pdftk

風邪ひきで、ミサを休む。どうもよろしくない。

まあせっかく部屋にいるので、先日書き忘れたことをメモしておくことにする。

PDF ファイルには、パスワードをかけて内容を保護したり、コピーや印刷を禁止したりする保護機能がある。まあこれは万全なものではなくて、たとえば強引に PostScript に変換すると印刷できるようになってしまったりすることもあるし、PDFCrackなんていうソフトも存在する位なので、まあそういう程度のものだと思っておいた方がいいのだけど、それでも、コピペと印刷の抑制ができると便利なケースはままある。

このような PDF の保護設定を Linux 上で行う場合に便利なのがpdftkというツールキットである。pdftk は PDF に関わる様々な操作(切り分けや結合などから、ここで話すようなパスワード設定まで)をコマンドラインで行えるツールなのだけど、たとえば、

pdftk filename1.pdf output filename2.pdf owner_pw password
とすると、filename1.pdf にパスワード password を設定した filename2.pdf を出力する。filename2.pdf に対する保護の度合いに関しては結構細かく制御できるのだけど、default ではコピーも印刷も禁止なので、今回の僕の場合はこれで OK である。興味のある方は上記リンク先などを御参照されたい。

pTeXLive 完全使用可

昨日書いた pTeXLive だが、最新版のptexlive-20100711.tar.gzでも問題なくコンパイル可能であった。しおりの文字化けは、

\AtBeginDvi{\special{pdf:tounicode EUC-UCS2}}
をプリアンブルに書いておくことで解消される(ということは内部処理は EUC なのかしらん?)。

かくして、ようやっと不自由の(今のところ)ない TeX 環境が手に入った。まあほとんどの皆さんは今どき TeX なんてあまり使わないのかもしれないけれど、僕はやはり文書、特に PDF 文書を書くときには TeX が欲しくなるのだ……これは決して懐古趣味ではないと思うのだけど。ということで、期間限定で「『誰も教えてくれない聖書の読み方』新共同訳ガイド」を公開する。

pTeXLive インストール完了

ようやく babel 込みでpTeXLiveが使えるようになった。備忘録としてインストールプロセスをメモしておく。

まず TeXLive をインストールする。pTeXLive の最新版では目下 TeXLive の 2009 年度版をフォローしているので、まずはCTAN の historicからtexlive2009-20091107.iso.xzを取得する。unxz などで解凍した ISO image を、

mount -o loop ./texlive2009-20091107.iso /media/cdrom
などとして mount し、/media/cdrom 内で、
install-tl
を実行し、I を入力することでインストールが行われる。

インストールが終わったら、たとえば /tmp/ptexlive のように作業用のディレクトリを用意し、そこに以下のアーカイブを用意する:

ptexlive-20100322.tar.gz と eptex-100420.tar.bz2 を展開したら、

patch -p0 < ./eptex-100420-patch1.diff
として eptex-100420 に patch を適用する。適用後、
cp ./eptex-100420/6babel.sh ./ptexlive-20100322
として、babel の make に必要なスクリプトをコピーしておく。

次に pTeXLive のコンパイル設定を行う。

cp ./ptexlive-20100322/ptexlive.sample ./ptexlive.cfg
としておいてから、./ptexlive.cfg の編集を行う。僕の場合は:
### "ptexlive.sample"
### 推奨設定は先頭にまとめてあります。
### それ以外はコメントにしてあります。
### シェルスクリプトと同じで # 以降はコメントです。
### common.sh で自動判別している設定もあります。
### "../ptexlive.cfg" というファイルを作って、必要なものを書き写して下さい。
### "./ptexlive.cfg" や "../ptexlive.cfg.host名" でもかまいません。
### version 2010/ 3/22

### (必須・変更不可) ベースとなる TeX Live のバージョン
TEXLIVE_VERSION=2009

### (必須) mount した TeX Live 2009 DVD のディレクトリを指定
#ISO_DIR=/media/TeXLive2009
#ISO_DIR=/Volumes/TeXLive2009
ISO_DIR=/media/cdrom

### (任意) インストールした TeX Live 2009 のディレクトリを指定
# TEXLIVE_DIR=/usr/local/texlive/2009
# TEXLIVE_DIR=$ISO_DIR

### (任意) インストールする ptexlive のディレクトリを指定
# PREFIX=/usr/local/texlive/p2009

### (任意) 作業用ディレクトリを指定
# TMP_PREFIX=/dev/shm/ptexlive2009
# TMP_PREFIX=`pwd`/build

### (任意) make font でフォント検索するディレクトリを追加指定
# EXTRA_CMAP="/usr/local/cmap;/c/program files/cmap"
# EXTRA_TRUETYPE="/usr/local/ttf;/c/program files/truetype"
# EXTRA_OPENTYPE="/usr/local/otf;/c/program files/opentype"
EXTRA_TRUETYPE="/usr/share/fonts/truetype"
EXTRA_OPENTYPE="/usr/share/fonts/opentype"

### (任意) configure 時にキャッシュを用いる(高速化されるが実験的)
conf_option -C

### (任意) make 中に最大 N 個のプロセスを起動する(高速化)
### N は (コア数+1) にするのがよいらしい
# make_option -j 2 # for single core
make_option -j 3 # for 2 core
# make_option -j 5 # for 4 core
# make_option -j # unlimit

### (任意) configure に使うシェルを指定
export CONFIG_SHELL="/bin/bash"

### 余分にコンパイルするツールを指定する
### texdoc コマンドには luatex が必要
conf_option --enable-luatex

conf_option --enable-xetex
conf_option --enable-xdv2pdf
conf_option --enable-xdvipdfmx

conf_option --enable-dialog
conf_option --enable-pdfopen
conf_option --enable-ps2eps
conf_option --enable-psutils
conf_option --enable-t1utils
conf_option --enable-tpic2pdftex
conf_option --enable-vlna
# conf_option --enable-xindy

conf_option --enable-afm2pl
conf_option --enable-bibtex8
conf_option --enable-cjkutils
conf_option --enable-detex
conf_option --enable-devnag
conf_option --enable-dtl
conf_option --enable-dvi2tty
conf_option --enable-dvidvi
conf_option --enable-dviljk
conf_option --enable-dvipng
conf_option --enable-dvipos
conf_option --enable-lacheck
conf_option --enable-lcdf-typetools
conf_option --enable-musixflx
conf_option --enable-seetexk
conf_option --enable-tex4htk
conf_option --enable-ttf2pk
conf_option --enable-ttfdump

# ---------------------------------------------------------

### 既にライブラリが存在すれば、それを使う(高度な知識が必要)
# conf_option --with-system-zlib
# conf_option --with-system-libpng # using system-zlib
# conf_option --with-system-freetype2 # using system-zlib
# conf_option --with-system-gd # using system-libpng, system-freetype2
# conf_option --with-system-t1lib
# conf_option --with-system-freetype
# conf_option --with-system-xpdf

### libpng 1.4.0 以降は使えないので注意。

### OS 付属の freetype2 は pxdvi の縦書きに必要な otvalid モジュールが
### 無効になっていることが多いので注意。

### また '--with-system-gd' を指定すると '--with-system-libpng' と
### '--with-system-freetype2' も指定したことになる。

### kanji <=> unicode 変換に iconv を使う
conf_option --enable-kanji-iconv

### strip する(デバッグ情報を消して実行ファイルを小さくする)
STRIP=yes

### xdvi のツールキットを指定する
###(ディフォルトは自動選択、motif が最良の選択肢)
conf_option --with-xdvi-x-toolkit=motif
# conf_option --with-xdvi-x-toolkit=xaw
# conf_option --with-xdvi-x-toolkit=xaw3d
# conf_option --with-xdvi-x-toolkit=neXtaw

### X 環境がない場合
# conf_option --without-x
# conf_option --disable-xdvik
# conf_option --disable-pxdvik

### make (font|fonty|test) で xdvi と pxdvi を除外する
XDVI=echo

### make test で ps2pdf を除外する
PSPDF=echo

### ptex/platex コマンドの入出力文字コードを指定(ディフォルトは UTF8)
### nkf で自動変換するので、気にする必要はない
### 'UTF8' は ptexenc の独自拡張
KANJI_CODE=UTF8
# KANJI_CODE=EUC
# KANJI_CODE=SJIS
# KANJI_CODE=JIS
(以下変更なし)
xindy はコンパイル上の問題があるという話があるので外したが、コンパイルしても問題ない、かもしれない。他は個々の環境に合わせて適宜調整する必要があるだろう。

ここまで準備ができたら、ptexlive-20100322 内で、

$ make all0
$ ./6babel.sh
$ make otf
$ make fonty
$ make test
と make を行い、問題がないようなら su → make install でインストール完了である。

この手順でインストールできる pTeXLive は、最新版のひとつ前の version なのだが、やはり babel が使えないと困るので、現状ではこの手順でインストールを行っている。しかし…… ptetex3 のときと違って、dvipdfmx で作成した PDF の index が文字化けするんだなあ。さすがにここまでトレースする気力も時間もないので、今回は仕方ないということでこのまま使っているのだが。まあでも、とにかく babel 込みで pLaTeX が使えるだけでも有り難いので、まあこれはこれでいいことにしているのだった。

【追記】
上のコンパイルで唯一外している xindy だが、あの後何度かコンパイルを試みているが一度も成功していない。依存関係がある clisp 周辺はパッケージを入れてコンパイルを試みたのだが、残念ながら結果は変わらない。→解決済み。『xindy の make 可能に』(2010年11月3日)を御参照のこと。

驚愕の事実

僕が大学院生の頃、先にブログで書いた某国立研究所からお誘い頂いて、そこに就職することになったのだが、教授に呼ばれて、

「Thomas 君なあ、君、阪大辞めてもらわなあかんのや」
「へ?どういうことですか?」

就職を控えているときにとんでもないことを言い出す教授に、僕は全身粟立つ思いで聞き返すと、

「そらそうや。大学院生しながら研究員はでけへんやろ」
「はあ……しかし、そうなると、学位は?」
「アホやな君は。君はもう単位とか問題ないから、2年の猶予期間内に学位を取れればオッケーなんや。もう公聴会も済んだしな」
「なるほど。ということは、どうすればいいんでしょうかね」
「まあ、退学届を出してもらう、ということになるんかな」

ということで、学生課に相談に行ったのだが、

「……なるほど。では、来月末日付の退学届を出していただくということになります」
「わかりました」
「つきましては」

と言うと、その事務方の人はこう続けたのだった。

「学費をお払いいただけますか」
「?僕は学費免除なんですが」
「ええ。でも前期の途中で退学ということですから、この期の学費はお支払いいただくことになるんですよ」
「……ひょっとして、学費を納入しないと退学できない、と?」
「そういうことです」

えーそんなー、と思いつつも、泣く泣く金を都合して学費を払い、領収書のコピーを添付して退学届を出し、この年の6月末に阪大院を退学、7月の頭から就職、そして9月の末に学位を授与されたのだった。

で……それ以来、僕は最終学歴には「単位取得退学」と書くことにしていた。それで今まで何も問題は起こらなかったのだ。しかし、今回、前の blog に書いた経歴の書類と一緒に、院の修了証明書が必要になって、僕の場合は「単位取得退学証明」だろう、ということで、その旨阪大に書状を出して、証明書の発行をお願いしていたのだが、先程阪大学生部から電話がかかってきた。

「あのー、Thomas さんは課程博士を授与されていますよねえ」
「ええ」
「ということはですね、博士課程の単位取得退学証明はできないんですよ」
「……え?ということは、どうすれば?」
「Thomas さんの場合はですねえ、博士課程修了ということになるんですよぉ」
「……え?では、単位取得退学じゃない?」
「ええ、修了です」

驚愕の事実!僕の最終学歴は、実は「博士課程修了」だったのだ!今まで散々、

「いやー僕の最終学歴は『退学』でしてねえ……ヘヘヘ」

とネタにしてきたのに!もうネタにはできないのか?いやそれ以前に、修了だったら学費返してよぉ!あれ納めるの大変だったんだからさぁ!……しかし、学位を授与されて、今迄何をしていたのやら……

経歴を書く

何日か前から、僕は心に重い塊を抱いていた。厭だ。避けたい。やりたくない。しかし、やらなければならない。そして今日、覚悟を決めた。

ボールペンを取り、罫線の間を埋めていくが……あ゛ーーーーーーー!間違えた!あ゛ーもーやだやだ!

……と書くと、一体何の話なのか、と問われそうだが、実は自筆の経歴書を書かなければならない用事ができたのだ。これがもう苦痛だったらない。

昔っから、何が嫌いって、履歴書や経歴書の類を書くのが何より嫌いなのだ。この手の書類は手書きであることを要求される。誰かに代筆を頼むこともないわけではないけれど、それが代筆だとばれるのも厭だから、嫌々自分で書くことになる。しかしだな……

僕の経歴をざっと書いてみると、こんな感じだ。

  • 茨城県立水戸第一高等学校 卒業
  • 大阪大学工学部材料系 入学
  • 大阪大学工学部材料開発工学科 卒業
  • 大阪大学大学院工学研究科博士前期課程材料物性工学専攻 入学
  • 大阪大学大学院工学研究科博士前期課程材料物性工学専攻 修了、修士(工学)
  • 大阪大学大学院工学研究科博士後期課程材料開発工学専攻 入学
  • 大阪大学大学院工学研究科博士後期課程材料開発工学専攻 単位取得退学、博士(工学)

……ここまででいい加減疲れてくるわけだけど、まだまだ続く。

  • 通商産業省工業技術院大阪工業技術研究所 入所、通商産業技官
  • 省庁改編にともない通商産業省産業技術総合研究所と名称変更
  • 省庁改編にともない独立行政法人産業技術総合研究所と名称変更、同職員に職名変更
……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!と、この辺でもう書いているのが厭で厭でたまらなくなってくるのだが、残念なことにこの後も経歴は続くのであった。

正式な職名だけだったらこれだけでもいいんだろうけれど、実際には、大阪大学リサーチアシスタント、とか、某大学の非常勤講師、とかいうのもあるので、そこまで書くともう訳が分からなくなってくる。それでもコンピュータで書くなら、コピーペーストで少しは労力も減らせるのだけど、自筆ではそうはいかない。しかも僕は生来の悪筆で、しかもよく書き間違えるのだ。今回も、ちょっとした経歴の書類を書くのに、フォームを5枚も6枚も無駄にするはめになった。

まあでも、書くことが多いというのは、贅沢な悩みなのかもしれない。U にもそんなことを言われたけれど……しかし、やはりこの手の書類は苦手だ。おそらくこれは一生変わることはないのかもしれない。

今回書いたものを U にチェックしてもらっていたのだが、経歴の後にある自己紹介の部分を読んでいた U が……

「ん……『自分の長所』に『自分の短所』ねえ……」
「ああ、そこ、なんて書こうか迷ってたんだけどね」
「これさ、『自分の短所』に『字が汚い』って書いておくといいんじゃないの?」

で、提出先の担当者の方から電話があったときに、「書いといた方がいいでしょうかね」と訊いたら、思い切り笑われてしまった。やはり字が綺麗に越したことがない。

ptetex3 の時限爆弾問題

pTeXLive に移行しようとしている、という話を書いたけれど、これのそもそもの原因が、ptetex3 の make がどうもうまくいかなくなったからであった。


=================================
Applying patch file ltpatch.ltx
=================================
(/var/tmp/ptetex3/share/texmf-dist/tex/latex/base/ltpatch.ltx)
) )
Beginning to dump on file latex.fmt
(format=latex 2010.10.26)
5493 strings of total length 76081
45419 memory locations dumped; current usage is 144&43167
3273 multiletter control sequences
\font\nullfont=nullfont
\font\OMX/cmex/m/n/10=cmex10
\font\tenln=line10
\font\tenlnw=linew10
\font\tencirc=lcircle10
\font\tencircw=lcirclew10
\font\OT1/cmr/m/n/5=cmr5
\font\OT1/cmr/m/n/7=cmr7
\font\OT1/cmr/m/n/10=cmr10
\font\OML/cmm/m/it/5=cmmi5
\font\OML/cmm/m/it/7=cmmi7
\font\OML/cmm/m/it/10=cmmi10
\font\OMS/cmsy/m/n/5=cmsy5
\font\OMS/cmsy/m/n/7=cmsy7
\font\OMS/cmsy/m/n/10=cmsy10
3633 words of font info for 14 preloaded fonts
566 hyphenation exceptions
Hyphenation trie of length 151382 has 4043 ops out of 35111
143 for language 34
133 for language 32
12 for language 31
127 for language 30
76 for language 29
71 for language 28
248 for language 27
66 for language 26
116 for language 25
68 for language 24
7 for language 23
194 for language 22
756 for language 21
117 for language 20
26 for language 19
35 for language 18
229 for language 17
147 for language 16
6 for language 15
31 for language 14
113 for language 13
145 for language 12
265 for language 11
60 for language 10
63 for language 9
19 for language 8
21 for language 7
12 for language 6
5 for language 5
21 for language 4
235 for language 3
207 for language 2
88 for language 1
181 for language 0
No pages of output.
Transcript written on latex.log.
Error: `pdfetex -ini -jobname=latex -progname=latex -translate-file=cp227.tcx *latex.ini' possibly failed.
fmtutil: /var/tmp/ptetex3/share/texmf-var/web2c/latex.fmt installed.

###############################################################################
fmtutil: Error! Not all formats have been built successfully.
Visit the log files in directory
/var/tmp/ptetex3/share/texmf-var/web2c
for details.
###############################################################################

This is a summary of all `failed' messages and warnings:
`pdfetex -ini -jobname=latex -progname=latex -translate-file=cp227.tcx *latex.ini' possibly failed.
make: *** [stage6] エラー 1
……と、こんな調子である。

pteTeX wiki の記事『動作報告/132』によると、これはどうも「マクロが5年以上前のものですよ……古過ぎやっちゅーねん」と文句を言われているらしい。ptetex3 を公開している土村展之氏は、2009年06月10日にこの問題を知り、

時限爆弾を1年先延ばししました。それまでには ptexlive に移行していただけるよう整備したいと思います。
と書いている。しかし、その先延ばしした時限爆弾が、もう作動しているということなのであろう。

この問題のために ptetex3 で babel を make することができない。pTeXLive では正式にはまだ babel を実装できていない。北川弘典氏のε-pTEXは最新版の pTeXLive に対応しておらず、その辺の依存性に起因すると思われるコンパイルエラーが出て、結局 babel が使えないのだ!

これは正直言って困った。どうしたものか。いや本当に困ってるんですよ。時間があれば自分でどうにかするんだけど、今はとあることで時間を食われているのでこれに専念できそうにないしなあ。ううううう。

pTeXLive を使う

今年の冬から春にかけて、『誰も教えてくれない聖書の読み方』新共同訳ガイドを作成するのに、pteTeX3 が実に役に立ってくれた。特に babel を入れた多国語同時処理環境は非常に強力で、ギリシア語を書く時などこれなしにはできなかったと言ってもいい。

しかし、だ。『LaTeX 2ε美文書作成入門』でも紹介・収録されていた pteTeX3 は、残念ながらもう時代遅れになったと言わざるを得ない。現在はpTeXLiveに開発が移行している状況なのだ。ということで、僕も pTeXLive 環境に移行しよう……と思っていたのだが、うーん……babelが使えない……困ったなあ。この辺を参考にちょこちょこやっているのだけど、どうもうまくいかない。最新版の pTeXLive とこの e-pTeX の間を自力でどうにかする時間はないしなあ。まあ、時間ができたときに何とかするしかなさそうだ。

Thomas は如何にしてメールを読み書きするか

最近の世間の「標準的なメールの読み書きの環境」というのが、僕にはどうもよく分からない。仕事の場合だと、いわゆるグループウェアを使わされることが多いだろうし、プライベートの場合だとMozilla Thunderbirdのユーザが多いのだろうか。そうそう、Mac ユーザの方々は Mail.app という完成度の高いソフトがバンドルされているから、他を使う必要性はないかもしれない。

僕の場合は、なにせ1990年代初頭からずーーーーーーっと同じソフトを使っている。かつて阪大で NeXT を使っていたときは Mail.app も使っていたのだけど、普段は端末エミュレータがあれば全て用が足りるように環境を整えていたので、GNU Emacs上で動く MUA を使い続けている。一番最初はrmail、そしてすぐにMH-Eを使い始めたのだけど、何かの雑誌で読んで使い始めたMewを、結局今に至るまでずっと使い続けている。

Mew の何が便利かというと、発送元アドレスからどのフォルダにメールを移すか、というのを推測してくれて、それが結構頭がいい。そして、メールを読み書き・送受信する際に、キーボードからマウスに手を伸ばす必要が全くない。とにかく、キーボードだけで全ての操作が行えるのである。勿論 Emacs のマクロとして実装されているから、カスタマイズも広い範囲で可能だし、PGP / OpenPGPGNU Privacy Guardを使ったメールの暗号化も簡単にできる。今から何も予備知識なしで使い始める、という人は、おそらく Emacs のキーバインドを覚えるだけでも苦痛を感ずるかもしれないけれど、Emacs を使っている人間としては、これ以上に便利な MUA というのをちょっと思いつかない、という位に便利である。

あと、これは UNIX 系の OS を使っている人なら皆やっていることかもしれないけれど、メールアカウントを複数管理するのに、アカウントに対応するユーザを登録しておいて、そのユーザのアカウントに su して Emacs → Mew を起動する、という手があって、僕はこの十年程、専らこれでメールを管理している。これだと、たとえば Microsoft Windows を使っている場合も、メールを読み書きするためのコンピュータを決めてやって、あとは周囲の Windows 端末にTera Termを入れておいて、SSH でリモートログインするだけでいいから至極便利である。どこからでも同じ環境でメールを読み書きすることができるのだ。

僕は前から「文字だけの環境の利便性が見直されてしかるべきだ」と思い、また機会があるたびに書いているのだけど、こういう人がもっと増えてきてもいいのではないか、と思う。これで、static な IP address を個人がもっと使えるようになれば、家のメールを地球の裏側から読むことだって、そう難しいことではなくなるのだけどなあ……実際、ドイツやフィンランドに行ったとき、僕はそうやってメールを読み書きしていたもの。

食い合っている場合ではない

羽田の新しい国際線旅客ターミナルと、これまた新しい滑走路が、ようやく本格的な稼働をはじめた。この業界では、羽田、成田の各空港の社長、そして東京都知事と千葉県知事、JAL と ANA の社長を巻き込んで大騒ぎをしているようだけど、そんなことをしている場合なのだろうか。

たとえば秋田や新潟で、海外に行こうとしている人達がどうしているか。実は、大韓航空などを利用して、韓国の仁川国際空港を経由して行き来しているひとが少なくないのだ。現在、日本の20数か所の地方空港で仁川国際空港への便が飛んでいる。僕が同じ立場だったとしても、おそらくこれを使うことになるだろうと思う。

なんで?と思われる方は、ちょっと冷静に考えてみてほしい。たとえば秋田から海外に行くことを考えた場合、成田経由なら、飛行機や新幹線でまず東京に出て、そこから成田エクスプレスなどで成田空港に行くことになるわけだが、これの所要時間を考えると、どうなるだろうか。おそらく多くの場合、東京や千葉で宿をとらなければならなくなる。しかも、もし羽田まで飛行機で出たとしても、羽田 = 成田間は電車での移動ということになる。時間帯によっては、ラッシュに巻き込まれることにもなりかねない。荷物を押しながらこの苦痛を味わわされるところに、仁川経由のオプションが出てきたらどうだろう。仁川だったら、空港内の移動だけで事が足りるのだ。

だから羽田が国際空港化したんじゃないか、としたり顔で言う方。じゃあヨーロッパに行く時にはどうするのか。羽田から行くなら、エールフランスか JAL でパリ経由か、BA か JAL でロンドン経由ということになる。僕の仲間内では、エールフランスというのは今ひとつ評判が悪い。僕も自分でヨーロッパに行くならば、まずルフトハンザからチケットを探し始めるだろう。大阪在住の頃だったら、家が伊丹空港の近くだったので、リムジンバスで居眠りしているうちに関空に着いて、そのまま搭乗、でよかったけれど、もし秋田在住だったらどうなるか。こまちで東京駅に出るにせよ、国内線で羽田に出るにせよ、都内を通って成田に行かなければならないわけだ。これを考えたら、飛行機で羽田に出るのも仁川に出るのも大差ないんだから、それなら仁川に出たほうが……となりそうなものではないか。

要するに、もし日本が本気で東アジアのハブ空港を持ちたいと思っているならば、空港から外に出ることなしに、もしくはそれに準ずる位の簡単な経路で、目的地に向かう便にアクセスできなければ、それはユーザーがついてきませんよ、と、こういうことは幼稚園児でも分かりそうな理屈である。しかも羽田は24時間運用が可能だけど国際線に特化できず、成田は国際空港ではあるけれど24時間運用ができない。どちらも単体で東アジアのハブになるには、足りない要件があるのは明白である。

こういう問題は、別に僕が初めて言い出したものではない。たとえば日経 BP 社のページを見ると、
『成田−羽田の本命はリニア新線か既存線改良か』
なんて話がちゃんと載っている。これは大ぶろしきでも何でもなくて、もしも日本が東アジアのハブを確保することを本気で考えているのならば、羽田 = 成田間に、リニア級の高速移動手段を確立しなければ、到底実現などしない話なのだ。

それに、もし今後中国の経済が更に肥大するならば、中国がハブを奪りにでてくるかもしれない。仁川国際空港が開港してからまだ9年しか経っていない。今後10年、20年のタイムスパンで考えるならば、実は日本は仁川国際空港とすら食い合っている場合ではないのかもしれない。地方空港からハブへの旅客・貨物双方の航空運輸活性化、そして羽田 = 成田間の移動問題の解決、そして、極論を言うならば、日本と韓国でハブを分担するということすら考える必要があるだろう。まあ、民主党政権は、どうもこういう次元の構想をちゃんと出さないようだけれども。

もう戻れない

皆さんは、普段音楽を聴く際に、どのような形態で聴かれているだろうか。最近は、ほとんどの方が iPod や Walkman、あるいは携帯電話などを端末としてサウンドファイルを再生するかたちで音楽を聴かれていると思う。

僕も、ほぼ全ての場合においてこのようなかたちで音楽を聴いている。外で聴くためには iPod classic に AKG K314P を接続して使っているし、家ではパソコンに TASCAM US-144 を接続して、そこに SONY MDR-CD900ST を突っ込んで使っている。しかし、ここで問題になるのは、聴くためのサウンドファイルをどういう形式にしているのか、という点である。

残念なことに、僕はどうも耳のつくりがいいらしいので、圧縮ファイル、たとえば MP3 とか MPEG-4 AAC とかのフォーマットのファイルを聴いていると、WAV に代表される非圧縮ファイルを聴いているのと明確に区別がついてしまう。僕のようにロックを聴いている場合、圧縮フォーマットはハイハットの音と残響音を致命的に変質させてしまうので、もし圧縮ファイルと非圧縮ファイルを同一の再生環境で再生した場合、おそらくは皆さんでも(慣れれば)区別はつくと思う。

それでも、ハードディスクが逼迫するので、今までは MPEG-4 AAC で圧縮をかけたファイルを iTunes library に突っ込んで聴いていたのだけど、もうどうにも我慢できなくなってきたのである。何が我慢ならないって、僕の iTunes に入っている自分の曲を聴いているときである。圧縮ファイルが再生する音は、僕が苦心惨憺したミックスダウンの音と明確に違うのだ。あー!もう我慢できない!

ということで、山下達郎の "POCKET MUSIC" など、いくつかのアルバムを WAV 形式で入れ直した。先程聴いてみたのだが、そうそう、こんな音でしたよ。あのスッカスカの音は何だったんだ?と思うほどに違う。もう、将来的には、現行の iPod classic みたいに100数十 GB のメディアを載せた携帯プレイヤーに、こういう非圧縮のフォーマットのファイルを入れて聴くことになるんだろう。もう、僕は戻れないのだ。

神様はコンビニエンスストアではない

「人事を尽して天命を待つ」という言葉がある。これはキリスト教文化が発祥の言葉ではないけれど、僕が神に祈るときには、この心境で祈っている。この言葉は実は非常に厳しい言葉であって、人事を尽さなければ天命はもたらされない、ということでもあるのだ。

最近、どうも、自分に都合の悪いことは「神様の御旨で何とかしてもらえる」と勘違いしている人が多いような気がする。それも、カトリックを含むクリスチャン全体の中で、こういうことを軽々しくも口にする人が多いような印象があるのだが、実際のところ、神様はコンビニエンスストアではない。そう簡単に、人が望むように、人の望むものをもたらしてくれるはずがないのだ。

そんなことはない!と言う人がいるかもしれない。じゃあ聞くけれど、この世のあまたの災厄は、どうしてその神の御旨でどうにかなってくれないのだ?戦争や貧困で、実に多くの人々が命を失っている。一見豊かに見えるこの国でも、ろくに社会的保護を受けられないまま、孤独に死んで腐乱した遺体が発見される人や、人間の勝手で捨てられて殺処分される犬や猫が、その数を数えることも難しい程存在する。そんな話はあまり聞かない?今年、僕の自宅の何軒か隣で、実際にそうやって亡くなった方がおられたけれど、その話は新聞にすら掲載されなかった。もはやそんな話は「ありふれた話」であって、メディアがニュースバリューを感じないから報道されていない、というだけの話で、そういう話は、確実に、僕らの身辺には存在しているのだ。

安易に神の救済を口にする輩は、おそらく「神義論」という言葉も、それが表す学問体系も、欠片程にすら知らないのだろう。もしその人がクリスチャンならば、そんな人はインチキクリスチャンの謗りを免れない。神の名を口にする資格もない、社会的に有害な半可通に過ぎない。

「神義論」に関しては、以前、『破綻した神キリスト』(この邦題は明らかに煽情を狙い過ぎているので、原題 "GOD'S PROBLEM: How the Bible Fails to Answer Our Most Important Question --- Why We Suffer"を直訳すると、『神の問題: 如何にして聖書は我々の最も重要な問――なぜ我々は苦しむのか――に答え損ねているのか』というところか)のレビューを amazon に書いたものがあるので、それをここに転記する。この本を読んだことのない方にも、神義論がどういうものなのか、ある程度御想像いただけると思うので。

人はなぜ苦しむのか。

最初に断っておくけれど、この本は、著者が直接標記の問いに答えるものではない。著者は新約聖書学の世界では著名な研究者で、この問いに聖書がどう答えているのかを見ながら、神と世界と苦しみの関係を探っていく。これは著者が言及しているように、ライプニッツが提示した「神義論」的問題であり、数百年の議論を経ても尚、我々を納得させる解は見つかっていない。著者は聖書の各文書の歴史に沿って、旧約時代の古典的神義論、預言的神義論、そして新約時代の黙示文学的神義論を、実際に人の世に存在した艱難辛苦をつきつけながら咀嚼していく。そして、著者は『コヘレトの言葉』のような諦観に至るのだ――「私の目に映るこの世界のありようは、世界に対する神の介入がないという事実を示している」(pp.28)。

僕はカトリックだけど、遠藤周作が『沈黙』で提示した「母なる神」を受容する立場をとっている。しかし、著者がイメージする神(これは「聖書が示す神」に出来るだけ忠実であろうとした結果なのだけど)はそんな妥協を許さない:「苦しむ私の傍らに立っている、だが実際にはほとんど何もできない神を信ずるというのは、神をまるで私の母か、親切な隣人のような存在に貶めてしまう行為だ。真に神をたらしめる行為ではない。」(pp.322)。人はこんなに苦しんでいるのに、神はなぜ沈黙を保つのか、神はその強大にして正義たる力をなぜ行使しないのか……この問いが、敬虔な福音派の信者にして、聖書の無謬性を示すために聖書学研究者を志した著者の行き着いたところである。この問いを、我々は蔑ろにすることはできないのだ。

この本は(邦題がイマイチなので)キリスト者が敬遠しそうな体裁であるけれど、キリスト者であるならば、是非御一読いただきたい。そうでない方にとっても、この本はキリスト教を知る上で大きな助けになると思う……苦しみの救済はキリスト教の一大トピックなので。

要するに、「神がいるなら何故世界は理不尽な苦しみに満ちているのか」「理不尽な苦しみに満ちた世界にあって神が造物主として存在し得るのか」という問こそが神義論的問題であり、それを考えることこそが神義論なのだ。たとえば遠藤周作の『沈黙』に、

主よ、あなたは何故、黙っておられるのです。あなたは何故いつも黙っておられるのですか
という司祭の呟きが書かれているけれど、神義論というのはまさにこういう問、そしてこの血を吐くような問に答えられるのか、という考察の集積なのである。私は神の救済を実感している、という主観に塗れた言葉など、この前には何と空虚なことか!神の救済を安易に実感している輩は、その実、神の代執行者を気取る自分の権能を正当化したいだけではないか。そんな安易なドグマなど吹き飛ばしてしまう程に、神義論というものはクリスチャンにとって重い問題なのである。

ここを読まれている方で、クリスチャンでない方は、神の救済を安易に語る輩にこれから出会ったなら、どうかその輩を信用しないでいただきたい。たとえば、あのマザー・テレサの遺した言葉を読んでみても、彼女は一度も、「救う」という言葉を使っていない。彼女は、救済が安易にもたらされるものではないことを骨の髄まで承知していたからだ。カルカッタ(現在のコルカタ)に彼女が作った施設の名前「死を待つ人の家」が、そのことを明確に示している。彼女は、死に瀕した人を救う、などという言葉を、かりそめにも軽々しく口にはしなかったのだ。上記引用文にも僕は書いているが、「苦しみの救済はキリスト教の一大トピック」なのだ。その成立当初から、現在に至るまでも尚、ね。

続・転移・逆転移

前回の blog で書いた話の補足を少々。

僕は大学院生時代に、食うために非常勤講師をしていたことがある。情報処理関連の演習を担当することが多かったけれど、これもいわゆるコンピュータリテラシと呼ばれるものからプログラミングまで、幅広く教えていたし、他にも物理学実験とか、あとは自分の所属学科のリサーチアシスタントということでやはり情報処理演習の講師をしたりもしていた。だから、二十代の中盤〜後半は、週に何日かはスーツを着て「センセイ」「センセイ」と呼ばれる生活をしていたわけだ。

僕は自分がそういう演習を受講していた頃には、いかにして講師に一泡吹かせるか、ということに終始していたから、出された課題はさくっとクリアして、応用問題みたいなものを勝手に設定して、それをレポートにまとめては「今回の演習の程度の低さには見識を疑う」などと書き添える……ひどい学生だった。大分後になってから、その頃に演習を担当していた教官が、そういう僕のレポートを出してきて「いやあまりに面白いんでとっといたんだよ」などと笑うのに、だくだくと冷や汗をかかされたりしたのだけど……まあ、だから、平均的な学生の演習や講義に臨む態度とか、してくる質問とか、そういうものを聞き、また答えることは、なかなかに新鮮な体験であった。

で、慣れてくると、ある種の学生の存在を意識するようになった。その学生は女性だったのだけど、僕が巡回してくると、

「先生ぃ〜、これ、分かれへん〜」

と、しなだれかからんばかりの勢いで質問してくるのだ。最初は本当に分からないのかと思い、丁寧な対応を心がけていたのだけど、どうも他の学生の反応が冷たい。そこで、クラスの中でも1、2を争う程出来のいい女子学生にそうっと訊いてみると、

「あの子は、そういう感じやから」
「そういう感じって?」
「質問とかするのに、どんな先生にでも、あんな感じで、ベターって」
「ベターって……というと、媚びているというか、そういう感じなのかね?」
「……」

言わぬが華だ、と言わんばかりの溜息をついてみせるのだった。なるほど。まあ、本当に分からなくって質問してくるのでなければ、他の学生を優先すればいいだけの話である。そう決めて、次回の講義からは、他の子の質問を優先して対応していると、問題の子は、自分の席を離れて僕にまとわりついてくるのである。

異性の年下の子にこんな風になつかれると、鼻の下を伸ばすような人もいるのかもしれないが、僕は残念ながら、こういうことにはとことん懐疑的なのであった。これは何か変だぞ。どうしてこうもまとわりついてくるのだろうか?その子は講義中だけではなく、僕の休み時間にも、質問にやってくるのであった。ますます変な話だぞ?僕の中では警戒信号が鳴り響いていた。

いくつかの演習を経験するうちに、僕はそれが、どの演習においても観察される現象であることに気付いた。ほとんどの場合、その学生は女性であった……僕は夜間部の講義も受け持っていたから、自分より年上の社会人学生だったりすることもあったけれど……そして、同じように、しなだれかからんばかりの勢いで、僕に質問を繰り返すのであった。

非常勤暮しの先輩であった某氏に、この件に関して質問してみると、

「へぇ、Thomas クン、モテモテやないか」
「いやあ、そいつぁ違うでしょう。ああいうの、どうしたらいいんでしょうかね」
「まあ、食ってみるのも経験なんじゃないの?」

そう言って某氏はニヤニヤしていたが、これは明らかに「食わん方がいい」の意味だろう……まあよく分からないけれど、コマセの中には針が入っていて、パクっといったら「フィーッシュ!」とばかりに抜き上げられてしまうんだろうか。とりあえず、君子危うきに近寄らず、の原則に従って、

  1. 演習中の質問に対しては、一定頻度、もしくは一定所要時間を超える対応を避ける
  2. 演習以外での質問は、第三者が介在しない場での接触・対応を避ける
  3. 昼休み等の機会でも、一緒に食事するなどの接触を避ける
……というように、一定基準に従った接触を心がけるようにしてみた。その結果、学生と交際することはないままに今日に至るわけだけど、当時この基準を遵守していたのは、今考えてみてもいい対応だったと信じている。

当時は、ネット関係で、いわゆるパーソナリティ障害とでも言うような感じの人の引き起こす問題に触れることが何度かあったのだけど、こういう場でも、僕にしなだれかかんばかりの勢いでアプローチをしてくる人に出喰わすことがあった。まあ、おそらくは僕の経歴とか、ネット上での発言内容とか、そういうものに惹かれてそういうアクションを起こすんだろう、と思っていたのだけど、あるときに、演習で出喰わす女の子と、このネット上でアプローチしてくる人とが重なったのだった。

あー、なるほど。解釈できてしまえば何のことはない話で、彼ら(彼女ら、と書くべきかもしれないが)は要するに、知的権威に従属したいんだ。もちろん僕は権威然としてふるまっているわけでもないし、隠然として権力を行使したりしているわけでもないのだけど、学生にとっての講師、まだ現在程「普通の」存在ではなかったネットで堂々と発言している大学院生、といった存在に、寄りかかる対象として接近しようとするアクションが、ああいった「媚びた」アプローチとしてなされるんだ、と考えれば、全ての行動がはっきりと見えてくる。当然だけど、そこには愛などありはしない。もちろんこちらから寄せるべき愛も、僕はそこに見出すことなどできなかった。

他にも、カトリック的な倫理観みたいなものも機能していたのかもしれないけれど、そんなわけで、僕がそこで affair に精を出す(なんか生生しいなあ)ことはなかったわけだ。しかし、もし僕に教育に従事する者としての意識が希薄で、そういう場で自分の思い通りになる異性を獲得しよう、という気があったならば、おそらくは、その目的を達成することは、そう難しくなかったのではないか。そんな気がしてならないのだ。だって、相手の望むものははっきりしている。こちらはそれを供給してやればいい。利害が一致したところで、相手に権威としての圧力を程良く作用させてやれば、自分の都合のいいように相手を操作することは、相手がその事実に気付いていた場合ですら、きっと容易いことだったと思う。

ただ、もしそうなっていたとして、それが「自分の主体的な意志による」対象の操作であったかどうか、ということに関しては、いささか怪しいと言わざるを得ない。だって、それが相手の操作の結果であって、まるで仏様の掌の上の孫悟空のように翻弄され、しかし自分では暴れ回っているように思い込んでいるだけなのかもしれないのだから。まあ、僕はそうやって誰かを操作することにも、逆に操作されることにも、正直、喜びを見出せるとは思えない。人生での人との出会いが想定範囲内に終始するなんて、そんな人生、何が楽しいのやら。

こういう体験をした時期が、この国で丁度パーソナリティ障害というものが注目されるようになった時期とかぶっていたことが、現在に至るまでの僕の日々の中で、極めて大きな意味を持っている。こういう、確信犯的に他者との関係性を操作することによる、一見充実しているように見えて、その実空虚な人間関係というもの……それが発生し、そして壊れるのを、その後何度となく傍観することになったからだ。

しばしば僕は、こういうシチュエーションを説明するのに、大平健氏の『やさしさの精神病理』に言及するわけだけど、僕との会話でこの本に興味を持ったらしき U が、『やさしさの……』を amazon で入手して、今丁度読んでいるところである。僕もちょろっと拝借してざーっと見返したりしていたのだが、20年経っても、人というものは実に進歩していないものなのだ、ということを思い知らされる思いがする。関係性を制御しようとすることは、結局はそこに変革も、予想外の出会いもない世界に、自らを押し込めているだけのことである。まあ……たとえばイプセンの『人形の家』における家庭と愛のかたち、とか、昔からそういうものは、その存在も問題性も認識されていたのだろうけれど。

転移・逆転移

先日、カウンセラーの某氏と話す機会があったのだけど、そこでカウンセラーとクライアントの関係性に関する話になった。

「前から気になっていたんですけどね」
「ん?何がです、Thomas さん?」
「カウンセラーの知り合いに、メンタルな問題を抱えた人がいるとしますよね。で、そのメンタルな問題を抱えた人を何とかしたい、という話になったとして、そのカウンセラーが知り合いのカウンセリングをする、というのは、ありえる話なんですか?」
「うーん……まあ、僕の場合だったら、それはありえませんね」
「これってね。関係性の問題だと思うんですよ」
「関係性、ですか」
「ええ。たとえば、昨日まで友達だったのが、アポイントメントを入れた時間だけカウンセラーとクライアントの関係になる、なんて、そう簡単に人は自分と他人との関係性を使い分けて、厳密に運用する、なんてこと、できやしないんじゃないか、と思うんですけどね」
「あー、なるほど」
「だから、カウンセリングを行う際には、カウンセラーとクライアント『以外』の関係性を持つことを、避けるものなんじゃないか、というのが僕の認識なんですけど、実際のところ、どうなんでしょうかね?」

某氏は、ここまで聞くと、ニヤリ、と笑って僕にこう言った。

「それは転移や逆転移も関わる話だと思いますけれど、こういう問題はね、歴史が証明しているんですよ」

ここで言う転移・逆転移というのは、いわゆる精神分析学において使われる term である。そもそもこの概念を提唱したのは精神分析学の祖であるフロイトで、これらの意味は:

転移
カウンセリングの過程で、クライアントが強い結びつきを持っていた人物との精神的関係をカウンセラーに向けるようになること
逆転移
カウンセラーがクライアントに対して転移を起こしてしまうこと
というところだろうか。現在においては、転移の定義に限定することなく、カウンセラーがクライアントに対して何らかの精神的情動を惹起されることを逆転移と称することが多い。

フロイトは、転移は治療のプロセスにおいて重要なものであるとした。転移の出所を探ることによって、その強い精神的情動の源(フロイト式で言うならば「幼少時の性的生活」)を知ることができる、とフロイトは主張した。これとは対照的に、フロイトは、逆転移はカウンセリングの障害となるので排除されなければならない、と主張した。カウンセラーが転移に縛られることは、カウンセラーの精神的中立性を脅かす。逆に言うならば、カウンセラーが精神的中立性を維持することが、カウンセリングにおいては重要なものだと主張したわけだ。ただし、現在においては、カウンセラーが逆転移を鋭敏に自覚することによって、それがクライアントの精神世界にアクセスする上での一助となりえるという考えもあるらしい。

まあ、確かに、精神的中立性が維持されているならば、それはそれで健全な状態なのかもしれない。逆転移している自己を鋭敏かつ客観的に観察できるならば、それは事の認識において大きな助けになるのかもしれない。では実際に、フロイトとその盟友達がそれを維持できたのか?というと、実は彼らはそういう意味では限りなく失格者に近い。

フロイトと共著で『ヒステリー研究』という本を出しているヨーゼフ・ブロイアーという人がいる。このブロイアーのクライアントであったアンナ・O という人物がいたのだが、このアンナ・O の治療が、カウンセリングのルーツとされている。アンナはブロイアーの元を訪れると自ら催眠状態に入り、自由にブロイアーに話をすることで精神状態が改善されることを確認していた。この行為をアンナは「談話療法」(しばしばふざけて「煙突掃除」とも称していたらしい)と呼んでいたのだそうだが、これこそがカウンセリングのルーツといえるものだろう。

しかし、この世界初の試みは、思いも掛けない事態によって中断されることになる。ある晩、ブロイアーを呼び出したアンナは、下腹部を痙攣させて「先生の子が生まれる」と叫んだ、というのだ。まあ皆さんご想像がつくだろうと思うけど、これは想像妊娠で、恐怖したブロイアーは治療を放棄し、アンナをサナトリウムに送り込んだのだった。

このケースは、転移が予想外の影響を現したことによるトラブルだけど、逆転移で似たような話もある。それはフロイトの弟子であったフェレンツィ・シャーンドルの話である。

フェレンツィは、ユングとの決別後のフロイトが自ら有力な弟子の一人と認識していた人物であるが、フロイトとの見解の相違で彼と仲違いすることになる。その主な原因が、先の「逆転移」の問題である。「分析者の中立性」を重要視していたフロイトに対し、フェレンツィは、必要に応じて分析者もクライアントに愛情や信頼の感情を示した方がより高い効果が期待できるのではないか……という風に考えていたのである。これによってフェレンツィは精神分析協会を放逐され、さらには同じくフロイトの弟子の一人であったアーネスト・ジョーンズに精神異常者であると「診断」されてしまうのであった。

まあ、こう書くと、このフェレンツィがフロイトの築いた象牙の塔の犠牲者のように思われるかもしれないけれど、フェレンツィとフロイトの対立の陰には、一応はそれなりの背景というものがある。

フェレンツィはギゼラ・パロシュ Gizella Pálos という女性の心理分析を行っていたのだが、やがてギゼラの娘であるエルマ Elma に対しても心理分析を行うようになった。このエルマへの分析は効能を発揮しているように見えたが、エルマの取り巻きのひとりが自殺したことをきっかけに、エルマの調子は悪くなっていく。しかも(面倒なことに)フェレンツィはエルマに恋愛感情を抱くようになってしまう。フェレンツィは自らの恋愛感情が神経症から来るものなのか、それとも本当の恋なのかを明らかにすべく、師であるフロイトに、エルマへの心理分析を行うよう依頼する。フロイトはフェレンツィとエルマの関係が逆転移からくる不適切なものであることから二人の結婚に賛成せず、結局フェレンツィはエルマの母のギゼラと結婚したのである。

この後もフロイトは、たとえばフェレンツィがクライアントに対して自分にキスすることを認めたことなどを非難する。そして二人のトラウマに対する解釈の相違なども加わって、やがてその対立は決定的なものへと至ってしまうのだけど、まあこんな具合に、カウンセリングというものの成立前後においても、既に転移・逆転移によるカウンセラー・クライアント間のトラブルが生じる可能性があることは、歴史的に証明されているといってもいいわけだ。

……というような話を、某氏は僕に話してくれた。

「まあ、そんな訳で、カウンセラーがクライアントに対してカウンセラー以外の関係性を持つ、ということは、現在の僕らの業界ではかなり厳密に避けています。いや、僕はね、あまりこれに厳密になるのもいかがなものか、と思っているんですよ。こう、何というか……窓口業務的なカウンセリング、というのも、これはこれでいかがなものか、と思うわけなんですが」
「はあ」
「でも、まあ、基本的には、カウンセラーの立場に立つ以上は、その対象とカウンセラー以外の関係性を持つということは、ありえません。というより、ないように、そういう事態を回避するんですよ」

これでようやく得心がいったのであった。

自分を疑わない人々

USENET の頃から、ネット上で他人の質問に答えるようになってもう20年程が経過したわけだけど、特にこの数年、僕を苛立たせる人々が増殖している。

一例を挙げよう。mixi の「DTM 宅録倶楽部」というコミュニティで:

[質問]C3 マルチ コンプレッサーというフリーソフトがあると聞いたのですが、どなたかご存知在りませんか?
(長ぇんだよゴルァ)というスレッドが立った。

があると聞いたのですが、

どなたかご存知在りませんか?

僕はMacintoshを使っています。

と、まあ、典型的な「教えて君」的な書き込みである。

こういう質問を脊髄反射的にスレッドに仕立てる連中の頭は、一体どういう構造をしているのだろうか。いつも僕は不可解さを感じる。もし僕がこのような疑問があるならば、とりあえず "C3 multi compresser" で google で検索をかける。造作もないことである。その結果としてこのようなものが得られ、そこを見たら、

http://www.geocities.jp/webmaster_of_sss/vst/
という URL に行き着く。実に単純な話である。というか、他人に聞いて調べてもらうだけ面倒な話である。

で、僕はこう書いたのだった:

どうしてトピを立てる前にまずググらないのだろう。

http://www.geocities.jp/webmaster_of_sss/vst/#c3

すると、こんな書き込みがされたのである:

すみません、Macで動くものが見つからなかったので・・・

リンクして頂いたURLから、
apulSoftをクリックして、

*Click here to download the OSX versions. (06/11/07)*

をクリックしたのですが、

ダウンロードしたファイルが開けません。

「開くために指定されているデフォルトのアプリケーションがありません」

と出ます。

OSXヴァージョン、であっているのでしょうか。

僕が使っているのでは i mac です。

http://www.geocities.jp/webmaster_of_sss/vst/を辿っていくと、"* version 1.2(VST-X and AU)special thanks to apulSoft." という記述があって、http://www.apulsoft.ch/freeports/にリンクされている。リンク先には、"Slim Slow Slider: C3 Multi Band Compressor 1.2" というタイトルで当該ソフトの紹介が書かれていて、"Click here to download the OSX versions. (06/11/07)" という風に:

http://www.apulsoft.ch/freeports/C3_Multi_Band_Compressor_1_2_2007_06_11.dmg
へとリンクされている。拡張子 dmg で表される Apple Disk Image に関しては、今更僕がここに書くまでもない話だけど、バイナリファイルを破壊でもしない限りは MacOS X で開けない筈がないのだ。試しに U の Intel iMac でダウンロードしてみると、何の問題もなく開くことができる。で、僕は:

他人を疑う前に自分を疑う方がいいですよ。今手元の Intel iMac で試しましたけど、

http://www.apulsoft.ch/freeports/C3_Multi_Band_Compressor_1_2_2007_06_11.dmg

が問題なく取得できるし、dmg として開くことも何の問題もありません。

# ただ僕は MacOS 上で Cubase を使っていないので VST 自体の検証はしていませんが。まあ、
# ボランティアでこれ以上検証する必要性も感じないけど ;-p

で、こういう書き方をすると、また逆ギレしてどうのこうの書かれそうなので、あらかじめここに毒を吐いておくことにする。

まず、僕には、このような質問をする「教えて君」が理解できない。いくつかのキーワードが分かっているのに google などで検索しない、というのがまず理解できない(今日日、小学生だってやりますぜ?)し、情報を必要としているのに、それを取得する最短経路を模索しないというのも理解できない。mixi なんかで、僕のような奴が戯れに質問に答えるとしても、そこには保証も何もない。ただボランティアとして回答しているだけだし(勿論、僕の場合は、自分が答える以上は充分な正確さを以て答えるようにしているけれど、それは相手の為ではなくて自分の為のことである)、そこに金銭や契約の縛りがあるわけでもない。だから、最終的には自分で確認するしか術はないわけだ。で、キーワードは分かっている。だけど検索しない。そんな態度は、無用な手続きや手間を増やすだけではないか。

そもそも、この「教えて君」の motive は何なのか? Cubase などの上で動作するVSTとして提供されているところの、マルチバンドのコンプレッサーを使いたい、それも商用に市販されているものを買うのではなく、フリーのプラグインが欲しい、ということなのではないか?だったら、ネット上でそれを探して、自分の持っている VST クライアントで動作させてみて、期待通りの動作をすればそれでオッケー、それだけの話ではないか。他人に教えてもらわなければならない訳でもないし、教えてもらうにしても、しょせんはフリーのプラグインに関する話で、しかも mixi の同好の士に聞くわけだから、そこに何事かが保証されるわけがない。on one's own risk で使うなら、さっさと探して、使ってみて、○か×かをさっさと見定めればいいだけの話だし、それ以上を望んでも何も満たされるわけがないではないか。

結局、この「教えて君」は何をどうしたいのだろうか。上につらつら書いてきた通り、僕にはそれが皆目分からない。ただ言えるのは、この手の「教えて君」の特徴として、以下のようなことが指摘できることだ。

  • 自分一人でさっさとできるはずのことを(何故か)しない
  • 安易に他者に質問する
  • 何をどうにかする上で、何がどう分からないのか、を整理できない
  • ぶっきらぼうな回答に対して、「自分はちゃんとやったけどできないんだ」、と自己正当性を主張する
  • しかし、その「できない原因」はほとんどの場合「自分がちゃんとやっていない」ためである
  • 回答が得られたり、キツいことを言われたりすると、すぐに消える
  • 自らの問とそれに対する答を「資源化」する、という概念がない

……そうか。こう書いてきたけれど、僕の意識は世間の人々と若干ギャップがあるのかもしれないな。その辺を一応書いておくことにしよう。

僕は、何か分からないことがあるときには、まず自分で調べる。昔だったら図書館に行ってカードを繰ったり、大型計算機センターのコンピュータにログインして INSPEC データベースを使ったりしていたわけだけど、たとえば僕が INSPEC を使い始めた頃は、文献検索はそのヒット件数に応じて課金されることが多かった(データベースの使用料金が、そのデータベースにどれだけ情報を披瀝させたかによって決まる、という、まあある意味フェアな思想ではある)から、如何にして無駄な情報を省いて、密度の高い情報を得るか、ということは、ある意味死活問題だった。だから、ワイルドカードや正規表現に代表されるような記号論理学的手法は最大限活用せざるを得なかったし、それ以前にそんなことは知っていて当然で、そんなものを知らないような奴は居場所がなかった。

そして、その過程で自分の欲しい情報が得られないとき、僕らは自分の過ちをまず疑った。検索で l と r を間違う、なんていう三歳児レベルのミスは、恥ずかしくてとてもじゃないけれど他人に話したりはできない。そんな細かいことで……などと思う不遜な奴のために、僕の出身学科の情報処理教育のプログラムでは、プログラミング演習の課題のひとつに、文献検索ユーティリティの作成、というのがあった。テキストファイルの文献データベースを read only で open して、任意の検索語で大小文字の別、複数形、複数行に渡る場合……等々に対応した検索を行えるユーティリティを FORTRAN 77 で書け、という、今考えるとちょっとアレな課題ではあったけれど、この課題は、文献検索というシステムには何が望まれていて、それをどう活用すべきなのか、ということを考えさせるという意味では、非常にいい課題設定だったと思う。何より、求める側の不遜な態度というものを僕らに理解させる上では、その効能は高かったのではなかろうか。

そして、研究テーマの設定を自分で行わなければならなくなってからは、このような情報探索の重要性はさらに増してくる。自分の考えているテーマが、今迄誰も設定しなかった研究テーマなのか、あるいは散々しゃぶり尽された、もはや面白くも何ともない代物なのか。誰も考察したことのない現象に対して、理論的アプローチの先達が何処かにいないだろうか。そういうことを問われたとき、僕らは真っ暗な大海原に放り出されたような心境になる。かつて、セクスタントとコンパス、それにクロノグラフで大洋を行き来した船乗りのように、僕らは INSPEC データベースとコピーで膨らんだファイル、それに、日常会話のどこに潜んでいるか分からないキーワードに常に耳目を向けていることで挑んでいたのである。

学部のときは、同じ学科で誰もやっていないコンピュータシミュレーションと、摂氏千度を超える温度で融解した液体を試料にした実験を二本建てで行っていた。特に前者は、誰も教えてなどくれはしない。僕は1960年代からの英語とフランス語(僕はドイツ語選択だったけれど、半泣きになりながら論文を読み込んだ……だって、誰も教えてくれないし、指導教官を詰ったって彼が教えてくれるわけでもないのだから)の論文と格闘し、スパコンの利用料金が払えなかったので、自分で情報関連の教官と交渉して、年末年始の情報処理教育センターで遊んでいる NeXT 数十台をリモートでブン回して計算を行って、研究を進めた。

修士のときは、試料が摂氏数百度で起こす構造変化に関して調べる必要があって、あちらこちら探して辿りついた文献はやはりフランス語だった……でも、そのときはもう、そんなこと位でどうのこうの言う程ガキではなかったから、さっさとそれを読んで、その情報を基に実験計画を建て直したけれど。

そしてドクターのときは、理論計算のバックボーンになる概念を探って、行き着いたのは1930年代の論文だった。60数年前の論文を基にプログラムを書き、計算を行いながら、オリジナルの計算モデルを構築する……なに、こんなのはいつものことだ。そんなことよりも、六十数年前に先達がいたことが、何と心強く思えたことか!

まあ、こういう時期を過ごした結果として分かったのは、プログラミングができないから、フランス語を習っていないから、教官が必要な知識を有していないから、という、どれ一つたりとも言い訳にはならないし、そもそもそれを言い訳にしても、何も問題は解決しないということ。頑張った、というだけでは、誰も何も評価してはくれないのだ。だって、そこに何も進展がないんだから。

こういう話は、研究だけじゃなくて、たとえば営業やってる人とか、八百屋さんとか、農業やってる人とか、漁師さんとか、どんな職種でも、大なり小なりあることだと思う。教えてもらえないから契約取れませんでした、では金は儲からないし、作り方知らないから転作できません、では、減反しながら作物を出荷できないし、魚探の使い方知りません、では、網を入れることもできやしない。何をしたいのか?契約取って金稼ぎたい、作物作って売りたい、魚を獲って港で売りたい……食うために必要なことは、皆やっているはずなのだ。そして、そういうプロセスにおいて、人は己のミスにはシビアにならざるを得ない。己のミスの責任は、己でとるしかないからだ。人が言う通りに自分でやったけどできませんでした。はあそうですか。できなかったのね。それだけでしょ?

しかし、最近の世間では、そういうときに自分を疑わない人々が確実に増殖しているのだ。何かできないのは、それをできるようにフォローしない他者の不適切な行為によるものだ、と言わんばかりである。そうやって何もかも他人のせいにして生きていけるのは、どうしてなのだろうか?僕にはやはり、そういう人々がてんで理解できないのだ。

名古屋で蔑ろにされる多様性

僕が修士課程の院生だったときのことである。僕の居た研究室の教官にF先生という方がおられたのだが、このF先生は学内の留学生センターのセンター長を兼務しておられた。研究室旅行の折、そのF先生のクルマに同乗したときに聞いた話がある。

当時の阪大には、ムスリムの留学生が数多く在籍していた。ムスリムに「食のタブー」があることは、皆さんもご存知のことと思う。ムスリムは、豚を穢れた動物であるとしているので、豚肉を食べることを避ける。厳格なムスリムになると、ユダヤ教徒と同じように、神職にある者が神に祈って屠ったものしか食べられない。

幸いなことに、阪大の場合は、神戸にこの手続を経た食材(これをハラールという)を扱う業者がいたので、家で調理を行う留学生は弁当を持参するなどして対応していた。しかし、単身者で研究に忙殺されている留学生の中には、昼食を抜いている人も少なからず存在していたらしい。F先生はクルマを運転しながら、同乗していた僕達に、

「だから、我らが生協食堂でも、今度、ハラール・フードの提供を始めたわけだ」

と胸を張った。

「あー、見ましたよ。あれ、美味しそうですねえ」

とりあえず発売されたハラール・フードは、どうやら白身魚のフライらしかった。上にはライム・バターが載っていて、ライスとたっぷりのサラダがついている。初めて見たとき、あまりに美味そうだったので注文してみたら、

「日本人が食べるほど量にゆとりがあるわけないやんか」

と、生協のオネエサマにぼやかれたのだった。

「でも、僕が知ってる限り、ハラールが問題になるのって畜肉のときだけですよね。ユダヤ教徒みたいに魚も血抜きして……とかいう話は、ないんじゃないですか?」
「ふふん。甘いな Thomas クンは」

F先生はこう言うと、ちょっと遠い目をして、ため息混じりで、

「あれを実現するの、大変やったんや」

と、こんな話を始めたのだった。

生協との話し合いで、ハラール・フードのメニュー構成はすんなり決まったらしい。白身魚フライだから、留学生の財布にも優しい値段設定で、これなら問題ないだろう……ということで、留学生達に声をかけて、生協で試食会を行おうとした、そのときのこと。

「何が起きたと思う? Thomas クン」
「え?……うーん。メニュー的には特に何も問題ないと思うんですけど」
「そうか……いやな、結論から言うとな、ダメやったんや」
「?なんでです」

ムスリムの留学生達は、皿に載った白身魚フライを見ると、こう聞いてきたというのだ:

「これ、どこで揚げたの?」

あー……僕はこれを聞いて、自分の想像力の乏しさを反省したのだった。

「そうか……他のフライと一緒では、ダメなんですね」
「そうなんや……で、結局、新しいフライヤーを入れてもらった」

まだピンと来ない方がおられるかもしれないから一応書くけれど、生協の食堂では、もともとトンカツや(合い挽きの肉を使った)メンチカツを揚げるためにフライヤーを使っている。フライヤーで使う油は植物油だけど、トンカツやメンチカツを揚げた油には、当然だけど豚の脂が溶け込んでいる。その油で揚げていたら、そのフライは食べられないよ……留学生達の言いたかったのはこういうことなのである。

僕がこの話を人にしたとき、しばしば出食わした反応が「何を我侭なことを言っているんだ」というものであった。しかし、少なくともムスリムにとって、豚の脂に触れたかもしれないものを食べろ、というのは、たとえば泥水で洗った皿に飯を盛ったのを食わされるのより、尚耐え難いことなのである。僕達にとってそれがそういうものでなかったとしても、僕達は彼らのそういう感覚を理解し、折り合いを付けなければならない。彼らに一方的に譲歩を求めることなく。相互理解というのは、つまりはそういうことなのだ。

さて、現在名古屋では COP10 が開催されている。生物多様性に関する国際会議なわけだけど、その会議で供される食事があまりにお粗末な状態らしい。ヴェジタリアンの人々は、何を食べていいのか分からず、結局きしめんを頼んでナルトを避けて食べている、という。しかし、そのきしめんの出汁が鰹節でとられたものであることを、彼らはちゃんと理解しているだろうか。面倒だから、知らせない方が都合が良いから、その事実を彼らにちゃんと説明していないのではなかろうか。それは相互理解を否定する所業であって、多様性に関する会議を主催するものとして許されざる罪である。

こういう多様性や、それを越えた相互理解というものを尊重できない者のことを、日本語で何と言うか。これは簡単な問であって、その答はこうである:「田舎者」。田舎者根性を払拭できない連中に、国際性など求められるはずもないではないか。実に、実に下らない連中ではないか。

ペスト・ジェノヴェーゼ

U宅にバジルの鉢植えを預けていたのだけど、もうそろそろバジルも終わりの時期である。枯れないうちに有効利用しよう、ということで、今日はペスト・ジェノヴェーゼを作った。

バジルを刈り込み、葉だけを取ると約 40 g 程あった。この量に対して、松の実を 40 数 g、ニンニク大1欠け、ペコリーノかパルミジャーノのようなハードタイプのチーズが十数 g、それにエキストラヴァージンのオリーブオイルが 120 ml、というところだろうか。

実は昨日、某食材店に松の実を買いに行ったのだけど、中国産の怪しいものしか売っていなかったので、今回はクルミを使うことにする。まずバジル以外を全て(ニンニクはすりおろして使用)フードプロセッサーに投入し、よく攪拌しておいてから、ひとつかみのバジルを入れ、短時間の攪拌で潰して、を繰り返す。このとき注意するのは、あまり長時間攪拌し過ぎると温度が上がって、風味を台無しにしてしまうので、あまり慌てずに行うこと、位だろうか。

使うときには、アンチョビのフィレを入れ、よく潰して合わせてから、パスタを茹でてからめるだけ。冷蔵か、長期間保存するときはアイスキューブの皿などに入れて冷凍してしまうと、1回づつ使うのにも重宝する。バジルを栽培されている方がおられたら、今のうちに作っておくと非常に便利なので、おすすめである。

渡辺 温

ひょんなことから、渡辺温の作品群が青空文庫収録されているのを発見して、夕食後の時間は何本かの短編(といっても、渡部温は短編しか残していない)を読んでいた。

実は今日まで、僕は渡辺温が自分の母校(旧制水戸中学校、現在の茨城県立水戸第一高等学校)の大先輩だということを知らなかった。それに、誕生日も僕と一日違いだ。いや、これは本当に知らなかった。それを知らずに、自ら探すわけでもなく、たまたま青空文庫の作品群に行き当ったのは、これは何かあるのだろう……というのは考えすぎかもしれないが、でも、そう思いたくもなろうというものだ。

渡辺の作品は、ときに陰惨であり、残酷であるけれど、でもそれらに現実の生々しい臭いを感じさせない。幻想的であって、そして短編しか残されていない彼の作品の多くは、呆気無く終わる。妙に乾いている。普通ならねとりと糸を曳きそうな愛憎が、まるで乾燥した老廃物のようにはらりと剥がれ落ちる。そんな感じだ。

27歳の若さで、夙川の踏切(阪急神戸線だ!)で事故に遭いこの世を去った彼より、今の僕はもう一回りも齢をとってしまっているけれど、この機に渡辺とネット上で邂逅を果たしたことに、偶然を越えた何かを感じて、どうも眠れずにいる。こんな気持ちになるのは、もう何年ぶりのことだろうか。

ハンガリーの赤

ハンガリー、ブダペストの西南西にアジュカ(後記:これは間違い。あえてカタカナで書くならばアユカとかアイカと書くべきか) Ajka という町がある:

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この Ajka で4日、アルミ精錬工場に併設された廃液貯蔵のためのダムが壊れ、大量の赤い廃液が溢れ出した。すでに死者が4名、けが人を含めると100人以上の被害が出ており、この廃液がドナウ川に流れこむことによる大規模な環境被害が懸念されているのだ、という。これは一応僕の専門分野に関係した話なので、今回はこの廃液が何なのかを書いておこうと思う(いや、まあ採鉱は厳密には専門分野ではないんだけど、でも僕の専門分野における一般教養として教わってはいるので)。

まず、アルミをどうやって作るのか、という話をしなければならない。鉄の原料が鉄鉱石であるように、アルミにも原料になる鉱物のようなものがある。皆さんも学校の社会の時間などに名前位はお聞きになったことがあるかもしれないが、これをボーキサイトという。

ボーキサイトは、アルミニウムの水酸化物を豊富に含んでおり、不純物としてはシリカ、酸化鉄、二酸化チタンなどが含まれている。これを金属アルミニウムにするために、まずはアルミニウム以外の金属元素とシリカを除去しなければならないのだが、そのためには、まずボーキサイトを高濃度の水酸化ナトリウム水溶液で煮る(煮るといっても、その温度は摂氏200度を超えるのだが)。こうすると、アルミニウムを含んでいる成分だけが溶液に溶けこむ。たとえば水に対して不溶性のアルミナ(酸化アルミニウム)だと:

Al2O3 + 2 OH- + 3 H2O → 2 [Al(OH)4]-
という反応を経由して溶解する。この溶液の上澄みを取って(つまり沈殿物を除去して)冷却すると、沈殿物として水酸化アルミニウムが得られ、それを高温で焼くと、他の金属元素をほとんど含まない高純度のアルミナが得られる。ここまではバイヤー法と呼ばれる方法なのだけど、ここからは有名なホール・エルー法を用いて、電解精錬法で金属アルミニウムを得ることになる。

さて、で、今回のハンガリーのアレは何なのか?という話になるわけだけど、あれはボーキサイトを水酸化ナトリウム水溶液で煮たときの沈殿物である。高濃度の鉄が含まれていて、その鉄が三価のイオンになっているからあのような色なのである(ベンガラ……紅殻とも言うけど……を連想していただければ分かりやすいと思う。ベンガラは第二酸化鉄 Fe2O3 で、これも三価の鉄イオンを含んでいる)。これを「赤泥(せきでい)」と言うのだが、その主成分は第二水酸化鉄 Fe(OH)3 とシリカ、水、そして水酸化ナトリウムである。

この赤泥はそのままでは強アルカリ性のため、塩酸や硫酸で中和してから廃棄する必要があるのだが、塩酸も硫酸もタダではない。捨てるもののために多額の出費をするんだったら、未処理のまま溜めておけばいい……そういう考えだったのだろう。しかし、強アルカリは生体組織を容易く侵す。未処理の赤泥が目に入ればかなりの確率で失明するし、皮膚に付着した場合も、すぐに大量の水で洗い流さなければ皮膚の炎症を起こしてしまう。

日本では考えられない話だが、これはひょっとすると、東西冷戦時代の負の遺産だったのかもしれない。いずれにしても、強アルカリの環境への影響は実に深刻であって、今後が懸念される問題だと言わざるをえない。場合によっては、日本の援助が求められることがあるかもしれない、のだが……今の日本はそんなことも満足にできそうもない。情けない話ではないか。

もうひとつの検察審査会

民主党の横峯良郎参院議員を、皆さんご存知だろうか。横峯議員の娘の名前は、おそらくご存知だろう……横峯さくら。あの有名な女子プロゴルファーである。横峯さくらの父、ということで、先日の参院選のひとつ前、2007年7月29日投開票の第21回参議院議員通常選挙に比例区で立候補・当選した議員である。

あえてここに断言してしまうけれど、横峯良郎という人の政治家としての資質は、限りなくゼロに近い。それは、当選前後に何度となく確認された問題発言だけをみても明らかである。たとえば、投票1週間前の演説会において、年金納入をせずに虚偽の申告をすればいい、という旨の発言をしているし、当選後も、テレビ番組で赤城徳彦の事務所経費問題に関してコメントを求められた際に「事務所経費に関して先輩議員に聞いたら、飲食費だから領収書など出るわけがない、と言われた。政治家は皆そうだ」「民主党でも多分そうだと思う」という発言をして、同席していた原口前総務大臣が「それは事実に基づいていない」と訂正をしている。

僕も観ていたので鮮明に記憶しているのだが、この年の暮れに爆笑問題の番組に出演した際には、当時問題視されていた自身の不倫問題について追及されたのに逆上、共演者のやくみつるやテリー伊藤に暴言を吐いた。そして、自ら政治資金規正法に反する行為をしていたと口にし、それを追及されると「俺じゃねえよ、(娘の)さくらだよ」とうそぶいた。このときも原口氏が同席していた(今にして思えば、民主党は横峯氏のこういう部分を重々承知していて、原口氏を目付役として同席させていたような気がするのだが)のだが、原口氏はあまりのことに呆れ、「ちょっと本当にいい加減にしろよ」と横峯氏を怒鳴りつけたのだった。

横峯氏の不祥事として報道されているのは:

  • 賭けゴルフ(本人も事実を認めている。公訴時効で訴追はされなかったが、民主党内で幹事長厳重注意の処分を受けた)
  • 年金未納
  • 不倫(本人も事実を認めている)
  • 不倫相手の女性に対する DV(本人は否定、女性と報道元を名誉毀損で提訴したが、報道元は徹底抗戦の構えである)
……と、ちょっと調べてもこれだけある。まあ、こんな輩を国会議員にする民主党も民主党なら、有権者も有権者だと思うのだけど、この騒ぎがこれで終わったわけではないのだ。小沢一郎氏への「起訴すべき」議決問題のかげに、実はこういうニュースが流れていたことを、皆さんお気づきだろうか。

横峯議員を聴取=検察審議決受け−関与を否認・東京地検

検察審査会が恐喝事件で飲食店経営会社役員の男性を「起訴相当」とした議決書で、民主党の横峯良郎参院議員(50)について「深く犯罪に関与している」と指摘したことを受け、東京地検は6日までに、横峯氏を任意で事情聴取した。

横峯氏側によると、聴取は9月下旬から10月5日にかけ、計5回行われ、同氏は関与を全面否認した。

東京第4検察審査会の議決書は、男性から相談を受けた横峯氏が、プロレスラーらを手配するなど恐喝を画策し、失敗すると「やり方がぬるい。もっとバンバンやれ」と指示するなどしたと指摘。「横峯氏が介入しなければ、おそらく事件は発生しなかったと思われる」とした。

その上で、横峯氏を聴取しなかった同地検の捜査を「あまりにも不平等、適正を欠いている」と批判していた。

事件では、東京都渋谷区の飲食店に押し掛け、飲食店経営者から現金約30万円を脅し取ったとして、男性やプロレスラーら6人が逮捕された。東京地検は、脅し取られた現金が返されたことなどから、昨年12月に全員を不起訴としていた。

(時事ドットコム, 2010/10/06-10:57)

original:http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010100600243

……なぜこんなことになるのか。それは横峯氏がプロレス好きであることと関係があるらしい。横峯氏は前田日明の大ファンで、前田氏がかつてスーパーバイザーを務めていた団体であるBIG MOUTH LOUDの顧問に就任、前田氏が団体を離脱した後も現在に至るまで顧問に就いている。また、NEO 女子プロレスとも親交が深く、女子レスラーを連れて飲み歩く姿がメディアに流れたりもしているそうだ。

今回の件では、横峯氏が経営する黒豚しゃぶしゃぶ店でバイトしていたプロレスラーの橋本友彦、小坂井寛の二氏を含む6人が東京・渋谷区の飲食店へ押しかけ、暴言・居座りなどの営業妨害をした末に売上金約31万円を奪った、ということらしい。その後、奪われた金が返されたことから飲食店側は公訴を取下げ、東京地検は関係者を不起訴処分にしたものの、検察審査会は上に示したように「横峯氏が深く関与している」という判断を下したのである。

この件で、横峯氏は目下謹慎処分ということらしいのだが、静かにしていればそれでいいんですかね?こんな奴にも国会議員歳費が支払われているんですよ?国民の血税から。この件に関して、今日からの国会で追及されるべきだし、横峯氏は黙って歳費を戴いているのではなく、社会人として然るべき責任をとるべきだ。この件を小沢氏問題の陰に埋没させてはならないのである。

落武者、貞子、断髪

この一年近く、実は髪を伸ばしていた。丁度、昨日保釈された押尾某:

釈放された押尾某

よりも少し長い位まで、肩を覆う位まで伸びた髪を、時には後ろで束ねながら過ごしていたのだけど、U にも「いい加減に切ったほうがいい」と忠告され、とうとう今日の昼間に思い切って切ることにして、近所の美容室に入った。

この美容室には今までにも何度か来たことがあったのだけど、今日は初めて(そう、初めて!)ヘアカタログを渡された。うーん……ショート気味のさっぱりしていそうなのを選んで、まあこんな感じで、と告げて、カットが始まった。

なにせ長いので、クリップで留めては切り、また留め直しては切る、を繰り返す。

「しかし伸ばしましたねえ」
「ええ……まあ、伸ばしたというか、伸びてるというかね……」
「で、今日切ろうと思わはったんですか?」
「ええ。しかし……どうせなら夏前に切りゃあいいのにねえ」

というと、美容師の女性のツボにはまったらしく、しばし笑い。

「夏、大変でしたねえ。でも、せっかく夏越えたのに、切っちゃうんですね?」
「ええ。なんか、落武者みたいに見えてきてね」

これが再び美容師の女性のツボにはまったらしい。

「ワタシも貞子って言われるんですよ」
「貞子?あー、前髪で顔が隠れる?」
「そうなんですよ。ワタシ、前髪長いんで。でも……落武者って。それはひどい」

山下達郎が自分で自分のことを落武者と言っていることは、山下氏の名誉にかけてここでは言わなかったけれど、かくして、落武者の髪を、貞子はばっさりと切り落としたのだった。

黄金の林檎

しばらく出先にこもることになりそうなので、この間使えるようになった US-144 を shannon に接続して、テストがてら過去の音源のリミックスをしている。不精(「無精」の間違いだろ?とか書く人がいそうな気がしてきたな……そういう人はこれを読んでください)をしてそのまま鳴らしてミックスしていたドラムを直すのがメインの作業である。

ドラムを不精して……ってどういうこと?と聞かれそう(これは聞かれて当然だろう)なので、もう少し詳しく書く。僕はAddictive Drumsというドラム音源を使っているのだけど、ドラムパートを打ち込んでこれを鳴らすと、ドラムキット全体がステレオミックスされたかたちで音が鳴る。僕はオールドスタイルなミクシングを好んでいて、ドラムも三点定位にする流儀なので、ハイハットとスネアのパンをセンターにして、そのまま鳴らして使っていた。まあこれでもちゃんとミックスダウンできるのだけど、細かいことを言うと、これではまだ不十分なのだ。

ハイハット、バスドラム、スネアの録音用に、各々に対応したモノラルのオーディオトラックと、モノラルの FX トラックをひとつ、タムとシンバルの録音用に、各々に対応したステレオのオーディオトラックと、ステレオの FX トラックをひとつ用意する。Addictive Drums のパネルで鳴らす音源を決めてやって、各々に対応したオーディオトラックに音を落としていく。これでモノラルで 3 ch.、ステレオで 2 ch. のドラムトラックができたことになる。

僕はさっきも書いたけれどオールドスタイルなので、ドラムはデッドな感じにするのを好む。だからハイハット、バスドラム、スネアにはゲートをかませて、付帯音を切ってしまう。細かいことをやっている場合はそこが切れてしまう可能性があるので、スレッショルドとリリースを慎重に決めてやる。バスドラムとスネアには更にリミッターをかける。

タムはリミッターだけ。今回はゲーティングする必要はなかった。金物もリミッターでダイナミクスを調整してやる。個々の音源の調整が終わったら、ミキサーに上げてバランスを取り、リバーヴへの送りを微調整してからバランスをもう一度取りなおす。大体こんな感じかな……まあ、もうこういう作業には慣れているので、そう時間がかかるわけでもない。

それにしても、技術の進歩というものは恐ろしい。僕がやっているのは、かつては録音スタジオで、24 tr. のアナログマルチと、Neve や SSL のラージコンソールを使ってやっていたことである。キーペックスのゲートの代わりに Cubase 付属のゲート、EMT-140 の代わりに Impulse Response 型の SIR2 を使っているけれど、昔なら億単位の金がなければ実現できなかったことが、なんとノートパソコン、それも DELL の高価でもなんでもないノートで実現できてしまっている。

高校生の頃、僕はよく音響関連の雑誌を図書館で漁っていたものである。吉田保氏が石野真子のシングルをレコーディングしているところを取材した記事を見て、チャンネルシートを必死になってチェックしたものである。あードラムはこう分けて録音するんだ、あーアイドルだとヴォーカルだけで4、5トラックも使うんだ……へーこれがキーペックスかあ、EMT のリバーブは?鉄板?へー金箔使ってるものもあるのか……なんて、どう考えても、手の届かない夢物語である。その筋の専門家になって飯を食っていけるならば触れられたかもしれないけれど、そうでもなければそんな知識が役に立つとは思えない。しかし……今、実際に自分が曲を録音するのに、あの頃仕入れた知識がそのまま役立ってしまっている。

僕らは黄金の林檎を手にしてしまった。夢物語と思っていたものを、現実に触り、使っている。けれど、あの頃輝いて見えた黄金の林檎の魔法は、今僕の手の内で、同じように輝いているだろうか?まあ……僕は輝かせているつもりでいるんだけど。これからも、手の内にしたこの林檎を、魔法使いになることを諦めてそう簡単に投げ出すつもりはない。今この林檎を手にしている人の中には、それが黄金だなんて思いもせずに、齧ってはポイ、齧ってはポイ、ってやってる人もいるけれどさ。

ようやく提出

ようやく提出した。国勢調査の調査用紙を。もう何日も前に書き終えていたのだが、どうも家を出る時に持つのを忘れてしまう。要するに、自分にとっての優先順位が低いということだろう。

しかし。国勢調査の用紙を出さずにいるのは、法律上はよろしくない状態である。というのも、統計法という法律があって、以下のような規定があるのだ:

(報告義務)
第十三条  行政機関の長は、第九条第一項の承認に基づいて基幹統計調査を行う場合には、基幹統計の作成のために必要な事項について、個人又は法人その他の団体に対し報告を求めることができる。
2  前項の規定により報告を求められた者は、これを拒み、又は虚偽の報告をしてはならない。
3  第一項の規定により報告を求められた者が、未成年者(営業に関し成年者と同一の行為能力を有する者を除く。)又は成年被後見人である場合においては、その法定代理人が本人に代わって報告する義務を負う。
第六十一条  次の各号のいずれかに該当する者は、五十万円以下の罰金に処する。
一  第十三条の規定に違反して、基幹統計調査の報告を拒み、又は虚偽の報告をした者
この間、池上彰の番組で、国勢調査に回答しなかった者には懲役刑が科されることがある、と言っていたらしいが、それは間違い。提出を拒んだり、虚偽の内容を回答した場合には、上のように五十万円以下の罰金刑が科される……とは言っても、実際にはこれが科されることはないのだけど(調査員が周囲からの聞き取りを行って提出することが認められている)。

今年は、東京都ではインターネットでの回答が試験的に行われたそうだが、早いところ全国規模にしてもらいたいものだ。あれ程(前)総務大臣が、馬鹿の一つ覚えのように「光の道」「光の道」って言ってるんだから、既存のメタルのインフラ込みでもシステムを早いところ回していただかないとねえ。しかし、民主党政権はそういうことをちゃんとやらないんだけど。

第三の男

これはメモも兼ねて書いておくことにする。民主党の細野議員が訪中した際、随行した二人のブレインがいた、という話は聞いていた。そのうちの一人が須川清司氏であることも分かっていた。しかし、あと一人が誰なのかが分からなかったのだ。

須川清司という人は、1996年から民主党における外交安全保障、金融、地方分権のブレインとして活動している。鳩山政権以降は、内閣官房専門調査員を兼務しているから、内閣官房のブレイン、つまり仙石氏のブレインだとも言える。須川氏はもともとは住友銀行にいた人で、シカゴ支店長代理、シンガポール支店長代理と務めた後に退職、シカゴ大学大学院で国際関係論で修士号を取得した後に民主党入りしている。外交通にしてアメリカ通ということで通っている人物なのだが、鳩山政権時代は、鳩山氏がこの須川氏と寺島実郎(財団法人日本総合研究所会長)氏にべったりで、官僚の持ってくる最前線の情報をまともに聞こうとしなかったために、対米外交(特に普天間問題)をしくじった……という話もある。

須川氏はシンガポール駐在経験者とはいえ、中国とそれほど太いパイプがあるとは考えにくい。中国で記者に捕まった時の細野氏の映像を探してもらえばお分かりになると思うが、細野氏ご一行は、中国政府のものらしきクルマに乗っていた。それもそのはずで、あれは中国外交部(日本の外務省に相当)の用意したものなのだという。ということは、中国に何らかのパイプを持っている「第三の男」が、今回の交渉で動いていたと推測されるわけだ。

で、今朝のテレビ朝日系列で放映された『サンデー・フロントライン』を観ていたら、この「第三の男」に関する解説を聞くことができた。彼の名は篠原令(つとむ)という。

篠原氏は早稲田で中国文学を学んだ後、南洋大学(現シンガポール国立大学)、ソウル大学へ留学した経歴を持つ。1980年代から、日本企業の中国進出におけるコンサルタントとして働いており、故小渕恵三氏が1999年に訪中した際に設立したという100億円規模の「日中緑化交流基金」(通称「小渕基金」)の立ち上げに大きく関わっているといわれている。

民主党が中国へのパイプを持たない、というのは有名な話だが、今回の交渉を行う上で、管 = 仙石ラインはどうやらこの篠原氏のパイプを使うことにしたらしい。しかしなあ……篠原氏の Amazon における著書一覧なんかを見る限り、一党独裁国家としての中華人民共和国とのやりとり、という面で、篠原氏にそこまで頼れるものかどうか、という印象は拭い去れない。先日も書いたけれど、日中関係に関して言うならば、フジタの日本人社員が一人でも拘束されている現状は、4人拘束されているのと大同小異というところなんだけど。そもそも、船長逮捕後のやりとりにおいて、もしこの篠原氏が絡んでいてあの状態だったとするならば、日本の今後の対中外交というものに、正直言ってあまり希望は持てそうにないなあ。

Mono

唐突かもしれないが、僕は「ものづくり」という言葉が嫌いだ。嫌い、というよりも、憎んでいる、と言った方がいいかもしれない。今の日本をこんな状態にしたのが、この言葉だと思っているからだ。

そもそも「もの」とは何だろう。もちろん、これはもともと「物」だったはずなのだけど、まずこれをカタカナで「モノ」と表記するようになったのが、おそらくはそもそものはじまりだろうと思う。経済関連の業界では、物質的な「物」に留まらず、金融上の価値を持つ物、そして金融商品のような、物質的な存在を伴わないけれど経済的に存在意義のある存在を「物」であるかのように扱うわけだけれど、そういう存在は「モノ」と呼ばれ、文字にするときにはカタカナ表記することが多かった。その主体が物質的存在なのか、あるいは経済的存在なのか、を区別するために、後者が「モノ」とカタカナで表記され、この表現が便利なものとして定着したのであろう。

そして、「モノ」という表現がひろく認知されるようになったのは、ワールドフォトプレス社が1982年に創刊した『mono magazine/モノ・マガジン』によるところが大きい。この場合の「モノ」は、もともとは collector's item のニュアンスで用いられたのだと思われるのだけど、この雑誌は収集物の範囲を超えて、消費物一般に対してこの「モノ」という単語を当てはめた。コレクターが収集物や収集の形態でアイデンティティを主張するが如く、消費物の選択でアイデンティティを主張する……という、この雑誌が提案したスタイルは、やがてバブルの時期にひろく社会的認知を得て、雑誌は大きくブレイクしたわけだ。

そして、バブル以後……1990年代後半、どういうわけか、創造的な新規技術開発を「ものづくり」と称することが多くなった。僕は関わっていたことがあるので知っているのだけど、この手の流行に敏感なのが、実は国の省庁関係で、特に予算を獲得するための提案書類には、この手の流行語が用いられることが多い。僕が某研究所に着任したときの直属の上司は、申請書類の添付資料に「アメニティ志向」と書くのが大好きだったけれど、おそらくは「ものづくり」という言葉も、このような場において重宝に使いまわされたに違いない。

そして、1999年3月19日に公布・同年6月18日に施行された「ものづくり基盤技術振興基本法」と、2001年4月に開学した「ものつくり大学」が、「ものづくり」という言葉を世間に定着させるダメ押しとなった……と、「ものづくり」という言葉の歴史は、おそらくはこんなところだろう。

このような成立過程をみてみると、「もの」「モノ」という言い方が、物質的存在としての「物」を超えた何ものかが込められた存在を言い表すために登場したことがわかる。しかし、今の社会において、果たして本当に、そういう意味を込めて「もの」「モノ」が使われているのだろうか。むしろ、この言葉を向けたものが、すべからく「物質的存在としての「物」を超えた何ものかが込められ」ているかのように思い込ませたい、信じ込ませたい、あるいは自らがそう思い込みたい、信じ込みたい、そういうときに、この言葉が乱発されているような気がしてならないのだ。

そして、「もの」「モノ」という単語で記号化された対象は、その記号の単純さをそのまま反映した単純な取扱い方をされる。日本の企業で、この「ものづくり」という言葉を乱発する管理職はきっとたくさんいるだろうけれど、彼らは自分たちが生産している物に、本当に「物質的存在としての「物」を超えた何ものか」を込めるために、心血を注いでいると胸を張れるのだろうか。

僕も一応工学に携わる一個人なわけだけど、僕は、自分が創りだした物を「もの」とか「モノ」とか簡単に表記されたいなどと、とてもじゃないけど思えない。その言葉の軽さは、何事かを創りだす労苦にはとてもじゃないけれどそぐわないし、世に送り出された後に、自分は何も労苦に耐えなかったような連中にしたり顔で「これが『ものづくり』なんだよ」などと悦に入られるなんて、とてもじゃないけれど我慢ならない。平仮名5文字では語れない重さが、そこに込められていることを、「ものづくり」という言葉を乱発する連中が理解できるはずがない、と思うからだ。

「ものづくり」を海外発信するんだ、などという向きもあるらしい。日本で活動するアメリカ人ビジネスマンのジュリアン・ベイショア氏の2008年03月17日のブログによると……:

というように、monozukuri もしくは monodzukuri という単語がもう発信されてしまっている。これを mono-zukuri とスペリングしないところがミソで、mono-zukuri と書いて、mono →「単一の」という意味が想起されるのを防いでいるつもりなのだろう。しかし、「もの」と一言で片付けられない労苦や思いが籠っているものを創出する行為を、馬鹿の一つ覚えのように「ものづくり」「ものづくり」と言い表していること自体、僕にはただただ monotonous なものに思えてならないのだ。僕が創りだしたもの、そしてそれを創りだした僕の行為を、僕は決して「ものづくり」と呼びたくもないし、また呼ばせたくもないのだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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