ガリガリガリクソンの mixi 評

まずは、2009年9月1日付のガリガリガリクソン氏の blogを読んでいただきたい。氏はとにかく毒を吐く(分泌される?にじみ出る?)人なのだけど、この mixi 評は、僕が嫌悪するところの mixi の状況(『教えてください」な人々とその周辺の人々』などで書いたような薄暗い連帯に関して)を実に的確に批判している。

マイミクって何?
なんなのお?

「バトンです。足跡証拠に残ります。」

プッチーン。

証拠!?
なんや!?
友達やのに、いちいち証拠取られるのか!?
それ、ほんまの友達か?
それでも、みんな仲良し!?
信用できるか!!!なんぼくれるねん!?

「これからも、ずっとつながっていたいなぁ」

え?
つながってるの?何が?
LANケーブル?光ファイバー??犬??
噛みついてくるところは犬に似てるが。

とにもオマリーも、あ、間違えた。
とにもパチョレックも、あ、間違えた。
とにも郭李(かくり)も、あ、間違えた。
とにもかくにも、1000人の友達よりも3人の仲間。
ドラクエで3人の仲間よりも、ゾロゾロ1000人でボス倒しに行くか?
それはもう三国志になっちゃうよね。

人生で大事なのは、仲間だ!

「そんなことばっかり言ってると、友達いなくなりますよ?」

別に友達いりません!!!

「ファンを裏切るんですね。」

だーかーらー!

いや、僕には氏が実にまっとうなことを書いているとしか思えないのだが、どうだろう、皆さん。

sid with vanilla kernel 最新事情(忘備録)

実は、最近 Linux の方の管理で生じていた問題が何件かあって、今日、一気に解決させたのだが、もしものためにここにメモしておくことにする。

まず、kernel の package 化に関して。僕の場合はいつも configuration が終わったところで:

make-kpkg clean && make-kpkg --initrd --revision=<date>

               → kernel_image kernel_headers
という感じで行うわけだけど、先日から、この make が途中で止まってしまうという現象に悩まされていた。

いつもリンカが動いたところで止まる、ということで気づくべきだったのだが、この原因は binutils-gold を入れていたせいであった。ちゃんと document に「こいつは kernel のビルドのときにリンクできなかったりするよ」と書いてあったのに、うだうだ問題を先延ばしにしていた自分が愚かしく思える。

あと、最近の kernel-package で initrd.img が生成されないので「あれぇ?確かこれって前に自力でなんとかしたんだけど……」などとうだうだ考えつつも思い出せずにいたのだった。これも思い出してしまえば簡単で:

cp /usr/share/kernel-package/examples/etc/kernel

               →/postinst.d/initramfs /etc/kernel/postinst.d/
としておけばいいのだった。やはりこういうことは集中して短時間で解決しなければ人生の無駄遣いだなぁ。

「教えてください」な人々とその周辺の人々

どうも最近、mixi などで不快なめにあうことが多い。

要するに、彼らを見捨てれば、それで僕には何も不利益はないのだ。しかし、あまりに目に余るので何かコメントすると、それはやがてほとんどの場合トラブルに発展する。知人との連絡・消息確認の目的さえなければ mixi なんてさっさと抜けてしまいたいのだけど、どうにもそういう訳にもいかずに困っている。

不快の原因は何か、というと、大概は音楽やコンピュータ関連のコミュニティにある。この手のコミュニティは、いわゆる Q&A の比率が非常に高いのだけど、そのQ&A の「質」があまりに低いことに、その原因はあると言っていいだろう。

コミュニティの中でまず頻繁に見受けられることは、「教えてください」というトピックが乱立することである。最初にこれを見たときは、

「『教えてください』じゃあ、何をどう教えてもらいたいのか分からないだろがヴォケ」

と思っていたのが、次第に、

「こいつらは『何をどう教えてもらうべきなのか』すら自己判断できないのか」

と思うようになってきて、今は、

「そうか、『教えてください』って書きゃあ、皆とりあえず目を通さずにいられないし、目を通した以上はコメントしなきゃいけないような気になる。それを知っての確信犯なんだな」

という風に思うに至った。この手のトピックのパターンは決まっていて、

  • 何をやりたいのか、何が分からないのか、何を教えてほしいのか、が曖昧
  • マニュアルを見れば簡単に分かるようなことを平気で聞いてくる→最初から自助努力を放棄している
  • 助言者の知識・経験・時間が消費(空費)されることに何の罪悪感も感じていない
  • 助言の内容を実践しないうちに、斜め読みして分かったような気になって自然消滅する
と、まあこんな案配である。

この手の輩は、他人の知識や経験を消費するだけで、継承する気もなければ、得たもので創作するものの質もたかがしれているので、僕はかなりきつい返答を返すことが多い。まぁ NetNews で void 氏とかさいとう氏(ご本人はそんな怖い人でもないのだけど)とか lala 氏とかが頻繁に出没していた頃からの人間なので、これでも相当優しく書いているつもりなのだけど、最近は「ネチケット」(この単語も死語になりつつあるが)と「やさしさ」(この単語に関しては『やさしさの精神病理』をご参照のこと)を勘違いしている馬鹿(ああ、あえて書かせてもらおう、彼らは馬鹿である)が、「教えてください」的質問をする奴を擁護して、

「上から目線」
「尊大な態度」
「頭が良すぎる」(これなんかは明らかに僕の経歴に歪んだルサンチマンを抱いている証拠であろう)

などと熱心、かつ執拗に書き込んでくる事態まで増えてきた。

正直、どうしてこんな風に腐ってきてしまったのか、と思う。『やさしさの……』は、もう14年も前に出版された本だが、著者の大平氏が指摘していた「やさしさ」が、こうも社会でうやむやのうちに受容されているのか、と思うと、反吐が出そうな思いがする。

これももう10年以上前に書かれたものだが、Linux の日本での普及に貢献したことで知られる生越昌己氏の『我々は十分か?』という document を読むと、今の僕に酷似した苛立ちと諦めに満ちた心境に触れることができる。程度や分野の別はあれ、もうこの手の現象は10年以上前からこのレベルで浸透していたことがよく分かる。

この問題に関して言及するときに僕がよく使う例えが「ドラえもんとのび太の関係」である。漫画の『ドラえもん』の場合は、のび太が一人にドラえもんが一体だから、ドラえもんはのび太の専属でいられるのだが、現実の社会において、のび太はたくさん存在している。ここで言う「のび太」は、

  • 問題意識がなく、自助努力をしない
  • 自分一人でできることでも平気でドラえもんに頼む
  • ドラえもんが四次元ポケットから出してくるものは無尽蔵、かつ無料であると信じて疑わない
  • ドラえもんに対する配慮がない
というところだろうか。こういうのが一人いるだけでも大変なのに、これが5人も6人もいるわけである。

で、これも何かの因果なのか、と、半ば諦めの境地で四次元ポケットをまさぐっているわけだけど、こちらはネコ型ロボットではなく人間なので、あまり同じようなことが続くと腹も立ってくる。きついコメントも書くわけだ。

そうすると、のび太をうらやむスネ夫やジャイアンが、あるいはドラえもんの存在にルサンチマンを抱くような連中が、ドラえもんの不実を徒党を組んで攻撃し出すわけだ。まあ、こういうことをする連中は所詮は「お里が知れる」と思うのだけれど、さすがに何度もこういう手合いに出くわすと嫌気も差してくる。

だから、最近知人連中と会うたびに話題に上ることが「ドラえもんにならないためには」という話なのだ。こう書くと、さも冷たいように思われるかもしれないが、とにかく相手は「消費することしか考えていない」連中で、ドラえもんから得た恩恵を分かち合ったり、継承したり、やがては自らドラえもんになろう、などということは、欠片ほども考えていないのだ。そういう連中を相手にしていたら、やはり「脱・ドラえもん」への道を模索せざるをえない。で、

「あっしには関わり合いのねぇことでござんす」

などと股旅めいたことを呟いて、一瞬の後に、しまった、と後悔するのである。「木枯らし紋次郎」じゃあ、結局助ける方に回らざるを得ないじゃないか。

「『教えてください』な人々とその周辺の人々」 = 「のび太と愉快な仲間たち」

に対して、僕達はどう行動すればいいのだろうか。知は継承されるべきものである、という哲学が身にしみている僕達にとっては、これは本当に難しい問題であると言わざるを得ない。本当に、のび太達がこれだけ増殖してしまうと……

Windows 上にも Linux

もう。最近はどうにも厭になってしまったのだ。Windows 上でメーラーを使うことが。で、昔から使い慣れた GNU Emacs + Mew で読み書きしようとして、Cygwin などを試してみたのだけど、どうもしっくりこない。おそらく DELL のハードに起因すると思われるトラブルも出る。

で、とうとう Windows の上でも Linux を使うように設定してしまった。Sun が作っている VirtualBox という仮想マシン上に、Debian GNU/Linux を必要最小限のシステム構成でインストールした。要するに Emacs + Mew が使えればいいのだけど、最近の Debian は default の構成が既にゴタゴタしているので、不要なパッケージを片っ端から排除して、XFCE4 上で Emacs と Iceweasel、それに SKK 関連だけ動かせるようにしてしまう。これだったら CygwinX を使うより下手をするとコンパクトで、かつ速い。

もちろん dual boot の Linux も健在である。重い仕事はそちらでやる。まぁ……結局、音楽関連のソフトを使わないんだったら、きっと僕は Windows なんてものを使うことはないのだろう、きっと。

残酷さを隠すことは優しいことなのか

知人の某氏がお子さんの音楽発表会に行かれたところ、ある児童合唱団が『チコタン―ぼくのおよめさん』

を歌っているのを聴かれて「今でも歌われているのか」と驚かれた、という話を聞いた。

この歌は児童合唱のために書かれた組曲で、僕はたまたま何度か(かなり前のことだが)聴く機会があって知っていた。後で知人何人かに聞いてみると、関東では僕の世代ではあまり知っている人がいないようである。この歌は全編大阪弁で歌詞が書かれているから、なのかもしれない。

この歌の詞を書かれた蓬莱泰三氏は、『中学生日記』のシナリオなども書かれている方だが、理不尽さが人の幸福を呆気なく奪ってしまう、という、大人にとってもシリアスなテーマを、こんなに子供の視点から率直に描いた歌を、僕は他に知らない。男性だったら、この『チコタン』の前半部、主人公の男の子に好きな子ができて、「どうしてこんなに好きになっちゃったんだろう」とか「(チコタンの嫌いな魚を商う)家業の魚屋を継がなければならない身だからぼくは失恋したんだ」などと思い悩むくだりは、幼少期の淡い恋の思いの琴線に触れるところがきっとあると思う。それが、実にあっけなく、(大人の……この曲の書かれた当時の成長期の日本の)社会によってその想い人が失われ、やり場のない悲嘆と怒りに暮れる……世間ではこの歌は「トラウマソング」などと呼ばれているそうだが、とんでもない話で、多感な子供だからこそ、こういうものに触れて、そして親や兄弟と対話する必要があるのだと思う。

しかし、最近の社会は、こういうものを「優しさ」(精神科医の大平健氏が言うところの「やさしさ」)の名の下に隠蔽し、排除しようとする。まずキワモノ扱いし、「トラウマソング」の名の下にカテゴライズする。合唱曲としてはよく知られた曲だから、部やサークルでは取り上げやすい曲なのだろうけれど、例えば校内合唱コンクールなどで一般クラスの生徒に歌わせようとしたら、何かしら横槍でも入ってきそうな気配がする。結局それは、「やさしさ」溢れる行為であるように見せかけて、自分自身も精神的に少なからぬ重みを感ずる子供との「対話」を避けている(正確には「対話」で生ずる責任を負うことを忌避する)、というだけのことなのに。

『チコタン』は昭和44年(1969年)度文化庁芸術祭において優秀賞を受けている。そういう評価と、児童合唱の現場にいる人々の良心のおかげで、未だにこの局は歌い継がれている(最近も新版の譜面が出版されたりしている)。こういうものがなくなったら、きっとこの国は未来も含めてもうおしまいなのかもしれない。

ちなみに、上に引用した YouTube の動画(ちょっと前に、とある本で見かけるまで存在を知らなかった)であるが、これは学研映画が交通教育用に作成した16 mm フィルムの短編映画である。アニメを担当された故岡本忠成氏は、阪大の法学部から会社員を経て日芸に編入、卒業後は『日本昔ばなし』などの短編アニメを多数制作された方である。まさか自分の大学の先輩だとは思いもしなかったが……

そして、僕が不明にして知らなかったことがもうひとつあった。この曲には answer song とも言うべきものがあったのだ。

『日曜日〜ひとりぼっちの祈り〜』:

というのがある。これは……正直、重い。ぜひ御一聴いただきたい。

大ショック

この何週間か、手元の端末の環境整備やら何やらで、自分の MySpace のアカウント宛のメールをちゃんとチェックせずにいたのだが、今日久々にチェックしたところが、アメリカの某インディーズから「コンピに曲入れない?」という話が来ていた。"Gone Up In The Haze" という曲を気に入ってくれていたらしいのだが、ごめんなさい!完全にシカトしてしまいました!ぅぅぅ

しかし、この手の話(仕事でも趣味でもそうなのだけど)は、どういうわけかいつでも大概日本人より先に外国人からオファーが来るのだが、どうしてだろう。やはり、この国は黒船が来ないと何も変わらないのだろうか……

イギリス人ってなぁ……

最近、こんな動画が評判になっているのを皆さんご存知だろうか。

これはあるイギリス人カップルが結婚式を挙げているときの映像である。字幕が入っていないので、何が面白いのかを一応解説しておく:

  1. 花婿はかなり焦っていて、自分の誓いの言葉を言う前に花嫁の指に指輪を押し込んでしまう。花嫁は「ま〜だ」という体でこれを押し戻すのだが、この時点ですでに花嫁は少しおかしくなっている
  2. 司祭に合わせて誓いを唱え始めた花婿だが、焦りのせいか言葉が覚束ない。司祭が "lawfully" と言ったところの頭の l を発音し損ねて "wawfully" と発音しそうになり、"wawful...lawfully" と言い直すのだが、ぱっと聞くと "waffle...lawfully" と聞こえてしまったらしい。ここで花嫁・司祭・参列者が笑ってしまう
  3. 花婿、よせばいいのにリカバリーを図り "...and pancake" と言ってしまう。皆クスクス笑いの中、花嫁も悪乗りしてパンケーキを食べる真似をした後、身を捩って笑う
  4. 花婿、またもよせばいいのにリカバリーを図ったのか、司祭の方を向いて "I am scared this on my life." (「生きてて、こんなことになるのを恐れていたんですよ」…… というところか)と言ってしまう。司祭は努めて冷静になろうとしているが、とうとう花嫁が爆発。ひぃひぃ言いながら笑い出し、止まらない
  5. 司祭、爆笑する花嫁を見て肩をすくめ、横の立会人と顔を見合わせてから花嫁の落ち着くのを待つのだが、花嫁の爆笑は度を増すばかり。とうとう(よせばいいのに)一言: "It's O.K. for such things before.(大丈夫、こういうことは前もありましたから)などと言ったために一同大爆笑。
  6. いつまで待っても暴走花嫁が止まらない。花婿は誓いの言葉を続けようとするが、笑いをこらえながらなもので声がおかしい。困った司祭(よせばいいのに)が "The call for take a recess." (「休憩を求めます」……一応少し厳かに、裁判の休憩のときのように)と言う。それで和やかになりかけるが、花嫁は結局ひぃひぃ身を捩って笑い続けるのであった……
……と、まあ、こんな感じである。

The Monty Pison's Flying Circus なんかを観ていても感じることだけど、イギリス人というのは、こういうときに(日本人から見ると一種冷徹と言える位に)さらりとジョークを言う。聞く側も聞く側でそれを(日本人から見ると一種残酷と言える位に)拾って笑いのめす。でもそれは必ずしも皮肉に満ちたものではなく、権威的なものの滑稽な崩壊や、そこに残る微笑ましい状況に対する優しさを含んでいる。そういう意味で、大阪辺りの文化に近いものがあるかもしれない。大阪で十数年を過ごした僕にとって、こんな情景はたまらなく可笑しく、そして懐かしい。

いかにして僕が Todd Rundgren を聴くようになったか

僕が Todd Rundgren をよく聴くことを話すと、僕や僕の音楽を知る人は皆「え?」という顔をする。たしかに僕らの(そしてもう少し上の)世代の人々にとって Todd というと、やはり Utopia とかのイメージが強いわけで、あのプログレとハードロックの合成みたいな時代の Todd の音楽と僕とは、なかなか結び付けがたいものだろうと思う。

僕にとっての Todd の favorite album は何か、と問われれば、やはり "Something/Anything?" と "Runt: The Ballad Of Todd Rundgren" ということになる。この時代、Todd は顔に蝶のマスクをしてビラビラの服を着た、見た目は誰がどう見てもグラムロックの人みたいな格好をして、ピアノを弾きながらテレビで歌っていたりしたのである。あの Nick DeCaro が AOR の先駆けといわれる "Italian Graffiti" で "Wailing Wall" をカバーしていたりもする。こう書くと、実に意外に思われるかもしれない。いや、他ならぬ僕にとってもそうだったのである。

僕が中学か高校の頃に、藤井フミヤと RICACO(村上里佳子)が司会をやっていた、おそらく女子大生辺りをターゲットにしたと思しきテレビ番組があったのだけど、そのテーマソングを一聴して、僕はすっかり気に入ってしまった。しかし、この曲に関するクレジットが番組で出ることはなく、結局誰の何という曲か分からないまま、7、8年程前まで過ごしてしまっていた。勿論、その間もずっとこの曲を探し続けていたのだけど、どうしても見つからないままだった。

で、あるとき、仕事で秋田に行ったときに、夜に一人でバーで飲んでいたら、ふとした拍子にこの曲が有線でかかったのである。ただし、僕の聴いたものではなく、女性のヴォーカルであった……が、この声は間違えようがない。こいつぁ Keiko Lee だ。よし、手がかりができた。

その頃、ある CD 屋のチェーンが、店内のほぼ全ての CD の収録曲を試聴できるサービスを始めたところだった。聴きたい CD のバーコードをリーダーに読ませると、最初の10秒ほどを聴くことができるのだが、これでその店にあった Keiko Lee の CD を片っ端から聴いていくと……彼女の'98 年リリースの "If It's Love" というアルバムにその曲は入っていた。曲名は "I Saw The Light"。で、誰の曲だ、と見ると……なんと Todd である。その頃は僕も Todd といえば Utopia のイメージだったので、えー?となったが、とりあえず同じやり方で Todd のアルバムを探していくと……あの "Something/Anything?" の最初の曲なのであった。

このとき、ふと思ったのが、「最近の子達もこれ式の迷宮をさ迷わされそうな曲があるなぁ」ということであった。実はその少し前、あの曲たしかあのアルバムに入ってたんじゃないかなぁ……と、恐々 Lenny Kravitz の "Mama Said" を買って、"It Ain't Over 'Till It's Over" が入っていたのでほっと一息ついたところだったのである。最近の Lenny しか知らなかったら、彼がファルセットでこんな曲を歌っているなんて想像もできないに違いないだろうから(そういえば "Mama Said" に入っている "What Goes Around Comes Around" は明らかに Curtis Mayfield の "Pusherman" の影響を受けまくっているなぁ)。

まぁ、かくして僕は Todd を聴くようになったわけだ。ライブも行ったし。音楽にだけは飢えることがないのであった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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