服装での貢献

中国・広州で行われていたアジア競技大会も、今月27日で終わったわけだけど、あれを観ていてどうにも気になっていることがある。それは女子選手の服装である……ああ、女子選手といっても、女子一般の話ではない。僕が気になっているのはムスリムの女子選手の服装である。

皆さんご存知(じゃない人もいるかもしれないけれど)の通り、ムスリムの中でも保守的な人々は、女性が髪や肌を人目に晒すことをタブー視する。選手自身がどういう考え方であったとしても、このタブー視というのは大きな社会的プレッシャーとして作用するわけで、そのためにムスリムの女子選手の多くは、身体全体と頭を覆う服装で競技に参加している。

あの服装で短距離走などに参加しているのを見ると、もう少し何とかならないものか、と考えてしまう。ただ、ここで勘違いしてもらいたくないのは、そんな服装を止めるべきだ、と言っているわけではない、ということである。

たとえば、日本ではマイナーな競技だけど、イギリス発祥のスポーツでクリケットというのがある。今回のアジア競技大会では、女子のクリケットはパキスタンが金メダルを獲得した。この競技に関する報道を見てみると:

パキスタンのクリケット女子、脅迫にめげず快挙

【イスラマバード=横堀裕也】中国・広州で開かれたアジア大会でパキスタンのクリケット女子チームが金メダルを獲得し、「ゴールデン・ガールズ」(地元紙)と絶賛されている。イスラム保守層などからの中傷、脅迫にめげずにつかんだ「歴史的快挙」(同)だ。

ザルダリ大統領は、対テロ戦争や未曽有の洪水被害を念頭に、「国難に立ち向かう国民への素晴らしい贈り物」とたたえた。

19日の決勝でバングラデシュを破ったチームは、帰国後も大統領官邸に招かれたり、大学でプレーを披露したりと引っ張りだこだ。

イスラム教を国教とする同国では、保守層を中心に、肌や髪の露出につながる女子のプレーはタブー視されてきた。脅迫などの妨害を乗り越え、国際試合を戦えるようになったのは、わずか十数年前。大会前、ある選手は「今でも中傷は日常茶飯事」と語っていた。

対照的に肩身が狭いのが、男子代表チーム。ある世界ランキングでは、かつての3位から7位に後退。メディアは「女子を見習え」と厳しく批評している。

(2010年11月30日16時05分 読売新聞、元記事リンク

この記事を読んで、これが女性への宗教的呪縛からの解放だ、ととるかどうかは個人の自由である。しかし、信仰の自由というものが尊重されるべきなら、信仰において求められる戒律が、こういう競技において有利・不利を生むことが最小限になるような努力もまた求められるものではないだろうか。戒律を守ることを選択しても、それが可能なかぎり不利にならないような、そんなウェアが開発されているという話を、僕は今まで耳にしたことがない。

ただ単に、僕が無知なだけで、既にそういう試みは始まっているのかもしれない。それならそれで大いに結構なことである。しかし、陸上競技で、スカーフで頭を巻いて両手足を覆う服をたなびかせ(当然だがそれだけの空気抵抗を負っているということだ)て走っている女子選手の姿を、僕はどうも無視することができないのである。日本のスポーツ用品メーカーの素材開発が優れていることは、誰もが認めるところである。そういう技術を、どうか、ムスリムの女子選手達が全力を発揮するためにも用いてほしい、と、僕は願わずにはおれないのである。

Install Memo 2

インストールのメモの続き。

pTeXLive のインストール中に、重大なことに気付く。ptexlive.cfg 中で TEXLIVE_DIR を明示的に指定していなかった場合、マウントされた TeXLive の ISO イメージ中のフォントを読みに行くようになってしまう。そのために、環境構築が終わった後、ISO イメージを unmount してしまうと、LaTeX 使用時に「フォントがありませんよ〜」と言われてしまうのだ。最初、自分でも何が起こっているか分からなかったが……というわけで、pTeXLive の設定時には、TEXLIVE_DIR として明示的に TeXLive の HDD へのインストール先(多くの場合は TEXLIVE_DIR=/usr/local/texlive/2009)を指定しておくこと

あと、flash で一部不具合が出た。Google Chrome でニコニコ動画が見られなくなる、というもので、これは flash plugin として browser-plugin-gnash が入っているのを排して、代わりに adobe-flash-player-browserplugin などをインストールしておくことで解消される。

大体、今のところはこんなものだろうか。本当は Intel のコンパイラを入れておきたいんだが、今の AMD の環境では速度的に優位性がないので、それ関係でごちゃごちゃやる必要はないし。

Install Memo

大掃除のシーズンだから、というわけでもないのだけど、手元の Linux の環境を掃除するために再インストール。再インストールと書くと面倒に思われそうだけど、/home を独立パーティションにしておいて、いくつかの設定ファイルをバックアップさえしておけば、そう面倒な作業ではない。

とは言え、「あーこんなんあったなぁ」みたいに思い出すこともある。一応今日はそれをメモしておくことにする。

まず Emacs。shinonome を使っていたのだけど、等幅にこだわることにして、ちょっと汚ないのだが、

-misc-fixed-medium-r-semicondensed-*-12-*-*-*-*-*-*-*
に変更。Emacs Lisp パッケージとしては apel、flim、SKK、Mew、そして navi2ch と emacs-w3m、semi 位だろうか(semi は正直言ってあまり必要ではないんだけど)。いずれも anoncvs(Mew は git)で取ってくればよろしい。

ちなみに Emacs 自身はどうやって取ってくるか、という話だが、昔通りの CVS の repository はどうやら古いままになっているような感じ。Bazaar で、
$ bzr init-repo --2a emacs
$ cd emacs
$ bzr checkout http://bzr.savannah.gnu.org/r/emacs/trunk trunk

(次回以降)
$ bzr update
で取れるはずなのだけど、savannah.gnu.org になぜかアクセスできないようなので、次善の策として git で、
git clone git://repo.or.cz/emacs.git
とやって取得する。ちなみに今の Emacs の見た目はこんな感じである:

Emacs-24.0.51

.emacs.el 中の:

(setq-default enable-multibyte-characters t)
はもう obsolete なので、コメントアウトするなり消すなりすること。

SKK の辞書は必要分を merge (skkdic-expr2 dic1 + dic2 + ... > SKK-JISYO.huge 等とすればよい)して、SKK-JISYO.L.cdb の default の置き場所である /usr/share/skk に置いてから

/usr/share/dbskkd-cdb/skktocdbm.sh < ./SKK-JISYO.huge | cdb -c -t - SKK-JISYO.huge.cdb
として cdb 辞書を生成すればよい。

Adobe Reader は(相変わらず!) /opt/Adobe/Reader9/Resource/CIDFont/ 内に小塚ゴシックの opentype font が存在していないので、Windows の該当ファイルなどをここにコピーするなりリンクするなりしておくこと。

意外と面倒なのに忘れていたのが sdic 上で英辞郎第4版の辞書を使えるようにしておく、というもの。まず Windows 上の Pdic で辞書ファイルを1行テキスト形式でセーブしておく。ここでは /home/hoge/Pdic に該当ファイルがあるものとする。

sdic を通常の手順でインストールしておいてから、『■[emacs][英辞郎]英辞郎第四版買ってみた。emacsで使いたい。 sdic編』(2009/01/11 by eiei 氏)で紹介されている ruby スクリプトを pdic2sdic.rb という名前で保存しておく。

まともに sdic に辞書検索をやらせているとえらいことになるので、SUFARY を使用する。現状では ver.2.1.1 を使用するべし。展開・ make の後、array/array と mkary/mkary を /usr/local/bin 辺りに install。

然る後に、

$ cat /home/hoge/Pdic/eijiro-1txt.dic /home/hoge/Pdic/ryaku-1txt.dic | \
nkf -w8 | ruby pdic2sdic.rb > /usr/local/share/dict/eijirou.sdic
$ cat /home/hoge/Pdic/waeiji-1txt.dic | \
nkf -w8 | ruby pdic2sdic.rb > /usr/local/share/dict/waeijirou.sdic
$ cd /usr/local/share/dict
$ mkary eijirou.sdic
$ mkary waeijirou.sdic
などとやって sdic 形式の辞書と SUFARY index を生成。.emacs.el には、
;;; sdic-mode
(setq load-path (cons "/usr/local/share/emacs/site-lisp" load-path))
(autoload 'sdic-describe-word "sdic" "Small English/Japanese Dictionary" t nil)
(global-set-key "\C-cw" 'sdic-describe-word)
(autoload 'sdic-describe-word-at-point "sdic" "query the word beneath the cursor" t nil)
(global-set-key "\C-cW" 'sdic-describe-word-at-point)
(setq sdic-eiwa-dictionary-list
'((sdicf-client "/usr/local/share/dict/eijirou.sdic"
(strategy array))))
(setq sdic-waei-dictionary-list
'((sdicf-client "/usr/local/share/dict/waeijirou.sdic"
(strategy array))))
(setq sdic-default-coding-system 'utf-8-unix)
などと書いておく。

奇妙な符合

昨年の3月8日のことである。南シナ海北部・海南島沖で、アメリカ海軍の音響測定艦である「インペッカブル」が航行していた。この「インペッカブル」は、潜水艦の音響データを採取するための船で、この船自体が軍事行動に参加するわけではない。そのため、軍籍にある船舶でありながら、航行に従事するクルーは民間人で、音響解析を行う専任スタッフが海軍軍人、という、特殊な運用をされている船である。

「インペッカブル」は公海を航行していたのだが、そこに中国海軍の情報収集艦、漁業監視船、国家海洋調査局の艦艇、2隻のトロール船の合計5隻が妨害活動を仕掛けた。中国側の5隻は「インペッカブル」に異常接近した後、うち2隻が進路を塞ぐように「インペッカブル」の舳先15メールまで接近、材木を海中に撒いたり、強力な照明を「インペッカブル」に当てるなどの危険な妨害を行った。「インペッカブル」が(武装を持たないので)ホースで中国船に放水を行ったところ、一説によると、中国側のトロール船船員が「インペッカブル」に尻を向け、ズボンと下着を脱いで侮辱する行動に出たという。

この時期、アメリカと韓国は、黄海や東シナ海を舞台とした合同軍事演習 "Key Resolve" を行っていた。中国の「インペッカブル」に対するこの露骨な妨害や、同時期に複数の中国政府高官によってなされた発言の数々は、いずれもこの "Key Resolve" を牽制する目的で行われたものとみられている。

一年後の本年3月26日、黄海の白翎島(ペンニョンド)西南沖で、韓国の哨戒艦である「天安」が、北朝鮮の特殊潜航艇から発射された魚雷によって沈没した。このときも、同じく黄海に浮かぶ延坪島沖で、"Key Resolve" の一環として米韓の潜水艦による演習が行われていたところだったという。

今年の6月、米韓は合同軍事演習 "Indomitable Will" を黄海・日本海で行う計画を立てていた。これは先の「天安」沈没事件等への牽制の意図のあるものであったが、ゲーツ米国防長官が「演習は韓国沖で実施されるのであり、中国沖ではない」と発言したにもかかわらず、中国サイドから度重なる高官の発言等がなされた結果、6月の予定を7月に延期した上、当初黄海に派遣される予定であった原子力空母「ジョージ・ワシントン」の派遣先を日本海に変更した。

そして、この11月末、先の延坪島砲撃事件への対抗措置として、今度は原子力空母「ジョージ・ワシントン」を黄海に入れて、米韓合同軍事演習が行われることになった。

……と、時系列で、アメリカ・中国・韓国・北朝鮮の絡んだ黄海近辺での事件を追って見てみると、どうも、今回の砲撃事件も含めて、北朝鮮の背後にある中国の存在が、一連の事件に絡んでいるような気がしてならない。今回の砲撃にしたって、北朝鮮は韓国からの洪水支援、そして離散家族問題の報酬としての支援の双方をふいにしてまで行っているのである。ひょっとしたら、これは中国との間に、問題行動を起こす見返りとして経済支援が得られるような密約でもあるんじゃないか、と勘繰りたくもなるというものだ。

続・韓国・延坪島砲撃事件の周辺

ついに恐れていた事態が起こってしまった。いや、起きていたのが発覚したと言うべきだろうか。

北朝鮮砲撃:民間人二人の遺体発見

北朝鮮により23日に砲撃を受けた延坪島で復旧作業を行っている軍・官合同調査団は24日午後3時30分ごろ、島内の工事現場で二人の遺体を発見したという。

遺体となって発見されたのはキム・チベクさん(61)とペ・ボクチョルさん(60)で、二人は延坪島の住民ではなく、島内の工事現場で勤務していた労働者とのことだ。合同調査団は、二人が北による砲撃で死亡したものとみて、詳しい原因を調べている。

(2010/11/24 17:03:10 朝鮮日報日本語版)

遂に民間人の死者が出てしまった。これは韓国国内の論調もさらに厳しいものになっていくに違いない。考えるだに恐ろしい事態である。

韓国・延坪島砲撃事件の周辺

韓国北西部の軍事境界線の近くにある延坪島に、昨日午後2時過ぎに、北朝鮮が砲弾を数十発打ち込んできた。

延坪島(ヨンピョンド、연평도)は大延坪島(テヨンピョンド、대연평도)と小延坪島(ソヨンピョンド、소연평도)の2島で構成されるが、今回砲撃を受けたのは大延坪島の方である。まずはこの島の衛星写真をご覧いただきたい。

大きな地図で見る
少し拡大していただけるとお分かりかと思うけれど、この島は南東を向いた海岸線の中央部に固まるように居住地区が集中していて、それ以外は山のような地形に木が生い茂っているような状態になっている。北西に向けた海岸線にも開けた部分があるけれど、これはおそらく軍事施設だと思われる。

この島は、北朝鮮の海岸線から十数 km 離れている。この距離は、北朝鮮が保有するカノン砲や榴弾砲(報道で「迫撃砲」と書かれているものを散見するが、これは間違い……参考)の口径から考えると、攻撃するのに問題のない距離である。標的に砲弾を命中させるための弾道計算の技術は、第二次世界対戦時に既に完成しているので、北朝鮮軍の砲撃であっても、今回の延坪島攻撃において、島内のどの区域を攻撃するか、きっちり狙った上で撃ってきているのは明白である。つまり、今回の砲撃において、北朝鮮軍ははっきりと民間人居住区域を砲撃しているのである。

では何故、北朝鮮軍はこのようなことをしたのか。北朝鮮側の発表においては、韓国(北朝鮮は国家としての韓国や韓国政府を「傀儡」と称するのだが)の軍事的挑発に対抗するものだ、ということになっている。実際にそういうことがあったのか、というと……

韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLLより南側で砲撃を行った。

(2010/11/23 21:08 KST 聯合ニュース 引用元記事

つまり、延坪島の近くで射撃訓練を行っていて、撃つ方向は西南方向 = 北朝鮮と反対の方向であった、ということである。この区域での射撃訓練はそう珍しいものではなく、23日に北朝鮮から訓練中止の申し入れがあった際も、韓国側はあまり深刻に考えていなかったらしい。ということは、これ以外に何かしらの理由があったということになる。

ここで一つ気になるのが、このニュースである:

核問題:米軍の戦術核兵器、韓国再配備も 金泰栄国防長官が国会で答弁

金泰栄(キム・テヨン)国防長官は22日、北朝鮮がウラン濃縮施設を公開したことへの対策として、1991年に韓半島(朝鮮半島)から撤去された米軍の戦術核兵器を再配備する問題と関連し、「核抑止のための(韓米)委員会を通じて協議を行いながら、その部分(再配備)も検討してみたい」と答弁した。

金長官はこの日、国会予算決算特別委員会の総合政策質疑に出席し、「一部で言及されている、米軍戦術核兵器の再配備を考慮する考えはあるか」という李鍾赫(イ・ジョンヒョク)議員(ハンナラ党)からの質問に対し、このように答えた。

国防長官が米軍戦術核兵器の韓半島再配備について公の場で語るのは、極めて異例のこと。

金長官の答弁に対し批判の声が上がると、国防部は「原則として、北朝鮮の核の脅威に対し、取り得るすべての対応策を検討するという趣旨で発言したこと。米軍戦術核兵器の配備は、現在まで考慮したことはなく、韓米間で具体的な協議がなされたこともない」と釈明した。

韓国軍消息筋は、米軍の軍事戦略が変化し、海外に配備している戦術核兵器はすべて本土に引き揚げ、相当数が廃棄されたことから、韓半島に戦術核兵器を再び配備するとしても、地上ではなく、原子力潜水艦やイージス艦などに核弾頭型のトマホーク巡航ミサイルを搭載し、韓半島近海に配備する形になる可能性が大きいと説明した。

(2010/11/23 10:01:59 朝鮮日報日本語版 ユ・ヨンウォン記者)

このニュースの背景には、勿論このニュースがある:

核問題:北朝鮮がウラン濃縮施設を公開 米国に対し「2000台以上の遠心分離器がある」と説明 ウラン弾なら年間1個の割合で製造可能

実験用軽水炉建設現場の公開に続き、北朝鮮は高濃縮ウラン(HEU)による核開発に必要な遠心分離器1000台以上を突然公開した。

今月初めに北朝鮮は、同国を訪問した米国の原子力技術専門家でスタンフォード大学国際安保協力センター所長を務めるヘッカー教授に対し、1000台以上の遠心分離器が設置された巨大なウラン濃縮施設を公開した。これは、米紙ニューヨーク・タイムズが21日付で報じた。

問題の遠心分離器は、天然ウランの中にわずか0.7 % しか含まれていないウラン235の割合を、90 % 以上にまで濃縮する際に使われるものだ。ヘッカー教授は、この装置1000台以上が北朝鮮で計画的に設置されているのを目にして、「非常に驚いた」という。2009年4月に米朝関係が悪化したことにより、米国と国際原子力機関(IAEA)の関係者が最後に北朝鮮から撤収する際、この施設の存在は知られていなかった。ヘッカー教授はこの遠心分離器について、「非常に現代的な統制室で制御されていた」とコメントしている。ニューヨーク・タイムズによると、現地を案内した北朝鮮政府の関係者はヘッカー教授に対し、「2000台以上の遠心分離器がすでに設置され、今も稼働している」と説明したという。

核開発の専門家によると、1個のウラン爆弾(濃縮ウラン20キロ基準)を製造するには、2000台以上の遠心分離器が必要だという。

かつて米国のロスアラモス核研究所の所長などを務めたヘッカー教授は、北朝鮮から米国に帰国した直後、これらの事実をホワイトハウスに報告した。ヘッカー教授は、米国に帰国する直前の今月13日に北京に立ち寄っているが、そこで行われた会見の際にも、「北朝鮮は平安北道寧辺に軽水炉1基を建設中」という事実を明らかにしている。

核兵器の製造に必要な遠心分離器の存在を北朝鮮が認めたことに対し、米国は直ちに対応に乗り出した。オバマ政権は20日、スティーブン・ボズワース対北朝鮮政策特別代表の率いる代表団を韓国、日本、中国に急きょ派遣した。

ボズワース代表は21日にソウルで韓国政府の当局者らと協議を行い、22日に東京、23日には北京を訪問する予定だ。北朝鮮は2回の核実験を行ったことにより、国連安全保障理事会決議第1718号、1874号によってすでに制裁を受けているが、これについて米国は、「北朝鮮はこれらの決議に明らかに違反しているだけでなく、高濃縮ウランによる核開発を強行するとの意向も明らかにした」と見なし、国連レベルでの対応策も同時に模索している。

(2010/11/22 09:19:02 朝鮮日報日本語版 李河遠(イ・ハウォン)記者)

つまり、北朝鮮がウラン濃縮を行い、ウラン型原爆を保有しようとしているのではないか、という疑いが生じて、それに対抗するかたちで、韓国政府はアメリカの核を韓国国内に設置することも辞さない、という意思を表明した。それに対して北朝鮮が今回の砲撃を以て応えたのではないか、というのが、今回の要因として考えられるもののひとつということになる。

世間では、アメリカや韓国からの援助欲しさに今回の事件を起こしたのではないか、という識者の意見が出ているけれど、これは全くの的外れである。その理由は以下の記事を読めば明らかである:

[社説]感動の再会、そしてコメと核

金剛山(クムガンサン)離散家族再会所は、60年ぶりに会った家族への込み上げてくる思いで「涙の海」になった。北朝鮮側の最高齢者で元韓国軍のリ・ジョンリョル氏(90)は、韓国に住む息子、ミングァン氏(61)と抱き合って、「ミングァン、ミングァン」と呼んだ。赤ん坊の時に韓国軍に入隊した父親と別れた息子は、「亡くなったと思って、今まで法事をしてきました」と泣いた。

3日間、北朝鮮側の再会申請者97人に会う韓国側の家族436人は、短い喜びを終え、再び長い離別と苦痛を味わうことだろう。今月3日から、金剛山で、北朝鮮側家族207人に会う韓国側の再会申請者96人も然りだ。再会を希望する人は8万人以上で、申請者の77%が70代以上の高齢だ。いつまでこのようにゆっくり会わなければならないのか。

最近、南北赤十字会談で、韓国側は、南北100家族の再会月例化、再会離散家族の再度の再会、毎月5000人の生死住所の確認を提案した。北朝鮮側は、1年に3、4回、100人規模の離散家族の再会を提案し、前提条件としてコメ50万トンと肥料30万トンの支援、金剛山観光の再開を求めた。離散家族の思いを晴すのではなく、大規模な物資や金品支援を求める露骨な下心だ。

金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は、毎年30万〜40万トンのコメと20万〜30万トンの肥料を北朝鮮に支援した。金正日(キム・ジョンイル)政権は、支援されたコメで、特権層のお腹を満たし、軍用米に転用したと、脱北者は証言している。北朝鮮は、軍事力の増強に拍車をかけ、2度の核実験を行い、12年までに核開発を完了するとして「強盛大国」云々する。

大韓赤十字社は今年9月、コメ5000トンやセメント1万トン、カップラーメン300万個、医薬品など、100億ウォン分の水害救援物資を北朝鮮側に送った。対北朝鮮ラジオメディアの「開かれた北朝鮮放送」は、北朝鮮が最近、韓国から支援されたコメなどを「白頭山(ペクトゥサン)先軍青年発電所」に供給し、金正恩(キム・ジョンウン)氏を称える宣伝手段に活用していると報じた。韓国が送ったコメや金が、軍人を食べさせ、金正日総書記の3代世襲を強固にし、核兵器の開発に使われているにもかかわらず、一部野党と左派勢力は、大規模なコメ支援と金剛山観光の無条件再開を要求している。

(11/01/2010 08:39 東亞日報日本語版)

この南北赤十字会談、実は今月25日にも行われる予定だった。もし北朝鮮が援助を求めているのならば、この機会を自らふいにするようなことは考えにくい。中国が秘密裏にこれに匹敵するような援助を行う、というようなことでもあれば話は別だろうけれど、これ程の大規模な援助を秘密裏に行う理由が見当たらないし、目下そのような情報は流れていない。つまり、物質的な面において、今回の砲撃は北朝鮮にとって何ら得にならないということになる。

ということは、先に挙げた米軍の核に関する発言が原因なのか、あるいは北朝鮮国内における国威発揚の目的で行われたのか、いずれかということになるだろう。後者に関しては二つの説があって、ひとつは、金正恩が軍事の天才であるという「伝説」の裏書きとして行われたのではないか、という説、もうひとつは、北朝鮮軍内部での世代交代と、それに伴うフラストレーションの問題を解消するために、軍部の新しい若手の指導者が半ば独走するかたちで今回の砲撃を行ったのではないか、というものである。後者は李英和・関西大学教授が主張しているものだけど、現在の状態で軍が独走できるかどうかは、ちょっと怪しいところである(李教授は、金正日が認知症を患っているという説を主張しているので、もしそれが当たっていたらこういうことがあっても不思議ではないけれど、それだったら北朝鮮はもっと混乱していてもいいような気がするのだが)。

いずれにしても、我々にとっても隣国の問題でもあり、この問題に関してはちゃんと知るべきことを知っておく必要がある。それに、実は今回の事件で一番喜んでいるのはおそらく管内閣で、昨今の体たらくを、ここでイニシアチブを示すことで払拭できると思っているふしがある。そういう妙なリンケージにごまかされないためにも、知るべきことはちゃんと知っておこうではないか。

It's Too Late

柳田稔氏が、とうとう法相を辞任する意向を明らかにした。したのだが、今回の辞意表明は、明らかに遅過ぎた。せめて日曜のうちであったなら、もう少し違ったムードになっていたに違いない。

まず、問題となった発言の要旨を聞き書きしたものを以下に示す:

私はこの20年近い間、実は法務関係っていうのは1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので、多くの皆さんから激励と心配をいただいた。ちなみに法相はほとんどテレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った。

法相と(いう)のはいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておきゃいいんですから。えー、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と。これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりましたけど、実際の話、しゃべれない。で、あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」。この2つなんです。まあ何回使ったことか。使うたびに野党からは攻められる。「政治家としての答えじゃないじゃないか」とさんざん怒られている。

ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です。「法を守って私は答弁しています」と言ったら「そんな答弁はけしからん。政治家だからもっとしゃべれ」と言われる。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない。

これを読む限り、二番目の傍線部「分からなかったら」これを言う……というのは、「その内容を open にしていいのかどうか分からなかったら」というニュアンスを込めたかったのだろう、ということがうかがえる。法務関連に関わる内容は法務大臣として喋れないことがある、というニュアンスを強調するために、三番目と四番目の傍線部でダメをおしている。それは確かなのだけど、それならまず、「法務関連の内容は、それが喋れるかどうかということに関して、高度な司法的判断が求められる場合があるので、軽々に喋ることができないのだ」とちゃんと前置きしなければ伝わらない。つまり、上聞き書き文の四番目の長い傍線部は、最初に言わなければならない内容なのである。人前で喋ることは政治家の商売のひとつなのだから、これ位できないようでは資質がないと言われても仕方がないであろう。

これよりもむしろ問題なのは、おそらく上の最初の傍線部「テレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った」の方であろう。国務大臣を拝命する立場として、いくら何でもこれはない。あまりにお粗末としか言い様がない。

そして、この後に柳田氏は更にダメをおしてしまった。

柳田法相、刑事局長に「踏み込んだ答弁」検討指示 批判かわす狙いか

柳田稔法相は21日、法務省で西川克行刑事局長に、法相が「踏み込んだ国会答弁」をできないか検討を指示したと記者団に語った。国会答弁を軽視するような発言で野党から辞任を求められている問題で、批判をかわす狙いとみられる。

法相は西川局長に「踏み込んだ答弁ができないかどうか、(訴訟書類の公判前の公開を禁じる)刑事訴訟法47条の制約もあるが検討してほしい」と指示したという。公明党の山口那津男代表はソウル市内で記者団に「開き直りともとれる言動を繰り返すことこそ信頼を損なう」と批判した。

(2010/11/21 20:29 日本経済新聞)

こんなことを発言したら、まるで、テンプレート然とした答弁は用意する官僚のせいだ、と言わんばかりではないか。百害あって一利もないこのような悪足掻き発言を、する方もする方だし、容認する周囲も周囲である。

この状態をさらに焦げつかせたのが、輿石東参院議員(民主党参議院議員会長)の振舞いである。

問責決議案の可決前か可決直後に柳田氏を更迭する方針を伝えることで、野党側にはひとまず矛を収めてもらい、補正予算案の採決に応じてもらいたい…。

首相官邸サイドや党幹部らはそんなシナリオを描いている。

柳田氏のあまりの評判の悪さに、民主党内でも「柳田さんはなぜ辞めないんだ」(若手)と不満は高まるばかりだ。

それでも輿石東参院議員会長は19日、「誰が辞めるんだ」と参院枠で入閣した柳田氏を擁護した。

(2010.11.20 01:40 MSN 産経ニュース 元記事リンク

輿石東参院議員は、小沢一郎氏に近いことで知られ、青木元参院議員の後継者とも言われる参院のボスである。この輿石氏だけでなく、民主党で内閣に参画している人全般に言えることだけど、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようではないか。

今回のこの「遅過ぎる」辞任の結果はどうなるのか。これは単純な話で、野党は問責による追及を、馬渕国交大臣、仙石官房長官(兼法務大臣)、そして管総理大臣にスライドさせて展開するだけの話である。要するに、追及への踏石がひとつ減って、そしてひとつ前に進んだだけの話なのだ。しかし、どうも管総理大臣や仙石官房長官はそういうことに思い至っていないようだ。しかしなあ……連中は、頭にオガクズでも詰めてるんじゃないのか?こんなことも分からないわけ?

で、批判する方にもこんな論がある:

【法相辞任】コラムニスト・勝谷誠彦氏「こんな人物に拉致を担当させたなんて…」 仙谷氏兼務には「国民を愚弄」 「首相は辞めろ」

コラムニストの勝谷誠彦氏は「民主党がこんな人物に拉致問題を担当させたことに、国民はもっと怒るべき。後任に仙石氏を据えるのは国民を愚弄(ぐろう)している」と痛烈に批判し、失言後早急に罷免すべきだったと主張した。

「国会答弁が2つで足りるなど、どれだけ真剣味がないのか、腹が立ってしようがない。改造内閣では小沢一郎氏の側近を好き嫌いではずすなど、内ゲバみたいなことをしており、真面目に組閣をしていたとは考えられない。最も問題だったのは、柳田法相のような人物に拉致問題を担当させていたことだ。2つしか話さない奴がどれだけ真剣にやっていたのか。この点について国民はもっと怒るべきだ。菅直人首相の任命責任は大いにある。柳田法相の後任に仙谷由人官房長官を兼務させるとはどういうことか。国民を愚弄している。極左の人間を検察のトップに立てるなど狂気の沙汰(さた)だ。民主党の限界の表れで、人材がいないのだから菅首相にはもうやめなさいと言いたい」

(2010.11.22 12:33 MSN 産経ニュース)

このご時世に、右・左で論調をカテゴライズしようという時点で既に思考停止してんじゃないの?と思うわけだけど、追及すべきは仙石氏の左右の別ではない。先にも書いた通り、
現政権に関わっている人々が、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようであること。そして実際に、そのように行動していること。権力維持を国家運営に優先していること。
これこそが問題なわけでしょう。彼らが独善的かつ権威主義的な権力を誠実な国家運営に優先して希求しているところこそ、我々が矛を向けるべき先なんじゃないのかね。頭冷やして、柳田氏の発言の問題点を読み返そうとか考えてないとしか、僕には思えないんだけどなあ。保守の立場で民主党政権の問題を批判するのならば、加地伸行氏が『正論』に書いた論文:

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101122/stt1011220345002-n1.htm

のような視点で語られるべきだろう。感情に任せた戯言の前に、ね。

ちなみに、僕自身は保守を志向しているわけではないので、上リンク先の加地氏の文章に対して少々私見を書き添えておこうと思う。まず、加地氏が現在の状況をどのように捉えているかというと、

当時、新左翼は本気で、かつ無邪気に暴力革命によって政権を手に入れようとした。だから、敵対者となる警察や自衛隊を、彼らにとって「国家の暴力装置」と位置付けたのは当然であった。

しかし、もし自分たちが社会主義革命に成功して政権を得たとしたならば、今度は立場を替えて、警察・自衛隊を自分たちを守る暴力装置として使い、政権を批判する自由な発言を許さず、弾圧するわけである。その前例こそ、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東政権であった。

(中略)

そもそも民主党は民主主義を誤解している。欧米の思想である民主主義は、自立した個人を前提にした〈民が主〉人ということだ。民は、それを選挙という方法によって表現する。

しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。そのため、投票という手段だけがクローズアップされる。個人主義という前提は問わず、形式・手段だけが目的化され、投票数の多さを競うのみとなる。故田中角栄氏やその流れの小沢一郎氏らがその典型だ。

だから、選挙が終わると、民はお払い箱となり、単なる愚昧(ぐまい)な存在としか見なさない。民主党がそれであり、民が民主党を批判することなどもっての外で許さない。新左翼も、もし政権を握っていれば、そうなっていたであろう。つまり、〈民が主〉人ではなく、己れが〈民の主〉人と化す。これが、左翼的民主党の民主主義理解であり、大誤解なのである。

……社会主義と(individualism の欠如した国である)日本における形式的な民主主義の相似性、そして社会主義国家でしばしば起こった恐怖政治と現在の民主党政権の政治との相似性を示したこのロジックは、保守でない僕から見ても現状をクリアに表わしていると思う。しかし、だ。現在の民主党政権は、そんな高級なことなど考えていないと思う。そもそも民主党政権それ自体が「単なる愚昧(ぐまい)な存在」に成り下がっているわけで、しかもその理由は実に単純で、彼らに philosophy がない、という、ただただそれだけなのだろうと思う。

丁度、ガリ勉をして世間で一流と評価される大学に入った受験生の中に、そのプロセスで「その大学に入ること」が、人生における手段から目的にすりかわってしまう人がいることに、これはよく似ている。政権与党となるために散々四苦八苦する中で初志を忘れ、世の実情に目を向けることを忘れ、さあ何をしようか、というところで、実は政権獲得で内的な目的を達成してしまって、後は、それを堅持することだけに執着する醜い連中だけがそこに残った。実に単純な、そう、実に単純な話なのである。

Miracle Patch ?

ここしばらくは、Linux の環境で2種類の kernel を準備する習慣になっている。安定版と最新版、ということで、前者は現時点では kernel-2.6.36。後者は現時点では kernel-2.6.37-rc2 なのだけど、この kernel-2.6.37-rc2、どうも DRM 関連に起因するらしき問題があって、僕の環境では X が起動しない。いわゆる snapshot(Git で管理されている開発版)ではこの問題が解消されているので、通常はあまり使わない snapshot 版を使用することにして、現時点では kernel-2.6.37-rc2-git7 を使用している。

最近の、たとえば Ubuntu しか触ったことがない、とかいう人々にとってはあまり一般的ではないのかもしれないけれど、なにせ slackware 以前から Linux を使用しているので、kernel は自分で make するもの、というのが染み付いてしまっていて、だから、こうやって何か書きものをしながら傍らで make している、というような状態になっていることが多い。昔は一晩がかりだった kernel の make も、今や1時間もかからずにできてしまうので、これで何の問題もないわけだ。

snapshot 版を使う都合上、kernel の開発に関する情報にも目を通すようになってきたのだが、最近面白い情報を発見した。まずはこれをご覧いただきたい:

http://lkml.org/lkml/2010/10/19/123

tty ごとにタスクグループを自動的に生成することで、どうやら体感速度を向上できるというか、一種の最適化がなされるようにしよう、ということらしい。これには Linus も:

http://lkml.org/lkml/2010/11/14/222

にあるように、こんな短い(最初のリンク先の patch はわずか 233行しかない)patch で有効な結果が得られたことを驚き喜んでいるようだ。kernel-2.6.38 には merge されるという話なので、今後が楽しみである。

【追記】kernel-2.6.37-rc3 がめでたく release されたので、今現在はそちらに移行している。

音名と階名の違い

U は、毎月一回行われる日曜の夕方の日本語ミサで使う聖歌の譜面にローマ字をふるボランティアをしている。これがひどい話で、その日本語ミサのときに、来ている日本人が誰も歌を歌わず、それを見るに見かねたフィリピン人の信徒達が、

「私達が歌うよ」
「でも日本語読めないから、ローマ字を譜面の下に書いてくれるとうれしいんだけど」

という話になったのだという。そもそも、カトリックのミサにおいては、歌というものは欠かせないもので、あれだけガン首揃えていて日本人が皆歌わない、というのは実にふざけた話だとしか言いようがないと思うのだけど、そう言って腹を立てている僕を前に U は、

「そんなこと言ったって、歌わないものはしようがないでしょう。私は、歌ってくれるって言う人のためにできることをするから」

と言い、月に一度(他の週の日曜の夕方は、タガログ語や英語でミサが行われている)の日本語ミサが近付いてくると、典礼聖歌集をスキャンしてローマ字でルビをふる作業を黙々とやっている。U に付き合ってその日本語ミサに出るときは、僕はわざと大声で歌うようにしているのだけど(本当に、あれだけガン首揃えて何をやってるんだ、あいつらは)、グレゴリオ聖歌の例を挙げるまでもなく、カトリックの典礼において歌というものは重要な意味があるので、こういうことをちゃんとやろう、というのには、僕も少しは助力しなければならぬ。

で、U がその譜面を準備しているときに、ふと僕にこう聞いたのだった。

「あのさあ、これの主旋律って歌うとどうなるんだろう?」

その譜面の一部を以下に示す:
典礼聖歌集266番

「あー……えーと、フラットが二つだから、ドレドシラシラソー、だな」

と、これを聞いて U が混乱を示したのである。

「え?ド?なんで?」
「え。『なんで?』って、なんで?」

あーそーか。U は子供の頃エレクトーンを習ってたんだったな。ひょっとして……

「……ひょっとして、最初の音がシじゃないの、とか言いたいわけ?」
「そうそう」
「いや、そうじゃないんだよ。これはフラットが二つだから、えーと、長調で言うと変ロ長調だろう?」
「うん」
「だったら B♭がドだよ」
「え?ドはドなんじゃないの?」

あ゛〜、やっぱりそうか。

「あのさあ、音名と階名は違うんだよ。分からんか?」
「え?だって、そんなの習ってないもの」

いや、別に U が怠慢なわけではない。おそらく U は本当に習っていないのだ。

音楽に関する情報交換をする上で、ある音を示すときには、実は二つある情報のどちらを、あるいは両方を示さなければならないのかを知らなくてはならない。たとえば、先の譜面の一番最初の音は、鍵盤で言うと:
keyboard-null
なわけだけど、「この音は何?」と聞かれたら、僕の場合は「B♭(ビーフラット)」と答えるだろう。これは英語圏の言い方で、クラシックの教育を受けた人だったら、ドイツ式で「B(ベー)」と言うだろうし、日本式で言うなら「変ロ」ということになるだろう。逆に、「その『B♭』っていうのは何?」と聞かれたら、「それは音名だ」と答えるだろう。そう、これが音名である。

しかし、
典礼聖歌集266番
を示されて、この旋律はどんなの?と聞かれたときが問題になるのである。おそらくクラシックの教育、もしくはそれに類する鍵盤楽器の教育を受けた人だと、

「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」

と答える人が、少なからず存在するだろう。これから説明を書くけれど、おそらくこれは、聴音などで音名を取らせるのに、難しいことを教えるのを避けて、音名と階名を混同して教育した結果なのである。

そもそも、さっきから僕は「音名」「階名」と書いているけれど、それって何なの?という話になると思うので、僕が理解している範疇で説明しておく。まず、「音名」というのは、これは音の名前である。調が何か、ということには依存しない。いついかなるときにも、
keyboard-Bb
は「B♭(ビーフラット)」もしくは「B(ベー)」、「変ロ」である。平均律であれば、これは「A♯(エーシャープ)」もしくは「Ais(アイス)」、「嬰イ」に等しい。

これに対して、階名というのは、その旋律を支配する音階の中のどの位置にその音が存在しているのか、ということを示す。たとえば先の:
典礼聖歌集266番
の場合、譜面の頭、B と E の場所にフラットがついていて、これはこの旋律の調が長音階で言うと変ロ長調(英語なら B flat major、ドイツ語なら B-dur)であることを示している。だからこの旋律の乗る音階の主音(ドの音)は変ロ = B♭である。つまり、

変ロ長調の階名と音名
階名 ファ
音名 B♭ C D E♭ F G A

ということになる。「いやこれぁ短調だ」とか(頑なに)言う人があるいはおられるかもしれないけれど、変ロ長調がト短調(英語なら G minor、ドイツ語なら G-moll)になっても、階名には何の変わりもない。いずれにしても、上表の対応関係に、先の譜面の音符をあてはめると、その階名は「ドレドシラシラソ」となるわけだ。

ではなぜ U は「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」と答えたのか。実は僕は U 以外にもこういう階名の読み方をする人に何人か会ったことがあるのだけど、おそらくは、幼少の折に聴音などの教育を受けたときに、指導者が、上に書いたような音名と階名の違いを子供に教える煩雑さを嫌って、「音名 = ハ長調・イ短調の階名」として教えてしまった結果だと思う。

もう少し正確に書くと、「音名 = ハ長調・イ短調の階名」という前提で、たとえば「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」と歌うのを「音名唱(固定ド唱)」、その調の階名で、たとえば「ドレドシラシラソ」と歌うのを「階名唱(移動ド唱)」という。ある程度の歳になるまで音楽教育を受けた人は、当然こういった(楽典に書かれているような)ことは知識として知っていて、本当はその調性に合わせて階名唱を行うべきだ、というのを分かっているはずなのだけど、こういうのを「三つ子の魂百まで」と言うのだろうか。

先日、ピアニスト・女優の松下奈緒氏がテレビに出ているのをたまたま観る機会があって、そのときに、対談相手がグラスを叩いたり、救急車のサイレンを聞かせたりして音名を答えさせていたのだが、松下氏は、「これはソのシャープですね」「これはミですね」と答えていた。まあ普通の人にも分かるように、ということなのかもしれないけれど、あるいは松下氏も、音名をさっと言うときに、U のような言い方をするのかもしれない。勿論、僕がここに書いたようなことは知っている、その上での話なのだけど。

着メロにはご注意を

皆さんは、ケータイの着メロというのをどのようにされているのだろうか。僕の場合は、自分の曲や他人の曲で気に入っているものを、自分でフォーマット変換して使うことが多いのだけど、今回は、それも善し悪しですよ、という話。

もともと、僕はずっと山下達郎の "SPARKLE" という曲を着メロに使っていた。どういう感じかというと……:

山下達郎 "SPARKLE" 着メロ(イメージ)

……こんな感じである。実際にはモノラルで、しかももう少しキツい圧縮がかかるので、それを前提としたデジタル信号処理をしてから着メロ化するのだけど、まあ同じ感じだと思っていただいてかまわないと思う。

この "SPARKLE" のイントロは、山下達郎が自ら演奏するカッティングソロで始まるのだが、これはとにかく着メロとしての聞き落としはゼロに近い。そういう意味では非常に有用なのだけど、いかんせん派手というか、人前でいきなりこれが鳴ると非常に目立つわけで、他に何かいいものはないか、ずっと探していたことがある。

静かな曲で印象的なイントロのもの……というと、やはり僕の好きな四人囃子の『レディ・ヴァイオレッタ』という曲がある。僕はこのインストゥルメンタル・ナンバーが昔から好きだったのだけど、色々考えた挙句、とうとうこれを着メロにしてしまった:

四人囃子『レディ・ヴァイオレッタ』着メロ(イメージ)

うんうん、なかなかいい感じだなあ……と、思っていたのだ、最初は。そう、最初は。

誤解しないでいただきたいのだけど、僕は今でもこの『レディ・ヴァイオレッタ』が好きだし、実際にいい曲だと思っている。しかし、だ。静かな曲で印象的なイントロ、というのは、実は「どきっ」とさせられるイントロなのだ、ということを、あまり深く考えていなかったのだ。

ちょっとした都合で、電話がかかってくるのを辛抱強く待たなければならないことが何度かあったのだけど、静かな部屋で、気を紛らわせるように書きものなどしているときに、このイントロが流れると……どきっ、とする。そう、どきっ、とするのだ。最初のうちはそれでよかった。しかし、それが何度も繰り返されると、このイントロで受ける「精神的衝撃」の度合いが、どんどん上がってくるのである。しまいには、このイントロが鳴ると、心臓をわし掴みにされたような心持ちになってくる。気がつくと、もうすっかり、このイントロを避けている自分がそこに居たのである。

こんな風に、好きな曲のイントロを「聞きたくない」ものにしてしまう、という危険性が、着メロの選択においては存在することを、僕は声を大に主張しておきたいのである。いや、本当、このイントロを聞く度に、今も僕の胸はギュン、と締め付けられるのである。おかげで現在、僕のケータイの着メロは「電話のベルの音」(こちらの方が「精神的衝撃」は小さいのだった)に設定されているのだ……

武道、スポーツ、そしてそれ以下

曲がりなりにも、子供の頃から武道と呼ばれるものをやってきた身として、今の「スポーツ」としての柔道には、どうにも疑問を感じてしまう。たとえば、剣道では「残心」というものを非常に重んじる。相手に対して一本取ったときも、そこで気を抜いたり他にやったりすることなく、何が起きても即応できる状態を維持し、備えておくこと、これが残心なのだけど、たとえば一本取ったとして、そこで諸手を上げてガッツポーズなどしたら、即刻主審はその一本を取り消してしまうだろう。そこに残心がなかったからだ。

この残心という概念は剣道だけのものではない。弓道や相撲、柔道でも、この残心というのは必ず聞くはずの言葉である。もし聞いたことがないという方がおられるならば、不幸なことだけど、それは指導者に著しく問題があったと言わざるを得まい。残心というのは、日本の武道に共通した、技術というよりはむしろ思想・スピリットに関わる重要な概念なのだ。

さて。今、中国でアジア大会というのをやっている。ここでも柔道の試合が数々行われていたわけだけど、このような国際競技としての柔道を見ていて痛感するのが、残心のなさである。一本の声がかかるやいなやガッツポーズをする選手の方が、今や多いのではなかろうか。このことから言わざるをえないのは、今の柔道が武道ではなくて、スポーツの一つに成り下がったということだ。まあ、国際化というものと引き換えにそれを失ったのが、講道館柔道というもののひとつの選択であるのならば、僕がどうのこうの言う問題ではないのかもしれない。しかし、技術や身体を鍛えておいて、それを御する精神性を養わない、というのは、これはどう見ても歪な代物だと言わざるをえない。柔道をやっている知人も何人かいるので、こういうことを書くのは本当に心苦しいのだけど、残念ながらそう書かざるをえないのだ。

ところが、最近の国際競技としての柔道は、そのスポーツよりも更に劣る代物になってしまったらしい。それは日本のせいではなく、勝つことを、そして強者として振る舞うことを他の全てに対して優先するような連中のせいである。

まずは、以下の URL を御参照いただきたい:

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/other/101115/oth1011151202024-p1.htm

女子柔道の上野順恵選手である。今回のアジア大会で金メダルを勝ち取ったのだが、左目の下に内出血を起こし、目が開かない程に腫れ上がっている。通常、柔道でこのように目が腫れるということはないはずなのだけど、実際このように腫れているというのは、あるべからざる何事かがあったということである。

上野選手は、準決勝で北朝鮮のキム・スギョン(김수경)と対戦したのだが:

表彰台の中央で、ひと際目立ったのは青黒く腫れた左目。準決勝のキム・スギョン(北朝鮮)戦で、開始早々に相手のこぶしをまともに受けた。組み手争いのアクシデントか思いきや、「5、6発殴られた」という。

主審は相手の反則を取るどころか、うずくまる上野に試合続行を促す始末。だが、アウエーの洗礼にしおれるどころか「イラっときた。絶対に勝ってやろうと火がついた」。延長戦で優勢勝ちし、目がふさがった決勝もさらりと一本勝ちだ。

(MSN 産経ニュース、元記事リンク

……ということがあったのである。僕はこの対戦のビデオでのプレイバックを実際に見たのだけど、衿へ指を伸ばすようにして指先で目を突く行為が何度となく行われており、目を押さえて蹲まる上野選手を見ても、主審は「待て」をかけるどころか、立ち上がって組むように促しているのだ。しかも、その後に場外で「待て」がかかって身体を離すときに、このキム・スギョン(選手とは呼びたくない)は上野の目に肘で突き入れすらしている。全てビデオで確認可能であったために、全日本柔道連盟の上村春樹会長から、国際柔道連盟に映像添付の上で検証を求める文書を提出したそうだが、それにしてもひどい話である。柔道で勝てなければ何をしても勝てばいいのか?北朝鮮人というのは、特に「恥」を恐れる国民性だという話があるのだが、こういうことに恥を感じないのだろうか?

そして柔道に関する疑惑はこれだけではない。女子48キロ級の福見友子選手は、決勝戦で明らかに優勢であったにも関わらず、モンゴル人の主審、韓国人の副審が対戦相手(中国の呉樹根……これも選手と言いたくない)側である白旗を上げ、決勝で敗北という結果になってしまったのである。

地元判定に負けた福見=アジアの不条理受け流す−アジア大会・柔道女子

最後まで逃げた相手をつかまえきれなかったこと以外、福見に落ち度はなかった。だが、3本のうち2本の旗が中国の呉樹根を支持。熱狂する観客席とは対照的に、関係者の間にはしらけた空気が流れた。

延長の3分を加えた8分間、小内刈りや寝技で攻めた。相手は、まともに組まなかった。敗者は「投げないと意味がない。勝っていたとしても満足はしていなかった」と淡々。地元びいきの判定を下した審判に、不満を表すことはなかった。一方、判定について問われた勝者は、「延長の序盤は相手が攻めたが全体的に自分がやや上回った」と周囲の誘導を受けながら答えた。

全日本柔道連盟の吉村強化委員長は、怒りを通り越し嘆いた。「今までの国際大会で、これほどひどい審判は見たことがない。勝負の世界でここまでやるとは」

9月の世界選手権で浅見(山梨学院大)に敗れた福見にとって、今回は勝っておくべき大会だった。思わぬ銀メダルに「先を見ているから、通過点としてしっかり受け止めたい」。アジアの不条理は考えず、国内の高レベルの争いを制してロンドン五輪に向かおうとだけ思っている。(広州時事)

(2010/11/16-21:48, 時事ドットコム

明らかに場内の異常なまでの声援に煽られてのこと(もっとも、そんなものに煽られるような奴が審判をしてはいけないのだが)としか思えない。レバノン人の副審は毅然として青旗を上げていたけれど、この試合をビデオで見た山口香氏はこう言っていた:
この試合は、100人中98人は福見選手に旗を上げるでしょう……ああ、残り2人というのはこの主審と(白旗を上げた韓国人の)副審ですけど。
皆さん、機会があったら是非ご覧いただきたい。こんな試合が国際レベルで行われてるようでは、柔道という競技自体の質が問われかねない。スポーツ以下だと言われるようでは、これはもう大問題なのではないだろうか?

珍しく、壁紙をいじる

そう言えば、世間の人達は、僕が Linux を使っている、と聞いて、どうやって?と思わないのだろうか。普通の PC に Microsoft Windows が入っているときは、スイッチを入れるとまず BIOS が立ち上がって、ハードウェアのチェックがかかって、そして Windows の起動画面が……あれれ、Thomas 氏は Windows と Linux と両方使ってるみたいだけど、どうやっているんだろう?……なんて問い合わせが来たことは、今のところないはずだ。

昔、Windows 98 位までの時期には、僕は loadlin というプログラムを用いて Linux を起動していた。当時は、Windows の起動シークェンスをいわゆる batch file で規定していたから、この batch file を書き換えて、Windows 起動と loadlin 起動を選択できるようにしておく。loadlin 側を選択した場合、Windows のコマンドモード上で:

c:\loadlin c:\linux\boot.img root=/dev/hda2 ro
なんていう風に引数を指定して loadlin(.exe) を実行する。loadlin は、第1引数で指定したファイルをメモリ上に展開し、root= 以下に指定したパーティションを root partition としてマウントしてやる。後はマウントされたパーティション上にある boot sequence に従って Linux が起動される、というわけだ。

この loadlin は本当に重宝した。Windows だけでなく、DOS 系の OS だったらまず問題なく使えたし、脆弱な Windows もコマンドモードではゾンビのように強いので、いついかなるときも確実に Linux を起動させることができた。僕のような使い方をしている場合、ネットワーク(や、当時だったらモデム)越しにサーバの再設定をして、回線越しに reboot をかける必要が生じることがままあったけれど、loadlin で boot するようにしてある端末には、安心して reboot をかけられたものだった。

しかし loadlin には致命的な問題がひとつあって、ある大きさを超えた boot image を読み込むことができない。そして、Windows が NT 系の OS に移行してからは、コマンドラインで loadlin を使うことも難しくなってきた。実は loadlin 以前から、Linux の世界には LILO と呼ばれる boot loader が存在しているのだが、僕はこの LILO の脆弱さを嫌っていて、どうしても使いたくなかった。そこで、Windows NT が持っている boot loader を使う方法に移行していくことになる。

これは、Linux の root partition の先頭 512 バイトをダンプしたファイルを用意しておいて、Windows の boot loader の挙動を設定する boot.ini を書き換えて、Windows を load するか、このダンプしたファイルを load するかを選択する、というものだけど、kernel を入れ替える度にこの 512 バイトのダンプをやり直す必要があった。最初のうちは、まだ Linux が NTFS を読めなかったから、これのためだけに小さな FAT のパーティションを切っておく必要があったりして、面倒なことこの上なかった。

そんなことをしている時に、ついに登場したのが GRUB であった。GRUB はシェルを持っているので高機能だし、おまけに distro のインストール時にインストーラに任せてしまっても確実にインストールできる。Debian GNU/Linux の場合は、kernel のコンパイル→インストール時に、自動的に GRUB のアップデートまでやってくれるのだ!こんな便利な話はない。

というわけで、あまり何も考えずに GRUB を使っている。しかし、たまには少しはカスタマイズをしてもいいだろう。GRUB の起動時に出る壁紙を、気分転換に変えてみることにする。GRUB の壁紙は、/usr/share/images/desktop-base/desktop-grub.png なのだけど、これは symbolic link になっていて、本体は /etc/alternatives/desktop-grub になっている。しかし /etc/alternatives/desktop-grub を見てみると、本体は /usr/share/images/desktop-base/spacefun-grub.png であった。うーむ……で、このファイルを見てみると、1024×768 の 24 bit PNG ファイルである。ふーん。これならそこらで公開されている壁紙をちょいと変換すれば、そのまま使えそうである。手元にあった Maxfield Parrish の絵を変換して指定してみたものが、こんな感じである:grub-screenshot.jpg

油絵は画素が粗くなっても結構見てくれが悪くならないので、こういうときはいい感じである。

Xが終わるかもしれない

僕が Linux を使っているのは、ここをお読みの方の多くがご存知だと思うけれど、僕が Linux を使い始めてから現在に至るまで、基本的には同じ GUI システムを使い続けている、と書くと、驚かれる方が多いかもしれない。

Linux に限定した話ではないけれど、いわゆる UNIX 系の OS 上では、GUI 環境を提供するためにはX Window Systemが使われ続けてきた。もちろんこれには例外もあって、たとえば僕が1990年代に使っていた NeXT、そして現在の Mac OS X に至る系譜などはその代表的なものだろう。しかし、ほとんど全ての UNIX 系 OS で X が提供されてきたことは事実だし、先の Mac OS X においてですら、X11 for Mac OS X というツールキットが提供されている(リリース時のプレスリリース)。

このような X Window System だが、その最初のリリースは1984年である。僕にも馴染みの深い X11 と呼ばれるバージョンが世に出たのが1987年で、それ以来、現在に至るまで、この X11 をベースとした X のディストリビューションが使われ続けている。たとえば僕が現在使用している(勿論、これを書いているのも X 上で動作する Google Chrome 上である)のは X11R7.5 である。

昔は、X というと UNIX においては巨大なシステムという位置付けで、新しい X が出ると、夕方からごそごそ設定をして、"make world" と入力して居室を後にし、翌朝に「どうなったかなー」とドキドキしながらディスプレイを覗き込む……なんてのが恒例行事だった。この「恒例行事」は、他にも gcc とか Emacs とかで行われていたわけだけど、僕の場合でも最近は自力で構築するのは Emacs 位で、X や gcc などは、Debian GNU/Linux のパッケージを使うようになってしまった。便利になったと思う反面、何となく寂しいような気もする。

まあそんなわけで、そうやって make した X をインストールして、フォント周辺の問題をクリアしたところで、自分の好みの Window Manager を立ち上げて GUI システムを使っているわけだ。昔だったら FVWM(現在の version 2 になってから使わなくなったのであった)、現在は GTK+ ベースの Xfce4 を使用している。これはこれで至極落ち着いた、いい意味で枯れている GUI 環境である。

ところが、だ。この X Window System が使われなくなるかもしれない、という話が、最近あちこちで聞こえつつあるのだ。この話の端緒は、今月の4日に、Linux のディストリビューションとして最近最も成功している Ubuntu の創始者である Mark Shuttleworthが書いた blog である。彼は Ubuntu の軽量デスクトップ環境である Unity に、X Window System ではなく Waylandを採用する、とこの blog に書き、発表したのである。他にも、Intel の携帯電話向けディストリビューションである MeeGo や、Fedora なども Wayland を導入する意向を示している。

Wayland は、軽くシンプルなディスプレイサーバ環境を提供することを目指して、2008年から開発されているシステムである。Linux のカーネルに搭載された Direct Rendering Manager (DRM)……コンソールでの日本語表示のために、僕のような CUI ユーザにもお馴染みのものである……を使用している。実際、非常に軽い(そもそも画像のちらつきがないことを目指しているらしい)ようで、Ubuntu は新リリース 10.10 の PR として、以下のような動画を公開している:

この Wayland は、X との互換モードを有しているので、現在存在する X ベースのアプリケーションを Wayland 上で動作させることができる。日本語環境を含む国際化の問題がクリアされたら、僕もこの環境を取り入れる日がくるのかもしれない。

チョークの線

歳のせいだとは思いたくないのだけど、最近、世間の風というものの冷たさを痛感するときがある。

今年の春のことだったと思うけれど、たまたま市役所で手続をする用事があって、ある窓口の椅子に座って市役所の職員とごにょごにょやっていたとき、隣の窓口に、僕と同じ位の年齢の男性が、男性の職員と何やら話していた。この職員が、どういう訳なのかやたらと詰問口調なのである。

「どうなんですか、分かってるんですか?」
「はぁ……」
「はぁ、じゃないですよ。そんなことでは支給できません」

支給?そこでようやく、僕は事情を察したのだった。隣の窓口は、生活保護の申請を行っている部署だったはずだ。あの男性は、おそらく生活保護受給の申請に来たのであろう。しかし、応対する市役所職員の態度は、到底そういう「福祉的」なニュアンスなど感じられないものだった。

僕は、たまたま今まで、そういうことにならずに来ている。幸いにして子供もいない。しかし、僕と同じ位の年齢で、たとえばうつなどの理由で離職を余儀なくされた人で、こんな風に生活保護申請に来ている人がいたとしても、何の不思議もない。仕事ができるものならしたいのかもしれないが、40代にもなろうという年齢でうつの既往歴があったら、(これは保証してもいいと思うけれど)トヨタグループ各社をはじめとするこの地区の会社で、雇うどころか、まともにとりあってくれる企業など、おそらく皆無だろう。

いや、最近はうつもポピュラーで……などと仰るあなた。実情を知らないにも程があろうというものだ。まともに雇ってくれる口もなくて、たとえば「うつを理由に不当な扱いを受けた」などと言って、労働基準監督署に駆け込んだとしよう。労基署が何をしてくれるか。これも保証してもいいと思うけれど、彼らは何もしてはくれない。それがこの地域の現状である。

じゃあバイトでもしよう、と思っても、この地域では、コンビニでバイトするにも要普免、というのが常識である。コンビニも雇ってくれない。ならば新聞配達はどうか。自転車で配達をしようにも、「この辺のサービスエリアは広くってさぁ」と婉曲に断られるのが関の山である。クルマに乗らずんば人に非ず。それがこの地域の現実である。

まあ、クルマの話はさておき、僕位の年齢で失職した人間は、おそらくこの国のどの地域に住んでいても塗炭の苦しみを舐めることになる。とにかく職が見つからない。年齢で断わられ、キャリアで断わられ、うつだったらその既往歴で断られ……一度そういうことでドロップアウトしたら、まるで「死ね」と言われんばかりのことを、山のようにつきつけられることになる。それはそれは非道いものだ。

ここを読まれている方々は、そういう世界は自分の暮らす世界と全く別種のものだ、と思っていやしないだろうか。これも保証していいと思うけれど、断じてそういうことはない。そうやって失職している人々と我々の間には、我々が思っている程の隔てなどない。それはあたかも、チョークで引いた線のようなものだ。

そのチョークの線は、傍目で見れば、見落としてしまいそうなただの線に過ぎない。しかし、その線のあちら側とこちら側で、その認識は絶望的な程に異なっている。まだこちら側にいる人にとってはそれは単なる線に過ぎないが、向こう側にいる人にとって、それはまるで見上げると上が遥か空に霞んでいる高い高い障壁なのである。

先に書いたような状況で失職している者にとって、仕事を探しても見付からない、というのは、これは本当に過酷なことである。失業保険もそのうち尽きる。電話だって止められるかもしれない。ネットだって使えなくなるかもしれない。そうなったら就職活動もおぼつかない。何処かしらかで説明会があるらしい。けれど交通費を捻出できない。書類を送って面接にこぎつけた。面接に来なさいと言われたけれど、その片道の交通費が捻出できない。行ければ、往復の交通費を支給してくれるらしいけれど、まずそこに行きつくことができない。そうして、彼、もしくは彼女は思うのである。ああ、どうせダメなんだ。自分は、どうせダメなんだ。

この「どうせ」というのが、チョークの線の向こう側にいる人々を縛り、苦しめるものの正体である。暮らせない?仕事探せばいいじゃない?バイトすればいいじゃない?生活保護受ければいいじゃない?そんなことをあれやこれやとトライする前に、彼らは絶望にがんじがらめに縛り尽くされているのである。彼らの抵抗は、この社会の無関心や不寛容や、そういったものにことごとく芽を摘まれてきたのである。そして彼らは絶望し、誰かにアクションを促されても「どうせ」としか言葉が出てこないのだ。

これを荒唐無稽な話だと思われるだろうか。ネットで少し探せば、こういう話はいくらでも転がっている。最近ニュースサイトで出ていたけれど、医者に行って「3000円でなんとかなりませんか」と言う人がいるという。これをケチだとかシミッタレだなどと言ってはいけない。実際に、その3000円がなければ、ライフラインや、就職のための連絡手段や、日々の食事に不足を来すような生活をしている人が存在しているのだ。何度でも繰り返すけれど、これは事実なのだ。

僕は幸いにして、そのチョークの線の存在を知ることができている。しかし、ここを読まれている方の中で、このチョークの線の断絶というものがどれ程深刻で、過酷なものであるか、実感できる方が果たしてどれ位おられるだろうか。ましてや、政党交付金を含めたら一年に四千万も貰っている国会議員の方々に、それが実感できるのだろうか。少なくともひとつだけ言えるのは、実感できているならば、あんな政治情勢には絶対になってはいないだろう、ということである。

脱力

このところ、ニュース等を見る度にげんなりするんだけど、今日のニュースには本当に脱力してしまった:

レアアース代替素材「中国と共同研究」 経産相

大畠章宏経済産業相は16日午前の閣議後記者会見で、「中国とレアアース(希土類)の代替材料やリサイクル技術を共同研究したい」との意向を示した。アジア太平洋経済協力会議(APEC)開催中の13日に張平・中国国家発展改革委員会主任と会談した際に、伝えたことを明らかにした。

経産相はレアアースの荷動きについて「未確認だが、少し変化が出てきているとの情報もある」と説明。19日には企業に現状の様子を聞いたアンケート結果を発表する。

(2010/11/16 10:52 日本経済新聞)

……これはギャグですか?まさか本気で言ってるの、これ?

海上保安官死傷の噂

尖閣ビデオの一件に関して、以下のような噂が出回っているのは、皆さんも耳目にされたことと思う:

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1150153841

この件に関しては、リンク先にも書かれているように、死亡者が出たことはガセだ、等の話も出回っていて、果たして何が事実で何が虚飾なのかは判然としない。しかし、このような話を荒唐無稽と片付けるのはいささか早計だと言わざるを得ない。なぜなら、同じような話が、実際に韓国で起こっていたからだ。

韓国においても、中国漁船の違法操業による漁業問題は極めて深刻なものである。ただ、日本の場合と違うのは、韓国はこれらの違法操業に対して、断固処罰するという態度で臨んでいるということである。一説によると、韓国が拿捕する中国漁船の数は年間数百隻にものぼると言われている。

中国漁船の中には、このような取締りに対して暴力を以て対抗しようとするものもあるらしい。そして、以下に示す通りの事件が発生したのだ:

「海上警察、中国船員が振り回すシャベルで墜落死」

中国漁船の不法操業を取り締まっていた木浦(モクポ)海洋警察署のパク・キョンジョ警部補(48)は、中国船員が振り回したショベルに当たった後、海に落ちて死亡したことが分かった。 パク警部補は25日午後7時20分ごろ、全羅南道新安郡(チョンラナムド・シンアングン)可居島(カゴド)沖の海上で、不法操業をしていた中国漁船を検問する際、事件にあった。

木浦(モクポ)海洋警察署が、事故当時に海域に出動した3000トン級3003警備艦が撮影した映像を分析した。パク警部補は検問のために中国船員の抵抗を受けながらも漁船の甲板に上がり、警棒を持って船員らと激闘を繰り広げた。 中国船員らは船に乗り込むパク警部補に石の錘を投げ、鉄パイプ・シャベル・角材などを振り回しながら激しく抵抗した。

抵抗を受けながらもパク警部補が船に乗り込むと、中国船員3人が駆けつけた。 1人はシャベルで、もう一人は角材でパク警部補を攻撃した。 もう一人は両手でパク警部補を押した。

パク警部補を後に続いたイ巡査(28)とホン警長(39)は中国漁船に乗り込めず、鈍器で殴られ、警備団艇にそのまま倒れた。 ともに出動した別の警備団艇は付近の中国漁船4−5隻に妨げられ、問題の中国漁船に接近できなかった。

当時負傷したイ巡査は「あらゆる凶器が乱舞し、生き地獄のようだった」と語った。 警察関係者は「パク警部補は甲板に上がってから10秒ほどショベルで殴られ、甲板の下に落ちたとみられる」と話した。

逮捕された不法操業漁船は17トン級の船で、中国遼寧省に住む河新権(36)が船主兼船長。 3003艦はパク警部補が中国漁船に乗ったままだと判断して追撃したが、26日午前、事故海域から北西側100キロの海上で漁船だけを捕まえた。

パク警部補の遺体は行方不明になってから17時間30分後となる26日午後1時10分ごろ、事故海域から南に6キロほど離れたところで、首に警棒をつなぐひもが絡まったまま発見された。

海洋警察はパク警部補を死亡させ、警察6人にけがを負わせた容疑で、中国漁船の船員11人に対して逮捕令状を請求した。

(2008.09.29 14:12:09, 中央日報 Joins.com)

引用元:http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105374

中国漁船で海警が死亡

検問警官4人が抑留、殴られる

木浦海洋警察署パク・キョンジョ警衛が中国漁船を検問中に死亡したその2日前に、同じ艦艇所属警察官の4人が中国漁船に抑留され、集団で暴行を受けていた事実が明らかになった。

30日、木浦海洋警察署によると先月23日午後3時30分ごろ、韓国側排他的経済水域(EEZ)である全南新安郡黒山面可居島海域で、中国漁船の不法操業を取り締まっていた3000トン級3003艦は、警察官10人ほどを乗せた高速ボート2隻を出動させ、中国漁船に対して検問を行った。

キム某巡査と中国語通訳担当ら4人が中国漁船に乗りこみ、万が一の事態に備えてこの漁船の船長は高速ボートに乗せ、3003艦に移動させた。

キム巡査らが中国漁船に対する検問を始めると漁船は逃亡を試み、近くで無線連絡を受けた中国船舶50隻が群がってきた。中国漁獲物運搬船乗組員20人は韓国の警察官に鉄パイプや棒を振り回した。キム巡査ら2人は、頭や腕、足などにけがをして、現在、入院治療中だ。

中国漁船に監禁された警察官たちは韓国側が中国船長を解放した後、ようやく艦艇に戻ることができた。3003鑑側は当時、高速ボートが漁船と衝突して負傷を負ったと木浦海警に虚偽の報告をしていた。

海洋警察庁はこの日、該当の事件に対する監察に着手した。

(2008.10.01 10:05:21, チョン・チャンファン記者/中央日報 Joins.com)

引用元:http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105465

こんなことが、2年前に実際に韓国で起きていたわけで、今回の事件に関しても、臨検の場面等が公開されない限り、ネット上での噂が消えることはないだろう。早いところ、未編集のビデオをそのまま内閣府のサイトなどで公開してしまえばいい話なのだけど、どうしてそういうことができないのだろうか。

これは国策捜査である

尖閣諸島沖のビデオ流出事件に関して、警視庁は今日も取調べを行っているらしい。しかし、こんな話が漏れ聞こえていることを、皆さんはご存知だろうか?

船長は釈放で、保安官は有罪?映像「秘密」に疑問

神戸海上保安部の保安官が流出への関与を告白という急展開を見せた10日、海上保安庁には激励の声が殺到した。同保安部や上部組織にあたる第5管区海上保安本部には電話やメールが計900件超寄せられ、大半は「保安官は悪くない」といった意見だった。一方、今回流出した映像が守秘義務の対象に当たらず、保安官は立件されないと指摘する声も出ている。

「中国人船長は釈放で、保安官は罰するのかという意見は理解はできる。相当難しい判断になるだろう」。ある検察関係者は、立件に踏み切る姿勢を評価しながらも険しい表情を見せた。

保安官にかかる容疑は国家公務員法の守秘義務違反。問題の映像が「秘密」に当たるのか疑問視する声は多い。同法は「職員が職務上知ることのできた秘密を漏らしてはいけない」と規定。77年の最高裁決定は「実質的に秘密として保護するに値するものをいい、国家機関が形式的に秘密指定をしただけでは足りない」との判断を示している。

映像はすでに一部の国会議員に公開され、見た議員が衝突シーンを報道陣に説明するなど内容はすでに広く伝わっている。ある検察関係者は「流出時に秘密だったと言えるかどうかは議論の余地がある」と指摘。保安官が所属する神戸海上保安部は本来、映像に接する機会がない部署で、検察関係者は「職務上知り得たと言えるのかどうかという点でも疑問が残る」と首をかしげた。

ある警察幹部は「国家公務員法違反に当たるかどうかの判断は極めて微妙で、政治的。今回は官邸がそこを判断して捜査させられている」と話した。法曹関係者は「映像は捜査情報であって機密情報には当たらない」と指摘。捜査側が保安官の刑事責任を追及すればするほど国民の知る権利を侵したととらえられかねず、捜査は難航しそうだ。

一方、仙谷氏は「専門家が見れば、追跡方法、証拠を集める資機材の種類などが分かる。秘匿を要する情報だ」と指摘。流出後も政府が全面公開しない理由について、流出させた人物の量刑が下がる恐れを指摘した。

(2010年11月11日付 Sponichi Annex より転載)

つまり、今回の事案が逮捕事案かどうか、警察側も決めかねている状況だというのだ。

仙石官房長官の発言などからも、今回の事案を逮捕事案として扱いたい、という意思がそこにあるのは明白であろう。しかも、今回は警視庁と検察庁が同時に動く、という、この規模の事案としては極めて異例の捜査体系でことが運ばれている。僕は、このような状況で捜査が行われている現状を言い表す日本語をひとつしか知らない。それはこの単語だ:「国策捜査」 この異常な状況に対して、我々が抱いているこの違和感を、どうか皆さん忘れないでいただきたい。何度も書くけれど、今回のこの捜査は、明らかに国策捜査なのだ。

海上保安官取調べ中

今日の昼前、日本テレビが大スクープをものにした。尖閣諸島のビデオ流出事件に関して、神戸の第五管区海上保安部所属の海上保安官が、乗船中に上官に対して「自分が流出させた」と告白し、現在第五管区海上保安部内において警視庁の捜査官の取調べを受けている、というのだ。

海上保安官が流出させた、ということに関しては予想の範囲内だったのだが、神戸の第五管区だったことは、正直言って予想外であった。まあ、9月のある期間において、石垣島にあったプレス用に編集された動画が、海保庁内において自由にアクセス可能な状態にあった、という話なので、物理的にはおかしくも何ともない話ではある。

ここで声を大にして主張しておきたいのは、今回の事案を単なる公務員の守秘義務違反に矮小化してはならない、ということである。そもそも、問題となっている動画はなぜ公開されなかったのか、公開されなければならなかったのではないか、という問いかけを、我々は忘れてはならない。トカゲの尻尾切りにしてはいけないのだ。

そして、今回の件に関して、自民党は馬渕国交大臣と仙石官房長官が辞任しない場合、参議院への問責提議をも辞さない、と表明しているらしい。まあ馬渕の首を切ってどうこうという話ではないと思うけれど、やはり仙石の責任は問われるべきだし、それを聞こうともしない仙石の傲慢さは、糾弾されてしかるべきだろう。この件に関しても、海保庁長官辞任という「トカゲの尻尾切り」で済ませてはいけない(そもそも鈴木海保庁長官が辞任するような話ではないと思うのだけど)。この点も、我々はまた忘れてはならないのだ。

今後の推移を、我々は注意深く見守っていく必要があるだろう。僕も何かあったらまた何か書くかもしれない……いや、僕は別にその筋の専門家でも何でもないんだけどね。

「秘密」の定義

尖閣諸島ビデオ流出事件においては、神戸の漫画喫茶から画像が投稿されたとの情報が流れている。管内閣は、今回の事件を、公務員の守秘義務違反事案として取り締まる気がマンマンのようであるが、この何日かの間に「あれは『秘密』と言えるのか?」という議論が噴出している。

国家公務員法における諸問題に関しては先日 blog に書いたとおりであるが、あれの最大前提として、「秘密を侵した」ということが求められるわけだ。で、あの尖閣ビデオは「秘密」なのか?という話になるわけだけど、そもそも法における秘密の定義って何なんだろうか。

おそらく、この手の法律で言うところの秘密の定義は、以下のようなものと考えられる:

一般的に了知されていない事実であって、それを一般に了知せしめることが一定の利益の侵害になると客観的に考えられるもの
もっとくだけた表現をするなら、「秘密」とされるものの条件というのは:
  • 知られていないこと
  • それが知られることで何かしら利益が損なわれる(と客観的に考えられる)もの
ということであろう。これに照らして、今回のビデオが「秘密」なのかどうか、を考えると……まず、映像それ自身に関しては、国会議員と一部の公務員以外には知られていない。しかし、国会議員の証言などを元に、その内容が CG として再現されたものがひろくメディアで流布されているわけで、この状態において「一般的に了知されていない」と言えるかどうかは、ちょっと首を捻らざるを得ない。

そして、あのビデオの内容が知られることで客観的に利益が損なわれるようなことがあるのかどうか、である。今回の場合は、中国政府の態度が硬化する、というのが「利益が損なわれる」というのにあたるのだろうけれど、これは先方の意向なのであって、日本の法体系で規定・保証されたかたちで、何者かの利益が損なわれているというわけではない。

おそらく仙石はこう言うんだろう:「現政権の利益が損なわれていることは明々白々な事実である」と。しかし、だ。日本の法体系の範囲内で「それを一般に了知せしめることが一定の利益の侵害になると客観的に考えられる」のだろうか?現政権が利益を損なわれたと考えているだけでは不十分だ。なにせ「客観的に考えられる」ことが求められているのだから。

というわけで、各方面から「あれって秘密じゃねーんじゃねーの?」という疑問が噴出しているわけだが、東大法学部3年で司法試験に合格、東大を中退した仙石は、この辺を法曹として何もちゃんと説明していない。ぜひ、法的な根拠を以て、あれのどこが秘密なのかを示していただきたいものである。

夜のピクニック

僕の出身高校の先輩にあたる人の一人に、小説家になった女性がいる。彼女の名は恩田陸というのだが、皆さんもご存知の通り、『夜のピクニック』という小説で、第二回本屋大賞を受賞した人である。

水戸を舞台に映画化されたこの小説の影響だろうか。最近あちこちの高校で「24時間ウォーク」なるものが行われているらしい。しかし、僕を含めたあの高校の出身者から見たら「はぁ?」みたいな話である。あの小説の舞台になっている、水戸一高の「歩く会」は、単に歩くだけの会ではないのだ。

「歩く会」は毎年開催される。この会に参加するために、水戸一高の生徒は体育の時間に 6 km 程のクロスカントリーコースを毎回走る。これは水戸一高の生徒にとっては当たり前のことなのである。そして開催される「歩く会」だが、歩くのは「集団歩行」と呼ばれる、スタートから大体 50 km 程度の地点までである。集団歩行後、休憩・仮眠をしてから、「自由歩行」と呼ばれるステージに移行する。「自由歩行」だから、もちろん歩いても構わない。遅れた生徒を回収するためのクルマに追い付かれない程度の速さで歩いていればいい。しかし、この「自由歩行」は順位をつける。だから、水戸一高のほとんどの生徒は、この「自由歩行」の 30 km 弱の距離を走るのだ。勿論、50 km を歩いた、その後に、である。

僕は水戸一高の応援団に結構知り合いがいたのだけど、旧制中学時代からの伝統を背負った彼らは、学ランに朴歯の高下駄を履いて「歩く会」に参加する。しかも旗手は旗を持って、である。下駄の鼻緒で足は惨いことになるのだが、自由歩行のとき、彼らは手に下駄を履かせて裸足で走る。僕が高校生だった時代でも、これだけキツいことをする高校生というのはそうそういなかったと思うけれど、彼らは飄々と毎年これをやるのだ。

僕はあまりこういう行事で張り切る方ではなかったのだけど、三年のときは最後だということもあって結構頑張って走った。今でも覚えているのだけど、ゴールインした後、部室棟で着替えようと思って棟に入ったとき、ふと顔を触るとどうもザラザラする。入口を入ってすぐ右側に鏡があったので、それを覗き込んでみると、顔に白い粉が付いている。手で擦ると、その粉がはらはらと落ちて、そのときようやく僕は、自分の顔に塩をふいていることに気付いたのだ。まあ、ちゃんと走ると、そういう感じである。

しかし、このような行事を毎年行っていて、しかも生徒の9割以上が完歩(感覚としては完走に近いのだけど)して、しかも僕の在学していた頃には、東大に毎年20人位入っていた。水戸一高はそういう学校だったのだ。そして「歩く会」も、単に皆で仲良く和やかに集団歩行するだけの会ではなくて、後半にはちゃんと競い合う厳しさというものがあった。だから、「24時間ウォーク」などと聞いても、僕達にしたらちゃんちゃらおかしな話なのである。

内部告発者の罪とは

尖閣諸島沖における中国漁船の問題で、ビデオ画像を公開したのが誰なのか、目下犯人探しが進んでいるようである。正直言って、刑事事件としても処分保留・被疑者釈放となってしまった事件の証拠物件に対して、公開がそれ程の問題になるとも思えないし、そう扱うべきでもない、とは思うのだが、一時期とは言え国家公務員であった僕としては、どうしても気になる問題がある。

国家公務員法という法律がある。この国家公務員法、通称公務員法で、公務員の守秘義務が以下のように規定されている:

(秘密を守る義務)
第百条  職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。
○2  法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表するには、所轄庁の長(退職者については、その退職した官職又はこれに相当する官職の所轄庁の長)の許可を要する。
○3  前項の許可は、法律又は政令の定める条件及び手続に係る場合を除いては、これを拒むことができない。
○4  前三項の規定は、人事院で扱われる調査又は審理の際人事院から求められる情報に関しては、これを適用しない。何人も、人事院の権限によつて行われる調査又は審理に際して、秘密の又は公表を制限された情報を陳述し又は証言することを人事院から求められた場合には、何人からも許可を受ける必要がない。人事院が正式に要求した情報について、人事院に対して、陳述及び証言を行わなかつた者は、この法律の罰則の適用を受けなければならない。
○5  前項の規定は、第十八条の四の規定により権限の委任を受けた再就職等監視委員会が行う調査について準用する。この場合において、同項中「人事院」とあるのは「再就職等監視委員会」と、「調査又は審理」とあるのは「調査」と読み替えるものとする。

で、これに違反するとどうなるか、だけど、これも国家公務員法に規定があって、

     第二款 懲戒

(懲戒の場合)
第八十二条  職員が、次の各号のいずれかに該当する場合においては、これに対し懲戒処分として、免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる。
一  この法律若しくは国家公務員倫理法 又はこれらの法律に基づく命令(国家公務員倫理法第五条第三項 の規定に基づく訓令及び同条第四項 の規定に基づく規則を含む。)に違反した場合
   第四章 罰則

第百九条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
(中略)
十二  第百条第一項若しくは第二項又は第百六条の十二第一項の規定に違反して秘密を漏らした者
ということで、今回の画像公開が内部告発によるものである場合には、国家公務員法の規定からみると、まず「免職、停職、減給又は戒告の処分」が適用され、その上で「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」という罰則が適用される可能性が大きい。まあ、ああいう告発をするからには、おそらくは職を賭して行ったのだろうと思うけれど、もし告発者が同定されたら、内部告発者の保護という観点からも、弁護士会辺りに大弁護団を作っていただきたいものである。おそらく国民は皆、そうあってほしいと思っているだろうから。

ジャムを煮る

秋になると毎年必ずすることがある。大したことではないのだが、まあタイトルの通りで、ジャムを煮るのである。ジャムなんか作るんですか?とよく驚かれるのだけど、別にそんな大したことではない。実家では母が毎年煮ていたし、U の実家でも毎年御母堂が煮ていたのだそうだ。作り方も別に何も難しいことはない。

守らなければならないことが二つだけある。これを守りさえすれば、後は大概どんな風にやっても失敗することはない……ああ、勿論、ズボラしていて焦がしてしまう、なんてのはダメなわけだけど。一応、ちゃんとやり方を書いておくことにしよう。

用意するのは、まずは林檎。これは後程詳しく書くけれど、必ず「紅玉(こうぎょく)」という品種を使うこと。どこぞのパティシエがどんな他の品種を使っていても、どこぞの料理評論家が何をほざいていようと、そんなことは無視すること。日本で通常入手できる林檎の場合、加熱調理する林檎の料理の失敗の最大の要因が、紅玉以外の品種を使うことであるから、ここは何が何でも厳守すること。だいたい1個が200数十グラムというところだろうから、片手鍋で煮るなら3〜4個あれば足りるだろう。

そして砂糖。一般に、ジャムは焦げつくのを防ぐのと出来上がりの色目を良くするためにグラニュー糖を用いることが多いが、林檎のジャムに関しては三温糖でも問題ない。林檎の重量の 30% を目安に、林檎の熟し具合を見て量を加減する。芯を抜いて8等分して、厚さ 1〜2 mm 程度にスライスした林檎を鍋に入れ、砂糖を加えてから全体を木杓子でかき回し、砂糖と林檎が馴染んだところで火を点ける。やや強めの火で、林檎から出た水分が上がってくるまで炊いたところで、火を弱め、時々かき混ぜながら、好みの粘度になったところで出来上がりである。上品な感じにしたいなら、皮を剥いて、剥いた皮はガーゼを袋にしたものの中に詰めて一緒に炊くとよい(皮を一緒に炊くのが重要である……色の問題もあるが、皮から出るペクチンがジャムに適度な粘度を与えるので)。これだけである。

世間で本などに載っているレシピには、やれレモンジュースを入れろだの、水を入れないと焦げるだの書かれているものがあるけれど、僕はこうやって作っていて問題が生じたことはただの一度もない……いや、一度だけあったな。そうそう、それこそが林檎に起因する問題だったのだ。

一度だけ、酸味のない、まるで飴炊きのような代物が出来上がったことがあった。確かに紅玉と書かれた林檎を買ってきたのに、である。あのスーパーではどうも紅玉と言って実は紅玉じゃない林檎を売っているのかもしれない、と思い、それ以降、そのとき買ったスーパーでは紅玉を買わないようになったのだが、それ以来こういうことになったことはない。どうも考えた通りだったようで、やはり紅玉を使っている限りは何も問題はないようだ。簡単なので、皆さんも是非お試しになられるといいと思う。

ビデオはどうやって流出したのか?

さて。世間では、この問題に関して、僕が書いた通りの騒ぎになっているわけだけど、ではこのビデオは、一体どうやって流出したのだろうか。

これに関しては、先にも書いたけれど、(9割位の確率で)今回のビデオは内部関係者からの流出だと言っていいと思う。秘術を尽くして、まるでスパイ映画のようなプロセスを経て今回の動画が流出した、と、考えるのはその人の勝手だけど、欲しい情報にネットワーク経由でアクセスできる可能性は決して高くない。この手の動画を、わざわざ HDD 内、それもネットワーク経由でアクセスできる場所にストアしておく人、というのは、公私の別なく少数派ではないだろうか。

しかも、今回の動画にはちゃんとタイトルがしつらえられている。画像でそれを出しておくけれど、
20101105-01.jpg
20101105-02.jpg
と、このような感じである。モザイクにしてある部分には、撮影者と思われる個人の名字が入っている。このようなかたちになっている、ということは、内部で動画を整理した「後」の状態にある動画にアクセスできる者、ということになるわけだ。今回のケースでは、海上保安庁石垣海上保安部に所属する誰かが、内部から動画を持ち出して YouTube に投稿した可能性が高いだろう。

今回の事件は、たしかに APEC を控えた日本の危機管理において大きな問題を生じさせる事件である。しかし、その根底にある、今までまともにタッチされていなかった問題というものを、ちゃんとする必要があって、少なくともそういった政治責任が果たされていなかった、その責めがまずなされるべきであろう。だから、閣僚は遺憾だ何だとしたり顔でメディアに言う前に、まずは恥じ入り、そして責めを負え、と、国民は声を大にして叫ぶべきなのである。

尖閣諸島衝突ビデオ流出

昨夕 NHK で放映された『クローズアップ現代』で WikiLeaksの問題を取り上げていたのだが、それとタイミングを合わせるかのように、昨夜遅くに YouTube で尖閣諸島での漁船衝突のビデオがリークされた。僕は既に6個の flash video file をダウンロード・所有しているが、これは大事件だと言わざるを得ない。

まず第一に、今回流出したビデオは、合計すると、国会議員に公開されたものよりもはるかに長い。あれだけ管内閣が隠蔽しようとしていたものが、実にあっけなく露呈されてしまったことになる。このようなビデオをあれだけ頑なに隠し続けてきた管内閣の姿勢が、まずは問われるべきであろう。

そして、管内閣の危機管理体制が極めて杜撰なものであることがこれで露呈したわけだ。今回のビデオは、那覇地検において数分の長さに編集され、DVD に焼かれたものが国会で公開されたとのことなので、今回の漏洩に関しては、那覇地検、もしくは海上保安庁のいずれかの内部からの漏洩である可能性が極めて高い。いや衛星回線でどーのこーの、などという話も出ているようだけれど、セキュリティの問題に関して少しでも知っているなら、情報漏えいの9割がインサイダーによるものだ、というのは、これは常識中の常識である。もし実際に今回もそうだとすると(おそらく職を賭してリークしたのだろうと思うのだが)、漏洩した者が公務員である可能性が高いということであって、今回の行為が公務員法違反である可能性が極めて高いことを示している。公開しないならしないで、綱紀粛正を徹底すべきなのであって、それができていない管内閣って何なの?危機意識なんてないんじゃないの?という話である。

そして、今回の件に関して、内閣から今に至るまで何らコメントが出ていない、ということが、またお粗末な話である。まあ、これは簡単な話なのであって、誰も責任を取りたくない、ということなのだろう。しかし、だ。

  • 政治家は結果だけでその業績が論じられる職種である
  • 政治家は政治に責任を持ち、それを果たすことこそが仕事である
というのは、これは歴史的にコモンセンスなのではなかろうか?それが全然できていない管内閣がどういう内閣なのか、それが全然できていない民主党政権がどういう政権なのか、もう書くまでもないことではないか。

しかし、民主党の各閣僚、そして周辺の政治家のコメントをみると、どうも彼らは今回の問題を単なる危機管理上の問題に矮小化したくて仕方ないようである。僕達は、決して今回の問題を、そのような矮小化した文脈で受容してはならない。今回の問題は、あのとき中国漁船が何をしたか、ということへの国の説明責任、そして政治家の政治責任という文脈でまずは受け止められるべき事項なのだ。この点、僕達はゆめゆめ忘れてはならない。

xindy の make 可能に

先日から書いている pTeXLive の話だが、今までは xindy の make ができていなかった。今日は休みでもあるので、この問題を解決しておくことにする。

xindy はソースの生成に clisp を使っているので、当然だが clisp 周りはインストールしてから行う。まず pTeXLive を stage2 まで make しておいてから、

/var/tmp/ptexlive2009/texlive-20091011-source/utils/xindy/rte/ordrules/ordrulei.lsp
に patch をあてる。この問題に関しては、Debian GNU/Linux のバグトラックに以下のような情報がある:
Debian Bug report logs - #467585
xindy: FTBFS: ordrulei.c:24: error: 'clisp_dirent_off_t' undeclared (first use in this function)
ので、ここに出ているスクリプトを元にして、以下のように patch を作成した。
--- ordrulei.lsp.orig 2010-11-03 13:55:04.110703835 +0900
+++ ordrulei.lsp 2010-11-03 13:56:18.318250541 +0900
@@ -15,6 +15,30 @@

(c-lines "#include \"ordrules.h\"~%")

+; clisp does not produce these include calls
+(c-lines
+ (concatenate 'string "#include <termios.h>~%"
+ "#include <bits/ipctypes.h>~%"
+ "#include <stddef.h>~%"))
+
+; The following lines are the lines 1845 to 1858 from
+; http://clisp.cvs.sourceforge.net/clisp/clisp/modules/bindings/glibc/linux.lisp?revision=1.25&view=markup
+
+;;; ============================== <dirent.h> ================================
+(c-lines "#include <dirent.h>~%")
+
+;;; ----------------------------- <bits/dirent.h> ---------------------------
+;; d_type is only in dirent64, not in dirent in <linux/dirent.h>,
+;; but it appears to BE required, and does appear in <bits/dirent.h>
+
+(c-lines "#ifndef __USE_FILE_OFFSET64
+typedef __ino_t clisp_dirent_ino_t;
+typedef __off_t clisp_dirent_off_t;
+#else
+typedef __ino64_t clisp_dirent_ino_t;
+typedef __off64_t clisp_dirent_off_t;
+#endif~%")
+
; Common OS definitions:
(def-c-type size_t uint)

これを、たとえば ~/ordrulei.lsp.patch というファイルに保存しておいて、xindy の ordrulei.lsp に patch をあてる。

$ cd /var/tmp/ptexlive2009/texlive-20091011-source/utils/xindy/rte/ordrules
$ patch < ~/ordrulei.lsp.patch
patch をあてた後は make stage3 を実行すればコンパイルが行われる。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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