また発熱――その後

微熱とは言っても、まだ37度以上熱があるわけで、某医者のところに行って相談すると、

「風邪ですか?あーじゃぁ PL とフロモックス出しときましょう」

毎度のことだけど、いいのかなあ、こんな安易に処方してもらって。いや、まあ、それを僕の方でも利用しているわけだけど。普段は風邪のときには抗生物質の服用には熱心ではないのだが、今回は鼻と喉の粘膜をすっかりやられてしまっているので、フロモックスは有り難い。ということで、薬を貰って家に戻る。

皆さんも御経験のおありのことだとは思うのだが、こういうときってどうも中途半端でいけない。一応床は上げたのだけど、しんどくって横になる時間が多くて、こうして書きものをしていると、厭な汗がじわじわ出てくるし。本当に、風邪というのは厭なものだ。

さっき夕食を食べ終わったところなのだけど、また熱が上がってきた。一時は36度台になっていたのが、また微熱状態である。しんどい。やはり耳鼻咽喉科に行くべきだったか。

また発熱

昨日、喉がえがらっぽい、という話を書いていたけれど、夜になっていよいよしんどくなってきた。帰りの電車の中で、節々が痛くてシートに当たる身体の位置を変えながら、iPod で音楽でも聞いて気を紛らわせようと思ってかけた曲が Todd Rundgren の "Influenza":

だった。いや、節々の痛さで「あーこれぁまたやっちまったか」と本気で思っていたのだった。

帰宅後検温してみると、体温は 38.3 度……あーこれぁ駄目だ、と思った。とりあえず手近にあった PL を飲み、なんとか床に就いたのだった。

で、今朝起きてみると……ん? 少し楽だぞ? どういうこと? 検温してみると、体温は微熱と言えるところまで落ちている。まあ可能性は二つあって、風邪だったのか、あるいは一度感染した新型インフルエンザのウイルスに再感染したのか、のどちらかだろう。しかし、日曜に雨で濡れたせいなのか、扇風機でがんがん風を浴びていたせいなのか……よく分からない発熱であった。

Linux-3.0-rc1

この何年かは、何か作業をしていても、一日に2、3度は "finger @finger.kernel.org" と入力することがある。今や使う人がほとんどいないであろう finger を、ほぼこれのためだけにインストールしているわけだけど、さっき finger をかけたら、ついに linux-3.0-rc1 が登場したようだ。

finger.kernel.org.result.jpg

早速アーカイブを落として、先程 configure を済ませ、今 build 中なのだけど、ぱっと見た限りでは、

  • タスクのプライオリティのブースト機能
  • Intel ATOM 関連の拡張
  • ACPI 4.0 への対応
辺りが目についたところ。まあまだソースツリーの中身を精査していないので、これ以上は何とも言えない。

などと書いているところで kernel package 作成終了。早速 boot してみる。

linux-3.0.0-rc1.dmesg2.jpg

喉が……

いがらっぽい。昨夜毛布をかけずに寝て、明け方に寒くてかけ直した記憶があるので、そのせいかもしれない。

で、そのことを blog に書こうとして、ふと思ったのだ:「いがらっぽい」ってどういう意味か、と。いや、辞書に書いてあるような意味……たとえば「喉が刺激に弱くなっている」とか「不快な刺激を感ずる」とか……は分かるのだが、そもそも「いがらっぽい」という言葉の由来は何なのだろうか。存外、人はこうして日本語を知らないものである。

で、辞書をひいてみると……いやあ、今日僕は不明にして初めて知りましたよ。「がらっぽい」は「がらっぽい」の慣用表現だったのだ。漢字で書くと「蘞辛っぽい」である。もともとは「蘞辛い」(えがらい)という言葉があって、ここから派生して「蘞辛っぽい」と言うようになったようだ。辞書には漱石の『虞美人草』の一節が文例として引用してあった。

 黒い影は折れて故(もと)のごとく低くなる。えがらっぽい咳が二つ三つ出る。
「咳が出ますか」
「から――からっ咳が出て……」と云い懸(か)ける途端(とたん)にまた二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然(ぶぜん)として咳の終るを待つ。
「横になって温(あった)まっていらしったら好いでしょう。冷えると毒です」
「いえ、もう大丈夫。出だすと一時(いちじ)いけないんだがね。――年を取ると意気地がなくなって――何でも若いうちの事だよ」

実はニューウェーブ?

「生まれて初めて買ったレコードは何?」という質問は、今は二重の意味で通用しない質問になってしまった。もちろん、音楽がデジタルメディアベースになった、ということもあるけれど、現在の音楽ビジネスではもはやメディアがやりとりされなくなりつつあるわけで、そういう意味でもこの質問は過去のものになりつつある。

僕の場合は、初めて買ったレコードは……そう、レコードだった。45 RPM のドーナツ盤というやつだ。まあここまではいい。何を買ったか話すと「えー Thomas さんがそれぇ?」と大抵言われるのだ。まあ確かに、今の僕の音楽嗜好だとこれは想像し難いかもしれないのだけど、僕が初めて買ったレコードは SALON MUSIC の『デュエットに夢中 (WRAPPED UP IN DUET) / Muscle Daughter』なのである。

SALON MUSIC というユニットは、カテゴライズが非常に難しい存在なのだけど、とりあえず、僕がこのドーナツ盤を買った頃やそれ以前の括りで言うならば、おそらくニューウェイヴ(それ以降の彼らを知る人々から猛攻撃を受けそうだけど)ということになるんだろう。今になって顧みるに、この時期に、まさかホンダの CM に彼らが起用されるなどとは誰も思わなかったろうし、それを実現させた人々はまさに先見の明があった、と言うしかない。

そう言えば、この事実を告白すると、一時期「うんうん」と言われることがあって、何故かと思っていたら、

「そーだよねえ、あの人達 Moon にいたもんねえ」

いや、違いますから。別に山下達郎と同じレーベルだったから聞くとか聞かないとかじゃないし、そもそもこのシングルの頃は彼らはポニー・キャニオンに在籍していた筈だ。ちなみに今は、あの小山田圭吾のトラットリアである。まあ、吉田仁という人はパーフリのプロデューサーだったしね。

僕のように、自分で多重録音で音楽を作りたい、と考えていた人間にとって、SALON MUSIC の存在はとにかく憧れだった。アナログ・オープンリールの 8 tr. や 16 tr. を使って、プライベート・スタジオで音楽制作、なんて話を雑誌で読んでは、悶絶せんばかりの羨望を感じて溜息をついていたものだ。

しかしなあ。今の僕の周辺状況は、おそらく当時の彼らなんかよりもっと楽に音楽制作ができる状況なんだろうと思うけれど、とかく何かとままならないことが多くて、制作が滞っているのが、何ともなあ。ある精神科医が「アートは完全に自由な心が必要なんだ」と言っていたけれど、そういうマインドを作る努力なしには、たとえアマチュアでも、制作なんてままならない。そんなことを思いつつ、久し振りに今夜は、その僕が初めて買ったシングルと同じ音源を聞いたりしているのだった。

「今日で世界が終わる」って?

山形浩生氏の web ページを見ていたら、興味深い記述をみつけた。今日、つまり2011年5月21日(って、もうすぐ日付も代わるのだが)に、世界が滅亡するというのだ。

これに関して興味がおありの方は、google で "May 21 Judgement day" で検索していただけるとよろしい。おそらく検索すると一番最初に出てくるのはこの URL だろう:
http://judgementday2011.com/may-21-judgement-day/
この URL を見ると、"Judgement Day is May 21, 2011 The Rapture is Coming !" と書かれている、あーはいはい、rapture ね、と思われる方は……おそらく日本人ではそう多くないかもしれないが、rapture というのは日本語で「携挙」と言われるものである。

携挙というのは何か、と言われると、僕としては少々困ってしまう。これはキリスト教の言葉ではあるのだが、カトリックで用いられることのない言葉だからだ。「携挙」とはプロテスタント、特に終末思想を強く主張する福音派の人々や、いわゆる fundamentalism(聖書根本主義)を信奉する人々が主張する概念である。ざっくりした話は、上にリンクしておいた Wikipedia のエントリーにコンパクトに書かれているけれど、この世の終わりが来たときに、人が天に上げられることをこう呼んでいて、この言葉を使う人々は、以下の聖書の記述が実現されることだ、としている。

主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

―― 1 テサロニケ 4:15 - 18

この 1 テサロニケ、つまり『テサロニケの信徒への手紙 一』というのは、パウロが最初期のキリスト教宣教において遺したと言われている文書で、おそらくこの記述は、共観福音書で「終末の徴」と書かれる箇所(マタ 24:3 - 14, マコ 13:3 - 13, ルカ 21:7 - 19)を反映したものだと思われる。

ではなぜ僕達カトリックが携挙を重要視しないのか、というと、『テサロニケの信徒への手紙 一』で述べられている主の再臨というのが、この書簡を読んでいる人達の存命中に起きることを意図して書かれているからである。当時、キリスト教というのは迫害の対象で、特にパウロの生きていた頃はローマ皇帝があの悪名高きネロだった頃だから、キリスト教徒は一種のスケープゴートとして、たとえばローマの大火の後に虐殺されたりしていた。当時の人々にとって、苦難の時期とは、彼らが生きているその時代そのものだったし、彼らの生きているうちにそこからの救済が齎されることが、彼らの心の支えだったのである。

しかし、プロテスタントはそんなことは考えない。彼らの信仰の根本にあるのは "sola scriptura"、つまり「聖書のみ(に依る)」、という姿勢だから、聖書にそう書いてあったら、今の自分達に神から齎された真理だ、と考える(いや、皆が皆そうだと言うわけでもないんですが)。だから「携挙」なんて話になるわけだ。

これが、現代の人々、特にアメリカのプロテスタントにどれ位リアリティのある話なのか、おそらく日本の普通の方々には分からないと思う。アメリカで、この「携挙」に与れずに「取り残された」人々の姿を描いた『レフトビハインド』(Left Behind)という本が、全米でなんと650万部以上を売り上げるベストセラーとなり、映画化もされ、シリーズは現在第12弾が発売中、という状態であることは、この国で暮していると耳目に触れることはまずない。映画の方は、一応『人間消失』という題名で日本でも DVD 等が販売されているのだが、まあ日本人には受けないだろうし、実際受けていない。

しかし、この blog でも何度か触れている通り、アメリカ人の大体3割程度が福音派のプロテスタントであり、程度の差こそあれ、このような世界観を現実のものとして信じている。こう書いても信じてもらえないかもしれないが、これは厳然たる事実である。

今回の 5/21 世界滅亡説に関しては、さすがにアメリカ国内でも「何だかなぁ」という感じで受け止められているようだが、とにかくこういう話は今回が初めてではない。かつて、1970年にハル・リンゼイが発表した "The Late, Great Planet Earth" という本が、同じように熱狂的に受容されたという経緯もあるし、今後も同じような話は散発するだろう。そのときには是非注意して、頭に留めておいていただきたいのだ。信じ難いかもしれないが、彼らは、そして多くのアメリカ人は、実は結構本気なのだということを。

スクープの奇妙な中身

昨夜は午後10時過ぎに帰宅して、その後食事をしながら『NEWS23 X』を点けたら、TBS のスクープがトップに流れた。

1号機海水注入、官邸指示で中断

困難な作業が続く1号機。その1号機をめぐり震災の翌日、隠された事実があったことがJNNの取材で明らかになりました。

「先ほど午後8時20分から、現地では1号機に海水を注入するという、ある意味、異例ではありますけれども、そういった措置がスタートしています」(菅首相、3月12日)

3月12日。水素爆発を起こしたばかりの1号機の原子炉を冷やすべく、午後8時20分から海水の注入が始まった・・・、とこれまで言われてきました。しかし、実はそれより1時間以上早い午後7時4分に海水注入が開始されていたことが、東電が今週公開した資料に明記されています。これは、真水が底をついたため、東電が海水注入に踏み切ったものです。

政府関係者らの話によりますと、東電が海水注入の開始を総理官邸に報告したところ、官邸側は「事前の相談がなかった」と東電の対応を批判。その上で、海水注入を直ちに中止するよう東電に指示し、その結果、午後7時25分、海水注入が中止されました。

そして、その40分後の午後8時5分に官邸側から海水注入を再開するよう再度連絡があり、午後8時20分に注入が再開されたといいます。結果、およそ1時間にわたり水の注入が中断されたことになります。

「(注水)停止の理由、経緯については現在、確認している段階」(東京電力の会見)

1号機についてはメルトダウンを起こし、燃料がほぼすべて溶け落ちた状態であることが明らかになっています。海水を注入すると、含まれる塩分などの影響で原子炉が損傷するなどのリスクもありますが、専門家は「事故の初期段階においては、核燃料を冷やし続けるべきだった」と指摘。

「(Q.真水が尽きれば速やかに海水注入すべき?)原理的にまさにそういうこと。とにかく水を切らさないというのが主な方策。淡水(真水)がなくなれば、海水を入れるというのが自然の流れ。(Q.中断より注入を続けた方が良かった?)そうだと思いますね」(東京大学総合研究機構長・寺井隆幸教授)

なぜ、官邸は東電からの報告を受けた後、注入を中止するよう指示したのでしょうか。JNNでは政府の原子力災害対策本部に対し文書で質問しましたが、対策本部の広報担当者は「中止の指示について確認ができず、わからない」と口頭で回答しています。

原発を所管する海江田経済産業大臣は20日夜・・・。

「まだ私はそれを承知していません。(Q.事実ではないということ?)今、突然聞いたお話ですから、どういうことをおっしゃっているかよく分かりませんから、確認したいと思う」(海江田万里 経産相)

(20日23:37)

これは前にも書いたことだけれど、原子炉の冷却喪失が発生した場合、とにかく唯一にして最大の対策は炉を冷やすことだ。冷やす手段は水しかない。だからとにかく、水を突っ込むしかないのである。それを止めるなぞ、これは気違い沙汰だとしか言い様がない。

しかし、昨夜は二つの理由から、この件に blog で言及することをやめていた。ひとつは、僕が疲れていたから。もうひとつは、「何故注水を止めさせたのか」という、その彼らなりの論拠がつまびらかになっていないからだった。で、一晩が経って、時事通信社から出てきたニュースがこれである。

海水注入が一時中断=再臨界懸念し菅首相指示−福島1号機

東京電力福島第1原発事故をめぐり、発生直後の3月12日に東電が1号機で開始した海水注入に対し、政府が「再臨界の可能性がある」として一時停止を指示し、1時間程度海水の注入が中断していたことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。海水注入の中断で、被害が拡大した可能性もある。

1号機では、3月12日午後3時半すぎ、水素爆発が発生。東電の公開資料によると、東電は同日午後7時4分から海水注入を開始した。一方、首相官邸での対応協議の席上、原子力安全委員会の班目春樹委員長が再臨界が起きる可能性を菅直人首相に進言。これを受けて首相が中断を指示し、午後7時25分に海水注入を停止した。

その後、問題がないと分かったため、午後8時20分に海水とホウ酸の注入を開始したが、55分の間、冷却がストップした。

東電は1号機に関し、3月12日の午前6時50分ごろ、メルトダウン(全炉心溶融)が起きていたとしている。(2011/05/21-01:33)

上引用記事の下線は Thomas による。これを読むと、「班目春樹委員長が再臨界が起きる可能性を菅直人首相に進言」とあるが、一般論を言うと、水を喪失した原子炉に注水すると、再臨界が起きる可能性があるのは事実で、それは水が中性子を減速するために、核分裂に寄与する低速中性子の密度が高まるからである。

しかし、

  1. 原子炉の運転は緊急停止し、炉内には制御棒が押し込まれた状態になっている。
  2. この時点では、対外的には未だ炉内の燃料棒が健全だとみなされていた時間帯である。
という前提があるわけで、それを考えると、再臨界の危険を主張することも、それを受けて注水を停止させることも、論理的にその行動の説明がつかない。つまり、上に提示した前提のいずれかが崩れている、と官邸か原子力安全委員会、あるいはその双方が認識していた、と考えるのが妥当であろう。

上記 1. は、これはすぐに確認できたはず(制御室に電話なり専用回線なりで聞けば済む話だ……東電は電力供給網の管理のために自前の通信システムを持っているんだし)だし、原子炉の仕様上、制御棒は挿入されていると考えるのが妥当だろう。となると、官邸や原子力安全委員会が「崩れている」と考えていた前提は 2. だ、ということになる。2. が崩れている状態というのは、これは炉心が完全に崩れ落ちているような状態ということである。部分的に燃料棒の破損があったとしても、その形状の健全性がある程度維持されているならば、制御棒挿入で再臨界は防げるはずなのだ。つまり、これらから何が言えるのかというと、この時点で官邸や原子力安全委員会は、炉心の完全な崩壊が起きている可能性を考慮していた、ということである。

先にも書いたように、冷却喪失の事態が発生した場合、とにかくできることは冷やすことしかないのである。必要なら、後々非常に面倒なことになるとしても海水を注入することが必要である。注入する水が淡水か海水か、ということは、再臨界が起きやすいか起きにくいか、ということとは全く何も関係しない(前に書いたように海水の溶存元素の放射化という問題はあるけれど、溶存元素の放射化は、低速中性子の空間密度上昇には何ら寄与しない)。注水を中止したということは、その水が海水か淡水か、ということではなく、注水によって更に酷い状況になる、と考えていなければそうなり得ないはずなのだ。そのような判断に至る理由としては、上に書いた「炉心の完全な崩壊が起きている可能性を考慮していた」ということしか、あり得ないのである。

だから、もしこれが本当だとしたら、事故発生から極めて早い段階で、官邸と原子力安全委員会は、炉心が崩壊していたことを把握していたことになる。それを、連中は、つい何日か前まで、全く知らないような顔をしていた、そういうことになるのである。

SKKIME――使ってみる――

そんなわけで、SKKIME の使い方を書いておくことにする。

まず、どんな人が SKKIME を使うとより恩恵を受けるか、というのを書いておくけれど、まず、結構な量の日本語をコンピュータ上で書く人だろう(僕はこれだ)。特に、漢字の送り仮名に関して自分の感覚を持っていて、IME 任せにすることに強い抵抗感のある人(僕はこれでもある)にはお薦めしたい。

次に、フリーの IME を使いたい人。特に 64 bit native の IME を使いたい人には、SKKIME はお薦めである。ちなみに現在、Microsoft Windows 上で使用できるフリーの IME は、概ね以下の通りであろう。

最初の Social IME は、慶應の理工で修士の院生が開発したものなのだそうだが、IPA のバックアップを受けて、2009年から公開されているらしい。いわゆるクラウド型で、変換辞書はユーザが皆で共有するかたちになっている。実は、これの開発においては SKKIME も参考資料の一部となっているらしいが、使い方は従来通りの、形態素解析を任せるかたちの変換である。また、今のところは 32bit binary しか公開されていないようだ。

「Google 日本語入力」は、ここを読まれている方で実際に使われている方が多いのではなかろうか。これも Google のリソースを利用したもので、クラウド型と言えないこともない。これは 32 bit、64 bit 双方の binary が公開されている。また、開発成果は open に公開されていて、Mozc: http://code.google.com/p/mozc/ で入手できるし、Debian GNU/Linux などでは既にパッケージが公開されているようだ。

Baidu IME は、2009年末に Windows Vista / 7 向けの公開が始まり、今年3月には 64bit binary の公開も始まっている。個人的には、これの使用を薦める気もないし、自分が使う気もない。これ以上言及する必要も感じない。

そして SKKIME だが、まず上記リンク先を見てみよう:
SKKIME-top.jpg
このページには、更新情報と各 binary に関する必要情報しか掲載されていないので、最初は面喰らうかもしれないが、まずはこのページの下方を見てみると、こういう箇所がある:
SKKIME-v1.5dl.jpg
ここで、現時点での最新の binary を公開している。最新の日付の、個々のシステムに合致した binary をダウンロードする。僕の場合は Vista 64bit の binary をダウンロードすればいいわけだ。

binary は targzip で圧縮されている。Windows 上で展開するためには、たとえば Lhaz:
http://www.chitora.jp/lhaz.html
のようなソフトを使えばよろしい。展開したフォルダ内にある .msi ファイルでインストールを行えば、システムのインストールは完了である。先に書いた Microsoft C++ の再頒布可能パッケージに関しては、現行最新の binary では static link されているはずなので、もう特に何も考える必要はないと思うが、万が一何かトラブルがある場合は、ここが疑うべき箇所のひとつである。

設定を行う前に、辞書ファイルを用意しておく。SKK の辞書ファイルはテキスト形式で、最新のものは SKK Openlab から辿れる:
http://openlab.ring.gr.jp/skk/dic/
にある。色々ファイルが並んでいるけれど、必要なのは SKK-JISYO.L.unannotated.gz である。もともと SKK の辞書内には、annotation と呼ばれる項目語の注釈が入っているのだが、SKKIME は基本的にはこの annotation に対応していない。よって、annotation を除去した辞書ファイルを取る必要がある。この gzip 圧縮ファイルを解凍すると、SKK-JISYO.L.unannotated というファイルが生成されるので、これをどこかに置く。置き場所はユーザーフォルダ内に、たとえば dic というフォルダを作って入れるなどすればいいのだが、僕の場合は C:\usr\share\dic に置いている。あまり変な path でなければ問題は生じないと思う。

さて、インストールが終了した後、画面右下の IME のアイコン(もしくは IME パッドのアイコン)をクリックすると、
SKKIME-select.jpg
(順位は逆になっていると思うけれど)のように SKKIME を選択できるようになっているはずである。

IME のアイコンを右クリックして:
SKKIME-select2.jpg
「設定」を選択すると、このようなパネルが出る。
SKKIME-config01.jpg
このパネルの上のフィールドで default の IME を設定できる。また、下のフィールドで IME の優先順位を設定できる。ここでは双方共、SKKIME を優先するような設定になっている。

設定は、下のフィールドで SKKIME を選択した状態で、「プロパティ」を押す。
SKKIME-config02.jpg
ここで必ずチェックしなければならないのは、この「辞書設定」のタブの中身である。注意することとしては、

  • ユーザ辞書の path が実在しない path になっていないかどうか確認すること
  • 「ソート済みファイル辞書」として、先にダウンロード・格納した SKK-JISYO.L.unannotated を指定する。
  • 下のフィールドでの各辞書の優先順位を確認する(ユーザ辞書を上位にしておくこと)。

……と、こんな感じで設定していただいて、あとは SKK 方式に慣れていただければ、快適な日本語入力環境を使っていただけることと思う。

SKKIME――割り切った日本語変換システム――

僕は、日本語入力システム (IME) として、SKKIMEを使っている。これは UNIX 系の環境下で、この十数年間ずっと SKK を使ってきたから、というのもあるのだけど、世間で「いや、実はずっと SKK を使っていまして」と言うと、まるでガラパゴス島で進化に乗り遅れた生物でも観るかのような視線を向けられるのが、もうどうにも厭になってきている。だからといって、SKK を使わない生活など僕には考えられないわけで、そういう「自分達は進化の王道を行く存在だ」という故なき(暴力的な)確信に対して、ここで改めて物申そうと思うわけだ。

世間で最もユーザの多いパソコン用 OS というのは、おそらく Microsoft Windows だろうと思う。これは別に Windows が優れているからではなく、まるで辞書に載っているような de facto standard の一例であるに過ぎない。僕の場合も、普段は Linux 上でほとんどの作業をしているけれど、Steinberg Cubase を使うときには、Microsoft Windows 上で作業をしている。このソフトは音楽制作に使われる、いわゆる DAW だけど、僕の場合は何から何まで自分一人でしているので、このソフトを立ち上げながら詞を書いたりする場合もある。それに、世間のほとんどの方が体験されたことがあると思うけれど、Windows 上でないとできない作業を(当然のことのように)要求されるときというのがあって、10年位前は、仮想環境上で Windows NT 4 を動かしていたのだけど、今は音楽制作用に使っているデュアルブートの Windows 環境上で、そういうことをしているわけだ。こういう風にパソコンを使われる方が、おそらく世間でもかなりの割合を占めているのではないかと思う。

そういう方々は、日本語入力をどのように行っているのだろうか。おそらくは Microsoft IME を使っていたり、Google 日本語入力を使っていたり、あるいは ATOK を使っていたりするのだろうと思う。まあ皆さん、日本人として日本語を書く上ではどなたも一家言あって、それに準拠したかたちで日本語入力システムを選択されているのだろうと思う。

僕が初めてコンピュータ上で日本語を書くようになったのは大学に入ってからだけど、あの頃、日本語変換システムというのは無料で入手することがほぼ不可能だった。当時は、何やら怪しげな手段で入手した ATOK 6 を日本語入力に使用していたように記憶している。あの頃の貧乏大学生は、ベントラベントラ……と唱えると、どこからともなく5インチフロッピーディスクが現れて、その中には VZ Editor と ATOK 6 、それに Ngraph が入っていて、これで学生実験のレポートを書いたりしていたのだった。当然、ハードは NEC PC98 である。

この頃、懸賞論文に応募したり、毎週行われる学生実験のレポートを書いたり、と、とにかく日本語を大量に書く日常だった。しかし、しばらくの間、僕はパーカーの万年筆と原稿用紙でその作業を行っていた。ひもじい思いをして買ったパソコンがあるにも関わらず、である。それは、パソコンで日本語を書くことに対する拭い難い違和感があったからだ。

たとえば、僕は「あらわれる」を「現れる」、「あらわす」を「表す」と書く。しかし、パソコンの日本語変換では「現われる」「表わす」という変換候補が必ず出てくる。世間では、それらは一応誤記ではないということになっているけれど、僕の使う日本語において、それらの送り仮名はありえないものである。

また、「むかい」というのは「向かい」と書くことも「向い」と書くこともある。電話で「そちらへむかいます」などと言うときは「向かい」を使うし、「むかいの家の○○さんが」と言うときには「向い」を使う。これも、世間では混同されることがままあるのだけれど、僕の日本語のローカル・ルールでは、これらは使い分けられなければならない。しかし、パソコンの日本語変換では、このような表現の機微を反映した変換はなされなかった(最近の ATOK を使う機会がないので今どうなのかは知らないけれど)。

この問題に関して、国ではちゃんと内閣告示を出している:『送り仮名の付け方 内閣告示第二号』というのがそれなのだけど、これを見ると、

許容 次の語は,( )の中に示すように,活用語尾の前の音節から送ることができる。
表す(表わす) 著す(著わす) 現れる(現われる) 行う(行なう) 断る(断わる) 賜る(賜わる)
ここにも書かれているけれど、「表わす」のような書き方は、動詞の活用語尾の前から仮名で表記している。ここに僕は強い違和感を感ずるので、「表す」と書くわけだけど、「表わす」でも間違いではない。だから、ジャストシステムがおかしなシステムを作っていた、というわけでは、決してない。

しかし、だ。言葉というのは、自我にある意味直結したものなわけで、それを表出するときに、こういう違和感を感じるのは、これは些細なようでいて、実は非常に大きなストレスを生む。だからこそ、僕は大学の2、3年まで、レポートは紙に万年筆で書いていた。自分の字が綺麗ではない、というコンプレックスを抱えていたにもかかわらず、だ。

大学の学部生活も後半になってくると、さすがに電子化を避けて通ることができず、僕はぶつぶつ言いながら VZ Editor と ATOK 6 で日本語を書くようになった。しかし、UNIX 系 OS の上で仕事に関わる作業をするようになったとき、このストレスが頂点に達した。当時、UNIX 系 OS においては、サーバー・クライアント型の日本語変換エンジンである Canna(現在はフリーウェア化されて canna.sorceforge.jp で公開されている)が使われていたのだけど、この Canna の日本語変換が僕にはしっくりこなかった。大学3年から使い出した NeXT には……たしか VJE-γ だったと思うけれど、商用の日本語入力システムが入っていたけれど、これもどうもしっくりこないし、その上に重かった。

その頃、僕は GNU Emacs を使うようになっていたのだけど、Emacs 上で動く日本語変換システムに SKK というのがある、という話は聞いていた。しかし、周囲に使っている人がおらず、また当時の日本語入力環境を劇的に変える勇気もなかったので、手を出せずにいた。しかし、周囲に SKK 関連の開発に従事している人物がたまたまいて、彼の影響でようやく SKK に手を出したわけだ。これから説明する問題に関して、SKK の示したソリューションは実に秀逸なものだったので、今に至るまで僕は SKK を使い続けている。

日本語変換というのは、実はかなり複雑な作業をしている。既存の日本語入力システム(以下 IME と称す)の場合、多くの人はローマ字で、日本語の文字列を入力するわけだが、まずローマ字を平仮名の文字列に変換し、その文字列に対して「どこが漢字でどこが仮名か」というのを解析する。このような処理を形態素解析と言うのだが、たとえば、

私はカモメ、とテレシコワは言った。
という文章を例にして考えてみよう。最初に "watashiha" と入力すると、IME は "watashi" まで仮名で変換したところで、これが「私」という辞書項目に一致することを見出す。すると、"watashi" の後にくるのは送り仮名である可能性が高いので、"watashiha" →「私は」と変換しかけて、これでいいですか、と確認を取る。オーケーなら次に進むわけだが、ひょっとすると入力者は、
私歯が痛いんです、とテレシコワは言った。
と入力したいのかもしれない。そういうときは、変換範囲をユーザに調節してもらって、「わたし」までで漢字に変換し、「は」も改めてユーザの選択で「歯」に変換してもらう。このように、どこからどこまでが漢字で、どの部分が送り仮名なのか、ということを、文章を「分ち書き(わかちがき)」してはっきりさせて、漢字に変換したり、しなかったりする、というのが、IME のやっていることなのである。

実は、この形態素解析というのはかなり難しい。具体的には、言葉を辞書で置き換え、その間をつなぐ送り仮名を日本語の文法に沿って推測する、ということをするわけだけど、日本語の文法というのは決して一意的なものではない。先の文科省の文書などを見ても、ある単語の「漢字 + 送り仮名」の組み合わせにいくつかのバリエーションを認めているのである。たとえば google 日本語入力は、検索データベースを巨大な辞書とみなして、このバリエーションの数をカウントし、使われている数(実際にはこれに加えて、google が発展したキーでもある、情報の確かさという概念が加わるのだろうが)の多い順に候補を表示する、ということを行っている。しかし、そのような膨大な日本語の言い回しのバリエーションのデータベースというものはもともと存在していなかったので、このような形態素解析をどう行うか、が、日本語入力のキーテクノロジーだったわけだ。

このような形態素解析の問題が、僕が先に書いた「違和感」の正体に他ならない。最初のうちはユーザ辞書を一所懸命鍛えるわけだけど、使い方によって分ち書きのパターンが変わるような言葉では、ユーザ辞書を鍛えるだけではどうにもならない。だから僕は、エディタで日本語を書くたびにイライライライラさせられていたわけだ。

では SKK はどうしているのか。これは極めて明解な方針に則っている。SKK は、形態素解析を行わないのだ。SKK は、文字列の入力時に、入力者が分ち書きをする。だから、その部分で IME の判断ミスによってイライラさせられることがないのだ。

たとえば、先の例で SKK を使用する場合、どのように入力するかを示す。まず、「私」を表す文字列の先頭を、そこが変換対象であることを示すために shift キーを用いて "Watashi" と入力する。W を入力したとき、文字列の「わ」の前には変換始点を示す"▽"がつき「▽わたし」のように表示される。ここまで入力したところでスペースキーを押すと、「わたし」に対応する変換対象が出てくる。「私」が最初に出てこないときは、スペースキーを連打して選択する。

ここで、既存の IME では「変換確定」の操作を行う必要があるわけだが、SKK は、特殊な場合を除いて、わざわざこの「変換確定」操作を行う必要がない。変換対象を選択して「私」が出てきたら、そのまま後の「は」を "ha" と入力することで「私」は確定される。万が一、明示的に確定したいような場合が出てきたら、CTRL-j を入力すると確定される。

そして「カモメ」だが、q キーを押すと平仮名/片仮名の切り替えができるので、"qkamomeq" と入力すれば「カモメ」と入力される。既存の IME っぽく変換したいなら、変換対象にしておいてから後で q キーで片仮名に変換することもできる。その場合には ""Kamomeq" と入力すれば良い。つまり、先の例を入力するためには、

Watashi (space) haqkamomeq、toqtereshikowaqhaITta (space)。
もしくは、
Watashi (space) haKamomeq、toTereshikowaqhaITta (space)。
と入力すればいい。後の例ならば、たとえば、
Watashi (space) Ha (space) gaItaI (space) ndesu、toTereshikowaqhaITta (space)。
と入力すればいい。

このように、変換対象を入力者が明示的にシステムに対して示すため、SKK の行う仕事は、入力モード(平仮名、片仮名、英字、全角英字)の切り替えとローマ字変換、そして指定された単語に対する辞書検索、という、非常にシンプルなものになる。だから SKK のシステムは、現在のかなり肥大化したアーカイブにおいてもせいぜい 3M バイト程度のファイルで構成できてしまうし、辞書は、変換対象文字列と変換後の文字列の羅列に限りなく近いテキストファイルで用が足り、ユーザ辞書にユーザがよく使う変換パターンが蓄積されると、変換でスペースキーを押す頻度はかなり少なくなる。こんな調子で、何から何までいいことづくめなのである。あえて欠点を挙げるならば、シフトキーを多用するので、左手の小指が疲れること位である。

もともとの SKK は Emacs 上で動かすことだけを考えて作られていて、Emacs が持っている Lisp インタープリタで動作するように Lisp で書かれている。しかし、UNIX 系の IME (XIM) として使えるように、skkinput というソフトが阪本祟氏によって開発され、一時期はかなりこれが流行っていた。現在は SCIMuimiBus などに、SKK の入力メソッドが実装されているので、これを使えば比較的簡単に SKK 方式での入力を行うことができる。

で……実は、先の阪本祟氏は、Windows 用の SKK を制作・公開されている。これが問題の SKKIME である。実は僕は、これを使いたいのに使えない、という状態が何年も続いていた。Microsoft Visual C++ のランタイムコンポーネントの不整合によるもののようだったのだが、阪本氏が指定されている再頒布可能パッケージを入れても、変換に妙に時間がかかったり、ローマ字変換がうまくいかない、等の問題に悩まされていた。

ところが、先日、OS の入れ替えをしたら、この問題があっさり解消されてしまったのである。僕以外にもこの問題に悩まされていた人がいたのかどうかは知らないが、阪本氏がランタイムコンポーネントを static link してくれたおかげらしい。これで、自分も何の問題もなく使えるし、他人にも大手を振って薦めることができる、というものだ。ということで、次回以降、SKKIME を Windows 上で利用する方法を示していこうと思う。

的中

昨日からの嫌な予感は、思いもかけぬかたちで「的中」することになってしまった。

2日程前から、どうも奥歯の辺りが痛かった。歯肉炎を起こしてこうなることが時々あるので、今回もそれかと思っていたが、どうも痛みが激しい。知人の医師に無理矢理ロキソニンを処方してもらい、飲んだのだけど、どうも、やはり痛い……うーん、どこだろう……まさか……被せてある下か!

歯科医院に行くと、ずばり的中、しばらく通うことになってしまった。はあ……

嫌な予感

ここ最近、この blog でも言及している、いわゆる「メルトダウン問題」だが、どうも考えれば考える程、嫌な予感がしてならない。いや、まさかそんなことが……と思うのだけど、でも、そんなことが現実になっている今日この頃だからである。

始まりは、あの CH-47 にバケツを提げて海水を汲んでかける……という、あのときである。僕は、あまりのことに、しばし言葉が出なかったのだ。だって、冷やすべき対象は、格納容器の中にある圧力容器の、そのまた中にあるのだから。マトリョーシカに水をかけて、一番中の人形を濡らそうとする人がいるだろうか?それを大真面目にやって、挙句の果てには、細野豪志首相補佐官などは「これのおかげで『日本は本気で事態を収拾しようとしている』とアメリカに分かってもらえた」などと言っていたのである。

僕はあのとき、ああこの政府は愚か者の集合体なんだ、と思っていたのだ。しかし、この何日間の状況、そしてそういう状況を示す情報が五月雨式に出てくることなどを考えると、ひとつの恐ろしい考えが頭に浮かんできてしまうのだ:「あのとき、ヘリがあんな風に水を撒いて、炉内に水が入るような状況だったとしたら?そして、そういう状況であることが、今に至るまで隠蔽されているのだとしたら?」そして、こう考えると、原発敷地内にある瓦礫の一部が、あれ程高い線量を発している理由も説明がついてしまうのである。

炉心溶融に関して、東電や政府は比較的早い時期に認識していたに違いない。まあ、そういうことが起きていなければ、あの汚染水の説明もつかないし、それ以前に、あれだけ水を突っ込んでも水位が上がらないということの説明がつかない。今まで彼らがその事実を認めていなかったのは、おそらくは「認めたくなかったから」だろう。その程度の予測は僕もしていて、たとえば2011年4月6日の blog にそういうことを書いている。

しかし、もしも炉心が大気開放なんていう状態になっていたとしたら、これはとんでもない話である。まあ、僕の杞憂であると信じたいのだが、あいつらはもう背任行為だろうが何だろうがやりかねない、ということがこれではっきりしてしまったからなあ……

きっこ、逐電?

きっこのブログ』というのは、なんでも、ブログ業界ではたいそう有名なのだそうだ。僕は実はあまりよく知らない。そもそも僕自身、アクセス数を誇るために blog を書いているわけではないし、blog を書き始めてからの年数だったら、えーと……もう十数年書いているわけだから、別にそんなものを今更誇る必要もない。読んで下さっている方々が確実に存在し(最近はそういう方々とちゃんとやりとりしていないのだけれど)ているし、まあそういう方々は日々何事かを思って読んでおられるのだろう、と思っているのだが、それ以上のことを、正直あまり考えていない。勿論、軽々にものを書くことは問題があると思うし、ハンガリーの汚泥流出事故のときなどのように、僕の書いたものが情報源とされることもあるので、そういう意味での責任は負っているつもりだけど、それ以上、世間でそれが話題になるかどうかに目を向けているわけではない。ましてや、他人の blog に関して、そこまで興味を持っているわけがない。

で、僕は最近 Twitter も覗いているのだけど、この『きっこのブログ』を書いているきっこなる人物が、東電福島第一原発のメルトダウン報道を受けて、もう日本にいるのは危険なので国外に逃げる、という発言をして、話題になっている。僕はこのきっこなる人物のフォローをしていて、たまたまその発言をリアルタイムで目にしたのだけど、えーと……これかな:http://twitter.com/#!/kikko_no_blog/status/69408172053495808

このままだと北半球は終わるので、あたしはカナダ経由でオーストラリアへ逃げることを考えます。自分のことで忙しくなってきたので、しばらくツイッターから離れます。皆さんも自分のことだけを考えてください。GOOD LUCK!

何故、このような発言に至ったのか、と、このきっこなる人物の発言を遡及すると、こういう発言があるわけだ:http://twitter.com/#!/kikko_no_blog/status/69403508377530369

東電が1号機だけでなく2号機も3号機もメルトダウンの可能性を認めました!東日本だけでなく、中部、近畿、関西も厳しい状況になりました。チェルノブイリを前提とすれば中国地方の島根県までアウトです。避難するなら海外か、国内の場合は九州を目指してください!
うーん。まあ、建屋外の状況や汚染水の蓄積状況からみると、少なくとも3号機に関しては、1号機と同じような状況になっている可能性が高い、ということは、僕も前に書いた。しかし、今回の事故を、そのままチェルノブイリ原発事故と重ね合わせる、というのは、ちょっとそれは違うんだけどなあ、と思うわけだ。

チェルノブイリ原発で使用されていた原発がどういうものか、というのは、Wikipedia のエントリ「黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉」を御一読いただければ、概略はお分かりになるかと思う。この原子炉は、減速材である黒鉛のブロックを炉体として、燃料被覆体を更に被覆するように設けられた経路に水を流し、熱を取り出す構成になっている。この炉の運用において問題だったのは、この炉の安定性に重大な問題があった(簡単に言うと暴走し易い特性だったということ)と、いわゆる「封じ込め」が万全ではなかった、ということである。特に、この炉は炉の上方の封じ込めが万全でなく、その状態で爆発が起こったために、炉心が外界に完全に露出し、周辺には炉内の核燃料やプルトニウム、そして黒鉛ブロックの破片を中心とする、炉内の構成物が大量に飛散してしまったわけだ。

今回、炉心溶融で燃料棒がほぼ融け落ちている、というのは、格納容器に包まれた圧力容器の、その中での状態である。もちろん、圧力容器や格納容器の健全性は維持されていないことが分かっているわけだけど、チェルノブイリのときのような、炉内が外界に完全に開放された状態と比較すると、まだナンボもましな状態なのである。しかも、燃料の成れの果てである核物質は、今のところは少なくとも水に覆われている。水は汚染されるわけだけど、大気開放で塵が飛散している状態に比べれば、これもナンボもましな状態である。

前にも書いたけれど、これからこの福島第一の炉は、再臨界を起こさないように注意しながら、水による冷却を継続しなければならない。水が存在することは中性子が減速される、つまり臨界に至りやすい状況を作り出すけれど、冷却しなければ、更なる容器の破損を来すことが確実である。これはまさに無間地獄とでも言うような状態なわけだ。しかも、水を突っ込めば突っ込んだだけそれは汚染されて出てくる。どうにかして洩れは塞がなければならない。東電や政府が考えているような、コンクリートで埋めるようなことで漏水を阻止できるとは到底思えない。場合によっては、決死隊のような人達が内部で作業しなければならなくなるかもしれない。しかし、それでも、核物質の飛散という観点においては、これはチェルノブイリと同じ状態には程遠い。

東京の下水処理施設3か所の汚泥から、10万〜17万ベクレルという高濃度の放射性セシウムが検出されたというニュースも流れていて(http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051301000689.html)、不安になるのも無理はないし、実際、健康面で今後問題が出ない保証はない。しかし、繰り返すけれど、今回の福島第一原発の状況を、そのままチェルノブイリの状況に重ねるのは、無意味な行為である。たとえば、今回の汚染範囲と汚染状況を、日本の地図にチェルノブイリの汚染マップをそのまま重ねて評価する、というのは、これは論理的根拠のない行為である。この点だけは、何が何でもはっきりさせておかなければならない。不用意なアジテーションで右往左往してはならないし、ましてやさせてはならないのである。

なぜ僕がiPodのファイルを非圧縮にしているか

昨日、Al Kooper の話を書いたときに、彼のアルバムを非圧縮で iPod に入れている、と書いた。しかし、どうも、こういうことを書くと各方面から色々とチャチャが入るもので、

「そんなん区別なんかつかないでしょう」

と言われた。ここではっきり言っておくけれど、圧縮の有無は確実に聞き分けられます。できない人には支障はないんでしょうけれど、僕にとってはこれは非常に大きな問題なんです。

こう書いても、じゃあ実際に例を提示してみろ、と言われそうだから、提示しておくことにする。

老婆心ながら書き添えておくけれど、これらの音源は、曲を書いたのも僕だし、アレンジ(ストリングセクションのアレンジは僕みたいな音楽指向の人間にとっては教養の一部なので)も、演奏(と言っても半分はコンピュータに演奏させているわけだが)も、録音も編集も全部僕がやっているので、著作権がどうとかいう問題は一切なしなので念の為。

こういう管弦楽モノより、実はロックなどの方が違いは分かりやすい。特にピアノや、ハイハット、シンバルのような倍音成分の豊富なものは、改めて聞き直していただくとその違いを実感していただけることだろう。

「想定外」の意味

最近、アクセス解析をすると「〜の意味」というキーワードで検索サイトからこちらの blog に辿り着くケースを散見する。今日のこのタイトルだと、まさにそういう検索の結果で辿り着かれる方がおられそうな気がするのだけど、これからここで言及することは、辞書に記載されているような「意味」に関してではないので、まずは悪しからず。

「想定外」という言葉が、こうも簡単に、そして便利に使われるような事態になるとは、僕も正直想像していなかった。これこそまさに想定外かもしれない。

もともと「想定外」という言葉の持つ意味は二つあるのだろうと思う。ある事象が、その事象の対象に対しての:

  1. 想定していなかったようなもの
  2. 想定の埒外であるもの
のいずれかであるときに、その事象がその対象に関して「想定外」である、というように言われるわけだろう。

「想定していなかったようなもの」というのは、たとえば宇宙人の攻撃を受けた、なんてのが一例として挙げられるだろう。しかし、だ。原子炉に関しては、とにかくありとあらゆるトラブルの発生を想定しなければならない。今でも鮮明に覚えているが、京大の原子炉実験所で仕事をしていたときに、

「ここの安全基準がねえ」

という話になったことがあった。そのときに、何が想定内で何が想定外なのか、というのを聞いたところ、こんな返事が返;ってきたのだ。

「たとえば、原子炉に飛行機が突っ込んできたら、というのは、これは想定内です。ちゃんとそのときでも建屋がもつように考慮してあります。でも、たとえば、人工衛星が落ちてきたら、というのは、これは想定外ですね」

余談だが、これ以来、僕は、さも想定もしていなかったかのような表情を浮かべる人を称して「頭の上に人工衛星が落ちてきたような顔」と言うようになったのである。まあそれはさておき、この頃はまだいわゆる 911 のテロが起きる前だったのだけど、これ位の事故は想定の範囲内ということになっていたわけだ。何が言いたいか、というと、原子炉の安全に関しては、少しでも起きそうなことは想定し、その影響と対策を明らかにする、というのが、一種のコモンセンスなのだ、ということを言いたいのである。ただし、商用原子炉の場合は、どうもそういうことが strict に行われているというわけでもないらしい、というのが、今回の事故で明らかになったわけだけど。

青息吐息で「これはツブした」「これは?」と、ありとあらゆる可能性を考慮し、対策を講じることをやめてしまうにはどうしたらいいのか。これは簡単で、要するに、バカになればいいのである。僕は以前、丸川珠代衆院議員と蓮舫参院議員が、別々の場で、何事かを追及されたときに、

「え?アタシ馬鹿だから分かんない」

と言ったのを今でも鮮明に覚えている。もし本当に馬鹿ならさっさと国会議員なんか辞めてもらわないと有害なことこの上ないし、そうでないのなら虚言癖のある人なんかに国会議員やってもらっちゃ困るんで、結局辞めていただかないと困るわけだけど、これは何事か追及されたときに、それに答える責任を担わないという意味では、ひとつのタクティクスなわけだ。要するに、

「我々の乏しい想像力では、このような事象を想定することができませんでした」

と言えば、そうか想定できてなかったんじゃしようがない、という話になる……のを、おそらくは狙っているわけだろう。しかしだ。もし本当にそこまで想像力が貧困な人が行政にタッチしたら有害なことこの上ないし、本当はそうでないというのなら、虚言癖のある人なんかに行政に携ってもらっちゃ困るんで、結局辞めていただかないと困るわけだ。こういう追及そのものが想定外です、と言うんなら、本当に、生きているだけ有害だから、いっそ死んでいただきたい。

そして、想定の埒外という意味での「想定外」だけど、これに関しては、先日、実に興味深い映像を見る機会があった。アメリカのアラバマ州の原子力発電所が、原子炉の内部をマスコミに公開したのである。この原子力発電所は、事故を起こした福島第一原発と同じ GE の Mark I と呼ばれる沸騰水型軽水炉を運用している。

施設内には、施設の完成当初にはなかった数々の安全装置が追加されている。特に、ベントと ECCS に関しては、原子炉操作室にいなくても遠隔で操作できるパネルが、施設内のあちこちに設置されていた。これに関しての、この原発の責任者のコメントは、実に明解だった。

「『想定外』という事態があってはならないからです」

地震も、津波も、冷却喪失も、ある程度は想定されていたし、対策もなされていなかったというわけではない。しかし、この辺までやるのが経済的限界だろう、効率を無視した商用施設なんて無意味だよね、という暗黙の了解の下に、それらの基準が低く設定されていたのは、これは紛れもない事実である。本来ならば、経済性に影響を与えるならば、その影響を与える部分をコストに繰り込んで算定しなければならない。安全は金で買えるなら買わなければならないのである。しかし、それが「まあ大丈夫でしょう」と多寡をくくられていたその態度を、我々は改めなければならない。今回の事故は、そう示しているはずなのだ。

それを、こんなことを言うなんて、一体どの口が言っているのだろうか。恥を知れ、モナ男野郎が:

1号機メルトダウン「想定外」〜細野補佐官

< 2011年5月14日 6:57 >

福島第一原子力発電所1号機で、燃料棒が溶け落ちる「メルトダウン」が起きていたことについて、細野首相補佐官は13日、事故対策統合本部の会見で「想定外だった」と述べ、事故の収束に向けた工程表を見直す考えを示した。

福島第一原発1号機では、燃料棒が溶け落ちたことで原子炉圧力容器に穴が開き、冷却のための水が漏れ、格納容器からも漏れているとみられている。

「(燃料が)溶融しているだろうと思っていたが、下の方にほぼ全てが集まっている状況までは想定していませんでした」−細野首相補佐官はこのように述べ、認識が甘かったと認めた。今後、圧力容器のデータが正しく計測されているかを検証し、17日に工程表の見直しを発表する考え。

一方、「東京電力」は13日、1号機で放射性物質の飛散を防ぐ新たな取り組みを始めた。原子炉建屋の周りに鉄骨を組み、ポリエステル製のカバーで覆う計画で、周辺の敷地を整備するなど準備が行われている。早ければ、来月からカバーの設置工事を始めるという。

(日テレNEWS24)

反・元ネタ探し

昨日、ふとテレビで耳にした "Jolie" が忘れ難く、納戸の奥から Al Kooper の "Naked Songs" を出してきて iTunes に入れてみた。最近はこういう場合は問答無用で wav フォーマットで(つまり無圧縮で)入れるので、常用している SONY MDR-CD900ST で聞くと、こう何と言うか、乾いた魂が潤うというか、そんな気がする。

このアルバムに入っている "Jolie" という曲は、本当に好きな曲なのだけど、この曲に関する世間の人々の物言いが厭で、それもあってかしばらく遠ざかっていたのだ。とにかく、この曲の名前が出ると、したり顔で、

「これってさあオリラブの元ネタだよね」

"Deep French Kiss" ってこれの丸パクリだし」

「達郎の "Blow" も丸パクリだよねえ」

ぺっぺっぺっ、自分で曲も書かねぇ奴等がどうのこうの言うんじゃねえよ、と唾を吐きたくなる思いがする。確かに似ているところがないことはないだろうけれど、ちょっと似てれば「元ネタ」「パクリ」(最近だと「引用」)って、そういうものではないだろうに。サンプリングしてるとかいうんならまだしもさ。

この曲のリフも、そしてバック(おそらくアトランタ・リズム・セクションだと思うのだが)も、そして管弦楽のフレンチホルンみたいな位置付けで入ってくるシンセ(これは……オデッセイ?)も、僕にはたまらなく愛おしいのだ。それだけで十分だし、もう iPod にも無圧縮で入れたから、しばらくの間は折に触れては聞き返すことだろう。それ以外に望むものなんて、何もないのだ。

五月雨式

福島1号機 燃料完全露出し溶融か

2011年5月12日 東京新聞 夕刊

福島第一原発の事故で、東京電力は十二日、1号機の原子炉圧力容器の水位計を調整した結果、長さ三・七メートルの燃料全体が水から露出している可能性があると発表した。ただ、容器の温度は低温で安定している。東電は「燃料の位置が下にずれるか、溶けて容器の底に落ち、結果的に冷却ができているのではないか」とみている。

これまでの水位計のデータでは、燃料は上端から約一・七メートルが露出した状態になっていた。地震で水位計が壊れている可能性があったため、東電は原子炉建屋内に作業員を入れ、水位計を調整して再測定。燃料を入れた金属製ラックが通常の位置から少なくとも五メートル下までは水がないことが分かった。圧力容器内の水位は最大で四メートルだが、実際の水位は不明。

一方、容器の表面温度は上部で一二○度前後、下部で一○○度前後で安定している。

東電は、地震で燃料がラックごと下方にずれるか、露出して熱で崩れ落ちた燃料が容器の底にたまり、結果的に水で冷やされているとの見方をしている。

経済産業省原子力安全・保安院は十二日の会見で「水位計の状態は正常でない」と、測定結果に疑問があるとした。そのうえで「燃料の一部は溶けているが、ある程度は形を残して水蒸気で冷やされていることもあり得る」とした。

東電は炉心の燃料の損傷割合をこれまで55%と推計していた。今回分かった圧力容器内の状態からは、実際の損傷割合は分からないとしている。

圧力容器内へは現在、毎時八トンを注水している。しかし予想より水がたまっていないことから、容器下部の配管部に複数の破損箇所があるか、溶け落ちた燃料の熱で容器下部に穴が開き、そこから水が大量に格納容器内に漏れている可能性もある。東電は注水量を増やす検討を始めた。

1号機では、格納容器を水で満たし燃料を上端まで冠水させる「水棺」作業が続いているが、格納容器の水位も依然として不明。原子炉内の水位や水の動きが把握しきれていない現状では、今後の作業に影響が出る恐れもある。

東電の松本純一原子力・立地本部長代理は十二日の会見で、「やり方の再検討が必要」と述べた。

また、2、3号機の燃料も水位計のデータからは二・〇〜一・七メートル露出した状態だが、東電は「水位計を調整しないと確からしい値が得られない」とみている。

五月雨式とはこういうことを言うための言葉だと思う。要するに、出さざるを得ない情報だけをだらだらと出す。今後の指針が立つように、とか、住民の安全を維持するように、などという思想はそこにはない。ただ、追及を受けない範囲内で最低限度の説明責任を果たす、それだけのための発表である。

発表されたこの水位で冷却がなされているというのであれば、状況はほぼ明らかだ。おそらく、炉心を構成する燃料棒はそのほとんどが溶融し、圧力容器の底に垂れて固まっているのであろう。チェルノブイリの「石棺」の中で見られた「象の足」と呼ばれるものと同じ状態である。

不幸中の幸いだったのは、この溶融・再凝固した燃料が、圧力容器の隔壁を破って外に出るところまでには至らず、どうやら容器内に未だ燃料が留まっているらしい、ということだ。しかし、水が漏れていることから考えると、圧力容器の密閉健全性というものは、もはや保証されていないと考えるべきであろう。つまり、今まで炉内に突っ込み続けてきた水、あるいはこれから突っ込む水が漏れるのに混じって、破損・溶融・再凝固した燃料から溶出した放射性同位元素が外界に出るリスクは未だに消えていないということである。

では、この事実から類推できることは何か。まずはこれらのニュースを思い出していただきたい。

3号機の圧力容器温度が大幅上昇 底に燃料落下?

2011.5.8 19:51

福島第1原発3号機で、燃料を入れた原子炉圧力容器の温度が大幅な上昇傾向を示し、8日には容器上部で206度に達した。

東京電力は、差し迫った危険はないとの見方だが「燃料が崩れて(圧力容器の)底に落ちた可能性も否定できない」として、温度の監視を強め原因を分析している。

4月末、圧力容器上部の温度は80度台で推移。多少の上下はあるが比較的安定していた。

5月に入り上昇傾向が顕著になったため、東電は4日、圧力容器への注水量を毎時7トンから9トンに増やした。しかし上昇は収まらず、5日朝には144度に。さらに7日夜には202度に跳ね上がり、その後も“高止まり”の状況だ。圧力容器下部の温度も上昇傾向を示している。

東電は既に、3号機の燃料は約30%損傷したとの推定を示しているが、ここにきて燃料が圧力容器の底に落下したとすれば、過熱が進み、溶融が再度起きた可能性がある。

© 2011 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

高濃度汚染水、3号機立て坑から海へ流出

東京電力は11日、福島第一原子力発電所の3号機取水口付近にある立て坑(深さ2・3メートル)から、放射性セシウム134などを含む高濃度の汚染水が海へ流出していたと発表した。

その濃度は1立方センチ・メートルあたり3万7000ベクレルで、国が定める海水の基準の62万倍に上った。海中への拡散を防ぐ水中カーテン(シルトフェンス)が取水口を囲んで設置されているが、その外側の海水からも、同1万8000倍のセシウム134を検出した。東電は立て坑をコンクリートでふさぎ流出を止めた。

3号機では、原子炉から漏れ出した高濃度汚染水がタービン建屋にたまっている。それが水位の上昇に伴って作業用トンネル(トレンチ)へ漏れ出し、さらに電源ケーブル用のトンネルを通じて立て坑へ流れ込んだとみられる。立て坑の側面に亀裂があり、そこから海へ流出したらしい。流出が始まった時期は不明だが、東電は「さほど前ではない」とみている。

(2011年5月11日22時57分 読売新聞)

3号機で起きたこれらの事象は、1号機の今回のニュースとよくリンクしている。つまり、3号機の状況も、1号機と同じような状況であろうと考えられるわけだ。どちらも、かなりの割合の燃料が溶融し、圧力容器の密閉健全性が損われ、突っ込んだ冷却水が汚染されて漏出している状況だ、と考えるべきだろう。

そして、燃料がこのように溶融・再凝固して一体化しているならば、警戒しなければならないのが再臨界である。燃料集合体を束ねるのより、それらが溶解・再凝固して一体化した方が集合密度が高い、というのは、皆さん想像に難くないだろうと思う。勿論、制御棒を構成していたホウ素を巻き込んでいて、それが中性子捕捉に貢献している可能性はあるわけだが、それでも尚、再臨界の危険を無視するわけにはいかない。もし再臨界が起きた場合、燃料近傍から中性子を減速するものを除去する必要があるわけだが、今の状況で中性子減速に寄与するものと言えば水である。しかし、水を除去したら、今度は核分裂反応の熱を除去することができない。これはまさに無間地獄といっていい状態である。

こういうリスクに関して、東電や原子力安全・保安院、原子力安全委員会、そして何より政府が、ちゃんと言及していないのである。これが現政権の現状である。こんな連中に、我が身の、そして愛する人の安全を任せておいて、本当にいいんですか、皆さん?

停止させたいものは

社説:浜岡停止要請 首相の決断を評価する

菅直人首相が中部電力浜岡原発の全号機の停止を要請した。東日本大震災による原発震災を経験した上での決断だ。

浜岡原発は近い将来に必ず起きると考えられる東海地震の想定震源域の真上に建つ。建設当時には知られていなかった地震学の知識である。知っていたなら、避けたはずの場所であり、そのリスクは私たちもかねて指摘してきた。

地震と津波の威力がいかにすさまじいか。原発震災の影響がいかに深刻か。東日本大震災で私たちはその恐ろしさを身をもって体験した。

万が一、重大な事故が再び発生するようなことがあれば、菅首相が述べたように日本全体に与える影響はあまりに甚大だ。

中部電力は東日本大震災を受け、防潮堤の設置など複数の津波対策を計画している。しかし、その対策が終わる前に、東海地震に襲われる恐れは否定できない。南海、東南海地震と連動して起きる恐れもある。  防潮堤の設置など中長期の対策が終わるまで停止するよう要請したのは妥当な判断だ。首相の決断を評価したい。中部電力も要請に従わざるを得ないのではないか。

ただ、運転を停止しても、核燃料の安全性には引き続き念入りな注意がいる。いったん使用した核燃料を冷却し続けることの重要性は、福島第1原発で身にしみている。

浜岡原発さえ止めれば、それで安心と思ってしまうことがないようにすることも大事だ。大地震のリスクを抱えているのは、浜岡原発だけではない。

菅首相は、浜岡原発停止の理由として、文部科学省の地震調査研究推進本部が「30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する確率は87%」と推定していることを挙げている。

しかし、推進本部の推定がすべて正しいとは限らない。事実、東日本大震災のような地震を推進本部は考慮していなかった。たとえ、現在想定確率が低い場所でも大地震が起きる恐れは否定できない。今回の巨大地震で日本列島全体の地震活動が活発化している可能性もある。

政府は、浜岡以外の原発についても、決して油断しないようにしてほしい。国の要請に従った電源車の配備などの緊急対策が、原子炉や使用済み核燃料を安定して冷却し続けるのに十分か、懸念も残されている。

津波対策に気を取られ、地震の揺れに対する対策がおろそかになるようなことも避けなくてはならない。

浜岡原発を停止することによる、電力供給の問題を心配する人も多いだろう。政府は、混乱が生じないよう、先手を打ってもらいたい。

(『毎日新聞』 2011年5月7日 社説、毎日新聞、2011年5月7日 2時31分)

浜岡の原発を止めること自体には何の反論もない。とにかく浜岡は場所が最悪なのだ……どう最悪なのかというと、まず浜岡原発の位置は、東海地震の予想震源域のどまんなかである。おまけに、原発の近傍には断層が4本も走っており、そのうち2本が活断層であることが既に分かっている。いくら今から40年以上前に決めた場所だといっても、何もあんなところで原発を運転しなくてもいいだろう……そういう場所に、あの原発は建っているわけだ。

しかし、だ。今回の停止要請に関しては、御前崎市長がこんなコメントをしているのだ:

これに対し、原発が立地する御前崎市の石原茂雄市長は、「突然の話で、驚いている。言葉もない。5日に浜岡原発を視察に訪れた海江田経産相の『結論は急ぐな』という発言は、何だったんだろうか」と憤まんやるかたない様子。さらに「4、5号機を止めるなら、日本の全原発を止めなくてはならない。日本の原子力行政すべてを見直してほしい。東海地震は、初めから想定されていた。なぜ、この時期に安全でないと止めるのか、分からない。電力不足の問題もある」と批判は止まらない。最後は「菅首相の選挙対策だ。日本の全体を考えてほしい。国は地元の話を聞いてほしい」と切り捨てた。

――『浜岡原発停止要請、地元・御前崎市長が反発』(2011年5月7日09時54分 読売新聞)より引用

この発言を、利益誘導最優先のためのもの、と切り捨ててはならない。ここで読み取るべきことは、浜岡原発を直接視察した海江田経産相が、最初のうちにはそう簡単に結論を下す気ではなかったらしい、ということである。しかし、東京に戻って1日で、しかも首相直々の緊急記者会見というかたちで、停止要請の発表がなされた、という、このところに、我々は目を向けなければならないのだ。

おそらく、海江田氏が帰京した後、首相を交えて協議を行ったときに、首相が主導するかたちで、この停止要請を出すことの決定がなされた、と考えるのが妥当であろう。それはどういうことか、というと、菅直人の毎度おなじみの「思いつき」で要請が決まった可能性が極めて高い、ということである。

まあ、先に書いたように、僕は浜岡原発を止めることに対しては何も反対する気はない。しかし、非常に強く恐れていることがある。それは、立地に重大な問題がある浜岡原発を「停止すれば一安心」などと思っていやしないか、ということである。

浜岡原発は現在、

  • 1号機: 2009年1月30日をもって運転終了、廃炉へ向けて準備中
  • 2号機: 2009年1月30日をもって運転終了、廃炉へ向けて準備中
  • 3号機: 定期点検中
  • 4号機: 運転中
  • 5号機: 運転中
という状態である。この状態だけを見れば、4号機と5号機に制御棒を突っ込めばそれで一安心だ、と思われるかもしれない。しかし、状況はそう単純ではないのである。

原子炉の燃料は、運転中には核分裂反応を起こしている。中性子を捕捉する制御棒が燃料棒の間に突っ込まれた状況では、この核分裂反応は止まった状態になっている。では、今、運転中だった原子炉に制御棒を突っ込んで、核分裂反応がほぼ停止した状況になったとしよう。そのとき、炉内はどういう状態になっているのか。

原子炉の中では、少し前まで 235U の核分裂に伴い、131I のような核分裂生成物(分裂したウラン原子核から生成された原子)が生成され、また炉内には中性子が飛び交っていたわけだ。飛び交った中性子は周囲の物質に捕捉され、いわゆる核変換という現象を起こす。この核変換によって、炉内には大量の放射性同位元素が生成されている。その中には、238U→(中性子捕捉)→239U →(β崩壊)→239Np →(β崩壊)→239Pu というプロセスで生成されるプルトニウムも含まれている。

このように、核燃料に加え、核分裂生成物と、中性子発生に伴う核変換で生成された物質が、原子炉内に存在する放射性物質の正体である。これらは様々な種類の核種から成っているわけだけど、中性子が捕捉された状態にあっても、これらの放射性元素の核崩壊は停止せず、それに起因する放射線と熱を出し続ける。

原子炉が止まって間もないときには、短時間で崩壊してしまうような核種……不安定なかわりに崩壊した際に放出されるエネルギーも大きい……がまだ多数存在しているので、炉内の放射線は強く、また崩壊熱も多く放出されている。僕等が "hot" とか「まだ冷めていない」と称する状態がこれである。この状態では、炉に対してあれこれ作業をすることはできない……当然放射線レベルが高いし、熱ががんがん出るので、その熱を排出しなければならない。だから、原子炉は、運転時と同じように内部に冷却水を循環させ、熱交換器を働かせておかなければならない。

そのうち、短時間で崩壊してしまうような核種の崩壊があらかた終わって、原子炉内の放射線レベルは下がり、発する崩壊熱も少なくなってくる。僕等が「冷めた」と称する状態がこれである。この状態に至って、はじめて原子炉内に何らかのアプローチをすることができるわけだが、燃料棒が通常の位置に入っている以上、制御棒も水も抜くことはできない。「冷めた」と言うと聞こえはいいのだが、崩壊熱は未だ無視できない程に多く、何の冷却もせずに炉を維持することはできないのだ。炉内に冷却水を満たし、かつこれを循環させたままの状態で、燃料棒を抜いて格納プールに移す(例の事故以来皆さんはよくお分かりになったと思うが、この格納プールも崩壊熱を除去するために循環水で冷却しなければならない)作業を遠隔操作で進め、炉内に制御棒だけが残った状態にする。しかし、炉体を構成する材料は放射化されていて、炉内をすぐに触ることはできない。炉体に触れたい場合には、やはりそこも十分に「冷ます」必要があるわけだ。そこまで「冷まし」て、ようやく炉の解体などに着手することができるのである。

さて、工程だけ書いて、それにどの程度の時間を要するのかを書いていなかったわけだけど、原子炉が運転を停止してから、燃料棒の抜去作業に着手できる状態になるまで「冷ます」のには、おおむね3年程度の時間が必要だと言われている。その3年間、当然だが、炉内には水を常に循環させ、その水は熱交換機で冷却しておかなければならない。そして、燃料棒の抜去にかかったとしても、水の循環を止めることはできない。崩壊熱の除去と放射線の遮蔽に、水はなくてはならないものだからだ。そして、抜いた燃料棒を置いておく格納プールもまた、炉内と同様に冷却水を循環させ続けなければならない。

では、原子炉の解体には実際にはどの位の年月が必要なのか。丁度、僕が少年時代を水戸で過ごしていた際に、原研の技術者の子弟がクラスメートには大勢いて、僕は小学生の頃から「除染」とか「廃炉」とかいう話を聞く機会があったのだけど、もうその頃には、東海村の1号炉の廃炉に向けた数々のトライアルが行われていた。そして、東海1号炉の運転が終了したのが1998年度末だった。燃料搬出には丁度3年を要し、2001年12月に解体が始まったが、未だ原子炉本体の解体は開始していない(2014年に解体開始の予定)。この東海1号炉はいわゆるコルダーホール型というやつで、黒鉛ブロックで構成された炉体を炭酸ガスで冷却する方式をとっているため、大量の放射化した黒鉛を処理しなければならない、という点で現行の商用原子炉とは異なっているのだが、廃炉というのはこれ程の時間が必要になる作業だということは、お分かりいただけるかと思う。

うだうだと書いてきたけれど、僕が何を言いたいのか、というと、原子炉は(核分裂反応を)停止させたから安全だというものではない、ということだ。炉体や燃料棒の冷却はその後も長い年月で継続しなければならないし、廃炉を行うのだったら、数十年のタイムスパンで物事を考えなければならない、ということを、僕は上の記述で示したわけである。

浜岡原発の場合は、実は、燃料棒を水冷せずに保管するためのいわゆるドライ・キャスクを用いた「使用済燃料乾式貯蔵施設」を建設する予定がある。まずは、この施設を作るための行政手続きを可及的速やかに行い、この施設の建設を進めることが必要だろう。そしてそれと並行して、炉内や燃料貯蔵プールの冷却システム、そして電源供給システムの多重化と津波対策を、やはり可及的速やかに進めることが必要である。実は、一番大事なことは何も進んでおらず、「止めてから」の行政判断とイニシアチブが、浜岡原発の地震・津波対策には不可欠なのだ。しかし、こんな話、皆さん、どこかで聞いたことあります?ないでしょ?だから、僕は、連中は「止めればそれで一安心」だと思ってるんじゃないの?と言っているのである。

国家が個人を殺すということ

ウサーマ・ビン・ラーディンが米海軍の特殊部隊Navy SEALsの強襲を受け殺害された、との報が流れてから、もう4日が過ぎようとしている。アメリカでは、大リーグの試合中にこのニュースを知った人々が "USA !" とコールした、などというニュースが流れ、その後もオバマ大統領がグラウンド・ゼロを訪れて献花するときにも、そのような熱狂的なコールがなされたと報道されている。おそらく彼らは、アメリカという国家がした行為の意味を、自分達の視点からしか見ていないのであろう。

これを読まれている皆さんの中に、このことを思ったことがない方がおられないことを切に祈っているけれど、この地球という星は少し歪んだ球体で、その上には多種多様な世界観を持つ人々が暮していて、その数は既に70億人に達しようとしている。世界観の違う人々の間では、真実はひとつではない。自然科学的に観測・記述される現象がひとつであったとしても、その現象の持つ社会的意味は、異なる世界観の数だけのバリエーションをもって存在しているのだ。

アメリカ人は……まあ、原爆投下を「戦争を終わらせるために必要だった」と未だに主張している位だから、彼らは彼ら自身の世界観、そして彼ら自身の「正義」でいとも容易く世界を断じる。いみじくも、オバマ大統領は、国民にビン・ラーディン殺害を報告するスピーチでこう言ったのだ: "Justice has been done." (正義が為されたのだ)。この一言が全てを象徴している。

しかし、そもそも正義とは何だろうか。いくら周囲に武装している部下がいたかもしれないからって、丸腰のビン・ラーディンを射殺することが正義と言えるのだろうか?しかも、側近や妻、そして子供達を掌握した、その目前で射殺した、と、ビン・ラーディンの12歳の娘が証言しているという話も伝わってきているのである。

ビンラディン容疑者殺害の瞬間、12歳の娘が目撃か
2011年05月05日 15:31 発信地:イスラマバード/パキスタン

【5月5日 AFP】パキスタンの情報機関当局者が4日、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の最高指導者ウサマ・ビンラディン(Osama Bin Laden)容疑者が米軍特殊部隊によって殺害された瞬間を、同容疑者の娘が目撃したと証言していると語った。

パキスタン軍の情報機関、三軍統合情報部(Inter-Services Intelligence、ISI)の当局者が匿名を条件にAFPに語ったところによると、ISIは米軍急襲時にビンラディン容疑者の潜伏先とされる邸宅にいた大人3人、子ども9人の計12人の女性を拘束し、事情聴取をしている。うち1人はビンラディン容疑者の妻のイエメン人女性で、米軍に足を撃たれた。また1人は同容疑者の娘だという。

これによると、12歳だと伝えられているこの娘は「ウサマ(ビンラディン容疑者)が死んだこと、撃たれてどこかへ運ばれていったことをわれわれに証言した」という。

この当局者はまた、パキスタンは米情報当局と2009年から情報を共有していたと語った。ISIが2009年に米国に提供した情報は、この邸宅がビンラディン容疑者の隠れ家であることを直接的に示すものではなかったが、米軍は最終的にこの邸宅にたどり着いたという。

ビンラディン容疑者がパキスタン軍施設のすぐ近くに数か月にわたって潜伏できたことをめぐり、パキスタン政府に疑惑の目が向けられていることについてこの当局者は、ISIは2003年にアルカイダのナンバースリー、アブ・ファラジ・アル・リビ(Abu Faraj al-Libbi)容疑者を追って問題の邸宅を捜索したが失敗に終わり、その後この邸宅は「われわれのレーダーから消えていた」と説明した。(c)AFP

当初から米部隊に「殺害」命令 ビンラディン容疑者作戦

【イスラマバード共同】国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者襲撃作戦を実行した米海軍特殊部隊が受けていた命令は、「身柄拘束」ではなく「殺害」だったことが6日、分かった。作戦の全容を知る米政府筋が共同通信に明らかにした。

米政府はこれまで、ビンラディン容疑者が抵抗したために殺害したと説明してきたが、当初から殺害目的の作戦だったことになり、国際法上の適法性などにあらためて疑問の声が上がりそうだ。

同筋は、殺害命令が下された背景について「裁判にかければ数百万ドル(数億円)かかる」と財政上の問題を指摘した上で、「主張が世界に知れ渡るような裁判を望まない」と述べた。

2011/05/06 09:57 【共同通信】


かつて、イスラエルの諜報組織であるモサッドが、ユダヤ人虐殺に関与したとされるアドルフ・アイヒマンを、逃亡・潜伏先であったアルゼンチンで拉致したことがあった。このとき、彼らはアイヒマンを殺さず、泥酔した旅行者に偽装して出国させ、イスラエルに入国させて裁判にかけ、死刑判決を下して絞首刑に処したのだった。この行為も、決して国際的に認知された独立国家の所業として正当なものだとは思えないし、その後、いわゆる「ミュンヘンオリンピック事件」の後に行われたといわれている「神の怒り作戦」や、最近だと去年の1月にドバイでハマス幹部が暗殺された事件などにおいて、イスラエル人に対して犯罪行為を行った人物の暗殺を何度となく行っていることも、とても正当なものだとは思えない。しかし、そんなイスラエル「ですら」、アドルフ・アイヒマンを捕縛した後に、一応は裁判にかけた上で処刑しているのである。中東の小国で、常に追い込まれた立場に置かれているイスラエル「ですら」、だ。世界一のスーパー・パワーであるアメリカが、なぜそれ「すら」できなかったのか。これは責められて然るべきことだろうと思う。

それだけではない。ムスリムを、聖職者の立ち会いなしで水葬した、というのは、これはムスリムにとっては非常に屈辱的なことである。世間の報道では、ムスリムは死後48時間以内に土葬、という話が流れているようだが、これは間違いで、ムスリムは、死後「朝死んだらその日のうちに埋葬する」、つまり24時間以内に埋葬する習慣である。日本では「墓地、埋葬等に関する法律」(通称「墓地埋葬法」)の中にこういう条文がある:

第三条  埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後二十四時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠七箇月に満たない死産のときは、この限りでない。
つまり、日本国内では、死後24時間以上経過しなければ埋葬が許可されないわけだが、この条文のために、日本在住のムスリムは皆埋葬の儀礼を守ることができない。おまけに、東京都や大阪府、あるいは名古屋市などの地方自治体は、条例で土葬を禁じているから、ムスリムは日常的に埋葬に関しては悩みを抱えている状態なのである。本来なら、ムスリムは、亡くなってから24時間以内に、顔をメッカの方角に向けて土葬されることを望む。旧約聖書に:
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」――創世記 3:19
と書かれている、まさにそれを実行するわけである(これもご存知ない方のために書き添えておくけれど、聖書、特に旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3者に共通した聖典である)。戒律に厳格であろうとするムスリムにとって水葬というのは、これは埋葬ではなく、単なる死体遺棄なのである。

おそらく "USA !" と連呼し、歓喜しているアメリカ人達は、こんなことを毛程も考えていないのだろうと思うけれど、これらのことを蔑ろにした結果として何が生じるか、というと、それは恨みである。そしてその恨みは必ずアメリカ人に向く。国家が個人を、それも武装していなかった個人を殺害し、その死体を遺棄したことの恨みは、決して消すことはできないのである。

『唯我論者』について

前回の blog に試訳を載せた『唯我論者』は、フレドリック・ブラウンの『天使と宇宙船』という短編集に収録されているのだが、僕は日本語で読んだことがない。『唯我論者』のプロットに関しては、友人Yにかつて聞いた記憶があるのだが、結局それ自体は英語で読んでいた。

今回、この短編のプロットを日本語で説明する必要が生じたために(東京創元社の文庫本を買おうかと思ったが、立ち寄った書店に売っていなかったもので)このような訳をしたわけだけど、その訳を書いた後にたまたま U と買い物に出かけた。買い物に出かけるときに、僕はいつも憂鬱になるのだけど、それは何故かというと、この土地の人々の公衆マナーが最悪だからである。しかも、この土地の地の人であればある程、その程度が甚だしい。

僕は、仕事などで日本全国のあらかたの地方都市には行ったことがあるけれど、公衆マナーがこれ程悪い土地は他にないと思う。ここで言う公衆マナーというのは、たとえば人込みの中では横並びをしないようにするとか、他人の進路を塞がないように配慮するとか、公的交通機関でお年寄りや子連れの女性がいたら席を譲るとか、そういうことである。とにかくこの土地では、そういう公衆マナーが欠落している人が多過ぎる。

では、僕がその手の輩に自らの通行を邪魔されたときには、どのように対応しているのか。たとえば、僕が日常的に新幹線を使っていた時期に、新幹線のホームに急いで上がろうとエスカレーターに乗ると、必ずと言っていい程に、右に荷物、左に自分、という風に進路を塞いでいる輩に遭遇したものだけれど、そういう輩にはこう言っていた。

「恐れ入りますが、急いでいますので、進路を開けていただけますか?」

こう言うと、返ってくる答はいつも決まっている。

「え?」

失礼しました、も、済みません、も何もなし。ただ「え?」これだけである。そして彼らは、まるで頭上に人工衛星でも落ちてきたかのような、理不尽な災厄に見舞われたという表情を浮かべ、ようやく進路を開けるのである。

何度でも、何度でも繰り返して書くけれど、日本中の各地方都市で、これ程までに公衆マナーがこなれていないのはこの土地位しかない。この辺の連中が東京指向が強いのはおそらくこのせいだ……この手の輩に遭遇したとき、大阪だっから「邪魔や」と言われるけれど、東京では何も言われないから。何も言われない代わり、都市の暗黙のマナーを理解していない輩のことを、東京人は「田舎者」と認識し、軽蔑し、無言のまま排除するわけだけど、そもそもマナーを理解できないような輩が、はっきり言葉で言われない限り、そういう侮蔑に気付く筈もないのだ。まさに裸の王様である。

まあ、そんなわけで、僕はそういう「田舎者」を嫌悪しているわけだ。で、自分の生活をそういう者に邪魔されたときには、僕はおそらくかなり厳しい。丁寧な言葉で呼びかけても、連中はいつも僕に怯えるし、僕が舌打ちをすれば、まるで出エジプト記のモーセの一行のように、目前に道ができるのである。しかし、「田舎者」の方にしてみると、彼らは何故そのような社会的圧力を受けるのかが理解できていないから、先に僕が書いたように、「頭上に人工衛星でも落ちてきたかのような」理不尽な災厄に見舞われた、という認識しかできないらしい。だから僕は、そういう輩にはまるで暴君の如く思われるらしい。

まあ、とにかく、僕は U と買い物をしていたわけだが、そのときに僕の目前にふらふらと出てきた男がいた。僕はそれをよけもせずに進んだのだが、後ろから「今の人にぶつかりそうだったよ」と言う U に「あれは回避責任は先方にあるんだから、こちらが避ける義理はないんだ」と言った。U …… U は公衆マナーにおいてはおそらく全国でもトップクラスの長崎出身である……は「まーた始まった」という顔をしている。

で、そこから少し離れた場所を歩いているときのこと。さっきの男が、連れの女性と横並びで歩いているのに再び出喰わした。すると U が言うには、

「あの人達、『あーまたあの怖い人がいる』みたいなことを言ってたよ」

僕としては俄然納得がいかない。僕が健脚な成年男性だからさっきは何ともなかったけれど、足どりがおぼつかない老人だったら、彼らが僕にぶつかって、転びでもしていたかもしれない、連中は、自分達が加害者になるかもしれなかった、などとは毛程も考えず、ただ僕に睨まれたことだけで、僕を「怖い人」などと扱う。まあ、典型的なこの辺の連中の思考経路だが、一方的に加害者扱いされるこちらの方こそ被害者ではないか。

で、他の場所に移ったとき。またその男女が僕の目前に現れた、僕は小さな声でこう呟いた。

「あ、自分達がフラフラ歩いてるくせに他人を加害者呼ばわりしてた人達だ」

彼らが速攻で僕等の目前から消えたのは言うまでもない。なるほどね。きっとああいう連中のことを「唯我論者」って言うんでしょうねえ。そんなことを考えたのだった。

試訳

唯我論者

フレドリック・ブラウン 著 

Thomas 訳 

ウォルター・B・エホバ――彼の名に関しては本当にこういう名前だったので悪しからず――はその一生を通じて唯我論者であった。あなたがこの言葉に出喰わしたことがないときのために書くけれど、唯我論者というのは、その人自身のみが実在しており、他の人々や宇宙は自身の想像上の産物に過ぎず、自身が想像するのを止めてしまえば、それらは存在しなくなってしまう、と信じている人のことである。

ある日のこと。ウォルター・B・エホバは唯我論の実践者となった。それから一週間のうちに、彼の妻は他の男と逃げてしまい、彼は商品発送係の職を失い、目前を横切ろうとした黒猫を追いかけて脚を折った。

病院で彼は決心した。全てを終わらせようと。

窓の外を見やり、彼が星々に向けて、それらが存在しなくなることを願うと、それらはもはや存在しなかった。次に彼が彼以外の全ての人々が存在しなくなることを願うと、病院は、いくらそこが病院であるにしても、奇妙な程に静かになった。次に世界が存在しなくなることを願うと、彼は自らが虚空に浮遊していることに気付いた。彼は自らの肉体を呆気なく消し去ると、最終段階として彼自身の意思を存在しないものにしようとした。

何も起きなかった。

おかしなことだ、そう彼は思った。これが唯我論の限界なのだろうか?

「そうだ」声が言った。

「誰だ?」ウォルター・B・エホバは訊いた。

「私は、お前が存在しなくなることを望んだその世界を創造した者だ。今やお前は私の居た場所にいる」深いため息が聞こえた。「私はようやく私自身の存在を消し去り、解放され、そしてお前に引き継がせることができる」

しかし――どうやったら私は存在することを止められるんだ?今こうやって、そうしようとしたんだ。

「分かっている」声は言った。「お前は私がしたのと同じようにしなければならぬ。宇宙を創造するのだ。そして、その宇宙の中にお前が信ずるように信ずる者が現れ、存在しなくなるように願うまで待つのだ。そうすれば、お前は引退し、その者に引き継がせることができるだろう。では、さらばだ」

そして声は消えた。ウォルター・B・エホバは虚空にただ彼のみが存在し、彼に出来ることはただひとつしかなかった。彼は天と地とを創造した。

それには彼をして七日を要した。

Original: http://infohost.nmt.edu/~shipman/reading/solipsist.html

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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