私はTeXは二十数年間使っていますが

まず始めに、自分のことを書いておく必要があるのだろう。僕が初めて TeX を使い始めたのは、大学の2年か3年の頃のことである。最初は NEC PC98 でひぃひぃ言いながら使っていたのだが、大学3年になって、全学であの NeXT を好き放題使える、という、当時としては夢のような環境が我がもの(我等がもの?)になったので、そこから数えると20年ちょっと、ということになるのだろうか。

当時の TeX と現在の TeX を比較することには無理がある。当時は TeX の version がまだ 3 を超えていなかった頃で、日本語を使うにあたっても、アスキーの日本語 TeX(たしか当時はまだ pTeX と呼ばれていなかったと記憶している)でごちゃごちゃとやる必要があった。当然 LaTeX2e 以前の頃で、書き出しは "\documentstyle" であった。当時は class file なんて呼称がそもそもなかったのだから。

しかし、その頃から TeX を使っていたからと言って、僕が万能の TeXnician というわけでは断じてない。日本語の処理体系がひょっとしたら LuaTeX ベースになるかもしれない、という時期が到来しようとしている今現在、僕なんかよりも深く深く、しゃぶり尽くすように TeX / LaTeX を理解している人がたくさんいる。従って、そういう人々の書いたものを参考にしたり、直接質問したりすることは多々ある。あって当然なのである。

僕は、自分より若い人の書いたものを読んだり、質問したりすることを恥だとは思わない。僕にとって TeX は道具なのである。新しい道具に関して、後から来た人が自分より習熟していたとして、その人に古い道具を持っていることをちらつかせても何の意味もない。へー昔はそんなに不便だったんですね、というだけの話である。そして、新しい道具を使えなければ、古い道具の適用限界を超えて何事かを為す可能性を、大きく損ってしまうことになりかねない。もちろん、新しい道具が常に優れているとは限らないかもしれない。しかし、その道具を使わなければならないとき、古い道具をちらつかせたり、昔話で後から来た人を煙に巻いても、結局その道具は使えないままである。そして、そうやって道具を使えず、結果として仕事を進められない輩のことを、我々は「使えない奴」と呼ぶのである。何を恥じるべきか、これ以上書くまでもないことであろう。

TeX フォーラム「lion+dvipdfmx+MacTex2012 で日本語のPDF変換が出来ない。」で交わされた、まるで禅問答のようなこのやりとりの最後に、僕は思いがけず標記の「私はTeXは二十数年間使っていますが」という言葉を向けられたのである。はぁ、僕も20年位使ってますが、などと応ずるのはあまりに不毛だし、無意味なことだ。しかし、僕は少なくとも、この20年の間に、LaTeX2e と pTeX への適応、そして tetex から TeX Live へと(細かいことは色々あるのだが)移行する間に、無用な環境変数の定義は無意味だ、ということは、必要なときにちゃんと知ったのだけど。

これは、『違う環境下での検証』で僕が触れた、w32TeX における mktexlsr の必要性に関する話などとは、比較にならない位低いレベルの話である。mktexlsr に関する議論は、何が必要で何が必要でないか、ということを双方が認識した上でなされたものだったわけだけど、今回の環境変数の話などは、現在のシステムに何が必要で、何が必要でないのか、ということをちゃんと考えもせずに、ad hoc なトライを重ねる中で質問をし、それに対して少しでも logical に対応しようとしたサジェスチョンを、これまた ad hoc に適用して、エラーメッセージが出ないからオッケーだ、というのである。およそ、科学的という言葉の彼岸にある行為だとしか言い様がない。

結局、僕があれだけ書いてもなお、この質問者は、無用な環境変数の定義をやめようとしていない。そればかりか、それこそが、自らが20数年もの間 TeX を使ってきた上での集積の一部なのだ、と言わんばかりの体である。こういう「傲慢な質問者」とのやりとりの集積は、おそらく何ら情報の集積としての価値を持ち得ない。そして、その集積に関わってしまった僕は、貴重な自らの時間をドブに捨てたに等しい。つくづく無駄な時間の使い方をしてしまった。そのまま転がしておけば良かったものを。

sshfs

今日、ふとしたはずみで sshfs を導入してみたのだけど、何故今まで使わなかったんだろう? と思う程に便利である。

sshfs は、通信に ssh を使ったリモートファイルシステムなのだけど、slogin でログインできる相手の任意のディレクトリを、手元にひょいっと mount したり unmount したりできる。僕の場合は Debian のパッケージを使用したが、ソースからインストールするのもそう難しくはないだろう。インストール後の設定は、/etc/group の fuse(もしこの group がなければ作成する必要がある……というか、それ以前に fuse を使えるようにする必要がある)のメンバーにアカウントを追加する。それだけである。

たとえば、ネットワーク上の bar という端末に foo というアカウントを持っている場合、bar 上の /baz というディレクトリを ~/mnt にマウントしたければ、

$ sshfs foo@bar:/baz ~/mnt
とすると、パスワードを聞かれるので、それに答えれば、もう foo 上の /baz が ~/mnt にマウントされている。unmount するときは、
$ fusermount -u ~/mnt
とすればよろしい。

local で Mac OS X と Linux の間でやりとりをする場合、fugenji のサーバ(FreeBSD のサーバだが)と Linux の間でやりとりをする場合……いずれの場合も、これはかなり便利だ。いやーもっと早く使えばよかった。

pyxplot マニュアルを訳すべきか

pyxplot は、GNUPLOT を更に洗練させたようなグラフ作成ユーティリティである。pyxplot は TeX / LaTeX と連動するようになっていて、出力結果は実に洗練されたものになっているので、もっと評価されてしかるべきだし、もっと普及してしかるべきだと思うのだけど、日本においてはほとんど使用者の声を聞くことはない。

pyxplot には、非常に手厚い document も付いてくるのだけど、どうやら日本では日本語で書かれた document がないと普及しないのかもしれぬ。GNUPLOT は、latex2html でも名を知られた新潟大学の竹野茂治氏の研究室で、日本語マニュアルと 日本語対応化を施した Microsoft Windows 版 GNUPLOT の配布を行っている。これがおそらくは決定的な役割を果たしているのであろう。

現時点で言えることだけを書いておこうと思うけれど、僕は pyxplot のマニュアルを日本語に訳そうかと思案している。ただし、pyxplot のマニュアルが、生成に python のスクリプトを使用している(どうもコマンドラインと出力結果の PDF 化に python を使っているようなのだが)ので、その辺の状況をちゃんと理解してから、訳に着手しようかと思っている。僕が数物系の研究室にでも所属しているのならば、輪講でもやって結果を吸い上げて……とかすれば速いのかもしれないけれど、あいにく誰もこういうことを手伝ってくれる状況にないので、少し時間がかかるかもしれない。

post SKKIME (2)

時間ができたので、早速 shannon を Windows Vista で再起動する。

何を使うかでちょっと考えたが、結局 corvus-skk を使ってみることにする。僕は現時点での SKKIME のキーバインドに何も問題を感じていないので、シンプルな方を選ぶことにしたわけだ。

corvus-skk は、辞書ファイルを専用の形式で扱う仕様になっているので、元の辞書ファイルをインポートすることになるのだが、一発で、後は何もすることはない。SKKIME と異なり、annotation があっても問題ないようなので、辞書に関する制約は今迄よりも少なくなった。また、辞書サーバとの通信もサポートしているので、wskkserv 等を使用することも問題なく可能だ。

最近は、SKK のような素形態解析なしの IME というだけではなく、ローマ字記法自体を変えて入力キー数を減らす試みが行われているらしい。これを AZIK というそうなのだけど、これはローマ字の変換テーブルに手を加えるだけで実現可能なので、たとえば今回使用を開始した corvus-skk でも AZIK を使うことは可能である。まあ、さすがに僕はちょっとこれには飛びつき難いと思うのだけど……

また、SKK から発展した Emacs 用の FEP もあるらしい。Sekka(石火)というらしいのだが、ruby と emacs-lisp による実装らしい。モードが存在しない、というのは確かに興味をひかれるが、現状では ddskk から乗り換える必要性はあまり感じない。しかし、こういうプロジェクトには時々目を配る必要があるので、定期的にチェックしておくことにしよう。

post SKKIME

僕がコンピュータ上で日本語を書くときに SKK を使う、ということは、既に何度もここで書いている。普段は Linux や Mac OS X 上で Emacs を使っているので何も問題ないのだけど、Windows 上で何か書く場合、ここ何年かは、阪本崇氏が開発された SKKIME という IME を使っていた。

しかし、フリーソフトというのはメンテナの自由時間に依存しているものなので、いつまでも黙って恩恵に与れるとは限らない。SKKIME の場合も、この3年程、更新が滞っている状況だった(阪本氏の本職は経済学の研究者ということなので、そちらの方を含めて何かとご多忙なのだろうと思う)。うーん、ソースは公開されているんだし、いざとなったら自分で何とかするしかないんだろうなあ、と思いつつも、僕の方も色々あってそういう手間を取れない状況であった。

ところが、このご時世になって、Windows 上で動作する SKK ベースの IME が公開されているのである。しかも二つも!

SKKFEP の作者である co 氏は、もともと SKKIME 1.5 を改変したものを『SKKIME シンプルかな漢字変換プログラム 1.5改』で公開されていたようだが、これの後継として skkfep の開発を行われているようである。僕は skkfep というと NEmacs/Mule への実装を思い出すのだが、co 氏もこれは認識されているようで、混同を避けるために上のようなページタイトルにしているということらしい。

corvus-skk の方は、現時点で Windows 8 の Release Preview 版への対応を謳っている。今後の展開はチェックしておく必要があるだろう。

とりあえず、明日ちょっとやることがあるので、それを終えたらテストしてみる予定。辞書絡みとかで面倒なことにならない方を選択することに……なりそうな気がするなあ。

炎天下を歩く

一昨日のことである。刈谷で用事があった後に金山まで移動しなければならなかったので、刈谷駅のホームで東海道線下りの新快速を待っていた。あとほんの2、3分で電車が入ってくる、というときに、こんなアナウンスが入った。

「12時42分頃、名古屋―枇杷島間で人と列車の接触事故があったため、一部区間で運転を見合わせております」

しかし、その直後に、いつも通りに電車が入ってきたので、大したことはなかったのかな、と思いつつ乗り込んだのだった。

そして、大府駅を出て少しした辺りのこと……電車が減速している。ああこれがさっきのアナウンスのアレか、でも大した影響は出なかったのかな……と、まだこの辺りでは思っていたのだが、本来通過する筈の笠寺駅に入ったところで、電車は駅に停車した。

「えー、12時42分に名古屋―枇杷島間で人と列車の接触事故が発生しまして、現在東海道線上下はこれより先での運転を見合わせておりますので、この車両もここまでとなります」

はーさよけ、と聞き流しかけて、ん? となった。ということは、ここから先にはもう向かわないということ? 慌てて車両から出て、改札のある階まで階段を上りながら、U に電話をする。事情を話すと、ちょっと待って、Google Map で調べるから、と一回切った後に、

「そこから少し歩いたところに名鉄の駅があるから、そこまで歩けば?」

改札の前には列ができている。様子を窺っていると、代替輸送を行います、とのことだったので、どうやらここからの名鉄の乗車券が貰えるらしい。ということで、列の後ろに並ぶことにする。

僕はこの手の行列に並ぶ度に思うのだけど、つくづく愛知県人というのは待ち行列というのができない連中である。まず、1列とか2列になって並べない。前が空いてきても詰めない。出たり入ったりする。ぺちゃくちゃ喋る。果てには「これ何だか分かんないけどとりあえず並んでみたんだよね」とか言ってる奴もいる……粛々と並んで、切符を見せるなりトイカ(東海地区の IC カード)をリセットしてもらうなりして、無料乗車券を貰ってさっさと歩き出せばいいだけのことなのに、ノロノロノロノロ、と、時間が浪費されるったらない。その合間にも、ケータイで、

「電車止まっちゃったじゃんねぇ〜、名鉄に乗り換えなあかんもんでぇ〜」

などと大声でやっている。他者の情報取得の障害になることを全く省みずに、ジャンダラリンとか、モンデとか、カンワとか、聞かされるだけでも厭な気分になってくる。ああそうだ、これと一緒ですな:

おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれをめた。「篦棒べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生をつらまえてた何だ。菜飯なめし田楽でんがくの時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもを使う奴だ。

──『坊つちやん』夏目漱石

やっと僕の番になったので、トイカをリセットしてもらい、切符を貰い、遅延証明書をどこで貰うか(これは降車駅で貰うものらしい……今迄何度も貰ったことがあるのに)確認だけしてから、笠寺駅の東側の出口を出る。外は実に、厭になる位いい天気である。

ここから東に数百メートル歩くと、名鉄の本笠寺駅に行き着く筈である。まずは目前の高速(この高速の下に沿って走っている道路こそが東海道……国道1号線……である)の高架の下をくぐり、名古屋南郵便局の横を通り……やがて、目前を左右に横切る線路が見えてきた。この左側に本笠寺駅がある筈である。僕の周囲には、同じように名鉄の駅に向かおうとしているらしき人々がのろのろと歩いている。それを何人も追い抜きながら、辺りをそれとなく観察してみる。

笠寺は、名古屋市南区の中央にある駅である。僕はこの南区や港区といった辺りは、治安があまり良くないような印象があって普段は敬遠している(大同特殊鋼の本拠地だから、学生時代を含めて来たことは何度もあるのだが)のだけど、こうやって歩くと、まるで学生街のような風情である。へー、こんな感じなのか……名鉄の線路に沿って左折して、坂を上って少し歩くと、改札のある方に抜ける地下道の前に出る。

地下道に入ると……あーあ、また悪しき愛知県人だよ(誤解なきよう書き添えておくが、僕は愛知県人が皆が皆こうだと言いたいのではない……ただ、「ピンからキリまで」じゃなくて「ピンかキリか」、しかも両者の差が大き過ぎだよ……)。60代と思しき女性二人が横並びで、道を塞いでのろのろと歩いている。さっきホームに電車が停まっているのが見えたのに……と抜こうとするが、全然道を空けてくれない。愛知県人はどうしてこうも横並びが大好きなんだろうか。本当に、厭になる。通路が左に折れるところで、「失礼」と言いながら強引に抜き去った。

改札で切符を見せ、ホームへの階段を上っていると、もう電車が発車しそうな様子である。慌てて、階段から一番近いドアに飛び込む。ドア付近は冷房の冷気ががんがんに当たるので、まあここはいい場所と言えばいい場所なのだが……それにしても、名鉄名古屋本線というのは、まるで路面電車に乗っているような風情で、同じ線路を急行とか特急が通るというのが信じ難い。本笠寺駅にはもともと普通しか停車しないので、本笠寺駅→桜駅→呼続駅→堀田駅→神宮前駅→金山駅……と、のんびり各駅停車の旅、である。しかし、元笠寺駅から金山駅までの営業キロ数は 6.2 km しかない筈なのに、その間に4つも駅があるのだから、ますますもって路面電車並である。

金山駅に着いて、JR の改札を入るときに遅延証明書を貰った:

chien.png
遅れた時間は「御自分で遅れた時間をご記入下さい」……そう言えば前に貰ったときもそうだったっけ。まあ、ここは正直に書くことにしましょう……と、こんな調子で、思いもかけぬ各駅停車の旅はおしまい。それにしても、駅の間を歩いたときの暑かったことったらない。

今回の原因であるところの人身事故に関しては、新聞等で報道された様子はない。しかし、東海道線上下を2時間以上止めてしまい、乗客の代替輸送も発生したということを考えると、この件で JR 東海(と JR 貨物?)が被った損害はかなりの金額になるに違いない。噂では、JR はこの手の損害を事故を発生させた人やその家族に請求するという話なのだが、その後一体どうなっているのだろうか。恐ろしい話である。

サイコロをふる神

大学の学部生のときに卒論で分子動力学法を用いた計算(だけじゃなくて実験もやったけどね)をして以来、何かとそういう計算に関わることがあったわけだけれど、そう言えば僕はモンテカルロ法というのを仕事に使ったことがない。

モンテカルロ法、というのは、その名から想像される通り、サイコロ→乱数を用いて行う一種のシミュレーションである。モンテカルロ法といっても非常に多岐に渡るわけだけど、僕の関わる分野でこの名が出てくるとき、そのほとんどは統計力学的事象を乱数で解くことを指す。もともとかのフォン・ノイマンが中性子の挙動を計算するのに考案した、という話だから、ある意味一番ファンダメンタルな使い方かもしれない……とか書いても、そんなの分からないよ、と思われる方が大半だと思うので、もう少し分かりやすい話を書くことにする。

まず、この図を見ていただきたい。
ougi.png

何の変哲もない扇形の図なのだけど、いま、この図中の正方形 OPRQ の中に点を打つことを考える。正方形 OPRQ の中に入るように点を打つと、それは扇形 OPQ の中になるときと、外になるときがある。いま、十分に数多く、てんでバラバラになるように点を打ったとして、全体の点の数を N、扇形 OPQ の中に打たれた点の数を n とすると、点の数は打たれる点の範囲の面積に比例するので、

N : n = (1 × 1) : (1 × 1 × π ÷ 4)
となるはずである。これを π に関する式として整理すると、
π = 4 n / N
となる。

いやだから何なんだ、と思われるかもしれないが、要するに、一様乱数 x, y(ただし x, y = [0,1])で定められる点 (x, y) を十分大きな数である N 個打ったとき、

x2 + y2 ≦ 1
を満たすものの数を n 個とすると、Nn から円周率を求めることができるのである。

これは数学的には何をやっていることになるのか、というと、円の面積を積分で求め、そこから円周率を算出する、という操作である。円の場合はこんなことをする必要はないわけだけど、解析的に積分するのが難しいような関数であっても、この方法で積分することができるわけで、これをモンテカルロ積分という。積分区間で乱数で点を打ち、それが積分される領域に属するかどうか検定することで、面積や体積を求めることができるわけだ。

しかし、完全に一様、かつバラバラな乱数というものがあるのかどうか、ということが問題になるわけだ。たとえば、僕等が使うプログラミング言語…… C とか Fortran とか、最近だったら Java とか C# とか……には大抵「乱数を生成する関数」というのがある。もっと卑近な例で言うなら Excel にだってあるわけだが、これを使ってこのような計算をして、果たして円周率が計算できるのか、というと、実はできない。これは計算機の能力の問題ではなくて、計算機で「良質な」乱数を得ることが難しい、ということを反映している。

現在使われている乱数生成法で最も良質、かつ高速なものとされているMersenne Twisterを用いてこの計算を行ってみると、N = 109 の場合で、3.1416112599999999 という計算結果を得た。なんと、10億個も乱数のペアを計算して、せいぜい4、5桁の精度でしか円周率が計算できない、ということになるわけだ。

……とか書くと、あたかも Mersenne Twister に問題があるみたいに思われそうだけど、そもそもこうやって計算を行った場合の「分解能」を考えると、これはおおむね N の平方根と同じ桁数ということになるから、4〜5桁、ということで、上の結果はちゃんとこの分解能の範囲内で妥当な結果を出せている。

もちろん、僕はこのような計算を、円周率を求めるためにしているわけではない。そもそもこの円の求積法による計算は乱数を使う必要などない。等間隔に細かく、規則的に点を打ったって計算はできる(し、その方が桁数の制限の中ではより妥当な結果を返すだろう)のだが、こういう計算で既知の値に対してどのような計算結果が得られるか、で、乱数の質を判定することができるわけで、その判定のためにこういう計算をすることがある、というわけである。また、Mersenne Twister の名誉のためにもフォローしておくけれど、Mersenne Twister は現存する乱数の中では非常に素性がいいものとされている。素性のいいものを活かすも殺すも、使う側の理解度と使い方にかかっている、というわけなので、どうか誤解されないように。

for someone's eyes only

ネット上で自力でサーバの管理を行っていると、人間というのが必ずしも性善説的行動をするわけではない、ということを思い知らされるものだ。僕の場合も、最近では『新しい中傷手法』『新しい中傷手法(2)』で書いたような問題があったり、とか、fugenji.org の index page に色々書き込まれたり(これは半分は我々のミスなのだけど)……まあ、色々あるわけだ。そういうことがあるから、いくつかの解析用スクリプトを用いたログファイルの解析、そしてその基本となる時刻管理(NTP で時計を正確に合わせておかないと、せっかくのログファイルも証拠能力が半減してしまう)は習慣としてやるようになっているわけだ。

fugenji.org では apache を使っていて、ログを定時に取得してスクリプトで解析した結果を見ることができるようになっている(というか、している)。これを見ていておかしなことに気付くと、生のログを取得して、その場で必要に応じて書いたスクリプトで細かい解析を行うのだけど、日常の管理においてはそこまでする事態に至ることはまれだ。

朝起きると、未明に生成された解析結果に目を通すのが日課になっているのだけど、ここ1、2年の間、ちょっと気になるものが多くなってきた。referer に残っているリンク先を確認しようとしても、確認できないケースが増えてきたのである。

確認できないケースのほとんどは:

  • 「はてな」の日記でプライベートモードに設定されているもの
  • livedoor の SNS(なんだよねこれって? mixi のインフラと同じものを使っているようだが)
  • 大学の研究室で所属メンバー用にパスワード認証をかけているページ
の3つに分けられる。どの場合も、検索キーワードから推測すると TeX Live 関連の情報へのリンク、ということのようなのだが、そのページを見られないというのはちょいと気になってしまう。

まあ、ネット上で、会ったことも話したこともない人物に何事かを書かれる、ということを体験したことのない方は、「上田は何を下らないことを気を病んでいるのか」と思われるかもしれない。しかし、こういうことで面倒な事態に至った経験が複数回数あるからこそ、こういうことを気にかけているのである。

もう十数年前の話になるが、僕が『WWW ページでの個人情報公開について考える』を書いて間もない頃のこと。当時、朝日新聞で、ネット上での個人のトラブルに関する連載をしていて、たまたまその連載に関する意見をメールで送ったところが、朝日新聞社の取材を受けることになった。メールでインタビューのフォームが送られてきて、それに対して色々書いたものが掲載されたわけだが、その掲載直後、当時のサーバに対して、神奈川県の某大学のページを経由したアクセスが急増した。

当時の web サーバも apache で、当然 referer でその某大学のページをチェックして読んでみたわけだけど、「こいつは web ページ = ホームページと思ってるらしいぜ」みたいなことが書いてあった。へ? いやいや、僕は普段からそれに関しては注意していて、 index になるようなページ以外をホームページなんて書いたことはないんですけど……で、当時東京にいた知り合いにお願いして、問題の新聞記事をスキャンしたものを送っていただいた(東京版だけに掲載されていて、当時の僕は吹田に住んでいたので)。すると……おいおい、僕が書いた文章の「web ページ」という単語が全て「ホームページ」に書き直されているではないか!

思い切って、その神奈川県の某大学のサイトのオーナーにメールを送ってみることにした。感情的にならないよう、事の経緯を書いた上で、このネット上の文書は何とかなりませんかね……と書き送り、返事を読んでみると、どうやらそのオーナーは大のアンチ朝日らしい。で、「あなたも朝日の記者にやられましたね」「経緯が分かりましたので、私の方のページの方は対処しておきます」と書かれていた。うーん……なんだかなあ。そういうことに僕を巻き込まないでほしい、とも思ったが、まあ対処してもらえるならこれ以上噛み付く必要もなかろう。しかし、何故こんなことになるんだ?

後で分かったのだが、朝日新聞社では、記事に出てくる term はいちいち内部の「用語集」と照らし合わせ、用語集と異なる単語は全て用語集に収録された term に置換されるのだという。いや、そりゃ記者が書いた文章でそんなことをするのはいいんだろうけれど、社外の人間の書いた文章に断りもなくそんなことをするとはどういうことなのか。こちらが間違った term を使っているならまだしも、逆に間違った term に置換されるんじゃたまらない。

僕は朝日新聞社の記者宛にメールを書いた。いいですか、野球で、1塁や2塁のベースを「ホームベース」とは言いませんよね、home position にあるベースだから「ホームベース」って言うんですよね、web のページも一緒なんです、home position にあるページだから「ホームページ」って言うんですよ、それを何でもかんでも「ホームページ」って書き換えられたのではたまりませんよ、ほら、こんな風に糾弾されてしまいましたよ……しかし、その記者は僕のメールを完全にシカトしたのだった。

……という具合に、いつ、何がどこでどんな風に、それもこちらの意図しないかたちで提示されているか、分かったものではないのである。そして、僕は手段として、そういうリスクを内在したメディアを使い続けている。使い続けている以上、リスクに対する備えはしておかねばならぬ。そういうことを、あのとき僕は実地で学習したのであった。

そんなわけなので、もし僕の書いたコンテンツを private な場所でリンクされた方、あるいはこれからしようとされている方がこれを読まれていたら、リンクする前にこっそりメールで教えて下さると幸いです。

遅まきながら

Google Chrome を使うのをやめることにした。

理由は簡単で、Google Chrome はブラウザに関するかなりの情報を google に流しているからである。この半年位で見ても、google のユーザ抱え込みの様子は目に余る。さすがに僕も、このまま唯唯諾諾と使い続ける気にはなれなかったのだ。

ただし、Google Chrome が優秀な web ブラウザであることは否定できない。だから今更 Firefox に戻る気にもなれない。ということで、SRWare Iron を使うことにした。SRWare はドイツにあるセキュリティ関連の会社なのだが、ここは Chromium からユーザ情報送信等の機能を外したブラウザを作り、これを Iron という名で配布している。前からこのブラウザの存在は知っていたのだが、ここ最近の Google Chrome の状況にさすがに我慢ができなくなってきて、今日、ついに移行したわけだ。

Iron を使う上での問題はふたつある。ひとつは、よりセキュアとは言え、一私企業にブラウザを依存するようなかたちになっていいのかどうか、ということ。もうひとつは、SRWare は apt-get / aptitude によるアップデートに対応していない、ということである。まあ前者は今迄だって Google に依存していたわけだから、完全に受け入れ難いというわけではない。後者に関しては、SRWare が twitter でアップデート情報を流している、ということが逆に不便(僕は twitter は時間の無駄遣いになるのであまり使用しない)なのだが、まあ時々チェックするようにすればいいんだろう……ということで、受け入れることにした。

それにしてもなあ…… Sun が Oracle に買収されたときも、Solaris のアップデートファイルの配布の話だとか Java のアップデートに関する話で、あーあざとくなったなあ、と思わされたものだが、最近の Google や Apple の抱え込みようにはちょっと恐怖を感じる。そしてそれを皆あまり疑問にも思わず受け入れている風であることに、それ以上の恐怖を感じるのである。

老後の楽しみ

大学生の頃。僕は池波正太郎は読まないと心に決めていた。老後の楽しみにとっておくべきだと思っていたからだ。しかし、とうとう『鬼平犯科帳』、そして『仕掛人梅安』……そして、結局あらかた読んでしまった。池波正太郎というカリスマに巣喰うダニみたいな作家(常盤某とかね……池波正太郎は自分なしには語れない、とでも言わんばかりのあの蔓延りぶり、まさにダニだよ)の存在まで知ってしまい、本当に嫌な気分になるオマケ付きだった。

音楽でも、そういうものがないわけではない。たとえば The Beatles…… これは、聞くと自分が影響されてしまうことが避け難いと思ったから(山下達郎が全く同じことを言っていたのにはビックリしたけれど)なのだけど、これだって結局はあらかた聞いている。自分で蒐集したりヘビーローテーションみたいにしたりしていない、というだけのことである。

音楽でこういう「老後の楽しみ」にしたいと思っていたのが、実は Todd Rundgren だったのだが、これも聞いてしまっている。"I Saw the Light" を偶然聞いて、その(日本で知られる彼のイメージで括るにはあまりに広過ぎる)彼のあまりに広範な世界を知ってからは、結局れこれ聞いてしまっている。今日だって、彼の A Cappella Tour を聞きながら書いているのだが、たとえば山下達郎がゴスペラーズや Baby Boo を従えて A Cappella Tour をやってくれたらいいのになあ(でもまずそういうことはしないんだろうなあ)と思いつつ、結局はこうやって聞き潰してしまっている……あ、これは既に僕が老境に達したということなのだろうか?

Your Summer Dream

The Beach Boys というと、いわゆるロックンロールや The Pet Sounds のイメージを持たれる方が多いのかもしれないけれど、彼等の 6/8 拍子のバラードには名作が多い。1963 年のアルバム "Surfer Girl" に収録されている "Your Summer Dream" もそんな曲のひとつである。

以前から、この曲をカヴァーしたいと思っていたのだけど、彼等のインストゥルメンタルの名曲 "Summer Means New Love"(浜田省吾がまだ愛奴というバンドを組んでいたときのデビューシングルである『二人の夏』にこの曲のメロディーが引用されている)とだぶって仕方ない。"Your Summer Dream" のオケは極めてシンプル(まだ Brian Wilson がスタジオミュージシャンを使い出す前の時期だから、この曲のドラムはデニスが叩いているのではないだろうか)なのだけど、どうしても "Summer Means New Love" みたいなストリングスを入れたくなって、よせばいいのにオケを作ってしまった。

歌入れをどうするかは今はまだ未定である。とりあえず最低限のメロをピアノで入れたので、よければお聴き下さいませ:

たまにあるんです

猫と一緒に暮らしていると、パソコンの吸気部に必ずといっていい程毛を吸い込んでしまう。あと、ノートパソコンのようなパンタグラフ式のキーボードの場合、パンタグラフ型の連結部に同じように毛が絡み付く。だから定期的に掃除機でそれらを除去しなければならない。

現在この家にある掃除機は、ドイツのミーレ社製のもので、結構なパワーで吸ってくれる。これでファンを吸気側からがっつり吸い、キートップにホースを吸い付けた状態でくるくる回すようにしながら走査して、絡んだ毛を浮き出させて除去するわけだ。

ただし、パンタグラフ式のキートップというのは、キー上方から引っ張る力がかかると外れてしまう。だからちょっと気を抜くと、えらいことになってしまうわけだ。

今朝、体調が悪いので朝からうだうだしていて、でもパソコンがまた掃除するタイミングになってきたなぁ、ということで、掃除機を持ってきて吸っていたのだが、ホースをキートップから離すと……あ。Enter キーがない! えらいこっちゃ。

掃除機を止めて、中のフィルターバッグを外し、広告を何枚か取って一緒に持ってベランダに行く。このミーレの掃除機のフィルタはトラディッショナルな紙(というか不織布というか)の袋なのだけど、指を突っ込んでガサガサやると……二つに割れた Enter キーと、パンタグラフ部の連結パーツがふたつ、袋から出てきた。

あ゛ー、参ったなあ……僕は自他共に認めるハードキーパンチャーなので、こういうキーには負担がかかっている。しかし、真っ二つになっているのはちょっと困った。少し考えてから、ゴミを始末し、掃除機を元に戻してから、拾ったパーツを目の前に置いて考える。

この手の樹脂を接着・補強するには、エポキシを使うのが一番手っ取り早いだろう。プラモデルなどを作られる方であれば、パテを使ってもいいと思う。しかし、今僕の手元にはどちらもないのだ。あるのは……比較的強力に接着できる瞬間接着剤だけ。

仮止めをするだけならば、この瞬間接着剤で何も問題はないのだが、この手の接着剤の主成分であるシアノアクリレートは衝撃に弱い。ではどうするか……繊維で強化するしか手はなさそうだ。

まず破断面に薄く接着剤を塗って、割れた半分同士を押し付けて仮止めをする。それから、連結部に干渉しないように注意しながら、破断面の周囲を覆うようにティッシュペーパーを切り出す。これを破断面を覆うように乗せて、瞬間接着剤を染み込ませ、硬化しないうちに気泡を押し出せば……ティッシュの繊維で強化された樹脂で傷を覆うことができる。

これをキーの表と裏、両面に行って、樹脂が硬化するのを待ってから手に取ってみると……よしよし、まあこんなものでしょう。後は組付ければ作業は完了である。いずれはパーツ取り用のジャンクを入手して、キートップを全交換する必要があると思うけれど、それまではこの不細工な状況で使い続けることにする。まあ、こういうことは、たまにあることなんです。

恕と恨

タイトルを見て、僕が何に怒っているのだろうか、と思われた方がおられるかもしれない。しかし、この漢字の意味はそれとは正反対である。

ジョは一見似ているが、その意味は正反対である。前者は文字通り「怒る」ことだが、後者は(デジタル大辞泉に収録されている説明によると)「他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。」という意味だ、という。

恕という漢字を使う言葉を思い起こすと、たとえば恕免とか寛恕、忠恕……などというものがあるわけだが、これらの意味において統一的な「恕」のニュアンスは何か、というと、相手に対する誠意と寛容さ、ということになるだろう。これを頭に置いて、『論語』衛霊公篇 二十四 を見てみると……

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、

子貢問いて曰く、一言にして以て終身之を行う可き者有りや。子曰く、其れか。己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ。

自分がされたくないことを他人にしてはならない、と聞くと、おいおいちょっと待てよ、という話になる。A さんのされたくないことが、一般的に A さん以外のされたくないことと一致するとは限らないわけで、この言葉を乱用することは危うい行為なんじゃないのか……という疑念が湧いてくるわけだが、孔子は先刻そんなことはご承知で、まず「自分がされたくないことを他人にしてはならない」という言葉より先に、この言葉で表される行為が「恕」の表れである、と、ちゃんと前置きをしているのである。他者に対して寛容であれ、誠意を持って対せよ、そして、自分がされたくないことを他人にしてはならないのだ……と、孔子は言っているのである。

韓国は儒教文化の国だ、と言うのだけれど、どうも『論語』のこの一節だけは、国策なのか国民の意志なのか、どうやら飛ばして読まれているような印象を受ける。






本当に韓国が儒教社会であるならば、こんなことができるとはとてもじゃないけれど考えられないわけだ。

これらのような韓国人のアクションを漢字一文字で表すなら、適切なものとしてハン以外思い浮かばない。これに関しては、ある話を思い出さずにはいられない。

韓昌祐という人物がいる。僕の大嫌いなパチンコの業界でダイナムと並んで大手であるマルハングループの創業者である。この「マルハン」という社名に関して、以前韓国でこう報道されたことがあった:

マルハンの「マル」は日の丸、「ハン」は「恨」で、日本に対する恨みから社名を付けた。
これに対して韓昌祐は:の5分40秒位からのくだりで、これを:
誰がそんな変な意味の名前を付けるのか。パチンコ玉の丸さ、地球の丸さから『マル』を取り、それに私の名前の『韓(ハン)』をつけたのです。
と否定している。

僕には韓氏の深意は分からない。分かる程に韓氏のことを知らないからである。しかし、ひとつだけ確かなことは、韓国のメディアがこう報道した、ということである。韓氏ではなく、韓国国内、特にメディアの意図として、そのような報道をするような気風がある。このことだけは、残念ながら事実だとしか言いようがないようだ。

上にリンクしたコトバンクのエントリーで、「恨」の意味として、こんなことが書かれている:

朝鮮語で,発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。怨恨,痛恨,悔恨などの意味も含まれるが,日常的な言葉としては悲哀とも重なる。挫折した感受性,社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり,恨は持続する。長い受難の歴史を通じてつねに貧しく,抑圧されて生きてきた民衆の胸の底にこもる恨は,おのずから彼らの行動を左右する要因としてはたらき,抵抗意識を生みだすようになる。韓国では植民地時代から解放後の〈外勢〉と〈独裁〉のもとで,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されてきた。・・・
僕は嫌韓でもネトウヨでもないので、彼等が何らかの抑圧を受けた時代があったことを否定はしない。しかし、戦後、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」、そして、無償3億米ドル、有償2億米ドル、民間融資3億米ドル(1960年代中盤、まだ 1米ドル = 360 円の固定相場の時代で、当時の韓国の年間国家予算が3.5億米ドル程だったという)の経済協力という名の賠償を経て現在に至り、多くの日本人は朝鮮半島を日本が統治していた時代に問題があったと認識しているこのご時世に、なぜ彼等が尚「恨」にしがみついているのか、と考えると、やはり不可解だとしか考えられない。彼等は一体、いつになったら「恨」を越えて「恕」に至ることができるのだろうか。こういうことを思わずに、一体何が儒教文化なのだろうか。

あーあ、やっちゃったよ

唐突だが、韓国にも右翼と左翼というのがあるのはご存知だろうか。日本で右翼というと、主に勤皇・民族主義を表に出した人々で、左翼というと、安保闘争時代のヘルメット姿の……というような連想をする方が多いと思う。では、韓国では右翼とか左翼とかいうのはどのようになっているのか。

実は、韓国における右翼・左翼の区別は、日本におけるそれよりも簡単かもしれない。日本の場合、新右翼と言われる人々と新左翼と言われる人々が接近したりして、かなりややこしいことになっていたりするのだけど、韓国の場合は、「反共・反北」の強硬派が右翼、「容共・親北」が左翼……と、こういうことになっている。

学生運動や教職員組合が左翼的立場を取る、ということは、韓国でも日本と同じ状況である。しかし、ここで注意しなければならないのは、日本の右翼・左翼の場合と逆に、韓国では左翼の方がより民族主義的である、ということである。「容共・親北」だということは、北との統一、それも主体思想を背景とした民族主義的な統一を志向するということで、この点が日本と大きく異なっている。

韓国で、どうして未だに民族主義的な暴走が起こり易いのか、ということには、実はこの韓国における左翼思想が大きく関わっている。日本に日教組があるように、韓国にも教職員組合である全國ヘ職員勞動組合が存在するのだが、この団体は左翼志向(しかしその内実は異なっているのだが)であって、それが教師裁量の教育において大きな影響力を持っているのである。

韓国の初等教育課程において、日本の「ゆとり教育」における学校裁量時間と同じような、「裁量活動」と呼ばれる時間が取られている。実は、この時間こそが、韓国の初等教育課程における民族教育の時間として活用されている。先にも書いたように、韓国の教職員組合は非常に民族主義的色彩が濃い。だから、あの悪名高き『独島の歌』などは、まさにこの時間に教え込まれるのである。

韓国における「裁量活動」の現状と課題』という論文を見つけたのだけれど、これによると、裁量活動は「教科裁量活動」と「創意的裁量活動」に大別される。前者は通常の教科教育を補充したり、より深い内容を教えたりするもので、後者は「凡教科学習活動」と「自己主導的な学習」に分けられていて、「凡教科学習活動」の中に「統一教育」「韓国文化アイデンティティー教育」という項目がある。先の民族教育は、この範疇として行われているものである。

この「裁量活動」における民族教育は、我々日本人が思うのよりも遥かに熱心に行われている。上にもリンクした Wikipedia のエントリー「全国教職員労働組合」の中にも、

2005年5月、全教組所属の教師が中学生180人をパルチザン追慕祭に動員するという事件を起こし、国内で猛反発を招いた。また、2005年2月から2年近くの間、「北朝鮮の先軍政治の偉大な勝利万歳」と書かれたポスターなどを全教組のホームページに掲載し、北朝鮮の体制を賛美・宣伝しているとして2007年1月18日、国家保安法違反で関係者が逮捕された。
本当かよ? とお思いの方もおられるだろうが、これは事実である。僕も、以前にこの民族教育の時間に描かれた小学生の絵を目にする機会があったのだが、その絵は日本を武力攻撃する韓国を描いたものだった。最近はいささかマシになったという話もあるけれど、韓国における民族教育というのはこれ程までに苛烈なものなのである。

これを知れば、ロンドンオリンピックの男子サッカー3位決定戦における、韓国選手の呆れた振舞いも、なるほどと思えるのである。サポーターが渡したとされる竹島に関するメッセージのプラカードを高々と掲げ、日本と交換したユニフォームをわざと着ずに尻に押し込み、五輪旗を超える大きさの国旗が持ち込み禁止であるにも関わらず、あの巨大な太極旗を持って行進したこと、そして、韓国のメディアがこれらの行為を「英雄的」と報道したことも、なるほど、そういう教育が背景にあるのならば、ありえる話であろう。

勿論、それが許されると言っているわけではない。韓国人だって、このことは問題だと思っているのに違いないのだ。たとえば、ここ十数年、欧米では韓国人の留学生の数が非常に増えているけれど、これだって、親がこのような歪んだ民族教育のバイアスから子供を解き放ちたいと思ってのことだと考えれば、なるほどと理解できなくもないわけである……もっとも、今回問題になっているプラカードを選手に渡したのは、イギリスに留学している27歳の大学院生だというから、結局この束縛からは解放されていないということになるわけだけど。

しかしなあ……あー、やっちゃいましたねえ。かつてオリンピックでは、黒人差別問題を強調する黒い手袋を着用してメダル授与式に参加した選手「ですら」追放されたのである。ましてや、現在進行形のあの竹島の騒ぎをオリンピックに持ち込んだら、どうなるか分かりそうなものなのに。しかも、サッカーと言えば、かつて試合結果がもとで戦争にまで発展したことがある競技である。ちょっと歴史を知っていれば、こういう問題に IOC も FIFA もナーヴァスなのだということが分かりそうなものなのだが……いやはや、教育というのが人間形成においていかに大事なものなのか、僕は今回の件でまたもや深く思い知らされたのであった。。

window manager

僕は Linux をメインに使っているわけだけど、狭義の Linux は GUI システムを直接抱え込んでいるわけではない。Linux の GUI システムは X window system 上で実現されている(最近の Ubuntu などでは Wayland を導入しようという動きもあるけれど、 ここなど見るとかなり苦戦している模様だ)。ただし、X 上でどんな window manager を選択するかによって、その選択できる範囲はかなり広いものである。

僕はこの何年か、ずっと Xfce4 を使っている。どんな具合かというと:

desktop-20120812.png

……という具合。前回触れた CDE 風、というか、Mac OS X 風というか、そんな感じにして使っているわけだ。Xfce は軽いし、僕の嫌いな Qt ではなく GTK+ ベースなので、随分長い間使っている。

ところが、この1、2日辺りに、妙なニュースが流れてきた。Debian 7.0 としてのリリース準備中である Wheezy が、default の window manager として Xfce を採用する、というのである(gitweb の当該エントリ)。まあ今迄も alternative で Xfce ベースのインストールが提供されていたから、それを表に持ってくるだけの話なのだろうけれど。

どうしてこういう話になるのか、というと、要するに GNOME が肥大化してどうしようもない状態だからである。とにかく最近の GNOME の評判は悪い。Debian の場合はそういう問題よりも、GNOME ベースだともうメディアに入り切らない、という実利的な問題があるからこうなったわけだが、そうなると世間では Xfce が今迄以上にメジャーなものになっていくのだろう。反主流派でいることに慣れている僕としては、少々居心地の悪い思いがする話なのだった(って、他がどうなっても僕自身には何も関係ないはずなのにね)。

で、昨日から、他の window manager を試すことにして、LXDEEnlightment を試してみたのだけど……うーん、しっくり来ない。LXDE はデザインに Windows 臭がしたのでちょっと……という理由で、Enlightment は単純に重い、という理由で、結局また Xfce に戻してしまった。うーむ。

Xfce にしたって、かなりの妥協の末に使っていたものなので、しっくり来るものに出会えないか、というのはいつも思っていることである。昔は FVWM で何も問題なかったのだけど、version 2 以降のメニューバーが気に入らないんだよなあ…… Debian ではこういう向きの為に、ちゃんと version 1 の時代の FVWM を未だに収録してくれているのだが、さすがにちょっとね……うーむ。選択の範囲があるというのは、それはそれで悩ましいのである。

CDE

CDE (Common Desktop Environment)というと、大学に居た頃に情報系の友達のところに遊びに行ったりしたときに、机上に置かれていた、いわゆるランチボックス型の SPARCstation の筐体と共に、ある種の憧れを思い起こさせるものである。まあ、途中から嫌という程触れるようになって、なーんだ実は NeXT とか程洗練されてるわけじゃないのかぁ、などと思わされたわけだが、でも、ワークステーションのデスクトップと言えば、この CDE の感じを思い出すわけだ。

ところが、この CDE が何と今月からオープンソフトウェアとして公開される、という。時代も変わったものである。sourcesorge の CDE のページからダウンロードできる Linux 対応のソースは未だ alpha release だとのことだが、Wiki にあるビルドのインストラクション通りの作業を行って、手元の環境で build 可能であることは確認した。Debian(ただし non-free 扱いかもしれないが)でもパッケージが公開されればいいな、と思うが、実際に使うかどうかは……うーむ、XFCE4 でガッツリ環境構築しちゃってるしなあ。

【後記】現在の Solaris は GNOME ベースらしい……まあ、さすがに CDE はもう古いしなあ……

ORS

少し前のことになるけれど、大塚食品が OS-1 という商品を出した。これは、医学的に体内に水分が取り込まれ易いように調製されたいわゆる経口補水液といわれるものである。

もともとこれは ORS (Oral Rehydration Solution) と呼ばれるもので、コレラや赤痢などで乳幼児が命を落とすことの多い地域で、簡単に吸収効率の高い飲料が作れるように工夫されたものである。ということは……そう、作ろうと思えば自宅でも作ることが可能なのだ。

標準的なレシピは:

  • 水 1リットル
  • 砂糖 40グラム
  • 食塩 3グラム
と書かれていることが多いのだけど、ORS の普及をすすめている rehydrate.orgレシピを見ると、
  • 水 1リットル
  • 砂糖 30 cc(24 グラム)
  • 食塩 2.5 cc(2.5 グラム)
とある。僕の経験だと、日本で流布されているレシピだと少々飲みにくいので、こちらの方がいいかもしれない。もしあれば、これにレモン果汁かクエン酸を適宜加えるか、水を 700 cc にして、残り 300 cc をトマトジュースやグレープフルーツジュースに置き換えると、かなり(というか、劇的に)飲みやすくなる。

このレシピにある通り、ORS のミソは、水だけではなく(水+塩分+糖分)という配合になっているところだ。水だけ、あるいは、水と塩だけの場合と比較して、糖分が加わる方が吸収効率は高くなるのである。

恥を忍んで告白するが、昨日、風呂に入っていたときに軽い熱中症になってしまった。一般に、熱中症の自覚症状としては、

  • めまい
  • 頭痛
  • 吐き気
  • 気分が悪くなる
が知られているけれど、特に電解質が欠乏したときには末端(特に手指)の痺れが出ることが多い。今回の僕の場合も、手首の辺りから先が痺れてきて、あ、こりゃヤバいぞ……と自覚したのだった。

慌てて風呂を出て、うろ覚えのレシピで ORS を調合して、ガブリと飲むと……ま、不味い……塩の量を間違えて倍にしていたのだった。せっかく棚の中からクエン酸を探し出して、震える手でキッチンメーターを使って秤量したのに……

とりあえず「水1リットル、塩小匙半分、砂糖大匙2」と覚えておけば、ご家族や御自身のもしものときに役立つので、この機会に覚えておきましょう……誰かさんみたいに塩を倍入れないためにも。あと、本当はブドウ糖の方が吸収がいいと思うので、先の OS-1 を買い置きされた方がよりいいと思う。

それはわざとやっているんですか?

今日は広島に原爆が投下された日である。僕自身は広島や長崎の出身というわけではないけれど、僕の郷里の水戸も、焼夷弾による絨毯爆撃で一面の焼け野原にされた土地で、幼い頃からそのときの話を聞いて育った。そして、自然科学を学んだ者として、あの日の広島や長崎で何が起きたのかが、様々な視点から定量的に見える目を養ったので、この日の意味はますます重いものになっている。

さて、今日の平和祈念式典だが、僕は映像を見て、一瞬「え?」と我が目を疑った。しばし画面の周囲を見回し、やはり自分の見たものが間違っていないことを認識したときに独り言ちたのが、標記の「それはわざとやっているんですか?」という言葉であった。皆さん、僕が何を言いたいのか、お分かりになるでしょうか。

まあ、せっかく首相官邸が写真を公開しているので、それをここにリンクしておこう。

注目していただきたいのは、ネクタイである。野田首相とそれ以外の来賓のネクタイを比べると……お分かりだろうか。他の来賓は皆黒ネクタイをしているのだが、野田首相はブルーのストライプのネクタイを着用しているのである。

僕は別に枝葉末節をつつきたいわけではない。しかし、言ってみれば、原爆で亡くなられた人達の法事に来ているような状況で、黒ネクタイを着けないというのは、これは一体どういうことなのだろうか。

僕はこのことが気になって、他の人達の服装も一通りチェックした。その結果、来賓で黒ネクタイを着用していなかったのは、野田首相と、同じく民主党の馬淵澄夫議員だけだったようだ。各政党の代表者や、話題になった馬場たもつ浪江町長、そして海外からの参列者も、皆黒いネクタイを着用していた。あれだけ並んだ来賓の中で、色の入ったネクタイをしているのは、野田首相と馬淵議員、そしてその周囲の関係者(おそらく秘書や SP だと思うが)だけであったのだ。

そもそも、政治家というのは、冠婚葬祭に行くのが仕事の一部のようなものである。だから必ず、白と黒のネクタイ、そして、そういう場に出向いても差し支えない色のスーツを準備している……はずなのだ。もし本人が呆けて忘れていたとしても、秘書や側近が手配していて然るべきだろう。朝早くて買えなかった、などという言い訳は通用しない。広島の民主党支部に電話して、誰でもいいから式典の間だけ黒ネクタイ貸してくれ……とでも頼めばいい。それで済む話のはずなのである。しかし、野田氏も馬淵氏も、そしてその周囲の人達も、それをしなかった。

この日の来賓の一例を挙げると、自民党の谷垣総裁は、本人は勿論、秘書も、ちゃんと黒ネクタイを着用していた。やはり、どう考えても常識はこちらの方なのだろうと思うのだが……そうなると、やはり標題の問に戻らざるを得ないのである。野田さん、それはわざとやっているんですか? と。

ultradefrag for linux

Linux 関連のコミュニティで defragmentation に関する質問をすると、脊髄反射としか思えない程のスピードで「Linux では defrag なんて不要なんですが何か?」という答が返ってくるものだった。しかしこれは嘘である。たとえ ext4 であっても、巨大なファイルを頻繁に読み書きしていたり、ディスクスペースが逼迫してきたりすれば、当然 fragmentation が生ずる。これは Microsoft が Windows NT 4 で defrag を外していたのが、Windows 2000 以降で復活させていたり、Mac OS X でもバックグラウンドで低負荷時に defragmentation を行っていたりすることからも容易に推測できることである。

少なくとも Debian GNU/Linux においては、distro はそんな脊髄反射的な思想に汚染されてはいない。最近は ext4 を defragmentate できる e4defrag というソフトがちゃんと /usr/sbin に入っている(もっとも、僕はこれを診断モード以外で使ったことがない……ディスクスペースに余裕がある限りにおいて、Linux と ext4 の組み合わせでは defrag が問題になることがないのは事実である)。僕のように Windows・Mac OS X・Linux の間を行ったり来たりしながら日常を過ごしている者としては、NTFS の defragmentation を Linux 上でできると便利なのだが、一時期出ると噂のあった ntfsck も話を聞かなくなったしなあ……と思っていたところに、興味深い記述を発見したのだった。

Advanced NTFS-3G Features というページを見ていたら……:

UltraDefrag for Linux

UltraDefrag is a powerful Open Source Defragmentation tool for the Windows Platform. It can defragment any system files including registry hives and paging file. Also one of the main goals of UltraDefrag is doing the job as fast and reliable as possible.

It is being ported to Linux and NTFS-3G for defragmenting NTFS partitions. Currently only a test version in console mode is available. Please read the included file README.linux for compiling and testing.

そしてページの下の方には、ultradefrag-5.0.0AB.7.zip……beta 版だが、Linux 版 ultradefrag のソースへのリンクがあるではないか!

ultradefrag は、フリーの defrag ツールとしては Piriform Defraggler と並んでよく知られている。sourceforge で開発・公開がなされているというのもあるだろうけれど、この二つのツールはどちらも、パーティション全体だけでなく、ファイル単位での defrag にも対応していることが、その原因かもしれない。

とりあえず、上のリンクからソースの archive を取得してみる。展開して中の document を読むと……はぁはぁ、まだ configure とか使える段階ではないので、自分で Makefile を書き直してくれ、と。当たりをつけるために、ある程度書き換えてから make を走らせ、エラーメッセージを読みながら直して……を行うことにする。

まず、このソースをコンパイルするためには、ntfs-3g と ntfs-3g-dev をインストールしておく必要がある。僕の場合は既に入れてあるので、archive を展開してできる "ultradefrag-5.0.0AB.7" 内のディレクトリ src に入って、Makefile を書き換える。Makefile の修正箇所だけを抜き書きすると:

GCC=gcc
LD=ld
AR=ar
INCL=-I/usr/include/ntfs-3g -Iinclude
COPT=-DPPGC=1 -O2
GCCOPT=-DPPGC=1 -O2
LIB1=/usr/lib/x86_64-linux-gnu
LIB2=/usr/lib/gcc/x86_64-linux-gnu/4.7.1
NTFSLIB=/lib/x86_64-linux-gnu/libntfs-3g.so.*.0.0

……と、こんなところか。distro の違う人は適宜読み換えていただければよろしいだろう。このように Makefile を修正すると、make 一発で、udefrag というバイナリが生成される。このバイナリを /usr/local/sbin に移してから、/usr/local/man/man8 というディレクトリを切って、ultradefrag-5.0.0AB.7/src/man/udefrag.man を /usr/local/man/man8/udefrag.8 という名前でコピーしておけばよろしい。詳細は udefrag に何もオプション・引数を付けずに実行するか、man udefrag で参照していただきたい。

最後に強調しておくけれど、現時点ではこの Linux 版 ultradefrag はあくまでも beta version である。使用にはくれぐれも注意していただき、壊すわけにはいかないパーティションに適用するのは控えられることをお薦めしておく。

そういう季節になったので……

なぜオスプレイは危険だといわれるのか(番外編)

土曜の夕方は、他に用事がなければ『報道特集』を観ることにしていて、今日(2012年8月4日)も観ているところなのだけど、さっき流れたニュースで、顎が外れるような心地にさせられた。

V-22 オスプレイの問題に関して、訪米中の森本敏防衛相がワシントンでメディアを引き連れて試乗を行ったらしい。そのときの森本氏のコメントがまずダメダメである:

想像以上に飛行が安定していた」
いや、どんな想像してたんですか、森本さん? ここは「想像通り飛行は安定していた」って言わなきゃならないところでしょう。しかし、このコメントに関しても報道のされ方は引っかかるところがあって、MSN 産経読売新聞朝日新聞の記事では「想像以上に飛行は安定した」と書かれているのに対し、時事通信日本経済新聞では「非常に安定した」と書かれているのだ。あれだけ記者が雁首並べて、IC レコーダー等も持っているだろうに、どうしてこんな風にコメントが分かれるのだろうか?

おそらく、この齟齬の原因としてまず考えられるのは、それだけ音が大きかった、ということである。オスプレイのローターの大きさからしても、その騒音は並のプロペラ機と比較してもかなり大きいだろうし、当然、今回乗った人は皆防音のヘルメットを被らされた筈だから、ノイズキャンセルのインカムなしではコメントを聞き取るのは至難の業だったはずだ。

しかし、この点に関しても、各社で書いていることが微妙に異なっている。上記リンクした各社の記事から該当部分を引用すると:

森本氏は試乗後、記者団に「想像以上に飛行が安定していた。騒音もそれほど大きいという印象は受けなかった。早い時期に沖縄県知事に会って説明したい」と語った。(読売新聞)
騒音についても「それほど大きな被害を受けるという印象は持たなかった」と語った。(時事通信)
というのに対し、朝日新聞は、
森本氏は、地上でオスプレイの飛行時の騒音も確認。「やっぱり音だな」とつぶやくと、米海兵隊幹部が「(音が大きいのは)基地の中だけだ」とあわてて説明した。森本氏は試乗後、「想像以上に飛行が安定している。音は、市街地にあまり大きな影響を与えないだろう」と語った。(朝日新聞)
と書いている。また、東京新聞が掲載している共同通信の記者が書いた体験記には、
固定翼モードでも揺れが多いのは意外だった。民間プロペラ機と同様、気流の影響と思われる上下の揺れを何度も経験した。搭乗者は全員、防音機能の付いたヘルメットを着用。右耳の耳当て部分を外して騒音を確かめたが、あまりの音の大きさに驚き、すぐに元に戻した。
と書かれている。一体本当はどうだったのだろうか? やはり、このように各社の記述に齟齬が生じたのは、真相にアクセスし難かった(つまり、うるさくてよく聞き取れなかった)と考えるのが一番自然だと思われるのだけど。

で、何が顎の外れる思いをさせたのか、という話だけど、『報道特集』で、オートローテーションを行う可能性について日本政府関係者が、

「そんなことが起こる事態は考えられない」
と語った、というのである。

ここで重要なのは「オートローテーションを行わなければならない可能性は極めて低い」あるいは「ない」というのではなく「考えられない」というコメントだった、というところである。言葉尻をとらまえて何を言うか、と言われるかもしれないけれど、官僚や政府関係者が報道関係などにコメントする際、一番彼らが注意するのは、その「言葉尻」なのである。後々どのような事態に至ったとしても、責任追及されることを避けられる余地を残すことを、彼らは何よりも重要視するからである。

オートローテーションを行う可能性が統計的に十分な信頼性をもって「無視し得る程に低い」のならば、彼らはそうコメントするはずである。しかし、そこに恣意的解釈の余地を残した「考えられない」という言い回しを使う、ということは……皆さん、もうあの原発事故を経験しているんだから、よくお分かりになるんじゃないですかね。これがいわゆる「想定外」というやつである。

それにしても、森本氏も、このコメントを出した政府関係者も、とにかく脇が甘い。甘過ぎである。森本氏はこういう官僚的視点からの言質の問題をまだよく理解していないのかもしれないが、政府関係者が、この期に及んで尚「想定外」と規定することで責任追及を逃れ得ると考えているのだとしたら、これは頭に腐ったオガ屑でも詰めているんじゃないの? と言われても仕方なかろう。いやはや、こんな手合いがこの国を動かしている。これが現実だ、ということらしい。

そして、このコメントの裏には、最悪の場合、逃れなければならない程の追及を受ける可能性を、彼らが感じている、ということが透けて見える。僕はこのコメントを聞いて、ああ、やっぱりオートローテーションに関して彼らは危険性を認識しているんだなあ、と確信せざるを得なかったのだ。

実はメディアの人々も、同様の結論に至っているのかもしれない。以下に時事通信の記事を引用して、この番外編を終えることにしよう:

結論ありきの「安全」演出=オスプレイ配備へ日米合作−地元説得に高い壁

【ワシントン時事】3日(日本時間4日)の日米防衛相会談とその後に行われた森本敏防衛相の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ試乗は、両政府が協力して同機の安全性をアピールする場となった。しかし、「配備ありき」の姿勢に沖縄など地元が態度を軟化させる可能性は低く、説得のハードルはなお高い。

◇絶賛する防衛相
「飛行は大変快適」「横振れは全くない」「騒音がそれほど被害を受ける印象はない」。試乗後、ワシントン市内で記者団に感想を問われた森本氏は、オスプレイを絶賛するようにまくし立てた。
 森本氏は航空自衛隊在籍当時、戦闘機部隊で整備員を務めていた「エキスパート」(防衛省筋)。自らその経歴に触れた同氏は「安定飛行できることは(地元に)説明できる」と胸を張った。
 これに先立ち、国防総省で行われた防衛相会談では、日本での運用に際し住民の安全に万全を期す方針を確認。直後の共同記者会見でパネッタ米国防長官は「最終的に日本で運用できると期待している」と、計画通り10月に沖縄の普天間飛行場で本格運用に入りたい考えを表明した。
 関係者によると、森本氏の試乗をめぐり、米側は「安全性を示す機会になり、地元の反発も和らぐ」と積極的に協力。普天間に現在配置されているCH46型ヘリコプターとオスプレイの両方を森本氏の前で飛ばし、騒音発生状況の比較までさせた。

◇理屈抜きの嫌悪感
 米側が予定通りの日本配備にこだわるのは、老朽化したCH46からオスプレイへの交代を既に世界規模で進めているため。CH46に比べ航続距離や速度が格段に勝るオスプレイは同盟国などへの売却も検討されている。多額の費用と長い年月をかけ開発した同機に「けち」がついてはたまらないという思惑も背景にあるようだ。
 オスプレイはアフガニスタンなど戦地でも日常的に運用されており、米側ではその安全性にほとんど疑問を持たれていないのが実態。しかし、開発・実験段階で相次いだ死亡事故が逐一報道されてきた沖縄では「理屈を超えた嫌悪感」(県幹部)が広がる。
 沖縄県の仲井真弘多知事は森本氏の試乗を控えた3日、那覇市内で「テストパイロットでもないし、(安全性確認に)何か意味があるのか」と冷ややかに語った。
 「老朽化に伴う単なる機種変更なのに、なぜこんなに騒ぎになるのか分からない」。7月下旬、地元の状況を直接説明するためワシントンを訪れた同県の又吉進知事公室長は、こう感想を漏らした米政府当局者に「そういう質問が出ること自体、現実を理解していない」と怒りをぶつけた。

◇運用制限に悲観論
 日本政府は地元説得の材料にするため、4、6月に起きた墜落事故の米側調査結果が出るのを受け、専門家による分析チームを派遣して安全性を自ら確認。同時に、両政府の担当者による日米合同委員会の場で、飛行の高度やルートに配慮するよう求めていく方針だ。
 しかし、日米地位協定に基づく在日米軍の活動に大きな制約を設けるのは実際には困難。「日本にできるのは配慮を要請することまで」(防衛省幹部)と悲観的な声が漏れている。(2012/08/04-18:00)

重みを軽んずる人々 III

オスプレイの話で書くのが遅くなってしまっていたが、僕の所属教会に関するグダグダな話の続きを書くことにする。

前回の話では、献堂50周年記念冊子を2部も送りつけられ、日曜に叩き返すつもりだ、というところまで書いたのだった。あの後、ただ叩き返しても連中は何も反省しないのだろう、と思い、手紙を添えることにしたのだが、ただ手紙を添えても黙殺されるだろうし、場合によっては逆ギレされて吊し上げを食らう可能性だってある(いや、連中は本当にそういう手合いなのだ……カトリックが聞いて呆れる、という話なのだが)。そこで、手紙のコピーに添状を付けて、教会の主任司祭にも送っておくことにした。以下に手紙と添状のコピー(一部加工してあるが)を示す。

土曜日の午後、例の冊子二部にこの手紙を添えた包み、そして手紙のコピーに添状を入れた封筒を携えて、僕は教会の事務に向かった。事務担当の O 女史を探したが、所用で席を外しているようだったので、包みに傷がつかないよう注意しながら、包みと封筒をポストに入れた。さあ、どうなることやら……しかし、U は淡々と、

「まあ、そんな手紙でどうにかなるんだったら、とっくに変わっているはずでしょう」

いや、そうなんだけどね……

そして翌日、僕はいつも通り9時半のミサに出たのだが、誰も何も言ってくる風でもない。これはおそらく手紙が黙殺されたに違いない……ということで、ミサ終了後、教会事務に行ってO女史に聞いてみると、

「ああ、あの包みは、献堂50周年記念冊子編集委員会の T さんにお渡ししましたよ」

なるほど、T 夫人か。いかにもこういう自分達に不都合なものを黙殺しそうな人だもんな。では T 夫人に……と、その前に、主任司祭の I 神父に仁義を切っておくことにしよう。

多忙でなかなか捕まらない I 神父だが、うまい具合に信徒会館の執務室に入るところを捕まえた。

「おお、Thomas 君か。お手紙、読ませていただいたけれど、他に何かあるのかね?」
「いえ、ただ、これで何か騒ぎになる可能性がなきにしもあらず、ですので、その時は神父様のお手を煩わせることになるかもしれないので、一言ご挨拶を、と思いまして」
「ほう、それはまたご丁寧に」

I 神父は、ここの信徒のグダグダぶりにすっかり絶望し切っているようで、我関せずの姿勢を崩さない。だからきっと今回も「Thomas 君、どうせ無駄無駄」とか思っていたのかもしれない。

聖堂の方に戻ってみると、T 夫人が正面入口から出てくるところだったので、

「T さん」

と何度か声をかけたが、ここでまさかのシカトである。僕をずっと無視して、友達らしき女性と facebook のことを話し続けている。それでやりすごせると思ったのだろう。しかし僕はそこまで諦めがいいわけじゃない。話が終わるまでそこに立って待っていた。

やがて、話相手の女性も去っていったので、再び声をかける。さすがに公衆の面前でシカトを続けることに体裁の悪さを感じたのだろう、ようやくこちらを向いた。

「ああ Thomas さん、手紙、見ました」

なるほど。読んだんじゃなくて見たんですね。あなたらしいやり方だよ。

「なんで2部送られてくるんですか?」
「え? あれはラベルを事務で印刷してもらったから事務の方の……」

おーい、事務室の O さん、あなたのせいにされてるよ。

「いや、重複チェック位しなかったんですか。それとも、それもできない位大量に送りつけたんですか?」
「……」
「とにかく、あの手紙、常任委員会の皆さんにも回して下さいね。特に信徒会長の S には、必ず」

はいはい分かりました、と言いながら、逃げるように T 夫人は立ち去った。

しかし、僕の手紙が連中に読まれたかどうか判然としない。S は未だに早口で祈りの言葉を先導するし、何ひとつ、グダグダぶりは変化していない。そして、後で聞いた話によると、この冊子の発送数は僕の予想を遥かに超えるものだったらしい。おそらく無駄に使われた金額は20万に迫らんとする程だろう。つくづく、信仰の彼岸にあるとしか思えない所業ではないか。

久々に

昔の自分のやったシミュレーション結果を久々に見ていて、少々引っかかることを発見した。こういうときは、実際にやり直してみるのも悪くない。

何せ、このシミュレーションをやった頃は、Mac OS X の原型であるところの NeXT とか、1秒あたりで課金されるスーパーコンピュータなどを使ってひーひー言いながら計算をやっていたのが、今やごく普通のパソコンでもできてしまう。まさに、かのムーアの法則が、ダイレクトにこの世界に反映しているのである。

幸いなことに、基になるソースは作者の現在のサイトで公開されている。ダウンロードしてきて、まず手始めに GNU Fortran でコンパイルしてみると、まあありがちな話だが、時間を読み取る関数でコける。えーっと、gfortran ではどんな関数だっけ、あー stime でいけるのね、とブツブツ言いながらソースを修正すると、さっくりコンパイルが通る。確か、昔には COMMON 文絡みで、一月位かけて泣きながらソースを修正したような記憶があるのだが。

こうなってくると、貧者の最速コンパイラ(但し僕のような AMD ユーザにとってはその恩恵に与り難いわけなのだが)であるところの Intel Fortran でコンパイルしたくなる。よせばいいのにコンパイラを入れて、ああそうだ stime じゃなくて、DATE_AND_TIME を call して……とまたちょこちょこ書き換えてコンパイル。うむ。問題なく通りますね。

とかやって、またちょこちょこと計算をやっている。ある物質の安定性が、どうもこの計算では保証し難いような気配なのだが、どうだったっけ。昔は、某氏の文献値をそのまま使ったんだよなあ。あの当時、計算で追試するなんてできる状況ではなかった(時間もお金も資源も)ので。今だったらちょろちょろっとジョブを突っ込んで、次の日の朝にはある程度結果が出ているんだから、いやはやムーアの法則は恐ろしい。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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