書いてあるのだから:

この仕組みがあれば、われわれが知っているプロフィールのどれが「本物」で信頼できるかを、簡単に見極めることができます。これは、われわれがその人や存在と連絡を取り合い、プロフィールが確認されたものであることを表し、認証されたことを意味します。(これは、実際に誰がTwitterに書き込みをしているかを認証するものではありません
(傍線は筆者による)

このような、公人としてかなり厳密に求められる言責を負い難いメディアで公人がコメントを公開する、ということがどういうことなのか。それは要するに、自己情報管理(これはいわゆる「自己情報管理権」に関わる話ではなく、むしろ僕が十年以上前に書いた『自己情報管理とは』――『WWW ページでの個人情報公開について考える』中の一章―ーで示した方の概念である)が徹底できていない、ということを意味する。おそらく、国会議員の方々で、Twitter というメディアが持つこういう問題(それは決して欠陥ではなく、Twitter というメディアの持つ特徴であって、用途によっては全く問題とならないことも少なくないはずなのだが)とそこに内在するリスクを認識した上で使っている人は、ほとんどいないのではなかろうか。

十数年前に、僕は『WWW ページでの個人情報公開について考える』中にこう書いた:

以上から、改めて「(WWW における)自己情報管理」という概念をこう定義したいと思います。
情報発信者が自ら、その情報発信に伴って情報に関係する者に生じるリスクを把握し、それが最小限となるように、発信する情報ならびにその発信形態について管理すること
ですから、平たく言うと「(情報発信者としての)自己」が 情報を管理する、ということなのです。それは即ち自らの「自己情報管理権」を行使することであり、同時に、自分の近しい人々の「自己情報管理権」を尊重することでもあるのです。
ここでふれているような「自己情報管理」、つまり、主体として情報発信をコントロールする、という態度は、少なくとも Twitter を使用している国会議員諸氏の言行において、どうもどこにもないように思えて仕方がない。こんな情報公開を、国会議員が、公務の一環として、公費である文書通信交通滞在費の一部をあてて行うことが、果たして有意義な行為なのだろうか?どうも僕には、不思議に思えて仕方ないのである。

iTunes archive

iTunes で楽曲を何を基準に sort しているか。僕はこれの「世間の標準」というのを知らないのだけど、僕の iTunes の場合は「アーティスト別アルバム」で sort している。で、一番最初に来ているミュージシャンは誰?という話に(知り合い連中で)なることがあるのだけど、Alexander O'neal だと思っていたら Alanis Morissette だったことについさっき気づいた。おー、僕って意外とフツーじゃないの(違うって?)。ちなみに曲名は "Crazy"(オリジナルは Seal ですね)。もちろん、アラニスのベスト盤、ではありません。GAP の2005年秋のノベルティ CD に収録されていたもの。

そして一番最後に来ているのが…… 10 cc ですね。あまりに有名な "The Original Soundtrack"。結構間引きしてあるのだけど、それで2400曲強。ちなみに T.T.Ueda の曲というのも入っています(確認用にミックスダウンした曲は iTunes に入れておく習慣があるので)。ああ、あと「茨城県立水戸第一高等学校 [創立130周年記念]」というのもあるな(僕の母校の校歌ですが)。作られた時代が時代なので、歌詞がすごいんですが、後輩達がクイズ甲子園で優勝したときは日本テレビがちゃんと流してくれたようで……興味のある方はWikipedia をご参照ください

議員さん、何か勘違いしていませんか?

Twitter は面倒なのであまり使わなかったのだけど、Adobe AIRで動作するSpazというアプリケーションがなかなか秀逸なので、最近は覗いていることが多くなった。このところは結構政治家の Twit を覗いているのだけど、今日はちょっとあまりにあまりなことが二度程あって、普段は書かない Re @ を書いてしまった。

ひとつは民主党の蓮舫議員。まぁ事業仕分けの、特に自然科学関連の予算に関しての言行で、この人は歴史に名を残すことは確実だと思うけれど(名を残す、っていってもいいことばかりとは限りませんぜ)、今日は本当に呆れてしまった。

今日の昼過ぎだろうか。同じく民主党の馬淵澄夫議員がどうも Twitter を使い始めたらしい。まあそれは一向構わないのだけど、端末を何にするかというチャットをしばしした挙句に、蓮舫議員、何を思ったのかこんな発言をしていたのだ。

こんな感じで、凄く見やすいんですよ。と、エバンジェリストになってみる。普通の携帯の物より使いやすいし綺麗だし、慣れればタイピングも早いので今から携帯のには戻れません http://twitpic.com/zo7ky

いや……そもそも国会議員ってそんなに暇なんですか、という話になりそうだけど、それ以前に、蓮舫さん、あなたその iPhone の料金、どうやって払っているんですかね。で、僕がつぶやいたのはこんな調子。

文書通信交通滞在費でこんなやりとりされてるのかと思うと。QT @renho_sha RT @hakojima: @renho_sha こんな感じで、凄く見やすいんですよ。 と、エバンジェリストになってみる。 普通の携帯の物より使いやすいし綺麗だし、慣れればタイピングも早いので今
ちなみに国会議員の文書通信交通滞在費は月100万円。当然仕分けの対象にはなっていませんよね>@renho_sha
……まぁ蓮舫さん、どうせこういうつぶやきはシカトされているんでしょうけれど。

追記: その後、蓮舫議員が僕をブロックしているのを確認。やれやれ。国会議員で都合の悪いことを書かれてブロックしたのは、蓮舫さん、あなただけですよ?

で、夜になった頃、みんなの党の議員である柿沢未途氏がこうつぶやいた。

それにしても民主の若手議員のヤジはひどい。本会議、自民の反対討論は谷川弥一さんという年かさのベテラン議員だったが、「おめーらが悪いんだろ」とかとにかく口汚い。父親のような年代の先輩議員に息子のような年の議員が罵倒のヤジを大声であげるのは見ていて気持ち良くない。
すると、何を勘違いしたのか、民主党議員の初鹿明博氏がこうかみついたのだ。
都議の時、ご自身も結構年長の議員や知事に野次ってませんでしたっけ?@310kakizawa それにしても民主の若手議員のヤジはひどい。「おめーらが悪いんだろ」とかとにかく口汚い。父親のような年代の先輩議員に息子のような年の議員が罵倒のヤジを大声であげるのは見ていて気持ち良くない。

いやそれはヤジ批判とリンケージしちゃいけないでしょうだってあなたご自分が聖人君子で埃一つ落ちない身体だとでも言うんですかと思って、こうつぶやいた。

@AkiHatsushika ...いや「お前やってただろ」じゃあ反論にならんでしょう。 QT @AkiHatsushika 都議の時、ご自身も結構年長の議員や知事に野次ってませんでしたっけ?@310kakizawa それにしても民主の若手議員のヤジはひどい。「おめーらが悪いんだ
……そうしたら、返ってきたのはこんなつぶやき:
明日の朝から配るビラの原稿がやっと書き上がりました。今日は予定が立たない嫌な1日でした。
(強調は筆者による。尚、上記 Twit は本人により削除済)。なーんだ結局自分のフラストレーションを他人で晴らしているだけじゃないの。

皆さん、これが国会議員の twitter の日常なんですよ?Twitter で政治が変わる、なんて、笑止千万である……結局政治は動かす者が自己変革しない限り変わらない、ということだけはよく分かったけれど。

またつまらぬものを……

斬ってしまった……というのは、ルパン三世の石川五ェ門のせりふだけど、google で検索をかけているときに、思わずこのせりふを口にしたくなってしまうことが多い。検索で引っかかってくるそういうものの中には、僕の精神世界を逆撫でするようなものがあったりして、思わずカチーンときて、心の平安を取り戻すのに苦労するはめになることも少なくない。

最近印象に残っているのが、18禁ゲームのタイトルである。いや、なぜ僕(18禁どころか、そもそもコンピュータゲームというものをしないのだから……今年でコンピュータ使い始めて30年、そんなもの飽きちゃいましたよ)がそんなものに到達するのかがとんと分からないのだが、嘘だと思う方は、是非以下の話をご一読いただきたいのである。

僕はカトリックなので、いわゆる千年王国に関わるような話は信じていないのだけど、fundamentalism などに関わる文章を書く関係で、黙示録やその周辺の文書に関する情報を探すことがある。で、先日、たまたま「メギドの丘」というキーワードで google で検索をかけた。メギドの丘というのは「ハルマゲドン」という言葉がそもそも表すものといわれている(黙示録 16:16 に「汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。」とある)。で……検索結果の一番上に何が来ていたか、というと、これだ:

『君が呼ぶ、メギドの丘で』

……いや、別に自由なんですよ、そういう名前の18禁ゲーム作るのは。ええ、自由なんですけど……何とも薄ら寒い気分になるわけですよ。

まぁ、それでも黙示録なんてのは別にまだいいのだ。つい何日か前に受けた衝撃に比べれば……そのとき僕は「秘蹟」というキーワードで検索をかけていた。「秘蹟」というのは、カトリックに代表されるクリスチャンにとって、神と人をつなぐ大切なものなのだけど、google の検索結果を頭から見てみると……

『イマジン秘蹟』

?何これ?ラノベ?はぁ。シリーズ化されてるんですか……い、いや、これ位で何がどうということも、な、ないんですよ。ええ。くじけず検索結果を見ていくと……

『秘蹟神姫アルカナセイバー』

?何それ……

「戦うW変身ヒロイン触手淫辱アドベンチャー」

だぁ?あーやめてくれませんかねこういうのに「秘蹟」って。なんだかこう、痴漢を捕まえてみたら自分の親と同じ名前だった、みたいな気分になってくる……

というわけで、最近はおちおち検索もかけられない。なんとも厭な世の中になったものだ。

インプラント使いまわしに関する奇妙な話

インプラント(人工歯根)の使いまわし、というのは前代未聞の話であるが、豊橋市南大清水町「関歯科クリニック」(関志乃武院長)において、日常的にインプラントの使いまわしがあった、というのはどうやら事実らしい。しかし、この話、どうも調べれば調べるほどに妙な話である。

まず、この関志乃武なる人物に関して、奇妙なことが多すぎる。この関氏は今日、自宅の風呂場で首をメスで切り自殺を計ったのを妻に発見され、病院に運ばれたそうなのだが、そもそもこの人物に関する問題はなんと2004年にまで溯る。関氏は2006年10月1日付で、「2004年7月〜2005年7月の間、自由診療にあたる治療を保険診療と扱うほか、診療報酬を請求できない歯科助手に診療させるなどし、延べ59人について診療報酬の不正・不当請求を行っていた」ことから、愛知社会保険事務局から「保険医療機関の指定と院長の保険医登録を5年間取り消し」という処分を受けている。このときの不当請求額は分かっているだけでも五十五万八千円にものぼる。

おそらく、この事件以来、関氏はクリニックの診療内容をインプラントに特化させたのだと思われる。皆さんご存知の通り、インプラントは保険対象外の治療だからだが、その後、2008年11月に関氏は歯科医師会を自主退会している。通常は歯科医師会に入っていない歯科医師なんてのはまずいないものなのだけど、歯科医師会会員であることは開業上の義務ではないので、やろうと思えばやれてしまう。しかも、通常はこの歯科医師会が歯科医師に対しての注意・指導を行うために、このような状態になってしまうと、その歯科医師はいわば野放し状態になってしまう。事実、豊橋市歯科医師会ではしばらく前から関歯科クリニックに関する問題を把握していたにも関わらず、このクリニックに対して有効な指導を行うことができない状態だった。

2007年にこのクリニックでインプラントの埋め込みを行った70代女性の証言、というのがあるのだが、これが実にひどい話で、治療内容に関するインフォームド・コンセントがないままに23本もの(2、3本ではない。にじゅうさんぼんである)インプラントを埋め込まれたこの女性は、400万円もの治療費を請求されたのだという。そして現状は、今も頭痛や歯ぐきの痛みが続き、「術後、体に不調がない日は1日もない」という。

東日新聞の20日付記事:

http://www.tonichi.net/news.php?categoryid=1&mode=view&id=30765

によると、

 同院に勤務経験のある女性は、関院長が使い回しを否定していることについて「助手としてすぐ隣で手術を見ており、見間違えるはずはない」と断言した。多い日で1日5、6本が使いまわされていたこと、肝炎、骨髄性白血病、心臓病の患者にまで「大丈夫だ」と施術していたことまで告白した。
というのである。もはや我々の想像を大きく超えた事態だと言わざるを得まい。

更に、同記事によると、

 同院は、これまで約2400人に合計6000本のインプラントを埋め込んだとされるが、被害が拡大した理由の1つに地元メディアの対応がある。同歯科医師会は、東愛知新聞社とFM豊橋に対し、何度も広告、宣伝の中止を申し入れたが聞き入れられなかったとして、両地元メディアを名指しで批判した。
とのことで、これが事実だとすれば、東愛知新聞社FM豊橋の社会的責任(こういうときに使う言葉であろう)が問われてしかるべきであろう。いやはや、それにしても、こんなひどい話、聞いたことがない……

そして、何より奇妙なのは、どうも数日前まで、この関歯科クリニックが普通通りに営業していたらしい、ということだ。これは goo のブログ(ブログは消去されているのでgoogle に残っているキャッシュをリンクしておく)を見ると分かるのだが、1月15日まで、普通にブログの記述が続いているのだ……つまりは、明日ニュースになるとしても、今日までは何も変わらない調子でこうやって開業しているクリニックが、そこらにあったっておかしくはない、と言うことではないか。つくづく薄ら寒い話である。

なぜ日航はジャンボを全廃するのか?

最近は、周囲の人々の疑問に対して「こんなことも分からないのか」、と嘆息することが多い。とはいえ、今回の標記の件などは、確かに分からない人が多くても仕方ないことのようにも思える。僕は別に飛行機の専門家でも何でもないのだけど、この件に関して一応書いておくことにしよう。

まず、この件に関しては、マスコミの怠慢をまずは正さなくてはならないだろう。「ジャンボ」「ジャンボ」ってそもそも何なの?と、普通の人は思うに違いないからだ。ここで言う「ジャンボ」というのはボーイング 747 のことを指す。なぜボーイング 747 のことを「ジャンボ」と呼ぶのか、というと、訳知り顔で「大きいからだ」とか言う人がいそうで嫌なのだけど、そもそも「ジャンボ」というのはスワヒリ語(アフリカーンス語と誤記していたのを訂正…… Yasu 氏に感謝)で「こんにちは」の意であって、「ジャンボ」という単語に「大きい」という意味はもともとない。象の「ジャンボ」というキーワードで歴史を遡ると、ディズニーの映画『ダンボ』で、ダンボの母親の象の名前としてこの「ジャンボ」が使われているが、これは19世紀末にヨーロッパで人気を博した(実在の)アフリカゾウの「ジャンボ」に由来するものと思われる。ここから(おそらく「空飛ぶ象」からの連想なのだろうけれど)747 が「ジャンボ」と呼ばれるようになったものと思われる。

さて、ではなぜ国際便において 747 が使われてきたのか、というと、ひとつは安全性の問題からである。現在の飛行機は油圧で操縦を行うために、油圧を維持するエンジンが死ぬことは操縦が困難になることを意味するわけだが、4発のエンジンを搭載する 747 は、エンジンが2基、もしくは3基の旅客機と比較すると、エンジンが全て止まってしまうリスクが(単純に統計的に考えて)低い。ボーイング以外の生産した旅客機でも、エアバス A340 のように長距離での運用が前提とされた機体には、4発エンジンが採用されている。一方、これは燃費の面からみるとむしろマイナスで、特に最近は大出力のターボファンエンジンが開発されているために、燃費の面ではボーイング 777 や 787 のように大出力エンジンを2基搭載した機体の方に利があるといわれている。また、最近の2発ジェット旅客機は特に信頼性の確保には神経をとがらせていて、777 のように双発でも 747 と比較してそん色ない信頼性をうたっている。

もうひとつの理由は、やはり大量輸送志向ということであろう。最近流行りのハブ・アンド・ホイールと呼ばれる運用形態でも、ハブ空港間は 747 クラスの大規模旅客機による輸送というのが念頭に置かれていて、だからエアバス・インダストリーが A380 のような「ジャンボ以上にジャンボな」機体を開発したわけである。意外に思われるかもしれないが、日本の航空会社において、このエアバス A380 の導入に熱心だったのは全日空の方で、日航の方は首脳陣以下「ダウンサイジングの対極を行く」と導入意欲がなかったことが知られている。

この日航(正確には株式会社日本航空インターナショナル)という会社、実は世界で最も多くの 747 を保有する会社である。しかも、現時点で運用されている 747 は全て 747-400 と呼ばれる新世代(ディスプレイ計器を用いたいわゆるグラスコックピットで2人運用を可能としている)の機体である。この 747-400 は経済性も低くなく、これで国際線を運用するのは、世界の潮流の中では決してそうオールドスタイルな考えではない。ちなみに前世代の機体である 747-300 は、去年の秋で全廃している。

では、日航は 747 偏重の運用形態なのか、というと、実はそんなことはない。747 の次の世代の国際線用機体としてボーイング 777-200ER を11機、777-300ER を4機(9機が納入待ち)、そして 767-300ER が23機、既に運用中である。この後には更にボーイング 787 も納入される予定である。ここで注目すべきなのは、777 も 767 も、そして 787 も双発である、ということだ。

つまり、今回のような公的資金投入が決まる前から、日航は 747 の次の世代の機体による国際便の運用を準備していたわけである。ちなみに現時点で、国際線における 747 の運用数は21機(国内線で8機……メディアでは37機と報道されているが、これは輸送機も込みの数だと思われる)。前述の「次世代」の機体で既に充分リプレースが可能なわけだ。

何を言いたいのか、というと……要するに、どうしてメディアが「ジャンボ全廃」というのをああも声高に報道するのかが分からないのだ。日航は、規定路線として既に 747 なしで運用できる体制を整えていたわけだし、今の 747 の運用形態を考えても、747 が全廃されることがそう大きな問題になるとは考えられない。この件で騒ぐというのは、いかにも素人然としているようにしか感じられないのだ。メディアに翻弄される前に、Wikipedia 等で現在の航空会社の運用形態に目を通されることをおすすめする次第だ。

15年前のあの日

今から15年前。大学院の修士課程の学生だった僕は、大阪府箕面市に住んでいた。家は萱野三平邸の近くで、京都から大阪北部を経由して神戸へ抜ける国道171号線、通称イナイチに沿ったところにある農家の倉庫の二階だった。

1995年1月17日の朝。僕は偶然、午前五時を少し過ぎた辺りで目が覚めた。前夜眠りについたのが遅かったこともあって、うつらうつらしながら、つけっ放しだったテレビに目をやっていたのを覚えている。大阪では、この時間帯は東京から衛星回線で送られてくるニュースを流していて、そのニュース番組のコーナーの「一言スペイン語会話」とかなんとかいうコーナーで、白人女性がワンフレーズを口にする、その真っ赤な唇が大映しになるのを、また眠り込みそうになりながら見ていた、そのときだった。ごーっ……という音が遠くから聞こえてきて、ダダダダダッという削岩機のような激しい振動に包まれたのだった。

僕は茨城の水戸の出身だけど、水戸は鹿島灘を震源とする地震が毎週のように来るので、地震には慣れているつもりでいた。その僕が、あの振動の中では、両手両足の先をベッドの端に引っかけて、頭上から降ってくる食器や本を布団越しに感じつつ、ただただ何もできずにいるしかなかったのだ。後で分かったことだけど、僕の部屋は、国道171号線と平行する活断層との間にあったので、そんな振動に襲われても当然のことだったのだ。

無精な僕は、振動が収まってから眠りに落ちてしまい、再び目覚めたときには、先のテレビに倒れた阪神高速の高架と炎に包まれた長田が映っていたのだが……とりあえず大学に行き、地震で荒れた研究室の復旧をしてから、NetNews での震災関連の情報交換の助けなどをして……そして帰宅しようと国道171号線に自転車で出たときに、僕は初めて物理的に、神戸の惨状の片鱗に触れたのだった。あの国道が、神戸方向にはクルマで埋め尽くされて、そして京都方向にはクルマの影さえなかった。そして道沿いのコンビニでは、食べ物という食べ物は全て買い尽くされていた。あの光景は、きっと一生忘れることはないだろう。

ここには書き難いような話も数々聞いた。僕は未だに、阪神大震災の話を聞くと胸が痛む。僕の中での震災復興には、どうやらもう少し時間がかかるようだ。

mixi の山下達郎のファンは Teddy が死んでも関係ないらしい

僕の今日一日の中での最も大きいニュースが、Teddy Pendergrass 死去のニュースだった。いわゆるフィリーソウルとブラックコンテンポラリーのかけ橋とも言える位置付けで活躍したこのシンガーは、僕のような音楽嗜好の人であれば聴かない筈がない……と思うのだけど、mixi の山下達郎関連トピックでこの件を書いて、何の反応も返ってこない。彼等は実は音楽なんかどうでもよくって、山下達郎が何を発言し、何を嗜好するかに倣っていれば自己が保証されると信じて疑わない連中なんじゃないか、と邪推したくなる(というか、これはもはや確信に限りなく近い)。まぁ、そんな下らないことはどうでもいいのだけど。

Teddy というと、僕にとっては、Love T.K.O. が収録されているアルバム "TP" よりもむしろ 3rd の "Teddy" の方が馴染み深い。このアルバムにはあのヒゲダンスで引用された "Do Me" が収録されているので、ひょっとするとお持ちになっている方も多いかもしれないのだけど、この冬の夜にこのアルバムをかけて、1曲目の "Come Go With Me" が流れ出すと、息が止まりそうな心地がする。Teddy の生の声を聴くことはもう二度とないけれども、この心地はきっと僕が生きている限り忘れることはないだろう。穏やかな帰天を祈るのみである。

悩ましい emacs

もともと、僕は自分で make できるものは自分で install することが多かった。特に emacs 関連はそうだった。しかし、今はシステム(Debian GNU/Linux sid を使用)のパッケージが十分新しいので、それで誤魔化している状態である。自分で頻繁に make するのは kernel 位である。

しかし、やはり emacs は自分で管理しておきたい。そう思って、久しぶりに cvs から source tree を落として make してみたのだが……うーん。パッケージを消してこれを入れるかどうするか。悩ましいところである。

なにせ、これを使うようになると、apel, flim, semi, dd-skk, mew, navi2ch は全て自分で管理することになるわけで、毎日 cvs で update をかけて make する日々になる。うーん……で、結局 <emacs>/etc にある celibacy.1, condom.1, sex.6 を /usr/local/man/man1/ と /usr/local/man/man6/ に copy しただけだったりする。なんだかなぁ。

繊維過剰摂取?

先日の、なべスパイラルと煮〆スパイラルの後も、出汁にからんだ食事の問題は散発している。

今日は、たまたま冷蔵庫の中に糸こんにゃくがあったので、それを一度下茹でしてから何か代用麺として作ってみようか、と思い立った。鶏肉と葱があったので、かつおだしとかえしで掛け蕎麦の汁みたいなものを作って、そこにざくに切った葱と鶏肉を入れてちょっと煮て、それをどんぶりに張って糸こんにゃくを入れてみた。掛け蕎麦の蕎麦の代わりにゆがいた糸こんにゃくが入っているわけだ。

すすってみると、これが中々いける。がつがつと食べてしまい、結局糸こんにゃく一袋(200グラム)を食べてしまったのだが、その後……どうも……腸の活動が……活発になり過ぎているような気が……ううむ。やはり食べ過ぎだったかな。

旨かったので、ダイエットにもいいですよ、と、ここに紹介しようと思っていたのだが……やはり一袋は食べ過ぎのようだ。皆さん、ご注意下さい……

藤子不二雄と吸血鬼

あの松本光司の『彼岸島』が映画化された。家族や恋人、あるいは友人という、僕達に社会的安寧を保証するものとしての人間関係が、快楽を伴う異形のものへの変容、というかたちで蹂躙されるその世界像は、深い戦慄を以て僕たちに衝撃を与えるもので、この10年の間に書かれた漫画の中でもベスト10に入る秀作だと思う。

しかし、この『彼岸島』を知る人のうち、あの藤子不二雄がこれに極めて類似した漫画を書いている、ということを知っている人がどれ程いることだろう。そして、その漫画の基になっていると思われる SF 小説があることを知る人が、どれ位いることだろう。

アメリカの小説家でリチャード・マシスンという人がいる。1950年代から60年代にかけて活躍した SF 作家で、彼の作品はいわゆるスペース・オペラ全盛期に数多く映画化されている。その中のひとつに、1969年に公開された『地球最後の男』というのがあるのだが、これは原題を "I am Legend" と言う。映画としては2007年にウィル・スミス主演でリメイクされたので、ご存知の方もおられるかもしれない。ウイルスで感染する吸血鬼に席巻される地球と、孤独に生き残っている主人公、という構図は、おそらくはこの小説が初出だと思われる。

そして、この『地球最後の男』へのオマージュとして書かれたのが、藤子不二雄(当時、後の藤子・F・不二雄)の作品で、1978年(昭和53年)「週刊少年サンデー」に掲載された『流血鬼』(りゅうけつき)である。なぜこの作品が『地球……』へのオマージュだと断言できるかというと、作品中に登場する吸血鬼ウイルスの名が「マシスン・ウイルス」という設定になっているからなのだけど、この作品では、主人公の少年がガールフレンド(既に吸血鬼になってしまっている)から、この吸血鬼が新しい環境への適応形態であり、もはや旧来の人間のままでいる主人公こそがマイノリティであり、変革を受容せずにただ変革者をいたずらに殺戮する「流血鬼」である、と指摘され、苦悩の後に吸血鬼への変容を受容する……というストーリーになっている。

僕はへそまがりなので、未だにこのストーリーを受け入れ難く感じてしまう。藤子・F・不二雄こと、故・藤本弘氏は創価学会員だったという噂があって、この『流血鬼』は実は折伏のメタファーなのではないか、という説もあるというのだが、これはなかなかに説得力のある話である(念の為強調しておくが、僕はこの話の真偽の程に関しては未だ調査中なので、これが事実だとは名言できない)。それらもこのストーリーを受け入れ難い一因なのかもしれぬ。

しかし、僕が半ば本能的に、このようなストーリーを受容し難いと思う理由は、やはりそれが人の人としてのありようを根本から揺らがせるものだからだろう。そして、そのような嫌悪感を感じるからこそ、このようなストーリーは深く僕の記憶に残り、ストーリーとしての秀逸さを感じさせるのだろう。『彼岸島』を読まれた方には、ぜひこの『流血鬼』(中央公論社の「愛蔵版「SF 全短篇」」や、小学館の「SF 短編 PERFECT 版」に収録されている)、あるいは『地球最後の男』(ハヤカワ文庫 NV 151 モダンホラー・セレクション に収録)を是非読んでいただきたい、と思う。やはりオリジナルを知ってもらいたいから。

鳩山を見るにつけ

僕は基本的にはリベラルな方だと思う。しかし、だ。このところの民主党の政治に関しては、正直言って賛意を示しかねる。その度合いは、おそらく世間の多数派よりも辛口だと思う。

前にも書いたかもしれないが、一種、ああこりゃダメだ、と思ったのはあの「事業仕分け」のときであった。世間では、結果はどうあれ、初めて官僚の世界に民意のメスが入った、と評価する人が多いようだけど、あの仕分けははっきり言って何も前向きな結果を残していない。仕分けられた金額……「埋蔵金」だ、と大袈裟に言っていたけれど……は、目標が三兆円以上であったのに対して、平成二十二年度予算の概算要求圧縮額は6900億円。しかもその内容は、将来に向けての芽になるところから軒並み削って(蓮舫のスパコン予算へのコメントは、愚かな政治家の放言として歴史に残るに違いない)、これじゃああまりにあまりだから、と一部復活させて、それでこの体たらくである。お話にならないとしか言いようがない。

そして、昨日から騒ぎになっていた藤井財務相の辞任がいよいよ濃厚になってきた。後任として管直人氏の名前があがっているそうだが、そもそも藤井氏の辞任の陰には、藤井氏と小沢氏の不和があると言われているのだから、ここに小沢と最もウマが合わない管氏を持ってきても、収まりがいいわけがない。高齢とはいえ、元大蔵省出身の藤井氏が内閣を去ると、来年度の予算は更に迷走することになるだろう。その策定には、陳情などを背景として小沢が暗躍することははっきりしているのだから、小沢を丸め込める位の器量がなければ、財務大臣は務まらないのである。

かくして、政情はますます不安になっていくことが確定的な状態なのだけど、ここで発揮されるべき首相のイニシアチブがまるっきり見えないのが恐ろしい。とにかく、首相がこうあるべき、という方向を明示的に主張しなければ、連立内閣を背景にしたこの状況では何一つちゃんとすすまないのに、今の状況がどうなのか……なんでも、藤井氏に鳩山首相は「子供産んだんだから育てて」と言った、と伝えられている。子供というのは平成二十二年度の予算のことだと思うけれど、こんなことを言ったら「親はなくとも子は育つ」と切り返されるのは想像に難くないと思うのだが……そういうことも分からないのだろうか。

このような状況を見るにつけ、僕の中では、ひとりの政治家の顔が浮かび、鳩山氏の顔とだぶって見えて仕方がない。その政治家は……近衛文麿。戦前の日本で三度首相になり、三度その座を投げ出した人物である。

近衛は藤原家の末裔であり、天皇家とも縁深い。そしてその政治思想は、ファシズムの影響を強く受けたもので、三国同盟や日本の南進などは近衛の関わったものである。しかしながら、近衛は、実際に事を動かす力、決断力、そしてその責めを負うことに関してはとかく他人に頼るところが大きかった。自らの政治理念の実現のために軍部と接近したものの、第三次近衛内閣においては、日米開戦の責任は負えないということで内閣を放り出した。そして終戦後、日本国憲法との関わりで戦犯とされることを回避しようとしていたが、GHQ に見捨てられるかたちでA級戦犯になることが避け難くなったときに、青酸カリを呷って自ら命を絶ったのだった。

この2010年が始まり、もし年始の何か月かの間に強力な政治力を世に見せることができなければ、おそらく鳩山氏の存在は、民主党に隠然として権力を振う小沢の影で無力化してしまうことだろう。今回の財務大臣に関わるこの騒ぎが、その政治力が問われる最初の事件だと思われる。ここでちゃんとできなければ……もう日本もどうなってしまうか分からない。何とも救いのない年始ではないか。

学歴に食いつく人々

自分でも普段の生活で意識することがあまりないので忘れがちなのだが、どうも僕の学歴は世間の人にとっては少なからず興味を刺激されるものらしい。僕にしてみれば、同業者は皆似たような学歴なわけだし、職能ということで考えたら、中卒で職人さんに弟子入りして十年修行……とかいう人の方にシンパシーを感じるので、自分を含めた人間を学歴でどうこう言うという発想がそもそもない。

で、僕は国絡みの金で仕事していたりしたので、こういうところで学歴(何度も書くが、「学」んだ経「歴」として以上の意味はそこにはないのだが)などはオープンにしている。すると(ご丁寧にも)「大阪大学出身の癖に」などと書き込まれることがあるわけだ。

そういうものを目にして、僕がどういう行動をとるか……まず、目にしたときには「ふふふ」と声を漏らして笑ってしまう。いや、だって、そんなことをわざわざあげつらっている時点で、その人が学歴に多大なる興味を持っていて、それが何事かを保証してくれるのだと(たとえ当事者が否定しても、その当事者の心中のどこかしらかで、かたく)信じているんだ、って露呈しているわけでしょう?いやはや、ただただ滑稽である。

まぁ、僕が公開している僕の個人情報……たとえば僕の学歴だとか、僕の読み難い名前だとか、僕がカトリックで洗礼名がトマスだとか……というのは、実のところ、一種の踏み絵として機能している。それを前にしたときの何者かの反応で、その人が内奥に隠しているものが露呈されてしまうわけだ。それは偏見とか、無教養とか、コンプレックスとか、あるいはその人の歪んだ信仰だったりするわけだけど、どうしてこうもまぁ人は愚かなのだろうか、と思う。僕の三十年以上の人生の中で、それはもう膨大な数の人々が、その踏み絵の前で、あげなくともいい声をあげ、晒さなくてもいい恥をさらしてくれるのだ。僕はそんなこと、頼んでもいないのに。

昔は、そういう人達には、わざわざ教えてあげていたものだけど、今はもうそんな暇もないし、musterbation まがいのことに費やすエネルギーがもったいない。まぁ、勝手にやってもらえばよろしい。どんどん恥を上塗りしていくだけのことなのだから。

Finger tip slice

パンがなくなったので仕込んでいたのだが、たまにはちょっと変わったものを焼こう、と、人参を擦りおろしたのがまずかった。手元にある下ろし金はスライサーがついているのだけど、下ろし金を洗っているときに、指の先端をスライスしてしまったのだ。

このような怪我は今迄にも何度かしたことはあるのだけど、とにかくまずやっかいなのが止血である。止血さえできれば、今は医師でなくとも入手可能なハイドロコロイドというのがあるので、予後はいいことが多いのだけど、血が滴ってなかなか止まらず往生する。とりあえず、昔風のバンドエイドをキツく巻いて圧迫して、血が収まったところではがし、ハイドロコロイドを貼る。これで、あとは1、2日毎にこれを交換していればよろしい。

しかし……痛いなぁ。きっと誰かが見ていたらその人もイタいんだろう、きっと。

煮〆スパイラル

なべスパイラルに懲りて、昨日は煮〆を作った。京いも(と書くと京野菜のように思われそうだけど、実際は宮崎などで作られているサトイモの仲間で、見た目は丁度キャッサバに似ている)と人参、大根などを、昆布のだしを利かせて醤油、味醂、砂糖を張り込んで煮込んだ。非常に美味しくいただいた、のだが……

鍋の底に残った煮汁をペロリと舐めてみると、実に美味しい。これをだしで伸ばして味を整えて……と、気付くとなんと、また雑煮になってしまっているではないか!新たな連鎖、煮〆スパイラルの到来である!

自分で料理ができない人はこういうこともないんだろうけれど……なまじ料理ができるとこんなことになって、豊かなんだか貧乏性なんだか、自分でももうよく分からない。

自分は……だから

昔から、馬鹿を相手にすることがちょくちょくあって、その度に discommunication というのを感じさせられるのだけど、そういうときによく耳にする言葉が、標題の言葉である。

たとえば、『WWW ページでの個人情報公開について考える』を公開した当時、このコンテンツに関する批判……と本人は思っているようなのだけどその実あからさまな不満の意思表明……を多数受けたことがある。そのほとんどに書かれていたのが、

私や私の周辺の人々はこのような被害に遭っていないんだから、このような問題表明は無意味である
というものだった。これは、そうだな……あしなが育英会の募金活動をしている前で、
私や私の周辺の人々はこのような被害に遭っていないんだから、このような活動は無意味である
と唾を吐くのに等しい。たまたま事故に遭っていない人が多数派だとしても、交通事故に遭って命を失う人は確実に存在するし、その影響で就学に支障を来す人もいて、そういう人のためには保護が必要になる、という、しごく当たり前の現実を理解できないが如く、たまたま被害に遭っていない人が多数派だとしても、ネット上の不適切な個人情報の取り扱いで不利益を被る人が確実に存在し、その影響で日常生活や人間関係にまで及ぶ不利益を被る人もいて、そういう事案がこれ以上増加することを防ぐためにも、個々の個人情報管理が必要になる、というロジックが理解できないのである。まぁ、哀しいことに、そういう人に限って、ネット上で不倫を暴露されたりとか、理不尽な誹謗中傷の標的になったりとか、そういうことがあって(自らの個人情報管理を徹底していないのだから当然の成り行きなのだけど)、web で情報発信することをやめてしまっているのが現状だったりする。

今日は、たまたま、東京のいわゆる「公設派遣村」に関するブログにコメントしたところが、お決まりの「自己責任論者」が「こいつらは努力しないから云々」と書き込んでいて、まぁ二三やりとりがあって、相手の日本語がブッ壊れている(言葉が壊れているということは思考が壊れているということで、それはその言葉を発している輩の相手をすることが時間の無駄だということなのだけど)ので、「馬鹿の相手をするのは時間の無駄だ」とコメントして放置したのだが、そいつがこういうことを書いたのだった。

馬鹿と罵られた自分が食っていけるのに、食っていけないこいつらは馬鹿以下ではないか
……ああ、イタい奴だなぁ。

まぁ、繰り言になってしまうけれど、この輩は「たまたま食えている」だけのことであって、こいつが食えていたとしても、諸々の事情で職を失ったり経済的に破綻したりする人は確実に存在して、その影響でその日の暮らしにも支障を来す人もいて、そういう人のためには保護が必要になる、という、しごく当たり前の現実を理解できない……ということになるわけだ(ああ、もはやテンプレートだな、これぁ)。本当に、馬鹿には進歩というものがみられない。死ねばいいのに。

がんとワクチンに関するメモ

備忘録も兼ねてメモしておくことにする。

がんとワクチン、というと、おそらくほとんどの人が、いわゆる丸山ワクチンを連想するだろう。丸山ワクチンは、「結核患者にがんの罹患者が少ない」という経験則に則って、BCG から結核菌を除去したものとして作製されたものだけど、実はこれとは違うがんのワクチンが、先月から実際に臨床の現場で使用されるようになった。

この場合の対象は子宮頸がんである。子宮頸がんは、比較的若い女性でも発症することがあり、場所柄、女性の生殖機能にも直接関わるがんであるが、このがんとヒトパピローマウイルスとの間に関係があることは、ちょっと前から知られていた。このヒトパピローマウイルスへの感染を抑制する目的で、アメリカでは 2006 年にメルクの GARDASIL というワクチンが認可されているが、メルクの 100 % 子会社である万有製薬が日本で GARDASIL の認可を得る(2007年12月)のに先立ち、グラクソ・スミスクラインの Cervarix が同年9月に承認されており、この Cervarix が先月日本国内で発売されたのだ。

僕はパピローマウイルスというと「いぼ」のウイルスだという認識だったのだけど(勿論これは間違っていない……乳頭腫 papilloma という「いぼ」の原因になるのがこのウイルスである)、子宮頸がんや陰唇がん、尖形コンジローマ、あるいはオーラルセックスによって咽頭がんや舌がん、口腔がんなどの原因になることもあるという。おそらくこの発がんに関しては、単純にウイルスの作用だけではなく、自己免疫機構との複合効果が大きく関わっていることは想像に難くない……メディアなどでも有名になった Tree man こと Mr. Dede Koswara の皮膚異常も、このヒトパピローマウイルスと自己免疫機構が関わっているといわれているからだ。

今回の Cervarix の発売によって、過去のデータ通りにいけば、ワクチン投与者は 80 % の確率でヒトパピローマウイルスによるがんの発病を抑制できるといわれている。ワクチンとしては、この予防率はかなり高いといえるのだけど、不思議な程に、メディアはこのワクチンのことを取り上げない。特に女性の方々には、ぜひこの Cervarix という名前を覚えておいていただきたい。そして、このワクチンの恩恵を少しでも多くの女性に享受していただきたいと思う。

なべスパイラル

最近、標題の通りの状態である……と書いても、何のことやら分からないだろうけれど、要するに、鍋から抜け出せずに一日の食事が決まってしまう、ということを言いたいわけだ。

晩の食事を作るのが面倒で、手元に白菜と鶏の腿肉があると、ついつい鍋にしてしまう。これを食べ終えると、野菜と鶏のだしが程よく出たのが残るわけだけど、これを捨てるのも勿体無くて、先日年越しそばを食べるのに作っためんつゆ(かえしとかつおだしから自分で作ったものである)でちょいちょいと味を整えて、野菜をちょこっと入れてみると、なかなかにいい塩梅になる。ここに焼いた餅の二切れも入れればお雑煮の出来上がりで、これで朝昼兼用、とかしてしまう。するとちょうど空になった鍋が残るのだけど、これをきっちり洗って乾かして……というのが何となく面倒で、ついついそこに野菜と鶏肉を投入して鍋にしてしまう。で……振り出しに戻る、というわけだ。

始末が悪いのが、こうやっておくる食生活は至極バランスがよろしいのだ。快食快便(ビロウな話で申し訳ないけれど)だし、餅は腹持ちがよろしい。肉も野菜も、脂肪少なくがっつりといただける。かくしてますますこのなべスパイラルから抜け出せなくなっていくのだ。こまった。七草までには餅がなくなりそうなので、そこまではこのペースで続いてしまいそうだ。

別にオタクじゃないんだが

久々に『攻殻機動隊』の DVD など取り出して観ているのだが……今観てもよく出来ているな。個人的には、SPring-8 を使っていた身としてツボが結構あるのだが(あそこが順調に発展すれば、あるいはこの通りになっていたかもしれぬ)、やはり Linux 上で観られるというのも大きいかもしれない。

Windows しか使ったことのない方にはお分かりにはなれないとは思うけれど、WIndows の MediaPlayer というのは、とにかく「重い」。僕は K-Lite Codec を使っているので、K-Lite が添付している MediaPlayer Classic を使っているのだけど、それでも重いし、時々は process が zombie になってなかなか消えてくれずに困ることもある。

今僕は、Linux 上で gxine というプレイヤーを使用して DVD を観ている。この gxine というのは、xine というハンガリーで開発されたマルチメディアプレイヤーを基にしているのだけど、これが登場してから、Linux 上でマルチメディアの恩恵に与るのが決定的に楽になった。とにかく軽いし、世間に流通しているほとんどのフォーマットのファイルに対応している。ワイルドカードを使用したファイルの指定はできないけれど、これに関しては mplayer を併用すれば問題はない。

それにしても、どうして Windows というのはあれ程重いのか。そして皆どうしてあんな OS を使っていて不平を言わないのか。全く以て理解できない。ちょっと前だったらスーパーミニコンとかで動いていたのよりも尚速い CPU に、かつての HDD 並のメモリ、そしてちょっと前だったら部屋一つを占有する程の容量の HDD や SDD。そんなものを使って、どうしたらああも重くできるのか、そしてそんなものを駆使して、どうしてああも重いソフトで満足していられるのか。「みんな使っているから」だぁ?なんだかなぁ。

聖体拝領時の騒ぎ

クリスマスイブのときもあったのだけど、今日の年始のミサに行ったときに、ちょっとした騒ぎがあった。聖体拝領のときに、従者の一人がある女性を血相変えて追いかけていき、こう咎めたのだ:

「あなた、洗礼受けてますか?聖体拝領できますか?」

で、何やらもめていたのだが、この女性、誰も彼もが聖体拝領できるわけではない、ということすら知らなかったようで、ホスチアの返却を求める従者に半ば逆ギレしつつ、ホスチアを返すとカツカツと音を立てて席に戻っていった。

先にも書いたのだけど、最近このような人を目にする機会が多くなったような印象を受ける。ここで誤解がないように明記しておきたいのだけど、

  • カトリックのミサにおける聖体拝領時には、一般の方はホスチアを貰うことはできません(許されていません)
  • ホスチアを貰えるのは、一般洗礼受洗者か、幼児洗礼などを受けた後に初聖体を受けた人に限られます
……しかし、こんなことも通らない世の中になったのだろうか。何とも困ったものである。

そう言えば、最近は mixi などでも見かけるのだけど、熱心な信者を自称していながら受洗していない人、というのが少なからず存在するらしい。僕が mixi のカトリックのコミュニティをやめた理由が、この手の輩が妙にプライド高く「自分は幼児洗礼を受けた人より篤い信仰を持っている」などと主張するのがうざったくてならなかったからなのだけど、今回の女性もどうもそういう感じに見受けられたのだ。篤い信仰を持っていながらなぜ受洗できないのか、僕には不思議で不思議でならないのだけど、少なくともルールは守っていただかなければ困る。

聖体拝領の前後の司祭や助祭の所作を見ていれば自ずと分かることなのだけど、一旦祝福されたホスチアは、カトリックにとっては「キリストのからだ」なので、かけら一つたりともおろそかにすることはない。ワインの中にわずかなかけらですら払い込んで、かき混ぜて飲んでしまう。これはケチ臭いからではなくて、たとえるならば仏舎利のように、かけらですらキリストのからだの一部として、大切に扱うためである。これが分からない人には、聖体拝領のかたちだけを真似ても何の意味もないし、それはキリスト教における信仰の極めて大事な部分に関して理解していないことに等しい。だから、そういう人は聖体拝領をしてはいけないのだけど……そういう人の中に、かたちだけやればお恵みがいただける、などと不遜なことを考える輩が存在するのが、どうにも不快でならない。こちとら、ごっこ遊びでミサやってるんじゃないんだから、少しは知るべきことを知ってもらいたいものだけど……

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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