無責任な発言者達へ

先日のことだが、アメリカの科学衛星である UARS が大気圏に突入し、破片がどこに落ちるか分からない、ということで騒ぎになったことがあった。地球上の人間に当たる確率が 1/3200 ということで、イギリスではブックメーカーの賭けの対象にもなったらしい。

このときのことだが、僕は怒りに身が震えるような思いをした。毎度お馴染みの mixi の、垂れ流しの「つぶやき」なのだが、そこにこんなことが書かれていた:

プルトニウム電池を積んでる可能性が、現時点で否定されていません。(可能性アリということ)
プルトニウム電池? ハァ? 頭に腐ったオガクズでも詰めてるんじゃないのアンタラ

UARS が軌道投入されたのは1991年9月12日のことである。地球の周回軌道の衛星で、軍事目的の衛星でもなくて、しかも大型の太陽電池パネルを搭載している UARS が、いわゆる原子力電池を搭載しなければならない理由など、何一つない。何を出鱈目をカタって分かったつもりになっているのか。こういう連中の存在は、プルトニウムより余程有害である。

そもそも、原子力電池というのは、主に放射性核種の崩壊熱を利用して熱電素子などで発電を行う装置で、太陽光による発電を期待できない外惑星探査機などに用いられてきた。繰り返すけれど、これは「発電量が豊富」なことが長所なのでない。「太陽光なしで」電力を供給しなければならない場合に有効なのだ。地球の周回軌道にある衛星だったら、原子力電池を積む位ならば、大きめの太陽電池パネルとリチウム電池でも積む方が余程電力を稼げる(し、実際そうしているはずだ)。

おそらく、この連中が「プルトニウム電池」などという言葉を持ち出してきたのは、1978年1月24日にカナダに落下して放射性物質汚染をひきおこした「コスモス954号」のことをどこかで覚えていてのことだろう。しかし、これも見当違いもはなはだしい話である。コスモス954号が積んでいたのは原子力電池ではなくて原子炉である。この区別も付かないんだったら、そもそもこういう term を弄んでいただきたくはない。半可通のいい加減な知識で周囲を汚染しないでいただきたいのだ。

ではなぜ、UARS は燃え尽きなかったのか。これは UARS が何のための衛星なのかを考えれば分かる話である。UARS は高層大気の観測・分析がミッションだったわけだが、このような分析のためには、分光計を多種搭載しなければならないことは容易に想像が付く。英語が苦手な方々のために日本語のウィキペディアの「UARS」の項にリンクしておくけれど、ここに書かれている分析機器は10種類。これらはいずれも、ある程度の大きさを持ち、構成材料としてガラスやセラミックスが多く使われているものである。しかも、これらの観測機器の観測精度を高く保つためには、測定器やその支持体に十分な機械強度が要求されるから、高強度の金属材料(それらは多くの場合高融点である)が多く使われていることは容易に想像がつく。

人工衛星が比較的低融点の軽金属や、半導体等の材料だけで構成されているならば、これは大気との摩擦熱で溶解し、酸化物となって四散する。余程の大きさがない限りは問題にならないだろう。しかし、UARS は分光計などの光学的観測機器を数多く搭載している衛星で、そこに用いられているガラスやセラミックス、そして高精度の測定のために必要な高強度の金属材料は、高温でも容易には蒸散し難く、燃え残りが地上に落ちてきてしまうことが予想されたわけだ。

僕の書いていることが理解できない、という人は、過去のニュースを検索で探していただきたい。おそらく、それらのニュースの中には、予想される落下物の個数がちゃんと明示されているものがある。ここには CNN のニュースを一例として挙げておくけれど、こういう風に個数を明示できるというのは、衛星の構成部品で燃え残りそうなものがいくつあるのか、予想できる、ということを示している。ガラスなどを主な材料として構成された部材、そして、ステンレスやチタン、ベリリウムなど(これらはいずれも高融点の金属材料である)で構成された部品の数から、このような数字が出せるのである。

現在、アメリカが打ち上げたドイツのX線観測衛星である ROSAT が、来月から再来月にかけて地球に落下するというニュースが流れている。これに関しても、同じように、ガラスやセラミックス、そして高融点の金属材料で構成された部材が搭載されているから、破片の落下が懸念されているのである。何でも馬鹿の一つ覚えで放射性物質に結びつけて、故もない非難(それらは批判と言うにも値しない)を垂れ流すのは、いい加減に、止めていただけないだろうか。本当に、プルトニウムよりも有害だ。

Emacs, version 違い

僕がこの20年近くの間、GNU Emacs というエディタを使い続けているというのは、ここでも何度も書いていると思う。今の僕は Linux と Mac OS X 上とで作業をすることが多いので、手元の Mac OS X 端末にも bazaar で更新した最新のソースツリーからビルドした Emacs を入れている。Linux 端末の方は、cron で定期的にソースツリーの更新とビルドを自動的に行っていて、Mac OS X の方は、手の空いたときに行っている(もちろん cron でもできるのだけど)。

で、ふと今日、同じ画面に双方を立ち上げて気付いたのだけど……Linux の方は:

20110929-LIN.png
Mac の方は:
20110929-OSX.png
Linux の方は ver.24.0.50.1(ここしばらくは見慣れた ver. である)なのだけど、Mac OS X の方が ver.24.0.90.1 になっているではないか! あれー、今日まで全然気がつかなかった。これって、Emacs-24.1 目前ってことなの?

【後記】Linux の方は cron から bazaar を呼び出すところでエラーを吐いていた。ちゃんと log をチェックしていなかったので今日まで気付かずにいたということらしい。ううう。というわけで先程 Linux の方も 24.0.90.1 になりました。

"kernel.org" 検索で僕の blog に辿り着いた人へ

何日か前の時点の話だけど、以下を御参照いただきたい:

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/09/28/039/

上記事に:

LinuxファウンデーションのインフラストラクチャはLinuxファウンデーションのサイトのみならず、Open PrintingやLinux Markなど、多種多用なサービスをカバーしており、そうした関連サービスも停止したままだ。

とあるけれど、とりあえず Linux Foundation 周辺は復旧(移転?)している。linux-foundation.jplinuxprinting.org は未だ復旧していない。

LuaTeX-ja

レポジトリをミラーしていたのだけど、今迄手付かずのままだった LuaTeX-ja をセットアップした。セットアップといっても、TeX Live 2011 が入っている場合はそう手もかからない。

まず、SourceForfe.jp の LuaTeX-ja のページから、もしくは git で LuaTeX-ja の最新版のソースを取得する。これを展開して、luatexja/src を $TEXMF もしくはそれ相当の場所(僕の場合は手元にある git のツリーの src ディレクトリを、/usr/local/texlive/local-texmf/tex/luatexja/ にスタティックリンクした)に置く。これだけで使えるかのように思われそうだけど、実際には BXjscls が必要なので要注意である(「LuaTeX-jaの使い方」にはちゃんとその旨書かれている)。BXjscls に関しては、アーカイブを展開したディレクトリを luatexja/src/ 内(僕の場合は /usr/local/texlive/local-texmf/tex/luatexja/BXjscls/)にでも入れておけばよろしい。

で、使ってみた感想だが……当然だけど、まだ仕事で使うことはないだろう。フォントの扱いとかが強力なので、これを生かせる用途があれば、その辺りから使っていくことになるんじゃないか……と、現時点ではこんな感じである。まあとにかく、別に高度な技術とかがなくてもお試しだけだったら誰でもできるので、機会と機械と環境のある方は一度お試しいただくといいかもしれない。

typo-graffiti

まず最初に断っておくけれど、以下の話はTYPOGRAFFIT™とは何も関係ないので悪しからず。

先の blog の例文で「漢字仮名じり文」と書いているけれど、何か違和感を感じたのでチェックして、そのことに気付いて唖然としたのだった。「漢字仮名じり文」じゃないか! おい、何書いてるんだ→俺!

いい歳をした大人がこんなことをしていたのでは情けない限りだ。訂正しておくつもりだけど、戒めのためにメモっておくことにする。

フリー日本語フォントに決着をつける

TeX / LaTeX で日本語フォントを使う場合、どうしてもフリーのフォントを埋め込みたい場合があるかもしれない(通常はむしろ、日本語フォントを埋め込まない方がトラブルは少ないと思うけれど、僕みたいに xpdf とか gv とか使ったりする奴がいる場合には、問題が生じることもあるので……)。ということで、フォントに何が使えるのかを色々検討していたのだけど、とりあえずこんな感じで現時点では決着をつけた、と言っていいんじゃなかろうかと思う:

http://www.fugenji.org/~thomas/texlive-guide/font_setup.html

ちなみに、明朝・太明朝・ゴシック・太ゴシック・丸ゴシックを埋め込んだ結果を以下に示す:

five-allfree.png

比較のため、ヒラギノフォントで同様の埋め込みを行った場合の画像も示す:

five-hiragino.png

太明朝が……

最近、配布目的の PDF を作る必要が生じて、dvipdfmx でどんなフォントを埋め込むか、あれこれ思案している。

OTF パッケージを使って作成した日本語 PDF ファイルに使うフォントは、

  • 明朝
  • ゴシック
  • 太明朝
  • 太ゴシック
  • 丸ゴシック
の5種類位であろう。まあ、明朝とゴシックは IPA なり Takao なりを使えばいいわけだが、他をどうしようか、という話である。

IPA / Takao フォントには、いわゆるウェイトがない。dvipdfmx のフォントマップに "Bold" というオプションを付与すれば、機械的にフォントを太くできるのだが、こうするとフォントが埋め込まれない。ということで、いくつかフリーのフォントを物色して、個体差でバリエーションを出せないか、と思って、あれこれチェックしていたわけだ。

字体をチェックした結果、太ゴシックには Monapo フォントを、丸ゴシックにはモトヤフォント(登録制で3種類のフォントを各々1ウェイトだけフリーで提供している)の「モトヤシーダ1」を使うことにした。さて……あとは、太明朝なのだけど……どうしよう。

オールドスタイルではあるけれど、肉付きという意味で言うならば、出島明朝などが使えそうだなあ、と試してみたのだが、やはりグリフ数に問題があるようだ。英数字を他のフォントから移植して使っているけれど、たとえば \ajLig{F}(OTF パッケージで規定される "°F"……華氏温度の記号)がグリフに含まれていないようだ。これ位だったら、$\!$\textdegree F などとすればいいだけなので別にいいのだけど……ううむ。グリフの表を作ってチェックしつつ、しばらく使って様子を見る必要がありそうだ。

IPA フォント・Takao フォントの埋め込み

たまたま、何の気なしに『美文書作成入門』をパラパラ見ていたら、あれー俺ひょっとして勘違いしていたんじゃないか……と、ふと思ったのだった。端末の前に座り、 TeX / LaTeX のフォントマップをチェックしてみたら……あー、やっぱり。

僕は、Adobe-Japan1-UCS2 テーブルに関して、ちゃんと理解していなかったのだった。/AJ16 オプションを設定する場所を精査して作り直した「IPA ex 明朝 / ex ゴシックフォントを埋め込むフォントマップ」を使ってみると……おお、今まで IPA フォントで組版できなかった .dvi ファイルから、何の苦もなく PDF が生成できるではないか!

今現在、Debian GNU/Linux における標準的な日本語 TrueType フォントはTakao Fonts なので、同じように Takao ex gothic / ex mincho を参照するフォントマップを書くと……問題なく PDF が作成できる。まあ Takao フォントはもともと IPA 由来で、改変・再配布の制限をクリアするためにリリースされたものだから、出来て当然と言えば当然なのだけど、これで IPA / Takao の利用頻度が上がりそうである。それにしても、IPA という組織には一片の感謝の情も湧かない(なんたって IPA と言えば、あの悪名高き「Σプロジェクト」の胴元である)けれど、林隆男氏にはいくら感謝してもし足りそうにないなあ。

Xquartz と Emacs

かなり特殊な例だと思うのだけど、僕は Mac OS X を Linux 端末から remote で使うことが多い。Mac には Xcode と Xquartz を入れてあるので、X Window system ベースでコンパイルすれば、多少の GUI を使うことができる。僕がもう20年程も使っている GNU Emacs も、そのひとつである。

しかし、このところ、単純に configure → make bootstrap ではうまくコンパイルできない状態が続いていた。なんでかなー、と思いつつチェックすると、要するに Xcode と Xquartz で供給される X 周辺のライブラリを峻別しておかないとおかしなことになるらしい、ということに気付いた。

つまり、configure のオプションで、

--with-x-toolkit=gtk --with-x --without-sound --x-libraries=/usr/X11/lib --x-includes=/usr/X11/include
位は明示的に書いておいた方がいい、らしい。特に --x-libraries= を抜くと、/opt/X11 以下のファイルと峻別されず、これが原因でコンパイルエラーが出たり、コンパイルできても segmentation fault で落ちたりすることになるらしい。ちょっとしたことなのだが、今後は注意しておくことにしよう。

ヤガラ尽くし

最近、スーパーでヤガラを売っていることがある、という話は聞いていた。しかし、今日、たまたま別件で買い物に出かけたときに、頭を落としてぶつ切りにされたヤガラがトレイひとつ200円で売られているのを見つけて、おいおい……と呟いてしまった。

ヤガラ……ここで言及しているのはアカヤガラのことである……は高級魚である。詳細はWEB魚図鑑のエントリ「アカヤガラ」を御参照いただきたい。非常に長い口を持つ、細長い魚なのだが、刺身にしてよし、焼きものにしてよし、と、非常に評判がよろしい。

まあ、この辺の人達はこういうお魚のことをよく知らないんでしょう……と思いながら、トレイひとつを購入し、帰宅後、料理にかかる。

まず、腹腔の少し後側の身を刺身にする。この手の魚を捌くときには、いわゆる「大名おろし」と呼ばれるおろし方をすればよい……ただし、中落ちにぶ厚く肉が残ることになるので、これと皮をとっておく。おろした両側の身の表面の皮を外して、薄めに引けば刺身の完成である。

次に、尾に近い身を同じように三枚におろして、これはぶ厚く切る。中落ちと皮を、先の刺身のときの中落ちと皮と共に鍋に入れて水を張り煮立たせ、アクを引きながら中火でしばらくおいて出汁を取る。これを漉し、酒、塩、少しだけの醤油で味を整え、先のぶ厚く切った身に片栗粉をまぶしたものを出汁に落として火を通す。食べる寸前に刻んだみょうがを入れて椀に盛れば、吸い物の完成である。

胸鰭のある辺りは焼き物にする。これは塩をしてグリルで焼くだけだ。これだけで、刺身・吸い物・焼き物、と、ヤガラのフルコースである。

食べてみると……いや、非常に上品な味なのだけど、決して薄味ではない。おろしているときも感じていたのだけど、身から生臭みとかを一切感じさせない感じなのだ。それがそのまま食味に反映されている感じである。しかし……あれ、数尾分も積み上げてあったのだけど、喜んで買った人を他にはついぞ見かけなかった。200円でこんなに贅沢な思いができるというのに……つくづく、食わず嫌いは損をすると思うのである。

トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って (2)

正直、以前に書いた『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』に関して、続きを書くことになるとは思いもしなかった。しかし、昨夕、上記 blog エントリに書き込まれたコメントで、僕はこの話がまだ続いているということを知らされたのである。ここでは、その話と、それに関わっているらしい政府関係者に関して書かなければならないのだが、その前にまず『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』における経緯を、簡単にまとめておくことにする。

静岡県沼津市に「高嶋開発工学総合研究所」という団体を主宰する、高嶋康豪なる人物がいる。まず、この高嶋氏がいかなる人物なのかを、ここに示しておかねばなるまい。

高嶋開発工学総合研究所公式ブログの記事によると、学歴・経歴として、

  • 1951年5月19日 日本国静岡県沼津市において出生。
  • 1974年3月  東京農業大学醸造科卒業
  • 1997年 株式会社地球環境秀明設立、代表取締役就任。(環境部門に関する事業を目的とする会社)
  • 2009年8月  嶋開発工学総合研究所を株式会社として法人化、代表取締役就任

とある。しかし、以前は、これにこんな経歴が加わっていた。

  • 1995年 12月5日 世界初の環境微生物学博士の博士号をアガペー大学(ミッション系大学の頂点)及びケンジントン大学、エール大学評議委員会の認定により授与される。(学長:Dr.E・ホシノ)
  • 1996年 F.I.A.E(Fellow of International Academy of Education)終身名誉博士号を贈られる。F.I.A.E(国際学士院)はケンブリッジ大学、オックスフォード大学、ハーバード大学を中核とする全世界127ヶ国の著名な学者たちで組織されている世界的アカデミー団体である。Fellow(フェロー)とはノーベル賞に次ぐ学者の中の学者として、ヨーロッパではSIR称号を用いることができるものである。
  • 1997年 F.I.A.EにおけるFellowの本部が英国から米国に移行し、これを機に新Fellow本部の命により、アジア地区のF.I.A.Eの副総裁に任じられる。副総裁の立場はアカデミーの国際交流のために様々な行動を行うことができ、例えば大学を創設することもできるという権威あるものである。

まあ……ツッコミどころがあまりに満載なので、どこからツッコめばいいのか迷ってしまうけれど、まずアガペー大学とかケンジントン大学、国際学士院なる団体のことから書こうか。これらの団体は、いずれもディプロマミルである。先の高嶋氏は現在も尚「環境微生物学博士」なる称号を名乗っているのだが、これがディプロマミルの産物であることは明白である。

そもそも、上の記述に「ヨーロッパではSIR称号を用いることができる」などと書かれているが、これはとんでもない話である。Sir という称号は、イギリスで受勲した「イギリス人」しか名乗れないのである。これは、U2 というバンドのボノの例が分かりやすいかもしれない。ボノはイギリスで受勲したが、彼はアイルランド人なので Sir という称号は使えないのである。ましてや、日本人で Sir など、全くお話にもならない。おそらく、上の「SIR称号」というのは、おそらく S.I.R.(エス・アイ・アール)であって、Sir(サー)ではないのだろうと思う。これもディプロマミルが使いそうな虚飾の典型である。

ちなみにこの高嶋氏、現在はプロフィールに書いていないのだが、実は同じ沼津市にあり、「白隠正宗」なる日本酒で知られる酒造メーカー「高嶋酒造株式会社」の先代当主だったらしい。高嶋酒造のページを見ると、現在の当主は高嶋姓の他の方になっているのだが、高嶋酒造の住所は「静岡県沼津市原 354-1」で、高嶋開発工学総合研究所の住所「静岡県沼津市原 346-7」にある高嶋ビルと地図で見比べると1ブロックしか離れていない。google map による地図を参考に示す:大きな地図で見る

さて、この高嶋氏が立ち上げている「株式会社地球環境秀明」なる法人だが、ここは、微生物を用いることで何でもかんでも浄化できますよ、と売り込む会社、らしい。ただし、その大風呂敷のせいで、今迄もとんでもない騒ぎを何度か起こしている。

その中で、報道もされたのは、昨年の2月11日に、「株式会社地球環境秀明」の社員3名と代表である高嶋康豪氏が静岡県警に逮捕された事案である。これに関しては、複数のサイトが記録を残しているが、ここではまず、社団法人全国水利用設備環境衛生協会のニュースアーカイブから二次的に引用する:

下水道に汚泥流す―「地球環境秀明」社員ら3人逮捕/静岡

2010年2月9日(火)付の毎日新聞は、下水道に油を含んだ汚泥を流したとして、県警生活環境課と沼津署は8日、微生物を使ったバイオトイレなど環境ビジネスを手がける「地球環境秀明(ひでみつ)」(本社・沼津市)の社員ら3人を廃棄物処理法違反容疑で逮捕したと伝えた。同社の社長(58)についても同容疑で逮捕状を取り、行方を追っているという。

逮捕容疑は、09年5月28日〜6月25日にかけ計3回、清水町八幡にある秀明の営業所内にあるマンホールから汚泥を下水道に流したとしている。県警によると、3人のうち2人の容疑者は容疑を認めているという。

同課によると、秀明は浄化設備を岐阜県内の工場に納入したが、うまく機能せず、引き取った汚泥の処理に困り、下水道に流したとみている。この工場を経営する会社は「5年前に浄化設備の設置を依頼したが、契約通りの処理能力がなかった。裁判で損害賠償を求めている」と話したという。

静岡県によると、県東部の生活排水を処理する沼津市の「狩野川西部浄化センター」に昨年5月末〜6月末に汚泥が計6回流れ込み、通常なら半日から1日の処理時間が3〜4日に延びたという。

ホームページなどによると、秀明は99年12月に設立。微生物を使った排水処理など環境ビジネスを手がけ、県のホームページでも紹介している。販売するバイオトイレは富士山にも設置されているという。

秀明は社員の逮捕について「事実だったとしたら残念だ」と話しているとのこと。

ニュース資料:2010年(平成22年)2月9日(火)毎日新聞

次に『学歴汚染(Diploma Mill・Degree Mill=学位称号販売機関による被害、弊害)』の2010年2月11日の記述から該当記事を二次的に引用しておく:

油含んだ汚水を不法廃棄 産廃会社社長を逮捕

油を含んだ工場排水を不法に下水道に捨てたとして、静岡県警沼津署は11日、廃棄物処理法違反容疑で、産廃処理会社「地球環境秀明」の社長、高嶋康豪容疑者(58)=同県沼津市=を逮捕した。

同署の調べによると、高嶋容疑者は同社社員ら3人と共謀し、昨年5月28日から6月25日の間、3回にわたり、岐阜市内の工業用ふきん洗浄工場から出た排水を、公共汚水槽に捨てた疑いが持たれている。

同署は今月8日、同社社員ら3人を逮捕。高嶋容疑者は11日朝、同署へ出頭した。会社ぐるみで不法投棄を繰り返していたとみて詳しく調べる。 (産経新聞)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/print/event/crime/356464/ より引用

このように、「地球環境秀明」の問題で、高嶋康豪氏は逮捕されているのである。浄化能力のない浄化装置を売りつけ、浄化されたと称して浄化されていない排水をたれ流していた、という「実績」があるわけだ。

さて、この高嶋康豪氏だが、去る3月11日の東日本大震災以来、トンデモとしてもあまりにトンデモな方向に邁進しているらしい。自らの開発した手法で、微生物が放射性元素を核変換して分解する、と主張しているのだ。いや、主張するだけならまだいい。話は、それだけでは済まないことに既に至ってしまっている。

まず、拙 blog『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』(2011/04/07(Thu) 12:12:58)にも書いた通り、高嶋氏は韓国の国立果川(クァチョン)科学館から1000万ウォンを研究資金として提供された。この金は、もともとは韓国国内における東日本大震災への日本災害寄付として集められたもので、要するに、高嶋氏は、韓国の日本への義援金を詐取したのである。

「詐取」とは穏やかならぬ話だ、と言われそうだけど、これは詐取以外の何物でもない。もし核変換が行われるのならば、その過程によって、ガンマ線や中性子線が当然放出されるべきで、それが観測され、核変換前後の物質とエネルギーの保存がなされていることが立証されなければならない。しかし、そういう話はどこにも出てきていない。

事の内容に関しては、山形大学の天羽氏のページ内の掲示板を御参照されたい……正直、もう書くのも苦痛なので:

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs01/showthread.php?mid=28009&form=tree

高嶋開発工学総合研究所が公開している『最終報告書』(加筆修正版)なるものを一読すると、15 m 四方の農地に菌や水を撒き、15 cm 程度の深さまでの耕転を3度行ったら、ガイガーカウンタでの計数値が減少した、とあるのだが……いや、そりゃ、表土に放射性核種が吸着しているところに水を撒いて、土をかき混ぜりゃあ、それが耕作区域外に流出するのと、少し深いところに透き込まれただけでも、線量は減るに決まっている。それは生体分解でも何でもない。

そもそも、科学的検証というならば、何故、同程度に汚染された 15 m 四方の土地をもうひとつ確保して、ただの堆肥とただの水を散布し、同じように耕転を行って比較しないのか。強調しておくけれど、こういうことは、たとえば中学一年生の理科の時間に、植物の光合成や呼吸、あるいは葉でのデンプン生成に関する実験を教わるときですら出てくる話である。他の実験条件を同じくして、注目する現象においてのみ有意な差が生ずることを証明する。それすらせずに、何が科学的だと言うのか。もう、本当に、お話にもならない。

まあそんな感じで、読むだけでも苦痛を感じてならないこの報告書だが、非常に気になる記述があるのだ。以下、該当部分を引用する:

去る7月5日、外務省の高橋千秋副大臣のご案内で、経済産業省において高嶋博士の微生物触媒による放射能汚染土壌の除染と浄化の科学技術の説明を求められ、松下忠洋副大臣及び経済産業省技術総括審議官の西本淳哉氏、内閣府原子力災害対策本部被災者支援チーム放射線班の高畠昌明氏、経済産業省安全保安院放射性廃棄物規制課の武山松次氏に面会したところ、松下副大臣及び西本審議官他2名から「高嶋博士の科学技術によって、表土部の放射線レベルが下がっていること、放射性物質が軽減していることは理解したので、土壌の深部に放射性物質が溜まっていないことをデータで示してほしい」と依頼されました。

で、この報告書では、ご丁寧にも花崗岩の岩盤が出てくるところまでボーリングして、それを Ge 検出器で測定して、放射性核種 N.D.(検出値限界未満)でござい、などということをやっている。しかし、ここで注目すべきことは、

  • 高橋千秋(民主党所属・参議院議員)
  • 松下忠洋(国民新党副幹事長・衆議院議員)
  • 西本淳哉(経済産業省大臣官房技術総括審議官)
  • 高畠昌明(内閣府原子力被災者生活支援チーム放射線班室長)
  • 武山松次(経済産業省原子力安全・保安院放射性廃棄物規制課)
……という面々(敬称? 敬称ってのは向ける相手を選ぶ権利があるんだよ、こっちにもさ)が、この与太話に関わっていることである。

福島の汚染状況に対しては、早期に何らかの対策がなされるべきだし、それに関しては、関係者の英知を結集して事を進める必要があるわけだが、よりにもよって実務者レベルのトップに近い人々が、こんな与太話に関わっている、というのは、一体どういうことなのか。この与太話のために、我々国民の血税が浪費されているのだとしたら、そしてこのような与太話に安住することで、福島に為されるべきことが遅れているのだとしたら、まさにこれは万死に値する。

とにかく、ここでは以下のことを強調しておきたい。

まず、高嶋開発工学総合研究所および高嶋康豪なる人物は、信頼するに足らない人物である。ディプロマミルで学位を捏造(僕等から見たら、捏造にすらなっていないレベルなんだが)し、逮捕歴もある。その主張を信頼するに足らない存在である。

そして、高嶋開発工学総合研究所および高嶋康豪が主張する「放射能汚染バイオ浄化」なる手法には、いささかの科学的根拠もないし、その実験には科学的正当性が全くみとめられない。

最後に、そのような高嶋開発工学総合研究所および高嶋康豪、そして「放射能汚染バイオ浄化」なる手法に騙され、その権威付けに関わった人々の存在により、盲信的にこれらを信じて事を進めてしまっている人々が、日本の政府の中にも存在しているらしい。これが事実ならば、まさに万死に値する大罪であると言わざるを得まい。今後、これに騙される人がいるとしたら、その人も同罪である。理研の野依氏の言葉でないが、こういう与太話に与するのだとしたら、「歴史という法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」。それ位、これは罪深い話なのだ。

いつの間にか

普段から TeX Live 2011 を使っていて、ひとつだけ気になっていることがあった。dvipdfmx で PDF を生成するときに、

** WARNING ** 1 memory objects still allocated
という warning が出ることだった。これは実際の動作に何ら悪さはしていないようで、僕の普段の使用法(せいぜい日本語のフォントは著作権の絡みで使い分けが7、8種類で、OTF を使って、数ページから数百ページの原稿のタイプセットを行う)では問題になったことはない。しかし、どうにも気持ちの悪いものだったのだ。

しかし、だ。今日の昼頃だろうか……いつもの日課の TeX Live 2011 のアップデートを行ったらば、このメッセージが出なくなっていたのである。あっれー? まあ嬉しいと言えば嬉しいのだけど、一体これはどういうことなのか。

問題の warning に関して調べると、今年の6月のあるメールに到達した:

http://www.tug.org/pipermail/tex-live/2011-June/029415.html
このメッセージは開発者のためのものなので無視しておいて下さい……と書いているのは、あの角藤氏である。しかし、TeX Live 2011 は正式リリースされて2か月位経つわけで、このタイミングで出なくなる、というのは、何が起きていたのだろうか……まあ、でも、何にしても、出なくなって少し嬉しいのだった。

違う環境下での検証

最近、TeX Live のページなどを書いている関係上、奥村氏の TeX フォーラムを覗く機会が多いのだけど、ここで beamer が使えなくて困っている、という書き込みがあった。僕は普段はこの手の書き込みにフォローすることはまずないのだけど、そう言えば beamer って使ってないなぁ、と思って、ちょっと試すことにしたのだった。

奥村氏の『LaTeX2e 美文書作成入門』pp.299 にある example を書き移したファイル (beamer-test-win.tex)を作成して、platex で2回処理してから dvipdfmx で処理すると、こんな PDF ファイル (beamer-test-win.pdf……ちなみにこのファイルには Takao ex ゴシックが埋め込まれている)が生成される。以上。

……いや、以上、って、それじゃああまりに教育的ではないだろう。まあ、TeX Live 2011 はこういうときにはあまりに強力過ぎるので、他の環境で使っている人に有益な情報を提供できるとは限らないのだ。ということで、reboot して Windows Vista X64 上で試してみる。

……と、ここで重大な事実に気付いたのだ。w32tex って beamer 入ってないじゃん! いや、これは w32tex を纏めている角藤氏の不手際ではなくて、単純にプライオリティの問題なのだろうと思うけれど、そりゃ入っていなければ、使えないに決まっている……ということで、以下、TeX フォーラムの当該スレッドから引用しておく:

そう言えば w32tex には beamer は入っていないのですね?(僕の認識不足でしたらすみません)。ということで、w32tex に実際にインストールしてみました。

以前だと、sourceforge に beamer と pgf, xcolor 一揃えがあった:

http://sourceforge.net/projects/latex-beamer/

のですが、これは現在メンテされていないということですので、CTAN から取ってきます。

beamer.zip はそのまま展開します。pgf の ZIP ファイルは、展開後に格納フォルダの名称を pgf などにリネームしておくといいですね。xcolor もそのまま展開しますが、後で中の .ins ファイルの展開が必要です(後述)。

僕の手元の環境では c:\w32tex に w32tex がインストールされています。以下、path は適宜読み換えて下さい。

まず、

C:\w32tex\share\texmf-local\tex\latex

を作成します。この中に、

  • C:\w32tex\share\texmf-local\tex\latex\beamer
  • C:\w32tex\share\texmf-local\tex\latex\pgf
  • C:\w32tex\share\texmf-local\tex\latex\xcolor
のように展開したフォルダを置き、コマンドプロンプトで

> cd C:\w32tex\share\texmf-local\tex\latex\xcolor
> latex xcolor.ins

として、スタイルファイル等を展開してから、

> mktexlsr

で ls-R データベースの更新をすれば、使えるようになるはずです。僕の手元の環境では、使えるようになっています。先に僕が添付した pp.299 のファイルも処理できています。

# ここまで到達できない場合は、beamer 以前の TeX のインストールの段階で問題
# が発生しているかもしれません。

……いやー、我ながら丁寧に書いたもんだ。まあ、違う環境のユーザに対しては、これ位ケアすることもたまにはある、という話である。いや……そもそも僕は、誰に何も聞かなくてもこれができたわけで、それは他人が見ただけで読むのを諦める英文の document をちゃんと読む、とか、google でその時点での live なサイトをチェックする、とか、そういうことをしているからであって、そんなこたぁ誰だってできるはずなのだけど。

【追記】TeX フォーラムで、複数の方からご指摘いただいたのだが、w32tex では基本的に mktexlsr は使わない方がよい、らしい。僕の現時点での認識としては、w32tex の場合は ls-R データベースの作成は必ずしも must ではないので、無用な mktexlsr による ls-R データベースの作成は弊害の方が大きいから、だろうと思うのだが……たしかに『美文書……』でも付録 B.4 (pp.316-7) にそんなニュアンスの記述がある。

【追記2】TeX フォーラムで、w32tex のマスターである角藤氏が「mktexlsr しちゃいけない理由が私には分かりません」という内容の書き込みをされている。うーん、結局 ls-R 有害論って、実はよくある Windows ユーザ特有の「経験則信仰」ってやつなのかしらん?

MS明朝・MSゴシックをちょっと見直す

今日、TeX Live のメンテをしている最中にふと思いついて、OTF パッケージで Adobe-Japan 1-6 の全ての文字を表示させる .tex ファイルを簡単なシェルスクリプトを書いて生成して、dvipdfmx で小塚フォント、ヒラギノフォント、IPA フォント、そして比較材料として MS 明朝・MS ゴシックフォントを用いてフォント埋め込みを試験的に行ってみた。

まず断っておかなければならないが、これは厳密にはフォントの使用許諾事項に違反する。Microsoft は自社の OS の範疇以外で、自社のシステムに付属するフォントの使用を認めていないからだ。今回は、あくまでも実験であって、生成したファイル等は実験終了後速やかに消去しているので、念の為。

さて、では結果がどうだったか、というと、実は Micosoft フォントは、ヒラギノに次ぐ位のグリフ数があることが分かった。某所でちらっと読んだ話だけど、Windows Vista の MS 明朝のグリフ数は約 16,000 個だそうで、これは確かに Adobe Japan 1-4 より多く、1-5 よりやや少ない程度である。ううむ、MS 明朝、思っていたよりもやるじゃないか。

まあ、でも、これはある意味当然かもしれない。そもそも MS 明朝や MS ゴシックは、最初から Microsoft が開発したものではない。これらのフォントの母体になったのは、リョービの写植用字体で、それをフォントに仕立てたのはリコーである。やや細身だし、モリサワフォントなどと比較すると業務用に使えるような代物ではないかもしれないが、素性の悪い代物ではないのである。うーむ…… Windows 上で dviout で出力すれば、合法的に Microsoft フォントを使えるから、もしもの場合の選択肢として、記憶しておくことにしよう。

kernel.org の危機は続く

今回は、あまりコンピュータ関連に詳しくない人でも分かるように書こうと思う。この問題は、もはや僕のようにコンピュータを使っている人間だけの話ではないからだ。

ここを読まれている方は、僕が Microsoft Windows でも Mac OS X でもないシステムを普段から使っている、というのをご存知だろうと思う。この OS(オペレーティング・システム……コンピュータ内部動作、周辺機器やユーザとのやりとりを司る根幹のシステムである)は Linux というもので、もともとは 1990 年代にフィンランド人の Linus Torvalds が Minix という学習用 OS に刺激されて開発したものである。

僕は大学院に入る位の頃から Linux を使っているから、使い始めてからもう十数年ということになるのだろうか。僕が触った UNIX 系 OS としては、3番目か4番目位だったと思う。僕が触り始める少し前まで、Linux はネットワークに関する機能が未発達だと言われていたのだが、ユーザが増えるに従い、そのような問題は恐ろしい程のスピードで改良されていった。そして今や、フリー(自由)な OS という意味での発展度合いは、他者の追随を許さないと言ってもいい状態だ。

Linux をビジネスに使う、というのは、1990年代から試みられていたのだけど、今一つ盛んにならなかった。しかし、IBM がパーソナルコンピュータ市場から撤退し、自らの基幹業務用システムに Linux を多用するようになってから、Linux はビジネスの場で用いられる OS という座を確立した。そして、一般大衆にとって Linux の存在が無視できないものになったのが、google による The Chromium Project と、2005年に google が買収し、今や日米でのスマートフォン OS のトップシェアフォルダーとなった android の台頭である。

ここで、僕は別に難しいことを言いたいのではない。要するに、皆さんが使っている携帯電話や、皆さんの生活に関わる業務用コンピュータシステムにおいて、Linux というものがもはやなくてはならない存在になっている、ということを言いたいのだ。それを言った上で、今、その Linux に対して厄介な状況になっている、ということを書かなければならない。

Linux の心臓部である kernel は、その名も kernel.org というドメインで公開されている。僕は定期的に、ここのサーバの更新状況をチェックし、新しいバージョンのリリースがあるとソースのアーカイブ(kernel の作成に必要なプログラムリスト等をひとつのファイルにまとめたもの)やパッチ(古いソースパッケージの新しくなった部分だけを書き直すためのファイル……「継ぎを当てる」という意味でパッチ patch と呼ばれる)をダウンロードしていた……そう、して「いた」のだ。8月下旬まで。

後は先日の blog で書いた通りである。この kernel.org に何者かが侵入し、システムに改竄を加えたのが発覚したのだ。一時回復するかに見えた kernel.org だが、現時点になってもまだ「メンテナンス中」とだけ出た状態である:

Maintenance - Down for maintenance

一般論で言うと、この手のサイトに侵入されたのは非常に危険である。ソースに対して改竄がなされ、Linux ユーザが気付かずに kernel を構築した場合、そのシステム内部にバックドア(侵入し易くするための「裏口」)や、システムを破壊するような裏機能、あるいは個人情報を抜くための裏機能を容易く導入させてしまう可能性があるからだ。噂によると、kernel.org の心臓部だった master.kernel.org の /etc/passwd (もともとは UNIX 系システムのユーザパスワードが暗号化されて保存される場所)まで改竄されていた、という話なので、結構この問題は根が深いようだ。

ただし、Linux kernel の開発自体は github というシステム上で行われている。このシステムで共有されているソースを改竄することは非常に困難(特に Linux のように多くの人々が参加している場合は困難である)なので、皆さんの携帯電話がどうこう、という可能性は、今のところはないと言っていいだろう。

しかし、kernel の開発に参加しているわけでない僕にとっては、kernel.org は非常に便利なサイトだったので、ここがコケっぱなしなのは非常に困る。いや、実際今困っているのである。

脊髄反射は許し難い

千代田テクノルという会社がある。僕が研究を生業とする少し前のことだけど、ここは画期的な線量管理アイテムを実用化した。それがガラスバッジである。

それ以前に使われていたフィルムバッジが、現像と黒化度測定で手間を食うものだったのに対して、放射線によるガラスの損傷が蛍光を発することを利用したこのガラスバッジは、感度も高いし、レーザーによる迅速数値化が可能で、しかも使った後はアニール(焼鈍)すればまた元に戻る。記録材であるガラスの破損の危険と、従来のフィルムバッジよりやや重いことを除けば、これ程いいものはない。まさに革命的な線量管理アイテムの登場だった。もはやこの日本で、フィルムバッジを使っている人は誰もいないと思う。それ位、ガラスバッジは普及している。

このガラスバッジを使った線量管理において、僕が今迄耳にしてきた問いがふたつある。ひとつは「浴びてから分かっても意味ないじゃん」というもの、そしてもう一つが「どうしてまず最初にバッジ装着者に連絡が来ないのか」というものだった。まあ前者の問いは、皆さん理解できると思うけれど、後者に関しては、若干の説明をする必要があるだろう。

僕が某国の研究所に居たときのことである。当時、僕と同期で入ってきた女性研究員のYさんという人がいた。彼女は東大のドクターコースを中退して入ってきたのだが、とにかく実験のセンスがなくて、僕はフォローするのに酷く時間を使わされた。で、この職場で健康診断があって、毎度おなじみの胸部レントゲン撮影というのもあったわけだが、その後何日かして、職場の線量管理責任者をしている某氏が、もの凄い勢いで研究室にやって来た。

「おお、Thomas 君。Yさんおるか」

「さっき SEM 使ってたんじゃないかな……あっちの部屋、見ました?」

と言うと、返事もせずに某氏は SEM のある部屋に飛び込んだ。そしてYの腕を掴んで、彼女の居室に入って、しばらく出てこなかった。

この職場は、欧米の研究所などと同じくティータイムの習慣があったのだけど、この日のティータイムに、Yは得意気に皆の前でこう言ったのだ:

「なんかアタシ、X線被曝してるっていうのよ」

聞いてみると、ガラスバッジの交換があった翌日、先方の担当者が血相を変えて某氏のところに電話してきたのだ、という。Yさんの線量値が、尋常じゃないことになっている……というのだ。某氏は泡を食って、Yを確保して散々確認し、ついに、Yが胸部検診のときに、名札と一緒に腰に付けているガラスバッジを外さずに胸部撮影を行ったのだ、という事実を引っ張り出したのだ。バッジの代理店にその旨確認すると、線量から言うと丁度それ位に相当する、ということで、Yはきついお目玉を食らった後に釈放されたわけだ。

「でも、おかしいじゃない?アタシが被曝したんだから、まずはアタシに電話してくるのが筋じゃない。そうしたら、こんな面倒なことにならないで済んだのにねえ」

と、すました顔で紅茶を飲むYに、周囲の全員が「いや、面倒事はアンタ一人のせいだからな」と思っていたのは、言うまでもあるまい。

さて。このYの一件でもそうだったけれど、被曝線量に異常があった場合、当人に連絡する前に、まずは線量管理責任者に連絡が行くのである。これをおかしい、と言う人がいるかもしれないけれど、それは違う。この場合は、まず、線量管理責任者がこの事実を知らなければならないのである。

そもそも。浴びてから分かっても遅いんじゃない?という疑問を持たれながらも、なぜガラスバッジを付けるのか。これは、万が一、放射線源等の扱いが不適切で、被曝するような事態が生じたときに、その原因となっている不適切な放射線管理の状況を可及的速やかに是正し、それ以上、その区域に入る人に被害が及ばないようにするためである。もちろん、個々の線量管理の目的があるのは言うまでもないが、ガラスバッジを付けさせる側が、何故大枚はたいて付けさせるか、というと、そういう放射線管理の徹底が義務付けられているからである。つまり、ガラスバッジ(そしてそれ以前のフィルムバッジも、だが)を用いた線量管理というのは、個々人をリアルタイムで守ることが一義的目的なのではない。そこに関わる人に危険が及ぶ状況を察知し、可及的速やかに是正することが一義的な目的なのである。累積線量の管理というのは、その後の問題である。そういう思想だからこそ、Yの前に、バッジの代理店は線量管理責任者に電話を入れたのである。

福島で、子供にガラスバッジを付けさせるという話があって、子供個々人に対して線量の通知がされないから、子供はモルモット扱いだ、という話を mixi でしている人がいるのだが、そういう人達は、線量管理におけるこういう思想を理解していないのだろうと思う。リアルタイムで被曝線量が分からないガラスバッジは、一人一人の子供を目前の被曝から避けさせるということのためのものではそもそもないのだ。この場合、公費でガラスバッジを付けさせるということは、被曝する状況が万が一存在したときに、可能な限りそれを認識して是正するため、なのである。それも分からずモルモット、モルモットって、それはあまりに短絡的に過ぎるというものだ。

「ギリシャ館」「蓮」

深夜、日付が変わったところで、アクセスログの解析をすることが多いのだけど、最近ちょっと気になる解析結果が出ていた。google からのアクセスを解析すると、「ギリシャ館」「蓮」という検索語での検索結果から僕のコンテンツに飛んできている数が多いようなのである。

google での「ギリシャ館」「蓮」の検索結果を見ると……うーん、千葉のソープランド「ギリシャ館」なるところに、源氏名「蓮」という人がいるらしい。はあ。でもそれが僕と何の関係があるというのだろう。

google での「ギリシャ館」「蓮」「Luminescence」の検索結果を見ると、なるほど、2番目に僕の書いた文章が出てくる……あー。なるほど。僕の洗礼名のギリシャ語読みの話と、實重彦の名前とが検索に引っかかるらしい。しかし……十二使徒の名前に、元東大総長の名前の組み合わせが、千葉のソープランドの女性の源氏名に引っかかるとはねえ。世の中は広いのだ、と、今更ながらに思い知らされたのだった。

資質

鉢呂経産大臣が、「死の街」発言に続いて「ほら、放射能」と言いながら防護服の表面を記者に擦り付けようとした問題で、今夜辞意を表明した。まあ、厚労大臣のタバコ増税発言と言い、閣僚としてあまりに程度が低過ぎて、ただただ脱力、という感じである。

しかし、どういう訳か、世間では「ここで辞める方が無責任だ」とか、はなはだしきに至っては「マスゴミの誘導で辞めさせられるとは許し難い」などという発言まで目につく。これに関しては、断固ここで objection を表明しておかねばなるまい。

まず、政治家という仕事は非常に過酷な仕事である。何が過酷なのか、というと、未知のファクターの集成である未来に対して一定の結果を出さねばならない、そしてその業績が結果のみで評価されるところこそが過酷なのである。いかに頑張ろうが、汗をかこうが、そんなものは何の役にも立たない。軽口をたたき、鼻をほじりながらでも、するべき仕事をして結果を残す方が、政治家としての評価は高いのである。

そして、そういう未来への仕事を託される政治家に要求されるのは、「どういう姿勢で」「どういう理念で」「どういう方策で」未来への課題に立ち向かっていくのか、ということである。これは、つまりはその人の政治家としての哲学が問われているのである。

その人の発言は、その人の哲学を反映したものとしてとられるのが当然である。だからこそ、シビリアンコントロールにおける文民と素人の区別もつかないようなことを言ってみたり、葉タバコ農家の存在を一顧だにせずに、職務権限もなしにタバコの増税に関して発言して、後で私見でござい、とヘラヘラしていたり、これから自らが救済しなければならない対象を軽々に「死」という言葉で形容したり、そこにある放射性物質の存在をネタにしたり……そういう政治家は、そういう哲学を持っているとみなされて当然だし、そういう政治家の資質というものには期待を持ち得ないのである。

そして、僕等は民草として、市民として、そういうことにはきっちりと「それはおかしい」と声を上げるべきなのだ。反原発と言っていたから、ああいう放言・問題行動をしていても経産大臣として期待していた?はぁ?てんでお話にもならない。それは共同幻想を大事にするあまり「毒食らわば皿まで」と言っているようなものだし、そういうことに世間の他の人達を巻き込んでいただきたくはないのだ。迷惑千万ではないか。

threshold

今朝方のこと。僕は机の上に紙を置き、唸っていた。

この紙に印刷されている内容を電子化しなければならないのだが、OCR を試みた結果は散々なものだった。文中に特殊な記号が使われているからなのだけど、紙の枚数は A4 7枚にびっしり……という感じである。

たとえば、これが A4 1、2枚だったなら、OCR すら考えずに目で見て、手で打ち込んでしまうかもしれない。しかし、この分量は、普段だったら OCR を使おうかどうしようか、と悩む、丁度その境界線位の量である。これを打ち込むのかー……ということで、唸っていたわけだ。

あまり精神論めいたことを書きたくはないのだけど、技術的な意味で障害がある場合に、解決しなければならないことをどうやって解決するか……それを推し進めるには、何が必要か。おそらく、こういうときに必要なものは「覚悟」なのだろう、と思う。

「覚悟」というと、なんだか悲愴な響きに感じられるかもしれないが、そうではない。諦めなければならないところには見切りを付け、有限のリソースをどこに注ぎ込むのかを見極め、それに邁進する。場合によっては、退くことも選択肢から除かなければならないかもしれない。しかし、到達すべき点まで到達すれば、それは終わる。苦痛は永遠に続くわけではないのだ。そして、終わった後は、その苦痛の成果を前向きに活用できるはずなのだ。それらをはっきりさせて事に臨むのが「覚悟」なのだと思う。

というわけで、覚悟して打ち込みを始めて……先程終わった。校正はしなければならないけれど、英語の部分はスペルチェックをかけておいたので、その手間はそう大したものではない。この電子化したデータを、せめて今日の夜からは有効に活用することにしよう。

finger?

以前この blog でも書いたことがあると思うけれど、僕は Linux の kernel の update 状況を知るために finger.kernel.org を利用している。以下にその使用例を示す:

finger.kernel.org.result.jpg

ところが、である。昨日からこの finger server が使えない。というより、DNS が "finger.kernel.org" を resolve しない状態になっているのだ。昨日は http://kernel.org/ にさえ接続できない状態だったのだが、現時点では http://kernel.org/ の方はちゃんとアクセスできる。

何があったんだろう……と、 http://kernel.org/ のアナウンスを読んだら、なんと kernel.org がクラックに遭ったらしい。おいおい……この kernel.org は、ある意味 Linux の生命線みたいなものなのだけどなあ……誰がやったんだ?遊びだと言うには迷惑過ぎだよ。

『TeX Live を使おう』に関して

そもそも僕が TeX / LaTeX というものを使い始めたのは、もう20年程も前のことになる。TeX / LaTeX の存在自体は、大学に入る位の頃から耳にしていて、大学の学生実験が始まった年に、なんとかレポート作成に使えないものか、と思い始めたのである。しかし、当時の僕が持っているのは、16 ビットの PC98、しかも HDD や増設メモリなど買えそうにない経済状態で、ネットへの接続もままならない状態だった。

当時の僕の周囲には、既に 32 ビットの PC98 に大型の EMS ボードを挿し、モデム経由で NIFTYSERVE 等を使っている同期が何人かいて、彼等に相談してみたところ、何日かして、何枚かの(当時はまだ 5 インチだった)フロッピーディスクを渡してくれた。早速帰宅して中身を見ると、go32 を利用して動作する、いわゆる Eastwind 版の TeX 一揃えが入っていた。分からないながらに簡単な文書を書いて、初めて手元の環境で処理して dviout で表示したときの衝撃は、未だに忘れられない。自宅での出力環境は24ピンのドットインパクトプリンターだったけれど、初めて、

Fourier
などと書いてみて、ギリシャ文字や積分記号の美しさを目の当たりにしたときには、全身総毛立つような思いがしたものだ(後記:僕は現在は txfonts を使って数式を書くことが多いのですが、これはあの頃使っていた Computer Modern を使って書いています)。

大学3年になった年、僕の居た大阪大学は、OS X の源流になったあの NeXT を400台導入した。記念式典にはあの Steve Jobs が直々に大阪にやってきて、僕等の目の前であの天才的なデモンストレーションをしたのだった……そして、この NeXT は、僕の勉学におけるコンピュータ環境を劇的なまでに変革した。なにせ、400 dpi のレーザープリンタが接続された pure な Postscript 環境(NeXT は画面表示すら Postscript で行っていたのだ!)、しかも firewall 経由ではあるにせよ、ネットワーク環境もちゃんと使える状態のものを、学生が好きに使えるのだ。そしてこの NeXT には、ASCII 日本語 TeX がインストールされていた。

この時期から、僕は TeX / LaTeX 以外の手段で論文を書いたことがほとんどない。学部・修士の論文も、そして勿論学位論文も TeX / LaTeX で書いた。特に学部の卒論は、グラフは NGRAPH で出力した PS ファイルと、一部の人に利用開放されていたスキャナで取り込んだ画像を LaTeX + epsf で配置してレーザープリンタで出力した、完全な LaTeX document だった。まあ、あの環境で、これをやらなきゃあ、あまりに勿体ないというものではないか。

そんなことをやっているうちに、寮の文系の友達つながりで、文系の学生達から「TeX ってどうやって使うの?」と聞かれることが多くなった。当時彼等は、PC98 や NeXT 上のワードプロセッサで論文を執筆していたのだが、バックアップを取る前に落ちることが頻繁にあって、相当痛いメに遭っていたらしい。質問者が二桁を超えたので、これは何処か借りて講義でもした方が早いなあ……と思い、大学の情報処理教育を行っている部門に相談してみたら、テキストの製本等の面倒はみるから、是非やって下さい、と言われた。さあ、そこからが大変である。春休みを潰してテキストを書いた。記号に関する説明で、当時 TeX 使いの間で must item と言われていた『LaTeX 美文書作成入門』の表を引用する必要が生じて、NeXT 上から電子メールで著者の奥村晴彦氏に許可依頼を出したら、

「教育目的の引用は著作権法上許諾は不要です。どんどん使っちゃって下さい」

という、非常にシンプルな返信が返ってきた。これに勇気付けられて、結局全学規模になってしまった TeX のセミナーをし仰せたのだった。

まあそんなわけで、TeX / LaTeX 及びその周辺の人々には、僕は様々な意味で恩恵を受けているわけだ。しかし、正直言って、その恩を返せているとは、とてもじゃないが思えない。僕等の業界では、先達に受けた恩は後輩に返すことになっているので、この恩は後輩に何らかのかたちで返さなければならないわけだ。

しかし、ネット上での Q&A の類には、僕は限りなく絶望に近い印象を持っている。最近はどうも、自らの課題・問題点をまとめた上で、必要な情報を探索する能力というのが、日本人全体の中で、急速に衰えているような気がしてならないのだ。昔の電子ニュース華やかなりし頃だったら、void 氏や lala 改め lala-z 氏にボロカス言われるわけだけど、今はそういう「親切な」人はほとんどいない。たまに僕がキツいことを書くと「荒らしですか?」とか開き直られたりする。阿呆か。まあそんな感じなので、僕自身も最近はそういうコンテンツを作ることはほとんどないわけだけど、TeX Live に関しては、これから大学で論文を書く人とか、科研費出そうと思って書類書かなきゃならない人とか、まあ結構需要があるのだろうから……ということで、件のコンテンツを作成した次第だ。徐々に拡充していくつもりである。

太陽電池の落とし穴

以前にもここに書いたけれど、世間で盛り上がっている「再生エネルギー礼賛」みたいなムードの中で、皆本当に、真剣に、再生エネルギーのこと考えてるの? という疑問を、いつも僕は抱かずにはいられない。たとえば、今日、こんなニュースが流れている:

米太陽電池、3社が相次ぎ破綻 中国の攻勢で

2011/9/5 0:47

【シリコンバレー=奥平和行】米太陽電池業界に逆風が吹き付けている。8月にはソリンドラ(カリフォルニア州)など3社が事実上、経営破綻したほか、米最大手ファーストソーラーの4〜6月期は大幅減益となった。最大市場である欧州で販売が伸び悩んでいるほか、低価格を売りものにする中国企業の攻勢が強まっており、消耗戦の様相を呈している。

ソリンドラはビルや商業施設に設置する円筒状の発電効率が高い太陽電池を生産していた企業。8月はエバーグリーンソーラー(マサチューセッツ州)と、半導体世界最大手、米インテルの出資先として知られるスペクトラワット(ニューヨーク州)も経営が行き詰まった。ファーストソーラーの4〜6月期決算は売上高が前年同期比9%減の5億3277万ドル(約410億円)、純利益は同62%減の6113万ドルと減収減益だった。

自然エネルギーの需要の高まりを背景に、太陽電池への需要はこれまで順調に拡大してきた。欧州太陽光発電産業協会(EPIA)によると、2015年には世界の太陽電池の新規導入量が10年実績より4割強多い2393万キロワットまで増える見通し。ただ11年は10年比20%減の1333万キロワットを見込んでいる。

欧州各国の政府は電力の固定価格買い取り制度などをテコに需要を喚起してきたが、ここへきて財政悪化を背景に相次いで補助を縮小しておりその影響が出た。主要市場である欧州の需要減速で太陽電池の価格が下落し、米国各社の業績を圧迫した。

供給能力増強を進めてきた中国企業が欧州の減速などで米国市場に矛先を向けたことも、米企業の苦境を一段と深める結果となった。中国企業は米国で施工会社を拡大し広告も活発に行っている。米調査会社ソーラーバズによると、8月の太陽電池モジュール1ワット当たりの価格は、前年同月より23%低い2.84ドルまで下がっており、各社の収益の重荷になっている。

(日本経済新聞 2011年9月5日付)

これからも分かることだけど、太陽電池生産は、現在、中国のほぼ一人勝ちの状態である。再生エネルギー先進国(とか言ってるけど、他国の原子力発電による電気を買ったりもしているから、実は真の意味でそうは言えないと僕は思うのだけど)ドイツでも、国内法人で太陽電池を生産するはずが、実際には中国の安価な太陽電池に勝てない、という現状があるのだ。

エネルギーは、どう形が変わっても、それが国というものの生命線であることには何ら変わりはない。生命線を容易く断たれるような構造を容認してはならないのだ。もし、本気で太陽光発電を大規模に行うのだったら、内製するか、日本に対する政治的カードとして太陽電池供給を使わないことがある程度保証されている国から輸入する、という方針を現実のものにする尽力は欠かせないのだが、再生エネルギー再生エネルギー、とはしゃいでいる政治家や一般の方々は、どうもとんとそういうことをお考えにはならないらしい。

僕は別にナショナリズムを説いているのではない。21世紀は、今迄以上にエネルギーというものの位置付けが重要になり、それが貴重なものになり、時にはそれを巡った政治的やりとりをしなければならない……そういうことを言っているのである。現実を見据えずに空理空論に遊ぶとどうなるか、この一年と少しの間、日本という国にいて、尚分からない人がいるならば、そういう方はさっさとこの過酷な現実の世界からオサラバした方がよろしい。いっそ死んでいただきたい。

TeX Live 2011 インストールガイド

http://www.fugenji.org/~thomas/texlive-guide/

上記 URL に「TeX Live を使おう ―― Linux ユーザと Mac OS X ユーザのために ――」という文書を置いた。TeX Live 関連で、この blog に来ている人が少なからずおられるようなので、1か所にまとめた方がいいだろう、ということで作成した。御参考までに。

今更ながらXは便利だ

Mac OS X 上で GNU Emacs を build して使い始めてから、もう結構経つのだけど、どうも X 周辺の不具合で、X 経由でリモートから使うことができずにいた。どうも原因が homebrew にあるらしい、とにらんで、思い切ってクリーンインストールし直したら、おお! X 経由で使えるようになったじゃん! ……現時点では、ウインドウ上で copy and paste をするときにヘマをすると malloc 関連で落ちるのだけど、それにしてもこれは大きな進歩である。

勿論、X は ssh でポートフォワーディングして使っているし、この通信は firewall 内で行っているので、セキュリティ上の問題は極めて小さい。こうなったら……と、探してみると、ありましたありました。MUSKMELON.jp の「Intel Mac 10.6 Snow Leopard 専用 64 ビットバイナリ」のページから、Ghostscript.app と Xpdf.app のバイナリをいただき、これをインストールすると……うん。これでリモート端末上でも、Linux とほぼ変わらない環境で Mac OS X 上で作業ができるようになった。これで合法的にヒラギノフォントを使った作業ががんがんできるわけだ。

しかし、本当に X はこういうときには便利だ。20年近く前に、阪大の大型計算機センターの SGI Onyx 上で立ち上げたアプリをリモートの Linux 端末上から操作していたときのことを思い出すが、こういう利便性というのは、セキュリティの問題とネットワークの速度を除けば、当時の段階でほぼ今と変わらず確立していたんだよなあ。本当に、この20年近くの間、我々は何をしていたんだろう……などと考えてしまうのだった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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